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実は親友だった?ドラクロアとアングル

久々に西洋美術のお話です。でも、単なるウケ狙いのおもしろ記事ではなく、リピーター読者の皆さんには、成功法則や資金投資に関するポイントも詰まっている記事だとお分かりと思います。

さて、フランス革命からナポレオンの第一帝政、ウイーン体制からの共和制や王政の入れ替わりの時期にあたる1798年から1863年に、フェルディナン・ヴィクトール・ウジェーヌ・ドラクロワというにいちゃんが登場しました。同時期の1780年から1867年にはジャン・オーギュスト・ドミニク・アングルが登場。ちなみに、1867年は日本では大政奉還が起き、次の年の1868年に元号が「明治」になった。

つまり、世界中で大変動が起きており。フランスではギロチンで王様の首がちょん切られ、ナポレオンが下剋上で帝政を敷いてヨーロッパを荒らしまわった。ゲーテ言うところの「疾風怒濤」がヨーロッパ中をあれくるい、いわゆるひとつの「ロマン的危機」が生まれていた。

すなわち、「ロマンチックな時代」です。アンシャン・レジームの封建的な決まりきった日常から明日をも知れない大変動の日々に突入。ロシアやエジプトに侵攻し、次々に新しい世界を切り開いていくナポレオン。その劇的な敗北と失脚。ウイーン体制の反動など、要するに少年漫画もびっくりの冒険・どんでん返しがこれでもかと押し寄せ、美術の世界でも劇的な世界の動きに感化された劇的な絵画が生まれました。これがロマン主義美術です。

そしてロマン主義美術の大本山フランスの、ロマン主義美術の旗手として活躍したのがドラクロア。とここまで書けばどんな絵かは自明と思います。代表作を掲載してみます。

キオス島の虐殺

 

サルダナパールの死

 

(第四回)十字軍のコンスタンティノープルへの入城

 

モロッコのスルタン

民衆を導く自由の女神。

さて、ロマンな時代のロマンな絵画で時代の寵児となったドラクロアですが、当時模範とされていた「絵のかきかた」と差があったため、アカデミックなサロンとかからは批判の対象となり。

当時の「正しい絵」とは、穏やかで控えめな色彩、厳格で静謐な空間があるべきで、情熱や激情なんて生々しい、はしたないのはやめましょう、という、言ってみれば保守的な内容を求めていたのに対し、ドラクロアの絵はその逆でした、ということで、例えば「キオス島の虐殺」は「絵画の虐殺だ!」と批判を浴びたりしました。

といって、いかに大本営発表で「正しい絵だけかきましょう」といっても、激動の時代が生み出した激動の絵画は止めることができないわけで。ドラクロアも先輩画家(実は保守派の人)からの後押しなど得て、1822年にパリ・サロンに入選したころから、保守派勢力を一掃しそうな勢いで名声を得始めました。

保守派勢力はあわてふためき。

だれかロマン主義・ドラクロアに勝ると劣らない「新古典主義絵画を代表する絵を描ける」達人がいないのか?と大捜索をはじめたら。。。。

いました。その名もジャン・オーギュスト・ドミニク・アングル。

こまかいこといわんと、まずはアングルのおっちゃんがどんな絵をかいたか見ていきましょう。

玉座のナポレオン(「花とみつばち」ではない)

 

ジュピターとテティス

 

ホメロス礼賛

 

ラファエロとフォルナリーナ

 

ルイ13世の請願

 

Wikipediaによれば、アングルの作風は「入念に構成された調子の緊密な諧調、形体の幾何学的解釈など、入念に組み立てられたテクスチャと徹底的に研鑽された描線、そして緊密な調子の諧調により成立する空間は「端正な形式美」」となっています。すなわち、

◎新古典主義の最高峰にして、具象画、写実主義絵画の完成形に到達した

という恐るべき功績を達成した。

体制派のアカデミズムに祭り上げられた最高有識者のアングルと、民衆の激情を余すところなくぶちまけて時代を駆け上がったドラクロアは、とてもステキな好対照をなして、西洋絵画の発展にものすごく貢献したのでした。

ドラクロアとアングルの対立。当時の風刺画

ドラクロアは、アングルのことを「不完全な知性の完璧な表現」と言い、アングルの方はドラクロアのことを「醜く恐ろしいものしかかけない」と憐れんでいたそうです。ははは

両者の絵を並べてみます。

要するに、アングルは「NHKの教育番組」であり、ドラクロアは「ちょっと穏やかな韓流ドラマ」ですね。。。。なお、韓流ドラマをえげつなくして、それこそ醜いもの、恐ろしいものを強調していくと「コンテンポラリーアート」へ行ってしまうので、また別の記事でトライしてみます(現代アート好きのみなさんごめんなさい)。

さて、世間一般で通用している両者のイメージはこんな感じですが、実はもっとやばい所で両者類似点があるかも?

ドラクロアの方はあまり陰ひなたがなくて、すなおにロマン主義路線を驀進しており。問題はアングルで、新古典主義アカデミズムのインフラや地位を謳歌しながら、実は?な絵をかいたりしています。

たとえば

グランド・オダリスク

デフォルメです。

新古典主義のくせに、端正を放棄して「ロマンチックなプロポーションを妄想」しています。

しかも「胴長」です。

どういう美的感覚しているんだアングル?まあ、美的感覚なんて個人の自由ですけど。ほかにも首が異様に太い女性とか、なんか「壊れてる?」

通報一歩手前の怪しいおっちゃんなのかもしれん。

当然ながら「椎骨が2つか3つ多すぎる」などと猛批判にさらされてしまい。ただ、上記のとおりこういうアプローチで議論を白熱させてしまうと「新古典主義の旗手アングル」が旗手でなくなってしまうし、アングルの方も自分の表現を顧客に普及してくれる重要なストラクチャーである体制派の組織や人々とそうそうケンカするべきではないということを十分理解しており。10年近く批判にさらされながら、アングルが新古典派での地位を固めるに従い、うやむやじゃなかった円満に収まったらしい。

花とみつばち。♪僕たち男の子♪ヘイヘイ!

要するに、アングルは「隠れロマン主義だったんじゃ?」なのかもしれません。ははは

もしかして、1850年くらいのパリの、とある料亭じゃなかったどこかのカフェで、アングルとドラクロアが密会していたりして。。。。。

アングル「いやいやこたびの新聞では拙者とお主がますますいがみおうていると書き立てておるぞ」

新聞の挿絵

ドラクロア「フォッフォッフォ、めでたいことでござるな。これで頭空っぽのブルジョアどもが報道に躍らされ、ロマン主義も新古典主義もますます注目を浴びて、絵が高く売れることとなろうぞ」

アングル「まさにその通りじゃ。お主もぜひアンチ新古典主義のアジテーションを引き続きお願いいたすぞ。拙者は宮仕えの身。作法から外れた言動をいたすとサロンから締め出しを食らうでのう」

ドラクロア「いやいや拙者もこのところサロンに認められて、ゆえにあまり派手な絵もかきにくくなってしもうてな。いっそアングル殿のように体制に担がれた隠れロマンチックになりとうござる」

アングル「しかし、それも窮屈でござるぞ。まあ絵が売れて生活安泰なのは良いことでござるがな。ロマンチックな絵を新古典主義として売るのもなかなかに面白いものじゃ」

ドラクロア「お主もワルよのう」

アングル「おぬしこそ。フォッフォッフォッフォッフォ。。。。。」

最後はよい子の創作童話でした。

「アンジェリカを救うルッジェーロ」ドミニク・アングル

お主もワルよのう、の元ネタはこちら↓

ではでは。。。

 

Posted by 猫機長
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美術ってなんだ?西洋美術と日本美術の差

美術ってなんだ?西洋美術と日本美術の差

以前、ひょんなことからルネサンス美術の恐るべきからくりについて書きましたが、そもそも美術とは何か?という再確認をしたうえで、頭でっかちな西洋美術と、ほにゃららな日本美術の接点を探り、美術に現れる日本のお国柄を理解し、ゆくゆくは日本の不可思議な新型コロナ対策の解明を試みようと思います。

さて、美術ってなんだ?

簡単に言えば「表現」です。ははは

「内的必然性(Inner Necessity)の表現」。

こんがらかった人は、上の言葉はちょっと忘れて

「表現者(画家)が、表現を通じて鑑賞者に何らかの情報(意志、理念など。感性も?)を伝え、鑑賞者へ感覚的に何かの啓示なり感動なりを呼びおこすもの。」

そして呼び起こす根源となる表現、表現物、物体を作品と呼べばわかりやすいかと思います。

美術は、芸術の中の仲間です。ほかにいろいろ仲間があり。

文芸:小説とか詩。このブログの文章なんちって

音響芸術:軍艦マーチ。AKB48やベートーベンももちろん入ります

舞台芸術:演劇・ダンス。ブルゾンちえみ。

映像芸術:映画。「トラ・トラ・トラ」や「日曜日の恋人たち」なんてのもある。

造形芸術:ミロのビーナスとかの彫刻や、建築。ぼくはBAUHAUSちっくなやつやコルビジエが好きです。ニーマイヤーはおおざっぱすぎてううむ、というかんじ

視覚芸術:ここに美術が入る。ドミニク・アングル、キリコやホッパー、リキテンシュタイン、そしてカンディンスキーなど。

美術についての簡単な定義が定まったところで、西洋美術にいってみます。

1.西洋美術のスタートは「初期キリスト美術」。

あれれギリシア美術は?という質問があると思いますが、ローマ後期から、ゲルマン大移動と、フランク王国など蛮族による諸王朝によって埋もれてしまい。当時芽生えた初期キリスト教美術と、続く初期中世美術をスタートとさせていただきます。

さて初期キリスト教美術・初期中世美術の特徴ですが、ギリシア(ヘレニズム)の精緻・繊細・躍動感はどこかに行ってしまい。

受胎告知。教会壁面のモザイク。作者はだれだろう?

素朴というか幼稚というか、ポーズも表情も固定して、なんかお役所の公文書みたいな感じ。つまり「書式からずれてる!書きなおーし」とはならないにしても、「こうしなさい、こうあるべし」というのでかなりがんじがらめになっていたらしい。

そして、表現が目指すものは「文字の読めない人たちにキリスト教を絵でつたえること」でした。

2.次に出てくるのがビザンティン美術。ギリシア文明の継承者を自称する東ローマ(ビザンティン帝国)ですが、やっぱり公文書みたいな堅苦しさあり。イコンといって「聖書における重要な出来事や、教会史上の出来事を画いた画像(Wikipedia)」が発達。人々の目指すべき理想を絵にし、指し示すもの、ということで現在のアイコンの語源になったとの説あり。

表現が目指すものは、やっぱり「キリスト教の普及、広報」でした。

「ウスチュグの受胎告知」

3.東西貿易など、イタリア諸都市をはじめとした新勢力が勃興すると、これらをパトロンとしたルネサンスが始り。硬直化して身動きの取れなくなった美術を、掘り起こされたギリシア美術の均整、写実といった技法で再発見し、人間中心の絵画が生まれました。題材として聖書は主流にあり続けましたが、登場するのはイコンではなく、人間と相通ずる肉体、精神を持った聖人賢者になりました。

フラ・アンジェリコの受胎告知

表現が目指すものは、「キリスト教や肖像画を通じた教会やパトロンの広報」でしたが「教会やパトロンも人間」「絵に出てくる天使などにも人間と同じ感性が表現」されはじめました。

*ただし、この時代からの広報やプロパガンダは、ある程度エリートの人たちの間にとどまっていたらしい。新聞みたいなマスメディアによる普及は、後に書くように写真の出現以降、あるいはルーブル博物館の一般公開開始(1793年)以降などの説あり。

4.一方で、西欧美術の擁護者であり指令塔であったカトリック教会は、メディチ家とかの大商人、絶対君主やプロテスタントの勃興など、資金、政治・軍事、宗教全方位で危機にさらされ。これじゃいかん、もっと檀家(信者)を増やして財力・権力を回復せねば!と、プロパガンダ大攻勢を開始します。

この流れでバロック美術が登場。お題は聖書で変わりがないが、表現方法をとにかくドラマチック、見ている人が感動して涙してしまうような「ドーンと衝撃的な作品」で、カトリックファンを呼び戻そうとしました。

従って、表現が目指するものは「キリスト教の広報、普及だが、見るものの感性に訴えて否応なく引き込む」

つまり、ここで「理性・情報の伝達」より「感覚・感情の作用」がまさりはじめた。

エル・グレコ(受胎告知)

5.ロマン主義

フランス革命にナポレオンの時代。王や貴族より民衆の方が強くなっていった。ギロチンで王様の首が飛ぶ大混乱、大革命の時代を象徴して、美術も情熱、夢想。ついに情感が前面に出はじめます。この時期を代表する画家にウジェーヌ・ドラクロアという人がいます。

ドラクロア「受胎告知」

ううむいがいにインパクトがないなあ。。。というのも、ロマン主義は「神・主、ヨーロッパ普遍」よりも「各国の個人の自我」を表現するのが得意なので、下の方が有名です

ドラクロア「民衆を導く自由の女神」

表現しているものは。。。「自由、平等、博愛といった、自我を持つ人間の精神。勇気、希望、情熱と言った、やっぱり自我を持つ人間の感性」。宗教から分離し始めているが、民族・国家のプロパガンダとしての色彩はまだ濃い。

6.ロマン主義と前後して、新古典主義があり。

熱狂的に受けた「巨人の星」が、時代が下るに従い「ギャグマンガ」と受け取る人が多くなってしまったように、バロックの暴力的な迫力は、受ける人には受けるがちょっとくどくてねー、となり。「やっぱりもっと均整がとれた、古代ギリシャみたいな細部まで精密な美術に回帰しよう」と新古典主義が生まれました。

この絵をみて、めらめらと目に炎が燃え上がる人は昭和のおっちゃんです。

ぎゃははなにこれー!と笑っちゃう人は令和のゆとりくんです。

(出展:https://ameblo.jp/kamome4022/entry-12177778646.html)

重厚で格調高く、どっしり威風堂々とした絵が新古典主義の特徴です。

宗教画もあるのですが、なぜか受胎告知は発見できず。ということで、ナポレオンの肖像画を掲載。

ダヴィッド「アルプス越えのナポレオン」

この美術学派の表現するもの:ううむ「パトロン、あるいは芸術家の意志を写真のような写実的な絵柄(モデルとは思い切り似てない可能性あり)で視覚化する」。

ちなみに、ぼくはアングルの大ファンです。アングルはこの時代の代表的な画家で、「当時発明された写真が「画家の生活を脅かす」としてフランス政府に禁止するよう抗議した(Wikipedia)」らしい。

そして、この抗議が、西洋美術の本質を物語っていると理解します。ここがこの記事のコアポイントです。

写真が登場するまで、西洋美術とは、神様、天使や、メディチ家やナポレオンなどの世俗権力者、あるいはフランス革命などの歴史的大事件の描写と報道をするための手段だった。あるいは形式、あるいは理性、あるいは感情と、写実やデフォルメの間を行ったり来たりしながらも、その「報道写真」としての本質は変わらず。

しかし、写真の出現により、美術の存在価値は180度転換します。

報道写真。(出展:Photograph by Joe Rosenthal, AP)

もはや書くスペースがなくなってしまったので、今回はこの辺で終わりますが、何百枚でも複製できる写真の出現で写実のくびきから逃れた美術は、

7.形而上絵画、キュビズム、シュルレアリズムなど、感性そのもの、純粋な内的必然性の表現となって生まれ変わりました。

そして、西洋美術の生まれ変わりには、実はいかにも日本的な日本美術が恐るべき影響を与えたことも別記事で書きます。その序章として「日本画にしか見えない日本画」を掲載して、結びにいたします。

シュールでかわいい犬くん。

仙厓和尚 犬図

きゃふんきゃふん。ではでは。。。

Posted by 猫機長
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カルロスゴーン65歳。ビジネスオーナーの最後。

カルロスゴーン65歳。ビジネスオーナーの最後。

日産中興の祖(だった?)ゴーンさん。ブラジルに生まれ、ハイパーインフレ時代のミシュラン南米事業部立て直しに成功し、北米事業部のCEOを務めた後にルノーの上席社長へ華麗な転身。日産との提携により日本に乗り込み、日産のCEOに。日産リバイバルプランを発表し、大幅なリストラを断行。3年後には最終損益3414億円の黒字を達成し、トヨタの2835億円を追い越して日本いちいいいー!さらには三菱自動車の株式34%も購入するなど日本の自動車会を牛耳るドンになりました。

まさに「天下一大物伝」というか、「なれあい禁止・なあなあはダメ!絶対!」の欧米式のビジネスモデルを導入して日産のV字回復を可能とした稀代のビジネスオーナ―に。

で完結していればよかったのだけれど。。。

「金品商品取引法違反」で逮捕されちゃいました。自分の報酬を実際より少なく見せかけたという容疑がかけられ、さらには会社の資金を着服したという疑惑も発生したりして、保釈からさらに再逮捕になってしまい。マクロン大統領と安部さんの話し合いがあったか?再保釈された機会に見事日本を脱出しレバノンへ。大英雄として迎えられているらしい。

その脱出がまた傑作で、元グリーンベレー(米軍特殊部隊)のつわものの協力で「楽器の箱に隠れて」出国したそうな。

The Asahi Shimbunコレクションより

さて、世界有数の大企業を渡り歩き、報酬もはんぱなかったはずなのに、なんで「着服」だのなんだのをやる必要があるんだ?ゴーンシンパによれば、これはリストラなどで恨みを買い、うまく罪状をでっちあげられてダメにされたんだ!という意見もあり、また、「日本の検察・警察・司法は推定有罪としか言えない対応を行っている!中世暗黒時代も真っ青な一方的・強圧的な司法だ!」というかなり鋭いツッコミが欧米からなされ、ゴーンさんの脱出を妥当とする空気さえあるのですが、オランダで設立した「ルノー日産」合弁会社関連で使用されるべき資金の一部がなぜかブラジルとレバノンのゴーンさん自宅に化けていたなど、どこまで本当かはともかく、こうした騒ぎを引き起こす行動をしたということは否めないと思います(でもそれが犯罪かどうかは少なくとも今のところ不明)。

せっかく業界を制覇し、資産もうなるほどになったのに、なぜ自分からぶち壊してしまったのか?なんとなく豊臣秀吉を思い浮かべてしまします。

秀吉さんの場合はゴーンさんよりもっと貧しいお百姓さんからのスタートでしたが、海賊だろうがお百姓だろうが味方につけて目指す成果を達成してしまう「多文化体制のクロスマネジメント」で、一夜城とか、高松城の水攻めとか、頭の固い武士であれば「卑怯だ!そんないくさがあるか!」みたいな、言い換えればあっと驚くアイデアを駆使して関白まで上り詰めました。

でも朝鮮出兵とか百害あって一利なしのことをやってしまい。豊臣家滅亡になってしまいました。

ゴーンさんももうかるビジネスを作って繁栄へ一直線!だったのに?なぜ、最後は破滅への道を歩んでしまったのでしょうか。

結局、成金にはなれても資本家には進化できなかったということなのでしょう。

成金の人は、24時間利益を追い求め。リストラだろうが水攻めだろうが普通の人ではできないような奇想天外な荒業を次々と繰り出して頂点まで上り詰めますが、その過程でいつの間にか「事業達成のために荒業も辞さず」から「荒業をやることこそが人生だ」になってしまい、事業達成後も空回りしてしまう。あげく「あれ、警察から犯罪者にされちゃった。そんなつもりはないのに(ゴーンさん)」「朝鮮の人から悪魔呼ばわりされちゃった。そんなつもりないのに(秀吉さん)」となってしまうのだとおもいます。

目的と手段の区別がつかなくなり、手段におぼれて破滅してしまうのです。

成金から破滅してしまう人と、資本家として継続できる人の違い。目的と手段の区別がつかなくなってしまう理由は、どこにあるのでしょうか。

それは、ずばり!「自己遡及性があるかどうか」です。

詳しくは別記事(食われる側の倫理)に書いていますが、要するに破滅する人は自分自身についての意識(自覚)がないのです。ソクラテス(ベーシックインカム)は「自分は自分が無知であることを知っている(十牛図)」といいましたが、ゴーンさんは「無知であるかどうか以前に自分というものを把握(哲学的に考察)する気がない」。秀吉さんは「ものすごくつよい自我があり、この自我こそが爆発的な成功の原動力」ながら「一方で自我の発生源である自己(人格)が確立しておらず、常に外部からの賞賛を浴びていないと安心できない」「そのためにとどまるところを知らない膨張(権力・富の集中)をやめることができない」という残念な「生涯現役(労働所得と不労所得)」タイプで、ゴーンさんに至っては、膨脹は法の一線を越えて塀の内側へ落ちてしまいました。

昆虫をつかまえると、脚をバタバタさせることあり。しかし、「つかまえるということの反射でバタバタさせている」だけであって、脳に大脳皮質がない昆虫は「つかまえられた、やばいぞ、逃げろ」という思考活動をしているわけではありません。逃げようとしますが、これは思考の結果ではなく本能により動いているだけです。

成金の人も、本能的にお金儲けをしているだけで、お金もうけをしている自分はだれ?なぜお金もうけをしているの?その結果どうしたいの?という自分自身に対する問いかけつまり「自己遡及」がないので、お金という「神の手」につかまれたバッタのごとく死ぬまでもがもがと手足をばたつかせ、最後は「神の手」で握りつぶされてしまうのです。

というわけで、ビジネスなりで一定の成功(4%ルール)を納めたら、しゃかりきに努力している自分からいったん幽体離脱(とにかく飛んでみよう)して客観的に自分を見つめなおし(本物の富裕層とは)、新たな自分(第1図)さがしの旅を考えてみるのもよいかもしれません。

すごいえらそうになってしまいました。ゴーンさんはレバノンでたい焼きが食べたいな、なんて思っているかもしれません。ラーメンもたいやきもあるブラジルに来ればいいのにね。(その前に服役が必要になるか?)

東京の四谷にある「わかば」のたい焼き

ではでは。。。

Posted by 猫機長
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剣道講話「信長、秀吉、家康」と資産形成

剣道講話「信長、秀吉、家康」と資産形成

剣道では稽古が終わると、みんなで集まって師範格の人が新進の人たちに講話を行い、精神面などの心構えをつたえます。面白おかしくしているので史実と違う面もありますが、ぼくが剣道助教で講話するときに使ったテキストから①まず要約抜粋し、②これって資産形成の秘訣かも?というアプローチで解説してみました。

「信長、秀吉、家康」

「鳴かぬなら殺してしまえほととぎす」-信長は時代の先を行く知見、そしてそれを断行する決断力と実行力で戦国自体の趨勢を決した。長篠の三段鉄砲は現在の機関銃集中掃射の発想である。しかし、あまりにマキアベリ―的な態度で人心にかまわなかったため、恐怖と離反を招き、部下に殺されてしまった。

「鳴かぬなら鳴かせてみようほととぎす」-秀吉は、対照的に人の和、人気者になることが得意で、一夜城、海賊との連合などあっとおどろく新戦法で天下を取った。しかしけれん技の連発で信用がえられず、周りは秀吉を利用しようとする人ばかりになってしまい、秀吉死後は数少ない忠臣の努力にもかかわらず豊臣家は滅亡した。

「鳴かぬなら鳴くまで待とうほととぎす」-家康は、人質として明日を知れない少年時代、耐え抜いて時期の到来を待った。解放されて今度は信長の気まぐれや武田軍団の襲撃にさらされたが、耐え抜いて時期の到来を待った。秀吉に先を越されて格下にされても、耐え抜いて時期の到来を待った。こうして主なライバルたちが死んで自然消滅するまで耐え抜き、関ヶ原で天下の方が根負けして家康のもとへ転がり込んだ。

ほととぎすと資産。

信長は血も涙もない投機家(Speculator)
(Financial1.3)ですね。ウオールストリートの寵児とでも言いましょうか。デイトレードで巨万の富を稼いだり、あるいは落ち目の企業に乗り込んで大リストラを敢行し、職を失った人たちが電車に飛び込んでも全く意に介さずに次々に改革を断行していくとか。ただし、大成功するかあるいは?畳の上では死ねない人とおもいます。。。。

秀吉はセルフエンプロ―ヤ―とビジネスオーナー(Financial1.3)を行き来する人。アッと驚く「金のなる木」を見つけ出し、仲間や目下のものにお金儲けのシステムをばらまいて成金一直線。名前からして「豊臣」ですからねー、ただし労働から離れられないタイプで、自分が死んじゃうとシステムもつぶれちゃいます。

さて家康ですが、この人が本物の資本家(Capitalist)(Financial.4)として生き残る人ですね。どんなにいじめられようが鉄の意志で絶対にくじけず、雀の涙からスタートして資産の育成にはげむ。家康の場合、「三河家臣団」がとにかく最大の財産で、身を挺して家康を守り抜くところから始まって、地味に武田なり他家の人材(新たな財産)を吸収してゆき、関ヶ原に至っては敵方の毛利や薩摩まで引き込んでしまいました(小早川さんはいうまでもなし)。家康さんの場合は上の二人と違って自分はじっとしており、「天の時」が天下(経済的自由)を運んでくれるのを待つことができた、ということで「自分は黙っていてもお金がお金を運んできてくれる資産家」の象徴と思います。

*さて、剣道・資産ともに通じるメッセージですが「目標をしっかり持とう。奇想天外な必殺技はない。地道に確実に進歩しよう。絶対にあきらめないで耐え抜こう。天才というか才能は実はなくても何とかなる」です、ははは。

「織田がこね、豊臣がつきし天下餅 座りしままに食うは徳川」

Posted by mobilizze
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歴史シリーズ第二弾:西郷どんと慶喜さん

歴史シリーズ第二弾:西郷どんと慶喜さん

大河ドラマ「勝海舟」をみて「西郷さんと慶喜さんの行動って、資産形成のプロセスそのものだね」と思うところあり。

https://www.youtube.com/watch?v=p4rPuEgUK-o
まず、明治維新ってなに?子供のころ「坂の上の雲」とか「鳴門秘帳」に親しんだころは、「頑迷な伝統やしきたりを守ろうとして欧米植民地化の危機をかえりみない徳川幕府」を「西洋の技術を取り入れ、経済を発展させた新日本を生み出そうとした薩長と討幕派」が倒し、日本を近代化し植民地化から救った、というようなストーリーだとおもっていました。

でも、最近書物を読み返したり、参考になるサイト「北山敏和の鉄道いまむかし」やWikipediaで勉強してみると、実はそう簡単でもなく

―むしろ開国と近代化を進めようとしていた幕府

―開国や近代化以前にとにかく討幕して天下の覇者となりたかった薩長

―列強の軍事力を理解できず、とにかく外国とつきあわない引きこもりの「攘夷」に固執する朝廷

がみつどもえになって、結果的に

―幕府は朝敵にされてしまい消滅

―薩長は覇権をにぎったがその存続のために開国・富国強兵を徳川から継承・推進

―朝廷にいたっては、引きこもりどころか日清日露の戦役や朝鮮統合など薩長による近代帝国主義推進・対外膨張政策の象徴として祭り上げられてしまった

ことが見えてきました。(個人的見解です、念のため)

長州については、愚直に「拝啓天皇陛下様、攘夷のために外国船を打ち払います」とやったため欧米列強の反撃で火の海になってしまい。しかも第1次長州征伐など幕府からもけちょんけちょんにやられ「恨んでも恨みきれない幕府、いつの日か滅亡させてやろうぞ」と第2次長州征伐につながっていきます。

でも、実は幕府より恨みきれない薩摩がおり。第一次長州征伐で幕府の先兵になって長州をいじめた薩摩ですが、しかしこれも薩英戦争でイギリスにけちょんけちょんにやられた結果、西郷隆盛などプラグマティックな思考ができた人は「よく考えたら、幕府の言っている開国・貿易・工業化しないと死ぬかも?」と気づくと、「とにかく尊王で徳川をやっつけようよ」と討幕の怨念に取りつかれた長州と同盟というコペルニクス的転回を達成し、「尊王攘夷」をいつの間にか「尊王討幕」に転換させてしまったため、朝廷が一番固執していた「攘夷」は幕府・薩長誰も言わなくなってしまったのでした。ははは

あとは官僚制的な悪弊で身動きできなくなった徳川幕府をイギリス仕込みの近代軍と長州の怨念の加護でやっつけ、明治維新、その後の開明的な薩摩幕府じゃなかった明治国家ができました、となります。

でも、海軍操練所とか、咸臨丸、開陽丸等の近代船舶、これらを操縦する人員など日本の近代化のもとを作ったのは実は幕府だったりします。勝海舟や榎本武揚は幕臣であり、榎本さんに至っては明治新政府で得難き人材として採用され活躍しています。上記の薩長同盟で西郷さんと桂さんの仲良し同盟を実現したのは、坂本龍馬といって勝さんの弟子で、勝さんの思想の延長を体現していました。つまり、明治政府は幕府が作ったレールを上手に利用して近代化改革に成功したということになります。

ううむ、では悪弊に染まり太平300年の夢を「蒸気船4はいでも覚めようとしない」幕府が、一方で維新後の開かれた日本のレールを敷いていたというその恐るべき事実はどうやって達成されたのか?勝海舟のような開明派の幕臣もいましたが、しかし総元締めの親玉がしっかりしていないとこうはいきません。日本にとって幸運だったのは、親玉がほかならぬ徳川慶喜さんだったということです。

やっと西郷さんと慶喜さんの名前を出すことができました。前置きはこのくらいにして、ご両名をお題とした「資本家道講座」いってみます。

西郷隆盛:地の利(外様の雄藩)、天の時(幕末)に現れた「正しい人」ということでしょう。善悪(SpiritualS6)のことではなく、維新というパズルのピースとしてぴったりはまる人、という意味です。

中国の戦国時代に米作生産による強大な経済力を持つ西南部を押さえた秦が中国を統一したように、琉球との密貿易などで強大な経済力を得ていた薩摩は、それだけでも新日本の覇者という未来が開かれており。でも悲しいかな薩摩人だろうが会津人だろうが、ちょんまげに二刀が人の証。ともかくお家がこれまでどうり存続すること。商売(お金)なんて卑しいことは武士のいうことじゃありません、という時代に、西郷さんのすごいところは、この経済ポテンシャルをうまく引き出して本当に明治の薩長政府をつくりあげたところにあります。

ひとことで言えば実利主義。上記のとおり長州をうまく味方に引き入れたり、尊王攘夷をいつのまにか尊王開国に変えて、よりによって朝廷を開国の先兵に仕立て上げたりしちゃうしたたかさがあり。「ウドさあ」つまりぽけっとしているように見えて中身はものすごく繊細な調整ができる人だと思います。

つまり西郷どんは「最強のビジネスオーナー(financial1.3)」で自分の目標を明確に持ち、見事に薩摩の天下を達成しました。極めつけは幕府を滅亡に追いやった手腕で、滅亡しなくても徳川主導の「大政奉還」で徳川もその他大名もなかよくみんなで列強に対抗しましょう、となりかかっていたところを、朝廷を巻き込んで「王政復古」し、なりふり構わず徳川方を挑発して見事武力衝突に持ちこむところでしょうねー。これで平和は夢と化し、徳川は朝敵、薩摩は官軍という構図を作り上げてしまいました。

ただ、多数のビジネスオーナーが一時期大成功してもその後バブルがはじけて行方不明になってしまうように、西郷さんも途中で怪しくなってきます(最後は自決)。

西郷さんの目的は薩摩による日本征服であり。そのためには幕府との武力衝突で戦国時代になろうが知ったこっちゃない、という感じで、意外とこの辺は信長(Financial3.14)さんと似て「投機家(Financial1.6)」かも?投機が成功して鳥羽伏見の戦いが始まり、薩摩は大阪そして、江戸、日本全土への征服の戦争を開始しました。

でもこの投機は、地獄の結果をもたらす危険も持っていたのです。鳥羽伏見で勝ったとして、幕府方がガチで応戦すれば、大阪の時点ですでに大激戦が予想され。最終的に薩摩が勝つにしても、それまでは戦国時代さながらに日本全土が焦土と化してしまい、せっかく勝っても日本自体が再起不能の打撃を受けていました、という可能性も十分あったのです。

では、なぜ日本が滅亡しなかったか。それは鳥羽伏見の後、慶喜さんがとっとと逃げて自分で謹慎しちゃったからです。ということで慶喜さんに移ります。

慶喜さんは、投資家(Financial4)だと思います。彼の場合は、徳川や薩摩ではなく、日本がどうよ?ということが関心ごとであり。鳥羽伏見の時に「謎の反転」で江戸に逃げ帰ったのも、戦争を避けて日本の経済力を残した形で「開国・貿易・工業化」をもくろんでいたのだと思います。つまり日本という母体がなければ自分も死ぬぜ、ということがわかっていて、大政奉還だろうが何だろうがいとわないというタイプ。

ただ、演出がへたくそで、いわゆるゲスの勘繰りの標的になってしまいました。鳥羽伏見で「逃げ帰った」と敵味方から言われるのはまだしも、帰った後に「うなぎのかばやき食べたいぜー」とお付きの人にお金を渡して買いに行かせたら、お金が足らずお付きの人が自腹で払ったとか、謹慎後の生活で悠々自適すぎて、元幕臣が困っていても意に介さなかったとか、ようするに暗君とそしりたい人たちにいくらでも言い訳を与えてしまっており。

でも、慶喜さんはそういう枝葉の部分で批判するべきではなく。「卑怯なまでの退却・不戦の意思表示」によって日本という元本(Financial1.6)をすり減らさずに保全し、中国などとくらべて奇跡的な発展を可能としたと理解します。

というわけで、ながくなりました。今回はちょっとこじつけすぎかなーおそまつさまでした。ちゃんちゃん。。。

徳川300年、おもち(Blog12)を食べられる状態で「奉還」した慶喜さん

Posted by mobilizze