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日本では食べられない日本食のお話

今回のお話は、フツーな日本食のお話ですが、実はあまりフツーではなく、たぶん日本では食べることのできない、ふしぎな日本食のお話をさせていただきます。

◎Yakissobaソース

みなさんも、油がぎらぎら、食欲をそそる五目焼きそばやソース焼きそばなど、焼きそばは大好きと思います。

ソース焼きそば

出展:https://www.news-postseven.com/kaigo/wp-content/uploads/2021/11/yakisoba_38.jpg

 

 

ブラジル人も焼きそばが大好き。というわけで、中華レストラン、日本食レストランでの大人気メニューであるだけでなく、家庭でも作ろうよ、という事で麺やソースがスーパーなどで売られているのでした。

さて、麺です

 

 

ううむ、自信作の焼きそばではあるのですが。。。。

-Largo、という記載あり。幅広の麺、という意味ですが、そんな焼きそばあったっけ?

リングイーネ(Linguine)のノリらしい (Pixabay 無料画像)

 

 

-あと、光→Light→ライトな→Karui(軽い)というなかなかおつなキャッチコピーがあるのですが、こちらの説明は別記事「謎のパスタ、その名は「手巻き」」に書いたので、読んでね!

ちなみに、麺の調理法ですが、蒸すのではなく、ゆで麺です。

はやくも怪しいブラジリアン焼きそば。めげずにソースで行ってみます。

ブラジリアン焼きそばソース

 

 

写真だとわからんかもしれんが、日本の焼きそばソースと、違うとは言わないけれど、同じとも言えないのですよねー

と、いうのも、ブラジルにおける焼きそばのスタンダードが「あんかけ焼きそば」であるという恐るべき事実があり。

本家日本のあんかけ焼きそば。

出典はhttps://nagatomo.rumieru.jp/menu-list/%E4%BA%94%E7%9B%AE%E3%81%82%E3%82%93%E3%81%8B%E3%81%91%E7%84%BC%E3%81%8D%E3%81%9D%E3%81%B0/

 

 

というわけで、たしかに焼きそばソースではあるのだが、ソース焼きそばのソースではなく、あんかけの「あん」をイメージした独自開発のソースだったのでした。

というわけで、さっそく調理してみます。

なんて実は調理なんておおがかりなものではなく、沸騰したお湯に上記のKarui麺を入れて、6分くらいかな?アルデンテになったら、水を切ってお皿に盛ります。

 

 

その上に、上記のYakissobaソースをかければ、あんかけちっく素焼きそばの出来上がり。

まだちょっと硬かったかな?

 

 

というわけで、焼きそばなのにいちども焼かないという、ふしぎな焼きそばなのでした。

なかなかおいしいですよー、中華屋さんの焼きそばとは、はっきり言ってかなりちがうけれど。。。。

 

 

◎「おさび醤油」で食べるトロピカルフルーツ

以前の記事で、ブラジリアンわさびすなわち「おさび」について記載しました。

 

 

今回は、この「おさび」と醤油でトロピカルフルーツの刺身をいってみます。

なお、トロピカルフルーツいろいろについては、別記事で書きましたので、そちらも見てね!刺身にできるトロピカルフルーツはココヤシとアボガドですが、今回はアボガドを代表選手に選んで進めます。

といって、何の変哲もなく、アボガドの実を切り刻んで、そのまま食べます。

ワサビ作りすぎ。泣きました

 

 

アボガドは水分が多いのと、独特の臭みがあるので、多めのワサビで、ちょうどよく中和してあっさり風味になりました。写真のは作りすぎたけど。。。

食通の人で、トロみたいだ!という人もいるようですが、たしかに言われてみればそんなかなーという感じでした。まあ、森のバターというくらい脂肪分がありますからねーでも不飽和脂肪酸といって良質のものであり、ダイエットでも大活躍しているらしい。

そんな日本食ないぞ!アボガドなんて日本にないじゃないか!という人に:沖縄ではちゃんとココヤシやアボガドがありますよー

◎Sushiソースで江戸前だ!

今度は正統の江戸前寿司でいっています。なあんてスーパーの日本食売り場で買ってきた、まあコンビニのお寿司みたいなものですけどねー。アニサキスは大丈夫だろうか?ガクブル!

で、Sushiソースです

オーガニック食品などを揃え、客層も富裕層ちっくな人が多い、意識高い系のスーパーで売っています。

 

 

またしてもKaruiブランドでした。

このソースのウリは、すでにワサビがブレンドされた、ワサビ醤油に匹敵するソースだぞ!ということらしい。

確かに、前回ワサビつくりすぎてひどい目にあったので、自動的にブレンドされていればいちばんいいですねー、ということで、さっそく試してみました。

 

 

のり巻きに囲まれた四角い区画の中に、かなりなみなみと注ぎ込んでいますが、写真では見えにくいですねー

結論:フツーの醤油と全く変わらず。ぜんぜん辛くなかった。。。。

◎南国の醤油

ブラジルは、アメリカと並んで世界の1,2位を争う大豆生産国であり。みそ、とうふなど、フツーにスーパーで売られており、ブラジル人にも浸透している。

なのに、なぜかココナツ製の醤油を発見?

 

 

それこそ戦時中のラバウルかなんかで、補給が途絶えた!しかたなく。。。。。ならわかるのですが、いくらでも安い醤油を売っているスーパーの、その隣に、倍の値段で。。。。というふしぎな醤油です。

たしかに、石鹸でも、その辺で売っているフツーの石鹸と、ホネケーキとか言って恐ろしい高値で売っているのもあり。いわゆる「ホネケーキ醤油」とでもいうべきかもしれん。

資生堂ホネケーキ

https://www.shiseido.co.jp/sw/c/products/SWFG070410.seam?shohin_pl_c_cd=090201&online_shohin_ctlg_kbn=1

 

醤油ばなれしたまろやかさや香りで、フランス料理にどうぞ、なあんて格調高い醤油なのかも?

というわけで、その「ホネケーキ醤油」で、醤油ラーメンを作ってみました(麺はインスタント、スープはココヤシ醤油と味の素を混ぜただけのテキトーなやつです)。

 

 

結論:醤油ちっくなエグみが強烈な、カドの立ちまくりなラーメンになりました。。。。

メーカーさんごめんなさい、こればっかりは、エグみばかりでなく、むりやり合成甘味料を入れたみたいな変に甘い味になってしまい、さすがに醤油とは言えないと判断しました。「ココヤシ醤油(ココナッツアミノ)」という、新しい調味料として理解させていただきます。。。。

 

 

◎番外編その1

ブラジリア有数の日本食品店で、日本的なおにぎりを見かけるようになりました。

 

 

でも、なぜか説明文は中国語だった?まさか?中国から輸入しているのか?

 

 

◎番外編その2

同じ日本食品店で、「Ossonai」という謎の食品を発見

 

 

よく見たら、鏡餅でした。Ossonai→お供え、という意味だろう。ほんとは、Ossonae、としてほしかった。。。。

 

 

◎番外編その3

日本そのものの味覚も売っていたぞー

みょうが

 

 

どうですみなさん!サバンナのど真ん中で、こんな見事なみょうがなんてなかなか見られないですよね。冥加の至り。なんちってはいすみません。

ブラジルに移住してきた一世のおじいさん、そしてその子、その孫が「強く雄々しい 血を継いで」日本の食文化の灯を消すな、とがんばっています。

ブラジル人から見たら、なにそれ?なんのことかもわらないような、みょうが。でも、知っている人から見れば、とても大切なふるさとの味覚が、こうした日本食品店で生き続けています。

写真のみょうがも、栽培はサンパウロかな?文化としては「八重の潮路を越えて」こうしてブラジル高原のど真ん中に息づいているのですよね。。。。

この日本食品店は、他の類似店が店をたたんでいく中、逆に拡張してがんばっています。ブラジリア南部地区の。。。なんて書くとわかっちゃうかもしれん?ぜひ、今後とも、日本の味覚のリファレンスセンターとして発展していってほしいと思っています。

 

 

]◎番外編その4

みょうがを知らないブラジル人がどんなものを食べているかというと。。。。

子豚。丸焼きが有名

 

 

スーパーの肉売り場で発見。さすがにふだんはここまでいかないけれど、クリスマスから新年へかけてのパーティーとかで需要があるらしい。

◎最後の番外編

 

 

上記の焼きそば麺で、なにげにLinguine al Olioみたいにして、粉チーズで食べたら、はっきり言って焼きそばとして食べるよりおいしかったです。焼きそばとしてもそれなりにおいしいですけど。

食の民族融合ですね。ブラジルに住んでいてよかったと思っています。

「茗荷より かしこさうなり 茗荷の子」

ではでは。。。

Posted by 猫機長
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ウクライナのにがよもぎ:核戦争後の世界

にがよもぎ、というのは、植物の一種で、アブサントという要注意なお酒の原料になったりするやばい草です。

ロートレックも身も滅ぼした悪魔の酒、アブサント

 

 

お酒で幻覚症状が出るくらいならまだしも、問題は、世界を滅亡させるかもしれない恐ろしい危険を持っているところにあります。

その危険が、聖書の「ヨハネの黙示録」というところに書かれているのです。

黙示録は、22章にわたり、世界の終わりについて膨大な記載で綴られた恐ろしい預言書で、なんとウクライナのことも書かれているのが、いわゆる非公認の事実として知られるようになりました。

その中でも特筆すべきに、7人の天使が、ラッパを吹き鳴らして迫りくる惨劇を予告するというくだりがあり。Wikipediaから今回関連する6つのラッパを引用します。(7つ目は「その後、世界は神の国になりました」なんて森元首相の受け売りみたいなフレーズなので省略)。

第一のラッパ:地上の三分の一、木々の三分の一、すべての青草が焼ける (8:6-7)

第二のラッパ:海の三分の一が血になり、海の生物の三分の一が死ぬ (8:8-9)

第三のラッパ:にがよもぎという星が落ちて、川の三分の一が苦くなり、人が死ぬ (8:10-11)

第四のラッパ:太陽、月、星の三分の一が暗くなる(8:12-13)

第五のラッパ:いなごが額に神の刻印がない人を5ヶ月苦しめる(9:1-12)

第六のラッパ:四人の天使が人間の三分の一を殺した。

黙示録、7人の天使

 

 

現代語訳してみます。

第1のラッパ:全面核戦争が起こり、核爆発と、火災旋風と言われる猛烈な火災によって地球上の3分の1が焼ける

第2のラッパ:爆心地から衝撃波が広がり、建物は浜辺に作った「砂のお城」のように吹き飛び。人々や生き物は「血まみれ・阿鼻叫喚」の事態に。ここでいう「海」は「海の惑星地球」そのもののことという見方もあれば、第4のラッパでの「核の冬」に基づく気候大変動によって海洋生態系も壊滅することを予告している、という解釈もあります。

第3のラッパ:ここでにがよもぎが登場。「川が苦く」つまり汚染が広がり、人が死にます。要するに、にがよもぎとは放射能のことだった。

第4のラッパ:核爆発により地上から吹き上げられた粉塵(ブラックカーボン)が空を覆って、日光が遮られ「核の冬」に突入。煤煙は成層圏に5年ほどとどまり、地球の平均気温は5℃低下。農業生産、水産業共に壊滅。

第5のラッパ:どうやらCOVIDが世界的にぶり返し猛威を振るうらしい。「神の刻印を受けていなかった」つまりワクチン接種していなかった人たちがもがき苦しむ。ちなみに、聖書の5か月というのは神の時間であって、人の時間軸だったら5年かもしれん。いなごを放射能とする見方もある。

第6のラッパ:要するに人類の3分の1が死んじまいました。調査研究によっては、生き残るのが3分の1だぞーと言っているのもあるらしい。3分の1しか生き残れない、というのは「日月神事」も言っており、オカルトと科学が不気味な合致を見せています。

爆心地である「火球」(Fireball)の範囲が白、「放射線」(Radiation)の範囲が緑、「衝撃波」(Shock Wave)の範囲が黄色、「熱線」(Heat)が赤。

https://gigazine.net/news/20180330-outrider-interactive-nuke-map/

 

 

と、ここまで読んだ皆さん。

ぎゃあああー!死にたくない死にたくない―!と狂乱状態に陥っていないでしょうか。

実は、ぜんぜんだいじょうぶですよー上記は単に「核爆発が起きたらどうなる」という段階をむりやり黙示録に当てはめただけの妄想ですから。ははは

ただ、この種の妄想はぼくだけではなくて、いろんな人が「研究」して楽しんでいるらしい。

逆に、なぜ妄想だといえるのか?

それは、黙示録という事態が、実は昔から何度も起きており、今後も起きていくであろうからです。

なんだそりゃ?

例えば、地域的に限定された災害でも、巻き込まれて死んじまう人は死んじまうし、巻き込まれない人は生きながらえたうえ、ギネス級の長寿で「ぴんぴんころり」となる幸せな人も世界中でいっぱいいるのです。

少なくとも、日本では2回の「黙示録」が起きました。

1945年の広島と長崎です。「天使のラッパ」が原爆投下の日から鳴り響いた。

でも、世界滅亡してないんじゃね?いやいや、そんなことは、2022年の平和な日本で、つまらなさそうにこのブログを読んでいるあなただから言えることであって、広島の原爆で焼け死んだり、放射能などでもがき苦しんで死んでいった人たちにとって、死んだその日が黙示録、「最後の日」だったわけで。

かく言うぼくも、いかにも他人事みたいにへらへらとブログを書いていますが、明日おたふく風邪でもひいて、あれよあれよというまに死んじゃったら、それはぼくにとっては世界の終わりであるし、そのぼくが埋められた無縁墓地の1キロ先にあるアパートでラーメンを食べているお兄ちゃんにとっては、世界は全然終わっておらず。黙示録、なにそれおいしいの?という、どちらも正真正銘の真実だったりするのです。

 

 

どこまで「黙示録」は他人事なのか。

人それぞれだと思います。

心配性な人は、こんなてきとーなブログを読んだだけで、もうだめだー!となってしまうし、神経の図太い奴は、ぎゃはははは猫機長がまたくだらないギャグを書きやがったな!絶対いいね!はしてやらん!とほざくことでしょう。

よいこの皆さんはぜひ「いいね!」押してくださいね。

さて、「聖書」にちゃんとウクライナのことが触れられていると書きました。

東欧の人たちから見れば、あのことじゃん、と、たぶんピンとくると思います。

なんのこと?

ウクライナには、チョルノービリという原子力発電所があります。

この「チョルノービリ」を日本語にすると「にがよもぎ」になるそうです。

なんでわざわざこんな名前を付けたんだ?今になっては知る由もなく。

つまり、これは「神のおしらせ」と思っています。

神というのは、エホバかもしれないし、ゾロアスターかもしれない。あるいは、あなたを「〇に敷いている」あなたの奥さんかもしれません。要するに、あなたの理性、感情、意志、行動を決定づけており、これがないと、あなたはたちまち衰弱して死んじゃうぞ見たいなエネルギー。僕としては「中心太陽」が一番近いかなと思っています。

仏教では「牛」ということもあるらしい

 

 

にがよもぎのあるウクライナで起こった戦争。

日本も核武装しろ!とか、核戦争にならないようウクライナはとっとと降参してロシアに蹂躙されてしまえ!とか、そういう過激な行いには、建設的な未来はなく。本当に世界全体を巻き込んだ黙示録の世界になってしまうぞ!

どうすれば解決するのか?「お湯を沸かして3分です」なんてスピーディーで決定的な回答はありませんが、ものすごく遠回しに見えて、ロシアもウクライナも自由で繁栄した快適な国に発展するよう世界でいろいろ支援(制裁)することで、世界の人々が、戦争なんてしなくても、満ち足りてのほほんと生きていけるような、そんな世の中にする必要があるのですよ、と神様が教えてくれているのかもしれません。

ロシア兵から「命令でしかたがなかったんだ。ごめんね」のメッセージ。ほかにも、「すごい恵まれた生活だね、うらやましいよ」みたいなのもあったそうです。

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これらのメッセージは、実は皮肉だ、ウクライナ人をあざけっているんだ、という人も多いですが、一定数のロシア兵が真情の吐露として書いていると信じます。

世界が自由になるためには、まずは自分自身が自由な生活ができるようになる必要があります。日本のような滅私奉公の国では、日々生き残るだけで大変ですが、だからこそ、もっとのほほんと暮らせる国にならないかなーと考える機会が神様から与えられたのかもしれません。自分自身の生活をよくするために、ぜひ「アーリーリタイア・軽飛行機で空を飛ぶ」の「経済編」と「スピリチュアル編」をじっくり読んでください。息抜きに「軽飛行機編」もどうぞ。

恐怖と抑圧の「土の時代」の最後の大嵐がこの戦争であり、こんなことやってる場合じゃないぞ!という気付きを得た人類が、理解と繁栄の「風の時代」へ、ついに第一歩をしるすきっかけになったのではないかと、願っています。

チェルノブィリヌィク (Artemisia vulgaris)

聖書の「ニガヨモギ(Wormwood)」には、「ニガヨモギ (Artemisia absinthium)、オウシュウヨモギ (Artemisia vulgaris) などが該当する」とのことです(Wikipediaより)。

https://commons.wikimedia.org/wiki/File:ArtemisiaVulgaris.jpg

ではでは。。。

 

Posted by 猫機長
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新説:零戦の機首はなぜ黒塗りなのか?

世界を代表する戦闘機いろいろ

P51ムスタング Pixabay無料画像

 

 

スピットファイア Pixabay無料画像

 

 

P40ホーク Pixabay無料画像

 

 
P47 Pixabay無料画像

 

 

F4F  Public Domain

 

 

メッサーシュミットBf109

https://stormbirds.files.wordpress.com/2020/11/bf109g-6late-b25-gunpods.jpg?w=1000

 

 

Mc200 Saetta  Public Domain (カウル先端は、むき出しの銅パイプを仕組んで滑油冷却器としているため、無塗装)

 

 

こんな感じで、無塗装の銀色もありますが、大体は機首含め機体全体が迷彩塗装になっています。派手な白帯とかがあるのは、味方識別のためのマークです。

ところが、なぜかゼロ戦だけは、機首がぐるりと黒く塗られており。

https://girlschannel.net/topics/2131246/https://girlschannel.net/topics/2131246/https://girlschannel.net/topics/2131246/

ガールズチャンネル?まあいいや

 

 

この、黒い機首のなぞが、長年にわたり飛行機マニアの間で大論争を巻き起こしてきました。

大体、以下の主張に分かれています

①黒い色は熱を吸収するので、エンジン過熱を防ぐことができる。

②黒い色は光を吸収するので、光の乱反射によるパイロットの視界不良を防ぐことができる

③敵味方識別のために、黒く塗った

④汚れ対策。日本のエンジンはオイル漏れがひどく。カウルを黒く塗っちゃえば目だたないから、という事らしい。

その他、そのほうがかっこいいからとかいう意見も複数あったりしますが、操縦や整備など、もっと切迫したニーズに対応するものではないので、ここではカウントしません。

さて、それぞれの意見を考察すると、それぞれに一長一短があり。

①の場合、零戦がカウリング全体を黒くした理由にはなるのですが、じゃあP51だのP47だのが、ぜんぜん黒くしていないのはなぜ?となります。

②の場合、これも、エンジン全体を黒くする必要なんてないじゃん、コクピット前方の機体上面だけで十分ですよね?というわけで、実際隼とか雷電とかは、機体上面だけが黒色塗装です。

隼の例。ほかにも飛燕だの紫電だの、だいたいみんなこんな感じです。https://www.finemolds.co.jp/FB/FB17-sokumen.jpg

 

 

③味方識別ですが、日本の場合、大体主翼の前縁をオレンジ色に塗ることで対処しており。黒い機首、というのはいまいち説得力がなく。

④これも、零戦だけじゃなくて、他の飛行機でも機首全体を黒くしないと、汚れが目立っちゃうじゃん?隼とかはそんなにオイル漏れがなかったの?ということで、やっぱり説得力が。。。。

というわけで、尽きざる議論の泉となっています。

そこで、この投稿で、パイロット目線から、真の理由はこれだ!という新説をぶち上げるのでした。

「真相はこうだ」

実は簡単で

「光の乱反射によるパイロットの視界不良を防ぐ」すなわち上記の②そのまんまです。

どへー新説でもなんでもないじゃん、でもなんで?

これは、零戦の生い立ちというか、活躍した時代によるものが理由の大きなウエイトを占めているとの理解です。

零戦のビフォーアフターじゃなかった、一世代前の戦闘機、そして一世代後の戦闘機と見比べてみましょう

まずは零戦の先代となる96式艦上戦闘機です。

http://www.nags-gallery.com/gallery/A5M4.htm

 

 

機首の形に注目。カウリングが、シリンダを覆うあたりで最も膨らんでおり、そこから胴体に向かってぎゅっと絞り込まれています。

こういうカウリングを、タウネンドリングというのです。

タウネンドリングの発端は、シリンダむき出しにするよりも、整流覆いを付けたほうが空気抵抗も減り、冷却にも有利だね!と気づいたところから始まり。

当初のタウネンドリングは、たんに一枚の板を輪っかにして、エンジンをぐるっと巻いただけの、なんとなくダクトファンみたいなものでしたが、次第に膨らみ・丸みをおびたものとなり。

初期のタウネンドリング(ダウンエンドリング)

Westland Wallace

https://i.pinimg.com/originals/32/a2/b0/32a2b07da03e2fbd0ffc4a4e67ac4361.jpg

 

https://www.webmodelers.com/202007katoucolumn.html

こげ茶色のタウネンドリングもあったらしい。

 

 

Westland機が一枚板をのり巻きみたいにぐるっとエンジンに一周させただけなのに対し、91戦はタウネンドリング自体を前方からの気流に対して流線形に整形しています。

この整形の過程で、96式艦上戦闘機のように、胴体側はぎゅっと絞ったタウネンドリング、というよりエンジンカウルのはしり、という形状がうまれ。

ところが、この形状では、操縦席に向けての光の乱反射も相当なものになり。

赤色の矢印のように、機首上面だけでなく、水平近くまでの下からであっても乱反射してしまう、というか、むしろ操縦席に乱反射しようとする一種の鏡みたいになってしまい。(画像はこちらを加工させていただきました。http://kurage55.blog60.fc2.com/blog-entry-536.html?sp )

 

 

結局「リングを全部黒く塗るしかなくなった」のだと理解します。

ちなみに、P26とかソードフィッシュとか、タウネンドリングが操縦席より遠く離れている、あるいは操縦席がぐんと上にせりあがって設置されているような場合は、防眩塗装なし或いは上面だけでもOkだったらしい。

ソードフィッシュ

https://img.amiami.jp/images/product/main/163/TOY-SCL2-44324.jpg

 

 

P26 ピーシューター

http://www.fiddlersgreen.net/aircraft/Boeing-P26/IMAGES/Boeing-P-26-Peashooter-Title.jpg

 

 

日本の飛行機は、非力なエンジンをカバーするために極力機体の太さを絞り(操縦席を高くする余裕がない)、また格闘性能のために視界を重視してコクピットをなるべく前に出そうとする傾向があり、防眩塗装が重要になったと思います。

さて零戦になると、タウネンドリングから明らかにカウリングになり、カウリングの絞り込みもなくなった、つまり最も太いところから水平で胴体につながるようになったので、乱反射も減ったけれど、これまでの慣習もあり全部黒く塗りました、というのが真相と理解します。

 

 

ガールズチャンネルの画像から抜粋。上が初期型で、カウルは水平絞り込みなしに抑えられており。下は改良型で、むしろ先細りの紡錘型になっています。

同時期に開発された隼は、先代の97戦ですでに胴と一体化したカウルだったこともあり、カウル全体を黒くしなくてもよくね?と気づいて、上面だけにしました、という事だと思います。

そして、次世代機の雷電はこんな感じ。

https://www.sankei.com/resizer/CIO0sGSF7SHHGD96NrG0c3bRiiI=/730×0/smart/cloudfront-ap-northeast-1.images.arcpublishing.com/sankei/RCSGBHO7PFNIJDYCP4427GIJBU.jpg

 

 

雷電は、機体全体が紡錘形で、操縦席から機首に向けてぐっと細くなっていくので、防眩塗装も上面だけでよくなった。

というわけで、カウリング形状変動の過渡期にあった零戦は、旧世代の名残でカウリング全体を黒くしました、という事だとおもいます。

ちなみに、零戦と同世代の99艦爆や97艦攻も、カウリング全体が黒くなっています。パイロット目線から見れば、これらの機体みたいに、カウリングだけでなく操縦席までの機体が大きく黒塗りになっているのが一番親切かなーと思います。

97艦攻の例

http://c2ssdt.cocolog-nifty.com/photos/uncategorized/2017/05/11/862_1.jpg

 

 

ただ、黒色塗装は確かに熱を吸収するので、甲板だの飛行場だのに機体を係留・駐機していると、太陽熱で「目玉焼きができちゃう」くらい熱くなってしまったのではないかな?機体が痛むような気がします。

あと、上記で「こげ茶のカウリング」が出てきましたが、どうも零戦、90艦戦、96艦戦や96陸攻あたりは、鮮やかな紺のカウリングがあった気がします(学研の図鑑「飛行機・ロケット」で見た記憶あり)。ところが、ぐぐっても黒いのや、鼠色?みたいなのばっかりなのですよねーでも確かに存在していたと思います、いつかまた見てみたいな。

Youtube では発見。https://www.youtube.com/watch?v=nIRYc-p1J2A

 

 

なお、もっとおたくちっくな議論はこちら(外部リンク)。→ https://mixi.jp/view_bbs.pl?comm_id=22269&id=39709305

「塗粧」とか「通達」とか、中島製はこうだけど三菱製はああだとか、マニアックすぎて頭がこんがらかりました。

最後に、ぼくが乗っている白い軽飛行機は、機首上面も白ですが、特にまぶしいとかはないですよーという事で追記。

とある大農場の滑走路に着陸

着陸動画はこちら→https://www.youtube.com/watch?v=_v6jWNWwFHI

 

 

こんな飛行機に乗っています

というわけで、今回は思い切り飛行機おたくの投稿でした。ではでは

Posted by 猫機長
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短編集:お料理、絵画、Quoraと居合

短編集続き。今回は①お料理、②絵画の世界、③Quora質問リクエストに答えて、④居合です。

①NHK今日の料理

ではなく、猫機長今日の料理、行ってみます。

時には豪華にということで、①長ネギ、サラミ、インスタントラーメン購入。ちなみに長ネギは太目のやつと細めのやつの2つの束に分けておきます。②ここで玉散る鋭利なはさみを取り出し、③細めの束を切り刻んでいきます。ちょきちょき。。。④この辺で水を入れたなべに点火。⑤どんぶりの中で切り刻んだ長ネギにしょうゆ、味の素、食用油をからめて混ぜておきます。⑥一方で、太目の長ネギをまるかじりだぜ!辛くて耐え切れん、というときにサラミを食べます。至福の一瞬。⑦そうしているうちにお湯が沸いてくるのでラーメンを入れます。大学時代からの技でアルデンテに仕上げます。⑧というわけでおいしいネギラーメンの出来上がり。おそまつさまです、ちゃんちゃん。

 

 

②カンディンスキー

少年時代より、なぜかこの絵「コンポジション8」にこだわりがあり。どこかでみたなーなんですが、あれ、もしかしてこれって操縦席からの眺めじゃん、なんて気づきました。もちろんカンディンスキーが生きてたら「ふざけんなー!」でしょうが、死人に口なし。悔しかったら化けて出てみろー!ぎゃははは!

 

 

③Quora質問リクエストに答えて

「Quora(クオーラ)は、ユーザーコミュニティで作成、編集、運営を行うQ&Aサイト(Wikipedia )」だそうです。なんとなく2Chみたい、なんて言ったら怒られるかもしれませんが、ランダムに立てられたスレに回答する、みたいな感じ。気ままにいろいろなスレに回答していたら、名指しでぼくに回答してくれ、という質問スレが立ち。こんな感じで答えました、というのを抜粋。

頂いた質問:

「在日ウクライナ大使館が外国人で構成する「義勇兵」への参加を公式ツイッター上で呼び掛けたところ、元自衛官ら日本人約70人が志願したことが分かりました。志願された方々を 貴方はどう思われますか」

ぼくの回答:

個人としてみれば、とても勇気のある勇敢な行為と思います。国家という観点から見れば、元自衛官など、今後ロシア周辺国である日本がウクライナのような事態に直面した時、決定的な経験、情報、スキルを持った人たちが養成されているという理解であり、防衛省はこれらの人たちを戦後教官などとして招き入れるなどすれば、防衛力向上への大きな人的資源になると理解します。

人命を重視する西側諸国の一員として実戦参加し、必要とあらば捕虜になることで、死ななければ強制収容所(振武寮含め)送りにされる全体主義国家とは根本的に違った兵士として戻ってくることを期待します。

沖田総司。「ああ、斬れない。婆さん、俺は猫が斬れないよ」

画像出展:https://ameblo.jp/akira-typeo/entry-11459556216.html

 

 

これにより、陸上自衛隊が、二度と旧帝国陸軍とならぬよう。また「たちかぜ事件の海上自衛隊」が「敵も味方も同仁の明治海軍」に復帰できるよう、重要な人材が得られることと信じます。

小生食用のために鶏を斬ろうとしましたが、殺すことができませんでした。今回の戦争で、眉一つ動かさずに敵兵という人間を殺すことを覚えた人材が日本の自衛隊に還流することは、兵自身のみならず一般日本市民の生命を守るために決定的な重要性を持つことと理解します。

人間性を失わずに殺し、生き残ること。西欧の軍隊(ウクライナは東欧ですが、原理は西欧の軍隊と合一化して動いているとの理解です)での経験により、旧軍とならない日本の防衛装置の確立に重要と考えます。

④居合

幕末。江戸の北辰一刀流小千葉道場に、土佐生まれの血気盛んな若者が。

その名も坂本龍馬。

めきめきと剣術の腕を上げて、皆伝並みに強くなりました。

「いひひひひ、これで並み大抵の野郎なら一撃で斬り倒せるようになったぜー!黒船で押し寄せてきやがる南蛮人どもをさくさく斬りきざんでやる」

と血気にはやっていたのを見かねた上役の松平春嶽が

「きみきみ刀を殺人に使うなどと物騒なことを考えてはいかん。だいいち人の血でさび付いた刀は研いでも使えなくなっちゃうぞ」

「おおお松平様、ぼくは貧乏で刀は一振りしかありません、じゃ人を斬るのはやめますね」

「そうそう。人を斬るなんて時代劇でも口にする言葉じゃないね。もっとも刀の錆にしたい奴もいるがな」

「ええええ?平和主義の松平様でもそんな奴がいるんですか?もしかして、松平様が大好きな、わかばのたい焼きをくすねてドロンした空き巣のことでしょうか」

「それに近いが、もっと悪いやつだ。そいつは南蛮人と結託して日本を商売人に売り渡そうとしているのだ」

「ええええー!そいつこそ輪切りにぶった切ってやります」

「だから刀を人殺しに使うなと言ったではないか。確かにぶった切ってやりたいとは思うがな。そいつは赤坂に住んでいる、勝海舟というふざけた名前の野郎だ。ここに地図もあるからよかったらやるぞ」

「ありがとうございます。ようし、こうなったら日本のために、勝とかいう「働かないおっさん」をぶった切ってやるぜー!」

「これこれ物騒なことを言うなというに。わしは勝を切れなんて一言もいっておらんからなー」

と、松平のおっちゃんにけしかけられたのか、あるいは血気にはやる若者の情熱なのか、気が付いた時には勝さんのお家に到着していたのでした。

マッチ売りに変装して、勝家の戸を叩く龍馬

「おっさんよう、マッチ一本いらねえかい」

「ちょうどマッチを切らしていたところだ、どうぞお入んなさい」

戸を開けた使用人さんを蹴り倒し、勝さんの部屋に乱入する龍馬。

「ようおっさん、三枚におろしてやるから覚悟しな」

しかし、勝海舟は舶来の椅子にすわったまま全く動じず。

悠々と地球儀を持てあそぶ勝海舟に、龍馬は刀が抜けず。

「う、ううう?ううーむ?」

隙だらけのようで全く隙のない海舟は、地球儀をかざしながら、竜馬に言って聞かせました。

「あっしを斬ったところで、せいぜい君が塀の内側に落ちるくらいで、世の中全然変わらないよ」

と地球儀を見せながら

「ごらん、この地球儀の中で、大きなヨーロッパ大陸がある。もっと大きなメリケンがある。エゲレスやメリケンでは、電線というものでエレキを町中に配電して、夜でも明るいナショナル電球が煌煌としているのだ。町にはテロの標的になるような超高層ビルが建っており、線路の上ではデゴイチ機関車がごうごうと走っているのだぞ」

 

 

想像もしなかった事実を聞かされて、きょとんとする龍馬。

「おっさん、おフランスじゃあ素敵女子と真昼間からデートしてても怒られないんですか?」

「当たり前だ。フランスでは仕事よりも新婚旅行の方が大切なのだ。だが、そんなことより、NASDACというのがあって、全米の主要な株が取り引きされているのだ。そして、うまく高配当株を組み合わせれば、配当生活でアーリーリタイアも可能なのだぞ」

雀躍する龍馬

「勝先生スゲー!ぜひ先生と一緒に海運会社を立ち上げて、イランからガソリンを買い付け、日本をエコノミックアニマルの大資本主義国家に発展させましょう。みんないっしょにジャパニーズビジネスマンだ!」

優秀な若者を説得できて喜ぶ勝さん

「よしよし、ではいっしょにサンバパーティーで楽しくお祝いをしよう」

と、龍馬さんとなかよく街角のサンバホールに遊びに行き。

サンバパーティー

https://www.youtube.com/watch?v=Lzb1BSyy4ZQ

 

 

それから龍馬さんは勝さんのお弟子さんとなり、明治維新の基礎を作ったのでした。

ううむ、坂本龍馬フアンの人たちに怒られそうだ。決して龍馬さんをけなしているわけではないので、許してくださいね。。。。

おっとこの文章の本題を忘れるところでした。

こういう場面で、なみの武士であれば、相手より先に斬って勝つ。

でも、達人は「抜かずして勝つ」。

龍馬さんは、皆伝並みの腕だけれど、勝さんの前で刀が抜けませんでした。

勝さんも、直心影流の免許皆伝で、斬りあいに持っていけば勝さんが優位だったかもしれません。

でも、勝さんは龍馬さんを「気で威圧して、抜かせませんでした」。

そして、龍馬さんを説得したうえで、斬りあいの流血沙汰なんて非生産的なことではなく、欧米帝国主義に対抗するための重要な人材として龍馬さんを取り込んじゃったのでした。

これが、「抜かずして勝つ」ほんものの居合の姿だと思っています。

というわけで3000字越え。ではでは。。。

明るいナショナルメドレーhttps://www.youtube.com/watch?v=Kw76bnsS5hU

 

Posted by 猫機長
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タロットに見るアートのエッセンス

誰もが知りたい未来の秘密。運命のゆくえを紐解くタロットカードは、IT時代の今日でも世界中で親しみを持って使われ続けています。

中世から現代まで、いろいろなタロットが生まれ。一枚一枚のカードを彩るアートも、千差万別のバラエティに富んでいます。

例えば、1番最初のカード「魔術師」にしても

https://i1.wp.com/oficinadasbruxas.com/wp-content/uploads/2014/05/cartas-o-mago.png?ssl=1

左から、ウエイト版、エジプト版、神託のタロット

 

 

和製の「軍国百人一首かるた」みたいなのもあり。

http://cosmosmococo1689.blog.fc2.com/blog-entry-4.html
 

 
名前からしてアートです、みたいな「アールヌーボー版」なんてのもあったりします。

 

 

時代や地域によって変化する美的感覚で、いろいろなタロットがもてはやされてきました。今日の日本でもてはやされるタロットは、たぶん上のアールヌーボーとか、こんなのではないでしょうか?

https://www.illust-factory.com/sample_a47/

かわゆい猫タロット

 

 

一方、浮世絵の美人と、現在の美人のイメージが必ずしも合致しないように、時代時代の美的感覚にマッチしたタロットは、時代が変わればあまり顧みられないようになり。代わって新しい時代にマッチしたカードが登場。

現在ポピュラーなカードがウエイト版との理解です。「1909年にロンドンのライダー社から発売され、イギリスでタロットと言えば、ほとんどこれを指すほどになった(Wikipedia )」など、いくつかの国では代表的なタロットの地位を築いているようです。

一方で、「1650年頃(Wikipedia )」と、現在とは美的感覚も相当違っていたはずの時代に生まれながらも、多くの愛好家から「タロットの源泉」「あらゆるタロットの中で最も本来の姿を保っている(Wikipedia)」すなわち「本物のカード」として、現在でも主役の座を明け渡さない、すごいカードが存在します。

それが「マルセイユのタロット」

 

 

マルセイユのカードは、絵柄はちょっとおどろおどろしいけれど、圧倒的な迫力をもって迫ってきます。「猫タロット」が、かわいいいいいい!だけど、「かわゆい」の一言で終わってしまうのに比べ、マルセイユのほうはカードをめくる一人一人に、魂の奥底から揺さぶるようなインパクトを与えています。そして、カードの奥底から放射される恐ろしいエネルギーをもって、観る人を虜にしてしまう。そんな魔力を秘めたカードです。

その魔力は、どこから出てくるのでしょうか。

マルセイユのカードがアートなのは、マルセイユがアートになろうとしなかったことこそにその源泉があるのだと思います。

以下、マルセイユ版「魔術師」についての考察です。

机の上に、ナイフやコイン、カップなどが並べられています。

これらの品物は「火・風・土・水」すなわち万物の元であり。魔術師が若者であることとともに、「すべてのスタートであり、無限の可能性が広がっていますよ」という意味なのです。

ここで、他の版との違いが浮き彫りになります。ウエイト版のように、比較的忠実に机の上の物品、つまり「どのような存在にも変化しうる未来」を示したものもあれば、猫タロットみたいに机(変化が起こる、スタートの場所が用意されましたよ、というメッセージ)が最初から無い、なんてカードもあります。同様に、アールヌーボーも、アートとしては美しいけれど、美しい青年とその付属物の絵、になってしまっていて、マルセイユ版のような生々しいメッセージの提示はなくなってしまっているのでは?と思います。

まあ、マルセイユ版を使い倒して、そのうえで他のカードを使うなら、例えばエジプトタロットの机にある壺は要すればカップであり、神話タロットでお兄ちゃんが持っているろうそくは、本来であればワンドなんだな、と合点がいくものと思います。

つまり、マルセイユ以外のタロットは、マルセイユにインスパイアして、見栄えをよくした各時代のポップアート、という事なのかもしれん。

いわゆる一つのポップアートの金字塔として「50年代アメ車」があります。

平べったく巨大な車体と、巨大なテールフィン

画像出展はいずれもhttps://web.motormagazine.co.jp/_ct/17440107/album/16798476/image/16928828

 

 

つまり、50年代では、こうゆう走行性能とはあまり関係ない、巨大な、装飾でゴテゴテの車が「かっこいい!」日常の足だったわけで。

でも、今日では「博物館で見る美しいクラッシックカー」ではあっても、これで日常的にスーパーにお買い物、というのは、ちょっと抵抗があるのではないでしょうか。

一方で、さらに前の1930年代に作られたのに、多くの国々で、まだまだ日常の足として「おしゃれだね」という車が存在しています。

このブログの読者であれば、すでにお分かりですよね。。。。

世界の名車かぶと虫。

パン屋さんへ行ったら、もう一台、うすこげ茶?のが駐車していました

 

 

かぶと虫には、50年代で流行したテールフィンはないけれど、テールフィンの流行が去っても、車としてのエッセンスはずっと持ちづつけていたので、今日まで現役で残り。街角でちょくちょく見かけます。部品とかもフツーに生産されていて、これは工業面から言えば画期的な現象らしい。

マルセイユ版タロットが今日まで残っているのも、すべてのタロットの源泉となるエッセンスが隠されているからと理解します。どんなエッセンスがあるのか?そしてどこに隠れているのか?

マルセイユ版と、ウエイト版を見比べてみましょう。

 

 

ここでは、マルセイユ版のおにいちゃんの帽子に注目してください。

なかなかおしゃれな帽子じゃん?いえいえアートな帽子を目指しているのではなくて、∞を図案化しているのです。

∞すなわち「無限大」。そんなわかりにくい「絵解き」にしないで、ウエイト版みたいに、兄ちゃんの頭の上に∞と描けばいいじゃん?

いえいえそういうわけにはいかないのです。

マルセイユ版が成立した時代は、中世の封建主義から大航海時代の絶対主義王権が確立されていった時代であり。教会あるいは絶対君主がキリスト教の名において独裁的な政治を「合法化」していました。

この時代は、「神の作りたもうた秩序が永遠に続く」ことこそが正義であり。唯一ひっくり返すとすれば「終末のラッパが鳴り響く」黙示録の時代が到来した時で、いつ到来するのかは「神のみぞ知る」なので、ともかく「今日を牛馬のように働け」そして「そのまま生涯現役で働き、廃人になって死んでしまえ」という事が「キリストの教え」とされていた時代であり。

要すれば「今日と違った、より良い明日があるかもしれない」「より良くしたい」「より良くなるかどうか知りたい」などという考えは、悪魔のささやきであり、神の与えたもうた今日の境遇を、死ぬまで文句をいわずに受け入れなさい、ということである。

そういう「教義」「権威」が最も嫌うものは、まさに「人間は無限大の可能性を持つ」そして「(占い含めて)その可能性を開花させるために努力する」ことであった。というわけで、表立って∞だのと書き立てたら、ひっとらえられて火あぶりになったらしい。

この辺は、敬愛するブロ友のべるっちさんが「知ってる?マルセイユ版の愚者に0が無い理由」で書いてます。また、拙ブログの「神と人と物」のトマス・アクィナスのくだりでも書いていますので、ご参考まで。

つまり、マルセイユ版タロットが他の追随を許さないのは「必要な情報を、必要な形で」すべて含んでおり、必要でないゴテゴテした飾りは全くない、そして、出し方を間違えると、強権によって処刑されるが、しかしだからこそ人々のために本当に必要な情報をうまく「絵」という「抽象の核」に包んで教えてくれている。

こうした、一見簡略化されたような絵柄の中にこめられた真理が、カードの奥底から強大なオーラとなって、人々の魂を突き刺す。

マルセイユタロットの美を「おどろおどろしい」「生々しい」と書きましたが、むしろ、軍艦のような、極限まで鍛えぬいた結果生まれた「すさまじい」機能美と形容するのが良いのかもしれませんね。

航空戦艦「日向」。プラモの箱絵。

出展は:https://ameblo.jp/a-itougunkan/entry-12615470400.html

 

ではでは。

Posted by 猫機長
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メタバース:飲食などの生理活動はどうなる?

*今回のお題になるメタバースの基礎知識は「2022年:メタバースの世紀の開幕」に書いてますので、ぜひ見に行ってね!

(1)メタバースでの飲食

VRゴーグルを使った仮想世界では、あまりのリアルさに「VR酔い」が発生してしまい。脳と体が同期できなくなってしまう、というのが原因だそうですが、要するに乗り物酔いに似た状況になり。例えば、メタバース空間であなたというかあなたのアバターが崖からパラグライダーでふわりと飛び降りたとして、ゴーグルから受け取る視覚情報は、崖からその下の地面へむけてびゅーんと移動していくのに、あなた自身の生物学的な体は椅子に座って上昇も下降もしないので、三半規管は下降しているのか?静止しているのか?狂乱していまい、あげく吐き気だのやばい症状が発生してしまうらしい。

超高層ビルからせり出した板きれの上を、平均台みたいに歩く実験。

]

実は部屋の中に置いた板切れの上を歩いているだけでした

*ようつべを「VR Fails」で検索してみましょう。爆笑間違いなしだ!

しかし、これは、メタバース空間という仮想の空間ながら、アバターを通じた参加者の生物的な生理活動(体内活動?)を変化させることが可能という事を示しています。

三半規管 出展:https://keiyu.or.jp/ent/top/sickness/dizzy/

くどいけど、物理的な体はただ座っているだけなのに、脳ではVRゴーグルから送られてくる映像が現実だと錯覚してしまうという事である。

上記は、メタバース空間内における体の運用(運動)についてですが、空間内から自分の体に何かを取り込むような場合、平たく言えば、飲食はどうなる?についても、いろいろ研究がなされおり。VRShakerなどといって、メタバース空間内でカクテルドリンクを飲んでみましょう、みたいな試みもあるようです(詳しくはこちら、外部リンクです:https://cedec.cesa.or.jp/2021/session/detail/s60645c7724553)

さて、VRゴーグルというか、こうした装置が今後いよいよ精巧になり、アバターもへったくれもないふだんの自分自身が、ぽん!とメタバース内に生まれるようになったらどうなるか。

メタバースの世界。アニメちっくなお人形さんの一人一人が、実はこの仮想都市にVRゴーグルなどを通じて参加中の実在の人々のアバター(アイコン)です。

出展:https://www.jiji.com/jc/article?k=000000021.000080034&g=prt

「バーチャル都電」というメタバースがあったとします。そこで都電に乗り。向原駅前だったっけ?で降りて、駅前かどっこの町中華「千葉屋さん」に侵入。

と、ここまでは何の変哲もない「都市連動型メタバース」ですが、ここで、大将に「塩ラーメンちょうだい」と頼み。

本当に塩ラーメンが出てきたぞ!さあ、ここです。

メタバース内で、ラーメンを食べるという生理体験があり得るのか?

もちろん、現実世界での生物学的な体は、椅子に座ってゴーグルをかけているだけですが、はたからみていると、さもどんぶりを抱えるようにして、「おいしいね!」なんて喜んでいたりして?

そして、その本人は「熱さにやけどしそうになりながら、ラーメンを食べている実感つまり、のどごしだの、胃の中に入っていく満足感だのを感じるというようになるのだろうか?

ここまでメタバースがリアルになれば、次の展開が予想されます

1-あくまでメタバース内での体験になる。つまり、ゴーグルを取った段階で、あれ、千葉屋もラーメンも仮想の夢だった。全然食べてないや、腹減った、ということになるのか?

*この場合、ダイエットとかの一つの代替策になったりして?ははは

一目で画像とわかってしまうラーメン画像。

でも、VRゴーグルで、3次元にせり出すリアルそのものラーメンが、湯気をたてていたら?錯覚か、本物かわからなくなった時、どうなるのか?

2-MR(複合現実)ゴーグル、みたいな新技術ゴーグルで、飲み食いの部分では、ラーメンのどんぶりなど現実の物質が写るようになる。

この場合、メタバース内の千葉屋でラーメンを注文したら、瞬時にブロックチェーン技術で現実世界の千葉屋(あるいはアウトソーシングしたラーメン屋)に注文が入り、現実の大将が、はいよと作った本物のラーメンがドローンかなんかで届けられ。お家に届いた、という時点でゴーグルの一角に玄関の画像がポップアップし、戸を開けて受け取り、その瞬間に玄関とかの画像は消え去って手にしたどんぶりだけが残る。あとは、バーチャル千葉屋の机、実は自宅の机に置いた本物のラーメンを、仮想現実内でも本物の現実内でも、おいしいね!なんて食べることになったりして?

*ちなみに、バーチャルでない本物の現実世界では、日本でもブラジルでも「ラーメンの出前」はすでに存在していますが、そんなの違和感が、という人は「ラーメン」を「お寿司」に変えていただければ理解が簡単になるかもしれません。

さて、上記の2-が現実化したら、千葉屋のラーメンだろうが、スターバックスのコーヒーだろうが、飲み食いという現実世界での生物学的な行為がメタバースと完全リンクされることになり。1-の場合でも、あえて、わざとVRゴーグルで人間の五感を100%「酔わせる」ことができれば、「全日本剣道大会」とか、各選手が、実は素手で自宅にいるが、「バーチャル武道館」とかで、もちろん防具に竹刀で試合だ!防具外れに一発くらい、ギエエエー痛たたたた!なんてことが実現するかもしれん。こうしたイベントがどんどんバーチャル化してゆき、いつの日か、「えええー巨人阪神戦を見るのに、わざわざスタジアムに行っていた時代があるの?」なんて日が来るかも?

*ぼくが運営側だったら、スタジアムの現実世界での試合はそのまま残しておいて、メタバース参加もできるようにうまく観客席の画像処理?とかができたら、2重に儲けてうれしいですけどね。

あえて脱線。

とある絵を見ていたら、ふと、静謐そのものの景色に迷い込んだようになってしまい、明るいはずなのに押しつぶされるような空に圧倒されて、わあああー逃げられない、と恐怖にかられた次の一瞬、おっとこの景色は油絵で、ぼくはこの絵を1メートル前からみていただけだった、と気づいた、そんなことがありました。

その絵こそデ・キリコの「ある秋の午後のエニグマ」。

アナログ時代のメタバースか?すごいぞキリコ!

ジョルジョ・デ・キリコ「ある秋の午後の謎」1910年

*アングルの古典主義絵画でも同様の経験あり。でもスぺ―スがないので割愛。

(2)メタバースがもたらす医療革命

いまのところ、メタバースへの参入は

1-パソコン画面やスマホ画面を通じて参加(セカンドライフとか、いわゆる1.0世代)

から

2-VRゴーグルで参加(メタバース2.0。もちろんパソコン画面とかからも参加可能)

への移行を果たし、いつかは

3-何らかの形で脳へ直接アクセスする

これは「攻殻機動隊」の世界ですが、「感覚代行技術」などと言って、1980年代からすでに研究されているらしい(ポール・バキリータ博士の例)。

アニメ版「攻殻機動隊」。首に埋め込まれたプラグを通じて脳に直接アクセス。

出展:https://anime.dmkt-sp.jp/animestore/CP/CP00000424

この3-は、病気に苦しむ人たちに、革命を起こすかもしれません。

2-の段階で、すでに車いすの人でも、メタバースの中ではガンガン駆けっこができるようになっている。

つまり、3-まで行けば、寝たきりの人でも縦横無尽に飛び跳ねることができるようになる(メタバースの中ですが、アバターの超精密化により、現実世界の自分と全く変わらなくなる。少なくとも脳内では)。

そして、この「感覚代行」が極限まで進めば、脳の(視神経かな?)とメタバースが連動して、メタバース内では視力を回復させることができるようになる、という事である。

そして、「都市連動型メタバース」であれば、いつでも渋谷なりシドニーなりを、「回復した視覚で散歩ができるようになる」。

上記は、基本、ぼくの空想です。

でも、空想にとどまらず、すべて現実化できる技術になっているのではないかな?ぜひお医者さんとかに、こうしたメタバース技術の応用、開発をお願いしたいところですね。

メタバース不動産で大儲け、もいいけれど、視力を失ってしまった人たち、寝たきりで動けない人たちが、生きている限りは健常者と同じ生活ができるようになることを願っています。それが「脳内世界」であったとしても。

ではでは。

Posted by 猫機長
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パイロットと雲、そしてギョウザ

大陸の高原で小さな飛行機に乗っています。

2人乗りのExperimental機です

 

小さな飛行機なので、レーダーとか上等なものはついておらず。有視界飛行といって、目に見える地形などを指標にしながら飛んでいます。

きょうびグーグルアースとかもあり、目的地までにどんな山や川、町や建物、農場や道路、湖があるかなど事前に調べておき、空に上がれば、おっとこの道路はもっと左寄りになるはずだから、横風で機体が右に流されちゃってるね、と機首を左に向けて修正したりなど、要は地面が見えてさえいればレーダーなしに(GPSは便利)なにげに飛んでゆくことができます。

問題は、雲が出てきて、視界が遮られちゃうとき。

雲というのは水蒸気とダストが目に見える密度に凝縮したものですから、あらかじめ地図上でここにあるよ、と書いておくことはできません。霧雨、雨、雷雨、降らなくても雲が空一面を覆っちゃうなど、雨季の雲は小型機パイロット泣かせです。

離陸時に、滑走路周辺は青空でも、いったん空に上がって50キロくらい先まで視界が効くようになると、50キロどころか、意外に近くで層雲がにょごにょご横に伸びているのが見えたりします。こういうときは、時々360度旋回などして、後方のかなたに離れていった滑走路周辺にこうした雲が伸びていっていないか確認しながら飛ぶ必要があります。

もちろん、こうした雲が滑走路上へ伸びていきそうだったら、管制官へ「出発空港へ進路変更(Alterna Origem)、プラン変更で帰路につく」と要請して「了解」をもらったらすぐに引き返す必要ありです。

離陸時は青空だったのに、着陸時には層雲が発達してきた例

 

ちなみに、雲にはいろいろなタイプがあり。

平べったくて薄く伸びていくのが層雲。この雲が出るときは気流は穏やかで、中層から上に出ていれば飛行にはとても良い天気になります。これが地表にへばりつくように出ている場合は要注意で、フライトプランで翌朝8時離陸、としていたのに、飛行場に行ったら一面の霧だった、泣く泣くフライトキャンセルなんてこともあります。上下ににょきにょき発達するのは積雲。雲の間の視界はよくなるが気流が荒れていることも示しており、要注意の雲です。

*このへんは別記事「いろいろな雲」に書いているので、ぜひ読んでね!

左が下層の積雲(Cumulus)、右が高層の巻雲(Cirrus)

 

最初から入道雲がにょきにょきとか、滑走路直上が真っ暗で今にも豪雨が、というときは判断も簡単ですが、判断がつかないときは、しょうがないので一点飛行(ホームベースから離陸して、ホームベースに着陸する飛行)のフライトプランを提示して、飛行場の周回とかでうさを晴らしたりすることもあります。

そこかしこで強烈な積乱雲(CB)が発生するケースでは、無線機に飛び込んでくる旅客機と管制官の交信も、旅客機が次々に(雲を避けるための)進路変更を要求してくるので、管制官もこれをさばくのに「はっちゃき」になり。そんな時は、管制の邪魔にならないよう、交信に余裕が生じた合間を見計って早めに「最終着陸に入る。フライトプラン終了願う」として、さっさと管制終了(着陸)しちゃうこともあります。

といって、地面にいてばかりじゃ操縦技能も鈍るし、飛行機のメンテにもよくないし。

たとえば、下の写真では、離陸できるかできないか?

答えは、離陸可能です

 

なぜかというと、写真の赤丸に注目

拡大します

赤丸の中に、セルタワー(通信塔)があり。このてっぺんちょっと上くらいが、だいたい海抜3,700フィートつまり滑走路の着陸旋回を行う高度なので、このタワーが雲で隠れていなければ離陸差支えなし、となります。

 

こんな感じで、滑走路近辺の目印を「ものさし」にして判断しています。生活の知恵ですねー

こういうのっぺりした雲が、上記のようなトラフィック高度ぎりぎりではなく、7千フィート以上に出ていてくれれば、太陽の直射熱によるサーマルが発生せず、とても穏やかな空になるので、実はこういった層雲はパイロット好みの雲だったりします。

層雲の高さ、というのはなかなか重要で、雨季になると、よりによって5,000フィートくらいに出てしまうことも多く。これは、Experimental機の巡航高度なんですよね。。。

まあ、薄切り肉みたいに薄っぺらい雲なので、ちょっと降下して雲の下に出れば、大体は穏やかな気流の中、地上の指標をゆうゆう確認して飛ぶことができます。

これが、シュウマイみたいなまるっこいのや、ギョウザみたいなのがいっぱい、という時があります。

大きさにもよりますが、白くて小さいのが多数ふわふわ、むしろ、わたあめみたい!という場合は、気流も穏やかで視界も十分開けているので、こうした雲の間にまぎれこんでいって遊んだりします。

(でも、雲の中に入っちゃうのは厳禁!です)

わたあめみたいな雲

 

ギョウザみたいなのもあり

 

雲の間から、道路や畑、集落などが見え。軽飛行機は地文航法です。

 

パイロットというのは、なかなかあまのじゃくで、空を飛んでいるときは、地面ばっかり見ています。そして、地面にいるときは、空ばかり見ています。。。。

飛行機乗りになって、空を見上げるようになりました

 

まだ記事スペースがあるので、ギョウザのお話を。。。

①蒸しギョウザ

ステンレス蒸し器を購入し、さっそくギョウザ作戦を開始。

日本食品店で、できあいの冷凍餃子を売っているので、冷凍したまま蒸し器に並べて、沸騰している鍋の中に入れます。

蓋をして蒸すこと30分。。。。

 

ぱっと見はとてもいい感じになり。

 

そして、ぜんぜん蒸し器にくっつかなかった!すごいぞ!

 

いい感じに焼けました。すくなくとも、凍ったまま残ってしまい、シャリシャリ。。。というのはなく。

皮は、すごくもちもちになりました。よかったね。。。

 

②焼きギョウザ

ギョウザといえば焼きギョウザ。

まずは、冷凍状態ではこんな感じです、というところから。。。

 

ギョウザたちが3分の2くらい沈む深さに水を入れて、沸騰させ、蓋をして蒸し焼きに。

 

5分間待つのだぞ。。。。

そこで水を切ったまではよかったのですが。。。

やばいぜ、くっつきはじめてるじゃん

 

というわけで、あわてて油で焼いたのですが。。。。

こんな感じになりました。

 

ぜんぜん焦げあとが。。。。

そして、裏返っていないやつの底が、どうなっているかは、お察しください。かなしいな。。。

でも、おいしかったので〇

失敗以前に、もともとがあまりギョウザちっくじゃないじゃん?という人に、少なくとも包装の写真ではかっこいいギョウザでした

こんなふうにうまく焼きたいな。

 

ではでは。

Posted by 猫機長
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田舎暮らしつづき。サソリや雨漏りその後

※サソリについては、最近は日本でも沖縄のみならず東京でも発見されたらしい。みなさんも、この記事を参考にして安全な都会暮らしを。

さて、高原の飛行クラブに格納庫をもっています。

上空から見た滑走路と格納庫群

着陸後、誘導路を格納庫までのこのこタキシングしているところ

格納庫の中はこんな感じ

週末、空を飛ぶのはたいてい早朝なので、前日夜から泊まり込みしています。

格納庫内の簡易居住区

格納庫生活の風物詩を書いてみます。

◎雨漏り

乾季と雨季の2つの季節しかないブラジリア。雨季となれば毎日雨。ふつーのしとしと、というのもあれば、疾風怒濤の豪雨もあり。トタン屋根の格納庫では、ザーザーと雨が屋根を叩く音がうざいですが、それよりも雨漏りが課題、ということで、以前の記事で対策した結果、今年の雨季はかなり改善しました。

でも、雨どいのところから滝のように雨漏りしていたりして。まあ壁際だし、雨が上がればこれまたからっと乾いちゃうので、気にしない気にしない。。。

やばいのは、トタン屋根を締めているねじの隙間からぽたぽた落ちて来るやつ。

飛行機の上にどうしても落ち来るので、うんしょうんしょ、と風防や尾翼のヒンジ(蝶番)に落ちないように、駐機の位置を普段よりタイヤ1個分ずらしたりして、ようやく納得できる場所に移動。今後はここが駐機の定位置となります。

テープでマーキングしていたところにタイヤを合わせていましたが、雨漏りに合わせてタイヤ1個分右に移動しました

尾翼と胴体の接合金具や、エレベータのヒンジに雨漏りが直撃しないようにくふうします。

よしよし、これでかんぺきだな、なんて安心していたら、胴体燃料タンクキャップのすぐ横に雨漏りの雫が落ちてきちゃった!

キャップの通気口から水が入っちゃったら大変なので、そのへんにあったカップをかぶせました。これがいいぐあいにキャップにフィットし、かつ通気もできる隙間もあったので、さっそく常備品として採用し、飛行中は機内にしまっておくこととしました。

ちなみに、Ⓒというのは、カップのCです。ははは

ドレンのⒹとセットでチェックリストに書いておき、飛行前チェックの時に忘れずはずして機内に入れるようにします。

まあ、わすれちゃっても、風圧で滑走路脇の芝生に飛んでっちゃうだけですけど。後で探すのに大変だし、へたに芝生を歩いていると蛇にかまれたりします。

ドレンの方はこちら。燃料系のチェックをする弁がある場所です。詳しくは別記事→「ドレン弁」に書いたのでご参照。

こんな感じで飛行機の安全を確保。風向きで雨漏りの位置が変わったりすることもあるので、ちょくちょく駐機位置をずらしています。

それでも、去年に比べ画期的な向上ですねー(去年の記事はこちら→田舎暮らし)

去年の雨季では、格納庫中だだもれだったのですが

いやいやまいりました

その後雨漏り対策が奏功して、ことしはからっからになりました

ポルシェのバンパー後ろにある斑点が、豪雨でどうしても出てきちゃうねじ穴からの雨漏りです。

ちなみに、こういう点々とした雨漏りは格納庫施設ではなかなか避けがたく(あっちをふさいだらこっちが、というケース多し)、飛行機にカバーをかぶせる人もいますが、自動車と同じに、これはこれでいろいろあり、ぼくは換気重視でカバーはかぶせていません。

◎ワイルドな生き物たち

雨季になると、灼熱の太陽と豪雨の恵みにより、いろいろな生き物たちがすくすくとそだちます。

まず、サソリがおり。

ブラジリアでは、2種類のサソリが発生しています。

まず、黄色いサソリ。

写真のはつぶしちゃった後なので、伸びたラーメンみたいにぐったりしていますが、生きているうちはもっとしゃきっとしています。尻尾無しで4センチくらいでした。

こいつはたしかにやばい毒を持っており。とあるHPによれば、呼吸困難を誘発して、急速に死亡を招く可能性がある、なんて書いてあったりします。でもよく見ると、害虫駆除企業のHPだったりして。

サソリの駆除が儲けにつながらない新聞とかの情報ソースでは「痛いけど9歳以下の小児や老人以外はリスクはない」となっていました。ははは

黒いサソリ

体長は尻尾を入れて5センチくらいの、まだ中学生くらいのやつでした

こちらはさっきの害虫駆除会社のHPで「毒は黄色いサソリより弱い」となっていました。

というわけで、対策ですが

スニーカーや靴は地面に置かず、ドアのノブなどにひっかけておく。

以前は地面に追いたままにしていたのですが、とある吉日、心休まるフライトから帰ってきて、なにげにスニーカーを脱いだら、靴下の小指当たりのところに、小さなやつがつぶれてひっついていました。ははは

さすがに気が動転し、写真撮るのをわすれました。でもそれから1か月以上たって別に何の症状もなく。刺されなかったんじゃね?と安心しています。

それからは神妙に、写真のように用心しています。

ちなみに、とある元兵士によれば「ジャングルの生存訓練でサソリを食べる訓練があった」そうで、刺されないように尻尾をつまんで、頭の方からバリバリ食べたそうです。

過酷な訓練で「お前はもう死んでいる」意識朦朧の状態だったので、特にうまいまずいとかなく、なにげに食べました、とのことですが、そんな状況でも「カブト虫の幼虫だけはいやだ」そうです。

確かに、サソリってなんとなくロブスターに似ているよね、って思います。一方、クモの方は「カニそっくりじゃん」という人もいますが、生理的にいやですよねー。

というわけで、クモです。

タランチュラ(Aranha da Grama)

こちらは生前のお姿を撮影できました。

タランチュラ自身はとても穏やかで毒も弱い、かつ他の害虫をやっつけてくれるという、日本でいえば「アシダカ軍曹」みたいな益虫?なので、本当は殺したくないのですが、タランチュラにそっくりでものすごく獰猛なアルマデイラというのがおり、どっちかわからなかったので、殺しちゃいました。

殺害後の写真。でかいです

ちなみに、アルマデイラの方は猛毒で、噛まれると心臓麻痺を起こすこともあるらしい。また、ものすごく敏捷で、1.8メートルくらいは跳躍して襲い掛かってくることもあり、「見たら逃げろ」が正解ですので、この記事みたいに「どっちかわからないから殺しちゃえ」というのは実はやらないほうがよい。

そして超重要:飛行機のドアは必ず閉めておくこと。そもそも降着装置で地上から高く持ち上げられてはいますが、念には念を入れた方が良いですよね。。。

で、雨季の飛行はこんなかんじ。

雨の中のほうが、気流は穏やかです。(雨にもよりますけど)

緑の大農場

雲の下を飛ぶ

晴れた日は、青空がとても爽やかです

着陸後。パンなしサンドを食べています

最後に、着陸動画。

ではでは。。。

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美術の実用価値:西洋絵画と日本刀の共通点とは

美術と工芸。ふつーの人から見ると同じに見えますが、ルネサンス時代の画家とかに言わせると「ふざけんな!ぜんぜんちがうぞ!」だそうで、要するに工芸は「日常の実用品にアートな加工をした物品」そして美術は「それそのものが存在価値をもつ、アートそのもの」だそうです。

美術品(アングル 「ホメロス礼賛」)と工芸品(陶磁器 有田焼)

 

ふうーん。じゃあ、美術品って、結局タワマンから見る景観と同じで、あってもなくても生活には困らない、そうゆうものなのですね、とおもったら、いやいやそうでもないらしい。

というわけで、今回はファン・エイクというにーちゃんの絵画に秘められた恐るべき暗号について探求します。

ヤン・ファン・エイク「アルノルフィーニ夫妻像」

 

この絵の登場人物の前に、もろもろの物品に注目してください。

◎夫妻の足元にいる犬。物品というより生き物ですが、夫婦の忠誠と(生まれ来る)子供の象徴。

◎奥さん後ろのベッド。カーテンの赤や、カーテンが開かれていることで、この絵の男女がこのベッドを共有する人たち(夫婦)であることを宣言。

◎天井からぶら下がるシャンデリアに一本だけ灯のともったろうそく。精霊の来臨つまり神に祝福(公的に承認)された結婚である。

◎窓際のオレンジと棚。富の象徴。夫妻の所属する階級(裕福な商人)を宣言。

◎スリッパ。「聖なる場所では靴を脱ぎなさい」と聖書にあり。婚姻の場所であることを宣言。

◎ほうき(鏡のすぐ横)。家事、労働、貞節の象徴。二人が家庭を構成することを宣言。

◎鏡。夫妻の背姿の前に、2名が映っている。すなわち、結婚の立会人(公証人)で、そのうちの一人がファン・エイク

◎署名(鏡のすぐ上)。ファン・エイクここにありき。1434年。

実は、ほかにもいろいろ、服装や髪型からはじまり、次から次へとメッセージのこもった小道具?が出てくるのですが、とても書ききれないので、「アルノルフィーニ夫妻像 アレゴリー」みたいな感じでぐぐっていただくと興味深い情報が得られると思います。

とりあえずは上記でエッセンスです。ロザリオはどうした!とかいうつっこみはなしですよー

ちなみに、この絵は、寓意も素直に解釈できて安心ですが、裏を読もうとすると、夏なのに冬の服、そしてろうそくが男性側にしかないのは、実は前妻の存在を暗示しているなんて解釈もあったりします。

これがフェルメールの「牛乳を注ぐ女」になると、ぱっと見はプロテスタントの美徳である質素さを象徴するようでありながら、床のカイロや、その後ろにあるキューピッド絵柄のタイルなど、実は洋〇ンもびっくりのエッチな絵なんじゃ?なんてやばい解説もあるのですが、それは気が向けば別の機会に書かせていただきます。

フェルメール 「牛乳を注ぐ女」

 

脱線しました。「アルノルフィーニ夫妻像」に戻ります。

さて、この絵ですが

「ファン・エイクは、神の権威により認められた夫婦として、商人アルノルフィーニと手をつないでいる女性が、合法的に結婚したことを証明する。1434年」

という事実を世界・世間に対して宣言しているということなのですね。

それって、役場で登記する婚姻証明書のことじゃ?

はいその通りです。

どうやら、この当時は宮廷に出入りする貴族や商人と言えども、読み書きがにがてだった?または、現在と「登記書類」という概念が違っていたのかも?いずれにせよ、この絵については、婚姻証明書と同じメッセージを社会に宣言するという意図をもって作成されたものと考えます。

この絵の最初のオーナーはほかならぬアルノルフィーニさんだったとのことで、家の権利書とか、金庫にしまった金地金と同じレベルの効力をもった重要な権利書だぞー!といばっていたのかもしれません(実は借用書だったなあんて。ははは)。

その後、宮廷人、総督、スペイン王など転々と所有が変わり、1841年に一般公開、翌年ロンドン・ナショナルギャラリーが購入して現在に至っており。その間少しづつ「アートな登記書」から「アートそのもの」に変化していったものと理解します。

一方、ファン・エイクは、この絵を描きながら

「結局、役場の証明書という紙切れ程度の価値しかないのか?」「絵として、美的感覚の表現を唯一の価値とする絵は描けないのか?」

と悩んだかもしれません(ぜんぜん悩んでないかもしれません。ははは)。

しかし現実はアカデミズムの隆盛に傾斜してゆき。アカデミー、つまり王様だのなんだのの国家権力が「正しい絵、感動的な絵」と承認した絵、つまり「国家権力を肯定、賛美、普及する実用品(報道媒体)としての絵」だけが絵画として認められるようになってしまい。

「絵入りロンドンニュース」による日露戦争当時の日本軍についての報道。

写真はすでに存在していたが、まだ絵が実用的な報道手段だった

 

こうした歴史の中で、「アートそれのみで存在する美術」を求めてもがいていた西洋の画家たちを救ったのが、なんと浮世絵などの日本美術だった。

市民社会の成熟や絵の具などの技術革新により、印象主義派など、アカデミズムに真っ向勝負だ!という機運が生まれていたところに、写実もアレゴリーもへったくれもない、画家の感性そのものがぶちまけられた日本画をみて、西洋の画家たちは「僕たちの革新運動は間違っていなかったんだ!これでよかったんだ!」と勇気づけられたことでしょう。

歌川広重作「名所江戸百景・亀戸梅屋舗」 ゴッホによる模写

 

そして、ジャポニズムが美術再発見の契機をもたらしたのは、決して偶然ではなく。

日本がフランスに伝えたエッセンスに「刀」があると思います。

戦国時代が終わり、「刀狩り」政策で民衆から刀を取り上げた時点で、日本は一般の人々が武器を持たない平和な時代に入りました。

でも武士には帯刀が許されました。支配階級とか、軍事政権とかの理由もあるのですが、帯刀ありき、刀がなけりゃ武士じゃない、なんていうのはなかなか独特で、南蛮などからの外人さんはかなり奇異な印象を持ったらしい。ザビエルさん曰く「彼らは武器を尊敬し、常に刀剣と短刀を持ち歩く」。

日欧のかけはしとなったザビエル

 

はっきり言って、江戸時代以降の日本刀なんて、実用品としてはラーメンのどんぶりとさして変わらず。どんぶりを腰にぶら下げて歩く人はいないけれど、明治時代まで武士は二本差しを墨守しました。

だって護身用に必要じゃん、という意見もあると思います。

そこが核心で、現在に至っても軍人とかはピストルを腰にさして歩いています。ピストルが護身のための実用品だからです。

でも、日本刀は護身が本来の用途ではなく(剣道、居合道、弓道)。切り合いの盛んな幕末においても、坂本龍馬が拳銃で幕吏を撃退しているし、法律上も、へたに抜けば「お殿様のご領地で抜刀騒ぎを起こした」と切腹になったりとか、そもそも抜いてはいけないというのが刀だった。

つまり、殺傷という実用をあえてしない、というのが武士の哲学であり美意識だったのですね。

武士が刀を差したのは、刀という「仁愛、智慧、勇気のシンボル」(精神と知能)を肌身離さないことで、自分自身の精神・魂の浄化向上を常に意識・努力する、そんな心構えを視覚化していたのだと理解します。

そして現在。

いつか刀が担った「真の実用的な役割」、ファン・エイクさん?や、多数の画家が願った役割が、ついに美術によって担われる「風の時代」に入り。

コンピュータが人間の生活を制御する、うるおいもへったくれもない現在で、利益、効率、成果といった無機質な言葉たちに占領されてしまった魂に、実用とはステージが違うけれども、もっと大切な「仁・智・勇」を思い出させる。そういう存在として美術が再発見されるようになった。

太刀 備州長船安光(おさふね・やすもと)https://www.seiyudo.com/ka-090120.htm

 

だからこそ、どんなにデジタル化しても日本画や油絵などはなくならないし、ルネサンスだののはるか昔の絵画がますます価値を増している。デジタル技術を駆使して新しい美術を開拓している人さえいる。

ふと立ち止まってアートを見つめる、そんな日々が大切になっていると思います。

美術は、これからの人類にますます必要な物になっていくかもしれませんね。

ではでは。。。

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超写実絵画に見る写実の本当の価値

ホキ美術館という、電車か?みたいな名前の美術館があり。

電車ではなく、貨車でした(ホキ2200)

出展:100yen – 投稿者自身による作品, CC 表示-継承 3.0,

https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=8249281による

「超写実主義絵画の襲来」というすごい展示があったらしい。下記サイトをお知らせします。

https://www.bunkamura.co.jp/museum/exhibition/20_choshajitsu/

この展示の「見どころ」というところに、「それぞれの画家が表現したい想いが込められた作品は、ただ細密に描かれているだけでなく、写真や映像とは違った存在感を醸し出します。」とありました。

で、どんな細密な絵が出展されているかというと(いずれも上記サイトからの引用)

五味文彦 《いにしえの王は語る》 2018年 油彩・パネル

 

森本草介 《未来》 2011年 油彩・キャンバス

 

島村信之 《オオコノハムシ‐擬態‐》 2014年 油彩・キャンバス

 

いずれも写真ではなく、絵画です。すごいな。

偉そうですみませんが、こうした超写実の勃興はとても良いことだと思っています。

もともと絵画(の主流である西洋美術)は、聖書の物語、ナポレオンなどの英雄そして自由や平等などの価値観の寓意化・擬人化から出発しており。マリア様だろうが自由の女神だろうが、本当に存在している人間のようにリアルだ!だからこそ、物語や英雄が真実以上の実在として見るものを圧倒し、インパクトを魂の奥底に刻み付けることができた。ルネサンス以降の絵画は、イコンみたいな記号ではなく「迫真の写実」が基本中の基本でした。

ところが、写真が発明され。最初はピンボケ、白黒だった写真も、鮮明なカラーへどんどん発展してゆき。いくら技術の卓越した画家でも、画質はもとより、新聞だの雑誌だので何万部を一気に複製できる写真には物理的に追いつくことは不可能になってしまいました。

そうした趨勢から、焦点がぼやけているように見えるけれど、楽しく光たちが踊っている印象派絵画、一つの画面にいろいろな視点からみた映像をぶち込んだキュビズムなど、具象の分解・再構築が始まり。カンディンスキーに至って、点と線と面のコンポジションへ移行し、具象よりも色、形そのものの構成で一つの作品を構築するようになった(音符が集まって一つの曲になるような感じ)。

カンディンスキーの「コンポジションVIII」

ここで美術は具象(写実)から解放されたが、抽象となると、何でもありのやばい世界に陥ってしまうことも発生し。

単に絵の具をぶちまけただけの絵。気味の悪い化け物とか、汚らしい意味不明の模様だけの絵。これらの絵をみて、確かにすごいインパクトはあるのですが。それはホラー映画を見て絶叫しているだけみたいな?という気がします。

じゃあ、カンディンスキー以後の流れをくむ「本物の抽象」と「抽象もどきでお金を稼いでいるだけの絵」の差はどうやって見分けるのでしょうか。

その1:チェスのお話

ゲーム開始時点では、上の写真のように4行のスペースで白と黒のそれぞれの陣営が分かれています。

チェスの場合、将棋と比べて盤面が小さい(将棋は9列X9行、チェスは8列X8行)などあり、駒どうしで押し合いへし合いになり。いかに自由に駒を動かせるスペースを作るかが勝敗を左右するという特色があります。

つまり、いかに早く下記の青い四角の中をコントロールできるか。そのためには下記の赤い四角を制したものが勝つ!ということがわかってきました。

というわけで、西洋絵画の基本が写実だったように、チェスでは上記の赤い四角内にポーン(歩)を進めて「センターをコントロールする」のが基本の基本となりました。

伝統的なチェスの開戦状況。白、黒ともにポーン(歩)でセンターを確保し、ナイト(馬)等で支援している。

ところが、写真の登場で写実ががらがらぽん、と瓦解したように、「ハイパーモダンな遠隔戦法」が発明されて、中央突破は神通力を失ってしまいました。

写真では、白が伝統的な中央進撃、黒がハイパーモダンなナイトによる遠隔操作です。アリョーヒンという人があみだした戦法です。

でも、これって、へたくそな初心者がテキトーにナイトを繰り出しただけじゃね?

まさに「自称抽象画と言いながら実はキャンバスを汚しただけだった」みたいに。

アリョーヒンさんが、この「馬送り戦法」を繰り出したとき、誰もがそう思ったのですが、中央を確保して絶対優勢のはずの白陣営がけちょんけちょんにやられてしまい。

「これって、きまぐれに馬を置いたんじゃなくて、ここに馬を置いたからこそ勝つというセオリーがあるんじゃ。。。」と気が付きました。

つまり、白が中央に置いた駒を、黒は遠くから袋叩きにして自由を奪ってしまい、逆に戦局をリードしていたのです。

この馬は、中央の呪縛から逃れて、かえっていきいきと活躍している。

まさに、具象の呪縛から離れた絵画のように。

抽象画でも、本物であれば「アリョーヒンさんの馬」みたいに裏付けがあり、あるべきところにあるべき線、面、点そして色がおかれ、過不足のない、エッジの立った、迫力のある、要するに「名作という意味でのすごい絵」になるのです。

その2:「筆が勝手に動いて、そのあとに説明がくる」。その筆を動かすものは?

アバンギャルドな絵画の革命をもたらした始祖鳥の一人に、サルバドール・ダリがいます。

ダリ「建築学的ミレーの晩鐘」

この人は「子供の時、突然友人を5メートル下の川に突き落とし、重傷を負わせた」「そのあと、母親が必死で手当てしている横で、にこにことサクランボを食べていた」みたいな「相当壊れた人」で、長じても絵画よりパフォーマンスのほうで有名になっちゃった。

真面目な表情の写真がないことはない

インスピレーションで勝手きままに絵をかきまくり、「説明はあとからついてきた」というタイプですが、そんなダリでも次のような名言を残しています

「昔の巨匠のように素描をし、描くことを学ぶことから始めよ。そのあとで自分の思うようにすればいい。そうすれば誰もが尊重するだろう。」

「もし、君が現代アートはフェルメールやラファエルを超越したと信じるなら、その至福の愚かさに固執しているがいい。」

つまり、

「勝手気ままな筆の動きでも、その動きには必ず裏付けがあり。その裏付けには昔の巨匠の筆遣いが生きている」

ということですね。

また書くスペースがなくなってきちゃった!要するに何を言いたいのかというと

◎抽象画を理解するには、抽象画という結果ばかり見ていてもだめ。抽象画の由来(基礎)である  写実絵画を見まくる必要がある。

◎写実絵画を見まくると、細かいデイテールに隠れた「絵の核」が見えるようになってくる。抽象画は、この核だけを抽出してぶちまけた絵であるため、抽象画を見て、核が描けていればほんもの。描けていなければただの「しみ」です。ははは

◎十分に写実画を見る目が養えたかどうかは、超写実絵画のどこが写実を超えているか見分ける力がついたかどうかでわかる。

超写実の一例:

このパッケージのポテトチップは、写真ではなくて絵なのだそうです。

写真だと、どうしてもちょっと黒ずんだ点があるとか、見えないくらいだけど欠けちゃってるとか、チップの微妙な曲がり具合で見栄えが落ちちゃうとかがあるらしい。

つまり、「超写実絵画」になっていて、写真を超えた「パリッとおいしい」を表現している。

そして、この絵だけが表現できている「パリッとおいしい」を見抜ける人は、「パリッとおいしい」をお題にした抽象画を見た時、うあああーとそのエッセンスに打たれる、という体験ができる、ということなのだと考えます。

エッセンスに打たれる。

れんげではなく、れんげですくったスープに打たれています

最後はラーメンになっちゃいました。この絵の出展は「ラーメン人物伝―一杯の魂1」です。

もちろん僕も抽象画なんて全然意味不明だぜーのレベルですが、写実画をいっぱい見て、抽象画鑑賞力のレベルを上げていきたいと思っています。

このお題は、この記事一本ではとても説明しつくせないので、姉妹記事をまた別にアップさせていただきます。

ではでは。。。

Posted by 猫機長