人牛倶忘(じんぎゅうぐぼう)

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人牛倶忘(じんぎゅうぐぼう)

前回で生死を超越した人は、ここに至ってついに死んじゃいました。ちーん。

という縁起でもない始まりはよして、何も描かれていない人牛倶忘。十牛図のなかでいちばんやばい図に到着してしまいした。

前回までごちゃごちゃとへたな絵(このHPの絵のことです、ははは)が描きこまれていましたが、今回は全くカラの、何もない円になってしまいました。でも、亡くなったのではなく。消えてしまったように見えますが、それは「幻想(S1.7.)である人や牛、陰である現象界」が、僕たち幻想だったんだ、と気づき、そもそもの源泉である「すべての世界」つまり仏教用語でいう「空」の世界に戻っていった。そして今回のまっさらな円は、無、あるいは空というすべてがつまっているという次元の違う密度の円です、ということだそうです。(ちなみは無は禅宗、空はその他宗派が使う言葉だそうです)

「空」っていったいなんだ?実は経典によって説明が違っているらしいが、これはどれが本当でどれが嘘、ということではなく、聞き手の個人差に対応して説明を修正しているFinancial3.12)らしい。

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衆生の機根に応じて法の説き方は変わる。なぜラーメン屋さんの

写真なのかはこちら→リンク(Financial3.12)

いわく「一切法は因縁によって生じたものであるから、そこに我体・本体・実体と称すべきものがなく空(むな)しいこと。空を観じることは真実の価値の発見であるから、真空のままに妙有(みょうう)である」。などとありますが、わかったようなわからないような?みなさんも読みとばしてよいです。

で理屈っぽい現代人に通用する普遍的な説明、となると、実はシンプルで「すべての根源であるエネルギーのこと」だそうです。

究極、原初の光、サムシンググレートとか、中心太陽、とか、要するに生物から鉱物からあらゆる物質・存在を構成する原子をそのまた構成するエネルギーということである。

まあ、確かに現代科学をもってすれば人間は動物であり動物は細胞により構築され、細胞は分子になり。。。。といとも簡単に根源に遡及してゆき、根源の根源はエネルギーでした、というのは当然だったりします。理科学的な分析手段や知識を持たなかった古代では、当時あった手段や言語で「空」とか「妙有」とかがんばって説明していますが、よくでてくる「無」にしても現代国語の「無いよ」というのとは意味が違ったりして?かえって理解不能になっていたりします。でも結論は簡単で「すべてはエネルギーだった。エネルギーなんて人間の能力で表現できないから何も書かない〇になった」のが真相と理解します。

というわけで、仏教的な解脱に達した人は生きていてもエネルギー、死んでいてもエネルギー。すべてはエネルギーが形を変えているだけで、死ぬも生きるも幻想です、ということを悟り、悟った以後輪廻転生をスピンアウトして純粋なエネルギーの世界に安住していくということなのだと思います。ここに至って人はついに「究極」つまり神(宇宙意識、アラー、仏、お嫁さん、なんでもいいです)と一体化し、究極に溶け込んだ白い光になったのでした。

おわり。

めでたしめでたし。。。。

なわけねーだろゴルア!(°□ °♯)/それが覚醒で悟りだったら、悟ったあとはなんにもなーい「〇」で、わかばのたいやきとか、千葉屋のラーメンとか、おいしいね!といって食べられなくなっちゃうじゃないか!ふざけんな!「〇」の世界からとっととたいやきのある世界に引き戻せ!と叫びたくなります。

実は、実際叫んだ人がいました。

ほかならぬ十牛図の作者廓庵さんです。

廓庵さんは、本来「〇」で大団円だった「八牛図」にコペルニクス的転回を加え「十牛図」にしました(ラジニーシ和尚の説)。人はいったん原初のエネルギー(「〇」)に回帰しますが、恐るべき使命を帯びて「自分と自分でないものがある世界(ぼくとたい焼きがある世界。ははは)」に戻ってきます。そして、これは次の2つの図で説明されることになります。

では今日はこの辺でいいでしょうか、とりあえずありがとうございました。次の返本還源でまたお会いしましょう。なますて。。。

たいやきのある世界、大切にしたいですね

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