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命の値段が安すぎる日本。生きる権利を大切にしよう

以前、コロナワクチンの導入というお題で、ブラジルのほにゃららで支離滅裂な対応について投稿しましたが、実は日本も。。。。と思い当ってしまったので、記事にします。

江戸時代、「現状維持の伝統墨守政策」により天下泰平を得ていた日本ですが、その間、下剋上の戦国状態だったヨーロッパでポルトガル、スペイン、オランダ、フランス、オーストリアそしてイギリスが「仁義なき覇権争い」でボコりあい。その過程で科学、工業を大発展させたため、動脈硬化した日本は取り残されてしまい。黒船来航で植民地化つまり「下級国民として使い捨ての奴隷労働になってしまうぞ!」という危機にさらされ。必死に文明開花し、日清、日露と恐ろしい戦争に無理矢理勝ちぬいて生存権を獲得しました。

しかし、ここで恐ろしい不条理が正当化されてしまいます。

それは「科学の遅れを人命で取り返せ」。

日露戦争で旅順要塞の戦い、というのがあり。「203高地」という映画で見事に描写されていますが、べトンで固めたロシアの要塞に、日本は小銃に着剣して「とつげきー」と繰り返し、機関銃の餌食になって死体の山を築いてしまいました。結局坑道といって敵の射界に入らないように塹壕を掘り進めるとか、強力な大砲を持ち出して援護射撃するとかで要塞陥落に至るのですが、彼我入り乱れる状況で砲兵は敵味方見境なく砲弾を撃ち込み(味方を避けようとはしただろう)やっとロシアの機関銃を制圧することができたらしい。日本側は兵器が足らず(機関銃に至っては持っていなかった)、かわって多数用意できた人間つまり兵隊に敵弾を吸収させるという人海戦術で補った、というのが真相らしい。

203高地の惨劇。https://www.youtube.com/watch?v=-fi0ywmmGZY

ただ、これは日本の専売特許ではなく、独ソ戦のソ連がそうだったらしい。「突撃か、強制収容所か」と強要されたソ連兵は、我先にと突撃していったそうです。

要するにひっ迫するとどんな非道な手段も正当化されてしまうということですね。。。

以前書いた繰り返しになりますので要約しますが、日本軍は「お前らの代わりはいくらでもいるが、馬の代わりはいねえんだ!世話をやかせるんじゃねえ!」と、古年兵が馬用の鞭で初年兵をぶったたたく、そういう世界でした。

食うや食わずで戦地に放り出された日本兵たちはコレラなどに罹患してしまい。で軍の幹部がどういう命令を出したかというと、重病の兵を民家のなかに詰め込んで、逃げられないように戸や窓を封鎖したうえで、民家に火をかけさせて文字通り「焼却による滅菌」をしたのでした。屋根のすきまから、元気な兵がせめてもの。。。と水筒を小屋の中に投げ入れた、などの記載があったと記憶しています。すみませんこれらの記事はまだ子供のころに読んだものが多く、出展を示せないのですが、一字一句同じでなくても中国戦線などで事実起きていたことと理解しています。

さて、戦記で必ず出てくる日本軍の蛮行ですが、民家に押し入り食物等を奪う、というのは日常としてあったらしい。ただ、日本軍だけではなく中国軍もあまりかわらず、そもそも中国3千年の歴史で、戦乱時はどの時代の軍隊も行ってきたらしく、中国ではそれが普通となってしまっていたようです。それに日本軍も便乗してしまった(生きるために便乗するしかなかった)。

この状況を、「中国では300名くらいの人の命なんてふっと消えて草もなびかない」といった人もいたようです。

この時点で、「個人の命なんて何の価値もない」と身をもって思い知らされてしまった日本人が大量に生産されてしまいました。

戦争が終わると、こんどは廃墟から復興しなければ生きていけない、となり。ないない尽くしの日本がつぎ込めるものといえば、やはり「人の命」でした。

「うまくいった社会主義」「ジャパンアズナンバーワン」とおだてられながら、「奇跡の戦後復興」を成し遂げた日本。しかし、それは「滅私奉公」「終身雇用」つまり、実は共産諸国の強制収容所における無期懲役と変わらない「24時間戦えますか」の世界に否応なくけりこまれてしまっていたことに他ならず。

日本人の家を訪問した外人さんは「ウサギ小屋に家電やDAISOグッズがあふれかえっている」と驚くそうです。しかし、真夜中だろうが休日だろうが「企業戦士」はあまり家にはおらず、社員旅行だのカラオケだのと政治家が喜ぶ消費活動に給料をつぎ込み、半死半生で家に帰るわずかな時間も「みんな残業しているのに申し訳ない」と、うろたえたように過ごすので、あふれかえる世界最先端の家電もろくろく使う暇も気力もない、という状況になってしまい。

パブなどで、夜の女性の心にもないお世辞を喜んでしまっていませんか?

上司やお客さんに、心にもないお世辞がすらすら出てしまっていませんか?

その時、あなたは心を持たない虫になってしまっているのかもしれません。

 

明治維新このかた、日本は「軍隊アリの群」になっていたと理解します。

軍隊アリは「イナゴの地上版」とでもいうのでしょうか、20メートルにもわたった密集したアリたちの集団が絨毯のように地上を移動してゆき、前途に見つけたものは人であろうが猛獣であろうが寄ってたかって殺してしまう。

軍隊アリ。出展:https://ikimono-matome.com/dorylus-army-ant/

 

その軍隊アリが川に行く手をはばまれたときどうするか。

アリたちは、アゴでくわえあって巨大な「いかだ」状態になり、川に乗り出す。そして、ぷかぷか浮かびながら向う岸まで流れ着くそうです。

しかし、その過程で一定数のアリが、仲間の踏み台になったりしておぼれちゃうらしい。

仲間の犠牲になって溺死するアリたちは、特攻兵のように「家族のため、恋人のため」と悩みながら死んでいったのでしょうか。

永遠の0 https://www.youtube.com/watch?v=_SD62kSz7ws

 

はっきり言って、アリの神経組織や脳(に該当する器官があることはあるらしい)の作りでは、そこまで思考する意識活動はできず。要すれば本能に従って川に飛び込み、そのまま死んじゃうらしい。

つまり、勇敢に見える軍隊アリですが、人間と違い意識がないのです。

そして、人間から意識を消し去って、単なる昆虫にさせたのが戦争中の日本政府だった。

コロナ禍の今、日本の政府はどんなでしょうか

出展:https://note.com/hyamaguchi/n/n0c60c7292ec3

日本という絨毯を構成するいろいろなセクターについては細かく配慮していますが、それらセクターを構成する個人個人の命については、どうでもいいやあ!いくらでもかわりはいるもん!ということなのだと思います。

戦慄したのが、とある企業の「なんとか島移転」で、テレワーク、在宅勤務による対応が叫ばれるいま、在宅勤務ではなく、会社全体を「なんとか島」に移転し、だからみんな一緒に行きましょうね。となっています。厚生施設も完備してますよ、だから24時間会社人間でいましょう、という念の入れようです。

東京にマイホームを建てた社員とか、子供の学校とかおかまいなしです。一説では東京を出られない社員をリストラする手段でもあるとのことです。

つまり、軍隊アリの絨毯を、絨毯ごと集団疎開させて3密を死守したいらしい。なんとか島が大感染源のクラスターにならなければよいですけど。

東京に大地震が起こることを予見して、あらかじめ避難しようとしているのか?

また3000字を超えました。コロナ禍を真正面からとらえ、がっぷり四つの在宅勤務恒常化に進んでいる企業も存在します。欧米の第2波を迎え、巣ごもりの必要性はさらに強まっているのではないでしょうか。コロナ禍は、日本人が軍隊アリから個人の人間に戻る得難い機会かもしれませんね。

ではでは。。。

Posted by 猫機長
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日本の食生活は本当に健康的か?味の素とコカ・コーラ

以前「不条理演劇」をお題に、現実世界から遊離した、全然脈絡のない小説を掲載してしまい。「猫機長、らりっているの?グレてるの?」なんて声が聞こえてきたので、今回は思い切り現代社会における生活がにじみでた、俗世そのもの、の内容でいってみます。

というわけで、サラリーマンと味の素、そして「命を救う薬用コカ・コーラ」のお話です。

さて、水が基調で、野菜や魚など新鮮な素材を多くつかっている和食は、動物性脂肪ギトギトで、新鮮とは言えない食材をソースや調味料でごまかす洋食に比べて健康的だ!というまあ常識的な主張から、へへんそんなことないよ、日本食なんて砂糖をめちゃくちゃ使うから生活習慣病まっしぐらだよ、なんてうがった意見まで千差万別ですが、実際のところ日本人の食生活に根差した2つの物品を抜きにして語ることはできないと思います。つまり「味の素(うま味調味料)とコカ・コーラ(関連飲料含む)」。

味の素。ひところは「石油製品だ、食べたら死ぬで」というような風評がたってしまい。分離精製法などについて大議論が起きたのち、結局は問題なしに落ち着いたようです。

ラーメンの守護神、味の素。

出展はhttps://www.ajinomoto.co.jp/aji/umami/

味の素の偉大なところは、本来多量のだしを何時間も煮込んだりとかしなければ取れなかった「うまみ」を「さっとひとふり」で実現できるところ。原料節約で地球環境の健康にはとてもいいとおもいます。ただし人造ダイヤと天然ダイヤが違うように、わかる人にはわかってしまうし、東南アジアのレストランのようにコップ山盛りの味の素を鍋にどばどば、とやってはさすがに健康にはよくないと思います。つまり、消費者側でもスマートな使い方が要求されるということですねーどうしても使っているうちに同じ量ではうまみを感じられなくなっていく傾向あり、気が付いたら大もりでドバドバ、とならないように「NOうまみ調味料デー」を設けるとか、あと緑茶のパッケージに「茶調味料(アミノ酸)=うま味調味料がはいっています」なんて書いていないやつを探しましょう。別に「茶調味料」が入っていてもそれでお茶の価値が落ちるというわけでもないですけど。ははは。。。

さてコカ・コーラ。こちらはコップ一杯に角砂糖何個分の砂糖が入っている、などと言われ、そういったことを理解したうえで賢く消費する必要あり。夏だ山だ海岸だ、というときに暑さに任せて浴びるように飲んでしまう、というのではダイエットもへったくれもないよねーという結果になってしまいます。

出展はhttp://www.sugarstacks.com/

では、コカ・コーラはやめた方がいいのか?実はそうとも言えない部分もあるのです。

以下とある在外日本企業のかわいそうな勤め人「Aさん」のお話し。

海外にいても日本企業に勤めていると、深夜までの飲み会など多く。

とある吉日、「業務外連絡」という形で飲み会の招待状つまり「業務命令としての強要のメール」を着信。これを書かされた人も命令されたことだし、書かせた人は定年退職しているので時効ということであまり加工せず転載します(オリジナルはAさんがどこかに保存しているらしい)。

「皆さま

おはようございます。

あと、二週間弱でブラジル主催のワールドカップが始まります。56年ぶりのブラジルワールドカップを祝うため、6月11日に前夜祭として、オフィス全員で飲み会を計画したいと思います。社長のご提案です。

場所は後日決定しますので、参加の可否ご連絡願います。否の回答は受け付けないので、悪しからず。」

さて、こういう飲み会がある日に限って、外部の来客アテンドなどで昼食時間を仕事で使ってしまうことがおおく。もちろん「Aさんは昼食時間外にのんびりご飯食べるの?」という別の「業務外指示」が来るので、自然と飯抜きになります。そんな日に飲み会で食う方はあまり入らないままに今度は夜遅くまでビールにだれだれが持ってきた焼酎に、さらにウイスキーだとちゃんぽんで飲んでゆくと、午前2時ごろ解散したときにはフラフラになり。冬になると深夜の気温6度なんてざらにあるので、おやおやというまに体がぶるぶると震えて止まらなくなってしまい、近くのアパートの軒下でうずくまっていたら、管理人さんが慌てて救急車を呼ぼうと電話したのですが、消防隊のほうはあっさり「それは寒さじゃなくて低血糖症だ、砂糖をたべなさい。別に救急車はいらないよ」とのこと。そこで登場したのがコカ・コーラで、たしかに震えが止まり。動けるようになった!それまで、生まれてからこのかたの思い出がぐるぐるめぐり、その中でさまよっていた意識も、はっきりと「お、アパートの庭のベンチにすわってるな」と現住所に戻され。管理人のおじさんありがとね、と元気が戻っているうちにすかさずおうちに帰りました、めでたしめでたし、とのこと。

つまり、コカ・コーラは砂糖いっぱいということが分かっていれば、それなりの飲みようがあるということである。薬用コカ・コーラなんちって。

Aさん談「死ぬかと思った」
 

ちなみに、Aさんの会社はわりかしホワイトで、ハラ踊りだの、ネクタイを頭に巻いてとか箸を鼻にさしてとかいうのは無しですんでおり、本気でほっとしているとのことでした。ぼくもそれを聞いてほっとしている一人です。

これが、大企業ほど?社員に「疑似家族」としてのつながりを求め、家族になるための通過儀礼だ!と伝統化しているらしい。

なぜこの通過儀礼が必要になるのかというと「人を楽しませるためにどれだけ努力したか」「どれだけ人前で普段は恥ずかしいという格好をさらすことができるか」という、「滅私奉公の視覚化」を進んでおこなうことができるかどうかがテストされているということである。

もちろん「人と楽しくコミュニケーションできる能力」は大切ですが、なぜ宴会の裸踊りでその能力を証明しなければならないのか?そして、「業務外連絡」「希望者はどうぞ」なんて言いながら、参加しないとどうなるか。

これって、戦時中の「特攻隊員選抜」とまったくおなじですよね。。。

「特攻希望者は一歩前へ」と言われて「みんな一緒に踏み出した」というか、踏み出すしかない状況に追い込まれていた、そんな戦争中の悪夢の雰囲気がいまだに残っていないでしょうか。

真面目に、死ぬことを躊躇して、つい一歩踏み出すのが遅れちゃった、という人が真っ先に特攻に送られたらしい。一方「すべて覚悟したうえで特攻を熱望した」人もいますが、「回天」というお題で別途記事にします。

 

 

一歩踏み出せた人もすぐには踏み出せなかった人も、戦闘機のりとしての技量は変わらず。特攻機も特攻援護の戦闘機も、レーダーで誘導されて雲の中(境目)から襲ってくるグラマンの大群に、目標の敵空母なんて見えないはるか遠くで、敢えなく撃墜されてしまうのでした。

ろくな訓練もさせずに、「希望する」「しない」という「業務外連絡」で上司に示す「恭順・協調性」などを基準として出撃させていたため、物量の差以前に、操縦者としての技量をクレバーに追求してきたアメリカ搭乗員に、簡単にやられてしまった。

付記:坂井三郎みたいな、本当に訓練された(訓練を受ける余裕のあった)老練な搭乗員は、特攻出撃してもなにげに戻ってきたりしています。こういう記録をみて、ぼくはほっとしている一人です。

脱線しました。本記事のお題に戻って、「日本食は健康的だが洋食はだめ」みたいなステレオタイプのおしきせはあまり意味がなく、各個人がいろいろな食べ物の特色や成分を自ら見極めるのが重要と理解します。

 産業革命後の地球では化学調味料とか人造の食品も必然であり、毛嫌いせずに上手に利用することが健康の秘訣と考えます。

(林 雄司・Webヤギの目編)
 

ではでは。。。

 

Posted by 猫機長
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ワクチン:あなたはどこまで信じますか?

ブラジルで、世界に先駆けてワクチンが実用化されようとしています。

ギャグか?ギャグみたいな事実です。

ブラジルで開発したワクチンではなく、シノバックという、名前からして中国のワクチンが、早ければ12月にも、順当にいけば2月には一般市民に義務付けになるらしい。

えええ?12月?義務付け?

そうなのです、うさんくささ満載ですが、しかし事実として公的に発表されているのです。

この情報が本当にうさんくさいのか、あるいは世界に先駆けてブラジルでワクチン成功という希望の灯がともされるのか?を分析することにより、日本でもいつかは来るワクチン導入時の安全確保などに重要な情報になると思い、この記事書きました。

本題に入る前に、ブラジルはどんな国?ということを簡単に説明しておきます。

いわく「ブラジルは真面目ではない(Brasil não e um pais serio)」

フランス政府の言葉です。

よりによって、フランスです。

おまえは真面目かい!とツッコミを入れたくなりますが、たしかにイタリアよりは真面目かもしれん。

じつは、1961年から1963年まで、ブラジルとフランスは戦争状態にありました。

その名も「ロブスター戦争」

ブラジル沿岸にフランス漁船が押し寄せ、ロブスター(えび)をじゃんじゃん取りまくり始めたため、ブラジル政府は怒り。

「大陸棚資源を乱獲してはいかん」

フランスは反論

「大陸棚資源とは、海底表面から地表下の資源のことである。えびは地表上をジャンプするなど、地表を超えた(その上の)海洋資源、漁獲資源であり、どうこう言われる筋合いはない」

ブラジル

「そんな屁理屈は通用せんぞ。えびが魚だというのであれば、地上をジャンプするカンガルーだって鳥だということになる。受け入れられん」

ここでさっきのフランスの

「ブラジルは真面目な国ではない」

という嘆きにつながったのでした。ははは

そうこうしているうちに、フランスは海域に軍艦を派遣し、ブラジルは爆撃機を飛ばしてけん制しました

いずれもアメリカからのおさがりだったらしい。

この辺はどこかのジエイタイと変わらないなあ

幸い、ブラジルもフランスもラテンなので、主義主張を通すために銃砲をぶっ放し人殺しをするなんてバカなことはやらず。知らないうちにうやむやになったのでした。ははは

これが、大義のためなら、と大戦争に突入してしまうドイツやソ連のような、いやな意味で真面目な国だったらどうなっていたかと思います。

このケースでは、ふまじめであることがプラスに作用し、ラテンな漫才で済んだのですが、ワクチンに関して言えば、こういったふしだらさ、いいかげんさが通用するのでしょうか。

COVIDは、感染の条件が揃えば感染します。ワクチンがあっても、そのワクチンが感染を防げなければ(十分な免疫力を形成できない。人によって免疫の強さが違ってしまう。そもそもCOVIDの方で変異してしまい、画一的な免疫しか作れないワクチンでは使い物にならないなど)、感染は起きます。

当たり前すぎる常識ですが、この当たり前を巧妙にひっくり返そうとする不真面目な政治家とかもいるのです。

さて、ブラジルです。

ブラジル最大の経済地域であるサンパウロ州のドリア州知事は「ちかぢかシノバックを導入して、州民に接種を義務付けるので喜ぶように」という強圧的な発言をしており「COVIDなんてカゼだ!」とこれまた強硬なボルソナロ大統領とけんかになっています。というわけで、ワクチン導入はいまのところサンパウロ州のみとなる予定

(ブラジリア在住のぼくは、ひそかに安堵しています。)

ブラジルの行政区分。①サンパウロ州から②ブラジリア連邦区(赤い小さな四角)は
1000キロ離れているほか、いくら連邦の長である大統領が「やれ!」と指令しても、
州の長である知事が「やらないよ」といえば実行されないのでした。ははは

 

確かに、シノバックはいろいろと試験など急ピッチで進んでおり、有望なワクチンであることは間違いないのですが、効くどうか?は未知数ですよね。。。。

ドリアさんはじめ推進派は、「効くことがわかったら導入する」と言っていますが、どうやったらわかるのか?本当に有望だったら、世界中で争うように導入されているはずですから、ぼくは、ブラジルが最初なんてありえないよね、と疑っている一人です。

10月25日時点で、ヨーロッパでは恐ろしい第2波が深刻化しており、アメリカも深刻化のためトランプさん再選も混迷を深めている状況なのに、実は小康から回復状況にあるブラジルで、「とにかくワクチン導入だ!接種強制だぞ!」というのがはっきり言ってものすごくうさん臭く感じています。

ともかくヨーロッパ、そしてアメリカではないのか?両者ともにシノバック導入に関し静かなのは、実はワクチンとして物になるまでまだまだ時間がかかるということがわかっていて、医療崩壊を防ぐための緊急対応が先、ということになっているからではないのか?(関連情報(外部リンク)「ヨーロッパの第2波は制御不能になりつつある…各国は厳しい行動制限を復活(10月20日)」)

そんななかで、ドリアはワクチン導入と義務付けにやっきになっています。

「1億総ワクチン」でみんなワクチン打ったから、明日からはワクチン以前の日常にもどって、おしくらまんじゅうの3密で営業再開だー!というのか?

企業家や政治家から見れば、とてもうれしい産業活性化が望めます。

もちろん、一般市民から見ても産業活性化は生命線です。

しかし、ワクチンが効かなかったら?

産業は活性化するでしょう。でも、その活性化の成果を見る前に、多数の人が感染し、哀れこの世からいなくなってしまうでしょう。

ちなみに、とある看護師さんの言葉では「すごい病気」です。

この看護師さんは著名な権威のお医者さんでもないし、はっきりとした声明は出せない中で、しかし日常の医療の最前線に立っている人です。そういう人が、同僚が感染したときに「軽く「お大事に〜!」とは言えないなあ。すごい病気だから(外部リンク)」と表明しているのです。

容易ならざる危険な病気であることは間違いないとの理解です。

政治家は、「ワクチン」というスケープゴートを使って、一般市民を危険な病原体に暴露させようとしているのではないのでしょうか。

今回のお話で、生兵法という言葉を思い出してしまいました。

兵法つながりで、剣道で説明させていただきます。剣道における「兵法」特に技能の核心は「面打ち」つまり竹刀で相手の頭上を打つ、という技のことですが、この基本の技を生半可(生兵法)で繰り出すケースが後を絶ちません。

大会などで、試合相手が基本の面打ちを知らなければ、勝つのは簡単です。体勢を崩しまくって、刃筋の立たない、要は「生兵法の役に立たない面技」を風車のように打ちまくって来ても、こちらの竹刀でいくらでも受け流すことができます。

もちろん相手も負けたくない!と必死になってすさまじい勢いで打ってくるので、防ぐ方もなかなか大変ですが、ここをぐっと我慢してこらえる。

そのうち、相手の方で空振りして防御ががらあきになった、疲れで動きが鈍った、集中力が切れて一瞬動きが止まった、という隙が生じるので、その隙が生まれる「う」の一瞬に、基本通りのまっすぐな面を打てば、びしっと相手に当たり勝利できるのです。

つまり、上記の「役に立たない面」が「役に立たないワクチン」です。

役に立たない、あるいは役立つかどうかわからないワクチンを、なん百本打っても免疫はできません。

しかし、ワクチンを打った、と安心してしまい、隙がうまれたその「う」の瞬間、COVIDはあなたにとり付きます。

「基本通りのまっすぐな面」つまり「使いものになるワクチン」がうまれるまで、ぐっとこらえる必要があるのです。

サンパウロのワクチンが本当に有効なもので、ここに書いたことが単なる取り越し苦労であることを祈っています。いっぽう、うまくいった、とわかるのはいつか?サンパウロ以外の人々は、そのときまで待ってワクチン接種しても決して遅くないと思うのですが(でも、それじゃサンパウロは人体実験になってしまいますね)。。。

サンパウロの市街

最後に、本当にものになる予防法は、実はワクチンではなく「モノクローナル抗体」ではないかい?とか思ったりしていますが、また別の記事にします。

ではでは。

Posted by 猫機長
美術ってなんだ
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美術ってなんだ?西洋美術と日本美術の差(最終回)

いやいや今回含めて4回にわたった連載。いつまでも際限なく続くと焦点がぼけちゃうので、えいやー!と最終回にしました。

口上はそのくらいにして、本題いってみます。

さて、西洋美術は「ふむふむ」、日本美術は「わくわく」だった、というのが前回での結論でした。

西洋美術は、記録媒体として、記録された物語を誰もがわかるように理性的かつ写実的に絵をかいた。それは聖書の物語であったり、メディチ家の誰かの肖像であったり、「民衆を導く自由の女神」みたいな概念の擬人化であったり。もちろん風景画とかで名画も多いのですが、基本スタンスは、風景はあくまで背景で、その風景を背景としている出来事や登場人物について、やれアレゴリーだのアトリビュートだのでくどくど説明し伝達するのが西洋美術だった。

*アトリビュート:持ち物。白百合を持った青と赤の服装の女性がいたらマリア様を表す、など。

*アレゴリー:寓意。抽象的な概念を具象化したもの。サイコロの絵は幸運、頭蓋骨は死、とか。

日本美術は、西洋美術と比較すると「単なる模様」だった。ははは。。。。そして、花鳥風月とか、模様ちっくな唐獅子や雷神とかがふすまや屏風にでかでかと描かれ、お城などの装飾の重要な部分として発展してきた。すなわち、日本の場合芸術と工芸があまり分離してなくて、刀の拵えにしろ、屏風やふすまにしろ、実用品の装飾、という性格がつよく。西洋のように美術は美術で独立しており、美術のための美術なんだ!工芸じゃないぞ!みたいな考えはないらしい。

尾形光琳「燕子花図(かきつばたず)」

またまた脱線しそうなので、本題の中の本題「西洋と日本の思考回路、生命の危機にさらされた時の行動の違い。コロナ禍における日本の不可思議な対策の理由」にむりやり行ってみます。

西洋の思考回路は「始点・終点があり、終点つまり成功・成果に向かって直線的に進化していく」アプローチです。日本の思考回路は「天下太平の世を孫子の代まで守り抜く、つまり過去、現在、未来が一つになってぐるぐると同じ地点を回っている」アプローチです。

*なお、人類は螺旋状で進化する、という理論があり、事実西洋絵画もデフォルメと写実の間でルネサンス→バロック→新古典主義→ロマン主義→自然主義・印象主義などと振り子のごとく、あるいはぐるぐると回っていながらも、この回転がねじのような螺旋を描いて進化していますが、日本の場合は徳川300年で、螺旋ではない単なる回転となるよう押さえつけられてしまいました。明治になりワープした。

で、西洋人の場合、理性的、普遍的な規則によってこの進化を客観的に達成しており。数学がいい例で、哲学的な意味に入るまでもなく、単なる算数レベルで、1+2は、西洋人にとっては3です。ナチスドイツであろうがソ連であろうが大英帝国であろうが、1+2=3であり、これ以外の答えはありません。

ところが、日本人の場合、その場の空気で3なり4なりに変化し。みんなの雰囲気で3.23となっているものをうっかり3.26となど言おうものなら、たちまち「空気が読めないやつ」と村八分になります。

例えば、会社の報告書などで、首相じゃなかった社長が一声「3.35だよ」と言えば、1+2は3.35です。でも、そのままでは検察じゃなかった税務署に呼び出され大変なことになるので、報告書の添付書類で「今回の調査により、小数点以下の誤差が発見された。1の場合、その誤差は0.11に該当し、2の場合は0.24である」と、誤差を合わせれば3.35になるよう、官僚じゃなかった事務方が必死にフォローするのですが、もちろん税務署は喜んで「なぜ誤差がでるのか」「1の場合0.11となる理由は何か」「2の場合は。。。」と際限なく重箱の隅をつつく質問をしてくるので、こうした「すべての質問に対する想定問答」を含んだ「実施方針対策」をあわせて作成することになり。辞典一冊みたいなぶ厚い参考資料が報告書にくっつくことになります。

もちろん、だれしも「辞典みたいな参考資料」を作ることは避けたいわけで。でどうするかといえば、普段から首相社長をカラオケにお誘いしお言葉をお聞きし、事務方同士ではZoomだろうが何だろうが、飲み会や日勤教育などで「首相社長が言いそうな数値」を事前にリサーチしておき。「今度の報告書では3.37とおっしゃりそうだ」とわかってくれば、最初から「この3.37は、1+2.37から導き出された結果です」と、税務署も文句ない?報告書にすることができます。あえて書く必要はないと思いますが、なぜ「飲み会」が必要になるかと言えば、しらふでの場面では1+2=3以外にありえないからです。こういう「飲みにケーション」ができる人はいいのですが、できないと公園で一日を過ごしたり、ニートの境遇に追い込まれたり、電車に飛び込んでしまうことになります。

長くなりましたが、日本の場合「成果を求めない。成果自体が変わってしまう」というケースがあるということです。

1+2のケースでは、計算結果は上記の「国会会社」あるいは「ママ友のグループ」など、はっきり言ってそれぞれが属しているクラスターの「空気」に従って決定され、そしてそれは日々流動することとなります。

で、コロナ対策。

この対策の目標、成果についても、いろいろなクラスターの空気によって変化しています。

その結果、日本政府の政策はこうなりました

出展:https://note.com/hyamaguchi/n/n0c60c7292ec3

ブラジル大統領の確信犯バカッター発言「ただのカゼだ」の方がまだましかもしれん。やってることは日本政府と同じですけど。。。

日本では、巣ごもりの人、花見に行く人、そしてキャバクラに行く人もそれぞれが属するクラスターの空気に従っているだけだと思いますが、しかしこの玉虫色に変化するスタンダードが大惨事を招く可能性があります。

実はそう遠くない昔、日本の軍部は「飲みにケーションでしか説明できない決定」で、飲みにケーションなんて感知しないアメリカと戦争を始め、原爆を落とされました。コロナも飲みにケーションなんて通用しないウイルスです。

ぜひ日本の人は、日本の政治家がいう「注意お勧めします」というこれまた煮え切らない玉虫色の勧告ではなく、世界で日本に先駆けて起こっている参事を参考にして、徹底した巣ごもりを実行すべきと考えます。

このままだとかなり暗然とした終わり方になってしまうので、ちょっと補足

―西洋の超一流の芸術家たちは、芸術と言いながら理論・理性に縛られて、直観・啓示・感性が遠ざけられてしまっている現実に悩んでいた。

―そこに「わくわく」の日本美術、理論なんて細かいこと言わんと、ダイレクトに感性だ!という「12歳の少年のもつ純粋さ」が直撃し。西洋人の精神年齢「45歳の老獪な成人」の凝り固まった感性を粉砕した。これがジャポニズムです。

もちろん、たとえばアングルの写実絵画にも啓示や感性はあります。(「泉」を見て、おもわずその絵画の中に迷い込んでしまったような錯覚を受けるとか)。一方、知らず知らずのうちに単なる歴史・人物・事件・風景の絵解き説明になっているだけというケースもあり。すなわち、「歴史、人物、事件なんてどうでもいい!絵画がそれ自体で芸術として成立すべきだ!」という叫びが生まれていたところに、「犬図」みたいな日本画を見て、まさに成立している実例があることに驚愕した。そして、純粋芸術の可能性に目覚めた西洋の芸術家たちは、西洋人得意の「直線的進化」によって、まずは画題からの解放、そして具象から脱出し、「点と線と面」へと進んでいます。この辺の話は、またいつか「カンディンスキー」をお題にして書いてみたいと思います。

大好きな「犬図」。毎回こればっかりですみません

さてさてまたしても3000字を超えてしまいましたので、この辺で終わりにしますが、日本人の「12歳的柔軟思考」が良い面で出れば明治維新や戦後初期の民主主義導入(そしてジャポニズムも)、悪い面で出れば軍国主義となり。コロナ対策ではかなり悪い面で出てしまっていると思います。天真爛漫な12歳に回帰しながらも「螺旋状に進化していく日本」を願っています。

ではでは。

 

Posted by 猫機長
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美術ってなんだ?西洋美術と日本美術の差③

美術ってなんだ?西洋美術と日本美術の差③

これまで2回にわたり、西洋美術と日本美術をそれぞれダイジェストしました。今回、このシリーズのお題である「頭でっかちな西洋美術と、ほにゃららな日本美術の接点を探り、美術に現れる日本のお国柄を理解し、日本の不可思議な新型コロナ対策の解明を試みようと思います」についに到達。

さっそく「接点」というか、まずは「どう違うか」です。

これがなかなか奥が深く。表面上の差と、「奥義」に分かれます。

表面上は技法の面で明確な差があり。

すなわち

◎日本絵画は写実にこだわっていない

◎陰影によって成り立っているのが西洋絵画。

◎日本絵画は、陰影(グラデーション)のかわりに、輪郭線で成り立っている。

◎日本絵画は、色調があっさりしている(水墨画のように、モノクロの絵さえある)

◎日本絵画は、表現が簡潔である

というのが共通認識で、明治時代にフェノロサという人が指摘しました(ぼく個人の「感性」で脚色しました。ははは)。

これらの差が、西洋人と日本人の精神や文化の差を雄弁に物語っています。

西洋人が写実から出発したのはなぜか。「抽象的な想像に左右される主観ではなく、具体的な現実から導き出される客観」が西洋人のメンタリティの基礎だからです。

絵画は視覚芸術であり。だれの目にもこう写っているぞ、本物に似てるね!そっくりだね!というのが基本中の基本である。

できうる限りの写実があって、さらに写実を超えた「輝き」を目指すのが西洋美術であった。例えばみんな大好きフェルメールの「真珠の耳飾の少女(青いターバンの少女)」ですが、「カメラ・オブスクーラ」という装置でとらえたモデルさんの姿を平面(キャンバス等)に転写して描き出しています。当時の画家が共通して使用していた装置らしい。

カマラ・オブスクーラ。
ただしフェルメールは使っていないぞ!と主張する人もいます。

こうして描き出した、写真とまがう肖像がまずはベースになり。
しかし、単なるイラストではない「内部から輝くような芸術に」するため、それぞれの芸術家がいろいろな秘法を駆使していますが、フェルメールの場合は「ポワンティエ(点綴法)」で「写実を超えた一歩先」を実現しています。ポワンティエなんて、いかにも芸術的なお名前ですが、実はシンプル(容易とは言いません)で、「光の粒で明暗、特に輝きを表現した」。

例えば目。

白い点(星)が入っています。

えええー!じゃあ「ベルばら」のキラキラおめめのキャラクターたちと同じなんですか?その通り。「アルフレッド―!」の藤原栄子の原点はフェルメールだったのだった。へえええ。。。。

ちなみに、日本絵画に写実がないわけではなく、陰影による表現がないわけではない。例えば、ドミニク・アングルの(泉)部分と、渡辺崋山の絵を比べてみると

アングルのお姉さんは「泉」の擬人化。艦これの先祖ですが、実在の人間とまがうばかりの写実的表現です。渡辺崋山の方は鷹見泉石という実在の蘭学者で、当時日本では、実はここまで写実的な絵は「魂を取られる」などと言われ、嫌がられたらしい。

艦これ「空母赤城の擬人化」。実在の空母は、艦尾の
安定がわるく、なかなか着艦しにくかったらしい。
出展:https://wikiwiki.jp/kancolle/%E8%B5%A4%E5%9F%8E

日本画らしい、明るくあっぱらぱな陰影。富士山は輪郭線くっきりです。
葛飾北斎「凱風快晴」
でも線画、あっさり、あえて余白を作る一方、表面的で奥行(パース、遠近)を「気にしない、あるいは独特の表現をする」日本絵画の特徴がわかると思います。

さて、技法による差が見えれば、その奥にある根源(民族的素養)も明確になります。

西洋美術とは、論理を視覚化したものであった。

一方、日本美術は、情緒を絵の形でぶちまけたものだった。

従って、西洋世界の思考論理や思考の裏付けとなる教養についての知識がないと、西洋絵画はそもそも理解ができないのです。この「知識」にはいろいろありますが、わかりやすいのに「アトリビュート」があります。

簡単に言えば「持ち物」のことで、例えば下のダビンチさんの絵ですが、アトリビュートがわかれば、誰がみても「受胎告知」という聖書の物語だと論理的にわかるようになっています。

あれれ、この絵って、工務店のおかみさんが「どすこい!」と税金取り立てのお兄ちゃんを後ずさりさせてる所じゃないの?いやいや。

まず、お兄ちゃんは、白い百合の花を持っています。この「持ち物」で描かれる天使は「ガブリエル」といって神様のお言葉をつたえるメッセンジャーということがわかります。(ちょっと見えにくいけれど、左手から顔の前に伸びています)

お姉さんの方は、青と赤のお洋服(アトリビュート)で、聖母マリアであるということがわかります。

そして、背後に立っている細長い木は「糸杉」で、西洋では生と死のシンボルです。つまり、キリストが生まれ、殉教することを示しています。

これらの情報から、西洋人ならみんな知っている「天使ガブリエルが聖母マリアにイエスキリストの妊娠を伝える」という聖書の物語にたどり着き。「おおお、なんと美しい救世主の誕生の秘話なのだ!」という結論に達するのです。

聖書の「ルカによる福音書1章26~38節」に、こう書かれています(以下ちょっと省略しました)。

『28 天使は、彼女のところに来て言った。「おめでとう、恵まれた方。主があなたと共におられる。」

29 マリアはこの言葉に戸惑い、いったいこの挨拶は何のことかと考え込んだ。

30 すると、天使は言った。「マリア、恐れることはない。あなたは神から恵みをいただいた。

31 あなたは身ごもって男の子を産むが、その子をイエスと名付けなさい。

32 その子は偉大な人になり、いと高き方の子と言われる。神である主は、彼に父ダビデの王座をくださる。」

34 マリアは天使に言った。「どうして、そのようなことがありえましょうか。わたしは男の人を知りませんのに。」

35 天使は答えた。「聖霊があなたに降り、いと高き方の力があなたを包む。だから、生まれる子は聖なる者、神の子と呼ばれる。」

38 マリアは言った。「わたしは主のはしためです。お言葉どおり、この身に成りますように。」そこで、天使は去って行った。』

ふむふむ。。。。

一方で、日本絵画。仙厓和尚です

絵の名は「犬図」。きゃふんきゃふん。

かわいいね!終わり。

わくわく。。。。。

ここでついに奥義です。それは

『西洋絵画は「ふむふむ」であり、日本絵画は「わくわく」である』

です。

つまり、くどいけれど、西洋絵画は「情報・知識にもとづいて解明する」ものであり、日本絵画は「印象、心象、情緒を楽しむ」ものだったということである。

ううむ西洋と日本の違いは分かった。では、ジャポニズムなど、どうして西洋の最高の画家たちが日本の絵画に熱狂し、その影響を受けることになったのか?そして、このシリーズのお題である、日本のコロナ対策(はじめとする政策等)がなぜ不可思議なものとなるのか?の解明については、次の記事にさせていただきます。

なお、日本と西洋の違いというと、紙や布が豊富な日本と、毛皮を着る西洋。水が豊富な日本と、料理や絵の具まで油の西洋、といった自然条件や気候風土による違いも美術に如実に反映されるのですが、これもまた別の記事とさせていただきます。

今回はかなり繊細・コアな内容で、書いていて力尽きました。いつまでも終わらずすみませんが、見捨てずにごひいきください。

「ラーメン才遊記」から抜粋。
ラーメンは「ふむふむ」と気難しく考えながら食べるものではなく
「わくわく」でなければ。。。。そして絵画は?
ではでは。。。

*「犬図」について、あの犬は、実は禅の「〇」のことであり、「エデンの園を脱出せよ!」というメッセージなんだ!という人もいますが、こまかいこといわんと、わくわく!かわいいね!でいいじゃないですか。ははは追記でした。

Posted by 猫機長
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宝くじに当たった人の末路

宝くじに当たった人の末路

巷では「宝くじ必勝法」とかいうたぐいのハウツーものが大流行。宝くじ販売店へ行列をなして買いにゆき、なけなしのボーナスをすっちゃったあ!という人が後を絶えず。

一方「一夜で大金を得た人の末路」などといって、宝くじに当たったがゆえに人生を台無しにしてしまった、なんて内容の本もバカ受けしていたりします。

果たして、宝くじに当たった人の末路は本当に悲惨なのでしょうか。

いわく「あればあるだけ使ってしまう。金銭感覚がマヒし、際限のない支出に気が付かない」そしてもちろん「会社の同僚やご近所様、親類縁者との関係がぎくしゃくし始め」「会社に行けなくなり・行く気がなくなり・受け入れてもらえなくなり」稼ぎがなくなる一方でお大尽三昧を尽くし、気が付いたらすっからかん。あれだけちやほやして群がっていた人々も、お金が無くなったとたん潮を引くように消え去り、妻は家出・離婚、子供は非行で少年院行き、本人は借金取りのやくざさんに脅かされながらペーパーハウスに、というようなストーリが多いようです。

というわけで、「宝くじなんかに当たって、真面目に働かなくなったら人生終わり。宝くじは夢を買って、でも現実では生涯現役が一番幸せな人生さ」が結論となっています。

では、本当に宝くじに当たった人は人生を破滅させてしまうのでしょうか。

実は、ずばり!「本当はますます繁栄・裕福になるとおもってよい」なのです。

残念ながら、世の中には嫉妬などあり。自分に自信を持てない人は、自分より劣った人を発見することで安心するため、常に周囲の人々とけん制しあう(洗脳)という悲しい事実が存在しています。もちろんそんな家畜の境涯を卒業した人もいますが、残念ながら圧倒的少数派である。つまり、どんぐりの背くらべでけん制しあっているうちの自分でない誰かが宝くじ大当たり!なんてストーリーは受け入れられない。当たったけれど破滅した、というふうにならないと、ということらしい。

みんないっしょは必ずしも悪いことではないが、

家畜のようなマスコントロールの標的にされていないか一考の要あり

そういう状況で、宝くじに当たった!とします。

その時でもどんぐりの群れ、つまり、会社や親せき、友人関係という人の輪の中にはいまだいるわけで。そんな中で「わーい宝くじで中ったお金を上手に運用して、ますます裕福になったあ!うれしいな!」なんて言ったが最後。それこそ親類縁者その他から寄ってたかって食い物にされ、身ぐるみはがされたうえで「こいつはやっとみんなと同じ貧乏人になった、もっといじめてやる(洗脳に悪用される)」と際限のない搾取の対象にされるだけです。まあ、宝くじに当たったなんて言わなくてもわかっちゃうとは思いますが。

ではどうするのか?実は簡単で、いったん破滅したように周囲には見せかけ、誰にも相手にされなくなるのを待てばよい。賞金の一部分(みんなには全額と思わせる)を上手に浪費・散財し「わあああおかねがなくなちゃったあああ!」「仕事にも戻れない!だれかたすけてー!」と自分から「破滅しました、ぼくはみんなより劣ったしょうがない下等国民です。みんなのすねをかじらせてー」と宣言すれば、みんなは安心して「潮を引くようにいなくなり」、やっと誰にも搾取されずにお金を活用できる状況に持ってゆくことができる。このときに本当に心配してくれる人も少数ながらいるでしょう。こうした少数の「本物の友人」といっしょに、お金を維持増加させてゆくことを考えればよいのです。

上記のパフォーマンスで浪費・散財したお金はもちろん宝くじ賞金の10分の一か50分の一かにとどめておいて、残りは手堅く投資しましょう。宝くじの賞金であれば「大金に兵法なし」でへたなリスクをとる必要はありませんが、単なる取り崩しではいけません。金融投資による金利・配当のみで生活費を差し引いてもますます所得が増える体制を築いたうえで、上記で出てきた「本物の友人」たちとの交流を深めればいいのです。もし「宝くじに当たったらたかってくる人ばかりしか知らない」という場合は、それが誰であれ縁を切る良い機会だと思えばよい。ひそかな繁栄の道を歩み始めたときに、目ざとくそういう人たちが寄ってきたら、にべもなく断ればいいのです。

さて、金利・配当のみで生活費を稼げるの?仕事しないのにお金がお金を生んでくれるの?と質問する人も多いと思います。

答えは「もちろんある」そしてそれは「不労所得」というのです。

宝くじに当たった人は、ぜひこのホームページの経済コンテンツをお読みください。宝くじの賞金を減らさずにますます裕福になることは十分可能であることが明確に理解できることと思います。

じゃあ、宝くじにでも当たらないと、明日の暮らしにも困るという人は?

このホームページは、まさにそういう人のためのページです。

ぼく自身大学卒業直後ひょんなことから救急病院行きになり死にぞこない、就職しかかっていた会社からもけりだされゼロからの再スタート、現在でも労働所得は年収で200万円ちょっとの貧乏リーマンですが、不労所得だけで給与年収の3倍近くまで得ることができるようになりました。

要すれば、宝くじに当たらなくても、ある程度の資産を構築し、上手に運用すれば無職になっても生きていけるだけの不労所得を得ることは可能であるということを知ってもらいたくてこのホームページを書きました。

「ある程度の資産」ってどのくらい?どうやって構築するの?そして「上手な運用」ってどうするの?などについて、今どきのブログではやっている「迅速な答え」はありません。でも、このホームページにめぐりあった皆さんは、ぜひスピリチュアルコンテンツ・経済コンテンツをあせらずじっくり読んでいって下さい。「あこういうことか(収入と支出b)」と納得いただけると思います。

宝くじに当たって会社を辞めることが悪でも、生涯現役で死ぬまで働き続けることが善でもありません。「気が付かないうちに家畜(ラットレース)として死ぬまで働かされていた」のではなく「報酬とは別にライフワークとして働いている」そんな仕事が見つかる一助となれば幸いです。

https://www.youtube.com/watch?v=Dna-edAuFGg

若いうちはリーマンごっこもいいけれど。。。不労所得で生活できるようになり、本当のライフワーク(なにもしないでぽけっと、というのもある)を探してみませんか

ではでは。。。

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お持ち帰り・テイクアウトの話

お持ち帰り・テイクアウトの話

昭和戦後世代として聞き捨てならない事件があったので掲載します。

大阪府堺市の定時制高校で、余った給食パンと牛乳を持ち帰ったとして男性教員が懲戒をくらい、あげく退職に追い込まれた、というニュースを聞きました。

開発途上国ブラジル在住の土着民からみれば、えええええ?日本はいつからそんな贅沢な、食い物を粗末にする国になったんだああああ????と驚愕、開いた口がふさがらなくなってしまいました。

確かにぼくが生まれたころは日本は豊かになっており(埼玉県も日本です。いちおう)。でも、「八百屋の鈴木さんは、満州からの引き上げで大変だったそうだ」「乾物屋の中曽根さんは、沖縄戦で家族を半分亡くしてしまったそうだ」「となりのみよちゃんのお父さんは、南方の島で餓死寸前になったそうだ」みたいな、食うや食わずの時代の残像が残像ではなくリアルに生きていた時代でした。

戦後の日本は、物資の有り余るアメリカから援助を受けて何とか復興できた

そういう昭和の日本から移民でブラジルへ、そして令和の今日にいたって聞くニュースがこれか?ううむ大丈夫か日本人?

この教師に賛成・反対かなり意見が分かれているらしい。反対派の意見は「もちかえりは禁止という規則を破ってはいかん」「衛生上の配慮がなっておらん」というのがあり。賛成派は「もったいないじゃないか持って帰って何が悪い」という感じ。

ちなみにニュース出展記事(MSN)では「4年の間に持ち帰ったパンは1002個、紙パック牛乳は4178本(いずれも本人による申告)で、本人の申し出により代金約31万円は返還された」とあります。

こまかいなあ。。。もちろん正確さは重要だけど、1002だの4178だのという数字にこだわる前に、食べ物が粗末にされていた(記事では「余っていた」)ことについての注意喚起や、解決策と言った面での議論、検討、提言が先ではないでしょうか。

参照した記事では、前向きな提言がぜんぜん見当たらないばかりか、細かい数字の羅列の後に、「教師が懲戒されました」に行ってしまい。

この「教師による代金返還」が最も懸念すべきねじれた(洗脳)措置だと考えます。

そもそもなぜ「パンと牛乳」があまるのか?ラクトース過敏症とかであれば、最初から申告し水だろうが別のものを配るようにすればいいだけの話であり、パンにしてもそんな食えないようなまずいものでも量が多すぎるわけでもなかろうに、と思ってしまいます。

個人差で食べきれない、という場合は「それこそ本人が持ち帰って後で食べましょう」。もちろん腐っちゃうなんて食べ物を冒涜するほど捨て置くようなまねはダメ!絶対!である。

これを育ちが良すぎる生徒たちが「まずい、食べられん」というのであれば、次善の策として先生が持ち帰るのは捨てるよりはずっといい。ぼくが教師だったら、喫食の前に「全員校庭3周!」で終わったころにはのどが渇き、腹もへり。水だろうが牛乳だろうがむさぼるように飲み、食う、となると思いますが(例えばの話です)。牛乳とパンですから、ガダルカナルやインパールのように泥水やヤモリとかを飲まされ、食わされることに比べどれほどごちそうか。

前谷惟光「ロボット三等兵」

そもそも規則が変である。ニュースによると

「文科省が設けた学校給食衛生管理基準に「パン等残食の児童生徒の持ち帰りは、衛生上の見地から、禁止することが望ましい」「パン、牛乳、おかず等の残品は、全てその日のうちに処分し、翌日に繰り越して使用しないこと」と明記されている。」

といかにももっともらしいことが書いてあるが、封を切ってしまったならともかく、パックのままのものを処分せい、と強要に至るストーリーがおかしい。本来は、残した奴が自分の責任で持ち帰り食中毒にならないうちにちゃんと食え、ということだと思います。

もしやっぱり食べられなかった、という場合にパン君ごめんなさい、という意味での代金返還も、本来は残した奴が払うべきである。

シベリアに抑留された人たち。重労働でろくな食料も与えられず、餓死者が続出。

「旧ソ連抑留画集」よりhttp://kiuchi.jpn.org/nobindex.htm

今回の一件は「本来重要であり、尊重すべきもの」が尊重されないままに「本来の解決とかけ離れた枝葉の対応にすりかえてお茶を濁している」ことが重大な問題だと理解します。

要するに、この件は「飯は大事だ。粗末にしないようにはどうすればいいか」という話なのに、なぜか「だれかに責任を負わせ、懲戒して解決したように見せかける」小役人根性まるだしの盲目的な規則の履行で済ませてしまっているところに、底知れない恐怖を感じます。

この一件のみならず、いろいろな課題について、問題の本質を見極めずに法律だの衛生だのと権威をかさに着た(泉)かりそめの対策でいかにも解決しましたみたいに思い込んでいないでしょうか。

「目的と手段」の混同とすり替えは、太平洋戦争での国民の絶筆に尽くせない犠牲を招いてしまいました。

これが日露戦争の場合「ロシアの勢力が満州以南に南進し、日本の独立を脅かすことを防ぐ」という明確な目的があり、同じく明確にロシア勢力の排除を狙っていた英国と日英同盟を組むことができ。明確な目的が確立してはじめて目的達成の手段として戦争を開始し、目的達成が明確になってきた奉天会戦・日本海海戦あたりで「これ以上やったら日本自身の国力がつづかない」とさっさと講和に進むことができました。

「大東亜戦争」の場合、「南方資源の確保」なのか「東アジア新秩序の確立(なんじゃいそりゃ?)」なのか、どこまで戦争してどこで終わらせるかという段取りがないままとにかく戦争という手段を強行してしまったため、南方地域を確保したら今度はオーストラリア攻略だなどと際限もなく構想が膨らんでいくかと思えば、ガダルカナル、サイパンと圧倒的劣勢が明確になっても講和できず、ずるずると原爆投下・無条件降伏まで事態を悪化させてしまった。

この「目的と手段の混同とすり替え」については別記事で「零戦とグラマンの残念な比較」について記載し「世界一スマートな技術の結晶であるゼロ戦」が「プレファブの濫造品グラマン」にバタバタ落とされたという全くスマートでない結果に終わってしまったことについて考察しましたのでそちらもご覧いただけますと幸いです。

そして最後に。。。

牛乳はダメだろうけれど、せめてパンが一週間はもつのだったら。。。余ったパンを集めて、逆境を生き抜いているシリアや北朝鮮の児童に定期的に送るとかはできないのかなー、とかおもったりしています。悲しいな。。。

終戦前後。逆境に負けず耐え抜く少年。

https://www.asahi.com/articles/ASK877VJMK87PITB00V.html

 

Posted by 猫機長
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「2040年国民生活破壊計画」

「2040年国民生活破壊計画」

最近、年金破綻はますます顕在化し、その対処として、生涯現役だ!のアドバルーンがマスメディアや識者などのオピニオンリーダーから連呼される世情になっています。

一方で、8050問題、老々介護や、ハラスメントによる引きこもり、出社拒否、うつ病など、まだまだ若壮年人口なのに労働に従事できなくなってしまう人が続出。引きこもりの人は61万人を超え、さらにはミドル層も大量リストラと、生涯現役どころか文字通り路頭に迷う人も続出しています。

こうした矛盾が無視されている状況では、「生涯現役だー!」というスローガンの裏に、何かうさん臭いものが隠されているように疑ってしまいます。

なぜ日本の指導者たちはかたくなに「現役だ!現役でないのは非国民(抜苦与楽)だ!」と、これまでのデフレ経済当時から追い込んできた国民をさらに鞭打つような、出口のない労働に追い込んでいるのでしょうか。

日本より前から人口減少に悩んでいた欧州先進諸国では、外国からの労働者受け入れを行ってきました。ドイツやフランスが典型的。一方新世界の国々では建国時から人口が不足しており、カナダなど、昔から外国人を受け入れ同化することで成り立っている国もあります。

外国労働者を受け入れれば、もちろん摩擦や犯罪も起こります。「おはようラモン」という映画があり、メキシコから不法入国でドイツに出稼ぎを試みたラモン少年が、「アウスレンダーアウト!(外国人は出ていけ!)」の冷たい対応をする人、「乞食であったとしてもすべての人は平等な権利を持っている」と温かく支援してくれる人と交流しながら生活していく、という内容の映画がありますが、こういう混乱を受け入れて行こうというドイツは、ナチス時代に行った差別政策がもたらす災厄を誰よりも思い知ってるのだと思います。ちなみにフランスはもっとちゃっかりしていて、「外人部隊」というのに自国民がいやがる危険な軍務をおしつけちゃってます。ははは

おはようラモン。南米やヨーロッパで話題になりましたが、

なぜか日本語版を発見できませんでした。

本稿では、日本が外国人労働者を受け入れろ、ということは書きません。むしろ、技能実習生(研修生)だといいながら、実は3K労働でこき使われ、ろくに勉強もできないフィリピンや中国をはじめとした若者たちの待遇や、日本人自身も出社拒否、うつ病、引きこもりのない社会にすることが先決(在宅勤務)で、そこでやっと外国からの正規労働者を受け入れることができる土壌が生まれると思っています。

さて外国人は受け入れないことにしているらしい(技能実習生等はのぞく)日本の政府ですが、当たり前ながらそのままでは若年人口の減少と、労働人口減少による生産・利益の激減は避けられない。その対処が、社会保障(退職後の年金)はやめにして、本来は保障を受けられるはずの人々を逆に更なる労働で絞ってやろう。そんな政策が人道的であるない以前に、経済的にペイするのでしょうか。

こうした状況を実質的に傍観している官僚など日本の政策立案・実行者たちは、どこまで無能なんだ。。。。。と思いきや、実は一見無策に見えるこの対応が、日本の官僚の頭の良さを見事に暴き出しているのかもしれません。

キーワードは「2040年」、あるいは「2045年」。

つまり、2040年までこのまま持ちこたえれば、老年人口はそれこそ社会保障をもらえないまま全員過労死して消え去り、急激な非生産人口(被扶養人口)の上昇がストップし、(次に述べるシンギュラリティも作用しはじめ)社会保障が蓄積できる人口構成に回復する。だから、外国からの労働者の導入なんてしなくていい。今働いている成人は死ぬまで働け、耐えられないのは落ちこぼれて上等、電車でもなんでも飛び込んでしまえ。ほんとに足りない分は「技能実習生」で逃げ切ろう。

出展:https://zuuonline.com/archives/207610
というのが官僚の真意なのかもしれません。

2045年のほうは「シンギュラリティの年」といって、AIの知能が人間の知能を追いこすことになるらしい。でも追い越す追い越さないなんて官僚の視点からはどうでもよく、2040年から45年くらいには、機械が労働者の大部分にとって代わってくれる。つまり、生身の人間の労働者なんて大していなくても、企業当たりの利益、とどのつまりは税収が維持拡大できるので、年金含め政府の財布は安泰、という時代になるらしい。

つまり、人口構成の変動とAIによる効率化をすまえれば、今の世代のミドルそして退職できたはずの人たちが、死ぬまで働きさえすれば後は時間が自然に解決してくれる、だから官僚は何もしないのかもしれません。

「働けば自由になる」。ダッハウのユダヤ人強制収容所に表示された標語

さて、芸術家(画家、陶芸家、作家など)のように生涯現役が当たり前の人達もいますし、学校の先生だろうが工場でねじを締めまくっている人たちだろうが、本人が望めば生涯現役の権利はある。そういう意味で橘玲さんと言ったピニオンリーダーが「定年制度はおかしい!撤廃だ!」というのは同意しますが、一方で定年制度を選択制ではなく全面撤廃してしまうと、悠々自適したい人たちまで強制されて全員生涯現役になってしまうというかなりファッショ的な強権政策の国になってしまうと思います。

つまり、いつまで働くか、というのはあくまで国民個人個人の自由であって、本当の文明国であれば、それこそ憲法で保障されている基本的人権についてはたとえ働けなくなっても(働かなくなっても)保証されるべきである。これは、生活保障を受けている例えば貧困女子の人が申し訳ないなんて思う必要のない権利なのです。

堂々と主張すべき権利なのに「人様にご迷惑をかけてすみません」という解釈をするから「ご迷惑をかけないためにはどんなブラック企業でもよろこんで働きます」と、ブラック企業や抜け目のない官僚による「死ぬまで働け」という政策の餌食(洗脳)になってしまうのです。

もちろんこの文章を読んでいるみなさんや、投稿しているぼくの個人個人の力ではとても大規模な改革はできません。でも、「みんなも考えてみよう(学習雑誌のノリ)」。北朝鮮に比べれば天国のように自由で繁栄した日本。繁栄の基礎には、進駐軍(カースト)が教えてくれた資本主義があるのです。戦後高度成長時代の「うまくいった社会主義」つまり「終身雇用の年功序列」が崩れているいま、大本営発表の「死ぬまで働け」に唯々諾々と従ってしまう前に、主本主義の贈り物を活用して、会社や政府なんかに頼らず自分一人の力で生きてみようと思いませんか?

自分一人というのはすべて自給自足という意味ではありません。現在の人類は社会的分業(お金のある世界)なくして生きていけないためです。しかし、それは決して組織や「ムラ」の歯車として「働けど自由になれない、じっと手を見る」という「上司任せ、会社任せ、他人任せの奴隷(労働と報酬)的存在に甘んじる」ということではなく、自らの単独の力で堂々と社会的分業の一端を担うことができるぞ、という意味なのです。

それが資本主義の贈り物すなわち「金利と配当」です。つまり不労所得です。

このブログは、不労所得によるアーリーリタイアをお題としたホームページのスピンアウトなので、ぜひ経済コンテンツをご訪問していただければ幸いです。このHPの情報を活用することで、皆さんの経済的な自由を確立することの一助になれば大変幸いです。

2020年8月6日追記。世界に広がるコロナ禍により、外国人の受け入れについて、防疫がますます重要になりました。考え方として、次の2つに大別できると考えます。

①感染防止のため、入国拒否。まあほとんどの人がこう考えると思います。

②入国希望者に検査、隔離を行い、陽性の人は帰国。陰性になった人に2週間の隔離を行ったうえでガンガン働いてもらい、移民の人も日本も助かるよう措置をとる。

ちなみに、1908年からブラジルは「貧困」という恐ろしいウイルスにおかされた日本人たちを受け入れ、日本人たちはガンガン働いた結果、移民自身も、ブラジルも成功・発展しました。というわけで、日本が②の選択ができるような本物の先進国になることを願っています。

Posted by 猫機長
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成果主義の企業は潰れる

成果主義の企業は潰れる

成果主義、能力主義が叫ばれて久しいですが、依然として日本株式会社の企業たちは「先進国最低の生産性」というレッテルを外すことができず。

こう書くと、「年功序列などの古いしきたりが残っているから成果主義になれないんだ」というコメントがでてきますが、実は、さらに重大な理由があるのです。

成果主義とは、企業が生きていくための利益すなわち成果を出すために誰がどの程度貢献したかを計測し、その貢献度合いに従って企業内における待遇を決定していく経営方法であり、その成否は成果そのものの設定(零戦)つまり企業にとって何が成果かということの明確化と、社員がどれだけスマートに貢献したかによって決定されます。

貢献という言葉がくせもの。「スマートに」は「効率的に、効果的に、実利的に」という意味ですが、つい「年功序列と代替できる手っ取り早いスマートさを創作してしまう」から成果主義の取り組みに失敗するのです。

たとえば「効率的」について。

がんらいの日本株式会社は、慶応出だろうが早大出であろうがはたまた防衛大出であろうが、新卒をじっぱひとからげに採用して、初年兵すなわち新人はお茶くみに宴会のビール継ぎ、コピー取りにカラオケ大会の使役兵じゃなかった雑用係、そうして会社のしきたりを学び(学べない人は電車に飛び込んだりして消え去る(カエル))、2年目3年目くらいから会社の各部署におけるエキスパートとなっていくが、業務は大学で学んだ科目とはほど遠い内容でした、という効率性もへったくれもない封建的なやり方なので、「成果主義だぞー」と学歴不問、会社の事業成果に直結する分野の若者のみ採用し、出社初日から専門分野の能力発揮を要求する会社が出始め。といっても最初は先輩についてオンザジョブトレーニングですが、飲み会やカラオケという「教育」ではないことに留意ください。これで成果が出せればOK、でなければ「ハイそれまでヨ」さようならと解雇、というふうに変革した企業が生まれ始めました(極論です)。

ハイそれまでヨ(©東宝)

https://www.youtube.com/watch?v=94lJKBmo74c

で、生産性躍進したかというと、実はそうでもない。なにが問題になっているのでしょうか。

それは、ずばり!「競争にとらわれ、協調が達成されてないから」です。

効率化、効果的、実利的、というと、つい「あのやりかたは効率的でないからダメ」という切り捨て思考に陥ってしまいます。もちろん選択と集中は大切ですが、一歩間違えると単に『効率化している』という満足のためだけに本来ありうる多数の選択肢を自分から切り捨てているということになってしまうので気を付ける必要あり。

たとえば、ITサービス企業にとって、大卒であれば芸術学部であろうが体育学部であろうがじっぱひとからげ、というのではなく、学歴問わずデジタル技術を知っている人を選んで採用する、というのは効率化です。でもデジタル部門の経歴だけで競争し雇用しようとすると、マイナス思考に陥ってしまいます。デジタル強者だけを雇って純粋培養という思考が危険なのです。

ううむわかりやすい例がないかな、たとえば、個人事業主(ラーメン屋さん、花屋さんなど)向けの広報サイトを作成する会社があったとします。そこそこ業績はあるが、いまいちお客さんからのフィードバックが?と伸び悩んでいたそんなある日、なんのはずみか、全然IT知識のない70過ぎのじっさまが派遣で入ってきた。

ラーメン屋さん。お客さんを呼びこむHPとは?

そのじっさまは、定年まではそれなりの大企業にいたらしいが、「いやいや妻の介護でお金が必要になりまして。。。」なんてとても低姿勢で人当たりが良いので、いつの間にか若い人たちに慕われ、仕事ではなく生活の悩みの知恵袋になりました。ははは

で、若い人のほうでも仕事というより雑談レベルで「こんなふうにやるんですよ」とじっさまに伝える(教える)ようになり。じっさまもまじめに「へえへえこうすればぐーぐるの検索ページであのパン屋さんのキャッチコピーが表示されるんですね①」「じゃあ、キャッチコピーはこんな言葉を使って、これぐらいの大きさにすればいいんですね②」などと勉強している。

これをみた社長が

「ああああ!そういうことだったのか!」と驚愕し。

つまり①は「スぺニット」のことであり②は「SEOコメント」のことだったのです。

IT強者の若者軍団で構成された会社だったので、IT弱者のパン屋さんや花屋さんのHPを作成するにあたり「①いろいろな検索エンジンで貴社の情報が一目でわかるようにスぺニットを作成し」「②SEO対策を万全にしてインデックスを確実に、検索エンジンで上位を狙いましょう」などと手取り足取り説明するのですが、悲しいかなパン屋さんの方は「すぺにっと?SEO??いんでっくす???」とちんぷんかんぷんになってしまい。もちろん業者も相手が初心者なのは重々承知しているので、親切に「スぺニットとは、検索エンジンによる検索結果の一部として表示される、Webページの要約文のことです(Weblioより)」などと説明するのですが、果たして皆さん理解できたでしょうか?はははは。。。。

ぼくのサイトのスぺニットはこんな感じ。

ぜひお友達とかにも教えてあげてくださいね(^▽^)

そこでじっさまが登場。実業界の修羅場を生き抜いて、お客さんにどんな言葉で説明したらよいのかを知りぬいているじっさまは、若者がスぺニットの存在を教えただけで、そのスぺニットが何かはともかく、何のためにあり、どう使い、どんな言葉をどれだけ入れればパン屋さんなどの集客になるのか無意識ながらも見抜き、「キャッチコピーはこうすればいいんですね」と逆に効果的なスぺニットの作成を若者に提案していたのです。

社長は、パン屋さんなどお客さんとのHPデザイン他交渉の場に必ずじっさまを同席させることに決定。その結果、若者の出す技術提案がしっかりお客さんに伝わるようになり、若者の提示するITという手段と、じっさまが通訳ないしお客さんからひきだすキャッチコピーというサブスタンスがうまく合体するようになり、成果倍増となりました。めでたしめでたし。

つまり、会社としてはスマートだったけれど、お客さんのほうへのリーチ(味割の術)ができていなかったのです。成果主義であるがために、デジタル強者の社員同士で先端技術・知識の披露合戦というか血も涙もない数値獲得の競争になってしまい、お客さんを含むデジタル弱者に目が届かない、社員同士で足を引っ張り合う(洗脳)マイナス思考にとらわれてしまったのでした。ここでIT弱者のじっさまという、一見スマートさとは関係ないメンバーが入ってきましたが、実は何より重要な集客能力を持っている人だったので、デジタル強者のだれよりも会社に貢献することができたのでした。

成果主義は可視的な数値・記号を作ろうとするあまり、見栄えの良い成果もどきを作れる人が強者となり、でもそれは会社の存続には貢献しなかったりします。

もちろん、飲み会だカラオケだで「面白いやつ、気が利くやつ」とお覚えめでたく出世などという次元からは卒業が必要(洗脳)ですが、一方「数字で報酬や進退を決めてしまう成果主義ごっこ」ではなく、多文化共生、それぞれのメンバーがのびのび個性を発揮し補完しあう(Finalcial7b)会社への進化が必要。そのためにはまず「脱・会社人間(ベーシックインカム)」ですね。教養・趣味・副業と言った「本業外の知見」が本業を成立させる、そんな世界になっていくと理解します。

ではでは。。。

多文化共生:映画「おはようラモン」より

Posted by 猫機長
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新型コロナ肺炎:急性増悪は予防できる!

新型コロナ肺炎:急性増悪は予防できる!

新型肺炎は、大多数の人が軽症や無症状で治ってしまうーこれは確かに事実です。しかし、軽症で経過観察だったのに、「一瞬で悪くなった」という間もなく、死亡してしまう人が一定数いることも明らかになってきました。計算により違いますが、80%の人が軽症ですむということは、20%、つまり5人に一人が重篤になる可能性があるということです。そして「一瞬で悪くなる」つまりやばいと気づいた時にはすでに手遅れというケースが散見され、時事通信の情報では「危険性はエボラと同じー英調査(外部リンク)という結果も出ています。

志村けんさんの場合、プレジデント紙の報道では「3月17日から倦怠感を訴え、19日に発熱や呼吸困難の症状が出た。20日に病院で重度の肺炎と診断されて入院した後、23日に新型コロナウイルス陽性と判定された。症状が出てから、わずか10日余りで命を落としている」。

そして、こうした急性増悪の犠牲者は、老人や肥満している人だけではなく、若くて健康な人たちも一定数含まれています。つまり、確率的に多い少ないということよりも、ぼくやあなたが、いつ気が付かないうちにこういう急性増悪の犠牲者になるかはわからない、という事実の方が重要だと思います。

なぜこうなるのか?

お医者さんいわく、ふつうの肺炎だったら、肺炎一歩手前ですでにはあはあぜいぜい、精神錯乱するなど、もがき苦しんでいるので一目瞭然だそうで、「なんか息が苦しいんですけど、死ぬんでしょうか」なんて心配そうな顔でやってくる人には、お医者さんもつい「そんなの気のせい。忙しいのにじゃますんな!帰れ!」とけんもほろろの対応になってしまうそうです。しかし、こと新型コロナに限っては、まだフツーに呼吸しており、スマホをいじったりにやにやしているのに、検査のプロトコール上血液中の酸素飽和度を計ったら、66%などと出て「わあああ緊急入院だあああ!」というようなケースがかなり発生しているらしい。

ちなみに、血中酸素飽和度は95%以上はあるべきで、90%を切ったら呼吸不全、75%で虚血疾患(心筋梗塞みたいな症状)の危険があり、50%になると意識障害や昏睡に至るそうです。

つまり、新型コロナ肺炎の特色の一つが「無症候性低酸素症」であり、本当は血中酸素飽和度が著しく危険な数値に低下しているのに、ぱっと見は「フツーに倦怠感があります」で済んでしまっているので、「自宅で様子を見な。医療崩壊しないために、本当に悪くなるまで来ないでね」と追い返してしまう。でも実はこの時点で入院し、適切な処置をしていればチューブを差し込んで人工呼吸とならずに助かっていたケースが多いらしい。

では「ちょっと倦怠感があります」というのは、すでに重篤化の兆候なのか?

それは「人それぞれなので、はっきり言ってわかりません」。

なぜなら、倦怠感とか息苦しさなんてすごく抽象的な言葉で、人によって違ってしまうからです。

そして、医療機関の方でも、「倦怠感が。。。。」なんて言ってくる人ははっきりいって相手にしてくれない可能性が強い。入院以前にPCR検査さえしてくれず、感染しているかどうかさえわからないまま、となってしまうと思います。

では、運を天に任せ「軽症だと思っているうちに、本当に軽症ですんだ」「2週間たったけど、一瞬で悪くなるということなく過ごせた」だからそもそも感染していないんじゃね?などと、命にかかわることがまったくあやふやなまま生活していかなければならないのでしょうか。

そんなことはありません。ちゃんと解決策があるのです。

さいわい、ある秘密兵器があり、これを使用することで科学的に「低酸素症候群になっているかどうかを見分ける」ことができるのです。

その名も「パルスオキシメーター」

写真のように、指に挟むだけで、およその血中酸素飽和度がわかります。

ぼくはブラジル在住ですが、医療器具店で5千円ぐらいで買えました。日本では薬局で買えるらしい。ただ、かなりの人が買いに行っているらしく、販売者側でも「本当に必要な人以外は買わないでください」なんて呼びかけていますが、それに対する私の答えは「ぼくは逆流性食道炎が気管支に及んで炎症を起こしたこともあり、気道の炎症を確認するために本当に必要」です。別に持病のない人でも「無症候性低酸素症の疑いをなくし、必要な場合早急に医療施設に行けるように、本当に必要です」といって買ったらよいと思います。だって本当に必要なのではないですか?

パルスオキシメーターを買ってから、ちょくちょく計測し、95%~98%を行ったり来たり、この原稿を書いている時点では肺炎になっていないな、という安心があります。

いろいろな型のパルスオキシメーターがあるようですが、そんなに高いのは必要なく、要は血中酸素濃度がちゃんと測れるやつで一番操作がシンプル、あるいは安いのでいいと思います。

ぜひ皆さんもこの安心を。そしてもちろん安心するだけではなく、予防や巣ごもりを徹底して、みんなで乗り切ろう!

*なお、急性増悪の犯人は、サイレント肺炎のほかに、「サイトカインストーム」や「T細胞」もかかわっているとの情報があり。これらの記事も読んでおいてください。

ーO―

7月9日、東京の非常事態宣言も解除され、あたかも通常に戻ったかに見える状況に寄せて付記。

日本の場合は、満員電車やパチンコ屋の行列とか、「会食におけるグラスの回し飲み、ホストクラブやキャバクラ(7月9日MSN電子版)」など、やることなすこと「ほにゃらら」だったのに、八百万の神の助けで「医療崩壊しないで済んだ(実は数値があやふやで、西洋人の目から見ればそもそも判断のしようがない)」という状況ですが、これを「日本人は相互扶助や自粛で世界に模範を示した!ジャパン・アズ・ナンバーワン!(12歳)」なんて勘違いしないで、予防を強化しましょう。

有識者や政治家が責任逃れのテキトーな声明で逃げ切ろうとした中、「東京で8万人感染する」とか「全国で42万人死ぬ」と具体的数値を上げて勇気ある警笛を鳴らした西浦教授が、いまや「8割おじさん」とバッシングを受けていることに大きな危惧を禁じえません。アメリカと日本は違うから大丈夫さ、なんて「ぬるま湯に浸っていた(なまぬるい認識だった)」人々の目を、西浦教授のような人が覚ましたからこそ最悪は避けることができた。42万人死亡にならないようこれからも気を付けよう、となぜならないのでしょうか?なお、西浦教授は、この分析などが評価され、京大で活動することになったとの情報あり、安堵しています。

ではでは。。。

 

Posted by 猫機長