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ジェミニおもしろ回答いろいろ

*よりによって12月31日から1月6日までサーバーダウン(プロバイダーでドメイン更新を忘れた栄太というクズなミス)。泣く泣く本日1月6日更新です。

 

「会話型人工知能」Googleジェミニとの優しさいっぱいの対話。

最後のはなかなか重要な質問です。

 

 

◎三波春夫と水前寺清子は夫婦なのでしょうか?

三波春夫さんと水前寺清子さんは夫婦ではありません。

三波春夫さんの妻は、浪曲の曲師であった野村ゆきさん(後に北詰ゆきさんに改名)です。

一方、水前寺清子さんは1989年に音楽家の小松明さんと結婚しましたが、2020年に離婚しています。

https://www.gakuendo.net/product/22786?srsltid=AfmBOoq75-kHqtilmokOqfHOdWM4dDo13_qmA1waZCY4trI34HBRm1GB

ショック。夫婦じゃなかったんだ。。。

 

 

◎ヒヨコを捕食しようとした鷹をめんどりが追い払うことはできるでしょうか?

はい、めんどり(親鶏)がヒヨコを捕食しようとする鷹を追い払うことは十分あり得ます。

めんどりは、自分のひよこを守るために非常に攻撃的になることがあります。捕食者が近づくと、大きな鳴き声で警告したり、羽を広げて体を大きく見せたり、場合によっては実際に捕食者に向かって突進して追い払うこともあります。これは強い母性本能によるものです。

もちろん、鷹の大きさや種類、めんどりの性格や状況にもよりますが、めんどりがひよこを守ろうと果敢に立ち向かい、鷹を撃退するケースは実際に観察されています。

実例ではこんなかんじ

 

 

 

◎アメリカで人気になったShogunは、実は西部劇だというのは本当でしょうか

ドラマ「SHOGUN 将軍」は、歴史ドラマとされています。西部劇ではありません。

しかし、一部の批評家や視聴者の間では、そのテーマや構造に西部劇と共通する要素があるという見方が存在します。

具体的には、以下のような点が挙げられます。

異文化との衝突: 西部劇では、開拓者とネイティブアメリカンなど、異なる文化を持つ人々の衝突が描かれることが多いですが、「SHOGUN 将軍」では、異国の地日本に漂着した西洋人が、日本の文化や武士道に触れ、未知の土地に乗り込む「よそ者」の視点が描写されるという共通性が見出せます。
無法地帯でのサバイバル: 西部開拓時代のように、法や秩序が明確でない時代や場所での戦いが描かれる点も共通しています。「SHOGUN 将軍」の舞台となる戦国時代の日本も、群雄割拠の時代であり、主人公たちは様々な危険や陰謀に直面します。

「お引き取りくださりませ」

https://www.youtube.com/watch?v=T_4cK1L89E8

 

 

ガンマンとサムライ: 西部劇の象徴であるガンマン(銃)と、日本のサムライ(刀)は、それぞれ異なる文化圏の「武力」の象徴ですが、どちらも誇りや流儀を持ち、命をかけた戦いに身を投じる点で類似性があります。
「荒野の用心棒」などの影響: 黒澤明監督の「用心棒」が、後にクリント・イーストウッド主演の「荒野の用心棒」として西部劇にリメイクされたように、日本の時代劇と西部劇の間には、相互に影響を与え合ってきた歴史があります。そのため、「SHOGUN 将軍」にも、意図的ではないにしても、西部劇的なカタルシスやストーリーテリングの要素が含まれていると感じる人もいるのかもしれません。

まとめると、「SHOGUN 将軍」は明確に西部劇とされてはいませんが、テーマやプロット、キャラクターに西部劇的な類似点や共鳴する部分を見出すことができる、というのが実情です。

 

 

◎猫と蛇が闘ったら、どちらが勝つでしょうか?

状況とそれぞれの個体の特徴によって大きく異なります。一概にどちらが強いとは言えません。

猫が有利な点

素早さと敏捷性(反射神経): 猫は非常に素早く、予測不能な動きで攻撃をかわすことができます。
強力な爪と歯: 鋭い爪と歯は、蛇に深い傷を負わせる可能性があります。
高い知性: 猫は獲物をじっくり観察し、隙を見て攻撃する戦略をとることがあります。

蛇が有利な点

毒蛇であれば、一度噛みつけば猫を死に至らしめる可能性があります。
ボアコンストリクターやアナコンダのような締め付けるタイプの蛇は、猫を窒息させることができます。
奇襲: 蛇は周囲に溶け込む能力が高く、不意打ちで攻撃を仕掛けることがあります。
耐久性: 一部の蛇は、ある程度の攻撃に耐えることができます。

勝敗を左右する要因

蛇の種類: 毒の有無、体の大きさ、攻撃性によって結果は大きく変わります。例えば、小さな無毒の蛇であれば猫が圧倒的に有利ですが、コブラのような毒蛇であれば蛇が有利になるでしょう。
猫の経験と性格: 以前に蛇と遭遇した経験があるか、好奇心旺盛か、臆病かといった個体差も影響します。
環境: 開けた場所か、隠れる場所が多い場所かなど、戦う場所も重要です。
不意打ちの有無: どちらが先に攻撃を仕掛けられるかも勝敗に直結します。

結論:毒のない小さな蛇であれば猫が有利でしょう。毒蛇や大型の締め付けるタイプの蛇であれば、猫にとって非常に危険であり、蛇が勝つ可能性も十分にあります。野生の環境では、猫も蛇も互いに捕食者であり被食者になりうる存在です。

フツーは猫が勝つと思います。

 

 

 

◎神との対話

人間は、自己遡及能力と三項関係の理解、駆使によって自己智を完成させ、もって生物学的生命を超えた自己意識の存続あるいは意識体である生物としての不老不死のいずれかを獲得することが可能でしょうか。

生物学的な限界を超越した自己意識の永続性や不老不死の獲得というテーマは、現在の科学的知見だけでは断定的な答えを出すのが難しい領域です。ご提示いただいた自己遡及能力(self-referential ability)と三項関係(triadic relationship)の理解と駆使が、自己智を完成させ、最終的に不老不死に繋がる可能性について考察してみましょう。

自己遡及能力: これは、自己を対象として認識し、思考し、評価する能力を指します。人間が自己の意識や存在について内省し、自己を改善しようとするのはこの能力によるものです。この能力が高度に発達することで、自己の意識の構造を深く理解し、その限界や可能性を探求する道が開かれるかもしれません。
三項関係: これは、主体、客体、そしてそれらを仲介する記号や概念といった第三の要素からなる関係性を指します。例えば、人間が言語や文化を介して世界を認識し、他者とコミュニケーションをとる際に不可欠な能力です。この三項関係の理解を深めることで、個々の意識がどのように集合的な知識や文化と結びつき、あるいは独立性を保つのかといった洞察が得られる可能性があります。

これらの能力を極限まで高め、自己の意識の根源を理解し、操作できるようになれば、理論的には自己意識のデジタル化や、意識を他の媒体へ移行する技術、あるいは生物学的な身体の制約を受けない新たな存在様式を構築する可能性も考えられます。

しかし、現状の科学では、自己智の完成が具体的に何を意味するのか、またそれがどのように生物学的な制約を超越するのかについて明確なロードマップはありません。

生物学的生命を超えた自己意識の存続(意識の永続性): これは、肉体の死後も意識が何らかの形で存在し続ける、あるいはデジタルデータとして保存され、別の媒体で再現されるといった概念です。現在、脳の活動を解明し、意識のメカニズムを理解しようとする研究は進んでいますが、意識の「本体」が何であるか、そしてそれをどのようにして肉体から分離し、保存・移行できるのかは未解明です。
意識体である生物としての不老不死: これは、現在の肉体を維持したまま、老化や病気による死を克服し、無限に生き続けるという概念です。再生医療、遺伝子治療、ナノテクノロジーなどの進歩により、将来的に人間の寿命を大幅に延ばすことは可能になるかもしれませんが、現在のところ、細胞の老化や損傷を完全に停止させ、永久に機能を維持する方法は見つかっていません。

結論:現時点では、自己遡及能力と三項関係の理解・駆使が、生物学的生命を超えた自己意識の存続、あるいは生物としての不老不死に直結するという確証はありません。これらは哲学的な問いであり、同時に最先端の神経科学、認知科学、人工知能、バイオテクノロジーなどが複合的に関わる非常に複雑なテーマです。

しかし、これらの概念を探求し続けることで、人間が自身の存在や意識、そして生命の限界について新たな理解を深めることができるのは確かです。

 

「手ぶらで街にやってきた。ジェミニ」ですね

 

 

どんな質問にもまじめに答えてくれるジェミニ。おちょくりまくってやりたくりますねえ。いつかまた「おもしろ」質問の続編を投下させていただきます。

 

 

 

◎おまけ

geminiは男性ですか?女性ですか?

Google Geminiは、性別を持たないAIです。

 

 

ではでは

Posted by 猫機長
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日本の剣術に盾がない理由

もちろん「置き盾」はあります。ここでは、兵士というか武士が携帯して戦うやつのことです。

日本の前に、西洋はどうかというと

古代ギリシア→ご存じ重装歩兵の主要装備で「盾と槍の隙間無い陣形は、並大抵では突破できず、ペルシア帝国との戦いでは、圧倒的な数の不利を逆転した(wikipedia)」

https://www.hlj.co.jp/product/ITA6024
 

 

古代ローマ→盾は四角い「スクトゥム」に発展し、重要な装備として定着。

https://nl.linkedin.com/pulse/stand-one-monique-g%C3%B6ttgens-hesselink-1e
 

 

ノルマン人→馬に乗ったときに足を守れるよう、丸型から涙滴型に変化。

https://www.ecpalmeirense.com.br/?q=norman-shield-hi-res-stock-photography-and-images-alamy-hh-ylWrl7Cr
 

 

ヨーロッパ騎士→涙滴型の上部を切って水平に。


 

 

 

この下の部分が丸まってヨーロッパの紋章(エスクード)が生まれました。紋章は識別、儀礼と共にちゃんと実用でも活躍したらしい。

紋章としての盾。ポルトガル・ブラジル・アルガルベス連合王国。王冠、地球儀と盾。https://gandaia.info/reino-unido-de-portugal-brasil-e-algarves-a-coroa-da-costa/
 

 

西洋ではがちがちの金属製鎧が生まれましたが、それでも盾は継続使用されたらしい。

 

中国はどうかというと

団牌(だんぱい)→鬼瓦みたいな模様の付いた丸い盾が広く利用された

https://www.sgss8.net/tpdq/36498586/
 

 

他にも、へんな形の盾がいろいろ使われた。古墳時代の日本とかでも輸入品か模造品かわかりませんが、こうした盾が使われていたらしい。

https://www.google.com/url?sa=i&url=https%3A%2F%2Fwww.taobao.com%2Flist%2Fproduct%2F%25E7%259B%25BE%25E7%2589%258C%25E4%25B8%25AD%25E5%259B%25BD%25E5%258F%25A4%25E4%25BB%25A3.htm&psig=AOvVaw06tStxReD8vCTBzPlFPiZX&ust=1717175140375000&source=images&cd=vfe&opi=89978449&ved=0CBQQjhxqFwoTCIDq0ZvutYYDFQAAAAAdAAAAABAK
 

 

というわけで、古今東西を問わず、盾は重要な武具として使用されてきました。

ところが、中世あたりから日本ではすたれてしまい。

 

なぜか?については百家争鳴ながら決定的な理由が見つからず。この記事で、飛行機乗りかつ剣道体験者の目線から解明してみます。

日本で盾が使われなくなったのには、一つの決定打を補強する数かずの理由があるとの理解。

もちろん「決定打」についてはこの記事の最後までとっておくので、まずは「その他もろもろ」の理由からご覧ください。

1)体格

一番えげつないけれど、一番切実な理由でもあります。

もちろん戦国武将など、大男ぞろいでしょうが、現代の日本人でもお相撲さんやバスケット選手みたいな体格を持っている人は本当に一握りであり。盾を担いでなんてやっていると、戦場に着くまでにばててしまい、合戦どころではなくなってしまったとの理解。

要するに食い物の違いで、霜降り肉みたいなのをありがたがっている状態では、バーベキュー食い放題の相手には勝てないということである。

ちょっと脱線ですが、剣道の日韓戦で、あとすこし日本選手に体格があったら、まっとうな剣道を押し通すじゃなかった貫くうえであんなに苦労しなくて済むのに、と思います。1998年のW杯でオランダが韓国を粉砕したのを見た人は、この意味が分かると思います。

日本の剣道選手でも最精鋭といえるのが機動隊。その機動隊員が一番嫌がる訓練が「盾を持って走る」ことだそうです。ポリカーボネート性の、軽量化しぬいた盾でも、警察剣道の猛者がばててしまうという、恐ろしい装備が盾であり、日本人にはとてもとても、、、というのが正直なところだった。

要すれば、日本人と西洋人の対格差は、P47と隼のエンジン馬力の差くらいはあったということで、P47はいくらでも防弾装備できたが、隼は。。。。でも、申し訳程度ながらちゃんと防弾装置を持っていた隼はえらいと思います。

栄養失調(隼:https://www.super-hobby.pt/zdjecia/9/8/0/1145_rn.jpg )と相撲取り(P47:https://www.super-hobby.pt/zdjecia/9/8/0/1145_rn.jpg)の対決。
 

 

相撲取りを圧倒するデブ野郎
https://www.sponichi.co.jp/sports/news/2019/05/26/kiji/20190526s00005000412000c.html
 

 

結論として、トランプ級のデブ男にとっては大したことない盾の重さも、セーラー服おじさんでは持ち上げることもできない恐ろしいデッドウエイトとなってしまうということです。

セーラー服おじさん https://autoslide.jp/entertainment-an-honoka-2022/
 

 

 

2)戦術

戦国武将なんてトランプもびっくりのがいっぱいいたじゃね?なんで盾を使わないのか?

日本の戦術は「弓が主体」だからです。

よく、日本の武士は馬上から刀をふるうから盾を持てなかった、という意見がありますが、上記のとおり西洋では騎馬でも盾をつかうし、そのために盾も進化したりしました。手綱にぎれねえじゃん、という問いにも、別に手綱握らないまま馬にのりました、というケースもあり。

飛行機の場合でも、ちゃんとトリムを取れば、操縦かんから手を放しても飛んでゆけるのである。

西洋における中世の合戦を伝えるものに「ジョスト」があり。写真では手綱は握っているようですが、巨大な槍と共に盾もちゃんと主要装備として使っているのでした。

https://www.hevercastle.co.uk/wp-content/uploads/2021/08/ODX_Hever_Castle_Jousting_19-scaled.jpeg
 

 

日本で盾が使われなくなったのは、「手綱は握らなくても馬は走ってくれるが、両手でなければ弓は引けない」からです。

ちなみに、「大袖」を盾だよ、という人もおり、反対もしませんが、やっぱりぼくとしては「盾的な鎧のパーツ」と思います。

鎧というのは、後頭部や背中、脛など、尋常な一対一の勝負では切ってこない、集団戦の乱戦における背後からの打撃に備えるためのものであり。弓を引いたときに、両肩の大袖がいい具合に背中を守る、ということだったとの理解です。

もちろん、両手で弓を扱っているとき、盾は持てませんよね。。。。

大袖。 https://www.touken-world.jp/tips/51739/
 

 

3)日本で盾がすたれた本当の理由

といって、盾という重要なシールドを手放すというのは勇気がいると思います。

日本武士は主君のために死ぬのが任務だ!だから防御のための盾は持たないんだ!という人がおり。外人さんとかが感動していますが、ぼくはこの説には同意しません。それだったら、甲冑なんか着ないで、自分から進んでそれこそ「肉盾」になればいいだけの話ですから。

要するに、戦のプロである日本武士が、これなら盾は持たなくても大丈夫だね!と安心する何かがあったということである。

源平の騎馬武者が弓を引く都合上「大袖」で我慢したのはともかく、その後専門の弓隊、のちには鉄砲隊におおかた弓は譲って当世具足に発展しても、盾は復活しませんでした。

 

その理由は?

「真相はこうだ」。

秘密の名は「鎬(しのぎ)」

 

「鎬」の存在によって、日本武士は存分に両手で刀を振りまわすことができ、盾という防御に片手を奪われずに済むようになったのです。

 

鎬というのは、刀の側面にそそり立つ稜線のようなものです。

https://www.touken-world.jp/difficult-word/shinogijihiromedeshinogitakai/
 

 

切り合いになったとき、相手が降り下ろしてくる刀の鎬に、自分の方の鎬を擦り込んで「切り落とす」ことで、相手の刀は軌道がそれ、自分の刀が相手に「入る」のです。これは相手が突いてこようが、下から切り上げてこようが同じです。

つまり、鎬が盾と同様に相手の打ちをそらし、同時に空いた相手の中心をこちらの刀が切る。

日本刀操法の根本が切り落としにある、と言うのは、とある高段者が書いた本に載っており、事実との理解です。

でも、有識者の受け売りではなくて、ぼく自身これは納得、というのがあるのです。

それが「二刀」

ぼくは「逆二刀上下太刀」で、左手で大刀を上段に、右手で小刀を中段に構えています。

この小太刀が、相手の出てくる太刀を押さえる。と同時に大刀が相手の面を打つ。

 

 

一刀の場合は小刀の役目を鎬が受け持つことになります。

鎬で切り落として打つなんて、実は範士八段の先生でないとできない神業ですけど。

ところが、大太刀と小太刀に分かれて役割分担させれば、ぼくみたいなぶきっちょな初心者でも、何とか相手の太刀を押さえて打つ、というのができるのがふしぎです。残念ながら、小太刀を相手の太刀にぶつける、という感じになってしまい、鎬ですりおろす、には程遠いですけど。

というわけで、一刀を極めたい人は、いつかどこかの段階で二刀をやってみることをお勧めします。片手打ちなので、力任せのくそ握りでは竹刀が回ってくれません。また、利き手の小太刀で、相手の太刀を押さえるということを覚えることができ。

ぼくの習った二刀は、基本「二刀同時打ち」です。二刀流にもいろいろあるので、ご留意いただければ幸いなりです。

ちなみに、古流のすごい先生が「バックラー」という西洋の小さな盾を試しているという興味深い動画があるので掲載しておきます。


 

 

バックラーの動きは、なんとなく二刀ちっくですが、だいたい受けのみで終わるか、受け、打ちの二動作になっており。小太刀で積極的に「相手の太刀を打ち」、同時に(くどいけど)大太刀で「相手の体を打つ」の方がいいと思います。

 

最後は剣道愛好家でないと意味不明か?

どうせ日本で盾が発達しなかった理由を「こうです」なんて断言は誰にもできないので、思い切り我流の発言ですが、何かの啓発になれば、幸せこの上ありません。

 

ではでは。。。

 

Posted by 猫機長
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七人の侍にみる「本物のプロパガンダ」とは

黒澤明の名作に「七人の侍」があります。

なんて説明しないと、令和の子供たちにはちんぷんかんぷんと思いますが、昭和生まれで空襲から逃げまどったか、あるいはその息子、娘の世代にとっては「名作」と言えばこの映画。英国放送協会(BBC)が、史上最高と選定(英BBCが選ぶ史上最高の外国語映画1位に「七人の侍」 : 映画ニュース – 映画.com)した、文字通り「世界一の名作」なのでした。

『七人の侍』と『ムーラン』


 

 

能書きはともかく、ストーリーの概要は

◎戦国時代の終わりころ。とある農村に、盗賊団(以後、野武士)が襲撃しようとしたが、「まてまて、今行ってもなんにもあるめえ。収穫の後に、またくるべー」と引き返していったのを、農村の百姓1人が隠れて見ていた。

*セリフなど、ぼくのうろ覚えなので、一字一句同じではないです。念のため

◎そいつは長老の家にかけこみ。村一同緊急会議になった。

◎「領主の野郎は、野武士が略奪しつくしていなくなってから、いかにも野武士をやっつけたみたいに乗り込んできやがるだろう」と、百姓どもが悲嘆にくれる中、長老が口を開いた。「さむれえ雇うだ」

◎「そのむかし、たくさんの村が襲撃された中で、焼かれないで残ったのはさむれえを雇ったその村だけだった」

◎飯を食わすだけしかできない貧乏な村で、どうやって侍を雇うのか?「腹のへったさむれえ探すだよ。腹がへりゃ熊だって山降りるだ」。

◎その後いろいろあり。腹が減っているかはともかく、白い飯だけでやとわれてくれた心優しい侍6人と、謎の自称武士1名が村を守ることになった。

◎その後さらにいろいろあり。百姓どもとさむれえたちが決定的な仲たがいしかけた時に、自称武士1名(実は百姓の落ちこぼれ)がいいかんじに両者の仲を取りもち。みんな仲良しになりました。落ちこぼれ野郎もこの辺から侍として認められるようになった。

お主百姓の出だな https://www.pinterest.com/pin/613685886700350297/
 

 

めでたしめでたし。ということで画面が真っ暗に。

終わったか?いやいや「休憩」だそうで、5分間真っ暗な画面が続いたのでした。

いよいよ後半開始。

◎秋の収穫に喜ぶ百姓ども

◎そこに野武士の軍団が襲撃。迎え撃つ百姓どもと正義のワイルドセブンじゃなかった七人の侍。

◎ぶぎゃぎゃー!ぶぎゃぎゃぎゃー!野武士は全滅。正義の7人も、落ちこぼれ含め4人が4んじまいました。

めでたしめでたし。

また生き残ったな https://ameblo.jp/hal-9000hn/entry-10427297588.html
 

 

なんか後半は書くのがめんどくなり、いいかげんに済ませてしまいましたが、まあこんなかんじです。

もっと詳しいネタバレはこちら→https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%83%E4%BA%BA%E3%81%AE%E4%BE%8D

 

令和の子供たちは、疑問になったとおもいます。

「どこが名作なの?」

別に悪気はなく、素朴な疑問と思います。というか、上記の説明だけで「おおなんてすばらしい名作なんだ!」なんて感涙してしまう人は、かえって思考停止、「みんなが名作だと言っているのに自分だけ名作じゃないなんて言えない」という、同調圧力全盛だった昭和暗黒時代の住人だと思います。

というわけで、どこが名作なのか?

実は、名作にもいろいろあり。絵画に「これが名作です」という判断基準があり、映画(特に黒澤映画)にも応用できるとの理解から、列挙すると

◎作画の技術:

絵画教室に行くと、「線を引きなさい、たくさんの線を」と言われて、最初は平面的なえんぴつ書きの練習がえんえんと続きます。でもまじめにやっていると、花瓶なら花瓶で「写真とまがう鉛筆画」が描ける技量が身に着いたりします。油絵具だろうがアクリルだろうが、技量が歴然としており、見る人を震撼とさせるような絵が名作の一つの条件となります。抽象画も、正確な写実ができる技術の裏付けがないとかけられん。

◎画面の鮮明度:「カドが立っているか」

醤油のカドが立ったえぐいラーメン、あるいはへたな包丁さばきでネタのカドがぐちゃっと潰れた寿司みたいになのはだめ。まろやかだけれどくっきりと色彩や輪郭が浮きあがり「ネタがびしっと切り立ったお寿司」みたいなのが名作。

カドの立った中トロ。出展はhttps://hitosara.com/0006079316/
 

 

◎構図

3分割構図、対角線構図、三角構図、キアロスクーロ(レンブラント様式)、シメトリー構図、色による構図(補色、反対色など)その他無数にあり。名作はこれらの無数のオプションから、選び抜かれた構図をもって「カドの立った寿司」みたいな切れ味を実現している、ということでしょうか。

◎弘法筆を選ばず、名画鑑賞者を選ばず

書道の達人は、どんな筆を使っても名作を残し。絵画も、本物の名作であれば、鑑賞者がヒッピーであろうが共産主義者であろうが、絵に目を止めた瞬間、画面の中に引き込まれるように迷い込んでしまいます。要するにそういう絵が名作であり、上記に書いた技術、立体度(鮮明さ)、構図すべての総合力です。

さて「七人の侍」ですが

◎「本物志向」。リアリティを追及し、鬘から着物まで時代考証を徹底。セリフに至っては「わざと聞き取りにくくした」みたいな感じで、最近の日本映画みたいに、美しくてわかりやすいけれど、かえって現実感が薄れる、というのとは真逆になっています。

◎正義の7人に導かれて悪人を撃退する市民(百姓)という、誰が見てもわかりやすい構図(ストーリー)に、かつ侍の一人一人、主要な農民、悪役の野武士等々、くどすぎもあっさりしすぎもなく、すんなりと受け入れることができ。最後の決闘というか乱戦の場面では、雨がドバドバというお膳立てとか(映りをよくするため、「雨水」の中に墨汁を混ぜて撮影した(https://www.youtube.com/watch?v=8LjhwVBxqrE))で、要すれば「角の立った寿司」のような切れ味が視聴者を魅了。

 

なるほどねえ。

でも、この程度だったら、単によくできたエンターテイメント映画じゃね?で終わってしまいます。

しかし、七人の侍を、世界1の映画とする「影の理由」が存在しているのです。

それは、当時の緊迫した世相が生んだ、戦慄すべき理由だった。

その名も「東西冷戦」

この映画が封切られたのは1954年。作成開始は1952年です。朝鮮動乱で共産主義国家と自由主義国家が軍事衝突し、第三次世界大戦勃発寸前という恐ろしい事態の中、あわただしくサンフランシスコ平和条約で日本が「主権回復」し、日米安保条約による米軍駐留などがニューノーマルとして定着していった時代でした。

サンフランシスコ講和条約 https://www.nippon.com/ja/japan-topics/g00641/
 

 

というか、定着しないとソ連、北朝鮮、共産中国に袋だたきにされて、日本の存続がやばいぞ!

日本はアメリカが抑えているぞ!いざとなれば、(韓国みたいに)傀儡国家としていつでも共産主義に立ち向わせる準備はできているぞ!と共産主義諸国に恫喝していないと、逆に共産諸国から日本が恫喝されて、北海道だのを取られてしまうぞ!という時代だったのである。

朝鮮動乱。漢江人道橋爆破事件https://history365days.blog.fc2.com/blog-entry-232.html
 

 

インターネットもなかった時代に、こうした現実を日本国民に「啓蒙する」ツール。それが映画だったのでした。

要すれば、「七人の侍」によって日米支配層が日本市民に発したメッセージとは

1)7人の侍、というのは要すれば在日米軍であり、百姓たちは日本国民のことである。映画では「利吉」とか、7人の侍に積極的に協力するキャラが出てきますが、これは自衛隊を象徴している。

2)野武士はソ連をはじめとした共産勢力ですよね。映画作成の時期に、韓国がほとんど滅亡の瀬戸際に追い込まれており。日本も他人ごとではないよ、ということです。

おもしろおかしいストーリーで、見事在日米軍の存在を正当化するサブリミナルな情報を日本人にすんなりとすり込むことができた、ということで、「七人の侍」は、「これ以上ないプロパガンダ映画の名作」として金字塔を打ち立てることになったのでした。

この映画の中で「自称武士1名」が偽りの家系図を見破られ。「この家系図が本物ならば、おぬしは当年もって13歳。おぬし、とても13歳には見えんがの」と大笑いされるシーンが、この映画のすべてを語っていると理解します。

「13歳」というのは、時代劇の年齢の数え方。現在では「12歳」となり。

当時日本を統治していたマッカーサーが、日本人の精神年齢を評して「12歳だ」といったのは有名で皆さんもご存じと思います。

マッカーサー パブリックドメイン
 

 

つまり、「12歳」の「自称武士1名」は実は日本国民そのものを象徴しており。その日本国民が、米国に助けられて、ソ連の脅威を撃退するというストーリーを当時の日本人の無意識にすり込んだ結果、安保条約に保護された日本の自由陣営における発展を可能とした、これ以上ないプロパガンダ映画だったということです。

恐ろしきもの、その名は映画。今後、こうした名作が生まれないで済む世の中になることを、願っています。

 

*なかなかニッチなようつべを見つけたので添付。


 

ではでは

Posted by 猫機長
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中国剣術と日本剣道

さいきん、ようつべで「日本剣術の発祥は中国剣術にあり」なんてのが人気らしいです。

やれやれ、またか。。。。まあ韓国起源というのはお笑いで済ませるけれど、中国となると、ということで、書いてみます。

歴史の国中国。殷だの周だの、と言った古代から、中国剣術は存在しており。この当時日本人はまだ原始人ですから、日本より前に中国で剣術が生まれた、というのはそのとおりである。

また、弥生時代だの縄文時代だのの遺跡から発掘されたのを見てみると、挂甲とかいって中国で出土しているものと同一といってよく、中国からの輸入か、模造ということがわかり。例えば「白村江の戦い」では、ぱっと見は誰が唐で、だれが新羅、百済、そして日本人か、というのはなかなか分からなかったと思います。

と思ったら、意外と見分けがついていたかもしれん。http://gunsight.jp/c/k-hakusuki.htm
 

いずれにせよ、この時代の剣術というか兵法は、中国のスタンダードがそのまま近隣諸国にも流通していた。

しかし、朝鮮半島も日本も国家を形成し、白村江の例を待たずとも互いにいがみ合うようになると、それまで3カ国間でなにげに流通していた文物、技術も、セクト同士の間で独占しようとするようになり。

この場合、唐―新羅セクトと日本―百済セクトに分かれてしまい、日本は、仲間の百済が滅亡してしまったうえ、もともと敵対したくない唐が新羅のケツ持ちになってしまったことから、先進地域唐ならびに朝鮮からの情報が入ってこなくなってしまい。

日本は、慌てふためき、新羅がとうせんぼをしている朝鮮半島を迂回して遣唐使を送るなどの羽目になってしまいました。

一方、唐の方では、北方民族とか西域とか、それぞれ凶暴な組組織じゃなかった民族に脅かされており。日本海の向こうの日本なんてどうでもいいやあ!というのが正直なところだった。

要するに、中国に見捨てられた状態になった日本は、なんとか自力で政治経済、文化を発展せざるを得なくなり。

名前だけでもかっこよくしよう、と「国風文化」と名乗っていたら、意外と、中国に比べてもなかなかいいじゃん、みたいなのが生まれ。それがひらがなだったり、束帯とか日本独自の衣装だったり、つまり自分の文字を持った独立国家になったのでした。よかったね

中国ちっくな奈良時代(左)https://costume.iz2.or.jp/period/nara.htmlと、かなり独自色のある平安時代(右)https://costume.iz2.or.jp/period/heian.htmlの服装
 

 

武器についても、中国式の両刃の剣から、方刃のすなわち「刀」になり。この時点で中国剣術ではない独自のものになっていたことがわかります。

刀と言っても、最初は直刀の平づくりで、世界中のいろいろな刀剣とあまり変わらなかったのですが、そのうち切り刃作りから鎬(しのぎ)づくりに進化するに至って、世界に類のない日本刀となりました。

直刀。https://www.touken-world.jp/tips/53583/
 

 

いろいろな造りこみ(刀の断面)。 https://www.touken.or.jp/museum/sword/making.html
 

 

この鎬が、日本の剣術のエッセンスを握っているもので、書き出すと終わりがないので極論せざるを得ないのですが、要すれば「鎬による切り落とし」が日本剣術のエッセンスとなり。

中国でも日本刀からインスピレーションを得た「苗刀」があり、樋をいれたりとか見様見真似でまねしていますが、長さは日本刀に比べて相当長く、その操法も日本剣術かどうか疑わしいので、これは中国の剣術と思った方がよいと理解します。

そりがあるから日本刀、というのも間違いではないですが、鎬の方が重要と思います。

こうした特色のある刀は日本刀のみであり、それを存分に使いこなす剣術も日本発祥の日本剣術ですから、これで疑う余地はないかと。

中国目線から見ると、舎弟の新羅とケンカしやがったチンピラの日本をシカトしてやったら、中国の優良な鉄を輸入できずに、「玉鋼」とかいうくず鉄をとんかんとんかん必死にたたいて、青龍刀や中華の剣とは似ても似つかない日本刀とかいうあわれなだんぴらを作りやがった、ということであり、現代の中国人が「中国発祥」というと、こうしただんぴらとそれを振り回す野蛮人の技術が中国産だということになってしまい。自分で自分を野蛮人と言っていることになります。

そんな中国人ですが、倭寇だの朝鮮出兵などで日本刀と接する機会があり。だんぴらだけどなかなかいいじゃん、とまねをして「苗刀」を作ったりしたのは上記の通りです。なお、中国人は、いいものはいいと認める頭の良さがあり、日明貿易では日本刀が重要な産物として珍重されたらしい。

日本刀と苗刀。https://www.youtube.com/watch?v=XWleFy6YAr4&t=412s
 

 

一方、どこが発祥だ、どちらが上だ、なんてことより、もっとずっと大切なことがあり。

中国と日本の差、それぞれの長所を知る必要があるのです。そうすれば、厨二病みたいに互いに浅はかな批判を繰り返す、というバカなまねはしなくてもよくなると理解します。

で中国の特色ですが、

◎中国剣術は、体術、拳法と一体化している、というか、まずは拳法を学び、その延長として(手の延長として)器械術をまなぶ。

◎中国にとって、剣とは器械の中の一つに過ぎない。器械は、こん棒みたいなやつとか手裏剣みたいなやつとか、見ているだけで気味の悪くなるようなえげつないのが無数にあり、剣術なんてその他大勢の一つに過ぎないということである。

中国のいろいろな器械。出展は「中国武術・武器博物館(http://www.oriental-dragon.jp/)」
 

 

◎功夫(達人)の条件は、上記をすべてこなすこと。ここでいうこなすというのは、無数の武器を使いこなすというより、その武器で目玉なりきんたまなり、つぶそうと思えばつぶせるし、つぶさないようにしようと思えばつぶさないという技術力、精神力を持つことである。

一方日本の特色ですが

◎剣術・剣道は、まずは精神修養の道である。

◎剣術・剣道は、あくまで剣の道であり、器械なんてもってのほか。この精神は、千葉周作と大石進の「器械対決」で千葉周作が終始「抑え」にはしり、要するに余興だ、勝負にならん、という姿勢を示したところに雄弁に表れています。(この記事の最後に「機械対決」について解説しています)。

◎達人とは、活人剣をふるえる者のことである。目玉、金玉など最初からカウントに入っていない。

これだけ違ってますからねーそれだけに互いに尊重できると思うのですが。

ちなみに、本物の中国功夫が日本の剣術の達人と勝負したら、その勝負は事実上日本剣道の勝負になると思います。

この場合、功夫は無数の中国剣術の技法の中から、「精神修養を貴ぶ」部分を抜き出し、交剣知愛の勝負になり。

ところがひとたびこの功夫をウクライナの戦線に放り込んだら、今度は血も涙もなく、見るもおぞましい器械を無数に繰り出してロシア軍を壊滅させるでしょう。

要するに、良くも悪くも日本剣術は単純馬鹿で、ただ幸いその志向するものが「真・善・美(弓道じゃないけど)」なので、中国側も、地獄極楽の多様性の中から、本物の功夫であれば「真・善・美」の部分を抜き出して付き合ってくれるということである。

どちらが上か?もはや上下はありませんね。

映画 Fearless(SPIRIT)

 

 

*機械対決について。

幕末の剣豪千葉周作は、大石進という道場やぶりが、槍みたいに長い「六尺竹刀(通称物干しざお)」で挑戦してきたとき、樽の蓋かなんかで作った巨大なつばを付けた竹刀で応戦。半刻か一刻か?大石が突き、周作がこれを受けるということに終始し、結局勝負なしとなった。

あとで、観戦していた剣豪たちから「周作殿のほうが優勢だったのでは?なぜ一本決めなかった?」と聞かれたとき、周作答えて曰く「ものほし竿に樽の蓋なんて、あんなものはもう道具ではなく、器械でござる。器械を使った笑止千万のお遊びに、勝つもへったくれもござらぬでそうろう」。

ではでは。。。。

Posted by 猫機長
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ガッツポーズ

この記事を書くにあたって、まず「通し矢」という、江戸時代の恐ろしい「オリンピック」について説明しておきます。

通し矢とは「京都蓮華王院(三十三間堂)の軒下(長さ約121 m)を、矢を射通す競技。一昼夜に堂の南端から北端までの全長を射通した矢の数を競う「大矢数」が有名である。(Wikipedia)」

各藩から代表選手が矢数を競い、勝ってもメダルはもらえませんでしたが、負ければ切腹が待っていました。
https://www.sukima.me/book/title/BT0000124683/
 

 

さて、本文スタートです。

パリ五輪、柔道。とあるようつべ動画が世界中で議論の的となっているシーンについて取り上げ。ジョージアのとある選手が金メダルを取ったときの挙動、そして日本のとある選手がとった挙動を比較して、その是非というとおおげさですが、を議論しています。

ジョージアの選手は、勝利の瞬間に天に向かって大きくガッツポーズ(と日本人には見える)。日本選手は、優勝しても、せいしゅくに、試合場の端を回って観客の皆さんに礼。

https://mail.google.com/mail/u/0/#inbox/FMfcgzQVxttZXkcBNxGQZXFJcnNpgsfl
 

 

要注意のコメントに「日本の選手は観客に気遣いを見せている」というのがあり。

日本選手の行動は控えめで、観客への配慮が目立っているのかもしれませんが、そもそも武道としての柔道であれば、観客以前に対戦相手への配慮が根本でなければなりません。

どこまで相手を思いやっているのか?あるいは形式上の「礼式」として、単に情動を控えた振る舞いをしているのか。

最近、礼式というマニュアルが絶対となっていて、すこしでも形が違ったら、たちまち周囲から「無礼だ!コンプライアンス破りだ!」とバッシングになるため、実は対戦相手なんてどうでもいいから、とにかく形を壊さないように、と、必死になっていないでしょうか。

「英国の戦い」においては、英独のパイロットは互いに尊敬しあっていたらしい。

「パラシュート降下中の敵を撃つな」と規定で決めた部隊もあったそうですが、だいたいは英仏海峡の海に落っこちた敵を「味方の救命艇に拾ってもらえたらいいな(出典は「ブラッカムの爆撃機」)」なんて気遣っていたらしい。

太平洋の日米決戦になると、気遣いもへったくれもなくなり。物量作戦の前に人命までもが消耗品と化し、パラシュート脱出でもしようものなら、ダダダダ!とたちまち敵機にハチの巣にされてしまった。

*太平洋でも「騎士道精神」の発露もあれば、ヨーロッパでもえげつない「と殺」は多数あったとの理解であり、ステレオタイプ化はできません。読者のみなさんはご承知のことと思いますが。

中世ヨーロッパの合戦が、太平洋の状況に似ていたらしい。

十字軍の戦いでは、サラディン率いるイスラム軍の人道的な行動にヨーロッパ側が感銘を受けたとのことですが、当時のヨーロッパの合戦は、捕虜もへったくれもない(身代金をせびれる金持ちの敵だったら別)、血も涙もない56しあいで、勝った方は負けた方の将軍の首をちょん切ってみんなでけりまわし、大喜びしたらしい。

すなわち、サッカーの発生です。

兵士たちは2つのチームに分かれて、ゴールポストに首をけりこんだ方が勝ちね、というふうだったらしい。

ウクライナのチームとポーランドのチームが、プーチンの生首をけりまわしているところを想像してみましょう。

ウクライナ側は、それこそ勇んでけりまわし、ゴールだの以前に生首を文字通りぼこぼこにし、歯がとびちったぞ!目玉が飛び出たぞ!とそこらじゅう血みどろにしながら咆哮して喜ぶと思います。

ポーランドは?大喜びだけど「本当はスターリンの首を蹴り回したかった」だったりして。

時代が下るに従い「敵国の将軍の首を蹴って勝利を祝ったことが、モッブゲームという「祭り」として形を変え、広まった。 これは、王妃が将軍の首に見立てた球(ボール)を城から投げ、民衆が一斉に隣町の門(ゴール)へ競い合って蹴りあうものだった。(出典:LSIN北海道)」

中世のMob Football https://www.facebook.com/photo.php?fbid=766196435150112&id=100052792866330&set=a.597235145379576&locale=en_GB
 

 

人類は進化し、今日のサッカーでは、生首ではなくボールになりました。

恩も恨みもないボールをゴールに叩き込むという、まあまあ純粋なゲームになったサッカー。負けたとしても、しゃあない家に帰ってラーメン食おっと、で済むのである。負けたが最後むごたらしく血まみれになって断末魔のうちに4んじまう、というよりずっといいじゃないですか。

結果、ゴールのたびごとに、血みどろの咆哮ではなく、点取り成功のパフォーマンスダンスを楽しむほほえましい競技になりました。


 

 

柔道の場合、もともとは合戦における柔術であり。負ければ組み伏せられて鎧通しでぶすり。ひでぶうー!と断末魔のうちに4んじまうことになります。

勝った方は、ひでぶうー!と血みどろでもがき苦しむ敵を見て、どう思うでしょうか。プーチンではない、自分と同じ奥さん子供もいる哀れな人間です。わああーい!とガッツポーズでほほえましく喜べるでしょうか。

弓矢が顎から頭を貫通して、断末魔でもがき苦しむ人。「平治物語絵巻」より
 

 

むかしの柔道では、そうした「血みどろさ(をしのぶ真剣さ)」があったということである。

ヘーシンクが日本人以外で初めての金メダリストになったとき、大喜びで駆け寄るチームメンバーを制して、静かに礼で勝負を終えた陰に、敗者になった日本人柔道家を思いやる心があった。

ところが、現代の柔道は、勝とうが負けようが4ぬわけじゃなし。家へ帰ってラーメン食おっと、という世界です。ドラクエだったっけ、ポイント加算し、最高レベルクリアだ―!と大喜びするのと同じで、天真爛漫にガッツポーズしてどこが悪い?別にそれで相手に何の無礼にもなっていないじゃないですか。

お題の動画でも、少なからずジョージアの選手を称賛し同調する意見がありました。要約すれば、想像を絶する鍛錬の結果栄冠を勝ち取った喜びを、体全体で表現して何が悪い?というものです。

意見によっては、ちょっと日本人に忖度?して、「ジョージアの選手は神に感謝していたのだ。日本人とは違った礼の表し方なのだ」というようなのも多かったのですが、ぼくとしては、むしろ素直に、勝ったー!と喜んでいるように見え、かつ、それでよいと思うのです。

なぜなら、オリンピックでは、スポーツとしてのJUDOが、世界から認知され、喜び・楽しみを提供するすてきな進化を遂げているからです。

ヘーシンクとか日本選手のような、古風な「斃れた対戦相手を丁重に弔う」みたいなのもいいし、わああーい!と跳ね回り、相手の方でも一緒に、よかったね、と喜んであげるくらいでもいいと思うのです。

そんなのあるかよ!あるんですよ。

東京オリンピックのスケートボードがまさしくそれでした。

年端のいかない少年少女が、わああーい!とスケートボードで遊びまくり。結果、金メダル、銀メダル、銅メダルとか配ってはいたが、それよりもみんなでわいわい、一人一人が最大のパフォーマンスを出せるようにみんなで応援、という、「疑惑の判定でホーム有利にしないと審判の命が危ない」というようなゆがんだ世界とはかけ離れた「惑星」があったのです。

https://news.yahoo.co.jp/articles/0c3b8ab860752b8405f304cba5b7b70f7062c493

 

パリ五輪は?ごめんなさい見てないのでわかりませんが、東京オリンピックと同じであったことを祈っています。

江戸時代の通し矢じゃあるまいし「我が藩の名誉にかけて日本一になるのだ」「ハハ―ッ」という世界からは卒業する必要があるのです。

https://www.sukima.me/book/title/BT0000124683/
 

 

柔道もJUDOになり、しきたりでしおらしくしていなければ、という世界ではもうなく。

どうせ負けようが血まみれになって4ぬじゃなし、金だの銀だのとかこまかいこといわんと、みんなで一緒にラーメン食べに行こうよ、というオリンピックになってほしいと思います。

ぼく自身の経験では、チームに助けてもらって何とか優勝した金メダルより、ぼく自身がチームの中堅としてガンガン勝ち上がった銅メダルの方が全然うれしかったし、要すれば金銀なんて時の運、こだわらなくていいですよー。

*もちろんオリンピックじゃないですよ。ブラジルの「全国剣術大会(防具に竹刀の、全剣連みたいなやつ)」です。はははは!

世界のいろいろな常識が互いに尊重し合って、新しい、前向きな常識が生まれる。そんなオリンピック柔道がいいと思います。

ではでは

 

Posted by 猫機長
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子猫とミルク

最近ようつべで「生後0日の子猫を保護しました」みたいな動画が多く。

コメント欄など、「かわいいー!」の大合唱なのですが、どうもぼくとしては、かわいいというより、恐怖を感じてしまっていました。

最初はなぜかわからなかったのですが、何本もの動画を見て、そうか、こういうことだったのだなと納得したので、書いてみます。

これらの動画は、だいたい3つのシーンで構成されています。

その一つが、「おしっことうんち」。

生まれたての子猫であり、まだ体の中に変な毒素もないので、おしっこといっても、場末のラーメン屋で出してくるコップの水よりはきれいなんじゃね?みたいな感じ。

齢0日の子猫は、自発的に排せつをするだけの筋肉?がまだないので、テイッシュでぽんぽんとおしりをたたいて、刺激によって排せつさせています。テイッシュが濡れてきた、というのが普通ですが、時にはおしっこがぴゅーと発射されるのが見える動画もあります。うんちもおなじ。本来は母猫がなめなめ、して刺激するそうですが、保護猫の場合はこうして代行するわけである。

https://www.lifeboat.or.jp/contents/baby-cats/4.htm
 

 

その二つ目が「ミルク」

最初は、細いシリンジ、それでも小さな子猫の口がいっぱいになりますが、少しづつ口の中に差し込んで注射桿(プランジャ)を押し込んでやる。

そのうち、自分からちゅばちゅぱ吸う力が出てきたら、哺乳瓶に取り換える。

だいたい150グラムくらいの子猫が満腹になるころには、体重も160グラムになっており。一回で10グラムのミルクを飲むということなのですね。

https://eureka.tokyo/archives/287035
 

 

そして、3つ目が「睡眠」

だいたい2時間から3時間くらい眠るらしい。この間、子猫の体内ではミルクが栄養として分解され、驚くべき速さで吸収されていく。と共に、この2~3時間で、おしっこ、うんちが貯まり、一番上の「おしっことうんち」のサイクルに戻ります。

これを繰り返していくうちに、4週間くらいで500グラムくらいになり、ここまでいけばまあ突然死とかの危険は激減した、一応元気な子猫になって、その辺を走り回るようになるらしい。


 

 

こうした動画を見て、はっきりいって戦慄しました。

要すれば、生まれたての子猫というのは、人間でいえば、生死の間をさまよう未熟児ということなのである。

0日の状況では、一応手足もしっぽもあるが、満足に動かすことはできず。めったやたらにもがいている状況である。

目もみえず。耳も聞こえない状況らしい。

本当だったら、そんな状況で生まれてきたら、たちまち冷気に当たって文字通り冷たくなちゃうとか、室内外で母猫が十分保護されている場合はともかく、のらの場合は多数生まれたうちの1,2匹は母猫の乳を吸うことができず餓死するというのもあるらしい。

生まれたての子猫は、へその緒が切れて栄養補給がなくなってしまった状態で、目も見えず耳も聞こえず。冷たい外界に投げ出されて、人間から見ればかわいいしぐさや鳴き声も、その実相としては、このままでは死ぬぞ!栄養をくれ!体温を保存してくれ!という叫びであり。

「寒い、おなかがすいた、死にたくない死にたくない、誰か助けてー!」と絶叫しているというのが事実だった。

https://eureka.tokyo/archives/347792
 

 

暗闇の中での絶望的な絶叫。唯一持っている嗅覚で母猫の乳に向かって夢中で這っていくのですが、運動神経もまだ発達していないので、まともに動くこともできず。

こうした状況で、いち早く母猫の乳に到達できたグループだけが生き延び、残りの2,3匹はそのまま干からびちゃう、という恐ろしい世界なのだと思います。

ともかく脆弱な生後0日の子猫は、人間が温かい家屋の中で保護して、シリンジでミルクを与えたとしても、ちょっとした不具合で死んじまうらしい。哺乳瓶の口が大きすぎてうまく吸えなかった、みたいなケースもあれば、もともと肺だの内臓だのが弱く、昨日まで元気だったのに突然ぐったり、というのも多いらしい。

生後10日くらいから目が開き始めますが、最初は開いているだけで視力はないらしく。体はかなり大きく、丈夫になりますが、やはり餓死、衰弱死一歩手前で、消化器も弱く、ティッシュでおしりをポンポンしてあげないとたちまち便秘で死亡、という状況は続きます。

さて2週間か3週間か?やっと自分で排せつでき、目が見えてそこらを走り回るようになった動画を見て、初めて安堵している自分自身を発見していたのでした。

こういった子猫たちをみるにつれ、いかに人間が恵まれた環境にいるかと痛感しています。

https://pt.dreamstime.com/
 

 

3時間おきにミルクやおしりポンポンというのは、常人にはできない行為と思います。

一方、なんか幸せそうに人間が猫のミルクやおしりぽんぽん、というのには違和感を抱えてしまうのです。人間が幸せかどうかなんて、子猫から見れば人間の勝手ですよね。

もっと機械的に、栄養を定時定量流し込み、排せつも補助したうえで、あとは生きるも死ぬもお前次第だ。かわいいもへったくれもない、というふうにした方が、本当の保護と言えるのではないか、と思ったりしてしまいました。要すれば、「かわいいから保護する」のではなく「保護すべきだから、保護できる余力があるから保護する」としないと、子猫は結局人間の感情を満足させるためのおもちゃか?になってしまうことを恐れるのです。

でも、それじゃあ、燃料を注入して、エンジンを作動させ、排気管から排気ガスを出す機械と変わらないですよね。とすれば、やはり人間と同じ感情と理性、意志を持った生命体として接する必要があると思います。

こうした保護猫の話を聞き帰するにつけ、生ませる責任、育てる責任というものを考えるようになりました。

人間たちが無造作に捨て猫とかを繰り返すたびに、捨て猫同士が交尾し、ますます野良猫が増えていきます。

しかし、野良猫の生活環境はあまりに厳しく。それは、生きるのが苦しい為に育児放棄をする母猫、子猫を襲う外敵とっ闘って致命傷を負い、死んでしまう母猫。単に食料を狩ることができなくて、衰弱死してしまう母猫など、要すれば育児放棄などで凍えて死んじゃうしかない生後0日の子猫たちがますます増えていくという事を意味しています。

えさやりおばさんとか、大きくなった野良猫を助けるという意味では大切ですが、一方でこれらの野良猫たちがますます子猫を累乗的に生んでいくことを考えると、手放しで喜ぶこともできないですよね。

そこで、野良猫を一時保護し、去勢したうえでまた外界に戻す、という人たちもいるようです。こうした「さくら猫(耳にしるしを入れて、桜みたいに見える)」への野良猫の転換が、一番現実的な解決策かもしれません。

https://buycott.me/report/000163.html
 

 

さくら猫なら、繁殖はしないので、ぜひえさやりおばさんたちと仲良しになって、子猫の時に人間に捨てられた思い出もあるけれど、餌をくれる優しいおばさんもいることを知って、人間てそれほど悪い生き物じゃないね、と思ってくれれば幸いです。

そして、いったん猫を飼うと決めたら、室内で寿命を全うするまで飼う、という覚悟も必要ですね。

ウクライナでは、巨額の富が人殺しにつぎ込まれています。侵略者がなるべく早く撤収して戦争が終わるとともに、人間がお金を戦争に垂れ流すのではなく、人間も含んだ生き物たちのより良い一生に活用することができるような世の中が来ることを願っています。

 

ではでは

Posted by 猫機長
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武道と武術

武道と武術

 

世の少年たちが追い求めてやまない願望に「強くなりたい」というのがあり。

「ドラゴンボール」が世界のベストセラーになったことでも明らかと思います。

スーパーサイヤ人

 

 

もとは野獣だった人間が、生存を賭してはぐくんだ闘争本能は、理性的な「ヒト」に進化した今日でも、体の奥底に生き続けているのだと思います。

そんなわけで、興味の度合いには個人差はあるけれど、男の子ならみんな大好きなのが「格闘技」

ほんとうに道を究めて「カンフーマスター」とかになるのもいますが、だいたいはマンガや映画で満足、というのが多いようです。

クソガキだと、街角で本当に殴り合いのケンカをし、長じてはヤクザにケンカを売って叩きのめすことを生きがいにするなんて言うゆがんだ成長をするのもいることはいる。

もっと育ちのいいのは、スポーツなどで「強さ」を競います。中間が空手だの剣道だのと言った武道系かもしれん。

いずれにしても、剣山を腹に仕込んでおいて、相手のパンチを食らったときに、こっちも血へどを吐いてうずくまるが、相手もこぶしに剣山が突き刺さって絶叫だ!という世界から、防具で保護された部位を、竹刀による冴えた打突で、撃たれても痛くない、という世界に変ってきました。

剣山 https://item.rakuten.co.jp/kensaku-shop/ntf10169/?iasid=07rpp_10095___et-lqo9k1l3-cj-5d08ca62-9a11-4b40-b3dd-eb0ef07c77b8

 

 

人間が野獣からヒトに変わっていくに従い、「勝つとは何か」という、求めるものも変わってくるのである。

石器時代とか、マントヒヒやハイエナと食料の奪い合いをしていたころは、猫が蛇をやっつけるのと同じように、本能そのままの格闘だった。その目的も、物理的に敵を叩きのめすという事以上でも以下でもなく。

猫と蛇の戦い。https://www.youtube.com/watch?v=LnWxQ4wZMvs

 

火や道具の発明で、動物に対して絶対的な優位を勝ちとった人間ですが、今度は人間同士で格闘が始まってしまい。

カラリパヤットとか、クラビークラボンとか、世界で「格闘に勝つための技術」が発達しましたが、結局は「史を歴する国」中国で、こうした技術が記録され、伝授されながら「中国武術」として世界に類を見ない発展をしました。

こうした武術は、戦時では合戦を生き伸びるため、平時では護身の術として活用され、すさまじい数の流派が生まれ。

ところが、その辺の女子供がピストルで5メートル先の警察官を射殺する世の中(ブラジルの貧民街)になると、武術の有用性も薄れてしまい。

現在では、少林寺など、文化遺産として継承していく人たちを除いて世界の表舞台からは消えていく傾向にあり。

変わって柔道だのがオリンピック種目になったりしています。

柔道がストリートファイトで最強だからというのではなくて、柔道の持つ「闘争を和合に変える」部分が、闘争ではない心身の鍛錬として、現代にマッチしていることから受け入れられたのだと理解しています。

剣道の場合は、オリンピック種目への指向はしていません。ポイント制の身体技能競技ではなくて、武士道の探索を主目的としているからです。

中国功夫と日本の達人の対話。映画 Fearless(SPIRIT)

 

 

 

すごく偉そうかつ抽象的になってしまった。

全剣連から理念を借用すると

「剣道は剣の理法の修錬による人間形成の道である」

いよいよあやふやだぞ?

「心構え」に行くと

「心身を錬磨して旺盛なる気力を養い

剣道の特性を通じて礼節をとうとび

信義を重んじ誠を尽して

常に自己の修養に努め

以って国家社会を愛して

広く人類の平和繁栄に

寄与せんとするものである」

「国家社会を愛して人類の平和繁栄」は右翼、GHQや共産党といったセクトに対する言い訳なのでここでは掘り下げませんが、その上の「旺盛なる気力、礼節、信義、修養」はまさに剣道のみならず武道の本質を文章化した部分と理解しています。

武術の話から武道に進化してきました。

進化、というのは、武道が「敵を倒すための技術から、自己修養の道に変化した」ことをさしています。

要すれば、武道なんてのは瞑想と同じである。「動き禅」といって、このブログの読者のみなさん(作者のぼくも含めて)のようなクソガキたちが、竹刀をぶんぶんふりまわすお遊戯をやっているうちに、いつか体育から精神の鍛錬に移っていく、というすごいところがあり、これが海外でなかなか剣道が人気の理由と思います。

武術は人殺しの技術である。

この差を雄弁に物語るのに、映画「バース・オブ・ザ・ドラゴン」の1シーンがあります。

ブルース・リーの伝記映画で、アメリカの空手大会に乱入してチャンピオンと対決する、という場面があり。

以下の動画の33:39あたりから35:20あたりに、武術(カンフー)と武道(空手)の差が見事に表れています。

映画としての脚色はあるのでしょうが、この映画を作った人は、武道と武術の差を知り尽くしている人と思います。

画像で解説します。動画もご覧ください。

出典はhttps://www.youtube.com/watch?v=vbcbMr24HWE

さて、両者構え合ったのが下の画像。

 

 

空手家が正拳突きを食らわしたところ、猫みたいにひらりと横にかわし。

 

 

後ろからパンチをくらわしたのでした。ははは

 

 

後ろからの正々堂々!パンチをもうひとつ。

 

動画では、相手の正面を突いている技もありますが、ご覧いただければ、だいたいが空手家がまっすく入ってくるものを、「ちょうしゅ(聴手)」でからみついて、斜めから横から後ろから急所を狙っていることがわかります。

映画なので爽やかに終わっていますが、実際の格闘だったら、空手家は目をつぶされ、喉笛をつぶされ、手足の関節をへし折られ、き◎たまを蹴り上げられ、断末魔にうめいていることでしょう。

武術は護身術です。相手の動きを外し、横から急所を狙うのが最も効果的であり、その通り実践したのがこの動画でした。

武道の方はどうかというと、下の動画のように、中心から攻め合い、クリンチになったら離れる。横や後ろからの攻撃はしない。

武術でクリンチになったら、あっとうまに目玉やき◎たまをつぶされちゃうので、そもそもクリンチにはならないと思います。武道の方は自然に間合いが詰まってクリンチになり、自然に間合いを切って戻っています。

 

 

この辺で結論です。

武道の場合は、真っ向中心から攻めあって、修練の度合いが高い方が勝つ。打って感謝、打たれて感謝の世界です。

*感謝というのは、勝っても負けても、自らの修練の度合い、上達しているところ、未熟なところ、思わぬ盲点など、対戦相手に教えてもらえるからです。

武術の場合は、感謝なんてゆうちょうなことを言っている暇はなく。

勝負が終わったときには、自分は茫然と立っており、地面には目だまを飛び出させた相手が断末魔でのたうち回っている、という世界です。

こう書くと、いかにも武道の方が上みたいですが、武道は武術から武徳の修養を抽出したエッセンス版であり、武術は武道も含む要素が詰まった複合版と言えます。

だから、本物の功夫であれば、武道家が相手であれば武道としての中国武術を駆使できるものであり。上記の映画のような行いは「己の未熟さを観衆にさらけ出している」ことになるでしょう。

このへんが、中国の奥深いところであり、日本が学ぶべきところかと考えます。

古来より、中華帝国は漢、唐、宋、明と、東洋に向けては仁義礼智の模範となり、西域にあっては東洋文明の防波堤となり、北には長城を持って農耕文化を守り抜き。

元や清と、異民族に征服されたと見えても、漢人の徳と知性は、いつしかこれら異民族を漢化して、かえって中華文明の威光を世界に示しました。

しかし、清末に至り、上は皇帝から下は貧民に至るまで風紀の乱れ、精神の汚濁はすさまじく、西洋列強の半植民地になりはて。

これを漢の武帝、明の永楽帝他賢帝が見たらどう思うでしょうか。

現在では、共産主義の美名のもと、マルクスの描いたものとは全く異なった恐怖政治の人権蹂躙による「東亜の病人」になりはて。

幸い、台湾が中華の伝統を守り続けており。東亜の師としての中華はまだ生き続けています。

大陸が、いつか解放されて、中華の輝きを取り戻すことを願っています。

 

中国の徳を日本が仁に発展させたことについてはこちら

精神と知能

 

東亜の徳性、日本の魂が西洋を驚かせたことについてはこちら

日本刀の実用性

日本美術と西洋美術

 

中国おそるべし→孫氏

ではでは

 

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短編集:①万里の長城、➁トランプ大統領

◎万里の長城

 

聳え立つ長城。北方騎馬民族から漢民族を守った文字通りの城壁、という印象はあるのですが、一方で、世界の「三大無用長物」の一つとあざけられてもいるのでした。

ちなみに、「三大無用長物(むようちょうぶつ)」とは

順不同ですが

1.戦艦大和:46センチ主砲で、40キロ先の敵戦艦を撃沈できた。でも、大和が進水した時は、すでに400キロ先から飛んでくる雷撃機や爆撃機の時代になっており。

大和特攻で知られた「坊ノ岬沖海戦」では、377機の米艦載機に襲われ、大和以下6隻の艦船が爆弾や魚雷によってあえなく撃沈。艦載機は13機が喪失したのみで、はるか遠くにいた米空母部隊は全く無傷でした。

インディジョーンズでも似たようなシーンがありました

 

 

2.エジプトのピラミッド:場所を取るだけで役に立たない、という意味では正しいと言えなくもないですが、古代の天文台、農閑期の雇用対策などなど、考古学上では、十分役に立ったんじゃね?という解釈もあり。現代でも重要な観光資源ですから、「無用の長物」はいいがかかとおもいます。。。

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3.万里の長城:本稿のお題なので、もうちょっと詳しく書いてみます。

そもそも万里の長城が出現したのは秦の時代とされていますが、万里ではない長城は、魏だの斉だのと言った春秋・戦国からあり。この目的も、北方騎馬民族だけでなく、戦国の各国が互いに侵略を防止するため、というのもあった。

始皇帝によって中国が統一されてから、長城は万里に伸び、その目的も北方騎馬民族への備えが主となっていったらしい。

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ただ、長城があれば騎馬民族は防げたというとそうではなく。ジンギスカンとか、その後のフビライなどモンゴル軍は何度も長城を越えて縦横無尽に中国を荒らしまわっています。

中国側も、漢の武帝など、積極的に長城以北に進出しており、唐代に至っては、中国の領土は長城を遠く北に越えており、要すれば長城なんてなくても騎馬民族の侵入は防げていた。

というわけで、隋のように、国家滅亡の遠因となったすさまじい建設コスト(資金、資材、人命)をかけた割には、騎馬民族の軍勢をやっつけるという意味ではたよりないなあ、というのが実際のところであったと理解します。

では、中国人は、なぜ「月からも見える」ほどの巨大・長大な建造物を作ったのか。

上でも書いたように、隋そして秦などの王朝を滅亡に追い込むかも?というほどの巨大な負担を強いてまで長城が建設されたのには、単に騎馬軍団を防ぐ、というのよりもっと重要・深刻な理由が、実はあったのです。

なぜ長城は建設されたのか?「真相はこうだ」

長城が建設された真の理由は

「ヒツジが農耕民族の居住地に迷い込むのを防ぐため」

だったのです。

なんだそりゃ?

要するに、騎馬民族というのは、ノマドです。

ヒツジの動きにつれて東西南北とどこまでも移動していきます。

言い換えれば、ヒツジの行かないところには、騎馬民族も出現しないのである。

1218年頃、今で言えばイランだのイラクだのがある中央アジア・中東で栄えたホラズム朝に、モンゴル軍が押し寄せた時の状況が今日まで言い伝えられていますが、いわく

「彼らは来た、壊した、焼いた、殺した、奪った、去った」

つまり、占領地をあっというまに破壊しつくし、焦土にしてしまったのちは、これもまたあっという間にいなくなってしまった。

要すれば、ホラズムの焦土には、ヒツジを飼うだけの草原がなかった(あるいは破壊しつくして消してしまった)ので、ヒツジの飼えるモンゴル草原へ、何の未練もなく帰って行った、ということらしい。(軍事的、政治的な支配はまた別の話です)

ようするに、かわいそうですがひとところにとどまっていることができない民族だったのです。

絶えず@移動中の生活。問題はどこに移動するかですが、それも意外に単純で、要するに、上でも書いたように「ヒツジの行くところ、行けるところならどこでも行きます」ということだった。

農牧民族側でもこれに気づき。

農耕民族の畑や市邑なのある地域からなるべく遠くに、ヒツジか越えられない程度の柵を作っておけば、よっぽどのことがなければ騎馬民族はこの柵を越えて侵入しては来ない。

よっぽどの場合、というのは、冒頓単于だのジンギスカンだのが現れ、騎馬民族を統一して強大な勢力を構成する場合ですが、実は悠久の中国の歴史の中で、そういった場面、時代は短く。

というわけで、北京だのなんだのの要衝の近くでは、目を見張る軍事建築になっていますが、じつは長城の多くの部分は、ヒツジが越えられなければいいや、くらいの幅や高さしかなかったりするらしい。実際は、牧童がやすやすと乗り越えないように、もうちょっと高さが必要だったらしいですが。

あと、もう一つ重要な長城の役割として「交易の拠点」というのがあったそうです。

日本でも、いろいろな場所で「蚤の市」が開催されていますが、中国内陸の、なにもない高原で、長城の要所要所が重要な市場・拠点となったらしい。

泣く子も黙るドイツの蚤の市。かわゆい陶器の陰に、シュタールヘルムとかもまぎれているらしい。
https://taptrip.jp/img/155763/
 

 

要すれば、長城というのは、大砲をどんどん撃ち合ったり、ぎゃわわーとチャンバラをやる場所ではなく(というかそういう事もやったが)、本来は、買いものカゴをぶら下げた農耕民族のおばちゃんと騎馬民族のおばちゃんが、長城の北から南からヒツジの毛皮だのらっきょだのを交換していた、そういう場所だったということなのですねーであれば高すぎちゃこまります、やっぱりちょっと梯子を立てかければのり越えられるくらいじゃないとやっていけないですよねえ。

「長城の高さはヒツジが越えられないくらいあればよかった」というのは、吉岡力という有名な世界史の先生が「歴史パズル」という本に書いていたものと理解します。べつにぼくが発明したというものではないので、念のため。あれ、パクリか?

ちなみに、長城の実際の高さは、秦時代のものが2メートル。平均で6~9メートルだそうです。

秦代の長城 https://love-knowledge.com/6856/
 

 

◎Quoraからの質問応答

質問サイトQuoraに、いかにも日本人の好きそうな質問があり。回答してみました。

質問:「親日派」の有名人や公人は誰ですか?

回答:トランプ大統領。

日本を訪問した際、よりによって肥満そのもののむくつけき男たちが、裸で抱き合ってダンスし、汗をそこら中に巻き散らかすという恐ろしいショーにつき合わされ。あげくの果てに、一番ダンスのうまかった優勝者のデブ男にトロフィーを渡すという絶望的な苦行を強いられてしまいました。

トランプさんの偉大なところは、こうしたショーにおいて、デブ男たちに交じった一番のデブ男だという事を世界中にさらすことになっても、にこやかにこの儀式を最後まで耐えきったことで、日本のことを心から好きでないとできないことだと思います。

相撲取りも圧倒するデブ野郎。
トランプ氏、表彰状読み「レイワ・ワン」 特注杯を贈呈:朝日新聞デジタル
 

 

日本人から見れば、日本の美しい伝統芸能のイベントに招待した、というおもてなしなのでしょうが、それをアメリカ人がどうとるかは、また別と思います。

日本人とアメリカ人がどのように違ったアプローチをするか、そしてアメリカに学べるところはどこか、について、以下に記載してみましたので、興味あらば、ご一読を。

零戦に見る仕事のスマート化必勝法① – アーリーリタイア

零戦に見る仕事のスマート化必勝法② – アーリーリタイア

 

ではでは。。。

Posted by 猫機長
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渦と揚力

鳥も飛行機も、翼によって揚力を得て、飛んでいます。

どちらもつばさですが、飛行機の主翼がまっすぐ伸び切った状態で固定されているのに比べ、鳥の翼は自由に折りたためるようになっています。

鳥の手の骨格は、人間に比べて羽ばたくのに特化して進化したことがうかがえます。

https://www.city.kasaoka.okayama.jp/site/kabutogani/24359.html

 

 

鳥の場合、指は親指、人差し指、中指しかありません。

その一方で、手の甲の骨(手根骨、中手骨)が異様に発達しています。

これが、のちに述べる飛行機と鳥の翼の違いに大きくかかわってくるので、覚えておいてください。

さて、飛行機の翼は、翼上面と翼下面を通る空気の流れに圧力差を生じさせて、圧力の低いほうすなわち上方に飛行機を引っ張る、吸い上げる、押し上げるという仕組みになっています。

http://www.jsme-fed.org/experiment/2010_2/002.html

 

 

圧力差の作り方ですが、黎明期は単に平べったい板に迎角をつけて、だったのが、湾曲をつけた、いわゆるゲッチンゲン翼になり。現在では翼内に燃料タンクや主脚を格納できる厚翼型が主流になっています。

https://japaneseclass.jp/trends/about/%E7%BF%BC%E5%9E%8B

 

 

飛行機が実現可能になったのは、揚力と推力を分けるというひらめきがあったから。

レイノルズ数など、いろいろな定理によって、羽ばたきによって前進ができるのは大きくても鷹だのなんだの(隊長1メートル、翼長3メートル)までであり、人間みたいな重たい生き物を飛翔させるような巨大な翼になると、少なくとも人間の科学力、技術力ではとても羽ばたきなんて不可能ということがわかり。

*要すれば、体がでかくなるほどレイノルズ数の作用によって羽ばたきより滑空が効率的となり、逆に昆虫レベルになるとほとんど常時羽ばたいていないと飛べなくなるらしい。225 ›ð’à ›Ífià9.2 (jst.go.jp))

つまり、エンジンで飛行機を前進させ、生じた向かい風を翼にあてて揚力を得る、という分担によって、はじめて飛行機は飛べる物体となりました。

一方、鳥はどんなかというと。

翼のみで、揚力と推力を生み出しているのでした。

鳥の翼は、胴から手のひらの付け根までは、ブレリオ機みたいなゲッチンゲン翼型をたもち、揚力を発生させ。

そこから先の、手の甲から指先までの翼をうまく使って推力を生んでいるのでした。

バドミントン/シャトルコック/羽毛球の飛行 (fc2.com)

 

 

推力を受け持つ「初列風切羽」は、上に羽ばたいたとき、風圧で隙間が開き、うまく抵抗が出ないように空気を逃したうえで、下(斜め下)に羽ばたくときは、ぴたりと閉じて、巨大なうちわみたいに前進のための推力を生むことができたのでした。

この間、揚力を受け持つ「次列風切羽」はいいぐあいにゲッチンゲン翼型を保つらしい。

新たなる飛翔伝説~鳥類の翼 | 川崎悟司 オフィシャルブログ 古世界の住人 Powered by Ameba (ameblo.jp)

 

 

効率としては、やっぱり翼はぜんぶ揚力に使って、推力はエンジンで。。。。という方がいいですけど。

というわけで、鳥と飛行機は、揚力という面では、根本は同じ原理を共有しているのでした。

深いところで分かりあっているのですね。

京都人と大阪人の間柄みたいなものかもしれん。

というか、翼というものはみんな同じ原理を共有しているんじゃないの?

いやいやそうとも言えないんですよ。

鳥や、特に飛行機では絶対にうまくいかない原理で飛んでいる、恐ろしい生き物がいるのです。

その名も「昆虫」

昆虫も翼を持っていますし、鳥や飛行機と同じく翼により揚力を生み出しています。

でも、昆虫の翼は、体に比べて小さく(蝶みたいな、でかい翼のもいることはいる)鳥や飛行機と同じやり方だと、到底飛ぶことはできない。

そこで、昆虫たちが編み出した揚力発生の秘法があり。

それが「渦」です。

乱流です。飛行機を失速させ、墜落に導く剥離気流です。

ぎゃあああー!

飛行機が揚力を得るためには、いかに渦を作らず、翼に沿って滑らかに気流を導くかが勝負となっており。

以下の図で説明するとわかりやすいと思いますが。。。

スバリズムレポート第2弾「航空機はなぜ飛ぶのか?〜飛行機が飛ぶ原理とは〜」 | スバルショップ三河安城 愛知県 (chubu-jihan.com)

が、いい感じに飛んでいる状態。

になると、翼の後部上面にうまく気流が流れてくれず、その分揚力を失ってしまい。

この状況でも飛べることは飛べるが、制御不能一歩手前の恐ろしい状況。

さらに悪化するとこうなります。

https://www.researchgate.net/figure/Photograph-of-an-aerodynamic-profile-in-a-wind-tunnel-showing-the-flow-detachment-in-the_fig1_344149720

 

 

翼の上面全体に剥離が広がり、乱流の渦によって揚力はかき消され。

待っているのは墜落です。

というわけで、飛行機乗りにとって「渦」というのは呪いの言葉だったのでした。

さて、昆虫です。

昆虫の翼に、どんな感じで気流が流れているのかというと。。。

生物を規範とした超小型飛翔体の空気力学的課題研究の発展と挑戦(その2) | Science Portal China (jst.go.jp)

 

 

渦だ?ぎゃあああー!

かぶと虫くんに聞いてみました。

「どうして昆虫の翼は渦がでまくりなのに、飛べることができるの?」

その答えは

世界の名車かぶと虫

 

 

ええええ?

以下の学術論文に詳しく書いてありましたが。。。

「昆 虫飛 行 の 流体 構 造 連 成 モ デ リング* (第1報,自 動的な翼の回転 と揚力発生の 2次 元数値解析 による検討)」  _pdf (jst.go.jp)

難解な文書であり、結局なんのことかわからなかったのですが、昆虫が揚力を獲得する秘法らしきものとして

「マ グヌス効果と 同 じ原理で発生す る(回 転循環)」

と書いてあり。

マグヌス効果というのは、くるくる回っている円筒や球体に気流が当たると、その気流がすさまじい渦を生み。

https://en.pic2.work/r/liveplus/1590900370/

 

 

上の画像では、ビール缶みたいなやつがくるくる回っていますが、その回転と気流の作用で、渦が缶の左下から左斜め上に抜けていき。その結果、缶には下向きの「揚力」が発生して、下に向かって押し下げられるそうである。

この作用を活用したのに「ローター船」があり。

ローター船

https://japaneseclass.jp/trends/about/%E3%83%AD%E3%83%BC%E3%82%BF%E3%83%BC%E8%88%B9

 

 

4本の煙突みたいなやつがローターで、これらがくるくる回ることで、本当に前へ進むことができるらしい。ただし、スクリューと併用、というのが主流らしいですけど。

昆虫たちは、なんと翼でこのローターセイルと同じ、というかそれを凌ぐ効果を生み出しているらしい。

要すれば、渦が生み出す空気の動き?圧力?によって、翼、そして体を吸い上げ、浮き上がらせているということらしいです。

ううむすごいな

具体的には、「前縁渦」というのがあり。

InsectFlight – 千葉大学|生物機械工学研究室 (chiba-u.jp)

鼠色の「物体」が昆虫の体で、それを取り巻くいろいろな色のやつが翼とその前縁流らしい。

 

 

もうちょっとわかりやすいのを見つけました

なぜ昆虫は飛べるのか? – 蚊の特殊な飛行メカニズムが明らかに | academist Journal (academist-cf.com)

 

 

これが「蚊」になると、「後縁渦」というのまで生み出すらしい。

なぜ昆虫は飛べるのか? – 蚊の特殊な飛行メカニズムが明らかに | academist Journal (academist-cf.com)

 

 

こうして、昆虫たちはホバリングのすさまじい反復によって空中に静止したり縦横に飛んでいる。

きっと、深いところでヘリコプターと分かり合っているのだろう。

ところで、すべての昆虫がぶんぶん羽ばたいているかというとそうでもなく。

トンボは、あまり羽ばたかなくて、滑空したりしています。

こちらは、渦だけど飛行機の主翼みたいに作用しているという、いよいよわけのわからないからくりですが、長くなるので、別の記事にします。

ー0-

小さな軽飛行機で飛んでいます。

そのへんを飛んでいると、ふと鷹が横によってきて、目があったりします。

また前上方から下方に風防をかすめて滑空していく鳥もおり。

なんか鳥たちの世界を覗くことができたかも?なんて幸せの一瞬です。

鳥に比べたらとてもぶきっちょな飛び方しかできない飛行機ですが、人間にとってとても大切な発明かなと思っています。

ではでは

Posted by 猫機長
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紫微斗数と飛行機③

これまで、

◎武曲星、破軍星、天相星

◎巨門星、天機星

について書いたので、それらも見てね!

封神演義、という神話があり。

殷王朝が倒れて周王朝が生まれるまでの壮大なストーリーを、楽しい物語の形で綴っています。両王朝の英雄たちを紫微、貪狼、巨門、廉貞、武曲、破軍、天府、天梁、天機、天同、天相、七殺、太陽、太陰の14星になぞらえて、それらの星の性格や、生年月日にこれらの星たちが夜空のどこにいたかで、恋愛とか仕事とかの運勢を占うことできます。

風神演義。左が殷陣営。右が周陣営。https://kknews.cc/zh-hk/history/l2b8242.html

 

 

ランダムに、特徴的な星たちについて記載してみます。

◎太陽星:「陰ひなたのない情熱の人」

貴族的、外交的、名声、といったいい意味があります。目立ちたがり屋ですが、単に視線を集めたいだけらしい。

https://services.shen88.cn/ziweidoushu/taiyangxing.html
 

 

これだけなら幸せなのですが、紫微斗数の占いでは、星の「回座」すなわち運勢マップのどこに出るかで「輝きの違い」が出てしまい。

◎ 廟(びょう) ○ 旺(おう) △ 平(へい) × 落陥(らっかん)があり、特に落陥は、大凶の妖兆となってしまうのでした。

太陽性が落陥すると、「へそまがり、傲慢で、ギャーギャーと闘争好き」など、暗転してしまいます。

というと、こうなりますよね。。。。

その1:ブロシュMB152

http://ww2fighters.e-monsite.com/pages/marcel-bloch-mb-151-mb-152.html
 

 

模型マニアとかはお気づきでしょうか、フランスの飛行機はへそまがりです。

というと怒られそうなので「フランスの飛行機はアートです」

ぱっと見は、フランスなのになんかあか抜けない、四角い飛行機ですねーくらいなのですが、曲がっているのです。

三面図をみると。。。

https://www.the-blueprints.com/blueprints/ww2planes/various/82252/view/bloch_mb-152/
 

 

エンジン(とカウル)がひん曲げられて取り付けられていたのでした。

ピストンエンジンでプロペラを回す飛行機は、エンジンのトルクとかプロペラの後流とかで、機首をふつう左に振ろうとする癖が生じます。

というわけで、垂直尾翼をもともと右に偏向するように取り付けるとか、いろいろな策がとられ。ぼくが乗っているような、エンジン出力の小さい軽飛行機では、単に方向舵にタブを付けるだけ、というのもあります。

紙飛行機とおなじで、手でひん曲げる固定タブです

 

 

MB152のばあいは、エンジンごと機体中心から左に向くように斜めに取り付けてしまったのでした。ははは

ほんとうは右に向くように取り付けるべきだが?

この飛行機は右に偏向する癖があったようで、エンジンは左向きなのでした。

カッコ悪いうえにへそ曲がりですねえ。

ちなみに、プロペラ軸を偏向させる、というのは、今どきの富士T5及びT7練習機でもやってます。


 

 

練習機 T-5 (fc2.com)
 

 

プロペラスピナーの方向に注目。こちらは素直に右向きの偏向で、デザインもなにげに流麗。MB152みたいな、フオーブな取り付けとは一線を画しているようです。

野獣派(フォービズム)絵画。Charing Crossの橋(1906年、ドラン作)
 

 

さらにもう一つ、US2飛行艇も「「左傾左旋」のクセを緩和するべく、エンジンの取付け向きが正面に対し右に3度ずれた向きに配置(Wikipedia)」しています。

その2:シュド・エスト SE.100

もう一つ、けったいなやつを。

SE100 (nags-gallery.com)
 

 

なんかかわいいですねえ。空飛ぶフランスパン。

なぜこういう姿になったか?論理的な説明が見つかりませんでした。

まあまあ。アートだからいいじゃない。

 

 

その3:ルデュック

https://ai.2ch.sc/test/read.cgi/newsplus/1556142351/l50
 

 

とんがりコーンの部分がコクピットになっているという、絶対パイロットから好きになってもらえないかわいそうなジェット試作機。

Leduc 022 (morewin-media.de)
 

 

「はっきり言って、あんたモテないでしょ」と言われまくりなのだろう。

おっとこのブログに出てくる飛行機はみんなプロペラ機のはずだが?フランスだからいいんですよ。

そのへんの空を軽飛行機で散歩したあと、フランスパンとワインのひととき。
 

 

◎太陰星:「コメット星からやってきた愛の使者」

月です。母性の星です。

控えめに、夜空を優しくてらす満月です。

https://services.shen88.cn/ziweidoushu/taiyinxing.html
 

 

でも、落陥するとどうなるか。

「憂鬱、悲観、神経質」。少女漫画も戦慄の世界が展開され。

輝く太陽とは真逆のどうしようもない陰惨な、密告・告発、強制収容所。。。。と、

要すれば「ソ連」ですね

ソ連には、世界的な名機も多いのですが、ここでは、ソ連というものの存在をこれ以上ないくらいに明示している、恐ろしい殺人鬼じゃなかった殺人機を掲載します。

その名もIL2 シュツルモビーク。

 

 

機体前面を外板からもろ装甲で覆い。

冷却器の空気取り入れを機首上部からにするとか、要すれば地上砲火をいくら食らっても落ちず。

哀れなドイツの戦車や兵隊をぶち56しまくりました。

でも、敵を56しまくるくらいならドイツのスツーカもやっていたよ?

シュツルモビークはこの斜め上を行く「殺人マシーン」でした。

それは「後部銃座」によって暴かれます。

さて、機体の前面、下面を装甲で固めた分後方はスキができてしまい。鈍足なシュツルモビークは背後から食いつくドイツ戦闘機に大量に落されるはめに。

この損害にキレたプーチンじゃなかったスターリンは、設計者イリューシンに言い放ちました。

「ソ連はシュツルモビークを空気のように必要としているのだ。何とかしなかったらどうなるかわかるよな?」

強制収容所行きにならないため、イリューシンは絶望的な努力をし。

セルゲイ・イリューシン
隠れた空の開拓者たち (coocan.jp)
 

 

とにかく増産し、かつ今飛んでいる奴は落とされないようにしなきゃ!という事で、単座機なのに、むりやり後部銃座を取りつけたのでした。

https://www.tamiya.com/japan/products/61113/index.html
 

 

この断面図でわかることは、まずパイロットの後ろに防弾板。その後ろに燃料タンク。そしてさらにその後ろにもう一枚防弾板。

この意味するところは、飛行継続に必須な燃料タンクとパイロットという部品は装甲で守り、機体の喪失は絶対に防ぐという事である。

一方で、機銃手には何も防弾がないことに注目。

後方から襲いかかるドイツ戦闘機の機銃弾は、銃手をブギャー!とハチの巣にはするが、その後ろの防弾版は血まみれにするのみで貫通できず。飛行機は基地まで帰れる。

つまり、機銃手というのは、ソ連にとって単なる弾除けに過ぎなかったのでした。

機銃手の座席はこんなかんじ

https://www.britmodeller.com/forums/index.php?/topic/235056334-the-flying-tank-ilyushin-il-2-shturmovik/
 

 

茶色い革帯を張り渡しただけでした。

ちゃんとした座席にすると、敵の機銃に撃たれたときにのけぞった姿勢で4んじまうので、敵の方でも、これで安全だ!と襲いかかってくるのに比べ、この「簡易シート」が、ばねみたいに作用して、機銃手はうつぶせで絶命し。敵戦闘機から見れば、あたかも銃を構えているかのようにみえるので、なかなかそれ以上接近できなかった、という情報があります。

こうして、後部銃手という懲罰兵をぶち56すことにより、イリューシンはじめ多数の関係者(パイロット含む)がラーゲリ送りにならずに生き残ることができた。

なんか生々しすぎる、陰惨なことを書いてしまいました。

もともと今回の記事は「太陽星と太陰星みたいな飛行機」がお題だったことにあらためて気づき。

そして、いずれも「吉星」なので、基本、良い意味を持っているのですよね。

なんで共産主義者の飛行機が登場してしまったのだろうか?

というわけで、太陽星と太陰星がいずれも持っている、優しさいっぱい!の暖かさを象徴する飛行機と、その飛行機乗りを記載するのでした。

まず飛行機ですが「パイパーJ3カブ」

https://lonestarflight.org/fly/piper-j-3-cub/
 

 

自動操縦や計器飛行とは対極の世界。

「低い高度を保ちながら、鮮明で活き活きと見える木々のてっぺんをかすめるように野原を飛び回り、大きく開いた扉から、すぐに手が届きそうな森をいくつか過ぎた後、高度を下げ、くねくねと曲がる川をなぞるように飛び、川の流れによってできた渓谷の上で手を振る子供たちに翼を振って応えました」という世界です。(詳しくはこちらをご参照→https://www.ambidex-lab.com/2020/03/18/hc-plane-cub01/)

そんなカブにぴったりのパイロットが「マドモアゼル・カミカゼ」

村上千代子という日本女性です。

詳しくは以前の記事を読んでいただきたいのですが、まだ海外旅行が大冒険だった時代に、単身フランスにわたり操縦を覚え。その後カナダで飛行学校を開くなど、こんな素晴らしい生き方もあるのだと感激しました。

https://cmtruth.exblog.jp/9500506/
 

 

マドモアル・カミカゼみたいに、太陽の情熱と月の優しさを併せ持つ、それが太陽星や太陰星を持つ人たちと思います。

えっへん。ではでは

Posted by 猫機長