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軽飛行機で「幽霊バス」の上空を飛行

このブログは「軽飛行機で空を飛ぶ」ですが、飛んでいるという投稿が切れちゃっていることに気づき。さっそく、その辺を飛んできたよ!というフライトログを投稿するのでした。

 

 

寒い寒い冬のブラジリア。日の出とともに起き出し。

まずは寒さ対策だ!

という事で、ユニクロのももひき、さらにはフラジャケを着込み。

 

 

えりまきはフラジャケの金具や、ヘッドセットと干渉してボロボロになっちゃったので、殿堂入りで永久保存します。代わって、日常づかいでは、写真右下のネックウオーマーを起用。

首のところの金具で擦り切れちゃったらしい

 

 

日の出から1時間後くらい(午前7時30分)に合わせて、空軍にフライトプランを提出。

 

 

きょうび、さいわい空軍のシステムで離陸一時間前に提出すれば、15分くらいで許可になるので助かっています。

航空地図で今回のフライト経路を確認。

 

 

今回は、下図の赤線の通り①Sal川とMaranhao川の合流点、②『幽霊バス』、③Lagoa Bonita湖、を回った三角コース。1時間半、120NMつまり222キロくらいを飛ぶこととします。

 

 

格納庫から飛行機を引っ張りだして。。。

ブラジリア・アプローチ(空軍)に電話してトランスポンダーコード取得。

飛行機に乗り込み、チェックリストで操縦系、燃料計、計器などなど確認。エンジンスタートして滑走路に進出。

乾季のブラジリア

 

 

離陸。ぐんぐん上昇して、最初のチェックポイントに向かいます。

 

 

管制空域を離脱。ブラジリアアプローチに報告して、それからは管制飛行を脱して自由に(さびしく)①の河川合流点に向かいます。

想定どうりブラジリア連邦区境界の道路を横切り。

航空地図だと、赤丸の地点です

 

 

そして、Maranhao川が大きく蛇行しているところを通過。ふむふむ進路をはずれてはいないな。。。。

ううむ、なんだかわからないか?

 

 

というわけで、赤線で表示

 

 

地図上はこうなる。赤丸がさっきの道路。青丸が大蛇行。緑が河川合流点。

 

 

これらのポイントから外れないように、実ははるか前方に指標を設定していたのでした。うねうねくねっている山脈のなかで、一つだけちょっと高めの、富士山みたいなのがあり。この富士山からちょっと左に機首を向けて飛んで行きます。

 

 

ごめんなさい、スマホのカメラで撮影した写真ををこれまたスマホのブログに、なので全然みえないでつね。。。。

でも、へんな望遠カメラと違って、いがいと肉眼に近い見え方になっては、います。

ちなみに、ちょっと左はどれくらい左なの?は、毎回気流だの太陽の当たり具合だのによって変わってしまうので、正確には言えないのでした。ははは

さて、大蛇行から、川をロストしないように飛んでいきます。そこかしこに白く水面が光っているので、目印にして飛びます。

画面の左下から右上に、うねうね蛇行しながら、ちょうど日陰と日向の境界あたりに川が伸びています。

 

 

下流にいくにつれ、川幅も広がり、見やすくなってきました

 

 

 

 

雲の下に入ると、風景も一転。

 

 

そんなこんなで、合流点直上に到着。エンジンスタートから33分、離陸から26分くらいでした。

 

 

ちなみに、グーグルマップで、地上から見たらこうだよ!という写真があったので添付。

https://goo.gl/maps/xUZqf9uJGvD96ZNy5

 

 

機首を返して「幽霊バス」に向かいます。

 

 

まず、「幽霊バス」って何?

もともとは、このへんの大地主が、自分の土地にへんな侵入者がないかを監視させるため、土地の中でも一番見晴らしのいいところまで宿泊施設を装備したバスを登らせ。このバスに警備員みたいな手下を常駐させて監視していたらしい。

そのうち、警備員とかいなくなり、バスの方もエンコしたまま放置され。

マウンテンバイクのあんちゃんたちに格好のレジャーポイント?としてもてはやされるようになり、有名になりました。

地上からは、こんな感じらしい。

A Casa de Pedra e o Ônibus Fantasma – 06/10/2018

 

 

ぼくは、自転車でこんな無頼の荒野(というか山脈、台地)の奥深くまで、なんて狂ったまねはできませんが、飛行機で上空を通過する分には、山奥の秘境に突然バスが出現という、なぞですが面白い指標なので、ちょくちょく行っています。

というわけで、上空からはどんなかというと

まずは、はるか遠くから平べったい台地が見え始め

 

 

 

 

台地の端っこに、四角く赤茶けた土地というか用地というかが見え。

この四角の中に、幽霊バスがいるというかおかれているはずだったのだが?

 

 

自力でどこかへ走って行ったのか、あるいはバラバラにされてスクラップか?いなくなっていました。かなしいな。

というわけで、幽霊バスが、幽霊ではあるがちゃんと存在していたころに撮影した写真を流用します。

 

 

今回、どこかにまだバスがいないかな、と探しまくっていたら、ついつい高度が下がりすぎちゃいました

 

 

本物の幽霊になってしまったバス。でも、自力で都市部まで降りて、レストアされてブラジリア市内を走り待っていることを願っています。

さて、最後の行程はLagoa Bonita。ポルトガル語で「美しい湖」です。

緩上昇で、のんびり高度をとり直して。。。

 

 

さっきの写真のちょっとアップ。迷子にならないよう、帰路は「デジタル塔」を指標に飛んでいきます。見えない。。。。

 

 

地上から見たデジタルタワー

https://g1.globo.com/df/distrito-federal/noticia/2019/10/17/gdf-abre-edital-para-conceder-torre-de-tv-digital-a-iniciativa-privada.ghtml

 

 

「美しい湖」にむかってのしのし飛んでいきます。

 

 

 

 

ここまでくれば、ブラジリアの市街地はすぐそこです

デジタル塔が見えますねー。くどいか?

 

 

いよいよホームベースに帰着。

今日は、滑走路上でへんなつむじ風があり。どしん!という着陸でした。

 

 

おまけ

今回、気流が荒れそうだとはわかっていたので、離陸前に自撮り。

こんな人です

 

 

小さな飛行機で飛んでいます。

 

 

ではでは。。。

 

Posted by 猫機長
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LSAの世界

ええええ!猫機長はらりっているの?LSDのことなんて書いて、BANされちゃうよ?

と思ったみなさん。

「LSA の世界」であって「LSDの世界」ではありません。

ちなみに、LSDすなわち「リゼルグ酸ジエチルアミド」は、Wikipediaによれば「LSD服用者はトリップにより、固定された強い感情反応や思考の歪曲(被害妄想や自分が発狂したまま戻れないという不安等)」を引き起こす恐ろしい物質だそうです。

ぼくは使ったことがないからわからないけれど。。。

で、LSAです。

「ライト・スポーツ・エアクラフト」のことです。

日本語で言えば軽飛行機(軽量スポーツ航空機)。

でも、別にもったいぶって記号にしているのではなく。きょうび、軽飛行機といってもいろあるので、LSAというカテゴリーが新設されました。

ちょっと昔は、軽飛行機といっても、「コードロン・シムーン」とか「メッサーシュミットBf108」とか、オーソドックスな牽引式単葉機によって占められていたのですが、戦後航空技術が洗練されるに従い、鋼管フレームでお手軽につなぎ合わせたFOXとか、なんと無尾翼機まで出てきてしまいました。

シムーン http://www.dlcutawaymodels.com/wp-content/uploads/2017/02/simoun-1.mae-1–567×260.jpg

 

 

Bf108(109じゃないよ)https://m.media-amazon.com/images/I/51i7SVGUu8L.jpg

 

 

元祖ウルトラライト

 

 

動力付きハンググライダー (Pixabay無料画像)

 

 

この当時、つまり1980年代くらいまでだったら、ちゃんと飛行機の格好をしているのは軽飛行機(実機)、ライトフライヤー(凧)みたいなのはウルトラライトプレーン(ULP)、としてすみ分けられ。

実機(セスナ150。Pixabay無料画像)

 

 

ウルトラライトプレーン http://www.aero.or.jp/web-koku-to-bunka/2014_08_fujita/2014_08_fujita.html

 

 

実機の場合は、フツーの空港とかに降りて、旅客機とまじって管制を受けて飛ぶので、ちゃんと免許を取りましょう、と「PP(プライベートパイロット)免許」が必要となり。ULPのほうは、スピードも出ないし、もっと田舎の滑走路で、滑走路の周りを飛んで楽しみましょう、ということで、確か無免許でも飛べたらしい。

ところが、90年代から現在に至って、ULPがぐんぐん進化を遂げ。

セスナのエンジンは、だいたいライカミングとかコンチネンタルとか、第二次大戦時からの実績のある安心設計のエンジンで飛んでいますが、「コンチネンタルザウルス」と呼ばれる通り、要すれば旧式のエンジンであることは否めず。

例えば、4気筒のコンチネンタル O-200-Aの場合、重さが77キロ、出力は100馬力。このエンジンを積んだセスナ150は、空虚重量(empty weight)500キロ、巡航速度時速198キロとなっています。

一方、今どきの新型ULPは、エンジンも自由に発展させ。高回転でなめらかに回し、部分的に水冷を取り入れたハイブリッドな冷却装置で効率化を図り。

例として、やっぱり4気筒のROTAX912の場合は、重さは60キロ、出力は101馬力に達しています。このエンジンを積んだParadise P1は、空虚重量340キロ、巡航速度時速185キロです。

「コンチネンタルザウルス」と「ロータックス」では、出力は同じだが、後者の方が17キロ軽く。そして、セスナ150とParadiseP1の比較では、空虚重量が500キロ-340キロで、160キロの差が出ていたのでした。

つまり、在来の技術を踏破したセスナ150と、新技術で軽く作ったParadiseP1は、性能ではそん色がないということである。

こうなると、どっちが実機で、どっちがULPか、が分からなくなってしまい。

セスナ
http://1.bp.blogspot.com/_uRX1wGVlxMw/SxWocQAMnWI/AAAAAAAABAc/vWN6ysv9Qhw/s1600/PT-BKU.jpg

 

 

Paradise

https://www.airliners.net/photo/Untitled/Paradise-P1/2699381

 

 

こうした技術の進歩に適応するために、軽飛行機の世界に「LSA」という分類が生まれました。

セスナの場合は、昔ながらの技術と素材で、昔ながらの審査基準に合格したので「実機→軽飛行機」としてカテゴライズされ、

ParadiseP1のほうは、昔ながらの審査基準による審査は受けていないけれど、それを承知したうえで飛行が許された「試験機(Experimental機)→LSA」の扱いとなっています。

性能はほとんど同じで、飛ぶ空域も同じなので、両者とも免許が必要です。内容はだいたい同じですが、セスナの方は昔ながらのPP、Paradiseの方は「レジャーパイロット(エアスポーツパイロット)」という、それぞれ別のライセンスになっています。確かにPPの方は夜間飛行とかもっと必修科目が多いですが、日曜パイロットで、わざわざ夜間飛行だの計器飛行だのなんてしないし。

ちなみに、エアラインパイロット、コマーシャルパイロットと言って、その他にもうじゃうじゃ多数の種類の免許があります。でも本稿の主題ではないので、省略します。

というわけで、欧米では新技術を駆使したLSA全盛の時代に入ろうとしています。

地の果てブラジルのブラジリアにある、田舎の小さな飛行クラブや、その近所でもLSAがいっぱいとなっており。

以下、こんなのが飛んでます、というのをちょっと紹介します。

◎ペリカン

LSAの草分け的存在。エンジンに比べて機体が重いのか?小さな飛行場だと離陸はひやひやするけれど、その分上がっちゃえば安定しているらしい。翼はアルミ合金製。胴体後部はコンポジット。巡航速度:時速177キロ

 

 

◎Paradise

どこまでも真っ直ぐに飛んでいく安定性を持った、LSAらしからぬLSAの決定版。多少操舵輪を回したりペダルを踏んだくらいではまっすぐ飛び続けようとするので、エイヤーと気合を入れた操作が必要ですが、3舵の効きがしっかりしていて、Coordinateされたカーブにおのずから入っていく、えらそーですがすぐれた飛行機です。こういうのは乗ってみないとわからないだろうなー。全金属製、巡航速度時速185キロ。

 

 

◎RV7・RV9

あれこれ実機じゃないの?と思った人は、するどいマニアです。全金属製、ライカミングエンジン130馬力、巡航速度時速264キロで、セスナなんてぶっちぎりの戦闘機みたいなLSA。というか、アメリカでは実機であり、ブラジルでも2019年までだったっけ、に生産された中古品はLSAで登録できるけれど、それ以降の生産品は実機という要注意な飛行機です。

 

 

◎Dynamic

RVとならんで大富豪しか買えないLSA界のスーパーカー。コンポジット製、巡航速度も時速250キロでRVと比べてもそん色なし。ブラジルの法律だと、引っ込み脚はLSA認定してくれないので、固定脚バージョンです。なんとなくグライダーちっくな姿かたちで、失速が「突然前触れもなく落ちるぞ。気をつけろ」といううわさあり。もちろんとても安全ですが。

 

 

◎FOX V7

こちらはもっとウルトラライトちっく、お値段もお手頃のLSA。コンポジット製。キャビンが大きく膨らんだ感じで、中で宴会はできなけれど、それに近いスペースがあるらしい。巡航速度時速180キロ。写真の飛行機の主はかなり遠出をするらしく、オートパイロットを装備するとか言っていました。ちなみに、この記事に出てくるLSAは大体6時間ぐらい飛べる(と思います)。

 

◎こよーて

正式名称はRANS SUPERCOYOTEです。鋼管羽布張りで、前世紀の遺物化しつつあり。Paradiseと正反対、とにかくやんちゃで、まっすぐ飛ばすのが一苦労ですが、例えばParadiseの空虚重量340キロにくらべて、コヨーテの空虚重量は270キロと、LSAの中でも軽量級です。その結果、すごい上昇力だ!なんて主観的ですが、上昇も下降もきびきびと、とても楽しい飛行機です。言ってみれば、空のかぶと虫。ちなみに、VWかぶと虫の重量が780キロですから、こよーてはその半分なのですね。ははは

 

 

コヨーテくんの操縦席からの風景はこんな感じ

 

 

とある家電王の農場へ遊びに行った時の写真はこちら

 

 

 

 
ベースレグからファイナル、そして着陸までの動画はこちら

 

上記を記事にしたのはこちら→「家電王の農場に着陸」

ではでは。。。

Posted by 猫機長
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パイロットとお◎っこのお話

*ひさびさにアメブロでランキング1位に返り咲き。今回は「パイロット」というベタなジャンルでした。たくさんの「いいね!」ありがとうございます。

さて、本題です。

寒い冬の朝。起きがけに、とにかくトイレへ直行だ!用を足してほっと一息、というのは誰でも経験あると思います。

でも、お父さんとかがトイレを占領してしまい。お母さんや娘さんが、必死になってどんどん!トイレの戸を叩き、おとうさん、新聞なんて読んでないで、早くしてー!というシーンもあったりして。

パイロットにとっても、トイレはなかなか重大な課題なのです。

高度1万メートルを飛ぶ旅客機でなくても、2000メートルまでいけば、寒いぞ!離陸前にお◎っこしとけばよかった!なんてなるときもあったりします。

30時間以上連続飛行して大西洋を横断したリンドバーグも、パリに着陸して、熱狂の群衆に放った言葉が、まず「英語話せる人いる?」で、その次が「トイレどこ?」だったそうです。

リンドバーグ。

出典はhttp://blog.livedoor.jp/tenti1121-ijintensaiyuumeijin/archives/1997305.html

 

 

黎明期の飛行機は、乗員が吹きっさらしか、密閉風防だとか言いながらも実はごうごうと隙間風にさらされたりとか、なかなか過酷だったらしい。そんな時代から今日まで、パイロットはどうやってトイレという生理的要求に対応してきたのでしょうか。

①がまんしましょう

第1次大戦とかでは、飛行機の航続距離そのものが短く。例外もあったが2,3時間で燃料が切れて着陸、という状況なので、我慢すれば何とかなった。

めちゃくちゃ吹きさらしの座席。
我慢しなくても、ちょっと背伸びすれば。。。とか。無理か?

https://i.pinimg.com/originals/80/c7/37/80c737dffec0e092e3cbe1bf001b6982.jpg

 

 

➁おまる作戦

第2次大戦の爆撃機になると、6時間くらいは飛ぶようになり。幸い、このころには飛行機も大型化し、エンジンのパワーも強くなったので、トイレとまではいかなくても、おまるは乗せることができたらしい。といって、狭くて丸見えの機内なので、遮断幕(カーテン)かなんかで仕切ることができるようにしたそうである。下の図はイギリスのウエリントン爆撃機の例です。

Public domain

 

 

出展はロバート・ウエスト―ル著「ブラッカムの爆撃機」:ISBN4-00-024632-1

 

 

*ちょっと脱線。ロバート・ウエスト―ルさんは、自分は飛行機を操縦したことはないのに、迫真の記事を書く、恐るべき小説家です。ウエスト―ルさんは、他にも「猫の帰還(ISBN4-19-860911-X)」という優しさいっぱいの「猫本」を書いており。写真の通り「6年生・小学校の教科書に出てくる本」ですが、とても小学生には見せられない、生々しい不倫の描写があったりして、必読です。

ネコ好き必読!です。

 

 

③戦闘機はどうしたか

大きな爆撃機はともかく、一人乗りの戦闘機とかは、スペース以前に、ちょっと操縦をやめておまるにしゃがんで。。。なんてのは無理である。

どうするのかというと、「油紙性のお◎っこ(う◎こ)用紙袋」みたいなのを携行して、ううむ我慢できない、というときに、ズボンのチャックをあけてその袋に。。。という情報あり。

でも、当時のパイロットなんて、うさちゃんルックというか、航空服で着ぐるみ状態なので、チャックをあけてハイ放水、なんてお手軽にできたのでしょうか?確かに、南方作戦では半ズボンにカポック(救命胴衣)なんてのもあったらしいけれど。

下の画像は爆撃機クルーですが、このいでたちなら戦闘機乗りでも服に引っかけずにちゃんと用を足せたと思います。

http://www.aramant.com/chuukou/toha.html

 

 

④パンパース作戦

これがU2偵察機など、超高空で何時間も独りぼっち、という場合は、着ている服もほとんど宇宙服なので、チャックをあけて、なんてやったとたん気圧が急激に下がって、お◎っこどころか、血管の血液が気化して惨死になってしまうらしい。というわけで、地上生活と同じくらいの気圧とかに保った「宇宙服」の中でどうやって、となると、しゃあねえおむつか、といううわさが。。。

U2 偵察機 Public Domain

 

 

U2パイロット

https://www.machinegun-figures.com/im/170112_142842_5fqZJWjM_im.jpg

 

 

それこそ宇宙船と同じに、パイロットスーツの戦略的箇所に掃除機みたいな機器のホースがドッキングして、お◎っこだろうがう◎こだろうが吸い出すという仕掛けにすればいいのに。。。と思うのですが、とてもそういった機器にスペースや重量を割くことはできないらしく。「便意を催さなければどうということはない」と、12時間にもわたる飛行なのに、食べ物は1時間おきにプロテインチューブみたいなやつを一個、ストローで補給、という、なんちゅうブラックな職場じゃ!になっているそうです。超金手当ぐらいは貰っているんでしょうねえ。

森永プロテインゼリー。https://www.morinaga.co.jp/in/jelly/protein15000.html

⑤旅客機のトイレ

さいわい、きょうびの旅客機では、客室の前部と後部、ジャンボなどでは中央部とかにもトイレがたくさんあり。でも、国際線とかで明け方になると、トイレの前にはやっぱり行列ができたりします。

首尾よくトイレに入ったはいいが、折わるく乱気流に突入し。トイレ内の警告灯が「GO BACK TO YOUR SEAT」とびかびか点滅し、アナウンスも「座席に戻りシートベルトを締めて下さい」なんてなるときもあり。

でも、便秘気味だし(下痢の時はもっと悲惨)、とにかく終えてからじゃなきゃ。。。とめちゃくちゃ揺られながら、なんとか用を足し。そのあと席に戻っても、CAさんが怖い顔でこちらをにらんでいたりして。。。。

旅客機のバキューム式トイレ

When are you allowed to pee on a flight?

④旅客機のトイレその2

さて、トイレにたまる排泄物ですが、畿内と機外の気圧差を利用して外に噴出しちゃうのかと思ったらそうではなく。備蓄タンク?みたいなのに溜めておいて、着陸後に汲み取りとしているらしい。

ちなみに、旅客機のおしりに空いている穴は、そこから噴出しているのではなく、APUという発電用エンジン(これもジェットエンジンです。すごいな)の排気ノズル(排気口)だそうです。

APU排気口

https://s.eximg.jp/exnews/feed/Trafficnews/Trafficnews_92485_04c0_1.jpg

 

⑤パイロットの重要な儀式:太刀諸雲の礼について

読んで字のごとく「たちしょうんのれい」と言います。あまり早口で言わないようにしましょう。

小さな軽飛行機で、その辺を一、二時間るんるん飛んできて、ホームベースに着陸。駐機して地面に降り立つのは、充実感のひと時です。

その時、無事に飛行し、着陸できたことを八百万の神々に感謝するために行うのが「太刀諸雲の礼」です。

ぼくのホームベースにはとあるご神木があり。この霊威を戴くために、誘導路もこの木を迂回して、アートな誘導路になっています。

*ご神木ですが、それ以前に、ブラジリア高原における貴重な原生稙種だという事で、切り倒すと環境当局に処刑されます。

ご神木とアートな誘導路

 

 

飛行機から降り、この木の根元で、思い切り放水するのが「太刀諸雲の礼」です。広がる青空に、動かぬ大地。さわやかなそよ風。至福の一瞬ですよね。。。。

でも、なぜか飛行クラブ管理人のお兄ちゃんが、この木の根元をDIY(柵の修繕とか)の作業場にしちゃったので、現在はしかたなくハンガー(格納庫)内のトイレで用を足しています。

小さな飛行機で飛んでいます

 

 

⑥余談その1

上記の戦闘機パイロットですが、やはり高度6000メートルでは気圧差により苦労したらしい。

とある撃墜王の回想録では、ふたをし損ねて液体が風防に飛び散り、ふき取るのにものすごく苦労した、とあります。

もちろん、機内飲料として持ち込んだ「ラムネ」の話です。

ラムネの栓を、一気に抜いちゃったためにシャンペンみたいに噴出してしまったらしい。

いやいや、あの液体のことじゃなくて、あーよかった。

ラムネ。https://bplatz.sansokan.jp/archives/11087

⑦最後は口直し

ということで、ばっちいお話は忘れて、夢の飛行機旅行の画像をどうぞ。

昔はシックで豪華、よかったですねえ。。。

(画像出展はいずれもhttps://buzzap.jp/news/20160801-airplane-food-1950/です。)

-O-

ではでは。

Posted by 猫機長
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ビーチギアのお話

ビーチは夏の風物詩。ハワイアンでも聞きながら、のんびりビーチチェアでスマホをオンにして、すてきなHP「アーリーリタイア・軽飛行機で空を飛ぶ」にアクセスだ!

なあんて、くつろぐイメージの海岸ですが、船にとっては底なしの残酷さを発揮する、生と死の恐ろしい境界線だったりします。

このブログは飛行機乗りのブログなので、船というのは「飛行艇」のことです。

飛行艇は、船のくせに翼があるため、いったん着水したが最後、波にもまれて翼がもげそうになってしまい。

もげなくても、いつも転覆の危機にさらされているといってよい。要するに重心が高すぎて安定できないのである。(安定性のいい飛行艇は、飛行機としての性能がだめになっちゃいます)。

というわけで、着水したら、とっととビーチまで走ってゆき、陸揚げする必要があり。

波打ち際まで来たら、搭乗員が台車(正確には「浮袋付主車輪2個」と「尾部運搬車」のセット)を抱えて海に潜ってゆき。飛行艇の底の所定の場所にピン止め固定し、トラクターで引っ張ってランプから飛行艇を陸上のエプロンまで移動させます。

台車をつけた二式大型飛行艇(模型です)http://www.hasegawa-model.co.jp/product/e45/

 

 

こう書くと簡単ですが、どんぶらこと波のまにまに揺れる巨大な飛行艇を、ランプ際に仮止めしておくのがまず大変で、やれブイを投げるだの錨を下すだの、飛行艇パイロットは飛行士の前に船乗りでないとやっていけず。

なんとか波打ち際の浅瀬で飛行艇が仮止めできたら、上記のように台車の取り付けですが、これがなかなか危険な作業で、波がそれほどなくても、夏は灼熱の太陽で焼け死にそうになりながら、冬は厳寒の海で凍死しそうになりながら、台風通過近しなどの時は、それこそ荒れ狂う波にタコ殴りにされながらという、精神的にも肉体的にも極限の作業になり。

荒波で、取り付けかかった台車が外れて艇底を直撃!大きな穴が開いて飛行艇が沈んじゃった、なんてこともあったようです。

この辺は、以下のサイトに大迫力で描写されているので、ご訪問ください→http://www.aero.or.jp/web-koku-to-bunka/2009.11.15koshida.htm

毎回必死になって台車をつけなくても、最初から台車がついた飛行艇は作れないの?

それがなかなかそうはいかず。

飛行艇の艇体、特に底の形状はとても重要である。

水の抵抗というのはものすごく大きく、水上滑走の強力なブレーキとして作用してしまうため、艇底にステップという段差をつけて、滑走(滑水)時にはある程度まで速度が上がったらステップより上は水面から離れて抵抗を激減させる、というような機構があってやっと離水できたりします。

ステップの一例amazon.co.jp/スペシャルホビー-SH72162-72-ショート-サンダーランドMk-Ⅴ/dp/B07R682D3P

 

 

そういった船底に、台車みたいなものがついていたら、抵抗以前に、まるで煉瓦で船を沈めるようになってしまって、離水どころではなくなってしまい。台車は基地の方で保管していて、飛行艇が着水してランプ(滑走台)に迫った時点で海に投げ入れて、飛行艇側に拾ってもらう(そのために浮袋が付いていた)という要注意な作業が必要だったらしい。

ちなみに、往年の巨人飛行艇ドルニエドックスですが、なぜうまく運航できなかったかの理由の一つに、重すぎて、何とか離水しても水面から500メートルくらいまでしか上がれなかった、というのがあり。これじゃあ実用高度もへったくれもないですよねー

陸上機に比べて、船の形にして、波を切ったり波頭にたたかれても壊れないようにするために、いかに重く、スピードの出せない形になってしまっているかが浮き彫りになるのでした。

ドルニエDoX飛行艇 https://www.ne.jp/asahi/airplane/museum/cl-pln2/TW010.html

 

 

ただ、飛行艇というものはなぜか「錨」にこだわり。錨なんて乗せなければ、著しく軽くなるんじゃね?なんて思うのですが、今日のUS2飛行艇に至ってもちゃんと錨を乗っけており。

US2飛行艇と錨

https://pbs.twimg.com/ext_tw_video_thumb/1124974002961694722/pu/img/IoBZR12VpauyvgGj.jpg

 

 

要するに、錨の無い船なんて、クリープの無いコーヒーだ!というわけで、飛行艇は何よりも前に船ですから、錨は必須ということなのかもしれん。

ううむ、船乗りというのは狂った人種ですねえ。飛行機乗りがどう思われているかは知らないけど。。。。

というわけで、昔の飛行艇は、泣く泣く、毎回生命の危険を冒して台車を装着するしかなかった。

しかし、技術の進歩とともに強力なエンジンが生まれ。戦後になると、台車をくっつけても離水し、それなりの高高度に上がることができるようになったのでした。

そのお手本が「PS1」

舟底に台車ではなく、胴体の横に大きな車輪がついています。

http://hikokikumo.net/HIs-Mil-PS1-01-19771129-Kitagawa.jpg

 

 

https://pbs.twimg.com/media/FArZPUfVcAI4upK?format=jpg&name=large

 

 

着水して、ビーチ間際まで走ってきたら、機首から旅客機みたいに前輪を出し、胴体の車輪もカニの目みたいににょごご、と伸びて、前輪、主輪が海底に届くまでは船みたいに、そこから先は陸上機みたいに車輪で滑走して(動力はあくまでプロペラ)、器用にというかぶきっちょにというか、ランプを上がっていきます。

http://hikokikumo.net/HIS-Mil-PS1-000index.htm

 

 

離水の時はこの逆で、最初は海底を歩いてじゃなかった車輪でともかく移動してゆき、足というか車輪が海底に届かなくなったら、泳いでじゃなかった海上航走に移るらしい。そのあと、にょごご、と車輪を機内に格納して、本格的に離水。

http://hikokikumo.net/His-Mil-PS1-09-19790705-konan-01-kitagawa.jpg

 

 

こうして、フロッグマンが命を懸けて毎回台車を装着する必要がなくなり。かなり楽ちんになることはなった。

でも、地上で駐機しているPS1を見ると、つい、このまま陸上の空港を滑走して、離陸や着陸ができないかなーなんて思ったりします。

ビーチギアを展開して、陸上機みたいなPS1

http://hikokikumo.net/HIS-Mil-PS1-000index.htm

 

 

でも、そんなことをしたら、たちまち衝撃などでこれらの脚はもげてしまい、擱座炎上になってしまいます。

ということから、この脚は、降着装置すなわち「ランディングギア」ではなく「ビーチギア」と呼ばれています。あくまでビーチの斜面(ランプ)を上り下りするためのギア、ということである。

PS1の格納メカニズム。http://www5a.biglobe.ne.jp/~t_miyama/lgindx.html

 

 

しかし時代は進み、エンジンもそうだが、素材技術とかも進み、軽く、細くても強靭な脚が作られるようになった結果、文字どうりランディングギアを設置した水陸両用飛行艇もできるようになりました。

ランディングギアを装着して水陸両用になったUS1。外見はPS1と変わらないなあ

https://www.shinmaywa.co.jp/aircraft/us2/us2_history04.html

 

 

アメリカなどでは、カタリナ飛行艇など、戦前戦中から水陸両用飛行艇を作っていた。日本は台車型にこだわったが、これもエンジンのチョイスとか、飛行機としての性能を極限までひきだそうとした日本と、飛行機としては凡作でも、いつでもどこでも使うことのできるタフなのを目指したアメリカの差があると思います。

アメリカのカタリナ飛行艇。タイヤのでかさに注目。

https://plaza.rakuten.co.jp/nobtk/diary/201906090000/

 

 

これで飛行艇の進化は究極に達したか?いえいえ「水陸両用」のさらに斜め上をいく恐ろしい機能を備えた物体が存在しています。

その名も「グラマン・ダック」。

ダックくんは、離着水、離着陸の他に、離着艦もできるのでした。

空母に降りるために、巨大な着艦フックを装備したダックくん(垂直尾翼下面)

https://naval-encyclopedia.com/naval-aviation/ww2/us/grumman/J2F/grumman-j2f-2A-VMS-3-StThom-VirgonIsl1940.jpg

 

 

水上機なのか飛行艇なのか?珍妙な姿かたちのダックくんですが、現代のジェット戦闘機も顔負け、制動索に着艦フックをひっかけて勇ましく着艦していたのでした。

現代の戦闘機の着艦。制動索とフックの作動がよくわかる一枚

https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/c/cf/FA-18_Trap.jpg

 

 

でも、ダック君のさらに上をいく至高の存在が。

その名も、ウオーラス飛行艇。

以前の記事にも記載した通り、飛行艇のくせに軽飛行機の小ささと軽さで、ちゃんとランディングギアを持っているばかりか、着艦フックはないくせに、なにげに陸上の滑走路みたいに空母に着艦していたのでした。

空母に着艦するウオーラス飛行艇。(パブリックドメイン)

 

 

ダックくんやウオーラス君は、洋上の空戦で撃墜されて落っこちたパイロットを波間から拾い上げ、あるいは空母に、あるいは陸上の飛行場に、あるいは最寄りの島々や艦艇に送り届けるという、とても重要な活躍をしたらしいです。

カナダやアラスカなど、水たまり(海も含めて)はいっぱいあるが滑走路はなかなか。。。という地域では、主に下駄ばきの水上機が、荒れ地を短距離で離着陸できるブッシュプレーンとともに、現地の重要な交通輸送機関として活躍しているそうです。

ターボプロップエンジン推進による、いまどきのブッシュプレーン

http://blog.covingtonaircraft.com/2019/05/10/mike-pateys-draco-the-coolest-stol-aircraft-ever/

 

 

ではでは。。。

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短編集:クリスマスに寄せて

優しさいっぱいのクリスマス特集です

 

 

かぶと虫に356レプリカ。この2台に代わる代わる乗っています。

こうゆうふしぎな名車たちを生み出したドイツについて、短編を3つほど掲載します。ひとつめはドイツ文学の名作「朗読者」の感想文(ネタバレなし)です。「愛を読む人」として映画化されているので、そちらの方をご存知の方も多いかもしれません。ふたつめは飛行機乗り目線から見た、飛行機史上のとある実話。3つ目は、その実話がらみのちょっとした短文です。

 

 

1.ナチスの「犯罪」についてのドイツの本音。

とある素敵女子から、なにげに借りた小説「朗読者」。実はドイツの深層が隠された恐るべき内容でした。戦後10年程しか経っていない当時のドイツに、まず登場するのが、なよやかな病弱少年。歩道でゲーゲー吐いて倒れかかったときに助けてくれたたくましいおばさんと、どきどき!な関係になってしまいますが、その後おばさんが戦争中は強制収容所の看守だったことが発覚し、裁判行きに。とこれくらいならネタバレにならないでしょう。

 

 

恐るべきは、①少年:ワイマール時代の虐げられたドイツと戦後の悩める優しいドイツ、②おばさん:第三帝国(ナチスドイツ)、を象徴していて、おばさんの裁判シーンは、裏付けのない判決を言い渡されるドイツ(おばさん)、勝者の論理を押し付ける連合国(裁判官や、便乗しておばさんだけに罪をかぶせる元同僚)を象徴するが如しである。

「裏付けのない理由」がいかにもドイツ的な明快・正確さで提示されていますが、ネタバレになるので書きません。「朗読者」という題名がまさにそのものずばりとだけいっておきましょう。そして裁判をひっくり返す「理由」を知っている優しい少年は、おばさんへの「朗読」を続けるのでした。公式に戦争犯罪を認めたドイツの小説であり、ラストは避けがたい内容ではあると理解しますが、「ヒトラー最後の12日間(こっちは映画です)」とともにドイツの正義とはなにか?を議論(というか主張)し後世に残す重要な文献と理解しました。

映画版「愛を読む人」https://nospensees.fr/the-reader-traumatismes-secrets-et-passion/

 

 

2.キュートな飛行気乗りのお話をひとつ。

第二次世界大戦、ヨーロッパ。

イギリスを発進し、海を越えてヨーロッパ内のドイツ陣地を空襲したB17爆撃機の編隊。しかし激烈なドイツの反撃にあい。

当時のドイツ高射砲はかなり優秀だったらしい。

さらには、ほとんど体当たり状態まで突っ込んでくるドイツ戦闘機の攻撃も激しく。これは勇敢とかいう前に、時速500キロ近くで動きまわる空中戦では、ほとんどぶつかるまで近寄らないと機関銃の弾も当てられん、ということで、日本の零戦乗りも「敵機から50メートルくらいの距離まで近づいて、照準器から敵機が大きくはみ出るくらいになってから射撃した」そうです。

実際に衝突したケース

 

 

というわけで、B17側も被害続出し。一時は出撃ごとに三分の一に及ぶ機数が撃墜されたこともあったらしい。

そんななかで、チャーリー・ブラウンさんの操縦するB17一機が、なんとか爆撃を終えて帰路には着いたものの、エンジンがやられてスピードが出ないぞ!

必死に帰路を急ぐ編隊に置いて行かれてしまったのでした。

当時は100機にも及ぶ爆撃機が密集体形をとって、近づくドイツ戦闘機に一斉に射撃をくらわすという防御の仕方をしていたので、一機だけはぐれちゃった爆撃機なんて、それだけで敵戦闘機から見れば「おいしいエサ」です。

こまった!どうしよう。。。

そんな状態で、遠くからキラリ!と輝く機影があったと思うと、ぐんぐん瀕死のB17に近づきはじめ。

遂に敵戦闘機に発見されてしまった!

あやうしB17!

一方戦闘機の方では、フランツ・スティグラーというドイツ丸だしの名前を持つパイロットが操縦していました。

「いひひひひ!これで勲章確定だぞ!」と大喜びでB17に近づき。

スティグラーさんは、これまでの戦歴により、この一機を落とせば「騎士鉄十字章」を獲得できるところまできていたのです。

ぐんぐんとB17に近づいたとき。

うあああ?なんじゃいこりゃあ?

B17は、それまでの戦闘で、左の水平尾翼は吹き飛び、垂直尾翼も半分無くなっちゃった!身を守るための機銃はもはや撃ち尽くし、機体は穴だらけ。

「空飛ぶぼろ雑巾」の状態で、幸い4発エンジンのうちまだ3発は動いていたので、なんとか水平飛行は続けられていた。

 

 

ひえええ!だれだこんな残酷なことをする奴は!と、敵だなんだという以前に、かわいそうになってしまったのでした。

飛行機の中ではもう誰も生きていないんじゃね?

幽霊船状態のB17。スティグラーさんは、B17の真横まで戦闘機を操り、並行して飛行しました。

操縦士は生きているぞ!必死になって飛行機を水平に保っていたのでした。

操縦席からチャーリー・ブラウンさんが、うつろな目でこちらを眺めています。

チャーリー・ブラウンさんもスティグラーさんを視認。よく見ると、Bf109戦闘機の、出来損ないじゃないけどそれに違い、ほとんど身動きもできない小さな操縦席の中で、一生懸命チャーリー・ブラウンさんへサインを作って送って来ています。

以下、スティグラーさん(ス)とチャーリーさん(チ)の会話

ス「ぼけかおまえは。イギリスとは全然違う方向に飛んでいるぞ」

チ「ざけんな!トイレもない飛行機に乗ってやがるくせに、偉そうだぞごるあ!」

ス「おまえらとちがって飛行中にう◎ちなどせんわ!いいかよくきけ、イギリスまで送って行ってやる」

チ「えっほんと?あとで「わかば」のたい焼きおごってあげるね!」

と、そこからは仲良く、イギリス近くの、連合軍制空権の始まる直前の空域まで飛んで行き。スティグラーさんはドイツへ向けて反転していったのでした。

400キロの距離を飛んだB17は無事イギリスに帰還。

基地で大騒ぎするなかまたち。「わああぼろ雑巾が飛んできた!」

チャーリーさんは、隠さずに「変なドイツ人が道案内をしてくれました」と報告すると、上官は

「たしかにドイツ人は道案内が大好きという習性があるようだが。。。ん?あれ?敵と仲良く編隊飛行なんて、何を言っとんねん!しばき倒したるでごるああああ!」

文化的なイギリス空軍なので、シバかれはしませんでしたが、

『敵への肯定的な感傷の一切を今後構築しないよう』命じられてしまいました。

一方スティグラーさんの方は、ちゃっかり「一機落としました。海の上なので残骸は見つからないよ」と報告し、どうやら勲章もゲットしたらしい。

東京四谷の「わかば」。天然物のたいやきです

 

 

それから40年後。

いろいろあって両者は再会することができ。親友になったのでした。

めでたしめでたし。

ちなみに、スティグラーさんがチャーリーさんのB17を撃墜しなかった理由は

「まるでパラシュート降下中で、全く反撃できない人を撃ち殺すようなものだ。そんなことは断じてできない」

と述べています。

 

3.ブラジリア国際空港で

日独米の若者達をモルモットに開発したB17やB29を祖先に持つだけあって、なかなか精悍な面構えのボーイング737。ハチの巣になっても飛び続ける機体、乱気流の少ない超高空をらくちんに飛行できる与圧装置、IFR(計器飛行)や航空管制技術の開発によって「殺しても死なない」安全性が確立され、ぼくもその安全さを享受している旅客の一人では、あります(撮影@ブラジリア国際空港/SBBS)。

ではでは。。。

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大空の豚丼:DC3のお話

今からおよそ250年前。英国内での迫害に耐えかね、脱出だ!北米大陸に渡った新興宗教団体の人々がいました。インディアンをいじめたりしながら西部を開拓し、アメリカ合衆国が成立。似たようなケースにオーストラリアがありますが、こちらは有無を言わさず送り込まれた人たちによってできた国であり、自分から逃げてきた人たちの国アメリカとは違いがあるといえばある。

イギリスって、そんなに残虐非道だったのでしょうか。。。。

*ちなみに、奥さんにいじめられて、お家に帰れなくなったポルトガルのだめんずが流れ着いたのがブラジルです。はいはい脱線でした。

https://togetter.com/li/1219409

 

 

映画ではかっこいい幌馬車がつらなって、悪いインディアンを撃退しながら、ステキな大牧場を建設したりしていますが、現実ではそうもいかず。険峻な山河にさえぎられて立ち往生しているうちに食料が尽きて、最後は人肉を食べて生き延びた「ドナー隊の悲劇」などが有名です。

一山越せば肥沃な平野が広がっているのに、一歩手前で斃れていった人たち。この山をひとっ飛びできれば!と何度思ったことでしょうか。

アメリカ人にとって、長距離の移動というのは、民族のDNAに刻み込まれているのだと思います。

その逆に「京都人」があり。洛中で3世代以上生活していないと京都人にはしてやらん、とか、ぼくのように京都駅の東にある埼玉県で生まれた土人は、人間扱いしてくれないのでは、と恐怖しています。

*京都の素敵女子を除く。京都の女性は、みな素敵女子です。

ちなみに、関西には、京都人、大阪人、奈良人と恐るべき個性を持った3つの人種が混在しており。

 

 

この多様性が共存できる日本は、きっと世界の移民を受け入れることができるのだろうなーと期待しています。

アメリカに戻ります。

国土広大なアメリカのみならず、小せいちいせいのイギリスでも、世界に散らばる植民地の管理は大問題であり。古代ローマでは「アッピア街道」などで「すべての道はローマに通ず」でしたが、世界の大洋にまたがる大英帝国では、迅速、確実な連絡は、大英海軍が必死にシーレーン防衛をしても容易にはいかず。

そんななか、恐るべき発明がなされました。

それは「飛行機」

サントス・ヂュモンの14Bis。世界初の公開飛行でした。

 

 

英国など、大喜びで航空輸送に参入し、エアラインの時代になりました。

こうして、船などでは何週間もかかったロンドンからインドへの旅も、飛行機でいけば3日くらいか?で行けるようになり。

(画像出展はhttp://www.ne.jp/asahi/airplane/museum/ です)

アームストロング・ホィットワースアーゴシー旅客機

 

ショートS.8「カルカッタ」飛行艇

 

デハビランド DH66 “ハーキュリーズ”旅客機

 

 

ロンドンからインドまで、これらの飛行機を乗り継いて何とか到達したらしい。

しかし、エアラインの発展を阻む恐るべき障壁が。

「要するに、儲からん」

儲からないどころか、大赤字であり。

大英帝国の国威を示すために税金をじゃぶじゃぶ注ぎ込んで補填しまくり、やっと実現していたらしい。

当時の旅客機には、こんなのがあり。(画像出展はやっぱりhttp://www.ne.jp/asahi/airplane/museum/です)

カーチスライトT-32″コンドル II “旅客機

 

 

コンソリデーテッド フリートスター 20-A 旅客機

 

 

上記の英国~インド便も含めて、だいたい1機あたり14名くらいしか乗客を乗せることができず。

それじゃあ儲かるわけないよねーというのが実情だった。

当時は、エアラインと言いながらも、中継地において燃料補給やエンジン整備などしまくりで、その時間のほうが飛んでいる時間より長いんじゃね?なんてかんじだったらしい。

例えば、ドルニエ飛行艇によるヨーロッパ・南米便では、とても大西洋を横断できる航続距離がないので、途中まで燃料や資材を積んだ汽船が出迎えに行き。

ドルニエ飛行艇

http://www.ne.jp/asahi/airplane/museum/cl-pln12/2010/DORNIER-DoJ.html

 

 

合流点で着水した飛行艇に補給をしている間、乗客たちは汽船に移乗して、今日でいえば優雅な豪華客船の一日を楽しんだらしい。

汽船で、オザミ・トーキョーもびっくりの晩餐。「鱧(はも)のベニエ あさりと蟹味噌, マッシュルームのデュクセル パスティスの香り」を食べた後、一晩ゆっくり眠って、翌朝朝日とともにこれまた優雅に離水。さあ次は最終目的地のナタール港(ブラジル)です、なんて旅行をしていたらしい。

どれだけ航空券やら晩餐やらで浪費してもこたえない、超富裕層の酔狂だったのですねー。

ヨーロッパ諸国が貴族的なエアラインに血道をあげて富裕層を喜ばし、貧乏人の血税を湯水のように注ぎ込んでいたころ、アメリカは、へへんそんなふざけたお遊びはエアラインなんかじゃないよーと嘲笑っていました。

なにしろ、怒り狂ったインディアンの襲撃を防ぎつつ、食うや食わずの冒険をつづけ、運よく肥沃な平野までたどり着くか、でなければ共食いか!という世界です。「ハモのベニエ パスティスの香り」もへったくれもなく、とっとと「吉野屋の豚丼」で腹ごしらえして、次の襲撃に備えなければ!

ぼくはブラジルに住んでいますが、狂牛病が荒れ狂った当時、東京に旅行する機会があり。深夜でしたが、吉野家はちゃんと開いていました。

カウンターのお兄ちゃんに「ねえねえ牛丼はあるの?」「ありますよ」

でもやっぱり怖くなり豚丼にしました。ははは

注文してから1分もしないうちにほかほかのおいしい豚丼が!

 感動の一瞬でした。

さて、黎明期のエアライン業界は、せいぜい貴族のたしなみでしたが、これが自由市民に裨益し、業者も儲かるように発展するにはどうするか。親方日の丸に頼って補助金で生き延びるのではなく、みずからの力で大儲けしてやる!というアメリカのフロンティア魂が爆発し。

その結果生まれたのが「DC3」

これまでの旅客機とは一線を画した、革命的な飛行機だったのでした。

 

 

◎まず、28人の乗客をのせることで、一人当たりの客単価を著しく効率化できた。

◎頑丈で素直な飛行特性。計器飛行や無線航法の発達と合わせて、雨だろうが風だろうが突っ切って飛ぶことができ。ともかく定期運航というレベルに持って行けた。

DC3の出現により、エアラインは初めて「お客さんからのチケット代だけで運用し、儲けを出すことのできるビジネス」になったのである。

吉野家の豚丼は、注文してから1分もたたない、瞬時にでてきましたが、DC3も「エンジン修理のため、出発を2時間お待ちください」なんてアナウンスがあったのち、エンジンごととっとと取り外して、新品に換装、カウルをつけなおして。。。と、本当に2時間で完成し、あれよあれよという間に、元気よく離陸。大空の中に消えていきました、なんてかんじだったらしい。

*資料では「エンジン着脱が短時間で可能」となっており、どこかで「2時間で取り換えちゃった」という情報もあったのですが、紛失。こういう話はコンステレーション旅客機でもあり、要すれば、冷戦当時「アメリカの飛行機はすぐなおせるぞ」とソ連を威嚇する意図もあったらしい。

50年代にNY~パリ便などで活躍したコンステレーション旅客機

パブリックドメイン

 

 

そもそも故障しないし、故障してもすぐ部品が買えて、あっという間に直しちゃう、という、まるでVWのかぶと虫みたいな飛行機だったのでした。

世界の名車かぶと虫

 

 

その信頼性、耐久性などから、第2次大戦では輸送機として大量に生産され。アメリカを勝利に導いた4大兵器の一つ(ジープ、バズーカ、原爆そしてDC3)として称賛されています。

DC3の恐るべきコストパフォーマンスと耐久性、使いやすさは現在にいたるも有用性を失わず。カナダだのアラスカだの、西部劇もびっくりの、いまどきのひよわなジェット機では入っていけないような地域では、いまでもターボプロップ化されたりして飛んでいるといいますから、いかに優秀な飛行機かということがわかると思います。

ターボプロップ化されたDC3。

http://larch.blog.jp/archives/5161238.html
 

 
本当の名機は、レジェンド(伝説)となると共にレガシー(遺産)も残すといいます。DC3は、上記の通りレジェンドとなりまくり、そして現在の大型旅客機につながる機体構造を確立した、レガシーそのものの飛行機でもあると理解します。

ちなみに、戦後にDC3を操縦した日本のパイロットから「飛行中はとてもすなお。着陸で、接地時に尻が落ちるせつな、方向舵がふっと効かなくなる一瞬があり、気を使った」などの感想があります。

世界の名機DC3。エンジン出力の制約やレーダー装備が未発達であったことから、本格的なエアラインへの進化は第二次大戦以降の新世代旅客機に譲りますが、大好きな飛行機です。

Clássico Douglas DC-3 está à venda no Brasil

ではでは。。。

Posted by 猫機長
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日本がリードしていた戦前のエアライン

以前、B29は、実は爆撃機ではなく、戦後の大量航空輸送を実現するための実験機であり。 爆撃機として使用されたのは軍から予算をもらうためにすぎず、トーキョー・エクスプレスと呼ばれた爆撃行で貴重な運航データを得、ついでに爆弾も落としてきた、という事を書きました。

「そんなことあるかい!ふんぎゃー!」と怒る人も多数と思います。

私の母も、横浜六角橋で空襲から逃げまどった世代であり、B29の爆撃は、ついでだよーん!なんてふざけたことを書くな!と言いたい気持ちはよくわかります。

 

 

でも、アメリカにとって、戦争なんて対岸の火事。レンドリースで産業を大開発し、切りのいいところで真珠湾攻撃によりうまく日本に参戦のきっかけをつくってもらい。週刊空母だのグラマンだので大儲けの、ようするに戦争自体が目的ではなくて、戦争を口実に、いかに儲けるか、だったのは、戦後のアメリカの覇権を見れば明らかと思います。

アメリカが目を付けた戦後の産業の一つに「長距離大量航空輸送」があり。

金儲け以前に、戦略的・安全保障の意味合いも強いのですが、この記事の本題ではないので、ここではスルーします。

さて、戦前には「大規模航空大量輸送」はなかったのか?

エアラインという存在があるにはあった。

典型的な例として「ロンドン~ニューデリー」を見てみます。

*以下「中島航空機博物館(外部リンク)」に迫力ある説明がありますが、そこから情報や画像を拝借しています。

まずは、ロンドンからジェノバまで、陸上機の「アームストロング・ホィットワースアーゴシー旅客機(乗客20名)」で飛んでいきます。

かっこわるい飛行機。
 
つぎに、ジェノバからアレキサンドリア(エジプト)まで、ショートS.8「カルカッタ」飛行艇(乗客12名)で飛んでいきます。

やっぱりかっこわるーい。

 

 

アレキサンドリアから最終目的地のインドまでは、デハビランド DH66 “ハーキュリーズ”旅客機(乗客14名)で飛んでいきます。

多少はかっこいいか?

 

 

お疲れ様でした。果たして何日かかかったのか?

だいたい、乗客がたった14名では、とても採算が取れないのは明白で、この定期便の場合は、大英帝国がいかに遠い植民地であっても、いつでも到達できるぞ!と世界を恫喝するための手段という意味合いが強かった。要するに、日本のローカル路線もびっくりのめちゃくちゃ赤字、税金を使いまくりでなんとか補填していたという、こまったエアラインだったということである。

ちなみに、今日のロンドン~ニューデリー便は、アメリカン航空で平均8時間40分、¥58,806で行けるらしい。これは直行便なので、乗り継ぎ含めたLCCだともっと安くなるかもしれん。機材の記載はなかったのですが、B777あたりと思われます。

果たして、飛行機3機を乗り継いだ命知らずの冒険、富裕層の酔狂でしかなかったエアラインが、今日の、ねこもしゃくしもお手軽お気軽に利用する路線バスみたいになるなんて、当時のだれが想像できたでしょうか。

よっぽどずるがしこく、中国人もびっくりの強欲で、ロシア人よりも血も涙もない、目的達成には手段を択ばない、そんな人種でなければ想像できないですよね。。。

でも、想像したやつらがいました。

それは「皆殺しのルメイ」に代表される「アメリカ人」

もともと大陸国のアメリカ。開拓のために幌馬車で何日も移動しているうちに、食料がなくなり、「ドナー隊の遭難」みたいに、ついには人肉を食べて生き延びた、なんて事態も発生しており。もし、迅速、安全に、大量の人々を長距離輸送できたら。。。。という悲願が、アメリカ人のDNAに刻み付けられていた。

そのDNAが作り上げた恐るべき成果の萌芽にDC3があり。

「大空の豚丼」として知られるDC3ですが、アメリカ人は、DC3の生産によって、イギリス人が息も絶え絶えロンドン~ニューデリーを運航していた時代に、いつかはお手軽大量輸送がくるぞ!という手ごたえを感じたことと思います。

世界の名機DC3(Pixabay無料画像)

 

 

なぜDC3か?そしてなぜ豚丼か?については、長くなるので別記事にします。ここでは、幌馬車よりよっぽどいい、飛行機という輸送手段があるぞ!という画期的な気づきがあった、という事を特記しておきます。

でも、飛行機なんて水ものですよねー、という恐ろしい課題に直面し。

当時の飛行機は、有視界飛行で、せいぜい高度5000メートルを飛ぶしかなかった。ということは、雨だの曇りだのという場合はそもそも離陸できなかったり、途中で入道雲に行く手を阻まれて引き返すしかなくなった、なんてことは日常茶飯時で、青空でもサーマルなどで、がんががん!きゃー!なんて、快適とは程遠い、やっぱり命知らずの旅になってしまい。

皆さんが、東横線で中華街に行こうとして、東京出発の時点で「CB(積乱雲)が出ていますので出発を1時間遅らせます」そして出発したはいいが「やっぱりCBが出てきたので、出発地に引き返します」なんてやられたら「崎陽軒に行けなくなっちゃうじゃないかー!代わりにシュウマイ持ってきて食わせろ!わぎゃぎゃぎゃー!」と大騒ぎになると思います。

https://kiyoken.com/

要するに、採算のための最も基本となる定時運行、反復輸送の見込みが全く立たなかったのである。

ところが、ヨーロッパ人が戦争を始めたおかげで、これらの障壁をぶち破る可能性が生まれ。

まず、レーダーはじめ無線・電波通信の発達により、肉眼で見えるはるか先の気象を探知でき。ゆうゆうと積乱雲とかを避けるのみでなく、それほど揺れない層雲であれば、すっぽり中に入っても地上から電波で誘導してもらい、計器飛行ができるようになった。つまり、雨だのなんだので出発時間を遅らせたり、引き返すなんてことがなくなった。

大型爆撃機の開発で、大型輸送機の原型を軍が提供してくれた。特にエンジンの著しい性能向上は偉大な貢献をもたらし、長距離を高速で安全に飛ぶことができるようになり、洋上飛行でも飛行艇にする必要はなくなった。これは、どこから流れ弾が飛んでくるかわからないから防弾チョッキを着て歩かなければならない紛争地域から、どこでもドアで東京にぽんとまよいこみ、防弾チョッキなんてもういいやあ!と投げ捨てるくらい、飛行艇から陸上機になって身軽(効率的)になれたという事です。

きわめつけは、排気タービン過給機と与圧装置の開発で、高度1万メートルまで上昇し巡航することができるようになったこと。この高度では、ジャップの戦闘機が上がってこれないだけではなく、気圧が低くてスピードが出せ、燃料の節約になることと、入道雲だのなんだの気流をかき乱すものが少なく、意外に揺れないで飛行できるぞ!という、お客さんを手なづけるための決定打を得ることができた。

与圧が決定打となったいまどきの飛行機(BUSINESS INSIDER)。

 

 

これをB29で体験・学習・実験し、今日のエアラインにつなげたという事である。

めでたしめでたし。あれ?めでたくなしめでたくなし?

しかし、アメリカ人の戦後輸送より先に、大量エアライン輸送を実現していた恐ろしい国があったのです。

なんと、日本でした。

大東亜共栄圏における連絡網を確保するために、横浜を起点として1941年7月には、横浜~サイパン~パラオ、横浜~バンコク線、赤道を超えてはるばるチモールまで民間旅客機を運航していたというから驚き。当時の「大日本航空(鶴のマークの会社とは別物です)」の「民間精神旺盛な」パイロットたちが「胸に翼型の金モールをつけた紺色のダブルの背広に半長靴という制服に身をつつみ、颯爽として南方の空に飛びたった」なんて痛快ですねーただ戦局の悪化に伴い、軍事作戦にいやおうなく飲み込まれていったらしい。(引用元は:飛行艇パイロットの回想 -横浜から南太平洋へ―必読です- http://www.aero.or.jp/web-koku-to-bunka/2009.09.15koshida2.htm)

運航に使われたのが、97式大型飛行艇。

    かっこいいなあ

 

 

南洋の島では、女性ばかりの、それはその、まあ楽しい島とかもあったようで、そんな往年のパラグアイみたいな島にちょくちょく寄っていたりしたらしい。

わくわく、どきどきー!

 

 

こちらの話も、機会があったらまた詳しく?書きたいと思っています。なお「チャイナクリッパーや、シコルスキー S-42はどうした!」とかの突っ込みは禁止です。

3000字越えで打ち止め。

ではでは。。。

 

Posted by 猫機長
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落っこちました(生きてます)

まずお断りしますが、別に墜落ではなくて、タクシーウエイの排水溝にメインギアを落として、立ち往生というイタイお話でした。

 

 

でも、転んでもただでは起きたくないので、ウケ狙いのお題にして記事を書き、うさを晴らすのでした。

というわけで、よいこの皆さんはぜひこの記事に「いいね!」してね!

さて、事件は以下の経過をたどりました。

日曜日の朝早く離陸するために、土曜日の午後から早速自宅ブラジリアより車で45分の所にある飛行クラブの飛行機格納庫で一泊。

格納庫には、飛行機を置くスペースの裏に、小さな簡易居住区があり。

そこでワインをいっぱいやりながらまずは空軍へフライトプランを提出。

 
 

 

空軍のサイトでオンライン提出ができます。

 

 

そして、週半ばから計画してきた飛行経路を航空地図で再確認。

今回はホームベースから、Santa Rosa市、 Pe da Serra市、マラニョン川とサル川の合流地を経由してホームベースに帰る経路で、対気速度平均80ノット、向かい風を食らって平均70ノットとして、総飛行時間1時間40分くらい、飛行距離は215キロくらいを計画。地図に書き込んでおいた経路上の地形で、山や平野、道路や川、湖や水たまりがどこにあるかなどを頭に叩き込んで、その夜は酔っ払い、ぐーぐー寝ました。

酔っぱらっているところ。翌日の惨劇を、この時は知る由もなかった。。。

 

さて翌朝。気温6℃、今年一番の寒さ、となることは前もって予想していたので、ヒートテックももひきに手袋、襟巻だ!と防寒対策も万全にして、朝6時からいそいそと飛行機の機体確認を開始。順調に格納庫から飛行機を引き出し、7時離陸にあわせて、のこのことタキシングしたまでは良かったのですが。。。

いよいよ誘導路から滑走路端へ進出しようとすると同時に、ラジオから飛び込んでくる管制と旅客機間の交信に聞き耳を立てて、今日は風向きがブラジリア国際空港とアラインしているから、僕のいるホームベース上空を突っ切ってくる737やエアバスはいないね、と安心し、今日のQNH(気圧)に合わせて高度計を最終調整、さあ滑走路進入だ!というせつな。

がしゃん

あっ!

機体がかたむいてストップ。

瞬時に、うっかり誘導路わきの排水溝に右メインギアを落としちゃった!ことに気づき。

泣く泣くエンジンストップ。さらに泣く泣くAPP(管制当局・ブラジリアアプローチ)に電話して離陸ストップ。

もうちょっとで誘導路から、滑走路までの芝生に行けるところだったのに。。。。

 

 

ぼくのホームベースは、ちょっとした傾斜地にあり、お上(環境当局)から「なるべくコンクリで地面を埋めるな。誘導路とかも最小限にして、かならず排水溝をつけるように」と厳命されているという噂があり。

この辺の丘に降った雨が、ブラジリア全体の給水に重要な地下水になるとかで、排水溝はとても重要らしい。

もちろん溝があることは百も承知なので、はまらないようにいつも注意してタキシングしているのですが、つい管制に気を取られて、いつもより早く右折してしまったというのが真相でした。

格納庫から延びる誘導路。

 

 

排水溝のほか、原生植種の木をひっこぬかないように、誘導路自体を迂回させ。アートな誘導路になりました。

 

 

このアートなカーブの部分が一番落っこちやすいので、赤い矢印のうえにペイントした線より左に主車輪が出ないようにとか、細心の注意を払うのですが、ここを抜けて油断してしまいました。

 

 

ちなみに、僕のハンガーの前には、タイヤが落ち込まないように自前で網をつくったのですが、えんえん130メートル?続く排水溝すべてに。。。。というのもめんどいのでそのままにしていたら、見事に誘導路出口ではまっちゃったのでした。

格納庫の出口付近は、自腹で排水溝を覆う網を付けたのですが。。。

 

 

滑走路目前でうっかり。絶好の飛行日和なのに。。。。。

 

 

ただ、溝なりに、ちょうどスパッツの幅だけ落っこちたので、多少擦り傷がついちゃいましたが、溝の端でちょうど車軸のジャッキポイントを支える感じになり。要はジャッキアップしているような状態で、タイヤや車輪、ブレーキ機構や車軸などに影響が出なかったのが不幸中の幸いでした。

ジャッキアップしてホイールのねじを確認しているところ。

 

 
排水溝の縁が、この写真でジャッキの当たっている車軸部分で機体を支える形になり、事なきを得ました。

一方、人っ子一人いない朝7時の滑走路。すぐそこに管理人のおうちがあるのですが、家族そろって幸せに寝ているところを起こしにも行けないし。。。。(起こそうとしても起きないですけど)。

しゃあないので、格納庫に戻ってふて寝、もできず、アメブロとかをながめ。それでも8時には管理人のお兄ちゃんが起きだして、立ち往生した飛行機を発見。いやーおにいちゃんが起きるまでの時間が長かった。。。。

そこで、2人がかりで飛行機の支柱をささえて、よっこらしょ!車輪を持ち上げて、芝生の上へ置き換えることができました。

以前やっぱりこの溝にギアを落っことしたパイロットがおり、その時はどういう落ち方をしたのか?スパッツ全損、車軸なども要分解、となってしまったことがあるので、二人がかりで慎重に、溝にタイヤが水平に(溝の壁にタイヤやスパッツが当たらないように)、そして押し上げるときはとにかく垂直に。。。。とやったら、すぽんと、全然ダメージなくうまく抜けました。

APP(アプローチ)に連絡してフライトプラン即時提出、その45分後の9時ちょっと、今度はちゃんと離陸でき、のしのしと計画どうり飛ぶことができました。この日は風がとても穏やかで、離陸時間が2時間も遅れちゃったけれど、それほどサーマル等に会わず、いい感じで飛び、着陸することができました。

離陸上昇中。いやいや一時はどうなることかと思いました

 

 

Santa Rosa

 

 

Pe da Serra

 

 

サル川とマラニョン川の合流地点

 

 

乾季初め、まだ緑のブラジリア(6月頃のお話です)

 

 

結局、修理が必要となることはなく。ゆいいつの出費は、飛行機を持ち上げてくれたお礼に、管理人のお兄ちゃんにあげた腸詰のパックでした。お兄ちゃんは怪力で、僕はエサじゃなかった食べ物で、それぞれ提供できるものを提供して課題解決、田舎暮らしのひとこまでした。

腸詰パック。1ドルくらいです

 

 

最後にまじめな考察。ヒヤリハットと言いますが、事故は小さな要因が積み重なって起きるもので、まず排水溝があり、網がなく、ふだんは気を付けていてもこの日は管制と旅客機の交信に気を取られて(こうした交信を注意して傍受するのは重要であり基本ですが)、ほんの数秒注意がそれたその一瞬にタイヤを溝に落としてしまい。今回は事故でもなんでもないですが、いかにふだんからの注意・心掛けが大切かという、とてもよい教訓になったのでした。

プロでもやっちゃうことがあるらしい。

 

 

ではでは。。。。

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飛行機づくしの短編集

先週は気難しい、数字ばっかり、「ふむふむ」の資産投資の話で、はたして最後まで読んでいただけるか?だったのですが、たくさん「いいね!」いただき、ありがとうございました。今回はもっとぽけっと「わくわく」、短編集でいってみます。

というわけで。。。。①恐ろしいドレン弁のお話、②引っ込み脚と固定脚、③飛行機乗りの格言です。

恐るべしドレン弁

製造から25年(購入からは7年)を経過したこよーて(自家用機の名前)。エンジンを開けてフルオーバーホールし、経年劣化で硬くなったエンジンベッドのゴムなども取りかえて、完璧になったぞ!と、数週間ぶりのフライトをもくろみ。いそいそと早朝から機体のチェックを開始。

こんな飛行機に乗っています

 

 

でも、この時点で、なにか変だぞ?虫の知らせがあり。

というのも、オーバーホールでまたもやマグネトー交換をしたりとか、要は巨万の富をつぎ込んだかなりの大手術が、遂に完璧に完了だ!というだけでも上出来なのに、乾季の始まりではまだめずらしい、雲一つない完璧な青空、無風というこれ以上ないグッドコンディション、ようするに完璧すぎるシチュエーションになり。

ふつーは、やれ風が強いだの、やれ雲が出ているだの、風向きが悪くて滑走路直上にエアバスや737がバンバン侵入してくるとか、離陸しにくくするなにかがあるんですよねーここまで完璧で、いかにも神様から飛べとべー!とけしかけらているようなかんじだと、なにか恐ろしい落とし穴があるんじゃないか?と勘繰りたくなるのです。気のせいか?本当になにかあるのか?

ありました。

ドレン弁からのガソリン漏れを発見。

ドレン弁。燃料の状態を確認する大切なパーツです

水や埃はガソリンより重くタンクの底に溜まるので、エンジンまでの配管にドレン弁をつけて、離陸前の機体チェックの時に少量のガソリンを抜き取って除去します。

 

 

ちょっと写真では見えにくいですが、ドレン弁のガソリン排出コック先のビニール管(写真で黒っぽく変色しているところ)にガソリンが貯まって雫になっており。

 

 

そして床に落ちた雫が地面に染みを作っていたのでした。

ちなみに、燃料タンクから送られてくるガソリンの圧力というのはなかなかのもので、1週間も駐機しているとキャブレターからプラグまでガソリンが染み出て、がぶっちゃうこともあるので、駐機しているときは燃料タンクのメインコックは閉じて、ドレンから先へガソリンが流入しないようにしておきます。

 

 

そして、土曜日の早朝、勇躍してメインコック開け、ドレン弁にガソリンが流入しタンクからの圧力がかかったとたんに、ガソリン漏れが始ってしまったのでした。

ガスコレイタ―(Gascolator)本体内のガソリン点検排出口に汚れが貯まって、ドレン弁コックのパッキン(パチンコ玉みたいなやつ)が密閉しなくなっていました

 

 

これを確認しないで離陸したらどうなるか。

ちゃんとドレン弁が密閉された状況では、こんな感じです。

 

 

ところが、ドレン弁からガソリン漏れがあると、

 

 

燃料系統と上空における外気の気圧差でガソリンが機外に噴射されてしまい、あっというまにガス欠でエンジンが止まっちゃうのでした。

もっとも、今回の程度であればまだまだ安全に飛行できますけど、やっぱり完璧に密閉しないといやですよねー。

いやいやエンジンフル整備の直後、いかにも安心、というときに限ってなんかあるぞ!といつにもまして警戒したのと、別の記事に書きましたが、レストア完成したばかりの世界の名機J3カブが、やっぱりドレン弁のガス漏れで不時着、全損というかわいそうな事故のことが脳裏に焼き付いていたのが大きいかなともいます。

世界の名機パイパーJ3カブ

 

 

「人は、長生きするに従って知識を獲得していくが、飛行機乗りは、知識を持っているやつが長生きする」ですね。はははは

 

②引っ込み脚と固定脚

ランディングギアは離陸した瞬間に単なる抵抗物と化すため、引込めることができれば。。。となるのは進化の必然ですが、引込みの機構(モーター他)はそれこそ「飛行機が一番嫌う重量増加そのもの」だし、だいいち故障でもしたら、ということで、超音速で飛ぶジェット戦闘機はともかく、小型飛行機は引っ込みとするかどうかは永遠の課題です。さる研究結果によると「時速350キロくらいまでは固定脚のほうがよい。これを超えると重量増加や引っ込み機構設置による機体・翼の補強などを考慮しても引込み式のほうが効率的」だそうで、せいぜい100マイル(時速160キロ)で飛ぶ「こよーて君(僕の自家用機)」はもちろん固定脚です。飛行中、操縦席の窓から主脚スパッツがぽかんと空に浮かんでいるのをみると心がなごみます。

こんな感じ

 

 

左が固定脚(こよーて)、右が引っ込み脚(グラマンF3F)

 

 

ちなみに、固定脚でも流線型のスパッツ装着で空気抵抗を10分の1程度に減らせるので、昔の戦闘機には必須の装備でした(そして現在の日曜パイロットには燃費低減のため必須です。ははは)。吉村昭の小説「零式戦闘機」では、96式戦闘機という傑作戦闘機を設計するとき、スパッツの形状を工夫することで、当時の引っ込み脚の戦闘機と同等のスピードを出すことに成功したうんぬんとあり。

96艦戦

 

 

96艦戦は、艦上戦闘機ですが陸上基地でも盛んに使われ。ろくな舗装もないでこぼこの平原で離着陸した昔の飛行機らしく、巨大なメインギアですね。。。

一方、実戦では下の写真のとおりタイヤむき出しで使用されたこともあったようで、陸軍の97戦では、ある記録いわく「戦友が敵陣に不時着し、おもわず自分も近くに着陸し救出した。その日はたまたま整備が間に合わずスパッツをはずしていたため、不整地の強行着陸でも転覆しなかった。人の命なんてほんのハズミで左右されてしまうのですね」。

97戦

 

 

現在でもHOTEL FAZENDA(農場ホテル)等の滑走路は赤土むき出しのところもあり。「ぬきあしさしあし」で離着陸しています。

 

 

③飛行機乗りの格言その2

その1はこちらをどうぞ→飛行気乗りの格言(axiomas-de-aviador)

◎滑走路の長さ、燃料と女性の愛は多いに越したことはない。

Três coisas que nunca são demais: pista, carinho da mulher e combustível.

◎地上にいて飛びたがっている方が、飛んでいて降りられなくなるよりはましである。

É bem melhor estar aqui em baixo desejando estar lá em cima, que estar lá em cima desejando estar aqui em baixo.

◎飛ぶことは危険ではない。危険なのは落ちることである。

Voar não é perigoso. Perigoso é cair.

◎安全に落ちれば危険なことはない。これを着陸という。

Se cair em segurança não existe perigo . A isto chamamos de Pouso.

◎恐怖のひとときは、高価な大型旅客機も最小の価格で購入した部品で組み立てられていることに気づいたとき。

O que me assusta ao voar de avião é imaginar que tudo que está dentro dele foi colocado pelas empresas que ofereceram o menor preço.

◎正しい決断は経験から。そして経験は間違った判断を重ねて得ていくもの。 Decisões acertadas vêm com a experiência, e a experiência vem com decisões erradas.

◎人は、長生きするに従って知識を獲得していくが、飛行機乗りは、知識を持っているやつが長生きする

Na terra, quanto mais se vive, mais se conhece. No ar, quanto mais se conhece, mais se vive.

ではでは。。。

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B29によって築かれたエアライン運航の基礎

B29って何?アメリカの巨人爆撃機のことです。

と、説明しなければならないほど戦争は過去の話になり。

ぼくが幼稚園ぐらいだったかの昔は、当時の大人たちが語った「暗い夜に空襲警報が鳴って、サーチライトに照らされたB29の上や下に、ぼっかんぼっかんとまるで当たらない対空砲火。地上は猛火で荒れ狂い、みんな防空壕に逃げ込んで震えていた」という恐怖体験が身近なこととして残っていました。

サーチライトに照らされるB29のイメージ図

https://wararchive.yahoo.co.jp/airraid/detail/26/

 

 

日本から2356キロ離れたサイパンという島がアメリカに取られた時点で、当時の東条内閣は責任を取って総辞職しました。その理由には「サイパンの滑走路から飛び立つB29の行動半径に東京含め日本の大部分が入ってしまう」ためというのが重要な部分を占めていたと言います。

そして、B29に多数の都市を焼き払われ。

この時点で降伏していればいいものを、ずるずると黙殺だのなんだのと引き延ばしたため、原爆を落とされて終戦になりました。

その原爆を落としたのもB29です。

というわけで、(アメリカから見れば)B29は対日戦争終結の最大級の功労者であり、対独戦争終結の最大級の功労者であるB17とともに、世界中の飛行機マニアから尊敬を集めては、実はいなかったりします。

B17は、「大空の女王」「空の要塞」と呼ばれる有名な飛行機ですが、B29は?「超空の要塞」という呼称があるにはあるけど、それでどうなの?というかわいそうな扱いになってしまっています。

その理由はなぜか。この記事で真相にせまります

さて、結論を先に書いてしまうと、「B17は戦争終結の原動力になった」一方、B29は「戦争という状況を利用して、戦後の金もうけに向けた実験台となった」からと理解しています。

なんだそりゃ?

B17と、B29、それぞれ行ってみます。

◎B17

Pixabay無料画像

 

 

B17は、もともとが1930年代に、「東海岸、西海岸と長大な海岸を防衛するために、船(戦艦)よりスピードがものすごく早く、どこの海岸が攻撃されてもすぐ飛んで行って悪い敵の戦艦に弾をぶち込むことができる飛行機」というコンセプトで開発がスタートしました。

つまり、空を飛べる戦艦ということで、大砲の替わりに爆弾を、となり、その結果人呼んで「空の要塞」となりました。

でも、実は海岸防御などではなく、大西洋をひとっ飛びして悪いナチや共産主義者をぶち殺してやれ!と画策していた(これを、戦略爆撃と言います)。

当時、アメリカは孤立主義、すなわちヨーロッパのことなんて知らないよーん、という政策が国民から支持されていたので、戦略爆撃で欧州攻撃だ、なんて飛行機は許可が下りなかったのでした。

こうした言いかえは現在でも続いており、日本でも、最初は病院船だったのが、気が付いたら戦闘機を乗せた空母になっていた、という例もあったりします。

「いずも」。実は空母としてはいろいろあって機能せず、次世代で本物の空母を作るための訓練用・実験用だ、という意見もある。

https://www.mod.go.jp/msdf/jmp/index.html

 

 

というわけで、実は渡洋爆撃でよその国の工業地帯を爆撃し麻痺させてやるぞーという悪だくみを実現させるために作られたのがB17だったのでした。

このため、以下の特徴がある飛行機になりました。

―とにかく落ちない。尾翼が吹き飛ぼうが敵戦闘機が衝突しようがお構いなしに飛び続け「死なない奴が生き残り、勝つ」という、小学生の作文みたいですが究極の真理を体現した。ろくに戦闘機の援護もないままヨーロッパ奥地まで侵入し、対空砲火、迎撃戦闘機などあらゆる防空網にボコられまくり、一時は総出撃機数の3分の1に及ぶ損害をだしながらも、ドイツの恐るべき工業生産力に致命傷を与えるまでにボコり返し、凄惨な「殴り合い」をねじ伏せて勝利しました。

 

 

―数の暴力:200機を超える大編隊でドイツに侵入した

―航続距離:ドイツのすぐ近くにイギリスという滑走路があったので、重爆撃機としては実用的な距離といえる半径960キロの円内にベルリンを収めることができた。でも護衛戦闘機にとっては遠すぎ、長距離戦闘機が開発されるまでは敵戦闘機から一方的にボコられた。

http://ktymtskz.my.coocan.jp/E/EU5/app3.htm

 

 

これらは、すべて敵に勝つためであり、搭乗員の快適さとかは考慮しきれないところもあった。

B17の側方銃座。高度8000メートルで吹きさらしなので、電熱服でぬいぐるみ状態、酸素マスクでかろうじて呼吸しています

(https://secure.boeingimages.com/サンプル画像)

 

 

◎B29

Pixabay無料画像

 

 

B29の場合は、B17と同じことをやれば勝てる、という事はすでに分かっていたので、さらに付加価値をつけよう、となったらしい。

B17の戦訓で得た結果から、新たな悪だくみが盛り込まれました。

1-高空を飛べば、中高度で飛ぶDC3のように、乱気流に巻き込まれて、乗客がきゃー!なんて騒ぐ恐れも少なくなり。寒いが気流は穏やかである(あるいは一定している)ことが分かった。→与圧室の設置により、半そでシャツでも快適に飛べるように改良。

B29の与圧隔壁

 

 

いまどきの旅客機。与圧によって、ハイヒールでも飛べるようになりました(www.independent.co.uk)

 

 

ただし、日本戦闘機(マニアの人へ:屠龍です)の37ミリ砲弾一発が操縦区画に命中し、与圧が抜けて急に零下何十度の世界になってしまい。だれもケガしなかったけれど、「このままでは11人の冷凍人間が出来上がってしまう!」と、飛行機自体は全然飛べるのに、11名の搭乗員は脱出やむなき、なんて、与圧したばっかりに、意外に打たれ弱い、ひ弱な一面も生まれてしまったらしい。

 

2-無数の巨人機を運用する空港施設や、管制のノウハウを蓄積した。

左はグアム島ノースフィールド(https://www.jiji.com/jc/d4?p=bsf226-0906251234090&d=d4_mili)。右はアトランタ空港(https://www.hisour.com/ja/airline-hub-37949/)

 

3-どうせ戦争はすぐ終わる。エンジンとかは寿命が短くてもいいや(アメリカ人の見方。日本のエンジンよりしっかりしていた)。そして、いろいろな新機構を試してみよう。→安普請で大量生産を計るとともに、大型旅客機製造に向けた各種データ取得に貢献。ただし、その後旅客機含めエンジンはジェット化しちゃったけど。

安普請ではあるが機体構造の不死身さは継承した。https://makkiblog.com/b29_fcs/

 

4-世界はわれらのものだ!サイパンから東京へ行って帰ってこれる航続性能。そしてこれだけの距離を迷子にならずに飛べる航法装置。後にニューヨーク・パリの5830キロ等を定期便のアメリカ旅客機が飛ぶうえで重要な実験台になった。

戦後の巨人旅客機、ロッキードコンステレーション(Pixabay無料画像)

 

 

つまり、B29というのは、実は戦争なんてどうでもいいや、その後の世界の航空輸送を牛耳ってやるぜー!というアメリカの恐ろしい野望を体現した飛行機だったのである。

ヨーロッパも日本も死に物狂いになって戦争している中、こうゆう戦後の金もうけのための実験台をのうのうと作っているいやらしさから、B29はB17に劣らない貢献をしているのに、あまり好かれない飛行機になってしまっています。

もちろん、戦争道具としてもすごいところもあり。

例えば、遠隔機銃

https://www.sun-inet.or.jp/~ja2tko/jap/ok_b29.museum.html
 

 
詳しい技術は良くわからないけれど、リモコン方式、かつコンピュータ制御で自動的に敵機の経路を計算して、射手は照準器に入った敵機に向けて引き金を引けば、機銃のほうで勝手に見越し射撃をやってくれるという恐ろしい装置です。

その当時日本がやっていたことは

竹槍訓練。ははは

 

 

ここまで読んで、そんなことないよ!アメリカも必死になって日本に勝とうとしていて、B29が戦後の旅客機の参考になったのは、あくまで副産物だよ!という人がいるかもしれません。

たしかに、必死と言えば言えば必死でした。

でも、必死さのレベルがぜんぜん。。。。というかんじであり。

1945年7月の雑誌TIMEの表紙。戦争?なにそれ?

https://www.ebay.com/itm/304101850719

 

 

ミリオタサイト「兵器生活(http://www2.ttcn.ne.jp/~heikiseikatsu/index.html)」によると、8月15日のニューヨークタイムズでは「前日のナ・リーグ野球の結果は以下の通り。パイレーツ7-ブレーブス5(第一試合)、パイレーツ6-ブレーブス2(第二試合)。ジャイアンツ5-レッズ2。カーズ2-ドヂャース1」なんて掲載していたそうです。

最後に、B29の旅客機バージョンです。

ニューヨーク・ロンドン間5,578キロを、1947年には飛んでいたらしいが、こちらもB17じゃなかったコンステレーションの影にかくれて、いまいち知名度が?だったらしい。

Bill Larkins – B377unitedSFO, CC 表示-継承 2.0, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=29362764による

 

 

http://www.ovi.ch/domains/ovi.ch/public_html/b377/

ではでは。。。

Posted by 猫機長