アフガニスタンと八百万の神々

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アフガニスタンでタリバン政権が復活。厳格なイスラム教神学校を起源とするタリバンは、イスラム教を至上とする統治を宣言しました。

女性の権利など、自由世界とは相いれない価値観もあり、アフガニスタンから脱出する人たちも続出。

21世紀の現在で、アメリカ式資本主義の国が、あっというまにイスラム原理主義の国に「あと戻り」なんて、信じられんぞ?宗教をすべての根本とする国が、AI時代の今日、ほんとに存在できるのか?

「八百万の神々」、お盆とクリスマスが共存する、なんでもあり、言い換えれば宗教心なんてあってなきがごとしの日本人からみれば、とても信じられないと思います。

でも、ちょっと考えれば、日本が例外であって、キリスト教、儒教、仏教といった宗教が、いまだに世界の国々の成り立ちの根底にあるのです。

ヨーロッパやアメリカ、中南米など、キリスト教圏の国では、人々は日常的に「おお神よ」など無意識に言葉に出しており。天使や聖人がてんこ盛りで登場する西洋絵画も、日本人からみればちんぷんかんぷんですが、西洋人から見れば、あこの絵はユリを持った天使つまりガブリエルが青い服を着た素敵女子つまりマリアに話しかけている。「受胎告知」だな、と自然にわかるのです。


ダヴィンチ「受胎告知」

 

ルネサンス以降、西洋人は知性の光で聖書の解釈を「改良」し現実世界に順応させていきましたが、源泉はキリスト教の教義であることに変わりはなく。

アフガンの人たちから見れば、アメリカの駐留は、イスラム教の劣化版?であるキリスト教の教義に基づいて、人権だの平等だのと心地よい言葉を隠れ蓑に、物質主義・拝金主義の笑止千万な思想を押し付けたにとどまり。タリバンの返り咲きは、人権とかの概念が自由世界とは違った部分のある風土に、その風土が許容する価値観を持った支配者が結局戻ってきた、という事かもしれません(穏健派のイスラム教徒で、タリバンなんて邪教だ!という人もいるでしょうが)。

日本の場合、もともと宗教心をあまり持たない、どんな外来思想も取り込んじゃう柔軟な国民が、太平洋戦争終戦後のアメリカ進駐軍により「北朝鮮もびっくりの軍国主義」から解放され、自由と繁栄を謳歌し、世界有数の先進国になることができました。この点素直にアメリカ的思想を受け入れられなかったアフガニスタンは不幸と思います。


宗教に凝り固まっていなかった日本は、進駐軍のキリスト教的自由、平等、博愛の思想を柔軟に吸収できた

 

アフガニスタンにしろ、欧米にしろ、なぜ今日まで宗教が人々の魂の奥底に宿っているのか。

これらの地域では、中世ころまでは、信心深くないと生き延びることができなかった。その結果、生き延びた人々の子孫も、DNAに宗教がしっかり刻まれている。という事なのだと理解します。

イスラム教が典型的であり。豚は食うな、など、中世の医療では治療できなかった寄生虫病等を確実に防ぐ戒律になっており(豚と人間の食料競合もある)。今日では女性差別ととられるヒジャブ(ベール)ですが、元来は粗暴な男たちから女性を保護する手段だった(というのはオブラートに包んだ言い方で、実はもっとえげつなく。砂漠地帯での人口爆発を防ぎたかったらしい)。マホメット時代、「石と砂漠のアラビア」で、最も実利的、効率的な生き方をまとめた「生活の指南書」がコーランであり、戒律を守らないと寄生虫で死んじまったりとかするので、みな進んでイスラムを信じるというDNAが継承されている。

*ちなみに、預言者マホメットは「ネコを大切にしよう!」といっています。

欧州では、王権と教皇権が権力を二分した、という特色があり。教皇はお祈りばかりのはずなのに、「カノッサの屈辱」で王様にざんげさせたりとか、なんでそんなに強いんだ?


カノッサの屈辱。跪いて教皇に許しを請う神聖ローマ皇帝(1077年)

 

教皇の強さは、ヨーロッパ形成期に、王様が勝てない恐ろしい敵に勝ってヨーロッパを救ったという事件から始まっているようです。キリスト教を信じていたから救われた。でなければヨーロッパが全滅し人々は死に絶えていたかも?

それは「アッティラ大王の侵入」

西暦400年ころ、フン族がヨーロッパを蹂躙し。

騎馬民族の常で、多数の部族が内輪もめしているが、ひとたびカリスマが現れ、統一すると無類の強さで世界を蹂躙する。1200年ころのジンギスカンが有名ですが、その一昔前、ローマとゲルマンがごにゃごにゃやっていたローマ帝国末期にも、アッティラ大王が現れ、西欧滅亡か?という非常事態が発生しました。

アッティラ率いるフン族は、ローマもゲルマンもいっしょくたに撃破。434年から445年のたかだか11年の間にライン川、ドナウ川、カスピ海にまたがる地帯を蹂躙し。栄光の西ローマ軍は、なさけなく連戦連敗、総崩れとなり。ローマ皇帝ヴァレンティアヌス3世は、ヴァレンナというところに逃げ込み、ガクブル!なすすべもなく震えていました。

侵略は残虐を極め、人々はアッティラ大王を「神の災厄」「神の鞭」と呼び。もはや人間ではなく、B29やゴジラをはるかにこえた悪魔・バケモノとして恐怖におののくようになっていました。

悪魔アッティラは、西欧を滅亡させるのか?

その一歩手前の一夜。夕餉の祈りをささげていた教皇レオ1世の頭上に、まばゆい光が!

奇跡の光にひれ伏すレオ1世。

その光、すなわち天にましますキリストの父、全知全能の主エホバは、神の代理人レオ一世に命令を下しました。

「聖ペテロと、聖パウロの精霊を伴い、悪のルシファー・アッティラを退治せよ」

主からの啓示を受けたレオ一世は、さっそうと白馬にまたがると、凶暴な騎馬軍団の先頭で、まさに攻撃を下令しようとしていた極悪非道のアッティラ大王の前に進みいで。


ラファエロ「レオ一世とアッティラの会見」

 

「悔い改めよ。侵略をやめ、立ち去るならば、神の慈悲によって許されるであろう」

その時、アッティラは見たのです。教皇の背後からまばゆい光につつまれて浮かび上がる聖ペテロと聖パウロを。

奇跡の光に耐えられなくなったアッティラは、思わず軍を返し、聖なる光につつまれながら、立ち去ったのでした。

ええええーそんなのあるわけないじゃん!いやいやあったんですよ。

もちろん教皇側の記載なので、神の慈悲とかになっちゃってますが、現代国語で書き直してみましょう。

「真相はこうだ」

そもそも、アッティラ側は度重なる侵攻で疲弊しており、略奪とかもするだけしてしまい実入りが少なくなっていたところで、疫病とかが発生し、そろそろ家へ帰って寝ようかな、という状況だった。

よし、その前に大仕事だ、と襲おうとしたマントヴァで、軍人には見えないふくよかなおっちゃんが、これまた戦争に関係ない僧侶の人たちと、群れを成して待っていた。

なんだこいつ?

おっちゃんは、口を開くと

「にいちゃん、聖ペテロの恵みと、聖パウロの恵みをあげるから、このへんでもうお帰り」

そして後ろを振り返り

「おう、おめえら!はやくアッティラの親分さんにお菓子をお渡しせんかい!」

へい!と若い衆が、「聖ペテロ」と書かれた菓子折りを渡すと、中には光り輝く山吹色のお菓子が!

そして、「聖パウロ」と書かれた封筒を渡すと、その中には年末ジャンボの当たりくじと、1000BTCが記録されているペーパーウオレットが!

おおおおー!

アッティラ一同大喜びで、もう侵略なんてどうでもよくなり。大判小判の輝きにつつまれながら、中央アジアへ喜び勇んで帰っていったのでした。


山吹色のお菓子。http://www.tokyo-colors.com/wp-content/uploads/old_images/384_1.jpg

 

さて、実は買収だった?として、ローマ皇帝が何もできずに震えていた時に、教皇が首尾よく蛮族を手なずけた。

そして、都合がよいことに、アッティラは一年後、美女の前で鼻血を出して死んでしまい(食道静脈瘤が飲みすぎで破裂して窒息したらしい)。分裂したフン族は、再びヨーロッパを恐慌に陥れることはなくなったのでした。


ペシカ・フェレンツ 「アッティラの死」

 

この結果、キリスト教がヨーロッパを救った、という紛れもない事実がここに生まれ。

これを見たゲルマン族は、続々とキリスト教に改宗するなどをはじめ。

神の代理人、教皇が無類の力(パワー、フォースいずれも)を持つ存在として確立し、その源泉となるキリスト教は、ヨーロッパの人たちの魂の奥底に刻まれることとなったのでした。

タリバン国家が、宗教ファーストだね、へんだね、という認識は普通と思いますが、現代西欧先進国の常識は?じつはこちらもキリスト教ファーストだったんじゃ?と一歩下がって見つめることが、世界を理解し平和を考える(促進するといいたい)ために重要と思っています。

ではでは。。。

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