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AI世界征服

AI世界征服

以前の記事で、人工知能(AI)が人の職場を奪い、どんなに有能な人でも生活保護という未来が来るぞ、ということを書きました。その記事では生活保護(Financial3.7a)についてが主体だったので、ここではAIがどう仕事を奪うかについて、ぼく自身の体験にもとづき「AIが医療をどう変えるか」をお題とした具体例で行ってみます。

まずはAIが進出していない現状から。

とある吉日。急に「ぐあああー息ができない」という状態に。鼻づまりとかそういうのはなく、酸欠みたいな状況になってしまい。

まず、耳鼻科に行こうとしたら「病院満杯で3週間後しか診察できない」といわれ、「呼吸器外科」を先に受診しました。でもこちらも2週間待たされました。この時点では、日中の息苦しさに加え、夜は就寝中に窒息して、ぎえええー、と跳ね起きてしまい。喉には何かが詰まった感じでのたうちまわっていました。

で、やっと「呼吸器外科」に行き、肺のCTをとったりとか大騒ぎしたあげく「理由はわからんが気管支炎になっている。幸い肺は大丈夫だから喜んでよい」「大人の喘息かもしれん。気長に養生するのがいいよ」などと、パイロットには呪いの言葉である「喘息」まで出てきてしまいました。

でもこの時点でお医者さんから「シムビコート」という気管支の炎症を取る薬を処方してもらい、かなりよくなったぞ!まず安心。

そしてついに耳鼻科へ。お医者さんいわく「上気道(つまり耳鼻科領域)では問題はない。こういうケースは「逆流性食道炎」が疑わしいから、消化器内科へ行きな」とけりだされてしまいました。

つまりこの時点で、またしても病院探しの旅に逆戻りしてしまい。息ができないのと胃炎と何の関係があるのか?喘息だったどうしよう?などのはてしない疑惑が広がっていくのでした。

で、例のごとく予約から診察まで3週間かかり、やっと消化器内科のお医者さんとお話しでき。いわく「そもそも胃が痛いという時点で放置していただろう。その時から胃酸過多で、その胃酸が胃の中にとどまらないで食道から気管支に上がっていったから炎症を起こしたのだ。シムビコートは対症療法にはよいが、根治には胃酸を抑える必要がある」とやっと課題と解決が分かったのでした。問題発生からすでに3か月くらいたっていました。

さて、胃酸を抑えるパントプラゾールという薬や、夕食から寝るまで4時間以上開けること、脂っこいものやコーヒーは控える、などと気長にやったところ、さらに2か月くらいしてから胃酸のコントロールができるようになりだし。この時点でシムビコートと決別でき、さらに1年後、健康診断の時のお医者さんの許可?を得てパントプラゾールもやめることができました。現在は、のどの「いがいが」等が残っているが普通の生活。時々ぐえええー、息が、となったときはラニチジン(これは自分で勝手に処方しています、ははは)でしのいでいます。

さて、上記で明らかになった課題は

「耳鼻科」だ「呼吸器外科」だ「消化器内科」だとたらいまわしになり。それぞれの診察を予約するにも3週間待たされる。予約手続きでは「そもそもアテンドしない、アテンドしても名前を間違られて全然違う患者の話をされる」など「先方のやる気がなくこちらの意思を伝えるのに大変な労力が必要」つまりお医者さんに到達するまでにはてしないハードルを越える必要があり。その一つ一つが「対応する人の性格やその場の気分など」に左右される属人的な状況となっている。

やっとお医者さん、といっても初対面でどんな人かもわからないし、耳鼻科の医者に至ってはちらちらと時計を見ながら、という対応。つまり、医者にとって、医療とは「いかに制限時間内に多数の患者をさばくか」であって「患者がどんな病気で、どういう治療をするか」は二の次だった。

があげられるとおもいます。

さて、ここでAIが本格的に進出した未来にタイムスリップしたとします。

ぐえええー、息ができない。「どんな病気で、その治療は」という課題発生。

さっそく、パソコンに向かい「治療くん」みたいなページを開き、症状を訴える。この訴え方も、キーボードをたたく、パソコンのカメラで映す、音声で伝える、など、要は目の前のパソコンがお医者さんに早変わりするということである。画像、音声の精度が診断に重要という場合はUAV(ドローン)機能を備えた「治療くんロボット」が飛来するとか。ははは

パソコン(あるいは「治療くんロボット」)は、患者から伝えられたデータを瞬時にブロックチェーン(Blog15)によって世界中につながっているビッグデータで検討し、世界中の類似例にもとづいて「原因と解決」を瞬時にたたき出し、パソコン画面に表示。例えばぼくの例では「原因:逆流性食道炎に基づく気管支炎。治療:短期的にはシムビコートで気道の交通確保。一方パントプラゾールで胃酸の制御。生活習慣の見直し(ラーメン(financial3.12)禁止,うでたて100回などなど)」という回答が出されることになるので、薬屋さんに行くなり治療開始をすればよいということである。「治らん、死ぬ(spiritual1.8)ぞ」なんて回答が来るかもしれませんけど。ははは

その場合でも、世界中の「お医者さんのオプション」がつまったビッグデータからの回答がはじき出されているので、得体のしれないやぶ医者に殺された、ということは起こりません。また、上記での「喘息かもしれん」みたいなパイロットにとっては致命的かも?みたいな取り越し苦労をする恐れも激減。医療科目ごとに縦割りで壁を作っている医師間の連絡不足などは、ブロックチェーンであらゆる医療部門がつながっていれば「喘息かもしれん(呼吸器外科だけの見かた)」ではなく「胃酸の気道上昇である(呼吸器外科と消化器内科が連携した見かた)」という答えが一瞬ではじき出せるためです。

結局、コンピュータの前で、お家に居ながらにして、「治療くん」の飛来をまったとしても、せいぜい1時間もあれば課題解決である。

つまり、ユーザーから見ればAI革命は画期的な進歩になります。冗談ではなく、多数の命が救われることになるでしょう。

一方、耳鼻科、呼吸器外科、消化器内科など縦割りで乱立して(それぞれに仕事を融通しあって)いる医院は大幅縮小を余儀なくされ(入院や救急搬送などがあるので消滅はしない)、「医療くんロボット」に職を奪われた医師は大量失業、ろくに電話対応もしない不真面目な事務員はそれこそ誰も雇ってくれなくなり(雇用者自体が劇的に減少してしまうのもある)、空き缶にゴザの乞食生活に落ちいってしまうかもしれません(この場合は恥ずかしい乞食(Blog14.)ですね)。こうした社会恐慌を経験したのち、AI導入による企業利益の著しい増加を資金源とするベーシックインカム導入に移ってゆくと思います。

ということで、いわゆるひとつの将来予測でした。ではでは、ちゃんちゃん。。。

 

Posted by mobilizze
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タコメーター

タコメーター

ホームページ本文で記載(Aviaion0.)のとおり、小さな飛行機に乗っています。

こんな飛行機です。「こよーて(RANS SUPER COYOTE)」という名前です。

さて、以前の記事(Blog3)で、エンジンはめちゃくちゃ調子がいいのに回転計がフルパワーでも4600回転しか示さない(本来は5200回転出ないとおかしい)という怪現象が発生し。プロペラピッチが大きすぎたのかな?等原因を調べていって、結局一番ベタな「回転計(タコメーター)がヘタレたんじゃね?」という結論に行き付いたところまで書きました。今回はそのつづきです。

早速、新品取り寄せ。なんと注文してから1日で届きました(まだ支払い請求書が来ていないのに、すごいぞ!)

オーストリア製の純正品。サンパウロ州という地域の取り扱い代理店から1000キロの距離にあるブラジリアつまりぼくの住所まであっというまに空輸されてきました。

しかし、問題は「取り付け」で。写真のとおり、飛行機の計器盤はいろいろぎっしり詰まっており、この裏側はすさまじい数の配線が押し合いへし合いしています。

この中の一つが回転計です。

計器盤の裏側はこんな感じ。

最後の写真の一番左上の黒いのが回転計です、ははは

さすがに「炎のエンジン職人」のおっちゃん(Financial 3.11)や、プロペラ調整の達人でもある鬼教官(Blog2)も取り付けはいやがり。で、そのまた友達の電気屋さんにお願いしようとしたのですが、いわく「ちゃんと配線を間違わず、ほかの計器の配線に干渉しないでやれば簡単だから君自身でおやり」と逃げられてしまいました。

そんな押し付け合いをしているうちに新しい回転計が到着してから2週間たってしまい。まあとりあえず現状どんな取り付けかのぞいてみようか。。。と座席から床の空間に寝っころがり、というか押しつぶされそうになりながら懐中電灯でそっと調べたところ、たしかに簡単そうだぞ!

こよーて機(ROTAXエンジン)の回転計は電気式で、写真のとおり3つの端子がそれぞれエンジンに電線でつながっています。

そして、それぞれの電線はこれらの端子にぴったりの扱いやすい差し込み式のソケットでつながっていて、へんにねじ止めとかハンダ付けとかめんどい作業の必要はないことを発見!

というわけで、まず現在のタコメーターの⊕端子と⊖端子に差し込まれている電線にそれぞれ緑と黄色のマスキングテープを巻き付けて識別し、端子から抜き去った後それぞれの電線をどの端子に差し込むべきなのかがわかるようにします。

でも、無数の電線の中で、回転計の電線を見つけること、プラスマイナスの電線を見分けてテープ巻き付け、しかもほかの電線を引っ張ったりしないように。。。とかこのステップが一番大変でした。

一旦識別がすんじゃえば、あとは慎重に各端子の電線を抜き取り、さっさと新しい回転計のほうに差し込んじゃいます。この作業は真っ暗な計器盤の裏側で懐中電灯片手に、という状況だったので写真は取れませんでした。しくしく。

そして古い方の回転計を計器盤から外します。

この段階では、新しい回転計は3つの端子につながった電線によって、計器盤の裏で宙ぶらりんになっています。電線にストレスがかからないように早く回転計を計器盤にねじ止めしなきゃ。。。と焦ります。

で、ねじ止めしました。

計器盤の上に乗っかっているのが古い回転計です。

なんとか取り換えたけれど、万一配線を間違えてショートとか?あるいはそもそも新しい回転計が不良品だったら?など悩みは尽きず。手のひらサイズの回転計ですが、400ドルしましたからねーはたしてうまく回ってくれるのか?

回ってくれました。

エンジン試運転で、回転計の動きはなめらか、アイドリングはちょっと高めかな?でもとにかく最高回転はぴったり5200回転で維持しているぞ!ということで一応の解決。回転計はヘタレてくると最低回転はともかく最高回転(超重要)まで針があがらなくなっちゃうということなのですね、皆さんが操縦するないしオーナーとなる飛行機があった場合のご参考ということでお知らせします。

ではでは。。。

 

Posted by mobilizze
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かぶと虫修理

かぶと虫修理

60年型ドイツ製のかぶと虫に乗っています。

とある日曜、自宅から40分の飛行場を出発、自宅近くのスーパーで買い物をして、さあお家だ、と出発してすぐ、エンストして道端にストップしてしまいました。

気温30度を超す?昼下がりで、ベーパーロックつまりガソリンポンプがガスで詰まっちゃったか、あるいはコイルが熱で漏電したか?まあ「かぶと虫あるある」なので、スーパーのトイレで雑巾を濡らしてそれぞれポンプとコイルを冷やし、さて再始動。ぷすぷす、ばばばば、とかかったのはよいのですが、きりきりきりきり、とこするような音がして、バシッとエンジンが止まっちゃいました。

もはやスターターも回らなくなってしまい。泣く泣くレッカー車を呼んで修理工場まで運びました。20年以上乗っていて、一度もレッカー車のおせわにならなかったのになー、しくしく。。。。

ちなみに、オーバルウインドーは58年型までだぞ!というするどい指摘があるかもしれません。でもこの車はいろいろあったらしく、購入したときからずっとオーバルでした(当時大型リアウインドーの生産がまにあわず、ブラジル行きなどの一部はオーバルのままだったなどといううわさもあります。ほんとかな?)
翌日(月曜)修理開始。その日はぼくも休日あつかいだったので修理を見学できました。
まず、基本的なところでバッテリー。

最近のバッテリーは2年ごとにだめになっちゃうからしょうがないよねー、と修理工のお兄ちゃんと話していたら。

 

 

 

 

 

 

製造日が05/10/13。ふむふむ2013年10月05日ね。。。。

えっ、あれ?6年前じゃん!(修理をした日は2019年の10月14日)

うあああー?よくぞここまで「あがり」にならなかったすごいぞ!というわけで、まずはバッテリー交換。

で、いよいよ本番。

隣にメルセデスのクラシックカーあり、おもわず撮影。

お兄ちゃんが潜り込んでいる上にスターター(エンジン始動モーター)があります。

スターターが炭化していました

スターターは、エンジンがかかると同時にエンジン駆動機構(かぶと虫の場合はフライホイール)からバシッと離れて、自力で回りだしたエンジンから逆に駆動されないような仕掛けになっています。

しかし、この「分離」がなされなかったため、ガンガンエンジン側でスターターを回すことになってしまい。炎上はしなかったけれど黒焦げになってしまいました。ははは

新しいのに取り換えました

で、スターターを炭化させた真犯人はこちら

イグニッションキーのついている始動セレクター機構でした

アップ写真。エンジンキーの刺さっているシリンダ(鼠色のカバーの中と、そのすぐ後ろのコンダクター(写真ではすでに外して宙にぶら下がった状態)が故障しており、いつまでもスターターONの状態にセレクトしていたのでした。

取り外したコンダクターとイグニッションシリンダはこんな感じ
かなりの大手術になってしまい。でもつい最近取り換えたコヨーテ(自家用機)のエンジン回転計(Blog18)より安くつき、ほっとしています。

航空機用タコメーター
自動車コンテンツはポルシェ356Aも含め追って独立させることを目指してしますが、とりあえずはブログでアップさせていただきます。

最後に付記。本来冬が終わったばかりのはずの10月のブラジリアで灼熱の太陽に焦がされ、焼けど用軟膏のお世話になってしまいました。とほほ。。。

Posted by mobilizze
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歴史シリーズ第二弾:西郷どんと慶喜さん

歴史シリーズ第二弾:西郷どんと慶喜さん

大河ドラマ「勝海舟」をみて「西郷さんと慶喜さんの行動って、資産形成のプロセスそのものだね」と思うところあり。

https://www.youtube.com/watch?v=p4rPuEgUK-o
まず、明治維新ってなに?子供のころ「坂の上の雲」とか「鳴門秘帳」に親しんだころは、「頑迷な伝統やしきたりを守ろうとして欧米植民地化の危機をかえりみない徳川幕府」を「西洋の技術を取り入れ、経済を発展させた新日本を生み出そうとした薩長と討幕派」が倒し、日本を近代化し植民地化から救った、というようなストーリーだとおもっていました。

でも、最近書物を読み返したり、参考になるサイト「北山敏和の鉄道いまむかし」やWikipediaで勉強してみると、実はそう簡単でもなく

―むしろ開国と近代化を進めようとしていた幕府

―開国や近代化以前にとにかく討幕して天下の覇者となりたかった薩長

―列強の軍事力を理解できず、とにかく外国とつきあわない引きこもりの「攘夷」に固執する朝廷

がみつどもえになって、結果的に

―幕府は朝敵にされてしまい消滅

―薩長は覇権をにぎったがその存続のために開国・富国強兵を徳川から継承・推進

―朝廷にいたっては、引きこもりどころか日清日露の戦役や朝鮮統合など薩長による近代帝国主義推進・対外膨張政策の象徴として祭り上げられてしまった

ことが見えてきました。(個人的見解です、念のため)

長州については、愚直に「拝啓天皇陛下様、攘夷のために外国船を打ち払います」とやったため欧米列強の反撃で火の海になってしまい。しかも第1次長州征伐など幕府からもけちょんけちょんにやられ「恨んでも恨みきれない幕府、いつの日か滅亡させてやろうぞ」と第2次長州征伐につながっていきます。

でも、実は幕府より恨みきれない薩摩がおり。第一次長州征伐で幕府の先兵になって長州をいじめた薩摩ですが、しかしこれも薩英戦争でイギリスにけちょんけちょんにやられた結果、西郷隆盛などプラグマティックな思考ができた人は「よく考えたら、幕府の言っている開国・貿易・工業化しないと死ぬかも?」と気づくと、「とにかく尊王で徳川をやっつけようよ」と討幕の怨念に取りつかれた長州と同盟というコペルニクス的転回を達成し、「尊王攘夷」をいつの間にか「尊王討幕」に転換させてしまったため、朝廷が一番固執していた「攘夷」は幕府・薩長誰も言わなくなってしまったのでした。ははは

あとは官僚制的な悪弊で身動きできなくなった徳川幕府をイギリス仕込みの近代軍と長州の怨念の加護でやっつけ、明治維新、その後の開明的な薩摩幕府じゃなかった明治国家ができました、となります。

でも、海軍操練所とか、咸臨丸、開陽丸等の近代船舶、これらを操縦する人員など日本の近代化のもとを作ったのは実は幕府だったりします。勝海舟や榎本武揚は幕臣であり、榎本さんに至っては明治新政府で得難き人材として採用され活躍しています。上記の薩長同盟で西郷さんと桂さんの仲良し同盟を実現したのは、坂本龍馬といって勝さんの弟子で、勝さんの思想の延長を体現していました。つまり、明治政府は幕府が作ったレールを上手に利用して近代化改革に成功したということになります。

ううむ、では悪弊に染まり太平300年の夢を「蒸気船4はいでも覚めようとしない」幕府が、一方で維新後の開かれた日本のレールを敷いていたというその恐るべき事実はどうやって達成されたのか?勝海舟のような開明派の幕臣もいましたが、しかし総元締めの親玉がしっかりしていないとこうはいきません。日本にとって幸運だったのは、親玉がほかならぬ徳川慶喜さんだったということです。

やっと西郷さんと慶喜さんの名前を出すことができました。前置きはこのくらいにして、ご両名をお題とした「資本家道講座」いってみます。

西郷隆盛:地の利(外様の雄藩)、天の時(幕末)に現れた「正しい人」ということでしょう。善悪(SpiritualS6)のことではなく、維新というパズルのピースとしてぴったりはまる人、という意味です。

中国の戦国時代に米作生産による強大な経済力を持つ西南部を押さえた秦が中国を統一したように、琉球との密貿易などで強大な経済力を得ていた薩摩は、それだけでも新日本の覇者という未来が開かれており。でも悲しいかな薩摩人だろうが会津人だろうが、ちょんまげに二刀が人の証。ともかくお家がこれまでどうり存続すること。商売(お金)なんて卑しいことは武士のいうことじゃありません、という時代に、西郷さんのすごいところは、この経済ポテンシャルをうまく引き出して本当に明治の薩長政府をつくりあげたところにあります。

ひとことで言えば実利主義。上記のとおり長州をうまく味方に引き入れたり、尊王攘夷をいつのまにか尊王開国に変えて、よりによって朝廷を開国の先兵に仕立て上げたりしちゃうしたたかさがあり。「ウドさあ」つまりぽけっとしているように見えて中身はものすごく繊細な調整ができる人だと思います。

つまり西郷どんは「最強のビジネスオーナー(financial1.3)」で自分の目標を明確に持ち、見事に薩摩の天下を達成しました。極めつけは幕府を滅亡に追いやった手腕で、滅亡しなくても徳川主導の「大政奉還」で徳川もその他大名もなかよくみんなで列強に対抗しましょう、となりかかっていたところを、朝廷を巻き込んで「王政復古」し、なりふり構わず徳川方を挑発して見事武力衝突に持ちこむところでしょうねー。これで平和は夢と化し、徳川は朝敵、薩摩は官軍という構図を作り上げてしまいました。

ただ、多数のビジネスオーナーが一時期大成功してもその後バブルがはじけて行方不明になってしまうように、西郷さんも途中で怪しくなってきます(最後は自決)。

西郷さんの目的は薩摩による日本征服であり。そのためには幕府との武力衝突で戦国時代になろうが知ったこっちゃない、という感じで、意外とこの辺は信長(Financial3.14)さんと似て「投機家(Financial1.6)」かも?投機が成功して鳥羽伏見の戦いが始まり、薩摩は大阪そして、江戸、日本全土への征服の戦争を開始しました。

でもこの投機は、地獄の結果をもたらす危険も持っていたのです。鳥羽伏見で勝ったとして、幕府方がガチで応戦すれば、大阪の時点ですでに大激戦が予想され。最終的に薩摩が勝つにしても、それまでは戦国時代さながらに日本全土が焦土と化してしまい、せっかく勝っても日本自体が再起不能の打撃を受けていました、という可能性も十分あったのです。

では、なぜ日本が滅亡しなかったか。それは鳥羽伏見の後、慶喜さんがとっとと逃げて自分で謹慎しちゃったからです。ということで慶喜さんに移ります。

慶喜さんは、投資家(Financial4)だと思います。彼の場合は、徳川や薩摩ではなく、日本がどうよ?ということが関心ごとであり。鳥羽伏見の時に「謎の反転」で江戸に逃げ帰ったのも、戦争を避けて日本の経済力を残した形で「開国・貿易・工業化」をもくろんでいたのだと思います。つまり日本という母体がなければ自分も死ぬぜ、ということがわかっていて、大政奉還だろうが何だろうがいとわないというタイプ。

ただ、演出がへたくそで、いわゆるゲスの勘繰りの標的になってしまいました。鳥羽伏見で「逃げ帰った」と敵味方から言われるのはまだしも、帰った後に「うなぎのかばやき食べたいぜー」とお付きの人にお金を渡して買いに行かせたら、お金が足らずお付きの人が自腹で払ったとか、謹慎後の生活で悠々自適すぎて、元幕臣が困っていても意に介さなかったとか、ようするに暗君とそしりたい人たちにいくらでも言い訳を与えてしまっており。

でも、慶喜さんはそういう枝葉の部分で批判するべきではなく。「卑怯なまでの退却・不戦の意思表示」によって日本という元本(Financial1.6)をすり減らさずに保全し、中国などとくらべて奇跡的な発展を可能としたと理解します。

というわけで、ながくなりました。今回はちょっとこじつけすぎかなーおそまつさまでした。ちゃんちゃん。。。

徳川300年、おもち(Blog12)を食べられる状態で「奉還」した慶喜さん

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ブラジル経済の基礎知識(概論)

ブラジル経済の基礎知識(概論)

これから数度不定期で「ブラジルに投資するなら?」をお題とした投稿をさせていただきます。まずは、ポイントを抽出してランダムに書き込んでみます。これら項目について改めて記事作成ということになります。

さてポイントたちですが

―ネガティブキャンペーンにだまされるな

―ブラジルとインフレの切っても切れない恐るべき関係

―三脚

―マルサスとブラジル

―ブラジルコストのお話

―移住者のホロコーストとデカセギのホロコースト

―リート銘柄の個別分析

ううむ2019年10月15日時点で思い浮かぶのはこのくらい。将来増殖させてゆくことを希望します。

というわけでちょっと尻切れトンボの終了。「ネガティブキャンペーンにだまされるな(Blog22)」につづきます

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ネガティブキャンペーンにだまされるな

ネガティブキャンペーンにだまされるな(ブラジル経済の基礎知識①)

ひところ「ブラジル経済」でグーグル検索をかけてみると、「経済危機」、「犯罪」など恐ろしい語句ばかりがヒットされていた時代もあり。

―ブラジルは崩壊寸前の資本主義のいいモデルだ(2018年)

―公務員に支払う給与もない。ブラジル経済は沈没寸前(2016年)

―ブラジルって、治安が悪くて、怖い国なのですね?どう思う?(2014年)

などが、日本の人が抱くブラジルのイメージを代弁していると思います。これらは「知恵袋」からひろって来た一般市民の意見ですが、プロの金融機関などになると

―混迷が続くブラジル経済・政治 – みずほ総合研究所(2016年)

―ブラジル経済の先行きに暗雲 – 国際通貨研究所(2019年)

―ブラジル経済が瀕死なワケ | Forbes JAPAN(2015年)

など、「混迷、不透明、予測不能、低迷」などといったワードが目白押しとなっています。ははは

というわけで、「ブラジルに投資」などと言おうものなら「なんでそんなゲテモノに?」「やめろ、あぶないぞ!」というのがいわゆるひとつの常識的な反応になっていると思います。

でも、ここで重要なのは、ネガティブな情報の羅列(キャンペーン)が、本当のことなのかどうかではなく、ブラジルへの投資が「儲かるかどうか」だったりします。

例えば、「得体のしれない独裁者から核ミサイルをいつ撃ち込まれるかわからず、台風や地震が頻発して「原子力緊急事態」が発令されちゃった」という情報(評判/風評?)が流されている国の通貨が世界有数の安全通貨になっているように、いくら頑張って分析した結果だったとしても、外部の人が想像しながら書いた情報なんて投資判断の材料になんてたいしてなりませんよ、ということであり。「日本政府は隠しているが、原発事故の放射能は日本中を汚染しており内部被ばくで日本人は全滅だ」とか「ブラジルは野蛮で阿鼻叫喚の社会危機、狂乱インフレにデフォルトの国。経済危機が永遠に続く」などというコメントがほんとうかどうか、そんなことを気にする必要はないのです。経済危機だろうがどうだろうが、投資すべきポイント(対象)に投資してしっかり利益を回収すればいいだけの話だからです。

というわけで、具体例で行ってみます。

ちょうどブラジルのハイパーインフレ(Financial3.3)が終息しかかった時代に投資を始めました。その中でも典型的といえる3つの実例を検討してみます。

*超重要:下記の投資を行った期間(1990年代末から2019年)に、460%強のインフレがありました。このインフレを考慮して(その分投資の利益を減少して)計算します。

インフレの計算式(ブラジル中央銀行。大本営発表(Financial3.3)ですがそこそこ信頼可能):https://www3.bcb.gov.br/CALCIDADAO/publico/corrigirPorIndice.do?method=corrigirPorIndice

1.分譲アパート(financial1.8)購入

1996年7月、R$20,000.00で買いました。

2019年2月、R$ 170.000,00で売りました。

この期間のインフレ460,307310 %、修正後R$ 112.061,46

実質利益はR$170.000,00-R$ 112.061,46=R$57,938.54

つまり1996年から2019年のあいだに、289%の純利益(57,938.54X100÷20,000.00)。1年あたり12%の元本価値上昇があったということですね。へえええー!

賃貸に出していた当時の家賃収入は考慮せず。

*家賃を考慮した金額は忘れちゃったので家賃収入0としておきます、ははは

2.リート(Financial1.5)購入

その1:FLMA11

2000年11月、1株R$1,00の値段で買いました。

2019年10月、1株R$5,16で推移中。

この期間のインフレ280,988910 %、修正後1株当たりR$ 3,81

実質利益はR$5,16-R$3,81=R$1.35

つまり2000年から2019年のあいだに、135%の純利益。1年あたり7.1%の元本価値上昇があったということですね。4%ルールは達成している(financial1.11)ものの、低いな、しくしく。。。毎月の配当(Financial1.4a)は考慮せず。

ホテルとビルテナントです。写真出展http://investidorderisco.blogspot.com

その2:SHPH11

1999年12月、1株R$100.00の値段で買いました。

2019年10月、1株R$955.00で推移中。

この期間のインフレ320,991100 %、修正後1株当たりR$420,99

実質利益はR$955.00-R$420.99=R$534.01

つまり1999年から2019年のあいだに、534%の純利益。1年あたり26%の元本上昇があったということですね。すごいぞ!毎月の配当は考慮せず。

ショッピングセンターです。広報資料よりhttps://www.facebook.com/shoppinghigienopolis/

結論:どんぶり勘定ですが、20年間のブラジル投資で、3つの投資先それぞれ利益年あたり12%、7.1%、26%、平均で15%の利率ですね、インフレを引いた後の純利益なので、わるくないじゃん?とか自己満足してます。(10月24日)

つまり、配当を考慮しない元本のみの上昇でも、過去20年間で年当たり15%の純利益が得られたのがブラジルだった、というのが実例として提示できました。ネガティブな情報はあるしその情報は実はかなり本当だった、というのもあるのですが、その情報ゆえに投資をしなかったらこの年率15%の不労所得(Financial1.2a)はなかったということですね。

では、ネガティブな情報にだまされることなく、成果の出る投資をするには?この答えは一言では言えません。本ホームページの経済コンテンツ(Financial1.1)・スピリチュアルコンテンツ(SppiritualS.0)をくまなくご覧いただくようお願いします。

(追記:元本に対する配当の利率は平均で1年あたり6%くらいFnancial1.2b)でいっています。恒常的な不労所得であり、元本の上昇より実は重要だったりしますが、説明は別記事(Financial1.6)ご参照)

ではでは。。。

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ブラジル経済の実態(前編)

ブラジル経済の実態(前編)(ブラジル経済の基礎知識②)

さて、前回では、どうやらブラジルは得体のしれない怪しい国、と思われている(Blog22)ということを書きました。

というわけで、ほんとうのブラジルはどんな国?ということを現地人(1975年工業移住、当時7歳ぐらい)の視点から書いてみます。「真相はこうだ」

そもそもブラジルは1500年当時ポルトガルにより植民が開始され、農業資源、砿業資源つまりサトウキビだの金鉱だのの供給基地として巨大プランテーションあるいは鉱山といった生産施設が開発され、自然資源を本国に吸い取られる一方で、植民地自体の生活拠点整備がおざなりにされた「収奪式植民地」になりました。アメリカの場合は、イギリスでいじめられた清教徒が、もう帰れない!アメリカを住みよくするしかないんだ!ということで生産施設だけでなく学校、病院、娯楽施設を含めた都市の整備などが進みました。この差が後々までアメリカとブラジルの発展の差に影響することになります。

収奪式モノカルチャー経済(サトウキビ→金鉱→コーヒー、等と時代につれ移行していきます)の生産の担い手は奴隷。多数の奴隷をポルトガルから来た大規模投資家が使役してプランテーション農業、という図式が出来上がります。つまりブラジルの場合ものすごく少数のエリートがものすごく多くの奴隷をこきつかうという極端な社会格差がスタンダードとなりました。

そのうち英国はじめ正義の味方が奴隷労働を糾弾し始め、ブラジルも正義の国なので1888年に奴隷解放(Financial3.7a)し、それまで資本家側(奴隷の主人)が払っていた労働者の衣食住のコストを「自由になったからどうぞ勝手に生活してね」と労働者側に押し付けることに成功。こうしたコスト削減と、コーヒーなどが世界にどんどん売れだした利益を合わせ、第二次大戦では上手に連合国側に味方してアメリカから援助してもらったなどもあり国家としての経済力も次第に整備されてきました。

ここで、ブラジルの暗転が始まります。

1960年代、時の大統領自ら「ブラジルは海岸しか発展しておらん、内陸開発だ」と「50年の発展を5年で達成しよう」をスローガンに大経済開発(工業化など)に着手。

もちろん考えとしてはものすごく妥当で、アマゾン・マナウス商業地区とか、マナウスだけですが経済開発をアマゾンに持っていくことができたり、ブラジルのど真ん中にあるブラジリアの建設に至っては、南部海岸のサンパウロから中央サバンナのブラジリア1000キロにわたりブラジル経済の拡大に成功。現在ブラジルが世界最大(時々2位に落ちることがある)の大豆生産国になったなどの経済発展には、確かにこの政策は貢献しました。

クビチェック大統領と工業化のシンボル「かぶと虫(Blog19)」
しかし、アメリカのように植民の開始から移住者たちが「ここが終の棲家だ、イギリス以上の先進国にするんだ」との覚悟が要求されなかったブラジルは、巨大な農場/鉱山と数えるような資本家の大邸宅があるだけで、その他は何もない原始状態の国になってしまっており。学校もない状況で資本家は子供たちをヨーロッパに遊学、というか大学を出るまで生活させ、その後農園経営に戻ってくる。そして好きな時にまたヨーロッパに遊びに行く、という状況がつづき、マナウスの大オペラ施設とかそういった文化施設は散在してはいるものの、ブラジルの大部分は縄文時代と変わらないんじゃね?とういう状態でした(いまでもそうですけど)。

さて「縄文時代の原野」を先進文明国の都市に変えられないかというと、変えられました。

人工都市ブラジリア。出展はhttps://ja.wikipedia.org/wiki/ブラジリア
ただし、ものすごくお金がかかりました。「砂利まで飛行機でリオから運んだ」といわれるように、まさにゼロからの建設であり。それも無理やり大統領の任期中に完成させるように5年程度で作れという無謀な工事を余儀なくされてしまたっため、建設費は天文学的になってしまい。

そのお金を、借金で賄いました。歴代の政府は、まあ経済発展で収入も増えるから利子込みで払えるじゃん、としており、最初はうまくいきかけたようだが、運悪くオイルショックが勃発。

当時100%輸入に頼っていた原油、そしてすべての経済の基礎となる原油が、天文学的に値上げ。一気にあらゆる金利が爆発的に上昇します。政府は、借金を払うためにたまらず貨幣の増発(価値下落)に踏み切らざるを得なくなり。

このとき、狂乱インフレの火ぶたが切って落とされてしまったのでした。

そして現在のイメージである「経済危機の国ブラジル」に転落。

すみませんここまででかなりの量になってしまいました。次の記事で「狂乱インフレの赤裸々な実像」を記載いたします。ではでは。。。。

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ブラジル経済の実態(後編)

ブラジル経済の実態(後編)(ブラジル経済の基礎知識②)

さて、前回(Blog23)では、何がブラジルを狂乱インフレにおいやったか、というお題で、ブラジルの国の生い立ちから説明してきました。

今回では「狂乱インフレ時代のブラジルって、どんな生活だったの?」という切り口で現地人(1975年工業移住、当時7歳ぐらい)の視点から書いてみます。「真相はこうだ」つづき。

オイルショックまでは年率10%程度の経済成長を達成していたブラジル。直接投資の奨励、外資の誘致、輸出の奨励、輸入の抑制(100%Nacionalつまり国産化率100%の製品生産達成への努力)などがうまくいき、「ブラジルの奇跡」などともてはやされた時代もあったのですが。石油の価格高騰によりGDP成長率1%程度に落ち込み。国債の価格をインフレにスライドさせ、そのスライド率(INDICE)をすべての価格決定の基準にするINDEXACAO(価値修正(Financial3.3))でインフレを辛くも調整していたのが、80年代から90年代にはいわゆる「4桁インフレ」そして94年6月には前月比50.8%(年率換算13,083%)の文字通り狂乱インフレになってしまいました。

さて、数字や理屈はともかく、市民の生活がどうなったかというと

―購買力激減の恐怖:「毎日高くなる」生活用品を「買えるうちに買っておく」ため、給料日にスーパーが殺人的混雑。

―物価狂乱:日常的に物価が上がり、適正価格の収拾がつかなくなった。「おもちゃのレンジが本物より高かった」「ジャケット(背広)と冷蔵庫が同じ値段だった」などの情報あり。

一日買い物を遅らせると、値段は2倍、3倍になってしまうため、

給料をもらったその足でスーパーに直行する人が殺到(当時の報道写真)

スーパーも連日値札を張り替え。うっかり前の値段のままになっている製品があったりすると

奪い合いの大乱闘ののち、今度はレジでスーパー側とお客のすさまじい喧嘩になった。

当時のスーパーの宣伝から。マーガリン4万クルゼイロ。

2019年10月16日時点では6レアルで売っていました。

つまり

―給料はもらっているが、その給料が生活を賄える金額なのかだれにもわからない。価値が著しく減っていることだけがわかる。

―来月の家賃はいくらになるのか?未払いになりけり出されたら新たな家の家賃は?著しく高くなっていることだけがわかる。電気代、水道代も同様。

―不動産購入など、多額の分割払いは自殺行為(Financial1.8)になった。

―今日買えたパンは、果たして明日買えるのだろうか?

と、生活の根幹を脅かす事態になってしまいました。

つまり、貨幣が崩壊してしまい(1)価値の尺度、(2)交換(決済)手段、(3)価値貯蔵手段として機能しなくなった。そして国家財政の破綻・国家機能(警察、医療、電気、水道、交通、通信など)喪失の危機が発生。

ブラジル政府も黙っていたわけではなく。通り一遍のやり方じゃダメじゃね?とその名も「ヘテロドックスプラン」を連発します。

Plano Cruzado及びPlano Cruzado II 1986(クルザード計画)

Plano Bresser1987(ブレッセル計画)

Plano Verão1989(夏季計画)

Plano Collor 1990(コロール計画)

しかしやっていることはほとんど同じで

預金封鎖、価格凍結、給与凍結と”gatilho salarial(給与の段階的価値修正)”、インフレ計算法の修正、家賃計算の修正、増税、公共料金(燃料、電力等)価格の上昇

こうしてむりやり「凍結」で価格を固定しようとした結果

―供給の枯渇:「原価割れで値上げしなければ売るに売れない」→値上げの再発

―購買力の崩壊:Gatilho はインフレを昂進させ給与増は物価に追いついてゆけず

―国家資産の蒸発:在外準備金の減少→対外債務モラトリアム(1987)

に行きついてしまい。結論としてインフレに逆戻りしてしまうのでした。

一部権力者主導の作為的・強引な措置によりいったんは「奇跡の成長」までいっても、虚の繁栄の最後に待っているのは崩壊だった。とくにコロール大統領の国内口座凍結は国民経済力の破壊による国家自体の貧困化をまねいたと理解しています。

さて、その場しのぎのけれん技(SpitirualS.9)では解決できないことを思い知ったブラジル政府。あっとおどろく解決(SpiritualS.10)は、また記事が大きくなったので次回にします。

ではでは。。。。

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レアルプラン成功のひみつ

レアルプラン成功のひみつ(ブラジル経済の基礎知識③)

90年代初め。コロール大統領は罷免。イタマール副大統領が昇格し、大蔵大臣にフェルナンド・カルドーゾ氏が就任しました。

この時の経済状況はいわゆる「4桁インフレ」そして94年6月には前月比50.8%(年率換算13,083%)の文字通り狂乱インフレになっていました。

毎日物価が2倍3倍に上がってしまう状況で、

―給料はもらっているが、その給料が生活を賄える金額なのかだれにもわからない。価値が著しく減っていることだけがわかる。

―来月の家賃はいくらになるのか?未払いになりけり出されたら新たな家の家賃は?著しく高くなっていることだけがわかる。電気代、水道代も同様。

―不動産購入など、多額の分割払いは自殺行為(Financial1.8)になった。

―今日買えたパンは、果たして明日買えるのだろうか?

と、生活の根幹を脅かす事態に。貨幣が崩壊してしまい(1)価値の尺度、(2)交換(決済)手段、(3)価値貯蔵手段として機能しなくなった。そして国家財政の破綻・国家機能(警察、医療、電気、水道、交通、通信など)喪失の危機が発生。

という絶体絶命の状況に。

さすがにカルドーゾ大臣(以後FHC)は奇をてらった、かつぎ技(Financial1.6)のけれん芸はせず。オーソドックスの王道で勝負しました。

それが、「経済の三脚」すなわち「経済を支える3つの支柱を構築すること」となって現れました。

レアルプランの要「経済の三脚」

この要諦は

1.為替アンカー:「ドルとの兌換紙幣」となり、レアル(中央銀行と政府)の信用が回復

2.インフレターゲット:金利調整等に基づくインフレ変動範囲の調整により、爆発的インフレのストップに成功

3.財政プライマリー収支の健全化:財政政策の規律維持により、財政面での立て直しに成功

ひとつひとつ説明します。

アンカーというのは「錨」のこと。為替が嵐の中の船みたいに大揺れにならないよう、錨でしっかり安全な港内に「釘止め」してしまおうという施策。安全な港とは、「米ドル」です。「兌換紙幣」つまりいつでも1レアル=1ドルで価値が維持されるよという「保証」が錨です。アンカーが打ち込まれたその瞬間、1レアルは揺るがぬ価値(Financial1.14)を持ったお金に復活しました(実は当時の貨幣だったクルゼイロ・レアルの1ドル相当額であった2750クルゼイロ・レアルを1レアルに変則デノミしたので、新たに生まれたといったほうがいいかもしれません)。

インフレターゲットとは、昂進しようとするインフレを大統領の一声で価格凍結という強権的なやり方ではなく、レアルをドルの外貨準備高と連動した供給量で維持することによってレアルの貨幣としての価値を保ちつつ、金利の上昇によってインフレ圧力を冷却する、というなんてことないオーソドックスな調整法を採用したこと。このためブラジルは高金利国家としての位置から抜け出せなくなってしまうことにもなりましたが。

インフレはお金の価値の不足でありこの不足は実は政府の無責任な財政から発していたところが大きく(そもそも借金でブラジリアを作ったという不純な行為が発端かも?)。これが財政政策の規律維持つまり節約と健全財政の実現により、プライマリー収支の青字化(Financial1.2b)を達成しました。これが3番目の柱です。

この結果、今日1レアルで買えたものは明日も1レアルで買えるようになり。給料日に有り金を全部スーパーで生活必需品に替える必要もなくなって、爆買い消滅による価格の鎮静も始まりました。購買力が戻り始め、しかし供給は続き。生活者の実感としては、レアル導入の初めに値段が高くなったけれど、それ以上上がらなくなったので、無理して買わずに済み、また、売るほうでもコスト割れする低価格で売ることを強制されなくなったので「価格凍結がひっくり返るまで売らないぞ」と供給ストップをしないでもすむようになった。こうして信じられない短期間でインフレは終息し、健全な経済が戻ったのでした(ちょっと極論・大げさに書いています)。

なぜレアルが成功したのか?

とにかく「信用」を基本に置いたから。突然のPACOTE(価格凍結)投下ではなく、Focusレポート(中央銀行による市場や民間への経済情報説明・説得)、金融政策決定会合(COPOM)議事録の発表など、政府がつとめて産業界・国民へ説明し。透明性が増大し信頼の回復に役立った。最後はドルの信認に頼ってなんとか成功した。

正直に政府の財政破綻を認め、財政支出を抑えた。つまり、今までやれパチンコだやれ競馬だ、と散財していた親父が、すっぱりやめて借金なしでも生きていけるようになったみたいな感じ。でも実はそれでも足りなくて、家族の中でお金を稼がない赤ん坊は曲馬団に売り渡して借金を清算した、みたいな感じ。

しかし、なりふり構わぬ財政均衡により、医療や教育が犠牲になり、公的医療機関では廊下の床にまでアテンドを待つ重病患者が転がっているという状況に拍車をかけることにもなりました。こうした弱者切り捨ては貧困層の恨みを買い、共産系のルーラ大統領当選になりました。ルーラ政権やその後のジルマ政権では、「曲馬団に売られた子供を取り戻すため」に「みんなのブラジル(Brasil Para Todos)」というバラマキ政策をやってしまい。財政赤字(Financial1.2b)が拡大し、狂乱インフレに逆戻りか?という懸念が発生したため、共産主義者を除く国民が「汚職疑惑のある奴でなければ誰でもいい、とにかくアカを大統領から外せ」と、たまたま出てきたボルソナロが大統領になりました。

さて、ついに、この「狂乱インフレ三部作」の一番重要なまとめにたどり着きました。「為替や金利が大きく変動し、予測不能のブラジル」に投資するかどうかは、なにを基準・根拠にして判断すればいいのか?

それは、ずばり!「経済の三脚が守られているか否かを見極めることにつきる」です。

つまり、為替が安定しているか。そのために金利を過不足なく調整しているか。そしてそもそも台所事情は青字か。これがOKであればブラジルへの投資もOKです。

で、2019年10月時点での3脚がどうかといえば

◎1ドル4.15レアルでレアル安すぎ。ただし

◎世界のマイナス金利、ブラジルもリセッション傾向にある中、金利も低くすんでいる(政策金利5%)つまりインフレの抑え込みに成功している。

◎そして一番の懸念である社会福祉改革が議会通過し、財政健全化が望める。

ことから、まだまだ経済サイクルは後退期から回復期の底にあるけれども、今後は成長が望める、と考えています。

もちろん個人的見解であり、投資は皆さんの自己責任でお願いします。

最後に一言。FHCにしろボルソナロにしろ「医療福祉」「基礎教育」といった大切な赤ん坊たちを見殺しにすることで経済均衡を危うく保っている状況(国自体が福祉的なアルゼンチンとは真逆)。こうした赤ん坊たちを「曲馬団(困窮のどん底、ホロコースト)から買い戻す経済力」が一日も早く得られることを切に望んでいます。

ではでは、ちゃんちゃん。。。

経済サイクル

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6月18日 おにぎりの日

6月18日 おにぎりの日

おにぎりは弥生時代からあり、平安時代に玄米(もち米という説もある)を卵形にした屯食(とんじき)に進化し、のりがまかれた現在の形になったのは江戸時代だそうです。

おにぎりのお米は1621粒が標準であり、お弁当屋さんの修行では一粒でも多いと「ドアホが一粒分原価割れじゃー!」と親方にどつかれ、一粒でも少ないと「ドアホがお客さんに小さいといわれるやろがー!」とやっぱりどつかれるそうです。
なぜおにぎりにこだわるのか、とか聞かれますが、特に理由はないです、ただ幼少のころ、よく日本の自慢話をするおじいさんがおり、隣にまたさびしそうに微笑んでいるおばあさんがいて、子供心に、おじいさんたちは日本に帰りたいのだな、と思っていました。東京に旅行(Blog5)した時、ぽけっとコンビニのおにぎりをたべながら、おじいちゃんおばあちゃんは帰れなかったけど日本は優しさいっぱいの景色が残っているよ、とおもわず空に語りかけたりしています。ははは。

18 de junho é considerado “Dia do Oniguiri” por ter sido encontrado nesta data fóssil de Oniguiri mais antigo do Japão, aparentemente da era Yayoi(300a.c. a 300d.c.), mas somente na era Edo(1603 a 1868) Oniguiri tomou a forma atual combinado com algas marinhas e tornando alimento portátil importante para viajantes, ainda que era privilégio de classes mais favorecidas como samurais, pois arroz branco em abundância era luxo que poucos podiam ter acesso sendo que povão vivia de mistura arroz-trigo. Popularização de Oniguiri se deu mais após era Meiji(1968 a 1912), notadamente pós Segunda Guerra. Estima-se que em cada bolinho está contido cerca de 1621grãos de arroz

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