欧州の劣化版になってしまった日本サッカー
サッカーもつまらなくなったねー
というのが、今年のW杯を見て思わずの感想でした。
つい、昔のパチンコ(レバーでたたくやつ)で、林立する釘(ピン)の間を玉ころがいつまでもかんからこんころ回っているような印象を受けてしまい。
もちろん、必死になって走り回る選手をパチンコの釘呼ばわりする気もありませんが。
昔のパチンコ台
https://nikkoso.jp/history/
というか、きょうび選手たちもそれほど必死ではなかったりして?
でもそれは別のお題として別記事にします。
今回は、選手のやる気とは別に。サッカーという競技における試合の運び方についてです。
日本はなかなか頑張った。
しかし、なんちゅうストレスフルなサッカーじゃ!見ていてぐったり疲れてしまうのです。「「相手の出方」「スコア」「時間帯」という3つの軸を掛け合わせ、ベンチメンバーも含めた総力戦で数多くの戦術パターンを臨機応変に発動させ(ジェミニくん)」なんていうといかにもかっこいいけど、その実態は国電の車掌さんじゃないですか。
東京駅の電車が1秒の狂いもなく発着を繰りかえすのは世界における驚異の一つですが、それは1秒でも狂えば累乗的にみんなに迷惑がかかる!という恐ろしいプレッシャーが渦巻く世界だということを暗示しているのです。
日本のサッカー選手に日勤教育はないかもしれませんが、みんな一緒に1秒の狂いもなく動かねば!という悲惨な圧力を、見ているほうでもひしひしと感じてしまうのでした。
①セットプレイのサイン(約20〜30パターン)② 局面ごとの「可変」パターン(約12パターン)③「時間帯×スコア」のゲームプラン(約6〜8パターン)と、50パターンを超すか?でよどみなく行う、というのは、結局日本株式会社のサラリーマン、といって悪ければお役所の掟に従う能力のある役人にしかできない芸当なのであった。
掟というよりは、定跡といったほうがわかりやすいかもしれません。チェスの一流選手は、数万パターンに及ぶ定跡(オープニング)を記憶し駆使するそうですが、日本選手の場合はサッカー場という巨大な盤面の中で、一人一人が一枚の「歩」となり。敵味方11枚の「歩」と1枚の「玉」(この場合は「ぎょく」ではなくて「たまころ」です。ははは)による勝負で、それはそれは日本人にしかできない緻密な試合運びをした点は評価には値します。
車掌はぼーくだ♪
https://www.odakyu.jp/recruit/shinsotsu/works/member/s-takaku.html
でも、それはジーコが教えたサッカーとは真逆なものなのであった。
がんらい、サッカーというのもは、自由な人間が、他人の迷惑もへったくれもなく、自由に遊びまわるというものなのである。
遊びが過ぎるとカードを食らったりしますが、要すればもっとのびのびとした「自分も相手も自由に点を取り、取らせる」という性質のものであった。
悲惨ですが過去形です。
いつか内容よりも結果のほうが重要になってしまい。
勝つためにはどうするか、となると、結局組織的機動の世界になってしまったのであった。
ここでは、いかに個人が集団の中の優良な歯車になれるかがチームの勝負を決める要素になり。
もともとそういう素地のあったヨーロッパでこういうつまらない、チキタカだのなんだのという、くるくるボールを回して、空いている釘じゃなった選手の間からチューリップじゃなかったゴールに点が入るというサッカーになってしまった。
この辺で、じゃあ本物のサッカーはどんななんだ!というのを念のため記載しておくと
◎Paulo Isidoroの電光ドリブル
◎Roberto Carlosの爆発シュート
◎Bebetoの超精密シュート
◎Ederのコーナーキック(とゴール)
◎Waldir Perezの反射神経(とまじめさ。ははは)
さて、Zico、Socrates、Peleとか言うまでもないですよねー
要すれば、Romarioみたいな、45分の内44分はぽけっと突っ立っているだけだが、こいつの足にボールが到達した瞬間にゴールが量産される、という選手が満載のチームによって、一瞬一瞬次に何が起きるのかわからない「わくわく」の世界がサッカーだったのである。
確かにそれができたのがブラジルだけだった、というのはある。
しかし、金持ちヨーロッパにどんどん渡航していくうちに、個の力でサプライズを生む能力はあまり評価されなくなってしまい。
今年のブラジルチームなんて、まさにヨーロッパで飼い慣らされた小物たちによるヨーロッパの劣化版になってしまい、案の定日本に先制は許すは2線級の相手(ノルウエーごめんなさい)に2点食らって爆死するわで全然いいところがなく。
爆死の瞬間
Por 2×1, Noruega elimina Brasil da Copa e sonho do hexa vai a 28 anos de espera
ただ、ブラジル対ノルウエー戦で、最後のほうでネイマールがそれなりのドリブル見せようとしたこと、エチケットでもらった(とかってに解釈ですが)ペナルティキックをネイマールがラテン的パフォーマンスで決めたことなどは、FIFAが現在の閉塞状況をよく知っていて、こういう機会を演出し「原点は忘れていないぞ!」という意思表示だったのだと思います。
それにしてもネイマールばかりだな。一方ノルウエーでも「ハーランドの個人技」が勝負を決めているのはちょっと希望が持てます。
さて2000年代以降の、将棋みたいな「ふむふむ」のサッカーしか知らない子供たちには、ぼくのいいたいことはわからないだろうなーきょうびはYouTubeなどいくらでも動画があるので、ぜひ1982年ワールカップのブラジル代表がどんな「わくわく」の試合をしていたかご覧ください。
1982年ブラジル代表
Arthur Friedenreich: a lenda do futebol brasileiro antes de Pelé
本当は、日本人みたいな器用な(言い換えれば体格貧弱な)人種だと、ブラジルみたいな奇想天外なサッカーのほうが向いているんですけどねー幸い日本代表は全く人種差別がない(と祈っています)ハーフだらけでもあり、同調圧力の恐ろしい掟を跳ね返す自由なチームになってくれれば、と願っています。(言い換えれば、現代日本人になりきるな、新しい日本人のモデルを作れ、ということ)。
こんなことを書くと、お前もじじいになったねー、と言われそうですが。
確かに、きょうびは高度1万メートルから数十キロ先の標的にミサイルをぶっぱなすジェット機の時代で、ふきさらしの複葉機からあたりもしない機関銃をぱらぱら、なんて時代じゃないんだよ、と言われればそれまでですが、地上からそれほど高くないその辺の空を、小さなプロペラ機で空の散歩、みたいな牧歌的なサッカーが戻ってきてほしいと願っています。
東京オリンピックのスケートボードは牧歌的な世界だったらしい
https://news.yahoo.co.jp/articles/0c3b8ab860752b8405f304cba5b7b70f7062c493
ではでは