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W杯:日本チームに応援すべきか?

すべきでない、と言って物議をかもした共産主義者のおっさん(東京都区会議員)がいた一方で、ドイツなど本物の文明国では「氷点下のW杯サッカー、熱気乏しく 人権重視しボイコットの動き―ドイツ(外部リンク・時事通信)」なんて、カタール大会の意義そのものを問う(そしてそんな大会に出るドイツチームなんて応援してやらんという)動きもあったりして。

このへんを、Q&AサイトのQuoraにおいてつらつら書いてみました。以下、お題として提示されていた質問2つと、ぼくなりの回答です。

なお、本稿におけるW杯ポスターの出典はAFPニュース(https://www.afpbb.com/articles/-/3170004)です。

イタリア、1934

 

さて、Quoraです。

ドイツに勝って幸先のいいスタートを切ったものの、コスタリカに敗北。どうなる日本?

質問その1:サッカーW杯2022コスタリカ戦の敗因は?

回答:W杯ともなると、試合の結果には、単にチームの実力だけではなく、応援する国民のそして国の経済・社会状況が影響して、W杯での成績に反映されるケースがあるようなのです。

ブラジルの例で言えば、70年の3冠達成の時がまさに「ブラジルの奇跡(的経済成長)」の頂点であり。78年にアルゼンチンに優勝をさらわれたあたりからおかしくなり、その後はハイパーインフレに陥りましたが、92年の米国で優勝し、同じくしてレアル政策で躍進しました。

ドイツが日本に負けたのも、「人種差別を認めたW杯ではないのか?そんなW杯を盛り上げていいのか?」と自問自答し、悩んでいる結果が出てしまった。これから「このW杯で勝つことは、ナチの過去に戻ることではない」と吹っ切れれば、スペイン相手に7対1で勝ったりして?

この回答を読んだ皆さん、2年後に日本の経済社会はどうなっているでしょうか?恐ろしいハイパーインフレにあえいでいるでしょうか?あるいは日本だけ世界で独り勝ちの躍進になっているでしょうか?

ブラジル、1950

 

 
その後、日本は見事予選突破。

https://www.nikkansports.com/entertainment/photonews/photonews_nsInc_202212020000361-2.html

 

 
ベスト8まで進めば、なんとブラジルと試合の可能性が。

そのブラジルは。。。。

質問その2:ワールドカップを観ていて、やはりブラジル代表のプレイに一番ド肝を抜かれるのですが、彼らは何が違うのでしょうか?また、他国の代表がああなることは不可能なんでしょうか?

回答:貧富の差が激しいブラジルでは、「シテイ・オブ・ゴッド」でも提示されている通り、とても学校にいけない貧民層が多く。

そんな家庭の親父は、サッカーの試合になけなしのお金を賭けて、勝てば酒を飲んで奥さんや子供を殴り。負ければ倍殴るという生活です。親父のゲンコツから逃げ出した子供の生きる道は、何とか中流階級のいる地区に潜入して、商店などから寄付をお願いすることですが、単に寄付をお願いしても相手にしてくれないことが多いので、タウルス拳銃を向けて「お金ちょうだい。じゃないとあなたに事故がおこりますよ」という、強制的な寄付をお願いする生活になってしまいます。

https://www.russoairsoft.com.br/revolver-taurus-.38-spl-rt-85s-oxidado-brilhoso

 

 
もちろん、そういう行為は、世間では犯罪なので、商店主の方で今度は用心棒を雇い。

夜陰にまぎれて少年たちを先制攻撃で間引いてしまいます。

ブラジルでは、慢性的な貧困があり。こうした少年たちが無限に生まれてくるので、片端から間引いていくのですが、時に、特殊技能により、こうした地獄の連鎖から逃れることのできる少年たちもいます。

もうお分かりと思いますが、こうした少年たちが天性の才能で、ブラジルでしか生まれない「すごい選手」になったりします。

もちろん上記は極端な例で、中産層出身の名選手もいますが、だいたいは、上記ほどでないにしてもハングリー精神にあふれた、要すれば育ちの違う少年たちなので、これを超える選手、というのは日本では難しいと思います。

でも、ブラジル人の中でも、こうした実情から、ワールドカップは、いたたまれなくてとても見れない、とテレビを消す人もいます。

一方、「世間では犯罪とみなされる」生活を送る少年たちでも、特にいじけたところもなく、おなかがいっぱいであれば、ピストルなんて忘れて、楽しくサンバを踊っています。これがブラジル独特の身のこなしになるのだと思います。

楽しいサンバ

 

 
選手になっても、決して、お金のためにいやいやサッカーをやっている、というのではなく、お金がなくてもやっぱりサッカーやってんじゃん、というところもあり。サッカーを口実に地獄のような家庭にしてしまうクズ親父もいる一方で、サッカーというスポーツが、地獄の社会から人を救い出すなにかも持っている、というところだと思います。

ブラジルも含め格差・貧困のない世界になることを、願っています。

スペイン、1982

 

 

暗い話題ばっかりだったので、W杯にも楽しめる部分があるにはある、というお話も行きましょう。

構図、という言葉があります。

この言葉は、芸術家にとって、恐ろしいパワーワードなのです。

どんなに才能あふれる芸術家でも、構図のない絵を描いてしまうと、けっきょくほにゃららな小学生の図工なのか、名作なのかわからないものになってしまいます。

いちおうおことわりしますが、ぼくは絵画から感性を排除する気は全くありません。でも、感性こそすべて、という人に限って感性なのかその場の気分なのかわからないままに漫然と絵をみて「感動した気になって終わり」という恐ろしい世界に落ちいってしまうと理解しています。まず理性に照らし合わせて、さらに理性を超える魂の世界に入る、ほうがよいと思っています。。。。

ソ連じゃなかったロシア。2018

 

 
で構図ですが、3分割構図、対角線構図、三角構図、キアロスクーロ(レンブラント様式)、シメトリー構図、色による構図(補色、反対色など)その他無数にあり。いえることは、名作はこれらの無数のオプションから、選び抜かれた構図をもって「カドの立った寿司」みたいな切れ味を実現している、ということでしょうか。

ひらめきで一気に、ということもあるのでしょうが、多くの場合は何枚も何十枚もデッサンをかさねて、構図を考え抜いて。。。というのが名画を通じて伝わってくると思います。

究極のファッションのごとく、なにげにコーディネートしているけれど、細部まで鍛え(考え)抜かれ、選び抜かれた構成が自然にかつ魂の奥底に迫るインパクトで見るものを圧倒する。フォービズムや現代アートでは、この「優しさいっぱいの自然さ」を放棄してグロテスクなやつもあるけど。

構図のお手本といえば、ダビンチの晩餐だのいろいろあるのですが、しかしその最高峰は、なんと日本人なのでした。

その名も「葛飾北斎」

出展:https://artscape.jp/study/art-achive/1205252_1983.html

 

 
北斎さんが、考え抜いてこの構図を構築したのか?あるいはその場のノリでやったら結果こうなったのか?本人に聞くことはできないのですが、緻密な構図になっています。日本画の場合は大首絵(上半身アップ)みたいな固定化した構図とか、犬図みたいな禅の世界(あっぱらぱ)も多いのですが、あっぱらぱに見えても名画は構図もしっかりしている、と思います。

上記は絵画といういわゆる2次元アートの世界ですが、人間の運動というお題で、極限のアートが見れるのがW杯だった。

サッカーマニアのみなさん、ここでぼくが「浅野琢磨のシュート」を引き合いにだして称賛すると思ったでしょうか。

https://www.yomiuri.co.jp/pluralphoto/20221123-OYT1I50182/

 

 

へへん残念でした。たしかに日本人離れした蹴り込みでしたが、そんなのぜんぜんへろへろへなちょこのあっぱらぱだよーん、という恐ろしいアートが存在しているのです。

それが「ベベトのゴール」

「米国ワールドカップにおけるベベト選手のゴール」のことです。決勝進出をかけたすさまじいプレッシャーの中、なにげに地面を転がっていく一直線のシュートが、キーパーの指先10センチ、ゴールポストから10センチをかすめてゴールに。動画(外部リンク)ご覧ください。こういうなにげにふつーのシュートを打てる人が最高の芸術家かもしれん。

画像出展はhttps://internacional.estadao.com.br/

 

 

なお、このゴールには、ロマリオという、マラドーナを真人間にしたらこうなる、というのが、ゴ◎ブリみたいにからんでいますが、マニア向けのお話なので、ここでは省略。

3000字を越えました。

次のワールドカップでは、SDGが本当に達成されて、安心して日本に応援できるようになっていたらいいですね。

ではでは。。。

 

Posted by 猫機長
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賢く強いパラグアイ女性

以前の記事で「日本女性が1番!外国の女性も、日本で育って日本女性に変身していればOK。でもパラグアイ女性は日本で育っていなくてもOK」ということを書きました。

このブログを読んでいる素敵女子やナイスガイのおねえさん、あんちゃんたちは、なんでパラグアイなの?と思ったかもしれません。

その理由をここに書いてみます。

現在のパラグアイ

 

 

昔むかしの1864年。

日本では新選組だの黒船だのと大騒ぎしていた時代。

南米大陸は事実上大英帝国の経済支配に置かれていました。

南米の豊かな資源をイギリスに送り、世界の工場大英帝国で生産された工業製品を南米に売りさばく。こうしてイギリス、南米双方の上流階級がトクする構造が出来上がっていました。

ブラジル、アルゼンチンといった大国は、農業や畜産をする土地も豊かで、開発もうまみがあったので、英国も喜んで貿易(搾取とは言いません)し、現地の支配階級といい感じでなかよしになっていました。

でも、これらの国の大多数の人々は、プランテーション大農場の奴隷労働で搾取され、「生涯現役」で死ぬまでこき使われるという状況だった。

そんなブラジルを眺めて、戦慄していたのがパラグアイの人たち。

パラグアイは国も小さいし、内陸でアクセスも困難なので英国人もあまり干渉してこなかった。要するに埼玉県もびっくりのど田舎だった。

今日では都会もある。首都アスンシオンの街並

 

 

しかし、それは狡猾な英国の支配から何とか逃れられているということでもあり。すぐとなりのブラジルの人たちが、労働の糧をほとんど奪い取られてイギリス人に二束三文で買い叩かれてしまっている現実に戦慄し。

「このままでは、パラグアイはブラジルになってしまう!」

あわてふためいているところに、強力なリーダーが出現。

その名もロペス親子といいました。

父のほうはカルロス・アントニオ・ロペスといい、イギリスの関心が向いていないのをいいことに、じゃんじゃんパラグアイを工業化し、教育を推進。息子のソラノ・ロペス大統領の代では、南米でも最も早く蒸気機関車(というか鉄道)が走り回り、多数の留学生がヨーロッパから持ち帰った先進的な自由の思想がいち早く広がった、ヨーロッパの国ともまがう先進国へと変身していたのでした。

現在でも英雄のソラノ・ロペス。1000グアラニー紙幣

 

 

このとき、隣のブラジルは、旧態依然とした奴隷と大地主の二層構造が続いており。そしてこの二層構造こそが、ブラジル・英国双方の上流階級がトクをするための土台となっていた。

要するに、南米における先進国の出現を望んでいない英国と、奴隷と大地主の二層構造による搾取によって栄華を誇っていたブラジルの上流階級にとって、パラグアイは、好ましくない、不都合な真実を突き付けてしまったことになり。

この時点で英国とパラグアイはともに天を戴くことのできない存在になってしまいました。

この結果、例によって英国主導?のパラグアイいびりがはじまり。いじめに耐えられなくなったパラグアイは、ウルグアイ、ブラジル・アルゼンチンを相手に開戦を決意。パラグアイ戦争がはじまりました。

アルゼンチンはパラグアイに同情的で、せっかくの前途有望な南米唯一といってよい先進国にダメージを与えたくなかったらしく、いかにもわざとみたいな感じで連戦連敗を重ね。きりのいいところで、ウルグアイと共に戦争を離脱しました。

果たして、パラグアイはブラジルやアルゼンチンの領土割譲による、海への輸出回廊を得ることができるのか?という快進撃を続け。

ソラノ・ロペスによる「グラン・パラグアイ」構想。海への出口を獲得し、大工業輸出国になるのが悲願だった。https://br.pinterest.com/pin/731412795708956984/

 

 

ところが、ブラジルの支配層が大反発し。

大規模奴隷農場の産品をイギリスなどに売りさばくことで大儲けしていたブラジルの支配層には、自由な市民が工業生産で繫栄している国なんてのが隣にいたら、自国の奴隷がまともな生活を求めてみんな隣に逃げて行ってしまうので、パラグアイなんて絶対許せない疫病神になってしまい。

イギリスから提供された小銃や大砲などで、パラグアイとがっぷり四つの死闘に入りました。

当時パラグアイは世界最新といえる装備で、この戦いに勝たなければ明日はない!と決死の覚悟で戦っていたため、最初は優勢でしたが、そのうちブラジルの物量に押されて総崩れになり。

パラグアイ復活の芽を摘んでおきたい英国とブラジル上流階級は、徹底的にパラグアイを蹂躙しました。

ソラノ・ロペスはセーホ・コラーという場所で敗死してしまいましたが、殺戮はしばらく続き。ブラジルのような奴隷社会を容認しないパラグアイの兵士が全滅するまで続きました。

ブラジル陸軍最大の危機「ラグーナの退却戦」

http://ebacervo.eb.mil.br/items/show/293

 

 

この結果、パラグアイの人口は半減してしまい、特に成人男子は80%が死亡という恐ろしい事態に。

パラグアイは南米の中でも最貧国の一つに転落。今日に至るもその傷は癒えていないと理解します。

-〇-

パラグアイ戦争が終結した1870年から150年以上がたちました。

現在のパラグアイは、ブラジルのGDPの40分の1ほどの国力ながら、少しづつ発展を続けています。

*ブラジル、アルゼンチン、ウルグアイ、パラグアイのGDPの総和を100とすると、80がブラジル、16がアルゼンチン、残りの4をウルグアイとパラグアイが分け合っていると言われています。

パラグアイの復興を支えたのが、「パラグアイの女性」です。戦争で荒廃しきった焦土を、男勝りの奮闘で生き抜き、労働し、家庭を支え、子を育てました。

南米では「パラグアイの女性」という言葉は、良妻賢母、働き者、逆境に耐え抜く強靭な精神と、仁愛にあふれた優しい性格を併せ持つ理想的な女性の代名詞となっています。

パラグアイの女性。5グアラニーの紙幣。

 

 

パラグアイの女性と並ぶことができるのは、日本女性だけかもしれません。

パラグアイ戦争で戦ったブラジルの軍人には、パラグアイの自由民主的な思想(ソラノ・ロペスは独裁者でしたが、ブラジルの帝政に比べてよっぽど開明的だった)に影響を受けた高級将校や、ブラジル軍を構成する奴隷の活躍に、一般兵の間でも奴隷という身分を否定して皆等しく自由であるべきという思想が芽生えるなど、のちのブラジル帝政の廃止と共和制の発足など、ブラジルが近代自由国家として発展するにあたっての重要な契機をあたえ、南米全体でも大きな影響を与えた歴史的な事件であったと理解します。

https://oglobo.globo.com/esportes/analise-paraguai-impos-desafio-que-faz-selecao-brasileira-sofrer-23770051

 

 

パラグアイは、インディオの血を引く文化を大切にし、学校教育でも、スペイン語と並ぶ公用語としてグアラニー語を教えています。2020年での人口は713.250.000人、男性人口が女性人口を上回るまでに回復しました。サッカーはブラジル、アルゼンチン、ウルグアイの強豪国に囲まれて、技術ではかなわないので「ケンカサッカー」ですが、一方「優しさとアルパの国」としても知られています。

Arpa Paraguaya

ではでは

 

Posted by 猫機長
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緊急投稿!安倍元首相銃撃にみる日本社会の病巣

今回はちょっとシリアスですが、お付き合いいただければ大変幸いです。

とても平和な日本なのに、元首相が手製の散弾銃で殺害、という、アメリカもびっくりな事態になってしまいました。

この事態が、日本にもたらす恐るべき教訓として、どのようなものがあるのでしょうか。

結論から言えば「日本は、国民の生活が保障され、人権が尊重された福祉社会がある国家だという考えは、実は幻想だったのかもしれない」ということです。

人権が保証されず、社会の歪みにねじりつぶされそうになった弱者の叫びが、今回の犯罪となって噴出したのかもしれません。

といって、今回の犯人は、虐待されているのでは?と懸念されているベトナムの技能実習生ではなく、帰化した韓国人でもなく。元自衛隊員という、国家の安全を守る、模範的な、思想健全・身体強健であるべき日本人でした。

自衛隊員だったのは10年以上も前だよ?という意見には同意しかねます。

剣道を始めたとき「稽古はしていなくても、剣道の精神はずっと持ち続けなさい」といわれ、持ち続けるよう努力しています。日々の生活で「剣の理念を修練し、心身を錬磨し、礼節を尊び、信義に重んじ、そして自他の繁栄につながる」ことを、もちろん未熟ながらも、意識するよう努力しています。

災害派遣で身を挺して働く自衛隊員も、自衛隊の人助けの精神は、除隊して何年たっても忘れるという性質のものではないと言いたいのです。

災害派遣で活躍する自衛隊の仕事とその作業服に注目してみよう!

 

 

どのような組織でも、犯罪者が生まれるのは避けられない。

「税金ドロボー」と自衛隊をそしっていた昭和の昔でも、一方で国民は、町のこまった「非行少年」たちをまっとうな男に立ちなおらせる、叩き直す、育てあげる頼もしい組織としてひそかに敬意を払っていたと思いますし、だからこそ、現職の幹部がインクカートリッジを銀蠅した、というはくらいともかく(これも懲戒で済むか?ですが)、元隊員が、平和な日本で銃器をぶっぱなし首相をぶち殺す、という事にショックを禁じえません。

ちなみに、ぼくも元自衛隊員の人を知っています。決して聖人ではなく、殴り合いのけんかもする人ですが、「人殺しはしない」というふつうの常識を誰よりも持っていると理解します。

「人殺しの訓練をする組織」において「殺すという事が日常化する危機」に、二等陸士から陸士長までの3年間真摯に向き合ってきたからだと思います。

つまり、模範的な日本人でも元首相を殺すという事です。

なにが言いたいのかというと、日本は決してアメリカやブラジルに比べて高等な国ではないという事です(下等ともいっていません)。

銃社会のアメリカでは、大統領暗殺なんて一種(と予防線を張ったうえで)日常茶飯事です。

リンカーン暗殺

 

 

でも、銃のない平和な日本では、元首相の安倍さんだけだよ?とはいかず。

歴代64名のうちの6名が暗殺されています。多くは戦前ですが、戦前も戦後も鉄の治安が保たれていた日本で、こんなに多く死んでいたの?と皆さんも驚いていると思います。

ブラジルなんて、発砲沙汰の犯罪がたえないんだってねー。はいその通りです。

でも、日本でも起きていることが明示されました。

実は氷山の一角で、チャカを使ったやくざ同士の消しあいはもっと多数起きており、ブラジルのファベーラ(無法地帯)とそう変わらないのではと考えます。

ここで強調したいのですが、この原稿は、決して日本を貶めるために書いているのではありません。

日本は、本当に「何も問題はありません。すべてはうまくいっています」という国なのでしょうか、という事を問いかけたいのです。

経済恐慌、凶悪犯罪蔓延の国のボルソナロ大統領が生き延びて安倍さんに弔辞を贈るという信じられない事態が現実になっていた。

ボルソナロも、残る任期でどうなるかわかりませんが。

 

 

山上容疑者の供述ですが「母親を苦しめている宗教団体のボスを標的にしたかったが、いなかったので安倍さんに変更した」という、何じゃそりゃ?という動機での犯行になっています。

うがった考えをすれば「意味不明の動機を持った自衛隊上がりの狂人の、偶発的犯罪」という事で片付けたい、という誰かの悪だくみが透けて見えそうです。SPの人たちが、いかにも「汗をかいて努力しましたが、間に合わなかった」みたいな、これも見方によっては国家権力のだれかに「防ぐふりをして殺害をほう助しろ」とでも言われていたのではないのか?

と果てしない疑惑が浮かぶのですが、状況・物的証拠がそろわない以上、たんなる『とんでも論』の域を出ないので、ここではそちらの説はとりません。

となると、山上容疑者が、本当に宗教団体を恨み、精神錯乱してしまった、という事になります。

決して楽ではない、前期・後期教育課程を得て、3年間防人として勤務し、一人前の男として鍛え上げられたはずなのに、その強靭な精神を病んで、凶行に走らせた日本の社会とは、それこそどこまで病んでいるのでしょうか。

人権が保証され、人道的な生活ができる、本当の先進国だったら、「母が宗教団体に搾取される」という事態が起こりうるでしょうか。

8050問題、電車に飛び込んでしまう人、会社にいけず公園で一日を過ごす人など、実は身の毛もよだつ社会問題が満載の、絶望的なプレッシャーにさいなまれ。山上容疑者も、こうしたプレッシャーで壊れてしまった被害者なのだと思います。

自殺防止のための青色灯

「青い光の奇跡」青色照明で駅や踏切での飛び込み自殺激減

 

 

死者に鞭を撃つことはしませんが、日本の政治家の皆さんに、日本が本当の民主国家に生まれ変わるにはまだまだ遠いこと。そして、生まれ変わるための鍵の半分を握っているのはほかならぬ政治家であることを自覚いただく、重要な事件だったと理解します。

そして、生まれ変わるための鍵のもう半分を握っている日本国民のみなさん。今日の日本の社会のすがたは、どこまで持続できるのでしょうか。日本は世界と違うから安全なんだ、という神話が崩れ、日本もアメリカと同じく、国民が国のリーダーを射殺する国なんだ、という目覚めから、日本人も外国人も同じ人間、世界のみんなと仲良く、つまり外国からの労働者の受け入れなど、もっと実現可能な課題として考える時期に入っているのかもしれません。

ぼくはブラジルという国に住んでいます。人種のるつぼ、混血のるつぼですが、それだけに日本人のことも理解してくれるし、ブラジルではロシア人もウクライナ人も韓国人も日本人も、みんな仲良しです。同じ国の人なのに、貧困女子だとか、ニートだとか、生活保護だとかで蔑視するようなことはあまりありません(このブログを読んでいる人たちのことではなくて、心無く社会的に弱い立場の人々を中傷する人たちがいるという意味です)。

もちろんブラジルでも生活苦で自殺する人はたくさんいます。でも、豊かなはずの日本で、なぜ自殺するの?というのがブラジル人の正直な感想です。

問いかけだけではなく、実は、解決策もあるのです。

「仕事をしないと生きていけない社会だから、仕事のためというエクスキューズさえあれば、何をしても許される」という常識がくつがえる必要があるのです。

 

 

覆す方法は2つあって

1-日本のリーダーである政治家が、本来の姿と模範を見せること。長くなるので、こちらの記事に書いています。→平時なのに戦時医療の切り捨て政策を強行する政府

2-政治家がどうだろうが、国だの政府だのに頼らず、自分自身で自分の安全を確保する(社会的弱者から脱出する)→こちらの方が自力本願の真の解決ですね。その方法はこちら→アーリーリタイア・経済的自由

結局、我々は、資本主義という、金がすべての世の中に生きていますが、幸い、金さえあれば、韓国人だろうが日本人だろうが人種で差別されることなく生きていける世の中になっています。「お金なんて」と逃げずに「お金を確保して愛のある生活を守り抜こう」と、前向きに考えていただければと、願っています。

ではでは。

Posted by 猫機長
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日本の「韓国化」に気を付けよう

ようつべで「世界剣道大会」を見ました。

団体決勝は日本対韓国ということで、へえーどんな試合かな?さぞやシャープな、目にも止まらない早わざ、豪快な大技が繰り出されるのか?と期待していたら。。。。

(リンクは:)

クリンチ(つばぜり合い)ばっかりでした。

つばぜり合いhttps://k.mandarake.co.jp/auction/item/itemInfoJa.html?index=558378

 

 

剣道では、打ち込んで前へでる、という動きが基本であり。両者前に出れば、ごっつんこ、体当たりからつばぜりになるのは普通ですが、そのままの体制では打つに打てないので、相手を押したり、自分が下がったりして、ちゃんとした打ちができるスペースを作る。

フツーは、つばぜりになったら、両者相手の奇襲を注意しつつも切っ先三寸の間合いまで開いて、そこで勝負しなおし、となるのですが、韓国選手の場合、竹刀をからみあわせたまま、日本選手がいっしょうけんめい間合いを開こう(距離をとろう)としても、その竹刀を腕などでひっかけて、離れるに離れられないようにしてしまっています。

*動画を見るともっとわかりやすいです。

 

 

ううーむ、いいのか?確かに古流で「そくいつけ」と言って、つばぜりの体制から相手を離れられないようにして、両者からみあったまま最後は相手を地面に押さえ込んでしまう、という技がありますが、現代剣道ではそんなことしてもせいぜい反則を取られるくらいだし。

竹刀の先端から物打ちが交差するくらいの距離が基本の間合いです

 

 

切っ先三寸の距離がないと、十分な技はなかなか出せません。遠すぎてもだめですけど。

でも、近くでからみあっていれば、相手からも技を食らわなくなるわけで。試合終了近くに一本先取した場合など、そのままつばぜりにもちこんで時間切れまで逃げ切る、という試合テクがあるくらいです。

さて、今回の韓国選手ですが、スポーツとしては一つの戦略ですが、古来の剣道・剣術とはかけ離れたものになってしまっているのでした。

そういう偉そうなことを書くお前は剣道範士か?

すみません「兵法二天一流剣術」の「初目録」です。というぜんぜん大したことない免許ですが、ぜんぜん剣道やったことのない素人でも、「これじゃあやばいよねー」と簡単に言える状態になっているのです。

上記の写真をちょっとアップ。

 

 

もし、これが竹刀じゃなくて刀だったら?

韓国選手は横首、あるいは右手首をスパッとやられて、ギエエエー!と血煙りに沈んでいるところです。(ちなみにこの写真では、刃すじは手首に向かってますね)

つまり、肩と手を使って相手の刀(刃)を抑え込むという、どんな素人から見ても一目瞭然の、真剣勝負ではあり得ない動作になってしまっているのです。

スポーツ剣道としてのルール上、相手の首に刃筋を当てたり、手首を単に刃の部分で抑えただけでは一本にならないので、韓国選手のようになりふり構わず試合を硬直させて、あわよくば反撃を、みたいなケースが出てきてしまうようです。

要するに竹の棒を当ててポイントを奪い合うという競技で、ポイントにならなければ刃筋もへったくれもないじゃん?同様に、ポイントになりさえすれば、どんなことしたっていいじゃん?

勝って実績を作ることしか考えない「悪知恵」全開になっています。

ううむ韓国の人たちごめんなさい、でも、これって韓国だけじゃなくて、オリンピックでも、試合以前に段ボールベッドの上で「ぎゃははーこわれろこわれろー」と大勢で飛び跳ね。ばかん、ぐしゃしゃしゃー!わああいー壊れた壊れたー!という動画があり。

小学生かお前ら?

イスラエルの選手、五輪選手村のベッドに9人で乗って破壊する動画を投稿し謝罪 一方で「寧ろ耐久性の証明になった」との声も

 

 

というような事例が頻発しています。

さて、ベッドで飛び跳ねるというような行いを、アイルトン・セナやペレ、日本でいえば王選手やイチローがやるでしょうか。

「コロナで命を犠牲にしてもいい」と出場したオリンピックであれば、これからも大事な試合が控えている状況で、もし転倒でもして足でもくじいたら?とか考えないのでしょうか。また、そんな暇があったら、周囲の選手の見るべき技の研究、自分自身の技を最高の状況に持っていくためのチューニングなどで精いっぱいとなり、別に王選手までいかなくても、まともな選手であればこんなバカなことはやらないと思います。

まるでコロナ感染への配慮もできない、三流のならず者たちが、オリンピックという見世物小屋でギャラ(あるいは何らかの褒賞)をもらうために、心にもない「命を犠牲にしてもオリンピックに参加する選手」を演じさせられてストレスがたまり。ガス抜きしている場面をバカッターしちゃった、という感じにしか見えないのはなぜでしょうか。

このケースは、単に知能が低いだけとの理解ですが、韓国の場合、「韓国は日本の被害者だ」、「韓国は日本に絶対勝たなければならない」そして「日本相手なら、どんな手段を使ってもいい」という恐ろしい呪縛によって「悪知恵を働かせなければならざるを得なくなっている」のかもしれません。

「剣道であるかどうか」は二の次になってしまい。とにかく勝てさえすればいい。

反日思想というスケープゴートの存在により、韓国の一定の人たちが良識、思考といったものを麻痺させられてしまっている。

剣道に限らず、サッカーでも、勝てない場合は、試合が終わって握手を求められてもすねちゃうとか、全然すがすがしくない場面が発生し。

https://news.yahoo.co.jp/articles/656c6cc29725fc8e09b252e904388f0a378078af/images/000

 

 

この記事は、韓国の悪口を書くために書いているのではありません。

韓国の一部の人たちの行いから学ぶべきものは何か、という意味で書いています。

韓国の人が極悪人、という事ではなくて、上記の呪縛によって、良識のない行いをするよう追い込まれてしまっているのだと理解しています。

さて、日本は?

日本人の模範となるべき、とは言わず、日本という国の一つの「要約」「集約」である日本政府は、日本及び世界の重大課題であるコロナ対策について、こんな感じです。

出展:https://note.com/hyamaguchi/n/n0c60c7292ec3

 

 

何をしたらよいのかわからなくなっており、なんでも中途半端。アクセルとブレーキを両方踏む状態となっています。

自分の意見を確立できないでいる日本人は、自分以外の「権威」がうまく何らかのスケープゴートを見つけてしまったら、それに誘導されて「韓国化」してしまわないか憂慮しています。

さて、自分の方向性をしっかりもった場合としての、よい例はないのか?

ありました。

やっぱり剣道世界大会ですが、ルーマニアチームそして日本チームがあり。

動画はこちら:https://www.youtube.com/watch?v=X2Rkcqe331U

まずルーマニアから。

ルーマニアも日本も、つばぜりで試合をスタックさせるという事は全くせず。

下の写真は、つばぜりから、日本選手が一瞬で後ろに飛び下がり、同時に相手の面を打ったところ。

これは「引き面」といってわりとポピュラーな技であり、つばぜりの場面で多用されますが、技能に勝る日本選手が見事決めたのは当然として、ここではルーマニアの選手に注目ください。

 

 

面をくらいながらも、果敢に前進しています。

剣道では、前進し、体の中心からずらさないまっすぐな技が至上とされます。引き面もありますが、引き技は近間で膠着して、仕方なく、というたぐいの技であって、本来は一足一刀の間合いから、堂々と攻め勝って真正面の中心から打つ、というのが基礎であり奥義であり。相手がまっすぐ打ってくるのを、ちょっと2寸(6センチくらい)横に自分の体をずらして、斜め横から打つ、というのは確かにありますが、なるべくならやらないほうが良い。引いて打つ、というのも同様。

こちらの動画を見ていると、解説者が「ほんとうによく引き面が決まりますねー(3:44や5:47)」と感心していますが、そもそもルーマニアでは、あまり引き技をしていないのではないかな?まさに「なぜかわからないのに打たれている(6:00)」状況だったりして。

でも、それじゃ日本はあまり褒められない勝ち方ですねー、格下相手だったら、出頭面で勝つとかできないかなーとおもったら、大将戦で、見事前へ出る面二本で勝ちました。

 

 

大将戦の「横綱剣道」で、相手チームに模範を示した日本。そして、ひるまず、前に出る果敢な剣道のルーマニア。こういう試合が、勝った負けたではなく、剣の理念を修練し、心身を錬磨し、礼節を尊び、信義に重んじ、そして自他の繁栄につながる、そういった精神をもつ人々の育成につながると思っています。

ではでは。。。

Posted by 猫機長
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日本では食べられない日本食のお話

今回のお話は、フツーな日本食のお話ですが、実はあまりフツーではなく、たぶん日本では食べることのできない、ふしぎな日本食のお話をさせていただきます。

◎Yakissobaソース

みなさんも、油がぎらぎら、食欲をそそる五目焼きそばやソース焼きそばなど、焼きそばは大好きと思います。

ソース焼きそば

出展:https://www.news-postseven.com/kaigo/wp-content/uploads/2021/11/yakisoba_38.jpg

 

 

ブラジル人も焼きそばが大好き。というわけで、中華レストラン、日本食レストランでの大人気メニューであるだけでなく、家庭でも作ろうよ、という事で麺やソースがスーパーなどで売られているのでした。

さて、麺です

 

 

ううむ、自信作の焼きそばではあるのですが。。。。

-Largo、という記載あり。幅広の麺、という意味ですが、そんな焼きそばあったっけ?

リングイーネ(Linguine)のノリらしい (Pixabay 無料画像)

 

 

-あと、光→Light→ライトな→Karui(軽い)というなかなかおつなキャッチコピーがあるのですが、こちらの説明は別記事「謎のパスタ、その名は「手巻き」」に書いたので、読んでね!

ちなみに、麺の調理法ですが、蒸すのではなく、ゆで麺です。

はやくも怪しいブラジリアン焼きそば。めげずにソースで行ってみます。

ブラジリアン焼きそばソース

 

 

写真だとわからんかもしれんが、日本の焼きそばソースと、違うとは言わないけれど、同じとも言えないのですよねー

と、いうのも、ブラジルにおける焼きそばのスタンダードが「あんかけ焼きそば」であるという恐るべき事実があり。

本家日本のあんかけ焼きそば。

出典はhttps://nagatomo.rumieru.jp/menu-list/%E4%BA%94%E7%9B%AE%E3%81%82%E3%82%93%E3%81%8B%E3%81%91%E7%84%BC%E3%81%8D%E3%81%9D%E3%81%B0/

 

 

というわけで、たしかに焼きそばソースではあるのだが、ソース焼きそばのソースではなく、あんかけの「あん」をイメージした独自開発のソースだったのでした。

というわけで、さっそく調理してみます。

なんて実は調理なんておおがかりなものではなく、沸騰したお湯に上記のKarui麺を入れて、6分くらいかな?アルデンテになったら、水を切ってお皿に盛ります。

 

 

その上に、上記のYakissobaソースをかければ、あんかけちっく素焼きそばの出来上がり。

まだちょっと硬かったかな?

 

 

というわけで、焼きそばなのにいちども焼かないという、ふしぎな焼きそばなのでした。

なかなかおいしいですよー、中華屋さんの焼きそばとは、はっきり言ってかなりちがうけれど。。。。

 

 

◎「おさび醤油」で食べるトロピカルフルーツ

以前の記事で、ブラジリアンわさびすなわち「おさび」について記載しました。

 

 

今回は、この「おさび」と醤油でトロピカルフルーツの刺身をいってみます。

なお、トロピカルフルーツいろいろについては、別記事で書きましたので、そちらも見てね!刺身にできるトロピカルフルーツはココヤシとアボガドですが、今回はアボガドを代表選手に選んで進めます。

といって、何の変哲もなく、アボガドの実を切り刻んで、そのまま食べます。

ワサビ作りすぎ。泣きました

 

 

アボガドは水分が多いのと、独特の臭みがあるので、多めのワサビで、ちょうどよく中和してあっさり風味になりました。写真のは作りすぎたけど。。。

食通の人で、トロみたいだ!という人もいるようですが、たしかに言われてみればそんなかなーという感じでした。まあ、森のバターというくらい脂肪分がありますからねーでも不飽和脂肪酸といって良質のものであり、ダイエットでも大活躍しているらしい。

そんな日本食ないぞ!アボガドなんて日本にないじゃないか!という人に:沖縄ではちゃんとココヤシやアボガドがありますよー

◎Sushiソースで江戸前だ!

今度は正統の江戸前寿司でいっています。なあんてスーパーの日本食売り場で買ってきた、まあコンビニのお寿司みたいなものですけどねー。アニサキスは大丈夫だろうか?ガクブル!

で、Sushiソースです

オーガニック食品などを揃え、客層も富裕層ちっくな人が多い、意識高い系のスーパーで売っています。

 

 

またしてもKaruiブランドでした。

このソースのウリは、すでにワサビがブレンドされた、ワサビ醤油に匹敵するソースだぞ!ということらしい。

確かに、前回ワサビつくりすぎてひどい目にあったので、自動的にブレンドされていればいちばんいいですねー、ということで、さっそく試してみました。

 

 

のり巻きに囲まれた四角い区画の中に、かなりなみなみと注ぎ込んでいますが、写真では見えにくいですねー

結論:フツーの醤油と全く変わらず。ぜんぜん辛くなかった。。。。

◎南国の醤油

ブラジルは、アメリカと並んで世界の1,2位を争う大豆生産国であり。みそ、とうふなど、フツーにスーパーで売られており、ブラジル人にも浸透している。

なのに、なぜかココナツ製の醤油を発見?

 

 

それこそ戦時中のラバウルかなんかで、補給が途絶えた!しかたなく。。。。。ならわかるのですが、いくらでも安い醤油を売っているスーパーの、その隣に、倍の値段で。。。。というふしぎな醤油です。

たしかに、石鹸でも、その辺で売っているフツーの石鹸と、ホネケーキとか言って恐ろしい高値で売っているのもあり。いわゆる「ホネケーキ醤油」とでもいうべきかもしれん。

資生堂ホネケーキ

https://www.shiseido.co.jp/sw/c/products/SWFG070410.seam?shohin_pl_c_cd=090201&online_shohin_ctlg_kbn=1

 

醤油ばなれしたまろやかさや香りで、フランス料理にどうぞ、なあんて格調高い醤油なのかも?

というわけで、その「ホネケーキ醤油」で、醤油ラーメンを作ってみました(麺はインスタント、スープはココヤシ醤油と味の素を混ぜただけのテキトーなやつです)。

 

 

結論:醤油ちっくなエグみが強烈な、カドの立ちまくりなラーメンになりました。。。。

メーカーさんごめんなさい、こればっかりは、エグみばかりでなく、むりやり合成甘味料を入れたみたいな変に甘い味になってしまい、さすがに醤油とは言えないと判断しました。「ココヤシ醤油(ココナッツアミノ)」という、新しい調味料として理解させていただきます。。。。

 

 

◎番外編その1

ブラジリア有数の日本食品店で、日本的なおにぎりを見かけるようになりました。

 

 

でも、なぜか説明文は中国語だった?まさか?中国から輸入しているのか?

 

 

◎番外編その2

同じ日本食品店で、「Ossonai」という謎の食品を発見

 

 

よく見たら、鏡餅でした。Ossonai→お供え、という意味だろう。ほんとは、Ossonae、としてほしかった。。。。

 

 

◎番外編その3

日本そのものの味覚も売っていたぞー

みょうが

 

 

どうですみなさん!サバンナのど真ん中で、こんな見事なみょうがなんてなかなか見られないですよね。冥加の至り。なんちってはいすみません。

ブラジルに移住してきた一世のおじいさん、そしてその子、その孫が「強く雄々しい 血を継いで」日本の食文化の灯を消すな、とがんばっています。

ブラジル人から見たら、なにそれ?なんのことかもわらないような、みょうが。でも、知っている人から見れば、とても大切なふるさとの味覚が、こうした日本食品店で生き続けています。

写真のみょうがも、栽培はサンパウロかな?文化としては「八重の潮路を越えて」こうしてブラジル高原のど真ん中に息づいているのですよね。。。。

この日本食品店は、他の類似店が店をたたんでいく中、逆に拡張してがんばっています。ブラジリア南部地区の。。。なんて書くとわかっちゃうかもしれん?ぜひ、今後とも、日本の味覚のリファレンスセンターとして発展していってほしいと思っています。

 

 

]◎番外編その4

みょうがを知らないブラジル人がどんなものを食べているかというと。。。。

子豚。丸焼きが有名

 

 

スーパーの肉売り場で発見。さすがにふだんはここまでいかないけれど、クリスマスから新年へかけてのパーティーとかで需要があるらしい。

◎最後の番外編

 

 

上記の焼きそば麺で、なにげにLinguine al Olioみたいにして、粉チーズで食べたら、はっきり言って焼きそばとして食べるよりおいしかったです。焼きそばとしてもそれなりにおいしいですけど。

食の民族融合ですね。ブラジルに住んでいてよかったと思っています。

「茗荷より かしこさうなり 茗荷の子」

ではでは。。。

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タロットに見るアートのエッセンス

誰もが知りたい未来の秘密。運命のゆくえを紐解くタロットカードは、IT時代の今日でも世界中で親しみを持って使われ続けています。

中世から現代まで、いろいろなタロットが生まれ。一枚一枚のカードを彩るアートも、千差万別のバラエティに富んでいます。

例えば、1番最初のカード「魔術師」にしても

https://i1.wp.com/oficinadasbruxas.com/wp-content/uploads/2014/05/cartas-o-mago.png?ssl=1

左から、ウエイト版、エジプト版、神託のタロット

 

 

和製の「軍国百人一首かるた」みたいなのもあり。

http://cosmosmococo1689.blog.fc2.com/blog-entry-4.html
 

 
名前からしてアートです、みたいな「アールヌーボー版」なんてのもあったりします。

 

 

時代や地域によって変化する美的感覚で、いろいろなタロットがもてはやされてきました。今日の日本でもてはやされるタロットは、たぶん上のアールヌーボーとか、こんなのではないでしょうか?

https://www.illust-factory.com/sample_a47/

かわゆい猫タロット

 

 

一方、浮世絵の美人と、現在の美人のイメージが必ずしも合致しないように、時代時代の美的感覚にマッチしたタロットは、時代が変わればあまり顧みられないようになり。代わって新しい時代にマッチしたカードが登場。

現在ポピュラーなカードがウエイト版との理解です。「1909年にロンドンのライダー社から発売され、イギリスでタロットと言えば、ほとんどこれを指すほどになった(Wikipedia )」など、いくつかの国では代表的なタロットの地位を築いているようです。

一方で、「1650年頃(Wikipedia )」と、現在とは美的感覚も相当違っていたはずの時代に生まれながらも、多くの愛好家から「タロットの源泉」「あらゆるタロットの中で最も本来の姿を保っている(Wikipedia)」すなわち「本物のカード」として、現在でも主役の座を明け渡さない、すごいカードが存在します。

それが「マルセイユのタロット」

 

 

マルセイユのカードは、絵柄はちょっとおどろおどろしいけれど、圧倒的な迫力をもって迫ってきます。「猫タロット」が、かわいいいいいい!だけど、「かわゆい」の一言で終わってしまうのに比べ、マルセイユのほうはカードをめくる一人一人に、魂の奥底から揺さぶるようなインパクトを与えています。そして、カードの奥底から放射される恐ろしいエネルギーをもって、観る人を虜にしてしまう。そんな魔力を秘めたカードです。

その魔力は、どこから出てくるのでしょうか。

マルセイユのカードがアートなのは、マルセイユがアートになろうとしなかったことこそにその源泉があるのだと思います。

以下、マルセイユ版「魔術師」についての考察です。

机の上に、ナイフやコイン、カップなどが並べられています。

これらの品物は「火・風・土・水」すなわち万物の元であり。魔術師が若者であることとともに、「すべてのスタートであり、無限の可能性が広がっていますよ」という意味なのです。

ここで、他の版との違いが浮き彫りになります。ウエイト版のように、比較的忠実に机の上の物品、つまり「どのような存在にも変化しうる未来」を示したものもあれば、猫タロットみたいに机(変化が起こる、スタートの場所が用意されましたよ、というメッセージ)が最初から無い、なんてカードもあります。同様に、アールヌーボーも、アートとしては美しいけれど、美しい青年とその付属物の絵、になってしまっていて、マルセイユ版のような生々しいメッセージの提示はなくなってしまっているのでは?と思います。

まあ、マルセイユ版を使い倒して、そのうえで他のカードを使うなら、例えばエジプトタロットの机にある壺は要すればカップであり、神話タロットでお兄ちゃんが持っているろうそくは、本来であればワンドなんだな、と合点がいくものと思います。

つまり、マルセイユ以外のタロットは、マルセイユにインスパイアして、見栄えをよくした各時代のポップアート、という事なのかもしれん。

いわゆる一つのポップアートの金字塔として「50年代アメ車」があります。

平べったく巨大な車体と、巨大なテールフィン

画像出展はいずれもhttps://web.motormagazine.co.jp/_ct/17440107/album/16798476/image/16928828

 

 

つまり、50年代では、こうゆう走行性能とはあまり関係ない、巨大な、装飾でゴテゴテの車が「かっこいい!」日常の足だったわけで。

でも、今日では「博物館で見る美しいクラッシックカー」ではあっても、これで日常的にスーパーにお買い物、というのは、ちょっと抵抗があるのではないでしょうか。

一方で、さらに前の1930年代に作られたのに、多くの国々で、まだまだ日常の足として「おしゃれだね」という車が存在しています。

このブログの読者であれば、すでにお分かりですよね。。。。

世界の名車かぶと虫。

パン屋さんへ行ったら、もう一台、うすこげ茶?のが駐車していました

 

 

かぶと虫には、50年代で流行したテールフィンはないけれど、テールフィンの流行が去っても、車としてのエッセンスはずっと持ちづつけていたので、今日まで現役で残り。街角でちょくちょく見かけます。部品とかもフツーに生産されていて、これは工業面から言えば画期的な現象らしい。

マルセイユ版タロットが今日まで残っているのも、すべてのタロットの源泉となるエッセンスが隠されているからと理解します。どんなエッセンスがあるのか?そしてどこに隠れているのか?

マルセイユ版と、ウエイト版を見比べてみましょう。

 

 

ここでは、マルセイユ版のおにいちゃんの帽子に注目してください。

なかなかおしゃれな帽子じゃん?いえいえアートな帽子を目指しているのではなくて、∞を図案化しているのです。

∞すなわち「無限大」。そんなわかりにくい「絵解き」にしないで、ウエイト版みたいに、兄ちゃんの頭の上に∞と描けばいいじゃん?

いえいえそういうわけにはいかないのです。

マルセイユ版が成立した時代は、中世の封建主義から大航海時代の絶対主義王権が確立されていった時代であり。教会あるいは絶対君主がキリスト教の名において独裁的な政治を「合法化」していました。

この時代は、「神の作りたもうた秩序が永遠に続く」ことこそが正義であり。唯一ひっくり返すとすれば「終末のラッパが鳴り響く」黙示録の時代が到来した時で、いつ到来するのかは「神のみぞ知る」なので、ともかく「今日を牛馬のように働け」そして「そのまま生涯現役で働き、廃人になって死んでしまえ」という事が「キリストの教え」とされていた時代であり。

要すれば「今日と違った、より良い明日があるかもしれない」「より良くしたい」「より良くなるかどうか知りたい」などという考えは、悪魔のささやきであり、神の与えたもうた今日の境遇を、死ぬまで文句をいわずに受け入れなさい、ということである。

そういう「教義」「権威」が最も嫌うものは、まさに「人間は無限大の可能性を持つ」そして「(占い含めて)その可能性を開花させるために努力する」ことであった。というわけで、表立って∞だのと書き立てたら、ひっとらえられて火あぶりになったらしい。

この辺は、敬愛するブロ友のべるっちさんが「知ってる?マルセイユ版の愚者に0が無い理由」で書いてます。また、拙ブログの「神と人と物」のトマス・アクィナスのくだりでも書いていますので、ご参考まで。

つまり、マルセイユ版タロットが他の追随を許さないのは「必要な情報を、必要な形で」すべて含んでおり、必要でないゴテゴテした飾りは全くない、そして、出し方を間違えると、強権によって処刑されるが、しかしだからこそ人々のために本当に必要な情報をうまく「絵」という「抽象の核」に包んで教えてくれている。

こうした、一見簡略化されたような絵柄の中にこめられた真理が、カードの奥底から強大なオーラとなって、人々の魂を突き刺す。

マルセイユタロットの美を「おどろおどろしい」「生々しい」と書きましたが、むしろ、軍艦のような、極限まで鍛えぬいた結果生まれた「すさまじい」機能美と形容するのが良いのかもしれませんね。

航空戦艦「日向」。プラモの箱絵。

出展は:https://ameblo.jp/a-itougunkan/entry-12615470400.html

 

ではでは。

Posted by 猫機長
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正岡子規と西洋絵画

子供のころ、「坂の上の雲」という恐ろしい小説を読み。

文化人の描いた「文人画」 与謝蕪村「宜暁(あかつきがよろし)」1771年

 

 

ロシアにカツアゲされた日本が、軍艦や軍隊で先制攻撃して日露戦争を開始し、ロシアをやっつける、というのを書いたすごい小説です。

でも、当時はまだまだ「ジエイターイ!税金ドロボー!」の時代で、よくも軍隊が活躍して外国に攻め込むなんて小説が書けるなーなんて子供心に驚いていました。

左翼全盛の時代に小説を、となれば、主人公は「暴力装置を破壊する革命的文化人」でないと、、、と司馬遼太郎氏が考えたかどうかはわかりませんが、主人公を3名として、陸軍1名、海軍1名のほか、ちゃんと文化人も1名登場しているのでした。

子供のころは、へへんやっぱり戦前の「共産主義者排斥」が戦後は「軍国主義者排斥」になっただけで、日本ってぜんぜん変わらないな、なんてうがった見方をしていました。

ううむひねた子供だな。

長じて頭空っぽの、ぱーな大人になり。

時代は変わり、自衛隊も暴力装置ではなくなり。戦争アレルギーも治癒に向かい、「坂の上の雲」も重要な歴史文学としての地位を不動にすることができました。

ふりかえってみれば、文化人の主人公は、戦争では活躍していないけれど、日本人の思想にすごい変革を促した恐るべき人物であり、他の2名の主人公より、日本の躍進に与えた影響は、実は上なんじゃね?と思うようになりました。

その名も正岡子規

和歌(正確には俳句)の世界の住人なのでした。なお、以後、短歌、俳句などひっくるめて、この記事では和歌、と総称させていただきます。

日本の文化を代表するもののひとつに、平安時代の最高峰の一つとされる「古今和歌集」があり。

ふむふむどうゆうところが最高峰なの?

風雅な大和言葉でつづられた和歌。究極まで研ぎ澄まされた修辞(表現手法の工夫)。具体的な修辞として、掛詞(同音異義を利用して1語に2つ以上の意味を持たせる)、縁語(一首の中に意味上関連する語を用いる)などの精緻な技巧により、知的で、深遠な、常人では到達できない歌が詰まっている、ということらしい。

例えば

「吉野川 岩波たかく 行く水の はやくぞ人を 思ひそめてし」(紀貫之)

紀貫之は、この歌で、とある素敵女子に一目ぼれ!つまり「早くぞ人を思ひそめ」てしまったことについて記述しており。それが、いかにも吉野川の「行く水の早くぞ」みたいな感じです、という和歌にしたのですねー。すごいな。

百人一首にも登場。紀貫之

 

 

ここでは、「はやくぞ」が「川(かわ)」の縁語になっています。

縁語となるべき語句のリストもあり。

芦(あし):よ、ふし、ね

泡(あわ):きえ、う(浮)、ながれ

糸(いと):ほころぶ、みだる、よりかくる

岩(いは):くだける

浮き海布(うきめ):なかる、かる

浦(うら):あま、みる

などなど、果てしなく続いています。

(以上類語の出典はhttps://wakadokoro.com/learn/%E5%92%8C%E6%AD%8C%E3%81%AE%E5%85%A5%E9%96%80%E6%95%99%E5%AE%A4%EF%BC%88%E4%BF%AE%E8%BE%9E%E6%B3%95%EF%BC%89%E3%80%8C%E7%B8%81%E8%AA%9E%E3%80%8D/)

ううーむ、なんかルネサンスや古典主義系統の絵画を思い出してしまいました。

例えばこれ。

ダヴィッド「ホラティウス兄弟の誓い」1784年

 

 

この絵では、左から右へ3人、1人、3人(子供もいるけど)の均整の取れた配置、そして柱で分割された四角い荘厳な空間に、三角に両足を踏ん張ったにいちゃんたちとじっさまの剛直、安定(揺るがぬ決意)と、その後ろではおねえさんたちがへなへなと曲線で崩れて悲しみを強調しており。剣のうち1本のみがまっすぐな刀身なのは、この絵の後に戦争に出ていった3人のうち、1人しか生き残れなかったことを暗示しているらしい。

こういう、理知的な、ち密そのものの構成がみごとな調和を生み出しているというところが、洋の東西は違っても、かつ文学、美術の差はあっても、人間の到達する一つの頂点なのかなーと思ったりしました。

西洋人ダビッドが、なんか崇高なお題なのにくらべ、日本人の紀貫之さんは「お姉ちゃん、好き好きー」と、なんとも情けないですけど。

日本人って、ふしぎですねえ。

も一つ投下。このブログの読者の皆様には、おなじみの北方ルネサンスの名作。

ヤン・ファン・エイク「アルノルフィーニ夫妻像」1434年

 

 

単なる「できちゃった婚」の絵ではなくて、教養の詰まった、知的探求の絵です。例えば、お兄ちゃんの後ろ、窓際のみかんは、お兄ちゃんが裕福な商人であることの象徴とか、シャンデリアにぶら下がったろうそくが「神に祝福された結婚」を表しているとか。犬くんやサンダルもそれぞれ深い意味があり、まさに「掛詞」「縁語」の世界になっています。なんていったらこじつけすぎかな?

なお、シャンデリアについては「表には出せない黒い意味」があったりするのですが、古今和歌集では「ひねり」「くすぐり」はあっても、もっとあっけらかん(陰ひなたのない和歌)らしい。

さて、明治時代。

知識・教養を結集した西洋芸術にも劣らない古今和歌集の作品群を、正岡子規がどう発展させたかというと

「こうした和歌を全否定し、まったく新しい俳句を生み出した」ははは

子規曰く

「貫之は下手な歌よみにて古今集はくだらぬ集に有之候」

◎和歌は規則や理屈で形式ばって作るものではない。

◎和歌は知識のひけらかしでもなければ、謎解きゲームでもない。

◎掛け詞や縁語は「駄洒落」。ははは

◎現代語、漢語、外来語を用いてもよい。表現を限定するほうがおかしい。

つまりは、文壇の権威たちが「これは正しい、これはだめ」と、本質をかけ離れて作り上げてしまったヒエラルヒー、規則、基準なんて、関係ないぜー!本当の芸術は、もっと自然なものなんだ!

と豪語。

そして、「自然」な芸術とは「写生」である、という大革命を起こしたのでした。

観念ではなく写生。形式ではなく本質。

野球青年・正岡子規

 

 

Wikipediaでは、江戸時代に日本で集大成された写生の4つのエッセンスが記載されています。

◎生意(生きた感じ、生気)を把握し描写すること「生意写生」、

◎客観的正確さを主眼として描くこと「客観写生」、

◎精巧・細密な描写を行うこと「精密写生」、

◎対象の観察と同時に描いていくこと「対看写生」

これって、西洋美術でもあったんじゃ。。。。

そうなのです。

その1。印象派美術

ルノワール「ラ・グルヌイエーヌ」1869年
 

チューブ入り絵の具が生まれたおかげで、野外で文字通り写生ができるようになり。筆触分割による視覚混合で、これまでのアカデミーにおける決まりごとのお題や技法では描けなかった「光の本質」を精密に、正確に描写しています(ルノアールなりの正確さだけど)。

光の本質。印象派が写実絵画といわれるゆえんです。

ちなみに、写実でない絵がよくわかる対象例を掲載。

左はモネのThe Gare Saint-Lazare1877。右はPippo Rizzo – Treno in corsa 1929ですが、右は「未来派」といって、機関車が生み出す躍動、力、スピードそして暴力という概念をぶちまけた絵です。左は、蒸気機関車というお題を形作っているさまざまな光の粒子を写生した、概念ではなく、目に見えるままを描いた写実絵画です。

 

 

その2。超写実絵画

こちらは、あまり説明もへったくれもないですよね。。。

五味文彦 《いにしえの王は語る》 2018年 油彩・パネル

出展:https://www.bunkamura.co.jp/museum/exhibition/20_choshajitsu/

 

 

ドミニク・アングルもびっくりの精密画像。

ただ、ゆいいつ課題なのは「とにかく描くのに手間がかかりすぎる」らしい。

手間暇をかけてやっていると、どうしても一瞬の感性!というより、地道な技巧努力の積み重ね、という感じになり。言葉のあやになりますが、写「実」ですが写「生」には一歩遅れるか?

「生」つまり生意(生きた感じ、生気)の一瞬の煌めきを、すかさずとらえるには、超写実は精密すぎてちょっと、かもしれん。

正岡子規は、アカデミズムに疲弊していた(ことも自覚していなかった?)日本の文壇に、写生という革命で新時代を築き。

文字の世界に印象派と超写実を一気にもたらし、そして写生へ昇華した、恐るべき俳人正岡子規の革命的な芸術が、現在の我々の思考・性向にも息づいている、という事なのかもしれません。

最後に一句ぐらい子規の俳句を載せておきましょう

「柿食えば鐘がなるなり法隆寺」

文字一本で映像から音楽まで一気に突き抜け。すごいぞ子規!

ではでは。。。

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アフガニスタンと八百万の神々

アフガニスタンでタリバン政権が復活。厳格なイスラム教神学校を起源とするタリバンは、イスラム教を至上とする統治を宣言しました。

女性の権利など、自由世界とは相いれない価値観もあり、アフガニスタンから脱出する人たちも続出。

21世紀の現在で、アメリカ式資本主義の国が、あっというまにイスラム原理主義の国に「あと戻り」なんて、信じられんぞ?宗教をすべての根本とする国が、AI時代の今日、ほんとに存在できるのか?

「八百万の神々」、お盆とクリスマスが共存する、なんでもあり、言い換えれば宗教心なんてあってなきがごとしの日本人からみれば、とても信じられないと思います。

でも、ちょっと考えれば、日本が例外であって、キリスト教、儒教、仏教といった宗教が、いまだに世界の国々の成り立ちの根底にあるのです。

ヨーロッパやアメリカ、中南米など、キリスト教圏の国では、人々は日常的に「おお神よ」など無意識に言葉に出しており。天使や聖人がてんこ盛りで登場する西洋絵画も、日本人からみればちんぷんかんぷんですが、西洋人から見れば、あこの絵はユリを持った天使つまりガブリエルが青い服を着た素敵女子つまりマリアに話しかけている。「受胎告知」だな、と自然にわかるのです。

ダヴィンチ「受胎告知」

 

ルネサンス以降、西洋人は知性の光で聖書の解釈を「改良」し現実世界に順応させていきましたが、源泉はキリスト教の教義であることに変わりはなく。

アフガンの人たちから見れば、アメリカの駐留は、イスラム教の劣化版?であるキリスト教の教義に基づいて、人権だの平等だのと心地よい言葉を隠れ蓑に、物質主義・拝金主義の笑止千万な思想を押し付けたにとどまり。タリバンの返り咲きは、人権とかの概念が自由世界とは違った部分のある風土に、その風土が許容する価値観を持った支配者が結局戻ってきた、という事かもしれません(穏健派のイスラム教徒で、タリバンなんて邪教だ!という人もいるでしょうが)。

日本の場合、もともと宗教心をあまり持たない、どんな外来思想も取り込んじゃう柔軟な国民が、太平洋戦争終戦後のアメリカ進駐軍により「北朝鮮もびっくりの軍国主義」から解放され、自由と繁栄を謳歌し、世界有数の先進国になることができました。この点素直にアメリカ的思想を受け入れられなかったアフガニスタンは不幸と思います。

宗教に凝り固まっていなかった日本は、進駐軍のキリスト教的自由、平等、博愛の思想を柔軟に吸収できた

 

アフガニスタンにしろ、欧米にしろ、なぜ今日まで宗教が人々の魂の奥底に宿っているのか。

これらの地域では、中世ころまでは、信心深くないと生き延びることができなかった。その結果、生き延びた人々の子孫も、DNAに宗教がしっかり刻まれている。という事なのだと理解します。

イスラム教が典型的であり。豚は食うな、など、中世の医療では治療できなかった寄生虫病等を確実に防ぐ戒律になっており(豚と人間の食料競合もある)。今日では女性差別ととられるヒジャブ(ベール)ですが、元来は粗暴な男たちから女性を保護する手段だった(というのはオブラートに包んだ言い方で、実はもっとえげつなく。砂漠地帯での人口爆発を防ぎたかったらしい)。マホメット時代、「石と砂漠のアラビア」で、最も実利的、効率的な生き方をまとめた「生活の指南書」がコーランであり、戒律を守らないと寄生虫で死んじまったりとかするので、みな進んでイスラムを信じるというDNAが継承されている。

*ちなみに、預言者マホメットは「ネコを大切にしよう!」といっています。

欧州では、王権と教皇権が権力を二分した、という特色があり。教皇はお祈りばかりのはずなのに、「カノッサの屈辱」で王様にざんげさせたりとか、なんでそんなに強いんだ?

カノッサの屈辱。跪いて教皇に許しを請う神聖ローマ皇帝(1077年)

 

教皇の強さは、ヨーロッパ形成期に、王様が勝てない恐ろしい敵に勝ってヨーロッパを救ったという事件から始まっているようです。キリスト教を信じていたから救われた。でなければヨーロッパが全滅し人々は死に絶えていたかも?

それは「アッティラ大王の侵入」

西暦400年ころ、フン族がヨーロッパを蹂躙し。

騎馬民族の常で、多数の部族が内輪もめしているが、ひとたびカリスマが現れ、統一すると無類の強さで世界を蹂躙する。1200年ころのジンギスカンが有名ですが、その一昔前、ローマとゲルマンがごにゃごにゃやっていたローマ帝国末期にも、アッティラ大王が現れ、西欧滅亡か?という非常事態が発生しました。

アッティラ率いるフン族は、ローマもゲルマンもいっしょくたに撃破。434年から445年のたかだか11年の間にライン川、ドナウ川、カスピ海にまたがる地帯を蹂躙し。栄光の西ローマ軍は、なさけなく連戦連敗、総崩れとなり。ローマ皇帝ヴァレンティアヌス3世は、ヴァレンナというところに逃げ込み、ガクブル!なすすべもなく震えていました。

侵略は残虐を極め、人々はアッティラ大王を「神の災厄」「神の鞭」と呼び。もはや人間ではなく、B29やゴジラをはるかにこえた悪魔・バケモノとして恐怖におののくようになっていました。

悪魔アッティラは、西欧を滅亡させるのか?

その一歩手前の一夜。夕餉の祈りをささげていた教皇レオ1世の頭上に、まばゆい光が!

奇跡の光にひれ伏すレオ1世。

その光、すなわち天にましますキリストの父、全知全能の主エホバは、神の代理人レオ一世に命令を下しました。

「聖ペテロと、聖パウロの精霊を伴い、悪のルシファー・アッティラを退治せよ」

主からの啓示を受けたレオ一世は、さっそうと白馬にまたがると、凶暴な騎馬軍団の先頭で、まさに攻撃を下令しようとしていた極悪非道のアッティラ大王の前に進みいで。

ラファエロ「レオ一世とアッティラの会見」

 

「悔い改めよ。侵略をやめ、立ち去るならば、神の慈悲によって許されるであろう」

その時、アッティラは見たのです。教皇の背後からまばゆい光につつまれて浮かび上がる聖ペテロと聖パウロを。

奇跡の光に耐えられなくなったアッティラは、思わず軍を返し、聖なる光につつまれながら、立ち去ったのでした。

ええええーそんなのあるわけないじゃん!いやいやあったんですよ。

もちろん教皇側の記載なので、神の慈悲とかになっちゃってますが、現代国語で書き直してみましょう。

「真相はこうだ」

そもそも、アッティラ側は度重なる侵攻で疲弊しており、略奪とかもするだけしてしまい実入りが少なくなっていたところで、疫病とかが発生し、そろそろ家へ帰って寝ようかな、という状況だった。

よし、その前に大仕事だ、と襲おうとしたマントヴァで、軍人には見えないふくよかなおっちゃんが、これまた戦争に関係ない僧侶の人たちと、群れを成して待っていた。

なんだこいつ?

おっちゃんは、口を開くと

「にいちゃん、聖ペテロの恵みと、聖パウロの恵みをあげるから、このへんでもうお帰り」

そして後ろを振り返り

「おう、おめえら!はやくアッティラの親分さんにお菓子をお渡しせんかい!」

へい!と若い衆が、「聖ペテロ」と書かれた菓子折りを渡すと、中には光り輝く山吹色のお菓子が!

そして、「聖パウロ」と書かれた封筒を渡すと、その中には年末ジャンボの当たりくじと、1000BTCが記録されているペーパーウオレットが!

おおおおー!

アッティラ一同大喜びで、もう侵略なんてどうでもよくなり。大判小判の輝きにつつまれながら、中央アジアへ喜び勇んで帰っていったのでした。

山吹色のお菓子。http://www.tokyo-colors.com/wp-content/uploads/old_images/384_1.jpg

 

さて、実は買収だった?として、ローマ皇帝が何もできずに震えていた時に、教皇が首尾よく蛮族を手なずけた。

そして、都合がよいことに、アッティラは一年後、美女の前で鼻血を出して死んでしまい(食道静脈瘤が飲みすぎで破裂して窒息したらしい)。分裂したフン族は、再びヨーロッパを恐慌に陥れることはなくなったのでした。

ペシカ・フェレンツ 「アッティラの死」

 

この結果、キリスト教がヨーロッパを救った、という紛れもない事実がここに生まれ。

これを見たゲルマン族は、続々とキリスト教に改宗するなどをはじめ。

神の代理人、教皇が無類の力(パワー、フォースいずれも)を持つ存在として確立し、その源泉となるキリスト教は、ヨーロッパの人たちの魂の奥底に刻まれることとなったのでした。

タリバン国家が、宗教ファーストだね、へんだね、という認識は普通と思いますが、現代西欧先進国の常識は?じつはこちらもキリスト教ファーストだったんじゃ?と一歩下がって見つめることが、世界を理解し平和を考える(促進するといいたい)ために重要と思っています。

ではでは。。。

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東京オリンピックが残したもの

「敗者にはなにもやるな」—ボクシングで有名ですが、ビジネス化したスポーツで全般的に言える言葉だと思います。

勝利の一言がすべてを正当化する世界。オリンピックやワールドカップというイベントでいかにアピールするかで今後の収入アップが影響されたりするので、選手たちは、スポンサーに見放されないよう、必死になって勝ち負けを競った。

ヴィットリオ・コロナ 障害物競走

 

◎「勝利」という絶対唯一の正義にしがみつかざるを得ない選手たちの、血も涙もないボコりあいをネタに金を稼ぐ某貴族やプロモーター企業、そしてこの「錬金術システム」の「ルール・プログラム」に同意して富と名声を勝ち取ろうとする選手たちによる世界最大級のイベント・ショービジネスになったオリンピック。

◎自然災害や、放射能対策、そして感染症など、国家を揺るがす問題から国民の目をそらし、国民の苦しみを麻痺させたうえで、メダルラッシュで「国威発揚」そして「強い繫栄した国」「優秀な政治家」の名声をゲットする政治家。

という、「正義の仮面の裏で、実はこれ以上ない政治的・経済的な汚濁にまみれた市民誘導のための手段」としてのオリンピックが浮き彫りになった恐るべき実例となっているのではないでしょうか。

もちろん、すべての選手がこの政治経済ゲームに汚染されているわけではなく。

前回のオリンピックですが、女子の5000メートル陸上で、2人の選手がからみあうようにして転倒してしまい。そのうち1人は足をくじいてしまい、普通ならギブアップのところを、もう一人が手を貸して助け起こすなど、励ましあってゴールまで走り切った、という場面もありました。

詳しくはハフィントンポストご参照:https://www.huffingtonpost.jp/2016/08/17/olympic-runners-crashed-together-willed-each-other_n_11577216.html

 

今回のオリンピックでは、競技以前の段階から、スポーツマンとは言えないような行為が頻発し。

◎選手団が泥酔し、選手村のベッドや壁を破損

◎大会中盤には、陽性者に隔離施設から無断外出される失態も犯した

◎選手村を無断外出しての東京タワー観光や買い物など、都民や国民に約束していたバブルも守られず。

以上「日刊スポーツ」より。https://www.nikkansports.com/olympic/tokyo2020/news/202108080001162.html

 

今回のオリンピックを一言でいうと「敗北五輪」。

もともとは、「復興五輪」のはずだった。しかし

「菅首相は東日本大震災から10年を迎えた3月11日、献花式で「復興五輪」に一切言及しませんでした。(しんぶん赤旗)」

「どこが復興五輪?「被災者は今も放置」残酷な現実—コロナだけでなく原子力緊急事態宣言も発令中(東洋経済)」

実は「復興」なんてオリンピックを正当化するための隠れ蓑に過ぎず、利用価値がなくなればとっとと捨てよう、ということなのでしょうか。

シスレー ハンプトン・コートのレガッタ

 

その次の「五輪はコロナに打ち勝った証し」ですが、実は打ち勝つどころか、日本の金メダルラッシュと相乗するかのように感染者数も激増してしまい。

そもそも「感染者はいなくなりました。有効率100%で副反応も軽微なワクチンと、特効薬も開発され、外国から誰でもいつでも入国OKです。いやいやコロナなんて、やばい過去もあったね」という時に開催して初めて「コロナをやっつけた記念のオリンピック」になるわけで。

日本国民は従順に服従していますが、コロナ患者が激増しても、感染した人を強権的に自宅に監禁し、救急車は受け入れてくれる病院が見つからずたらいまわしという、事実上の「目隠しした医療崩壊」になっており。オリンピックは、これ以上ない目隠しだ!となっていないでしょうか。

だから、「敗北五輪」というのです。

 

「敗者にはなにもやるな」といいますが、今回は「選手村を無断外出しての東京タワー観光や買い物」により東京中(つまり日本中)にばらまかれた得体のしれない変異株による感染爆発の懸念という贈り物が来てしまいました。

ライエンデッカー ゴルフやテニスをする淑女たち

 

ところが。

「神の国は敵のただなかで権力を握る(詩編 110:2)」ではないですが、こうした「オリンピックの仮面をかぶったオリンピックでないもの」になろうとしているオリンピックを根底から覆す事件が発生。

その名も「スケートボード」

12歳ぐらいの少年少女が多数出場し。

日本の少女が、演技に失敗し、泣き崩れてしまったが、ライバルたちが駆け寄って胴上げして励ました、というところに、この競技のエッセンスが明確に表れています。

https://news.yahoo.co.jp/articles/0c3b8ab860752b8405f304cba5b7b70f7062c493

 

ライバル、といっても、年端もゆかない少年少女です。

そして、彼らのえがお。メダルも、年俸もへったくれもない、遊んでいる少年少女の笑顔です。

銀メダルで取材を受けた少女の一言が、この競技の本質を象徴しています。いわく

「「楽しもうと思っただけ。女の子同士で遊んでいたら、表彰台に立つことができた」と自然体で話した。(読売新聞オンライン)」

上記で胴上げにはにかむ日本の少女になると

「「目標は金メダルではなく、自分のルーティンをすることでした」(日刊スポーツ)」

と、いかにもまじめなコメント。日本人ですねえ。

 

しかし、この2つのコメントが、「失われたオリンピック」を如実に表しているのではないでしょうか。

日刊スポーツ「「国も順位もなし」がスケボーの常識 このカルチャーで五輪が変わる」(https://news.yahoo.co.jp/articles/0c3b8ab860752b8405f304cba5b7b70f7062c493)

にこの辺を見事に指摘しており。抜粋すると

◎スケートボードに順位はない。スケーターにその意識は薄い。

◎大会で、ある選手が大技に挑んだ。失敗して滑走を終えると、他の選手たちが「もう1度」とばかりにボードを鳴らす。観客も呼応して歓声をあげる。再度大技に挑戦して失敗、さらにもう1度…。5度目くらいで成功すると、優勝者以上の拍手と歓声が起きる。もちろん、競技は中断したままだが、オフィシャルもやめさせようとはしない。(抜粋終わり)

https://www.yomiuri.co.jp/media/2021/05/20210526-OYT1I50065-T.jpg

 

出場者みんなが協力して、人間としてできる最高の技に到達することで、体育という面から人間の進化を促進する、そして、参加するのは「同等者の中の第一人者(Primus inter Pares)」であって、ドーピングなどで家畜化(特化)されてしまった人造人間ではない、街角のフツーの人たち、という、人類が忘れてしまったオリンピックがここにある。

 

もちろん、第一人者になるには想像を絶する努力がなされていますが、重要なのは「楽しもうと思っただけ。女の子同士で遊んでいた」の言葉であり。

成功へは、苦しまないと到達できないんだ、と人々を洗脳して、苦しみぬかせて搾取しようという、社畜養成の世界とは対極にあるのです。

 

ここでいう楽しむ、というのは、周りに迷惑をまき散らしてはしゃぎまわる、というのとは違います。むしろ、周りから見れば、恐ろしいハードトレーニングだ!ですが、やっている本人は夢中になっていて、苦しみにはなっていない。(練習のあと、死にそうにばてていることに気づく、なんてのはあると思います。ははは)

 

一方、これらの選手の中には、年収1000万円をスポンサーなどから得ているという少女もあり(出展:https://celeby-media.net/I0003174)。巨額の資金が動いています。お金で家族ともども生活が楽になった、という少女の例もあるのでプラス面もあるのですが、今後の推移を懸念するものでは、あります。

少女選手。「競技で得た賞金を家族のために使い、立派な家に引っ越しをさせたという(レッドブル)」

https://www.huffingtonpost.jp/entry/story_jp_60fe4b59e4b0a807eeb37b96

 

最後に、この記事を書くことができたのは、

確信犯的スーパー勘違い(https://ameblo.jp/sugiokakazuki/entry-12691347462.html?frm=theme)というすごいサイトで、スケートボードについて紹介している「褒め称え合う競技「スケートボード」(https://ameblo.jp/nishitaka217/entry-12690560907.html)」のリブログがあったためであり、この場で両サイト主様に感謝させていただくとともに、引用、リブログさせていただきます。

ではでは。。。

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神と人と物。西洋美術と哲学で暴く人類のゆくえ②

それでも地球は回る

前回では、トマス・アクィナスが、キリスト教の信仰つまりおとぎ話の世界と、イスラム世界から逆輸入された冷徹な哲学をうまく融合させたことを書きました。

「うまく融合」なんて書くといかにもさらっとしていますが、「目に見えない信仰のみがすべて」であった世界に、「科学・論理の世界も認めてあげるよ」という、それこそコペルニクス的な転回でした。

それ以前は、神という想像上の存在が真実であり。絵画も、ウナギイヌみたいなファンタジーにならざるを得ず。

ウナギと犬が合体した想像上の「怪獣」ですが、「聖書」の世界で、神と人が合体した想像上の「怪人」イエス・キリストが実在となっているのと同じくらい、「天才バカボン」の世界では実在の生き物になっています。

(*イエスという個人の実在という意味ではなく、「神とその子」という概念の話です。)

栄光のキリスト 1123

細部をアップで見てみます。

赤塚富士夫ちっくな表現です

 

一方、トマス・アクィナスにより存在を認められた科学的な人間は、目に見えるものを、目に見えるとおりに、科学的に描くことができるようになりました。

ボッティチェリの「トマス・アクィナス」。美術も池上遼一ちっくに変身。

 

その後ルネサンスに至り、人間は人間自身を人生の主題にすることを覚えた。

ルネサンスといえばフィレンツエ。

その繁栄を築いた恐るべき人物に、「ロレンツオ・デ・メヂィチ(イル・マニーフィコ。1449 – 1492)」がいました。

ロレンツオさんの有名な言葉は

「人はいつ死ぬかわからない。朝起きて今日も命があったと思う。だから、今日、精一杯生きる。」

要するに、戦国時代です。ベネツィアだのナポリだの、やれ公国だ共和国だとイタリア中が血も涙もない闘争で、武力・経済覇権を争っていた。

フィレンツエも、諸国の侵略や領内での争いで荒みまくっており。ロレンツオさんも暗殺未遂にあい、なんとか生き延びたが、弟のジュリアノさんはあえなく惨殺され。陰惨な「毒の盛りあい」、生き馬の目を抜く激動の時代でした。

その後も教皇にいじめられるなど、ロレンツオさんは何度もボコられながらも不死鳥のように復活し。見事フィレンツエをまとめあげ、さらにはイタリア諸国家の利害をうまく調整した均衡外交で黄金時代を築きました。

プロシアの宰相ビスマルクがヨーロッパに「ビスマルクの平和」を築いたようなかんじ。ただ、ビスマルクがドイツ丸出しの軍国宰相だったのに対し、ロレンツオさんはアートでイタリアを制した僭主、というおつな差があると思います。

あれ、芸術で内乱の国々を調停して、諸国の均衡なんて実現できるの?

できました。

このへんが、イタリア、特にフィレンツエがルネサンスの中心となった秘密だと思います。

ロレンツオさんは、子供の頃のケガで、人相はかなり悪くなってしまったそうだが、見かけによらず意外に人懐こく?一般市民にも大人気だったそうです。

フィレンツエの僭主、ロレンツオ・オ・マグニフィコ。

絵の作者は不明。

 

策謀渦巻く暗闘で恐れられるメディチ家の当主が、なぜ一般に受け入れられたのか?

それが、アートつまり芸術です。

本人の名言をもう一度書きますが

「人はいつ死ぬかわからない。朝起きて今日も命があったと思う。だから、今日、精一杯生きる。」

これは現代国語での翻訳です。

原文は詩であり、

「青春はうるわし されど逃れゆく 楽しみてあれ 明日は定めなきゆえ」

です。

まさに明日をも知れぬ日々を送っていたフィレンツエの人々にとって、この詩がいかに切実な境遇をうたっていたか。

現代国語になんて直さなくても、一瞬でぴんときた。

そして、フィレンツエ一の強者であるロレンツオ・イル・マグニフィコが、一般市民と同じくらい、切実に悩んでいる。

その悩みを、一般の人では書けないようなかっこいいアートで表現し、一般と同じ方向を向いてフィレンツエの命運をかじ取りしている。

そして、血も涙もない抗争で荒み切ったフィレンツエを、(お金に物を言わせた)アートの力で潤いのある地上の楽園に変身させた。

と、ここまでくれば「ラスボス決定」ですよね。。。

ラスボス・ロレンツオは、バラまきの人気取りもやったらしく、メディチ家は家計が火の車になってしまうのですが、そのやりようもアートしていました。

フラ・アンジェリコやボッティチェリに、ミケランジェロだのダヴィンチだの、イル・マニーフィコ(ないしはメディチ家)から援助などを受けた巨星が多数おり。フィレンツエからの芸術家のイタリア諸国への派遣はルネサンスでの重要な貢献をなしたらしい。

フィレンツエは、現在に至っても「町全体がアートの宝庫。巨大な美術館」になっています。

この点、「御茶湯御政道(おんちゃのゆごせいどう)」といって、豊臣秀吉が茶道をもって政権を強化したのと似ているかも?でも、秀吉の場合は、ギラギラと茶道・茶器の政治・経済利用に走り、アートな部分は利休に任せきりだったのに対して、マニーフィコのほうは、子供の頃からアート大好き。「今日も生きてたぞー!ざまーみろ!」のほざきも「青春はうるわし されど逃れゆく」なんてアートにしちゃう、というか、凄惨な生存競争を生き抜くものすごく実利的な生き方をアートに表現することで、「人間として目覚めたがゆえに神の保護を失い、途方に暮れていた」ルネサンスの人々にモデルとなる生き方を提供した、ということなのだと思います。

というわけで、ルネサンス美術いろいろ。

ボッティチェリ 春 1482

いちばん左でみかん(雲という説もある)を突っついているにいちゃんが、メヂィチ家のメンバーという噂あり)。

 

ボッティチェリ ヴィーナスの誕生 1485

上記で惨死したジュリアーノさんがぞっこんになっていた、シモネッタ・カッタネオ・ヴェスプッチさんを描いたそうです。

 

ボッティチェリ 東方三博士の来訪 1476

メディチ家の新旧当主などが三博士など主要人物になっています。一番右はボッティチェリの自画像らしい。

 

ボッティチェリばっかりになっちゃった!

フラ・アンジェリコ 受胎告知 1440

さすがにマリア様なので、メディチ一族の似顔絵にはなっておらず。一方、どこにでもいそうなお姉さんという、とても親しみ深い「人間マリア様」になっています。

現代風に言えば「あさりちゃん」ですかねー。

あさりちゃん。https://www.cmoa.jp/title/47290/

なんかひんしゅくを買いそうだ。エロディ・ブシェーズにしておこう。

Elodie Bouchez

https://24.media.tumblr.com/tumblr_lvffckX4h21qmemvwo1_500.jpg

 

続いてラファエロ

ラファエロ アテネの学堂 1510

ルネサンス精神の最高峰ですね、総勢で22名の身元が割れて?います。Wikipediaからの引用以下の通り。

1: ゼノン(ストア派)

2: エピクロス

3:フェデリーコ2世・ゴンザーガ?

4: ボエティウスもしくはアナクシマンドロスもしくはエンペドクレス

5: アヴェロエス

6: ピタゴラス

7: アルキビアデスもしくはアレクサンドロス大王?

8: アンティステネスもしくはクセノポン?

9: ヒュパティア — フランチェスコ・マリーア1世・デッラ・ローヴェレもしくはラファエロの愛人マルゲリータ

10: アイスキネスもしくはクセノポン?

11: パルメニデス

12: ソクラテス

13: ヘラクレイトス — ミケランジェロ

14: プラトン(自著『ティマイオス』を持っている) — レオナルド・ダ・ヴィンチ

15: アリストテレス(自著『ニコマコス倫理学』を持っている)

16: ディオゲネス

17: プロティノス?

18: 生徒を引き連れたエウクレイデスもしくはアルキメデス — ブラマンテ?

19: ストラボンもしくはゾロアスター? — バルダッサーレ・カスティリオーネもしくはピエトロ・ベンボ

20: プトレマイオス

21: プロトゲネス — ソドマもしくはペルジーノ

R: アペレス — ラファエロ

ルネサンス以降は、神を差し置いて人間の登場が許されましたが、それは許されたというだけであって、「主」は神であることに変わりはなく。メディチ家も地位を安泰にするため、ヴァチカンを買収じゃなかった支援しています。

ラファエロ 教皇レオ10世の肖像 1518

レオ10世は、他でもないマニーフィコさんの次男、ジョヴァンニ・デ・メディチ。

この構図が崩れ、「神が死ぬ」のは、産業革命以降、マルクスなど社会主義・共産主義思想が生まれるまで待つこととなりました。

今回は、いわゆる哲学者ではないけれど、ルネサンスの中心フィレンツエの人々に、生きる方向性を示した「ぼくらのリーダーロレンツオ」をもって「いわゆる一つのルネサンス哲学」とさせていただきました。

ではでは。。。

Posted by 猫機長