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大空の豚丼:DC3のお話

今からおよそ250年前。英国内での迫害に耐えかね、脱出だ!北米大陸に渡った新興宗教団体の人々がいました。インディアンをいじめたりしながら西部を開拓し、アメリカ合衆国が成立。似たようなケースにオーストラリアがありますが、こちらは有無を言わさず送り込まれた人たちによってできた国であり、自分から逃げてきた人たちの国アメリカとは違いがあるといえばある。

イギリスって、そんなに残虐非道だったのでしょうか。。。。

*ちなみに、奥さんにいじめられて、お家に帰れなくなったポルトガルのだめんずが流れ着いたのがブラジルです。はいはい脱線でした。

https://togetter.com/li/1219409

 

 

映画ではかっこいい幌馬車がつらなって、悪いインディアンを撃退しながら、ステキな大牧場を建設したりしていますが、現実ではそうもいかず。険峻な山河にさえぎられて立ち往生しているうちに食料が尽きて、最後は人肉を食べて生き延びた「ドナー隊の悲劇」などが有名です。

一山越せば肥沃な平野が広がっているのに、一歩手前で斃れていった人たち。この山をひとっ飛びできれば!と何度思ったことでしょうか。

アメリカ人にとって、長距離の移動というのは、民族のDNAに刻み込まれているのだと思います。

その逆に「京都人」があり。洛中で3世代以上生活していないと京都人にはしてやらん、とか、ぼくのように京都駅の東にある埼玉県で生まれた土人は、人間扱いしてくれないのでは、と恐怖しています。

*京都の素敵女子を除く。京都の女性は、みな素敵女子です。

ちなみに、関西には、京都人、大阪人、奈良人と恐るべき個性を持った3つの人種が混在しており。

 

 

この多様性が共存できる日本は、きっと世界の移民を受け入れることができるのだろうなーと期待しています。

アメリカに戻ります。

国土広大なアメリカのみならず、小せいちいせいのイギリスでも、世界に散らばる植民地の管理は大問題であり。古代ローマでは「アッピア街道」などで「すべての道はローマに通ず」でしたが、世界の大洋にまたがる大英帝国では、迅速、確実な連絡は、大英海軍が必死にシーレーン防衛をしても容易にはいかず。

そんななか、恐るべき発明がなされました。

それは「飛行機」

サントス・ヂュモンの14Bis。世界初の公開飛行でした。

 

 

英国など、大喜びで航空輸送に参入し、エアラインの時代になりました。

こうして、船などでは何週間もかかったロンドンからインドへの旅も、飛行機でいけば3日くらいか?で行けるようになり。

(画像出展はhttp://www.ne.jp/asahi/airplane/museum/ です)

アームストロング・ホィットワースアーゴシー旅客機

 

ショートS.8「カルカッタ」飛行艇

 

デハビランド DH66 “ハーキュリーズ”旅客機

 

 

ロンドンからインドまで、これらの飛行機を乗り継いて何とか到達したらしい。

しかし、エアラインの発展を阻む恐るべき障壁が。

「要するに、儲からん」

儲からないどころか、大赤字であり。

大英帝国の国威を示すために税金をじゃぶじゃぶ注ぎ込んで補填しまくり、やっと実現していたらしい。

当時の旅客機には、こんなのがあり。(画像出展はやっぱりhttp://www.ne.jp/asahi/airplane/museum/です)

カーチスライトT-32″コンドル II “旅客機

 

 

コンソリデーテッド フリートスター 20-A 旅客機

 

 

上記の英国~インド便も含めて、だいたい1機あたり14名くらいしか乗客を乗せることができず。

それじゃあ儲かるわけないよねーというのが実情だった。

当時は、エアラインと言いながらも、中継地において燃料補給やエンジン整備などしまくりで、その時間のほうが飛んでいる時間より長いんじゃね?なんてかんじだったらしい。

例えば、ドルニエ飛行艇によるヨーロッパ・南米便では、とても大西洋を横断できる航続距離がないので、途中まで燃料や資材を積んだ汽船が出迎えに行き。

ドルニエ飛行艇

http://www.ne.jp/asahi/airplane/museum/cl-pln12/2010/DORNIER-DoJ.html

 

 

合流点で着水した飛行艇に補給をしている間、乗客たちは汽船に移乗して、今日でいえば優雅な豪華客船の一日を楽しんだらしい。

汽船で、オザミ・トーキョーもびっくりの晩餐。「鱧(はも)のベニエ あさりと蟹味噌, マッシュルームのデュクセル パスティスの香り」を食べた後、一晩ゆっくり眠って、翌朝朝日とともにこれまた優雅に離水。さあ次は最終目的地のナタール港(ブラジル)です、なんて旅行をしていたらしい。

どれだけ航空券やら晩餐やらで浪費してもこたえない、超富裕層の酔狂だったのですねー。

ヨーロッパ諸国が貴族的なエアラインに血道をあげて富裕層を喜ばし、貧乏人の血税を湯水のように注ぎ込んでいたころ、アメリカは、へへんそんなふざけたお遊びはエアラインなんかじゃないよーと嘲笑っていました。

なにしろ、怒り狂ったインディアンの襲撃を防ぎつつ、食うや食わずの冒険をつづけ、運よく肥沃な平野までたどり着くか、でなければ共食いか!という世界です。「ハモのベニエ パスティスの香り」もへったくれもなく、とっとと「吉野屋の豚丼」で腹ごしらえして、次の襲撃に備えなければ!

ぼくはブラジルに住んでいますが、狂牛病が荒れ狂った当時、東京に旅行する機会があり。深夜でしたが、吉野家はちゃんと開いていました。

カウンターのお兄ちゃんに「ねえねえ牛丼はあるの?」「ありますよ」

でもやっぱり怖くなり豚丼にしました。ははは

注文してから1分もしないうちにほかほかのおいしい豚丼が!

 感動の一瞬でした。

さて、黎明期のエアライン業界は、せいぜい貴族のたしなみでしたが、これが自由市民に裨益し、業者も儲かるように発展するにはどうするか。親方日の丸に頼って補助金で生き延びるのではなく、みずからの力で大儲けしてやる!というアメリカのフロンティア魂が爆発し。

その結果生まれたのが「DC3」

これまでの旅客機とは一線を画した、革命的な飛行機だったのでした。

 

 

◎まず、28人の乗客をのせることで、一人当たりの客単価を著しく効率化できた。

◎頑丈で素直な飛行特性。計器飛行や無線航法の発達と合わせて、雨だろうが風だろうが突っ切って飛ぶことができ。ともかく定期運航というレベルに持って行けた。

DC3の出現により、エアラインは初めて「お客さんからのチケット代だけで運用し、儲けを出すことのできるビジネス」になったのである。

吉野家の豚丼は、注文してから1分もたたない、瞬時にでてきましたが、DC3も「エンジン修理のため、出発を2時間お待ちください」なんてアナウンスがあったのち、エンジンごととっとと取り外して、新品に換装、カウルをつけなおして。。。と、本当に2時間で完成し、あれよあれよという間に、元気よく離陸。大空の中に消えていきました、なんてかんじだったらしい。

*資料では「エンジン着脱が短時間で可能」となっており、どこかで「2時間で取り換えちゃった」という情報もあったのですが、紛失。こういう話はコンステレーション旅客機でもあり、要すれば、冷戦当時「アメリカの飛行機はすぐなおせるぞ」とソ連を威嚇する意図もあったらしい。

50年代にNY~パリ便などで活躍したコンステレーション旅客機

パブリックドメイン

 

 

そもそも故障しないし、故障してもすぐ部品が買えて、あっという間に直しちゃう、という、まるでVWのかぶと虫みたいな飛行機だったのでした。

世界の名車かぶと虫

 

 

その信頼性、耐久性などから、第2次大戦では輸送機として大量に生産され。アメリカを勝利に導いた4大兵器の一つ(ジープ、バズーカ、原爆そしてDC3)として称賛されています。

DC3の恐るべきコストパフォーマンスと耐久性、使いやすさは現在にいたるも有用性を失わず。カナダだのアラスカだの、西部劇もびっくりの、いまどきのひよわなジェット機では入っていけないような地域では、いまでもターボプロップ化されたりして飛んでいるといいますから、いかに優秀な飛行機かということがわかると思います。

ターボプロップ化されたDC3。

http://larch.blog.jp/archives/5161238.html
 

 
本当の名機は、レジェンド(伝説)となると共にレガシー(遺産)も残すといいます。DC3は、上記の通りレジェンドとなりまくり、そして現在の大型旅客機につながる機体構造を確立した、レガシーそのものの飛行機でもあると理解します。

ちなみに、戦後にDC3を操縦した日本のパイロットから「飛行中はとてもすなお。着陸で、接地時に尻が落ちるせつな、方向舵がふっと効かなくなる一瞬があり、気を使った」などの感想があります。

世界の名機DC3。エンジン出力の制約やレーダー装備が未発達であったことから、本格的なエアラインへの進化は第二次大戦以降の新世代旅客機に譲りますが、大好きな飛行機です。

https://www.airway.com.br/classico-douglas-dc-3-esta-a-venda-no-brasil/

ではでは。。。

Posted by 猫機長
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W杯:日本チームに応援すべきか?

すべきでない、と言って物議をかもした共産主義者のおっさん(東京都区会議員)がいた一方で、ドイツなど本物の文明国では「氷点下のW杯サッカー、熱気乏しく 人権重視しボイコットの動き―ドイツ(外部リンク・時事通信)」なんて、カタール大会の意義そのものを問う(そしてそんな大会に出るドイツチームなんて応援してやらんという)動きもあったりして。

このへんを、Q&AサイトのQuoraにおいてつらつら書いてみました。以下、お題として提示されていた質問2つと、ぼくなりの回答です。

なお、本稿におけるW杯ポスターの出典はAFPニュース(https://www.afpbb.com/articles/-/3170004)です。

イタリア、1934

 

さて、Quoraです。

ドイツに勝って幸先のいいスタートを切ったものの、コスタリカに敗北。どうなる日本?

質問その1:サッカーW杯2022コスタリカ戦の敗因は?

回答:W杯ともなると、試合の結果には、単にチームの実力だけではなく、応援する国民のそして国の経済・社会状況が影響して、W杯での成績に反映されるケースがあるようなのです。

ブラジルの例で言えば、70年の3冠達成の時がまさに「ブラジルの奇跡(的経済成長)」の頂点であり。78年にアルゼンチンに優勝をさらわれたあたりからおかしくなり、その後はハイパーインフレに陥りましたが、92年の米国で優勝し、同じくしてレアル政策で躍進しました。

ドイツが日本に負けたのも、「人種差別を認めたW杯ではないのか?そんなW杯を盛り上げていいのか?」と自問自答し、悩んでいる結果が出てしまった。これから「このW杯で勝つことは、ナチの過去に戻ることではない」と吹っ切れれば、スペイン相手に7対1で勝ったりして?

この回答を読んだ皆さん、2年後に日本の経済社会はどうなっているでしょうか?恐ろしいハイパーインフレにあえいでいるでしょうか?あるいは日本だけ世界で独り勝ちの躍進になっているでしょうか?

ブラジル、1950

 

 
その後、日本は見事予選突破。

https://www.nikkansports.com/entertainment/photonews/photonews_nsInc_202212020000361-2.html

 

 
ベスト8まで進めば、なんとブラジルと試合の可能性が。

そのブラジルは。。。。

質問その2:ワールドカップを観ていて、やはりブラジル代表のプレイに一番ド肝を抜かれるのですが、彼らは何が違うのでしょうか?また、他国の代表がああなることは不可能なんでしょうか?

回答:貧富の差が激しいブラジルでは、「シテイ・オブ・ゴッド」でも提示されている通り、とても学校にいけない貧民層が多く。

そんな家庭の親父は、サッカーの試合になけなしのお金を賭けて、勝てば酒を飲んで奥さんや子供を殴り。負ければ倍殴るという生活です。親父のゲンコツから逃げ出した子供の生きる道は、何とか中流階級のいる地区に潜入して、商店などから寄付をお願いすることですが、単に寄付をお願いしても相手にしてくれないことが多いので、タウルス拳銃を向けて「お金ちょうだい。じゃないとあなたに事故がおこりますよ」という、強制的な寄付をお願いする生活になってしまいます。

https://www.russoairsoft.com.br/revolver-taurus-.38-spl-rt-85s-oxidado-brilhoso

 

 
もちろん、そういう行為は、世間では犯罪なので、商店主の方で今度は用心棒を雇い。

夜陰にまぎれて少年たちを先制攻撃で間引いてしまいます。

ブラジルでは、慢性的な貧困があり。こうした少年たちが無限に生まれてくるので、片端から間引いていくのですが、時に、特殊技能により、こうした地獄の連鎖から逃れることのできる少年たちもいます。

もうお分かりと思いますが、こうした少年たちが天性の才能で、ブラジルでしか生まれない「すごい選手」になったりします。

もちろん上記は極端な例で、中産層出身の名選手もいますが、だいたいは、上記ほどでないにしてもハングリー精神にあふれた、要すれば育ちの違う少年たちなので、これを超える選手、というのは日本では難しいと思います。

でも、ブラジル人の中でも、こうした実情から、ワールドカップは、いたたまれなくてとても見れない、とテレビを消す人もいます。

一方、「世間では犯罪とみなされる」生活を送る少年たちでも、特にいじけたところもなく、おなかがいっぱいであれば、ピストルなんて忘れて、楽しくサンバを踊っています。これがブラジル独特の身のこなしになるのだと思います。

楽しいサンバ

 

 
選手になっても、決して、お金のためにいやいやサッカーをやっている、というのではなく、お金がなくてもやっぱりサッカーやってんじゃん、というところもあり。サッカーを口実に地獄のような家庭にしてしまうクズ親父もいる一方で、サッカーというスポーツが、地獄の社会から人を救い出すなにかも持っている、というところだと思います。

ブラジルも含め格差・貧困のない世界になることを、願っています。

スペイン、1982

 

 

暗い話題ばっかりだったので、W杯にも楽しめる部分があるにはある、というお話も行きましょう。

構図、という言葉があります。

この言葉は、芸術家にとって、恐ろしいパワーワードなのです。

どんなに才能あふれる芸術家でも、構図のない絵を描いてしまうと、けっきょくほにゃららな小学生の図工なのか、名作なのかわからないものになってしまいます。

いちおうおことわりしますが、ぼくは絵画から感性を排除する気は全くありません。でも、感性こそすべて、という人に限って感性なのかその場の気分なのかわからないままに漫然と絵をみて「感動した気になって終わり」という恐ろしい世界に落ちいってしまうと理解しています。まず理性に照らし合わせて、さらに理性を超える魂の世界に入る、ほうがよいと思っています。。。。

ソ連じゃなかったロシア。2018

 

 
で構図ですが、3分割構図、対角線構図、三角構図、キアロスクーロ(レンブラント様式)、シメトリー構図、色による構図(補色、反対色など)その他無数にあり。いえることは、名作はこれらの無数のオプションから、選び抜かれた構図をもって「カドの立った寿司」みたいな切れ味を実現している、ということでしょうか。

ひらめきで一気に、ということもあるのでしょうが、多くの場合は何枚も何十枚もデッサンをかさねて、構図を考え抜いて。。。というのが名画を通じて伝わってくると思います。

究極のファッションのごとく、なにげにコーディネートしているけれど、細部まで鍛え(考え)抜かれ、選び抜かれた構成が自然にかつ魂の奥底に迫るインパクトで見るものを圧倒する。フォービズムや現代アートでは、この「優しさいっぱいの自然さ」を放棄してグロテスクなやつもあるけど。

構図のお手本といえば、ダビンチの晩餐だのいろいろあるのですが、しかしその最高峰は、なんと日本人なのでした。

その名も「葛飾北斎」

出展:https://artscape.jp/study/art-achive/1205252_1983.html

 

 
北斎さんが、考え抜いてこの構図を構築したのか?あるいはその場のノリでやったら結果こうなったのか?本人に聞くことはできないのですが、緻密な構図になっています。日本画の場合は大首絵(上半身アップ)みたいな固定化した構図とか、犬図みたいな禅の世界(あっぱらぱ)も多いのですが、あっぱらぱに見えても名画は構図もしっかりしている、と思います。

上記は絵画といういわゆる2次元アートの世界ですが、人間の運動というお題で、極限のアートが見れるのがW杯だった。

サッカーマニアのみなさん、ここでぼくが「浅野琢磨のシュート」を引き合いにだして称賛すると思ったでしょうか。

https://www.yomiuri.co.jp/pluralphoto/20221123-OYT1I50182/

 

 

へへん残念でした。たしかに日本人離れした蹴り込みでしたが、そんなのぜんぜんへろへろへなちょこのあっぱらぱだよーん、という恐ろしいアートが存在しているのです。

それが「ベベトのゴール」

「米国ワールドカップにおけるベベト選手のゴール」のことです。決勝進出をかけたすさまじいプレッシャーの中、なにげに地面を転がっていく一直線のシュートが、キーパーの指先10センチ、ゴールポストから10センチをかすめてゴールに。動画(外部リンク)ご覧ください。こういうなにげにふつーのシュートを打てる人が最高の芸術家かもしれん。

画像出展はhttps://internacional.estadao.com.br/

 

 

なお、このゴールには、ロマリオという、マラドーナを真人間にしたらこうなる、というのが、ゴ◎ブリみたいにからんでいますが、マニア向けのお話なので、ここでは省略。

3000字を越えました。

次のワールドカップでは、SDGが本当に達成されて、安心して日本に応援できるようになっていたらいいですね。

ではでは。。。

 

Posted by 猫機長
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日本がリードしていた戦前のエアライン

以前、B29は、実は爆撃機ではなく、戦後の大量航空輸送を実現するための実験機であり。 爆撃機として使用されたのは軍から予算をもらうためにすぎず、トーキョー・エクスプレスと呼ばれた爆撃行で貴重な運航データを得、ついでに爆弾も落としてきた、という事を書きました。

「そんなことあるかい!ふんぎゃー!」と怒る人も多数と思います。

私の母も、横浜六角橋で空襲から逃げまどった世代であり、B29の爆撃は、ついでだよーん!なんてふざけたことを書くな!と言いたい気持ちはよくわかります。

 

 

でも、アメリカにとって、戦争なんて対岸の火事。レンドリースで産業を大開発し、切りのいいところで真珠湾攻撃によりうまく日本に参戦のきっかけをつくってもらい。週刊空母だのグラマンだので大儲けの、ようするに戦争自体が目的ではなくて、戦争を口実に、いかに儲けるか、だったのは、戦後のアメリカの覇権を見れば明らかと思います。

アメリカが目を付けた戦後の産業の一つに「長距離大量航空輸送」があり。

金儲け以前に、戦略的・安全保障の意味合いも強いのですが、この記事の本題ではないので、ここではスルーします。

さて、戦前には「大規模航空大量輸送」はなかったのか?

エアラインという存在があるにはあった。

典型的な例として「ロンドン~ニューデリー」を見てみます。

*以下「中島航空機博物館(外部リンク)」に迫力ある説明がありますが、そこから情報や画像を拝借しています。

まずは、ロンドンからジェノバまで、陸上機の「アームストロング・ホィットワースアーゴシー旅客機(乗客20名)」で飛んでいきます。

かっこわるい飛行機。
 
つぎに、ジェノバからアレキサンドリア(エジプト)まで、ショートS.8「カルカッタ」飛行艇(乗客12名)で飛んでいきます。

やっぱりかっこわるーい。

 

 

アレキサンドリアから最終目的地のインドまでは、デハビランド DH66 “ハーキュリーズ”旅客機(乗客14名)で飛んでいきます。

多少はかっこいいか?

 

 

お疲れ様でした。果たして何日かかかったのか?

だいたい、乗客がたった14名では、とても採算が取れないのは明白で、この定期便の場合は、大英帝国がいかに遠い植民地であっても、いつでも到達できるぞ!と世界を恫喝するための手段という意味合いが強かった。要するに、日本のローカル路線もびっくりのめちゃくちゃ赤字、税金を使いまくりでなんとか補填していたという、こまったエアラインだったということである。

ちなみに、今日のロンドン~ニューデリー便は、アメリカン航空で平均8時間40分、¥58,806で行けるらしい。これは直行便なので、乗り継ぎ含めたLCCだともっと安くなるかもしれん。機材の記載はなかったのですが、B777あたりと思われます。

果たして、飛行機3機を乗り継いだ命知らずの冒険、富裕層の酔狂でしかなかったエアラインが、今日の、ねこもしゃくしもお手軽お気軽に利用する路線バスみたいになるなんて、当時のだれが想像できたでしょうか。

よっぽどずるがしこく、中国人もびっくりの強欲で、ロシア人よりも血も涙もない、目的達成には手段を択ばない、そんな人種でなければ想像できないですよね。。。

でも、想像したやつらがいました。

それは「皆殺しのルメイ」に代表される「アメリカ人」

もともと大陸国のアメリカ。開拓のために幌馬車で何日も移動しているうちに、食料がなくなり、「ドナー隊の遭難」みたいに、ついには人肉を食べて生き延びた、なんて事態も発生しており。もし、迅速、安全に、大量の人々を長距離輸送できたら。。。。という悲願が、アメリカ人のDNAに刻み付けられていた。

そのDNAが作り上げた恐るべき成果の萌芽にDC3があり。

「大空の豚丼」として知られるDC3ですが、アメリカ人は、DC3の生産によって、イギリス人が息も絶え絶えロンドン~ニューデリーを運航していた時代に、いつかはお手軽大量輸送がくるぞ!という手ごたえを感じたことと思います。

世界の名機DC3(Pixabay無料画像)

 

 

なぜDC3か?そしてなぜ豚丼か?については、長くなるので別記事にします。ここでは、幌馬車よりよっぽどいい、飛行機という輸送手段があるぞ!という画期的な気づきがあった、という事を特記しておきます。

でも、飛行機なんて水ものですよねー、という恐ろしい課題に直面し。

当時の飛行機は、有視界飛行で、せいぜい高度5000メートルを飛ぶしかなかった。ということは、雨だの曇りだのという場合はそもそも離陸できなかったり、途中で入道雲に行く手を阻まれて引き返すしかなくなった、なんてことは日常茶飯時で、青空でもサーマルなどで、がんががん!きゃー!なんて、快適とは程遠い、やっぱり命知らずの旅になってしまい。

皆さんが、東横線で中華街に行こうとして、東京出発の時点で「CB(積乱雲)が出ていますので出発を1時間遅らせます」そして出発したはいいが「やっぱりCBが出てきたので、出発地に引き返します」なんてやられたら「崎陽軒に行けなくなっちゃうじゃないかー!代わりにシュウマイ持ってきて食わせろ!わぎゃぎゃぎゃー!」と大騒ぎになると思います。

https://kiyoken.com/

要するに、採算のための最も基本となる定時運行、反復輸送の見込みが全く立たなかったのである。

ところが、ヨーロッパ人が戦争を始めたおかげで、これらの障壁をぶち破る可能性が生まれ。

まず、レーダーはじめ無線・電波通信の発達により、肉眼で見えるはるか先の気象を探知でき。ゆうゆうと積乱雲とかを避けるのみでなく、それほど揺れない層雲であれば、すっぽり中に入っても地上から電波で誘導してもらい、計器飛行ができるようになった。つまり、雨だのなんだので出発時間を遅らせたり、引き返すなんてことがなくなった。

大型爆撃機の開発で、大型輸送機の原型を軍が提供してくれた。特にエンジンの著しい性能向上は偉大な貢献をもたらし、長距離を高速で安全に飛ぶことができるようになり、洋上飛行でも飛行艇にする必要はなくなった。これは、どこから流れ弾が飛んでくるかわからないから防弾チョッキを着て歩かなければならない紛争地域から、どこでもドアで東京にぽんとまよいこみ、防弾チョッキなんてもういいやあ!と投げ捨てるくらい、飛行艇から陸上機になって身軽(効率的)になれたという事です。

きわめつけは、排気タービン過給機と与圧装置の開発で、高度1万メートルまで上昇し巡航することができるようになったこと。この高度では、ジャップの戦闘機が上がってこれないだけではなく、気圧が低くてスピードが出せ、燃料の節約になることと、入道雲だのなんだの気流をかき乱すものが少なく、意外に揺れないで飛行できるぞ!という、お客さんを手なづけるための決定打を得ることができた。

与圧が決定打となったいまどきの飛行機(BUSINESS INSIDER)。

 

 

これをB29で体験・学習・実験し、今日のエアラインにつなげたという事である。

めでたしめでたし。あれ?めでたくなしめでたくなし?

しかし、アメリカ人の戦後輸送より先に、大量エアライン輸送を実現していた恐ろしい国があったのです。

なんと、日本でした。

大東亜共栄圏における連絡網を確保するために、横浜を起点として1941年7月には、横浜~サイパン~パラオ、横浜~バンコク線、赤道を超えてはるばるチモールまで民間旅客機を運航していたというから驚き。当時の「大日本航空(鶴のマークの会社とは別物です)」の「民間精神旺盛な」パイロットたちが「胸に翼型の金モールをつけた紺色のダブルの背広に半長靴という制服に身をつつみ、颯爽として南方の空に飛びたった」なんて痛快ですねーただ戦局の悪化に伴い、軍事作戦にいやおうなく飲み込まれていったらしい。(引用元は:飛行艇パイロットの回想 -横浜から南太平洋へ―必読です- http://www.aero.or.jp/web-koku-to-bunka/2009.09.15koshida2.htm)

運航に使われたのが、97式大型飛行艇。

    かっこいいなあ

 

 

南洋の島では、女性ばかりの、それはその、まあ楽しい島とかもあったようで、そんな往年のパラグアイみたいな島にちょくちょく寄っていたりしたらしい。

わくわく、どきどきー!

 

 

こちらの話も、機会があったらまた詳しく?書きたいと思っています。なお「チャイナクリッパーや、シコルスキー S-42はどうした!」とかの突っ込みは禁止です。

3000字越えで打ち止め。

ではでは。。。

 

Posted by 猫機長
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ビットコイン・リーマン級の激震

このブログは「アーリーリタイア」すなわち経済的自由を主題の一つとしているので、今回は時事ネタで「ビットコイン・リーマン級の激震」ですが、いつも訪れていただいている素敵女子等の多数からは「なにそれおいしいの」だと思います。

そうした素敵女子たちに、素敵な歌の動画をプレゼント!なので、見てね!でも、できたら、ビットコインのお話も最後まで読んでいただけたら、きっとためになる情報だと思います。

そして、ぜひぜひ「いいね!」してね!コメントもうれしいです。

 

 

さて、本題です

2022年11月。

超優良とみなされていた暗号資産交換所FTX Trading Limitedがものの見事に破綻し。

「負債総額は数百億ドル、債権者は10万人以上とメガトン級だ。市場規模は違うが、2008年のリーマン・ブラザーズ破綻と同じような状況といえば理解しやすいだろう(現代ビジネス:「仮想通貨」は”地獄絵図”へ…! FTX「破綻」で待ち受ける「ビットコイン投資家」たちのヤバすぎる末路…! (msn.com))」という惨劇が現実に。

2021年の11月10日、最高値6万9千ドルをつけていたことに比べれば、その凋落は著しく。今年の11月16日時点で1万6千ドルになってしまっています。

危うしビットコイン!

こうした状況から「黙示録の騎士」と呼ばれる「ビットコイン大嫌い勢力」は大喜びで、「やーいやーいもうビットコインなんて消滅だー!」と大騒ぎしています。

世界の終わりを暗示する、黙示録の四騎士

 

 

さて、本当にビットコインは消えてなくなってしまうのでしょうか。

FTXは「顧客資産を自身の関連企業の融資の原資として利用する愚行(現代ビジネス)」を犯した。

そんなやくざな商売をするビットコインの取引所からは逃げて、もっと手堅い投資をしましょうね、と、もっと健全な投資先に移った方がよいのでしょうか。たとえば、善男善女の老後を守る「年金基金」とかだったら、ビットコインみたいなばくちではない、堅牢なからくりになっているはずですよね。。。

ところが、つい最近「英国年金基金ショック」が起き。イギリス発の大暴落が世界市場を襲ったことは記憶に新しいと思います。

こちらは、日本経済新聞によれば、「ライアビリティー・ドリブン・インベストメント(LDI=債務主導投資)という運用戦略をとる年金基金において2~4倍のレバレッジをかけ。損失がかさんで取引相手方の金融機関からマージンコール(追加担保の差し入れ要求)を突きつけられた。支払いのための現金を捻出するために、保有資産の多くを占める物価連動国債を含めた国債、社債や海外株式の売りに動いたとしている。(英年金基金の損失、最大25兆円に 米証券が試算: 日本経済新聞 (nikkei.com))」

あれ?お客さんの老後のために集めたお金でレバレッジ投資なんかしていたの?

健全な投資だったら絶対やっていはいけない用途にお客さんのお金をつぎ込んでいた、という面ではFTXと変わらないのでした。

年金基金の管理者は、利率は低くてももっと手堅い投資の利益で基金を運営しなければならないのですが、長らくのマイナス金利とかで、レパレッジに手を出して利鞘を稼ぐしかなくなってしまっていた。

QEで資金じゃぶじゃぶのうちはよかったのですが、最近の異次元利上げでお金が潮を引くように減少してしまった(金融収縮)時、レパレッジで冒険していた分が今度はマイナスとなってのしかかり。今回のショックを引き起こしてしまいました。

要すれば、猫もしゃくしも破綻のご時世なのである。

ここまではファクトの羅列ですが、実は、ビットコインをめぐって、取引所と米国証券取引委員会(SEC)がつるんで利権をむさぼろうとしていたのが、実は今回のFTX破綻の真の理由だ!という人さえおり。

そもそもビットコインは分散型の金融モダリティであり。

ビットコイン(とその信奉者)が一番嫌うのが、中央集権管理とか規制とかいう言葉である。

なのに、なぜか?FTXのリーダーであるバンクマン-フリードCEOは、これまで仮想通貨の規制に前向きで、SECとも良好な関係を維持していたとされています。

バンクマンCEO https://voi.id/ja/bernas/150135/read

 

 
FTXは、MLBで大活躍の大谷翔平選手などを「アンバサダー」として起用し。クリーンなイメージを社会にアピールしていましたが、「規制に前向き」というのも、健全な組織です、というプロパガンダじゃね?と、「規制大嫌いの原理主義ビットコイナー」からはうさん臭げに見られていたらしい。

もっとも、バンクマンさんくらい有名人になってしまうと、時の権力に協力しています、というそぶりだけでも見せておかないとやばかったのかもしれませんが。

そぶりか、本気か。ごめんなさいポルトガル語でした。ははは

 

 
ただ、そぶりにしては真剣で、なんかSECのゲーリー・ゲンスラー委員長と大の仲良しになりつつあった、といううわさもあり。しかし、仲良しになり切れず?バンクマンさんが切り捨てられた形になった、のかもしれません。

さて、SECとFTXのからみに付いては、そのへんのYoutuberなどから出てきた情報なので、あくまで楽しい創作童話、くらいに理解しておいていただきたのですが、要するに何が言いたいのかというと、きょうびなにがうさん臭い投資で、なにが健全な(安全な)投資なのかわかりませんよ。みなさん気を付けましょうね、という事です。

ゲンスラーSEC委員長 https://bittimes.net/news/105425.html

 

 
白も黒も分からない状況で、資産を守るためには、どうしたらいいのか?

何が危険をもたらし、何が利益をもたらすかを見通すことができればいいのである。

今回の騒動は、要すれば仮想通貨取引所の破綻である。

仮想通貨取引所にお金を預けていた人は大恐慌に陥っていると思います。

でも、このブログの読者の方はお分かりと思いますが、事態としては、取引所と一般のお客との間で力関係が違いすぎるだけではなくて、「規制を受けない」仮想通貨の場合は、国家も警察も力になってくれないよ!と以前から警告していたことが現実になっただけだった。(FTXの場合は、企業がでかすぎて政府も傍観はできなさそうですけど)。

警告の内容をもうちっと詳しく書いた記事はこちら→「ビットコインのETF」

ビットコインは、投資種目としては大化けの可能性を秘めているけれど、それはビットコインをお題としたETFなどに投資して、取引所関連のリスクをETF管理者が請け負ってくれる状況だから(比較的)安心して投資できるのであって、直接現物としてしまうと、はっきりいってホットウオレットだけでなくコールドウオレットも大して安心できないという恐ろしいばくちに身を投じてしまうことになるのです。

一方、こんな恐慌状態でも心強いのは、ビットコインのアルゴリズムに重大な欠陥があったわけでもなく、ビットコインの土台は全然揺らいでいないということです。これも前に記事に書きましたけど、今回の事件も結局はブロックチェーンを使う人間がしでかしたへまに過ぎない。

あとは、投資する金額ですねーなくなってもいい金額、なんてないけれど、なくなっても生活や投資計画を維持していける程度の金額にとどめておくべきと理解します。

でも、こうしたお金が、いつか奇跡の大暴騰を始めたりして。投資家の「スラング」では「市場に雷が走る瞬間」と言いますが、その雷が雷を呼んで、世紀の大激震(もちろん爆上げという意味ですよ)をもたらす日を、えへらえへらと待っています。

本当は去年(2021)の年末くらいを期待していたのですが、今や圧倒的金融収縮の時代に入ってしまったので、雷が光るのはもしかしたら10年先になってしまうかも?

仕込んだ苗が枯れ木になってしまっても、枯れ木に花が咲きましたー、なんて日が来るのを期待しています。

さて、前代未聞のQTで阿鼻叫喚にみえる市場も、意外に早くまたQEに転換し、酒池肉林の騒ぎになったりして?

それまでは、ナンピンの資金も尽きちゃったので、布団をかぶって寝ています。。。

世界の金融は、なんでもありの「九龍城砦」化しているのかもしれん。

画像はこちらからお借りしました:https://ameblo.jp/yoshidomotomasa/entry-12676529566.html

ではでは

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落っこちました(生きてます)

まずお断りしますが、別に墜落ではなくて、タクシーウエイの排水溝にメインギアを落として、立ち往生というイタイお話でした。

 

 

でも、転んでもただでは起きたくないので、ウケ狙いのお題にして記事を書き、うさを晴らすのでした。

というわけで、よいこの皆さんはぜひこの記事に「いいね!」してね!

さて、事件は以下の経過をたどりました。

日曜日の朝早く離陸するために、土曜日の午後から早速自宅ブラジリアより車で45分の所にある飛行クラブの飛行機格納庫で一泊。

格納庫には、飛行機を置くスペースの裏に、小さな簡易居住区があり。

そこでワインをいっぱいやりながらまずは空軍へフライトプランを提出。

 
 

 

空軍のサイトでオンライン提出ができます。

 

 

そして、週半ばから計画してきた飛行経路を航空地図で再確認。

今回はホームベースから、Santa Rosa市、 Pe da Serra市、マラニョン川とサル川の合流地を経由してホームベースに帰る経路で、対気速度平均80ノット、向かい風を食らって平均70ノットとして、総飛行時間1時間40分くらい、飛行距離は215キロくらいを計画。地図に書き込んでおいた経路上の地形で、山や平野、道路や川、湖や水たまりがどこにあるかなどを頭に叩き込んで、その夜は酔っ払い、ぐーぐー寝ました。

酔っぱらっているところ。翌日の惨劇を、この時は知る由もなかった。。。

 

さて翌朝。気温6℃、今年一番の寒さ、となることは前もって予想していたので、ヒートテックももひきに手袋、襟巻だ!と防寒対策も万全にして、朝6時からいそいそと飛行機の機体確認を開始。順調に格納庫から飛行機を引き出し、7時離陸にあわせて、のこのことタキシングしたまでは良かったのですが。。。

いよいよ誘導路から滑走路端へ進出しようとすると同時に、ラジオから飛び込んでくる管制と旅客機間の交信に聞き耳を立てて、今日は風向きがブラジリア国際空港とアラインしているから、僕のいるホームベース上空を突っ切ってくる737やエアバスはいないね、と安心し、今日のQNH(気圧)に合わせて高度計を最終調整、さあ滑走路進入だ!というせつな。

がしゃん

あっ!

機体がかたむいてストップ。

瞬時に、うっかり誘導路わきの排水溝に右メインギアを落としちゃった!ことに気づき。

泣く泣くエンジンストップ。さらに泣く泣くAPP(管制当局・ブラジリアアプローチ)に電話して離陸ストップ。

もうちょっとで誘導路から、滑走路までの芝生に行けるところだったのに。。。。

 

 

ぼくのホームベースは、ちょっとした傾斜地にあり、お上(環境当局)から「なるべくコンクリで地面を埋めるな。誘導路とかも最小限にして、かならず排水溝をつけるように」と厳命されているという噂があり。

この辺の丘に降った雨が、ブラジリア全体の給水に重要な地下水になるとかで、排水溝はとても重要らしい。

もちろん溝があることは百も承知なので、はまらないようにいつも注意してタキシングしているのですが、つい管制に気を取られて、いつもより早く右折してしまったというのが真相でした。

格納庫から延びる誘導路。

 

 

排水溝のほか、原生植種の木をひっこぬかないように、誘導路自体を迂回させ。アートな誘導路になりました。

 

 

このアートなカーブの部分が一番落っこちやすいので、赤い矢印のうえにペイントした線より左に主車輪が出ないようにとか、細心の注意を払うのですが、ここを抜けて油断してしまいました。

 

 

ちなみに、僕のハンガーの前には、タイヤが落ち込まないように自前で網をつくったのですが、えんえん130メートル?続く排水溝すべてに。。。。というのもめんどいのでそのままにしていたら、見事に誘導路出口ではまっちゃったのでした。

格納庫の出口付近は、自腹で排水溝を覆う網を付けたのですが。。。

 

 

滑走路目前でうっかり。絶好の飛行日和なのに。。。。。

 

 

ただ、溝なりに、ちょうどスパッツの幅だけ落っこちたので、多少擦り傷がついちゃいましたが、溝の端でちょうど車軸のジャッキポイントを支える感じになり。要はジャッキアップしているような状態で、タイヤや車輪、ブレーキ機構や車軸などに影響が出なかったのが不幸中の幸いでした。

ジャッキアップしてホイールのねじを確認しているところ。

 

 
排水溝の縁が、この写真でジャッキの当たっている車軸部分で機体を支える形になり、事なきを得ました。

一方、人っ子一人いない朝7時の滑走路。すぐそこに管理人のおうちがあるのですが、家族そろって幸せに寝ているところを起こしにも行けないし。。。。(起こそうとしても起きないですけど)。

しゃあないので、格納庫に戻ってふて寝、もできず、アメブロとかをながめ。それでも8時には管理人のお兄ちゃんが起きだして、立ち往生した飛行機を発見。いやーおにいちゃんが起きるまでの時間が長かった。。。。

そこで、2人がかりで飛行機の支柱をささえて、よっこらしょ!車輪を持ち上げて、芝生の上へ置き換えることができました。

以前やっぱりこの溝にギアを落っことしたパイロットがおり、その時はどういう落ち方をしたのか?スパッツ全損、車軸なども要分解、となってしまったことがあるので、二人がかりで慎重に、溝にタイヤが水平に(溝の壁にタイヤやスパッツが当たらないように)、そして押し上げるときはとにかく垂直に。。。。とやったら、すぽんと、全然ダメージなくうまく抜けました。

APP(アプローチ)に連絡してフライトプラン即時提出、その45分後の9時ちょっと、今度はちゃんと離陸でき、のしのしと計画どうり飛ぶことができました。この日は風がとても穏やかで、離陸時間が2時間も遅れちゃったけれど、それほどサーマル等に会わず、いい感じで飛び、着陸することができました。

離陸上昇中。いやいや一時はどうなることかと思いました

 

 

Santa Rosa

 

 

Pe da Serra

 

 

サル川とマラニョン川の合流地点

 

 

乾季初め、まだ緑のブラジリア(6月頃のお話です)

 

 

結局、修理が必要となることはなく。ゆいいつの出費は、飛行機を持ち上げてくれたお礼に、管理人のお兄ちゃんにあげた腸詰のパックでした。お兄ちゃんは怪力で、僕はエサじゃなかった食べ物で、それぞれ提供できるものを提供して課題解決、田舎暮らしのひとこまでした。

腸詰パック。1ドルくらいです

 

 

最後にまじめな考察。ヒヤリハットと言いますが、事故は小さな要因が積み重なって起きるもので、まず排水溝があり、網がなく、ふだんは気を付けていてもこの日は管制と旅客機の交信に気を取られて(こうした交信を注意して傍受するのは重要であり基本ですが)、ほんの数秒注意がそれたその一瞬にタイヤを溝に落としてしまい。今回は事故でもなんでもないですが、いかにふだんからの注意・心掛けが大切かという、とてもよい教訓になったのでした。

プロでもやっちゃうことがあるらしい。

 

 

ではでは。。。。

Posted by 猫機長
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ブラジル大学紀行(その1)

人間生きているといろいろあり。ひょんなことから大学の卒業証書を紛失してしまい、大学に問い合わせて再発行手続きをしました。

このなかで、再発行の申請は申請本人がしなければならない、というルールがあり。ふだん住居にしているブラジリアから1000キロ南にあるサンパウロ市へ、のんきに1泊2日の訪問をしてきました。

のんきにと言いつつ、駆け足でもあり、旅費とかで新たな出費はしたくなかったので、クレジットカードのポイントを使って航空便とホテルはタダにしました。40000ポイントが飛んじゃったけど。

ちなみに、200ドル払えば10000ポイントだけでいいよーん!ということでしたが、その手には乗らないよ~ん!とポイントを湯水のように使って、銀行とカード会社をいじめました。

でも、ブラックカードのポイントを湯水のように使ったのに、予約できたのは早朝5時出発のエコノミー。みみっちいぞサンタンデール銀行!

サンタンデール・ブラックカード。ブラックなんて名ばかりですねえ。

 

 

寝坊しないように目覚まし時計を買いました。

もともと出張族で、2時起き、3時起きなんてふつー、目覚ましなんていらないよ、だったのですが、念のため。。。。そしたら、本当に寝過ごしそうになってしまい。目覚まし時計のアラームで起きました。

朝2時に設定していたのに、アラームが鳴ったのは朝2時15分前でした。ははは

 

 

さっそく支度して、空港に。

空港の駐車場に車を止めます。写真を撮ったのは、ブログ用のみでなく、あとでどの辺に車を止めていたのか分からなくならないように、というのもあります。

 

 

空港の風景

 

 

ラウンジに向かいます。

 

 

受付でカード提示。ブラックカードの特典で無料の利用になっています。

サンタンデール・ブラックカード。

これならアメリカン・エクスプレスより上かもしれん

 

 

いいかんじでシックなブラジリア国際空港のラウンジ。

 

 

時間が時間なので、飲んだり食べたりはせずに、一休みしたうえでゲートに行きました。

風防からパイロットが一生懸命プリフライトチェックしているのがみえました。

かわいそうに、かわりに客席でぐっすり寝てあげるからね。いひひひひ

 

 

機内からの風景

 

 

飛んでいるうちに夜が明け。

高度1万メートルからの風景。ふだんは高度2000メートルですからねー下の写真で違いが判ると思います。

 

 

小さな飛行機に乗っています。

 

 

1時間ちょっとでサンパウロ市に到着。

まるでおろし金の上に浮かぶ大根みたいな感じで、空港へ降りてゆきます。ここでエンジンがストップしたら。。。。

 

 

おしりがむずむず。さいわい大根おろしにはならずに、無事着陸しました。

 

 

 

 

いよいよ大学へ。タクシーで40分くらいでしょうか。

市街地と川に囲まれた、緑いっぱいの学園都市。

https://i0.wp.com/jornal.usp.br/wp-content/uploads/S%C3%A3o-Paulo-2.jpg?resize=1200%2C582

 

 

 

 

経営学部の前に降り立ち。

 

ここまでで、記事が長くなりすぎちゃった!ので、続きは近い将来に回させていただきます。(来週はウクライナと中国の危険な関係についての時事ネタにします)

忘れないうちに、何について書くかというと

経営学部

建築学部

地質学部・社会学部

芸術学部

死体の家

学生寮・学生食堂

サンパウロのお弁当

などなどです。

お付き合いいただき、ありがとうございました。

ごきげんよう。。。。

Posted by 猫機長
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飛行機づくしの短編集

先週は気難しい、数字ばっかり、「ふむふむ」の資産投資の話で、はたして最後まで読んでいただけるか?だったのですが、たくさん「いいね!」いただき、ありがとうございました。今回はもっとぽけっと「わくわく」、短編集でいってみます。

というわけで。。。。①恐ろしいドレン弁のお話、②引っ込み脚と固定脚、③飛行機乗りの格言です。

恐るべしドレン弁

製造から25年(購入からは7年)を経過したこよーて(自家用機の名前)。エンジンを開けてフルオーバーホールし、経年劣化で硬くなったエンジンベッドのゴムなども取りかえて、完璧になったぞ!と、数週間ぶりのフライトをもくろみ。いそいそと早朝から機体のチェックを開始。

こんな飛行機に乗っています

 

 

でも、この時点で、なにか変だぞ?虫の知らせがあり。

というのも、オーバーホールでまたもやマグネトー交換をしたりとか、要は巨万の富をつぎ込んだかなりの大手術が、遂に完璧に完了だ!というだけでも上出来なのに、乾季の始まりではまだめずらしい、雲一つない完璧な青空、無風というこれ以上ないグッドコンディション、ようするに完璧すぎるシチュエーションになり。

ふつーは、やれ風が強いだの、やれ雲が出ているだの、風向きが悪くて滑走路直上にエアバスや737がバンバン侵入してくるとか、離陸しにくくするなにかがあるんですよねーここまで完璧で、いかにも神様から飛べとべー!とけしかけらているようなかんじだと、なにか恐ろしい落とし穴があるんじゃないか?と勘繰りたくなるのです。気のせいか?本当になにかあるのか?

ありました。

ドレン弁からのガソリン漏れを発見。

ドレン弁。燃料の状態を確認する大切なパーツです

水や埃はガソリンより重くタンクの底に溜まるので、エンジンまでの配管にドレン弁をつけて、離陸前の機体チェックの時に少量のガソリンを抜き取って除去します。

 

 

ちょっと写真では見えにくいですが、ドレン弁のガソリン排出コック先のビニール管(写真で黒っぽく変色しているところ)にガソリンが貯まって雫になっており。

 

 

そして床に落ちた雫が地面に染みを作っていたのでした。

ちなみに、燃料タンクから送られてくるガソリンの圧力というのはなかなかのもので、1週間も駐機しているとキャブレターからプラグまでガソリンが染み出て、がぶっちゃうこともあるので、駐機しているときは燃料タンクのメインコックは閉じて、ドレンから先へガソリンが流入しないようにしておきます。

 

 

そして、土曜日の早朝、勇躍してメインコック開け、ドレン弁にガソリンが流入しタンクからの圧力がかかったとたんに、ガソリン漏れが始ってしまったのでした。

ガスコレイタ―(Gascolator)本体内のガソリン点検排出口に汚れが貯まって、ドレン弁コックのパッキン(パチンコ玉みたいなやつ)が密閉しなくなっていました

 

 

これを確認しないで離陸したらどうなるか。

ちゃんとドレン弁が密閉された状況では、こんな感じです。

 

 

ところが、ドレン弁からガソリン漏れがあると、

 

 

燃料系統と上空における外気の気圧差でガソリンが機外に噴射されてしまい、あっというまにガス欠でエンジンが止まっちゃうのでした。

もっとも、今回の程度であればまだまだ安全に飛行できますけど、やっぱり完璧に密閉しないといやですよねー。

いやいやエンジンフル整備の直後、いかにも安心、というときに限ってなんかあるぞ!といつにもまして警戒したのと、別の記事に書きましたが、レストア完成したばかりの世界の名機J3カブが、やっぱりドレン弁のガス漏れで不時着、全損というかわいそうな事故のことが脳裏に焼き付いていたのが大きいかなともいます。

世界の名機パイパーJ3カブ

 

 

「人は、長生きするに従って知識を獲得していくが、飛行機乗りは、知識を持っているやつが長生きする」ですね。はははは

 

②引っ込み脚と固定脚

ランディングギアは離陸した瞬間に単なる抵抗物と化すため、引込めることができれば。。。となるのは進化の必然ですが、引込みの機構(モーター他)はそれこそ「飛行機が一番嫌う重量増加そのもの」だし、だいいち故障でもしたら、ということで、超音速で飛ぶジェット戦闘機はともかく、小型飛行機は引っ込みとするかどうかは永遠の課題です。さる研究結果によると「時速350キロくらいまでは固定脚のほうがよい。これを超えると重量増加や引っ込み機構設置による機体・翼の補強などを考慮しても引込み式のほうが効率的」だそうで、せいぜい100マイル(時速160キロ)で飛ぶ「こよーて君(僕の自家用機)」はもちろん固定脚です。飛行中、操縦席の窓から主脚スパッツがぽかんと空に浮かんでいるのをみると心がなごみます。

こんな感じ

 

 

左が固定脚(こよーて)、右が引っ込み脚(グラマンF3F)

 

 

ちなみに、固定脚でも流線型のスパッツ装着で空気抵抗を10分の1程度に減らせるので、昔の戦闘機には必須の装備でした(そして現在の日曜パイロットには燃費低減のため必須です。ははは)。吉村昭の小説「零式戦闘機」では、96式戦闘機という傑作戦闘機を設計するとき、スパッツの形状を工夫することで、当時の引っ込み脚の戦闘機と同等のスピードを出すことに成功したうんぬんとあり。

96艦戦

 

 

96艦戦は、艦上戦闘機ですが陸上基地でも盛んに使われ。ろくな舗装もないでこぼこの平原で離着陸した昔の飛行機らしく、巨大なメインギアですね。。。

一方、実戦では下の写真のとおりタイヤむき出しで使用されたこともあったようで、陸軍の97戦では、ある記録いわく「戦友が敵陣に不時着し、おもわず自分も近くに着陸し救出した。その日はたまたま整備が間に合わずスパッツをはずしていたため、不整地の強行着陸でも転覆しなかった。人の命なんてほんのハズミで左右されてしまうのですね」。

97戦

 

 

現在でもHOTEL FAZENDA(農場ホテル)等の滑走路は赤土むき出しのところもあり。「ぬきあしさしあし」で離着陸しています。

 

 

③飛行機乗りの格言その2

その1はこちらをどうぞ→飛行気乗りの格言(axiomas-de-aviador)

◎滑走路の長さ、燃料と女性の愛は多いに越したことはない。

Três coisas que nunca são demais: pista, carinho da mulher e combustível.

◎地上にいて飛びたがっている方が、飛んでいて降りられなくなるよりはましである。

É bem melhor estar aqui em baixo desejando estar lá em cima, que estar lá em cima desejando estar aqui em baixo.

◎飛ぶことは危険ではない。危険なのは落ちることである。

Voar não é perigoso. Perigoso é cair.

◎安全に落ちれば危険なことはない。これを着陸という。

Se cair em segurança não existe perigo . A isto chamamos de Pouso.

◎恐怖のひとときは、高価な大型旅客機も最小の価格で購入した部品で組み立てられていることに気づいたとき。

O que me assusta ao voar de avião é imaginar que tudo que está dentro dele foi colocado pelas empresas que ofereceram o menor preço.

◎正しい決断は経験から。そして経験は間違った判断を重ねて得ていくもの。 Decisões acertadas vêm com a experiência, e a experiência vem com decisões erradas.

◎人は、長生きするに従って知識を獲得していくが、飛行機乗りは、知識を持っているやつが長生きする

Na terra, quanto mais se vive, mais se conhece. No ar, quanto mais se conhece, mais se vive.

ではでは。。。

Posted by 猫機長
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前が見えない

飛行機を操縦するうえで、単に操縦かんをぐりぐりというだけではなく、気象、航法、通信など、パイロットは同時並行でいろんなことをやらなければならず。

そのためには、なにが一番重要か?

風速や機速を計算する明晰な頭脳か?飛行機の挙動を瞬時に察知して機体を操る運動神経か?

いずれも重要ですが、もっと大切なものがあるのです。

それが「見る力」

視力ともちょっと違うかも?たとえ2.0の申し分ない視力でも、それほど遠くないチェックポイントが見つけられない人もいれば、ど近眼なのに「あの灯台に向かって飛んでいこう」なんて砂塵にかすむ方向へなにげに飛んでいくと、本当に灯台が見えてきたぞ、なんて人もいます。

もちろん、後者のほうがパイロットの適性があるということである。

自分がどこをどう飛んでいるのかを、その辺の山だの谷だの道路だのから、瞬時に航空図に照らし合わせて、あここにいるね、とわかる能力が重要である。

とある重要河川の合流点。機上からの見え方と航空地図上の記載。いずれも赤丸です。

 

 

この才能は、熟練で置き換えることができます。何度も飛ぶことで、早朝はこんな感じに見えたけど、ちょっと日が昇ったら全然違う感じ。東から来たときはこんなだけど、西から来たらあんなだ、とインプットして、次第に迷わないで済むようになってきます。

最初はGPSにたよって何とか、でも、わざとGPSの画面をオフにして、地文航法で飛ぶように練習するときもある。チェックフライトではGPS使用不可ですからねー。

飛行機によっては、視界が悪くて航法に苦労するのもあり。

ぼくの乗っているこよーてや、セスナなどのサイドバイサイドの高翼機は、見晴らしがよくて、らくちんです。

こよーて(Rans Super Coyote)。サイドバイサイドです。

*隣の素敵女子は婚約者がいました。しくしく

 

 

同じ高翼機でも、PA18だの、タンデムになってくるとやばいぜ!基本、機長は後席になり、それだけでも前方の見晴らしは悪くなるのに、前の人がメタボ体質とかで、文字通り視界を全部覆っちゃう、なんてケースもあるらしい。

パイパーJ3。前の人のほうが小さくてやせ型という、幸せなケース。

 

 

「ジェネアビの神様」高橋淳さんは、「別にこのくらいの飛行機なら前見なくたって操縦できるがね」なんて言っていますが、大きな双発機から曲技機まで乗りこなす達人だから言えることであって、ぼくだったら一発で空間識失調になって墜落すると思います。

でも、それって、飛行機のせいじゃなくて、前に乗るやつが悪いんだよね?

ダイエットしましょう。

上には上があり。

なんと最初から「前が見えない飛行機」もあったのでした。

その名も「ライアンNYP」

https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Spirit_of_St._Louis_at_San_Diego_Airport_DSCN0022.JPG

 

 

視覚障碍者用の飛行機なのか?いやいや、目が見えない人は、飛行機の操縦はできません。

リンドバーグが大西洋横断のために特注して作ったのですが、参考になったモデルがあり。

その名もべランカ単葉機

https://airandspace.si.edu/collection-media/NASM-A19800263000cp03

ちゃんと窓がついています。

 

 

リンドバーグもこの飛行機で大西洋横断をしたかったそうですが、べランカ社側といろいろあり。結局自作機で行くことになりました。

エンジンはべランカ機と同じライト・ホワールウインドを使用。酷使しても文句を言わない「百姓エンジン」だったらしい。

問題は、大西洋横断などという長距離をとぶに当たって、大量に消費する燃料を入れるタンクを、小さな単発機のどこに格納するかとなり。

飛行機は、重量の中心すなわち重心と、推力・抗力・揚力・重力が合わさる空力重心がうまくかみ合わないと、そもそも飛べないか、安定性の全くない危険な飛行機になってしまいます。

例えば、B17を遠くベルリンまで護衛して有名なP51ですが、このために胴体内の変な場所に増加タンクを設置せざるを得なくなり。この増加タンクの燃料がへたに残っていると、バランスが崩れて、戦闘機動どころかまっすぐ飛ぶのさえ危ない飛行機になってしまいました。その点なにげに長距離が飛べた零戦は偉大ですねえ。

http://majo44.sakura.ne.jp/planes/P51/702.html
 

 
燃料を目いっぱい積んでも、飛行特性が変にならないためにはどうすればよいのか?

その①:主翼に搭載しちゃえばバランスを崩さずにとべる。

その➁:なるべく主翼に近い位置の胴体に格納する。

ライアンNYPの場合は、翼内の他に主翼直下の胴体で、操縦席の前の部分は全部燃料タンクにしちゃえ!となりました。

要するに前部胴体がほぼすべてガソリンタンクの状態。

https://ww2aircraft.net/forum/attachments/ryan-nyp-spirit-of-st-louis-1jpg-jpg.498261/

 

 

ふむふむなかなかシンプルでクレバーな解決だね!

でも、気がついたら、機体前面に窓がつけられなくなっていました。ははは

https://www.cradleofaviation.org/history/exhibits/exhibit-galleries/the_golden_age/spirit_of_st_louis.html

 

 

しゃあない、このままいくか。

大西洋横断という狂ったまねをする上では、前方視界が確保できるかは、死活問題ではなくなっていたのでした。

この記事のはじめに「チェックポイントを探して」と書きましたが、どんなに視力がよくても、裸眼で視認できるのはせいぜい70キロ先までの目標(タワーとか識別しやすいやつ)です。

望遠鏡もあるけど、大西洋横断でいったん海に出ちゃったら、前後左右それこそ見渡す限り海になってしまい。

見えない目標に向かって飛ぶために、推測航法を行いました。

飛行機の速度と飛んでいる方角から、今この辺をこっちに向かって飛んでいるな、と計算し。一見奇跡的ながら、ほとんど計算どうりに、まいごにならずに飛んだらしい。

*この成功には、リンドバーグが郵便機のパイロットだったことがかなり決定的に影響したらしい。

一方、前の見えない飛行機なんて、さすがにできそこないすぎじゃね?とライアン社の人たちが悩んだかどうか?とある工夫で、不完全ながらなんとか前を見ることができる機構を開発し。

それは「潜望鏡」

以下に、ライアンNYPの操縦席の写真を掲載します。

緑楕円の部分が伸び縮み式の潜望鏡。写真は伸ばしたところで、赤丸の部分に前方の景色が映るようになっています。

https://www.si.edu/object/nasm_A19280021000

伸ばしたままだと空気抵抗もはんぱないので、よっぽどでなければ格納したまま飛んでいたと思われます。

こうして、ひねた片目のカニ、というか、飛行機のくせに潜水艦みたいな恐ろしい飛行機になってしまったライアンNYPですが、そのくせ大西洋横断にはこれ以上ない合理的な飛行機だったのでした。

カニの目じゃなかった潜望鏡

https://twitter.com/jack19998/status/846323667579486210/photo/1

 

 

◎小型の単発機。当時の長距離記録機は多発エンジンが多く。もちろん一発が壊れてもなんとか不時着できるぞ、という理由ですが、リンドバーグからみれば、一発でも壊れた時点で長距離飛行は断念だし、それより絶対壊れない、VWカブト虫みたいなエンジンを一発だけ積んだ小型機のほうがガソリンの消費が少なくていいじゃん、となった。

「壊れなければどうということはない」。

世界の名車かぶと虫

 

 

◎陸上機であえて洋上を飛ぶ。やっぱり何らかのエンジン不調や、迷子になっちゃった!というときに、水上機であれば着水してゆっくり天測、ができるが、リンドバーグから見れば、着水なんて余計なことをした時点で新記録は望めない。燃費も落とせ、エンジンの性能を最大限に発揮できる陸上機以外の選択肢はなかった。

◎この結果、すべてうまくいけばこれ以上合理的な飛行機はない、けれど、何かがうまくいかなければ、即行方不明という、やけくその飛行機になってしまったのでした。

ついでながら、飛行性能を高めるために、尾翼、特に水平尾翼をちっちゃくしてしまったため、安定性が得られず。まるでBf109とかF4Uか?みたいになってしまい。

それにしても、こんなできそこないの飛行機で大西洋横断なんて、きっとリンドバーグはよっぽど悪いことをして、とにかくアメリカを脱出だ!と追い込まれていたのかもしれん。うまく成功して有名人になったので、過去の悪行は帳消しになったとか。

なあああんて!

幸いうまくゆき。

33時間の飛行の後、見事パリに着陸。

最初の一言は「英語話せる人いる?」その次が「トイレどこ?」だったそうです。

トイレのないライアンNYPで成し遂げた偉業。

前が見えなくても大西洋は横断できる、というプラグマティズム(実利主義)の権化みたいな事例でした。

郵便機の世界。宝塚「サン・テグジュペリ」

https://www.bilibili.com/video/av33353628/

 

ではでは。。。。

 

Posted by 猫機長
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B29によって築かれたエアライン運航の基礎

B29って何?アメリカの巨人爆撃機のことです。

と、説明しなければならないほど戦争は過去の話になり。

ぼくが幼稚園ぐらいだったかの昔は、当時の大人たちが語った「暗い夜に空襲警報が鳴って、サーチライトに照らされたB29の上や下に、ぼっかんぼっかんとまるで当たらない対空砲火。地上は猛火で荒れ狂い、みんな防空壕に逃げ込んで震えていた」という恐怖体験が身近なこととして残っていました。

サーチライトに照らされるB29のイメージ図

https://wararchive.yahoo.co.jp/airraid/detail/26/

 

 

日本から2356キロ離れたサイパンという島がアメリカに取られた時点で、当時の東条内閣は責任を取って総辞職しました。その理由には「サイパンの滑走路から飛び立つB29の行動半径に東京含め日本の大部分が入ってしまう」ためというのが重要な部分を占めていたと言います。

そして、B29に多数の都市を焼き払われ。

この時点で降伏していればいいものを、ずるずると黙殺だのなんだのと引き延ばしたため、原爆を落とされて終戦になりました。

その原爆を落としたのもB29です。

というわけで、(アメリカから見れば)B29は対日戦争終結の最大級の功労者であり、対独戦争終結の最大級の功労者であるB17とともに、世界中の飛行機マニアから尊敬を集めては、実はいなかったりします。

B17は、「大空の女王」「空の要塞」と呼ばれる有名な飛行機ですが、B29は?「超空の要塞」という呼称があるにはあるけど、それでどうなの?というかわいそうな扱いになってしまっています。

その理由はなぜか。この記事で真相にせまります

さて、結論を先に書いてしまうと、「B17は戦争終結の原動力になった」一方、B29は「戦争という状況を利用して、戦後の金もうけに向けた実験台となった」からと理解しています。

なんだそりゃ?

B17と、B29、それぞれ行ってみます。

◎B17

Pixabay無料画像

 

 

B17は、もともとが1930年代に、「東海岸、西海岸と長大な海岸を防衛するために、船(戦艦)よりスピードがものすごく早く、どこの海岸が攻撃されてもすぐ飛んで行って悪い敵の戦艦に弾をぶち込むことができる飛行機」というコンセプトで開発がスタートしました。

つまり、空を飛べる戦艦ということで、大砲の替わりに爆弾を、となり、その結果人呼んで「空の要塞」となりました。

でも、実は海岸防御などではなく、大西洋をひとっ飛びして悪いナチや共産主義者をぶち殺してやれ!と画策していた(これを、戦略爆撃と言います)。

当時、アメリカは孤立主義、すなわちヨーロッパのことなんて知らないよーん、という政策が国民から支持されていたので、戦略爆撃で欧州攻撃だ、なんて飛行機は許可が下りなかったのでした。

こうした言いかえは現在でも続いており、日本でも、最初は病院船だったのが、気が付いたら戦闘機を乗せた空母になっていた、という例もあったりします。

「いずも」。実は空母としてはいろいろあって機能せず、次世代で本物の空母を作るための訓練用・実験用だ、という意見もある。

https://www.mod.go.jp/msdf/jmp/index.html

 

 

というわけで、実は渡洋爆撃でよその国の工業地帯を爆撃し麻痺させてやるぞーという悪だくみを実現させるために作られたのがB17だったのでした。

このため、以下の特徴がある飛行機になりました。

―とにかく落ちない。尾翼が吹き飛ぼうが敵戦闘機が衝突しようがお構いなしに飛び続け「死なない奴が生き残り、勝つ」という、小学生の作文みたいですが究極の真理を体現した。ろくに戦闘機の援護もないままヨーロッパ奥地まで侵入し、対空砲火、迎撃戦闘機などあらゆる防空網にボコられまくり、一時は総出撃機数の3分の1に及ぶ損害をだしながらも、ドイツの恐るべき工業生産力に致命傷を与えるまでにボコり返し、凄惨な「殴り合い」をねじ伏せて勝利しました。

 

 

―数の暴力:200機を超える大編隊でドイツに侵入した

―航続距離:ドイツのすぐ近くにイギリスという滑走路があったので、重爆撃機としては実用的な距離といえる半径960キロの円内にベルリンを収めることができた。でも護衛戦闘機にとっては遠すぎ、長距離戦闘機が開発されるまでは敵戦闘機から一方的にボコられた。

http://ktymtskz.my.coocan.jp/E/EU5/app3.htm

 

 

これらは、すべて敵に勝つためであり、搭乗員の快適さとかは考慮しきれないところもあった。

B17の側方銃座。高度8000メートルで吹きさらしなので、電熱服でぬいぐるみ状態、酸素マスクでかろうじて呼吸しています

(https://secure.boeingimages.com/サンプル画像)

 

 

◎B29

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B29の場合は、B17と同じことをやれば勝てる、という事はすでに分かっていたので、さらに付加価値をつけよう、となったらしい。

B17の戦訓で得た結果から、新たな悪だくみが盛り込まれました。

1-高空を飛べば、中高度で飛ぶDC3のように、乱気流に巻き込まれて、乗客がきゃー!なんて騒ぐ恐れも少なくなり。寒いが気流は穏やかである(あるいは一定している)ことが分かった。→与圧室の設置により、半そでシャツでも快適に飛べるように改良。

B29の与圧隔壁

 

 

いまどきの旅客機。与圧によって、ハイヒールでも飛べるようになりました(www.independent.co.uk)

 

 

ただし、日本戦闘機(マニアの人へ:屠龍です)の37ミリ砲弾一発が操縦区画に命中し、与圧が抜けて急に零下何十度の世界になってしまい。だれもケガしなかったけれど、「このままでは11人の冷凍人間が出来上がってしまう!」と、飛行機自体は全然飛べるのに、11名の搭乗員は脱出やむなき、なんて、与圧したばっかりに、意外に打たれ弱い、ひ弱な一面も生まれてしまったらしい。

 

2-無数の巨人機を運用する空港施設や、管制のノウハウを蓄積した。

左はグアム島ノースフィールド(https://www.jiji.com/jc/d4?p=bsf226-0906251234090&d=d4_mili)。右はアトランタ空港(https://www.hisour.com/ja/airline-hub-37949/)

 

3-どうせ戦争はすぐ終わる。エンジンとかは寿命が短くてもいいや(アメリカ人の見方。日本のエンジンよりしっかりしていた)。そして、いろいろな新機構を試してみよう。→安普請で大量生産を計るとともに、大型旅客機製造に向けた各種データ取得に貢献。ただし、その後旅客機含めエンジンはジェット化しちゃったけど。

安普請ではあるが機体構造の不死身さは継承した。https://makkiblog.com/b29_fcs/

 

4-世界はわれらのものだ!サイパンから東京へ行って帰ってこれる航続性能。そしてこれだけの距離を迷子にならずに飛べる航法装置。後にニューヨーク・パリの5830キロ等を定期便のアメリカ旅客機が飛ぶうえで重要な実験台になった。

戦後の巨人旅客機、ロッキードコンステレーション(Pixabay無料画像)

 

 

つまり、B29というのは、実は戦争なんてどうでもいいや、その後の世界の航空輸送を牛耳ってやるぜー!というアメリカの恐ろしい野望を体現した飛行機だったのである。

ヨーロッパも日本も死に物狂いになって戦争している中、こうゆう戦後の金もうけのための実験台をのうのうと作っているいやらしさから、B29はB17に劣らない貢献をしているのに、あまり好かれない飛行機になってしまっています。

もちろん、戦争道具としてもすごいところもあり。

例えば、遠隔機銃

https://www.sun-inet.or.jp/~ja2tko/jap/ok_b29.museum.html
 

 
詳しい技術は良くわからないけれど、リモコン方式、かつコンピュータ制御で自動的に敵機の経路を計算して、射手は照準器に入った敵機に向けて引き金を引けば、機銃のほうで勝手に見越し射撃をやってくれるという恐ろしい装置です。

その当時日本がやっていたことは

竹槍訓練。ははは

 

 

ここまで読んで、そんなことないよ!アメリカも必死になって日本に勝とうとしていて、B29が戦後の旅客機の参考になったのは、あくまで副産物だよ!という人がいるかもしれません。

たしかに、必死と言えば言えば必死でした。

でも、必死さのレベルがぜんぜん。。。。というかんじであり。

1945年7月の雑誌TIMEの表紙。戦争?なにそれ?

https://www.ebay.com/itm/304101850719

 

 

ミリオタサイト「兵器生活(http://www2.ttcn.ne.jp/~heikiseikatsu/index.html)」によると、8月15日のニューヨークタイムズでは「前日のナ・リーグ野球の結果は以下の通り。パイレーツ7-ブレーブス5(第一試合)、パイレーツ6-ブレーブス2(第二試合)。ジャイアンツ5-レッズ2。カーズ2-ドヂャース1」なんて掲載していたそうです。

最後に、B29の旅客機バージョンです。

ニューヨーク・ロンドン間5,578キロを、1947年には飛んでいたらしいが、こちらもB17じゃなかったコンステレーションの影にかくれて、いまいち知名度が?だったらしい。

Bill Larkins – B377unitedSFO, CC 表示-継承 2.0, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=29362764による

 

 

http://www.ovi.ch/domains/ovi.ch/public_html/b377/

ではでは。。。

Posted by 猫機長
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ワインを殺す食べ物

結論からいれば、令和の時代では、そんな食べ物はありません。どんな食べ物でも、ワインに合うご時世になっています。

「和」つながりで、昭和の時代ではそうはいかず。ワインを殺す食べ物であり、絶対ワインと合わせてはいかん!というのはいくらでも存在していました。

たとえば

チョコレート:苦いぞ!

ピーナッツ:金属みたいな?味になっちゃう

お醤油で調理した食べ物:えぐいぞ!

おさかな:ヨードチンキを飲むみたいになっちゃう

キムチ:からいからい!

などなど。

さすがに飲む人はいないだろうが、うがい薬としては使われたといううわさも。

https://www.askul.co.jp/p/P102280/

 

 

昭和というか、平成か?「ワインは魚介類に絶望的に合わない(美味しんぼ)」とか、さらにはもっと陰険なのもあり。

こわいな。。。。

https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1397922053

 

ところが、2022年の今日では、人々の味覚も変化したみたいで

◎「ワインとチョコレートは相性抜群!おすすめのペアリングを高島屋バイヤーがご紹介」(https://www.takashimaya.co.jp/shopping/gift/story/food/FA18986/)

いわく

「どちらもポリフェノールを含んでいます。ポリフェノールはワインの渋みのもとであり、チョコレートにおいては苦みのもと。それぞれの味わいにも大きく関係するポイントですね。糖分の割合が似ているワインとチョコレートを選ぶと、相性がよいと言われています。甘口のワインには甘めのチョコレートを、辛口のワインにはビターなチョコレートを選ぶのがおすすめですよ。」

へえー

 

◎「味噌・醤油に合うワイン5選」(https://mariage.wine-temiyage.com/great-wines-for-miso-soy-sauce/)

いわく

「和食を象徴する味噌・醤油には、ワインは難しいという説があります。たしかに味噌・醤油は風味にインパクトがあるので、その風味が前面に出た料理には、合わせるワインに注意が必要です。ここでは、味噌・醤油に合うワインについてご紹介します。」

ふむふむ。

https://www.enoteca.co.jp/article/archives/20220112143725280/

 

 

◎【2021年お正月に考える】数の子に合うワインは無い説は本当か?独特な角度から検証してみた!(https://nihonwine.jp/enjoy-wine-life/kazunoko/)

「ブドウ畑の環境によって海外のワインは日本のワインに比べて鉄分が多いかもしれない…という話です。

鉄分ゼロのワインはないものの、海外のワインに比べれば甲州やマスカット・ベーリーAなどの方が魚介類に合わせやすい可能性があるわけです。」

なるほどなるほど。

 

 

あまり悩まない、自然な組み合わせもある

 

 

往時の「チョコレートはワインに合わない」から「チョコレートはワインと相性抜群!」へと、180度逆転ですが、どちらが正しいのか?

結論は「どちらも正しいです」

なぜかというと、メタバースの時代の地球は、ギロチンの時代の地球とは違ってしまっているためです。

マリー・アントアネットがキツネ狩りを楽しんでいた時代は、ダイオキシンだのなんだのと、空気を汚す物質は存在しておらず。

当時のロンドンみたいな、人間の糞尿が垂れ流しの大都会ならいざ知らず、おフランスの貴族たちがのこのことお遊びに行くシャトーだの別荘だのは、自然そのものの環境が残っており。

そしてその自然は「石と砂漠のアラビア」ではなくて、ちょっと寒いけれど、人間の生活に適した、優しい温帯の明るい林だったりします。

そんな、清浄そのものの空気にあふれた別荘で飲むワインなので、ピーナッツだと、わあああー錆びたナイフみたいだーと、ものすごく繊細なレベルですが、しかしわかる人には耐えられないDesarmonizationとなり、おえええーとせっかくの超高級ワインを吐いちゃうことになったのだと思います。

喜多川歌麿「教訓親の目鑑(めがね)  俗に言うあばずれ」

 

 

さて、メタバース時代の大阪(東京でもよいです)だとどうなるか。

すさまじい排気ガスの香り。ごった返す人々の喧騒。「そこの車止まりなさい!ぴーぽーぴーぽー」などの雑音で、頭の中がガンガンとぶん殴られたようになり。

仕事でひいひい言いながらも、やっと昼休みだ!化学調味料や添加物でいっぱいの、味もへったくれもないコンビニの弁当。フランス貴族が食べていた「牛フィレ肉のポワレ 季節の温野菜とマスタードソース オレンジの香りを纏ったブールパチュー パセリを添えて」とは比べるべくもなく。

要するに、現代人の鈍化されまくった味覚、嗅覚では、せっかくの超高級ワインも、飲むほうで真の味を感知できなくなってしまっているのである。

一方、ギロチンの時代は、自由放任(レッセフェール)の重農主義なので、本物のワインを飲めるのは、王様や貴族しかおらず。その他大勢はお徳用のアルゼンチン製紙パックワインみたいなのしか飲めないので、マリアージュは、貴族のたしなみとして一部の人たちに限定されたものだった。

アルゼンチンのテトラパックワイン

https://cornershopapp.com/pt-br/products/oyyy-vinho-tinto-termidor-1l-caixa-1000-mililitros-3w8-carrefour-bairro

 

 

ところが産業革命以降、世界の全人類が商業活動に参加。あらゆる物品が商品となり、全人類がその商品を購入するお客さんとなり。

そうなると、風光明媚、空気清浄なお城でキツネ狩りを楽しむ少数の貴族だけに許されたアートな飲み物、というのでは商品として成り立たなくなってしまい。テトラパックでもいいから、ともかく大量生産、薄利多売で利ザヤを稼ぐ、という世の中になってしまいました。

どうせみんなロクな味覚も持っていないので、マリアージュもへったくれもなくなり。また、チョコやピーナツはだめですよ、というのでは購買者が限定されて、大量販売ができなくなってしまう。

というわけで、2022年のワインは数の子だろうがキムチだろうがなんでも合いますよーというふうに進化したのでした。

Photo AC
最強のマリアージュは、卵とごはんですねーぼくは黄身だけ乗せて白身はカリカリに焼いちゃいます。
おっとワインじゃなかった。。。

 

 

ここではあえて「進化」とします。

なぜ「退化」ではないのか?

それは、味覚なんて、結局各個人の自由に帰するものだからなのです。

ブルゴーニュのシャトーで貴族がキツネ狩りを楽しんでいた時代に、ワインとピーナツはだめよね、という常識があったとしても、スモッグにむせぶ現代では、あらたな常識が否応なく生まれているのです。

例えば、「力強い赤ワインで、チョコレートの苦みが強調されて、どちらもひきたつ」という意見。フランス貴族の時代の音楽が、モーツアルトの交響楽とすれば、現代の若者には、Led Zepperinのヘビメタこそミュージックだ!(ちょっと古いかな?)となるように、毛色は違っても音楽であることには違いはなく。

現代でも、フランス貴族と同じくらい繊細な人もいることはいる。

たとえば、「かな先生」みたいな、調律されつくした音楽の達人とか。

 

 

マリー・アントアネットだったらげーげー吐いちゃうような組み合わせでも、竹中平蔵だったら、おいしいね!なんてなるのだと思います。

そういう僕は、週末をエンジンの排気煙でむせぶ飛行機格納庫で過ごしています。

そんなハンガー(格納庫)では、サラミにチーズ。サラミのどうしようもない脂っこさと、チーズのこれまたバターみたいなくどくどのとろみに、ウルタナ(あるいはチリの赤)のタンニンがざらざら、脂っこさを中和して、至福ですねー、とか楽しんでいます。

 

 

さて、こんな飲み方は許せん?でしょうか?ぼくはそうは考えません。キツネ狩りの貴族は、茨だのなんだので擦り傷だらけになりながら、せいぜい馬に乗ってぽっこぽっこと地上を這いずり回るくらいしかできない、かわいそうな存在ですが、現在では、小さな、自分の体の一部みたいな飛行機で、鳥みたいにその辺を心ゆくまで飛び回り、着陸して地上の存在に戻る。その時に飲む、ガソリンの香りがする荒くれのワインと、やっぱり荒くれたサラミにチーズが、「牛フィレ肉のポワレ 季節の温野菜とマスタードソース オレンジの香りを纏ったブールパチュー パセリを添えて」よりもずっとおいしいごちそうだったりします。おっと「牛フィレ肉のポワレ・・・・」とかは食べたことはないですけど。ははは

こんな飛行機に乗っています

 

 

最後に「日本のワインは鉄分が少ないからおさかなと競合しない」については「鉄分のないワインなんてワインと言えるのか?だから日本のワインはダメなんだ」というふうに話がねじれてしまう事を恐れるので、ここでは「ワイン自身の資質の変化」については、上記引用のほかは、お題から外しました。

ではでは。。。

 

Posted by 猫機長