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W杯:日本チームに応援すべきか?

すべきでない、と言って物議をかもした共産主義者のおっさん(東京都区会議員)がいた一方で、ドイツなど本物の文明国では「氷点下のW杯サッカー、熱気乏しく 人権重視しボイコットの動き―ドイツ(外部リンク・時事通信)」なんて、カタール大会の意義そのものを問う(そしてそんな大会に出るドイツチームなんて応援してやらんという)動きもあったりして。

このへんを、Q&AサイトのQuoraにおいてつらつら書いてみました。以下、お題として提示されていた質問2つと、ぼくなりの回答です。

なお、本稿におけるW杯ポスターの出典はAFPニュース(https://www.afpbb.com/articles/-/3170004)です。

イタリア、1934

 

さて、Quoraです。

ドイツに勝って幸先のいいスタートを切ったものの、コスタリカに敗北。どうなる日本?

質問その1:サッカーW杯2022コスタリカ戦の敗因は?

回答:W杯ともなると、試合の結果には、単にチームの実力だけではなく、応援する国民のそして国の経済・社会状況が影響して、W杯での成績に反映されるケースがあるようなのです。

ブラジルの例で言えば、70年の3冠達成の時がまさに「ブラジルの奇跡(的経済成長)」の頂点であり。78年にアルゼンチンに優勝をさらわれたあたりからおかしくなり、その後はハイパーインフレに陥りましたが、92年の米国で優勝し、同じくしてレアル政策で躍進しました。

ドイツが日本に負けたのも、「人種差別を認めたW杯ではないのか?そんなW杯を盛り上げていいのか?」と自問自答し、悩んでいる結果が出てしまった。これから「このW杯で勝つことは、ナチの過去に戻ることではない」と吹っ切れれば、スペイン相手に7対1で勝ったりして?

この回答を読んだ皆さん、2年後に日本の経済社会はどうなっているでしょうか?恐ろしいハイパーインフレにあえいでいるでしょうか?あるいは日本だけ世界で独り勝ちの躍進になっているでしょうか?

ブラジル、1950

 

 
その後、日本は見事予選突破。

https://www.nikkansports.com/entertainment/photonews/photonews_nsInc_202212020000361-2.html

 

 
ベスト8まで進めば、なんとブラジルと試合の可能性が。

そのブラジルは。。。。

質問その2:ワールドカップを観ていて、やはりブラジル代表のプレイに一番ド肝を抜かれるのですが、彼らは何が違うのでしょうか?また、他国の代表がああなることは不可能なんでしょうか?

回答:貧富の差が激しいブラジルでは、「シテイ・オブ・ゴッド」でも提示されている通り、とても学校にいけない貧民層が多く。

そんな家庭の親父は、サッカーの試合になけなしのお金を賭けて、勝てば酒を飲んで奥さんや子供を殴り。負ければ倍殴るという生活です。親父のゲンコツから逃げ出した子供の生きる道は、何とか中流階級のいる地区に潜入して、商店などから寄付をお願いすることですが、単に寄付をお願いしても相手にしてくれないことが多いので、タウルス拳銃を向けて「お金ちょうだい。じゃないとあなたに事故がおこりますよ」という、強制的な寄付をお願いする生活になってしまいます。

https://www.russoairsoft.com.br/revolver-taurus-.38-spl-rt-85s-oxidado-brilhoso

 

 
もちろん、そういう行為は、世間では犯罪なので、商店主の方で今度は用心棒を雇い。

夜陰にまぎれて少年たちを先制攻撃で間引いてしまいます。

ブラジルでは、慢性的な貧困があり。こうした少年たちが無限に生まれてくるので、片端から間引いていくのですが、時に、特殊技能により、こうした地獄の連鎖から逃れることのできる少年たちもいます。

もうお分かりと思いますが、こうした少年たちが天性の才能で、ブラジルでしか生まれない「すごい選手」になったりします。

もちろん上記は極端な例で、中産層出身の名選手もいますが、だいたいは、上記ほどでないにしてもハングリー精神にあふれた、要すれば育ちの違う少年たちなので、これを超える選手、というのは日本では難しいと思います。

でも、ブラジル人の中でも、こうした実情から、ワールドカップは、いたたまれなくてとても見れない、とテレビを消す人もいます。

一方、「世間では犯罪とみなされる」生活を送る少年たちでも、特にいじけたところもなく、おなかがいっぱいであれば、ピストルなんて忘れて、楽しくサンバを踊っています。これがブラジル独特の身のこなしになるのだと思います。

楽しいサンバ

 

 
選手になっても、決して、お金のためにいやいやサッカーをやっている、というのではなく、お金がなくてもやっぱりサッカーやってんじゃん、というところもあり。サッカーを口実に地獄のような家庭にしてしまうクズ親父もいる一方で、サッカーというスポーツが、地獄の社会から人を救い出すなにかも持っている、というところだと思います。

ブラジルも含め格差・貧困のない世界になることを、願っています。

スペイン、1982

 

 

暗い話題ばっかりだったので、W杯にも楽しめる部分があるにはある、というお話も行きましょう。

構図、という言葉があります。

この言葉は、芸術家にとって、恐ろしいパワーワードなのです。

どんなに才能あふれる芸術家でも、構図のない絵を描いてしまうと、けっきょくほにゃららな小学生の図工なのか、名作なのかわからないものになってしまいます。

いちおうおことわりしますが、ぼくは絵画から感性を排除する気は全くありません。でも、感性こそすべて、という人に限って感性なのかその場の気分なのかわからないままに漫然と絵をみて「感動した気になって終わり」という恐ろしい世界に落ちいってしまうと理解しています。まず理性に照らし合わせて、さらに理性を超える魂の世界に入る、ほうがよいと思っています。。。。

ソ連じゃなかったロシア。2018

 

 
で構図ですが、3分割構図、対角線構図、三角構図、キアロスクーロ(レンブラント様式)、シメトリー構図、色による構図(補色、反対色など)その他無数にあり。いえることは、名作はこれらの無数のオプションから、選び抜かれた構図をもって「カドの立った寿司」みたいな切れ味を実現している、ということでしょうか。

ひらめきで一気に、ということもあるのでしょうが、多くの場合は何枚も何十枚もデッサンをかさねて、構図を考え抜いて。。。というのが名画を通じて伝わってくると思います。

究極のファッションのごとく、なにげにコーディネートしているけれど、細部まで鍛え(考え)抜かれ、選び抜かれた構成が自然にかつ魂の奥底に迫るインパクトで見るものを圧倒する。フォービズムや現代アートでは、この「優しさいっぱいの自然さ」を放棄してグロテスクなやつもあるけど。

構図のお手本といえば、ダビンチの晩餐だのいろいろあるのですが、しかしその最高峰は、なんと日本人なのでした。

その名も「葛飾北斎」

出展:https://artscape.jp/study/art-achive/1205252_1983.html

 

 
北斎さんが、考え抜いてこの構図を構築したのか?あるいはその場のノリでやったら結果こうなったのか?本人に聞くことはできないのですが、緻密な構図になっています。日本画の場合は大首絵(上半身アップ)みたいな固定化した構図とか、犬図みたいな禅の世界(あっぱらぱ)も多いのですが、あっぱらぱに見えても名画は構図もしっかりしている、と思います。

上記は絵画といういわゆる2次元アートの世界ですが、人間の運動というお題で、極限のアートが見れるのがW杯だった。

サッカーマニアのみなさん、ここでぼくが「浅野琢磨のシュート」を引き合いにだして称賛すると思ったでしょうか。

https://www.yomiuri.co.jp/pluralphoto/20221123-OYT1I50182/

 

 

へへん残念でした。たしかに日本人離れした蹴り込みでしたが、そんなのぜんぜんへろへろへなちょこのあっぱらぱだよーん、という恐ろしいアートが存在しているのです。

それが「ベベトのゴール」

「米国ワールドカップにおけるベベト選手のゴール」のことです。決勝進出をかけたすさまじいプレッシャーの中、なにげに地面を転がっていく一直線のシュートが、キーパーの指先10センチ、ゴールポストから10センチをかすめてゴールに。動画(外部リンク)ご覧ください。こういうなにげにふつーのシュートを打てる人が最高の芸術家かもしれん。

画像出展はhttps://internacional.estadao.com.br/

 

 

なお、このゴールには、ロマリオという、マラドーナを真人間にしたらこうなる、というのが、ゴ◎ブリみたいにからんでいますが、マニア向けのお話なので、ここでは省略。

3000字を越えました。

次のワールドカップでは、SDGが本当に達成されて、安心して日本に応援できるようになっていたらいいですね。

ではでは。。。

 

Posted by 猫機長
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日本がリードしていた戦前のエアライン

以前、B29は、実は爆撃機ではなく、戦後の大量航空輸送を実現するための実験機であり。 爆撃機として使用されたのは軍から予算をもらうためにすぎず、トーキョー・エクスプレスと呼ばれた爆撃行で貴重な運航データを得、ついでに爆弾も落としてきた、という事を書きました。

「そんなことあるかい!ふんぎゃー!」と怒る人も多数と思います。

私の母も、横浜六角橋で空襲から逃げまどった世代であり、B29の爆撃は、ついでだよーん!なんてふざけたことを書くな!と言いたい気持ちはよくわかります。

 

 

でも、アメリカにとって、戦争なんて対岸の火事。レンドリースで産業を大開発し、切りのいいところで真珠湾攻撃によりうまく日本に参戦のきっかけをつくってもらい。週刊空母だのグラマンだので大儲けの、ようするに戦争自体が目的ではなくて、戦争を口実に、いかに儲けるか、だったのは、戦後のアメリカの覇権を見れば明らかと思います。

アメリカが目を付けた戦後の産業の一つに「長距離大量航空輸送」があり。

金儲け以前に、戦略的・安全保障の意味合いも強いのですが、この記事の本題ではないので、ここではスルーします。

さて、戦前には「大規模航空大量輸送」はなかったのか?

エアラインという存在があるにはあった。

典型的な例として「ロンドン~ニューデリー」を見てみます。

*以下「中島航空機博物館(外部リンク)」に迫力ある説明がありますが、そこから情報や画像を拝借しています。

まずは、ロンドンからジェノバまで、陸上機の「アームストロング・ホィットワースアーゴシー旅客機(乗客20名)」で飛んでいきます。

かっこわるい飛行機。
 
つぎに、ジェノバからアレキサンドリア(エジプト)まで、ショートS.8「カルカッタ」飛行艇(乗客12名)で飛んでいきます。

やっぱりかっこわるーい。

 

 

アレキサンドリアから最終目的地のインドまでは、デハビランド DH66 “ハーキュリーズ”旅客機(乗客14名)で飛んでいきます。

多少はかっこいいか?

 

 

お疲れ様でした。果たして何日かかかったのか?

だいたい、乗客がたった14名では、とても採算が取れないのは明白で、この定期便の場合は、大英帝国がいかに遠い植民地であっても、いつでも到達できるぞ!と世界を恫喝するための手段という意味合いが強かった。要するに、日本のローカル路線もびっくりのめちゃくちゃ赤字、税金を使いまくりでなんとか補填していたという、こまったエアラインだったということである。

ちなみに、今日のロンドン~ニューデリー便は、アメリカン航空で平均8時間40分、¥58,806で行けるらしい。これは直行便なので、乗り継ぎ含めたLCCだともっと安くなるかもしれん。機材の記載はなかったのですが、B777あたりと思われます。

果たして、飛行機3機を乗り継いだ命知らずの冒険、富裕層の酔狂でしかなかったエアラインが、今日の、ねこもしゃくしもお手軽お気軽に利用する路線バスみたいになるなんて、当時のだれが想像できたでしょうか。

よっぽどずるがしこく、中国人もびっくりの強欲で、ロシア人よりも血も涙もない、目的達成には手段を択ばない、そんな人種でなければ想像できないですよね。。。

でも、想像したやつらがいました。

それは「皆殺しのルメイ」に代表される「アメリカ人」

もともと大陸国のアメリカ。開拓のために幌馬車で何日も移動しているうちに、食料がなくなり、「ドナー隊の遭難」みたいに、ついには人肉を食べて生き延びた、なんて事態も発生しており。もし、迅速、安全に、大量の人々を長距離輸送できたら。。。。という悲願が、アメリカ人のDNAに刻み付けられていた。

そのDNAが作り上げた恐るべき成果の萌芽にDC3があり。

「大空の豚丼」として知られるDC3ですが、アメリカ人は、DC3の生産によって、イギリス人が息も絶え絶えロンドン~ニューデリーを運航していた時代に、いつかはお手軽大量輸送がくるぞ!という手ごたえを感じたことと思います。

世界の名機DC3(Pixabay無料画像)

 

 

なぜDC3か?そしてなぜ豚丼か?については、長くなるので別記事にします。ここでは、幌馬車よりよっぽどいい、飛行機という輸送手段があるぞ!という画期的な気づきがあった、という事を特記しておきます。

でも、飛行機なんて水ものですよねー、という恐ろしい課題に直面し。

当時の飛行機は、有視界飛行で、せいぜい高度5000メートルを飛ぶしかなかった。ということは、雨だの曇りだのという場合はそもそも離陸できなかったり、途中で入道雲に行く手を阻まれて引き返すしかなくなった、なんてことは日常茶飯時で、青空でもサーマルなどで、がんががん!きゃー!なんて、快適とは程遠い、やっぱり命知らずの旅になってしまい。

皆さんが、東横線で中華街に行こうとして、東京出発の時点で「CB(積乱雲)が出ていますので出発を1時間遅らせます」そして出発したはいいが「やっぱりCBが出てきたので、出発地に引き返します」なんてやられたら「崎陽軒に行けなくなっちゃうじゃないかー!代わりにシュウマイ持ってきて食わせろ!わぎゃぎゃぎゃー!」と大騒ぎになると思います。

https://kiyoken.com/

要するに、採算のための最も基本となる定時運行、反復輸送の見込みが全く立たなかったのである。

ところが、ヨーロッパ人が戦争を始めたおかげで、これらの障壁をぶち破る可能性が生まれ。

まず、レーダーはじめ無線・電波通信の発達により、肉眼で見えるはるか先の気象を探知でき。ゆうゆうと積乱雲とかを避けるのみでなく、それほど揺れない層雲であれば、すっぽり中に入っても地上から電波で誘導してもらい、計器飛行ができるようになった。つまり、雨だのなんだので出発時間を遅らせたり、引き返すなんてことがなくなった。

大型爆撃機の開発で、大型輸送機の原型を軍が提供してくれた。特にエンジンの著しい性能向上は偉大な貢献をもたらし、長距離を高速で安全に飛ぶことができるようになり、洋上飛行でも飛行艇にする必要はなくなった。これは、どこから流れ弾が飛んでくるかわからないから防弾チョッキを着て歩かなければならない紛争地域から、どこでもドアで東京にぽんとまよいこみ、防弾チョッキなんてもういいやあ!と投げ捨てるくらい、飛行艇から陸上機になって身軽(効率的)になれたという事です。

きわめつけは、排気タービン過給機と与圧装置の開発で、高度1万メートルまで上昇し巡航することができるようになったこと。この高度では、ジャップの戦闘機が上がってこれないだけではなく、気圧が低くてスピードが出せ、燃料の節約になることと、入道雲だのなんだの気流をかき乱すものが少なく、意外に揺れないで飛行できるぞ!という、お客さんを手なづけるための決定打を得ることができた。

与圧が決定打となったいまどきの飛行機(BUSINESS INSIDER)。

 

 

これをB29で体験・学習・実験し、今日のエアラインにつなげたという事である。

めでたしめでたし。あれ?めでたくなしめでたくなし?

しかし、アメリカ人の戦後輸送より先に、大量エアライン輸送を実現していた恐ろしい国があったのです。

なんと、日本でした。

大東亜共栄圏における連絡網を確保するために、横浜を起点として1941年7月には、横浜~サイパン~パラオ、横浜~バンコク線、赤道を超えてはるばるチモールまで民間旅客機を運航していたというから驚き。当時の「大日本航空(鶴のマークの会社とは別物です)」の「民間精神旺盛な」パイロットたちが「胸に翼型の金モールをつけた紺色のダブルの背広に半長靴という制服に身をつつみ、颯爽として南方の空に飛びたった」なんて痛快ですねーただ戦局の悪化に伴い、軍事作戦にいやおうなく飲み込まれていったらしい。(引用元は:飛行艇パイロットの回想 -横浜から南太平洋へ―必読です- http://www.aero.or.jp/web-koku-to-bunka/2009.09.15koshida2.htm)

運航に使われたのが、97式大型飛行艇。

    かっこいいなあ

 

 

南洋の島では、女性ばかりの、それはその、まあ楽しい島とかもあったようで、そんな往年のパラグアイみたいな島にちょくちょく寄っていたりしたらしい。

わくわく、どきどきー!

 

 

こちらの話も、機会があったらまた詳しく?書きたいと思っています。なお「チャイナクリッパーや、シコルスキー S-42はどうした!」とかの突っ込みは禁止です。

3000字越えで打ち止め。

ではでは。。。

 

Posted by 猫機長
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ビットコイン・リーマン級の激震

このブログは「アーリーリタイア」すなわち経済的自由を主題の一つとしているので、今回は時事ネタで「ビットコイン・リーマン級の激震」ですが、いつも訪れていただいている素敵女子等の多数からは「なにそれおいしいの」だと思います。

そうした素敵女子たちに、素敵な歌の動画をプレゼント!なので、見てね!でも、できたら、ビットコインのお話も最後まで読んでいただけたら、きっとためになる情報だと思います。

そして、ぜひぜひ「いいね!」してね!コメントもうれしいです。

 

 

さて、本題です

2022年11月。

超優良とみなされていた暗号資産交換所FTX Trading Limitedがものの見事に破綻し。

「負債総額は数百億ドル、債権者は10万人以上とメガトン級だ。市場規模は違うが、2008年のリーマン・ブラザーズ破綻と同じような状況といえば理解しやすいだろう(現代ビジネス:「仮想通貨」は”地獄絵図”へ…! FTX「破綻」で待ち受ける「ビットコイン投資家」たちのヤバすぎる末路…! (msn.com))」という惨劇が現実に。

2021年の11月10日、最高値6万9千ドルをつけていたことに比べれば、その凋落は著しく。今年の11月16日時点で1万6千ドルになってしまっています。

危うしビットコイン!

こうした状況から「黙示録の騎士」と呼ばれる「ビットコイン大嫌い勢力」は大喜びで、「やーいやーいもうビットコインなんて消滅だー!」と大騒ぎしています。

世界の終わりを暗示する、黙示録の四騎士

 

 

さて、本当にビットコインは消えてなくなってしまうのでしょうか。

FTXは「顧客資産を自身の関連企業の融資の原資として利用する愚行(現代ビジネス)」を犯した。

そんなやくざな商売をするビットコインの取引所からは逃げて、もっと手堅い投資をしましょうね、と、もっと健全な投資先に移った方がよいのでしょうか。たとえば、善男善女の老後を守る「年金基金」とかだったら、ビットコインみたいなばくちではない、堅牢なからくりになっているはずですよね。。。

ところが、つい最近「英国年金基金ショック」が起き。イギリス発の大暴落が世界市場を襲ったことは記憶に新しいと思います。

こちらは、日本経済新聞によれば、「ライアビリティー・ドリブン・インベストメント(LDI=債務主導投資)という運用戦略をとる年金基金において2~4倍のレバレッジをかけ。損失がかさんで取引相手方の金融機関からマージンコール(追加担保の差し入れ要求)を突きつけられた。支払いのための現金を捻出するために、保有資産の多くを占める物価連動国債を含めた国債、社債や海外株式の売りに動いたとしている。(英年金基金の損失、最大25兆円に 米証券が試算: 日本経済新聞 (nikkei.com))」

あれ?お客さんの老後のために集めたお金でレバレッジ投資なんかしていたの?

健全な投資だったら絶対やっていはいけない用途にお客さんのお金をつぎ込んでいた、という面ではFTXと変わらないのでした。

年金基金の管理者は、利率は低くてももっと手堅い投資の利益で基金を運営しなければならないのですが、長らくのマイナス金利とかで、レパレッジに手を出して利鞘を稼ぐしかなくなってしまっていた。

QEで資金じゃぶじゃぶのうちはよかったのですが、最近の異次元利上げでお金が潮を引くように減少してしまった(金融収縮)時、レパレッジで冒険していた分が今度はマイナスとなってのしかかり。今回のショックを引き起こしてしまいました。

要すれば、猫もしゃくしも破綻のご時世なのである。

ここまではファクトの羅列ですが、実は、ビットコインをめぐって、取引所と米国証券取引委員会(SEC)がつるんで利権をむさぼろうとしていたのが、実は今回のFTX破綻の真の理由だ!という人さえおり。

そもそもビットコインは分散型の金融モダリティであり。

ビットコイン(とその信奉者)が一番嫌うのが、中央集権管理とか規制とかいう言葉である。

なのに、なぜか?FTXのリーダーであるバンクマン-フリードCEOは、これまで仮想通貨の規制に前向きで、SECとも良好な関係を維持していたとされています。

バンクマンCEO https://voi.id/ja/bernas/150135/read

 

 
FTXは、MLBで大活躍の大谷翔平選手などを「アンバサダー」として起用し。クリーンなイメージを社会にアピールしていましたが、「規制に前向き」というのも、健全な組織です、というプロパガンダじゃね?と、「規制大嫌いの原理主義ビットコイナー」からはうさん臭げに見られていたらしい。

もっとも、バンクマンさんくらい有名人になってしまうと、時の権力に協力しています、というそぶりだけでも見せておかないとやばかったのかもしれませんが。

そぶりか、本気か。ごめんなさいポルトガル語でした。ははは

 

 
ただ、そぶりにしては真剣で、なんかSECのゲーリー・ゲンスラー委員長と大の仲良しになりつつあった、といううわさもあり。しかし、仲良しになり切れず?バンクマンさんが切り捨てられた形になった、のかもしれません。

さて、SECとFTXのからみに付いては、そのへんのYoutuberなどから出てきた情報なので、あくまで楽しい創作童話、くらいに理解しておいていただきたのですが、要するに何が言いたいのかというと、きょうびなにがうさん臭い投資で、なにが健全な(安全な)投資なのかわかりませんよ。みなさん気を付けましょうね、という事です。

ゲンスラーSEC委員長 https://bittimes.net/news/105425.html

 

 
白も黒も分からない状況で、資産を守るためには、どうしたらいいのか?

何が危険をもたらし、何が利益をもたらすかを見通すことができればいいのである。

今回の騒動は、要すれば仮想通貨取引所の破綻である。

仮想通貨取引所にお金を預けていた人は大恐慌に陥っていると思います。

でも、このブログの読者の方はお分かりと思いますが、事態としては、取引所と一般のお客との間で力関係が違いすぎるだけではなくて、「規制を受けない」仮想通貨の場合は、国家も警察も力になってくれないよ!と以前から警告していたことが現実になっただけだった。(FTXの場合は、企業がでかすぎて政府も傍観はできなさそうですけど)。

警告の内容をもうちっと詳しく書いた記事はこちら→「ビットコインのETF」

ビットコインは、投資種目としては大化けの可能性を秘めているけれど、それはビットコインをお題としたETFなどに投資して、取引所関連のリスクをETF管理者が請け負ってくれる状況だから(比較的)安心して投資できるのであって、直接現物としてしまうと、はっきりいってホットウオレットだけでなくコールドウオレットも大して安心できないという恐ろしいばくちに身を投じてしまうことになるのです。

一方、こんな恐慌状態でも心強いのは、ビットコインのアルゴリズムに重大な欠陥があったわけでもなく、ビットコインの土台は全然揺らいでいないということです。これも前に記事に書きましたけど、今回の事件も結局はブロックチェーンを使う人間がしでかしたへまに過ぎない。

あとは、投資する金額ですねーなくなってもいい金額、なんてないけれど、なくなっても生活や投資計画を維持していける程度の金額にとどめておくべきと理解します。

でも、こうしたお金が、いつか奇跡の大暴騰を始めたりして。投資家の「スラング」では「市場に雷が走る瞬間」と言いますが、その雷が雷を呼んで、世紀の大激震(もちろん爆上げという意味ですよ)をもたらす日を、えへらえへらと待っています。

本当は去年(2021)の年末くらいを期待していたのですが、今や圧倒的金融収縮の時代に入ってしまったので、雷が光るのはもしかしたら10年先になってしまうかも?

仕込んだ苗が枯れ木になってしまっても、枯れ木に花が咲きましたー、なんて日が来るのを期待しています。

さて、前代未聞のQTで阿鼻叫喚にみえる市場も、意外に早くまたQEに転換し、酒池肉林の騒ぎになったりして?

それまでは、ナンピンの資金も尽きちゃったので、布団をかぶって寝ています。。。

世界の金融は、なんでもありの「九龍城砦」化しているのかもしれん。

画像はこちらからお借りしました:https://ameblo.jp/yoshidomotomasa/entry-12676529566.html

ではでは

Posted by 猫機長
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落っこちました(生きてます)

まずお断りしますが、別に墜落ではなくて、タクシーウエイの排水溝にメインギアを落として、立ち往生というイタイお話でした。

 

 

でも、転んでもただでは起きたくないので、ウケ狙いのお題にして記事を書き、うさを晴らすのでした。

というわけで、よいこの皆さんはぜひこの記事に「いいね!」してね!

さて、事件は以下の経過をたどりました。

日曜日の朝早く離陸するために、土曜日の午後から早速自宅ブラジリアより車で45分の所にある飛行クラブの飛行機格納庫で一泊。

格納庫には、飛行機を置くスペースの裏に、小さな簡易居住区があり。

そこでワインをいっぱいやりながらまずは空軍へフライトプランを提出。

 
 

 

空軍のサイトでオンライン提出ができます。

 

 

そして、週半ばから計画してきた飛行経路を航空地図で再確認。

今回はホームベースから、Santa Rosa市、 Pe da Serra市、マラニョン川とサル川の合流地を経由してホームベースに帰る経路で、対気速度平均80ノット、向かい風を食らって平均70ノットとして、総飛行時間1時間40分くらい、飛行距離は215キロくらいを計画。地図に書き込んでおいた経路上の地形で、山や平野、道路や川、湖や水たまりがどこにあるかなどを頭に叩き込んで、その夜は酔っ払い、ぐーぐー寝ました。

酔っぱらっているところ。翌日の惨劇を、この時は知る由もなかった。。。

 

さて翌朝。気温6℃、今年一番の寒さ、となることは前もって予想していたので、ヒートテックももひきに手袋、襟巻だ!と防寒対策も万全にして、朝6時からいそいそと飛行機の機体確認を開始。順調に格納庫から飛行機を引き出し、7時離陸にあわせて、のこのことタキシングしたまでは良かったのですが。。。

いよいよ誘導路から滑走路端へ進出しようとすると同時に、ラジオから飛び込んでくる管制と旅客機間の交信に聞き耳を立てて、今日は風向きがブラジリア国際空港とアラインしているから、僕のいるホームベース上空を突っ切ってくる737やエアバスはいないね、と安心し、今日のQNH(気圧)に合わせて高度計を最終調整、さあ滑走路進入だ!というせつな。

がしゃん

あっ!

機体がかたむいてストップ。

瞬時に、うっかり誘導路わきの排水溝に右メインギアを落としちゃった!ことに気づき。

泣く泣くエンジンストップ。さらに泣く泣くAPP(管制当局・ブラジリアアプローチ)に電話して離陸ストップ。

もうちょっとで誘導路から、滑走路までの芝生に行けるところだったのに。。。。

 

 

ぼくのホームベースは、ちょっとした傾斜地にあり、お上(環境当局)から「なるべくコンクリで地面を埋めるな。誘導路とかも最小限にして、かならず排水溝をつけるように」と厳命されているという噂があり。

この辺の丘に降った雨が、ブラジリア全体の給水に重要な地下水になるとかで、排水溝はとても重要らしい。

もちろん溝があることは百も承知なので、はまらないようにいつも注意してタキシングしているのですが、つい管制に気を取られて、いつもより早く右折してしまったというのが真相でした。

格納庫から延びる誘導路。

 

 

排水溝のほか、原生植種の木をひっこぬかないように、誘導路自体を迂回させ。アートな誘導路になりました。

 

 

このアートなカーブの部分が一番落っこちやすいので、赤い矢印のうえにペイントした線より左に主車輪が出ないようにとか、細心の注意を払うのですが、ここを抜けて油断してしまいました。

 

 

ちなみに、僕のハンガーの前には、タイヤが落ち込まないように自前で網をつくったのですが、えんえん130メートル?続く排水溝すべてに。。。。というのもめんどいのでそのままにしていたら、見事に誘導路出口ではまっちゃったのでした。

格納庫の出口付近は、自腹で排水溝を覆う網を付けたのですが。。。

 

 

滑走路目前でうっかり。絶好の飛行日和なのに。。。。。

 

 

ただ、溝なりに、ちょうどスパッツの幅だけ落っこちたので、多少擦り傷がついちゃいましたが、溝の端でちょうど車軸のジャッキポイントを支える感じになり。要はジャッキアップしているような状態で、タイヤや車輪、ブレーキ機構や車軸などに影響が出なかったのが不幸中の幸いでした。

ジャッキアップしてホイールのねじを確認しているところ。

 

 
排水溝の縁が、この写真でジャッキの当たっている車軸部分で機体を支える形になり、事なきを得ました。

一方、人っ子一人いない朝7時の滑走路。すぐそこに管理人のおうちがあるのですが、家族そろって幸せに寝ているところを起こしにも行けないし。。。。(起こそうとしても起きないですけど)。

しゃあないので、格納庫に戻ってふて寝、もできず、アメブロとかをながめ。それでも8時には管理人のお兄ちゃんが起きだして、立ち往生した飛行機を発見。いやーおにいちゃんが起きるまでの時間が長かった。。。。

そこで、2人がかりで飛行機の支柱をささえて、よっこらしょ!車輪を持ち上げて、芝生の上へ置き換えることができました。

以前やっぱりこの溝にギアを落っことしたパイロットがおり、その時はどういう落ち方をしたのか?スパッツ全損、車軸なども要分解、となってしまったことがあるので、二人がかりで慎重に、溝にタイヤが水平に(溝の壁にタイヤやスパッツが当たらないように)、そして押し上げるときはとにかく垂直に。。。。とやったら、すぽんと、全然ダメージなくうまく抜けました。

APP(アプローチ)に連絡してフライトプラン即時提出、その45分後の9時ちょっと、今度はちゃんと離陸でき、のしのしと計画どうり飛ぶことができました。この日は風がとても穏やかで、離陸時間が2時間も遅れちゃったけれど、それほどサーマル等に会わず、いい感じで飛び、着陸することができました。

離陸上昇中。いやいや一時はどうなることかと思いました

 

 

Santa Rosa

 

 

Pe da Serra

 

 

サル川とマラニョン川の合流地点

 

 

乾季初め、まだ緑のブラジリア(6月頃のお話です)

 

 

結局、修理が必要となることはなく。ゆいいつの出費は、飛行機を持ち上げてくれたお礼に、管理人のお兄ちゃんにあげた腸詰のパックでした。お兄ちゃんは怪力で、僕はエサじゃなかった食べ物で、それぞれ提供できるものを提供して課題解決、田舎暮らしのひとこまでした。

腸詰パック。1ドルくらいです

 

 

最後にまじめな考察。ヒヤリハットと言いますが、事故は小さな要因が積み重なって起きるもので、まず排水溝があり、網がなく、ふだんは気を付けていてもこの日は管制と旅客機の交信に気を取られて(こうした交信を注意して傍受するのは重要であり基本ですが)、ほんの数秒注意がそれたその一瞬にタイヤを溝に落としてしまい。今回は事故でもなんでもないですが、いかにふだんからの注意・心掛けが大切かという、とてもよい教訓になったのでした。

プロでもやっちゃうことがあるらしい。

 

 

ではでは。。。。

Posted by 猫機長
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ブラジル大学紀行(その3・完結編)

さて、サンパウロ大学紀行第3弾、行ってみます。

やっと完結です。あーよかった

もっと飛行機の話を書け―!とかのリクエストや、もしか墜落して飛行機壊しちゃったの?といういじわるなかんぐりに答えて来週は「◎っこちました」です。こうご期待。

さて。

第1弾と、第2弾まででは、ひょんなことから大学の卒業証書を紛失し、新たに発給する申請のために、現住所のブラジリアからのこのこと大学のあるサンパウロに移動し、古巣の経営学部での申請のてんまつや、大好きな建築学部のことなどなど書かせていただきました。

今回は、建築学部からちょっと歩いたところにある地質学部からはじめさせていただきます。

この広いスペースで、授業の間の休み時間ぽけっとしていました。

 

 

でも、地質学部の学生だったのではなく。地質学部の目の前にある社会学部に在籍していました。

経営学部じゃなかったの?卒業後社会学部に受験したら、受かりました

でも、その時は社会人で、昼は働いていたので、夜間部でした。

そのうちリーマン生活が忙しくなり、中途退学。かなしいな

その社会学部はこちら

何の変哲もないチープなバラックなのでした。

 

 

経営学部の異常な防犯システムに比べ、どこかの公衆トイレみたいな寂れようです。社会学なんて、世間は興味を持たないんですね。かわいそうに。。。。

またのこのこと経営学部に戻って、芸術学部に向かいますが、通り道に、なんかすさんだ倉庫があり。

 

 

これが、恐ろしい「死体の家」です。

なぜか、医学部の分館になっており。ぼくの学生時代は、医学研究で使う検体がフォルマリン漬けになって大量に保管されていた。

皆さんキュウリのピクルスをご存じですよね?きゅうり色になってひなびた人間の体が漬物になっている倉庫、と思っていただければよいかと思います。

こんな感じ

 

 

ただ、上記の通り「保管されていた」であって、今回通りがかったときは、窓から見える倉庫内も、きれいにパーテーションで区切られて、ただの事務室になっていました。つまんねーなー。

でも、その事務室も、昔は赤ちゃんのピクルスで埋まっていたなんて、事務員の人は知っているのでしょうか。。。。

そもそも医学部は学園都市から離れたサンパウロ市の中心近くにあり、謎の倉庫だった。

学生時代はちょくちょく医学部にも遊びに行っており、そこには身元不明遺体の確認を行う霊安室(SVOC)もあり。運ばれてきた女性の、眠っているような遺体に恋を。。。なんてなりそうになったので、行くのをやめました。

*念のため。みなさんぼくがここに書いていることのすべてが本当だとは思っていませんよね?ほんとうのこともありますけど。

さて、芸術学部です。

この辺は、哲学部とならんで、ねじの外れている(狂人とは書かない)ひとびとの巣窟です。

らりったりしてはおらず、とても常識的なのに、突然ぞっとするようなことを言い出したりする人々のいるエリアです。

常識的ですが、らりっているとしか思えないきてれつな服装で歩いたりしています。

でも、中身は至っていいやつばかりです。というのも、後で出てくる学生寮での同室者が芸術学部の学生だったから、よくわかるのです。

らりっていないのに、らりっている人々を凌駕する、恐ろしい種族です。

さて芸術学部の建物自体はいたってふつーで、特筆できる特徴は無し。

 

 

ここには音響図書館?とかがあって、ヒトラー時代のドイツ音楽とかを聴きに行ったりしていました。個々の図書館は、ブラジルでも有名なグラフ雑誌を克明に保管していたりして、そういうのをあさるのも楽しみだったですねー、どんな記事を探していたかは、なぜか忘れてしまいました(ポルノではない、まっとうな雑誌です。念のため)。

次は学生寮。

公立の大学なので、めぐまれない学生のために、身の上調査で確認し、その時「貧乏人探知機」で「人間の屑」と認定されれば、在学中は無料で住める学生寮がありました

懐かしい学生寮。6階(最上階)に住んでいました。

 

 

部屋の隅にコンロを据えて、ソーセージ焼くぞー、と大喜びしていたら、煙がドアの隙間から流れ出して廊下に充満して、危うく火災探知機が作動しちゃうところだった!などの思い出が。。。。

そもそも学生寮居住者は自炊はするな、ということになっており。寮の間に学生食堂がありました。

今もあった。

まだ11時ちょっとなのに、学食の門が開くのを列をなして待っています

 

 

ぼくはこんなにあさましくなかったよーんだ!

でも、この辺りは、本当に腹を減らして、学食を食べるために大学に入ったような育ちの悪い、人間の屑ががうじゃうじゃしている地獄の一丁目なので、気を付けましょう。

そこかしこに、共産主義的な張り紙が。よいこはこの辺をうろつくのはやめましょう。

大体大学生活の思い出はこんなかんじですかねー学園都市をふらつくのにも疲れて、ホテルのある町の中心にいきました。

ところが、なんちゅうチープなホテルじゃ!

まるで紛争地域の街角かとまがう景色。

今回の旅は、旅費を浮かすためにクレジットカードのポイントを使ったのですが、天下のブラックカードのポイントでこんな恐ろしい、日雇い労働者のドヤ、木賃宿みたいなところしか予約できないのか?

フロントにいくと、アテンドのお姉さんが、いかにも身がまえて、あなただれ?みたいな感じだったのですが、サンタンデル銀行からの予約です、といったら、急にすごい親切になり、タクシーだのなんだの丁寧に手配してくれました。

ぜんぜんだめなのか、すごいのかわからないサンタンデール・ブラックカード

 

 

サンパウロでのお楽しみは「お弁当」

もちろん日本みたいなやつのことです。

とはいっても、日本の弁当とはいかない、ひなびたお弁当ですが、でもそのくたびれたところが大好きだったりします。

こんな感じ

 

 

このお弁当を買うために、わざわざ地下鉄に乗って東洋人街まで出かけたのでした。

地下鉄

 

 

東洋人街

 

 

 

 

ちなみに、ブラジルの地下鉄のいいところは、切符を買っちまえば、どこからどこまで乗ろうがいっしょなこと。

日本みたいに、みみっちく区間を制限して、あそこまでは190円だけどここからは100円だ、などという気の狂うような細かさはなく。

せめて地下鉄ぐらいのんびり乗りたいですよね。。。。。

でも、切符はスーパーのレジペーパーみたいなみみっちいやつでした。

 

 

というわけで、今回の目的である大学での用事は達成し、翌日朝7時の便で帰ることに。

以下、サンパウロ(コンゴニャす空港)の風景

 

 

ラウンジの風景

ブラジリアに比べてチープなラウンジ

 

それでもゲートの混雑に比べれば数段ましで、くつろげました

日本みたいに人が多いサンパウロ空港のゲート

 

 

構内バス?で飛行機まで移動。

 

 

737にくらべて機首のデザインが間延びしたかんじのエアバス

 

 

窓から

 

 

つい、隣の飛行機の車輪に目が行っちゃうんですよね。

ちゃんとねじを締めてるんだろうかとか。。。。

 

 

と言っている間に、ブラジリアに着陸していました。はしょりすぎか?

フラメンゴFCのグッズのみ売っている要注意な店があり。

 

 

その隣に、他のチームのを売っている店がありました。あーよかった

 

 

駐車場に戻ってきました。

ここから車でアパートに帰りました。

ではでは。。。。

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賢く強いパラグアイ女性

以前の記事で「日本女性が1番!外国の女性も、日本で育って日本女性に変身していればOK。でもパラグアイ女性は日本で育っていなくてもOK」ということを書きました。

このブログを読んでいる素敵女子やナイスガイのおねえさん、あんちゃんたちは、なんでパラグアイなの?と思ったかもしれません。

その理由をここに書いてみます。

現在のパラグアイ

 

 

昔むかしの1864年。

日本では新選組だの黒船だのと大騒ぎしていた時代。

南米大陸は事実上大英帝国の経済支配に置かれていました。

南米の豊かな資源をイギリスに送り、世界の工場大英帝国で生産された工業製品を南米に売りさばく。こうしてイギリス、南米双方の上流階級がトクする構造が出来上がっていました。

ブラジル、アルゼンチンといった大国は、農業や畜産をする土地も豊かで、開発もうまみがあったので、英国も喜んで貿易(搾取とは言いません)し、現地の支配階級といい感じでなかよしになっていました。

でも、これらの国の大多数の人々は、プランテーション大農場の奴隷労働で搾取され、「生涯現役」で死ぬまでこき使われるという状況だった。

そんなブラジルを眺めて、戦慄していたのがパラグアイの人たち。

パラグアイは国も小さいし、内陸でアクセスも困難なので英国人もあまり干渉してこなかった。要するに埼玉県もびっくりのど田舎だった。

今日では都会もある。首都アスンシオンの街並

 

 

しかし、それは狡猾な英国の支配から何とか逃れられているということでもあり。すぐとなりのブラジルの人たちが、労働の糧をほとんど奪い取られてイギリス人に二束三文で買い叩かれてしまっている現実に戦慄し。

「このままでは、パラグアイはブラジルになってしまう!」

あわてふためいているところに、強力なリーダーが出現。

その名もロペス親子といいました。

父のほうはカルロス・アントニオ・ロペスといい、イギリスの関心が向いていないのをいいことに、じゃんじゃんパラグアイを工業化し、教育を推進。息子のソラノ・ロペス大統領の代では、南米でも最も早く蒸気機関車(というか鉄道)が走り回り、多数の留学生がヨーロッパから持ち帰った先進的な自由の思想がいち早く広がった、ヨーロッパの国ともまがう先進国へと変身していたのでした。

現在でも英雄のソラノ・ロペス。1000グアラニー紙幣

 

 

このとき、隣のブラジルは、旧態依然とした奴隷と大地主の二層構造が続いており。そしてこの二層構造こそが、ブラジル・英国双方の上流階級がトクをするための土台となっていた。

要するに、南米における先進国の出現を望んでいない英国と、奴隷と大地主の二層構造による搾取によって栄華を誇っていたブラジルの上流階級にとって、パラグアイは、好ましくない、不都合な真実を突き付けてしまったことになり。

この時点で英国とパラグアイはともに天を戴くことのできない存在になってしまいました。

この結果、例によって英国主導?のパラグアイいびりがはじまり。いじめに耐えられなくなったパラグアイは、ウルグアイ、ブラジル・アルゼンチンを相手に開戦を決意。パラグアイ戦争がはじまりました。

アルゼンチンはパラグアイに同情的で、せっかくの前途有望な南米唯一といってよい先進国にダメージを与えたくなかったらしく、いかにもわざとみたいな感じで連戦連敗を重ね。きりのいいところで、ウルグアイと共に戦争を離脱しました。

果たして、パラグアイはブラジルやアルゼンチンの領土割譲による、海への輸出回廊を得ることができるのか?という快進撃を続け。

ソラノ・ロペスによる「グラン・パラグアイ」構想。海への出口を獲得し、大工業輸出国になるのが悲願だった。https://br.pinterest.com/pin/731412795708956984/

 

 

ところが、ブラジルの支配層が大反発し。

大規模奴隷農場の産品をイギリスなどに売りさばくことで大儲けしていたブラジルの支配層には、自由な市民が工業生産で繫栄している国なんてのが隣にいたら、自国の奴隷がまともな生活を求めてみんな隣に逃げて行ってしまうので、パラグアイなんて絶対許せない疫病神になってしまい。

イギリスから提供された小銃や大砲などで、パラグアイとがっぷり四つの死闘に入りました。

当時パラグアイは世界最新といえる装備で、この戦いに勝たなければ明日はない!と決死の覚悟で戦っていたため、最初は優勢でしたが、そのうちブラジルの物量に押されて総崩れになり。

パラグアイ復活の芽を摘んでおきたい英国とブラジル上流階級は、徹底的にパラグアイを蹂躙しました。

ソラノ・ロペスはセーホ・コラーという場所で敗死してしまいましたが、殺戮はしばらく続き。ブラジルのような奴隷社会を容認しないパラグアイの兵士が全滅するまで続きました。

ブラジル陸軍最大の危機「ラグーナの退却戦」

http://ebacervo.eb.mil.br/items/show/293

 

 

この結果、パラグアイの人口は半減してしまい、特に成人男子は80%が死亡という恐ろしい事態に。

パラグアイは南米の中でも最貧国の一つに転落。今日に至るもその傷は癒えていないと理解します。

-〇-

パラグアイ戦争が終結した1870年から150年以上がたちました。

現在のパラグアイは、ブラジルのGDPの40分の1ほどの国力ながら、少しづつ発展を続けています。

*ブラジル、アルゼンチン、ウルグアイ、パラグアイのGDPの総和を100とすると、80がブラジル、16がアルゼンチン、残りの4をウルグアイとパラグアイが分け合っていると言われています。

パラグアイの復興を支えたのが、「パラグアイの女性」です。戦争で荒廃しきった焦土を、男勝りの奮闘で生き抜き、労働し、家庭を支え、子を育てました。

南米では「パラグアイの女性」という言葉は、良妻賢母、働き者、逆境に耐え抜く強靭な精神と、仁愛にあふれた優しい性格を併せ持つ理想的な女性の代名詞となっています。

パラグアイの女性。5グアラニーの紙幣。

 

 

パラグアイの女性と並ぶことができるのは、日本女性だけかもしれません。

パラグアイ戦争で戦ったブラジルの軍人には、パラグアイの自由民主的な思想(ソラノ・ロペスは独裁者でしたが、ブラジルの帝政に比べてよっぽど開明的だった)に影響を受けた高級将校や、ブラジル軍を構成する奴隷の活躍に、一般兵の間でも奴隷という身分を否定して皆等しく自由であるべきという思想が芽生えるなど、のちのブラジル帝政の廃止と共和制の発足など、ブラジルが近代自由国家として発展するにあたっての重要な契機をあたえ、南米全体でも大きな影響を与えた歴史的な事件であったと理解します。

https://oglobo.globo.com/esportes/analise-paraguai-impos-desafio-que-faz-selecao-brasileira-sofrer-23770051

 

 

パラグアイは、インディオの血を引く文化を大切にし、学校教育でも、スペイン語と並ぶ公用語としてグアラニー語を教えています。2020年での人口は713.250.000人、男性人口が女性人口を上回るまでに回復しました。サッカーはブラジル、アルゼンチン、ウルグアイの強豪国に囲まれて、技術ではかなわないので「ケンカサッカー」ですが、一方「優しさとアルパの国」としても知られています。

Arpa Paraguaya

ではでは

 

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ブラジル大学紀行(その2)

この記事は「その1」の続編です。こちらも見てね!

さて、ひょんなことから大学の卒業証書を紛失してしまい、大学に問い合わせて再発行手続気をするため、ブラジリアから1000キロ南にあるサンパウロ市へ移動、のこのこと大学学園都市に到着しました。ここからがいよいよ今回の記事になります。

地上はこぎたないけれど、上空からみれば美しいサンパウロ

 

 

いよいよ大学へ。タクシーで40分くらいでしょうか。

 

 

市街地と川に囲まれた、緑いっぱいの学園都市。

https://i0.wp.com/jornal.usp.br/wp-content/uploads/S%C3%A3o-Paulo-2.jpg?resize=1200%2C582

 

 

 

 

経営学部の前に降り立ち。

 

まず駐車場を覗きました。学生時代、駐車に失敗して、後ろの車にどちん!管理の人に、ぐわおう!と怒られてしまった記憶があり。ぼくの車はかぶと虫、後ろのは巨大なピックアップだったこともあり、こちらのエンジンフードがへこんだだけで、向こうは無傷でしたが。

世界の名車かぶと虫。(大学当時はまた別のかぶと虫に乗ってました)

ぶつかっても自分がへこむだけで相手は無傷の、心優しい車です

さて、建物に戻り。

守衛の人に身分証明を提示して、建物内に。学生だった頃はこんな厳重なガードはなかったのに?学長とかがよっぽど悪いことをやって、人に恨まれているのかもしれん。

かわいそうに。。。。

 

 

その学長が署名した卒業証書を申請に来たのですが、まだ業務開始前だったので、学部内を散歩しました。

教室の風景

 

 

なんかモダンすぎる、今どきのレイアウト

 

 

こちらは、昔のままでした (ぼくの学生時代は、プロジェクターはなかったけど)
 

 

この踊り場で、新入生の演芸大会があり。

 

 

こちらの広場では、美人コンテストがあり。ぼくが票を入れたペルー人の美人は、一回戦で落ちちゃいましたけど。。。。

 

 

そろそろ受け付け開始の時間だ!二階に上がってまずは申請費用を払いました。

廊下にあった教師陣の写真

 

 

こちらの東洋人のお姉ちゃんは、コンピューター言語関連(プログラム作成)の講師でしたが、いわく「2点をつなぐのに、直線でつなげばいいのに、なぜ、考え付くあらゆる迂回を行った上、遠回りでつなぐようなコマンドを作るのか?」と怒られました。一番最短のつもりだったんですけど。。。。

 

 

こちらの西洋人のおばさんは、経営理論の教授さんで、とあるテストのときに、ぼくだけ最後に一人残ってしまい。「ちょっとまってー」「とっとと回答を書いて出せ!」となんどか待ってもらった挙句、解答用紙を差し出した記憶があります。お題は、「将来の雇用はどうなるか」みたいな感じで、「将来は機械が人間を代替するだろう。仕事は機械に任せて、人間は思考活動に専念するべき」みたいなことを書いたら、100点満点中80点をもらいました。

 

 

休み時間になり、子供たちと出くわしました。

 

 

申請書類をしかるべき部署に提出。卒業証書再発給までに6か月くらいかかるとのことで、じゃあまたくるねー、と退出しました。

えらいもったいぶりますねえ。でもそれだけ箔の付いた卒業証書だぞ!ということと理解して、おとなしく引き下がるのでした。

きょうびどんな証明書も電子化されて、スマホをかざしてはいOK、のご時世なんですけどねー

大学学園内をのこのこ歩きました。

学園都市の地図

https://puspc.usp.br/mapa-campus/
 

 
まず、経営学部の裏手にある建築学部。

 

 

ここは守衛さんはいましたがほとんどフリーパス。貧乏学部でロクな財産もなく、泥棒も興味を示さないらしい。

かわいそうに。。。

とにかくだだっ広いけど、なんかかっこいい建物。

 

 

巨大な教室。

 

 

高校2年の時、腕試しで建築学部を受けました。1次試験をぎりぎりで受かって、実技試験は大学に来い!ということで、これらの教室のどこか忘れましたが、集合。お題は「靴を脱ぎなさい」で、みんな「ええええーそんなエロいことするの?」試験管「馬鹿野郎、脱ぐのは靴だけだ!とっとと靴を脱いで、机の上において写生しろ!」そうですかーでも、よりによってその日は紐だの穴だのいっぱいの、ものすごく絵にするのがめんどうなスニーカーだったんですよね。。。。

てきとうに描いて、でも受かりました。さらにその後受けた2次試験は、見事に落ちました。。。。

 

 
実は経営学部より建築学部の図書館に入り浸って、バウハウスの図鑑とかをわくわく!と眺める学生生活でしたが、その図書館はむかしどうりでした。

大好きな図書館

 

 

あと、どの学部にもあるのですが、学生会室。

このすさんだふんいきでどんな場所かわかっちゃいますよね?なんて脅かしますが、実際は授業とかの合間に学生たち(特に学生会に参加している者たち)がいきぬきする憩いの隠れ家です。

 

 

壁には反体制派っぽいアジテーションの落書き。でも、建築学部なので、アートしてます。

 

 

アルコールジェルのトーテム。ご時世ですね

 

 

そのあと、都市学園本部の近くにあるMAC(現代アートミュージアム)へ。

いががわしいオブジェがいっぱい。

 

 

早速中に入ってみましたが、全然展示物がなくて拍子抜けしました。

学生だった頃はキリコの「ある午後の謎(O enigma de um dia)」の複製版が大きく展示されていて、恒常的展示のはずだったのに。さびしいな。。。。

MAC USP | Acervo : Obra : O enigma de um dia [1963.1.59]

 

 

画像多数なのでここで打ち止め。

切りのいいときに、大学訪問記後半部分を掲載させていただきます。

忘れないうちに、何について書くかというと

地質学部・社会学部

芸術学部

死体の家

学生寮・学生食堂

サンパウロのお弁当

などなどです。

なんか思い出ばなし、ノスタルジーにお付き合いいただき、ありがとうございました。

ではでは。。。

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ウクライナで核戦争は起きるか。切り札を握る中国

まず、ひさびさのランクイン。たくさんのアクセスや、いいね!この場でお礼申し上げます。

すごい個人的な記事の内容なのに、認めていただき感謝です。大学のお話の続きは来週に掲載します。

さて、今週の本題です。

そもそも、ウクライナって、どんな国?

どきどき!美人がいっぱい、ですが、日本女性に勝るものでもなく。

世界の安全保障(経済、軍事)に、ウクライナがどれだけ影響力のある国なのかを見てみます。以下、特に明記していない限り、出典はWikipediaです。

1991年、ソビエト連邦の崩壊とともに独立。

ソ連時代からの先進科学技術を引き継ぎ、発展させ、ヨーロッパの隠れた技術大国になっていました。

その1:宇宙開発

「ソビエト時代に培われた技術力は西側諸国からも一目置かれ、各国との共同計画に参加する。1995年にはアメリカ、ロシア、ウクライナ、ノルウェーの4ヶ国合弁事業に参加した。」

「2005年にはインドと新型ロケットのエンジンに関する協力関係を締結した。」

ウクライナ製人工衛星の記念コイン

 

 

ここまで宇宙開発できる国って、なかなかないですよね。西側先進国もびっくりの技術力です。

その2:軍事産業

航空機エンジンも、世界有数のものを持っている

「モトール・シーチは、ウクライナのザポリージャに本社を置く航空用エンジンや産業用ガスタービンエンジンの製造メーカーである。

ソビエト連邦時代からアントノフ An-124とAn-225に搭載されるターボファンや様々な航空機のエンジンを生産。ソ連崩壊後もKa-50やMi-24、Mi-28のようなロシア連邦のヘリコプターの80%以上にエンジン(クリーモフ TV3-117など)を供給していた」

もトール・シーチのロゴ。なんと創業1907年

 

 

造船技術も、世界最高峰

「ヴァリャーグは、ソ連で設計された航空母艦である。

ソ連の崩壊後、ウクライナ海軍に編入されたが完成せず、廃艦となった。

1985年12月6日にウクライナ・ソビエト社会主義共和国・ムィコラーイウの黒海造船工場で起工され、1988年11月25日に進水した。」

つまり、空母を建造できる世界有数の工業力、港湾施設を持っているという事である。

そして、みなさんもうお気づきかもしれませんが、ソ連崩壊後の経済大混乱をうまく利用して、資金難のウクライナから「中国本国で海上カジノとして使用する予定」という、ふざけたいいわけで、中国がお得な購入!

「中国人」になるまえのワリャーグ

 

 

その後「遼寧」という、とても海上カジノとは言えない物体と化し。

「空母だぞ!」と自由主義陣営を恫喝する道具になり果ててしまいました。

このへんは、中国人Motoyamaさんの鋭い解説動画で詳述されています。

 

 

そして、造船産業の要ウクライナにそっぽを向かれてしまったロシアは、日常のメンテにも事欠く事態に陥ってしまい。

詳細はこちらをご覧ください。https://www.youtube.com/watch?v=q_WRk3bAZlQ

 

 

その3:農業

こちらはあまり詳しく説明する必要もありませんよね。ウクライナは、世界でも有数の穀倉地帯です。

さて、ここまでで、恐るべき事実が浮き彫りになってきます。

◎ソ連やロシアの躍進の原動力である技術の重要な部分が、実はロシアではなく、ウクライナから生まれていた。

◎しかし、ソ連・ロシアは、ウクライナを正当に評価しないばかりか、ホロドモールなどで虐待・搾取した。

「ホロドモール」とは、1450万人が犠牲になった大飢饉ですが、ソ連邦の工業化促進のためにウクライナの農産物を無理やり輸出して外貨獲得に走ったために発生。一説では、ウクライナを弱体化して支配しやすくするため、人為的に起こされたジェノサイドと言われています。

スターリンに苦しめられるウクライナを象徴的に描いた絵画

https://www.meijigakuin.ac.jp/about/mg_plus/1380

 

 

◎戦慄したウクライナは、悪魔のナチスと協力する(部分的ですが)など、ロシアからの自立を必死になって模索した。

◎ソ連崩壊により悲願達成。

しかし、この後も受難は続き。

ロシアから見れば、極論ですが、ウクライナが本当に自立してしまったら、ロシア側に残されるのはシベリアの原野だけになっちゃうぞ!という危惧があったのだと思います。

一方、ロシアに三行半をつきつけ、ホロドモール以降続く虐待から解放されたウクライナではあるが、とにかくお金がない。

どうしよう。。。。

西側も、ロシアに忖度してあまりウクライナを支援できない。

やはりまたロシアに吸収されてしまうのか?という時に、すり手をしながら現れた恐ろしい商売人が。

もうお分かりですよね。中国です。

有り余るお金を背景に、やれ遼寧だのモトール・シーチ買収(こちらは不発)だのと、ウクライナの技術をどんどん吸収し。

中国とウクライナの危険な関係については、Weekly Economist紙が喝破しています。

「中国はいち早く、92年1月にウクライナと国交を樹立。以来、旧ソ連の武器製造の拠点であったウクライナの関係技術者を異常なまでの高給で中国に迎え入れ、ミサイルや航空母艦製造の技術のすべてを教授してもらった。

 米国の国防総省(ペンタゴン)が「中国のミサイルと造船技術は米国より優れている」と書くほど、中国の軍事力が成長したのはウクライナのおかげなのである。」

https://weekly-economist.mainichi.jp/articles/20220317/se1/00m/020/003000d

最たるものが、2013年に両国間で締結された「中国ウクライナ友好協力条約」。

「もし、ウクライナが核兵器の使用によって侵略された場合、またはそのような侵略の脅威に晒された場合は、中国はウクライナにそれ相応の安全保障を提供することを約束する。(https://news.yahoo.co.jp/byline/endohomare/20220329-00288894)」

という恐るべき一文が明記されています。

これって。。。。

日米安保条約で、日本がアメリカの核の傘に入っているのと同じじゃね?

中国は、「友好条約」で、ウクライナをまんまと自分の核の傘に入れてしまいました。

中国による、一連の「静かな簒奪」をぽけっと見ていたロシアですが、いくらとんまでも、何かしなければ!と焦ったのだと思います。

成算があるにはあった。

読者の皆さんは、「緑の人たち」という言葉をご存じでしょうか。

環境団体のことではなくて、緑の制服、つまり軍服を着た人たちのことです。

軍服ですが、国籍を表示しないので、どこの誰だかわからないという、卑怯そのものの団体様ご一行のことでした。

英語では「リトル・グリーンメン」といわれるこのご一行は、2014年、東ウクライナや、クリミア半島に侵入し、行政組織の警備員が持っていない機関銃で武力占拠し。

あれよあれよというまに投票だのなんだのでロシアに編入。

「緑の人たち」。日本には自衛隊がおり、こうした卑怯な行いを防いでいます。

パブリックドメイン

 

 

もちろん、ウクライナはそんなふざけたやり方には同意せず、今日のウクライナ戦争まで続く紛争になりました。

要するに、プーチンは、ウクライナ全土で同じことをやりたかった。

ところが、ゼレンスキーは見事この悪だくみを挫折させ。

あれよあれよと、今度はウクライナ全域を巻き込んだ泥沼の戦争になってしまいました。

さて、中国です。

ウクライナを自分の子分として杯を交わしたはいいが、前の親分が怒り、この子分をボコって戦争を始めてしまった。

でも、今のところは「西側対ロシア」と、いわば中国にとって都合の良い状況になっており。西側に対しては「ロシアに味方する悪役」を演じながら、実はロシアが自滅していくのを大喜びでながめていたりして?

ロシアの自滅にプーチンが狂って、核を使おうとした時、中国がどう動くか。

孫子の国です。日本は、憲法第九条など「戦争は悲惨で、不幸をもたらすから」という美しい、芸術的な理由で戦争放棄していますが、中国の場合「戦争なんて、せっかく儲けたお金を散財するばっかりで、全然利益の出ない、下の下の行為」だから、あらゆる努力をして避けます。

ただ、戦争をした方が儲かるぞ!という場面ではいそいそと参戦し、戦争をしないと儲けを奪われるぞ!という場合はいやいやながら参戦するでしょう。

ウクライナの場合も、報復すれば儲ける(あるいは損をしない)、と判断した時が危ない。

さて、本稿も3000字を越えてしまいましたので、尻切れトンボですかこのへんにします。

西側はウクライナを支援を抜本的に強化して、プーチンが狂ったり、中国が干渉したりする隙を与えず、電撃で国境までロシアを押し返して休戦にもちこみ、暴力による現状変更を許さずに、戦争を終わらせるべきと考えています。

大阪人もびっくり。商人の国、中国

上はhttps://www.nanmuxuan.com/zh-hk/classic/fasdfccatyn.html

下はhttp://businessmacroanalysis.blogspot.com/2016/11/blog-post_14.html

ではでは。

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ブラジル大学紀行(その1)

人間生きているといろいろあり。ひょんなことから大学の卒業証書を紛失してしまい、大学に問い合わせて再発行手続きをしました。

このなかで、再発行の申請は申請本人がしなければならない、というルールがあり。ふだん住居にしているブラジリアから1000キロ南にあるサンパウロ市へ、のんきに1泊2日の訪問をしてきました。

のんきにと言いつつ、駆け足でもあり、旅費とかで新たな出費はしたくなかったので、クレジットカードのポイントを使って航空便とホテルはタダにしました。40000ポイントが飛んじゃったけど。

ちなみに、200ドル払えば10000ポイントだけでいいよーん!ということでしたが、その手には乗らないよ~ん!とポイントを湯水のように使って、銀行とカード会社をいじめました。

でも、ブラックカードのポイントを湯水のように使ったのに、予約できたのは早朝5時出発のエコノミー。みみっちいぞサンタンデール銀行!

サンタンデール・ブラックカード。ブラックなんて名ばかりですねえ。

 

 

寝坊しないように目覚まし時計を買いました。

もともと出張族で、2時起き、3時起きなんてふつー、目覚ましなんていらないよ、だったのですが、念のため。。。。そしたら、本当に寝過ごしそうになってしまい。目覚まし時計のアラームで起きました。

朝2時に設定していたのに、アラームが鳴ったのは朝2時15分前でした。ははは

 

 

さっそく支度して、空港に。

空港の駐車場に車を止めます。写真を撮ったのは、ブログ用のみでなく、あとでどの辺に車を止めていたのか分からなくならないように、というのもあります。

 

 

空港の風景

 

 

ラウンジに向かいます。

 

 

受付でカード提示。ブラックカードの特典で無料の利用になっています。

サンタンデール・ブラックカード。

これならアメリカン・エクスプレスより上かもしれん

 

 

いいかんじでシックなブラジリア国際空港のラウンジ。

 

 

時間が時間なので、飲んだり食べたりはせずに、一休みしたうえでゲートに行きました。

風防からパイロットが一生懸命プリフライトチェックしているのがみえました。

かわいそうに、かわりに客席でぐっすり寝てあげるからね。いひひひひ

 

 

機内からの風景

 

 

飛んでいるうちに夜が明け。

高度1万メートルからの風景。ふだんは高度2000メートルですからねー下の写真で違いが判ると思います。

 

 

小さな飛行機に乗っています。

 

 

1時間ちょっとでサンパウロ市に到着。

まるでおろし金の上に浮かぶ大根みたいな感じで、空港へ降りてゆきます。ここでエンジンがストップしたら。。。。

 

 

おしりがむずむず。さいわい大根おろしにはならずに、無事着陸しました。

 

 

 

 

いよいよ大学へ。タクシーで40分くらいでしょうか。

市街地と川に囲まれた、緑いっぱいの学園都市。

https://i0.wp.com/jornal.usp.br/wp-content/uploads/S%C3%A3o-Paulo-2.jpg?resize=1200%2C582

 

 

 

 

経営学部の前に降り立ち。

 

ここまでで、記事が長くなりすぎちゃった!ので、続きは近い将来に回させていただきます。(来週はウクライナと中国の危険な関係についての時事ネタにします)

忘れないうちに、何について書くかというと

経営学部

建築学部

地質学部・社会学部

芸術学部

死体の家

学生寮・学生食堂

サンパウロのお弁当

などなどです。

お付き合いいただき、ありがとうございました。

ごきげんよう。。。。

Posted by 猫機長
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飛行機づくしの短編集

先週は気難しい、数字ばっかり、「ふむふむ」の資産投資の話で、はたして最後まで読んでいただけるか?だったのですが、たくさん「いいね!」いただき、ありがとうございました。今回はもっとぽけっと「わくわく」、短編集でいってみます。

というわけで。。。。①恐ろしいドレン弁のお話、②引っ込み脚と固定脚、③飛行機乗りの格言です。

恐るべしドレン弁

製造から25年(購入からは7年)を経過したこよーて(自家用機の名前)。エンジンを開けてフルオーバーホールし、経年劣化で硬くなったエンジンベッドのゴムなども取りかえて、完璧になったぞ!と、数週間ぶりのフライトをもくろみ。いそいそと早朝から機体のチェックを開始。

こんな飛行機に乗っています

 

 

でも、この時点で、なにか変だぞ?虫の知らせがあり。

というのも、オーバーホールでまたもやマグネトー交換をしたりとか、要は巨万の富をつぎ込んだかなりの大手術が、遂に完璧に完了だ!というだけでも上出来なのに、乾季の始まりではまだめずらしい、雲一つない完璧な青空、無風というこれ以上ないグッドコンディション、ようするに完璧すぎるシチュエーションになり。

ふつーは、やれ風が強いだの、やれ雲が出ているだの、風向きが悪くて滑走路直上にエアバスや737がバンバン侵入してくるとか、離陸しにくくするなにかがあるんですよねーここまで完璧で、いかにも神様から飛べとべー!とけしかけらているようなかんじだと、なにか恐ろしい落とし穴があるんじゃないか?と勘繰りたくなるのです。気のせいか?本当になにかあるのか?

ありました。

ドレン弁からのガソリン漏れを発見。

ドレン弁。燃料の状態を確認する大切なパーツです

水や埃はガソリンより重くタンクの底に溜まるので、エンジンまでの配管にドレン弁をつけて、離陸前の機体チェックの時に少量のガソリンを抜き取って除去します。

 

 

ちょっと写真では見えにくいですが、ドレン弁のガソリン排出コック先のビニール管(写真で黒っぽく変色しているところ)にガソリンが貯まって雫になっており。

 

 

そして床に落ちた雫が地面に染みを作っていたのでした。

ちなみに、燃料タンクから送られてくるガソリンの圧力というのはなかなかのもので、1週間も駐機しているとキャブレターからプラグまでガソリンが染み出て、がぶっちゃうこともあるので、駐機しているときは燃料タンクのメインコックは閉じて、ドレンから先へガソリンが流入しないようにしておきます。

 

 

そして、土曜日の早朝、勇躍してメインコック開け、ドレン弁にガソリンが流入しタンクからの圧力がかかったとたんに、ガソリン漏れが始ってしまったのでした。

ガスコレイタ―(Gascolator)本体内のガソリン点検排出口に汚れが貯まって、ドレン弁コックのパッキン(パチンコ玉みたいなやつ)が密閉しなくなっていました

 

 

これを確認しないで離陸したらどうなるか。

ちゃんとドレン弁が密閉された状況では、こんな感じです。

 

 

ところが、ドレン弁からガソリン漏れがあると、

 

 

燃料系統と上空における外気の気圧差でガソリンが機外に噴射されてしまい、あっというまにガス欠でエンジンが止まっちゃうのでした。

もっとも、今回の程度であればまだまだ安全に飛行できますけど、やっぱり完璧に密閉しないといやですよねー。

いやいやエンジンフル整備の直後、いかにも安心、というときに限ってなんかあるぞ!といつにもまして警戒したのと、別の記事に書きましたが、レストア完成したばかりの世界の名機J3カブが、やっぱりドレン弁のガス漏れで不時着、全損というかわいそうな事故のことが脳裏に焼き付いていたのが大きいかなともいます。

世界の名機パイパーJ3カブ

 

 

「人は、長生きするに従って知識を獲得していくが、飛行機乗りは、知識を持っているやつが長生きする」ですね。はははは

 

②引っ込み脚と固定脚

ランディングギアは離陸した瞬間に単なる抵抗物と化すため、引込めることができれば。。。となるのは進化の必然ですが、引込みの機構(モーター他)はそれこそ「飛行機が一番嫌う重量増加そのもの」だし、だいいち故障でもしたら、ということで、超音速で飛ぶジェット戦闘機はともかく、小型飛行機は引っ込みとするかどうかは永遠の課題です。さる研究結果によると「時速350キロくらいまでは固定脚のほうがよい。これを超えると重量増加や引っ込み機構設置による機体・翼の補強などを考慮しても引込み式のほうが効率的」だそうで、せいぜい100マイル(時速160キロ)で飛ぶ「こよーて君(僕の自家用機)」はもちろん固定脚です。飛行中、操縦席の窓から主脚スパッツがぽかんと空に浮かんでいるのをみると心がなごみます。

こんな感じ

 

 

左が固定脚(こよーて)、右が引っ込み脚(グラマンF3F)

 

 

ちなみに、固定脚でも流線型のスパッツ装着で空気抵抗を10分の1程度に減らせるので、昔の戦闘機には必須の装備でした(そして現在の日曜パイロットには燃費低減のため必須です。ははは)。吉村昭の小説「零式戦闘機」では、96式戦闘機という傑作戦闘機を設計するとき、スパッツの形状を工夫することで、当時の引っ込み脚の戦闘機と同等のスピードを出すことに成功したうんぬんとあり。

96艦戦

 

 

96艦戦は、艦上戦闘機ですが陸上基地でも盛んに使われ。ろくな舗装もないでこぼこの平原で離着陸した昔の飛行機らしく、巨大なメインギアですね。。。

一方、実戦では下の写真のとおりタイヤむき出しで使用されたこともあったようで、陸軍の97戦では、ある記録いわく「戦友が敵陣に不時着し、おもわず自分も近くに着陸し救出した。その日はたまたま整備が間に合わずスパッツをはずしていたため、不整地の強行着陸でも転覆しなかった。人の命なんてほんのハズミで左右されてしまうのですね」。

97戦

 

 

現在でもHOTEL FAZENDA(農場ホテル)等の滑走路は赤土むき出しのところもあり。「ぬきあしさしあし」で離着陸しています。

 

 

③飛行機乗りの格言その2

その1はこちらをどうぞ→飛行気乗りの格言(axiomas-de-aviador)

◎滑走路の長さ、燃料と女性の愛は多いに越したことはない。

Três coisas que nunca são demais: pista, carinho da mulher e combustível.

◎地上にいて飛びたがっている方が、飛んでいて降りられなくなるよりはましである。

É bem melhor estar aqui em baixo desejando estar lá em cima, que estar lá em cima desejando estar aqui em baixo.

◎飛ぶことは危険ではない。危険なのは落ちることである。

Voar não é perigoso. Perigoso é cair.

◎安全に落ちれば危険なことはない。これを着陸という。

Se cair em segurança não existe perigo . A isto chamamos de Pouso.

◎恐怖のひとときは、高価な大型旅客機も最小の価格で購入した部品で組み立てられていることに気づいたとき。

O que me assusta ao voar de avião é imaginar que tudo que está dentro dele foi colocado pelas empresas que ofereceram o menor preço.

◎正しい決断は経験から。そして経験は間違った判断を重ねて得ていくもの。 Decisões acertadas vêm com a experiência, e a experiência vem com decisões erradas.

◎人は、長生きするに従って知識を獲得していくが、飛行機乗りは、知識を持っているやつが長生きする

Na terra, quanto mais se vive, mais se conhece. No ar, quanto mais se conhece, mais se vive.

ではでは。。。

Posted by 猫機長