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パイロットとお◎っこのお話

*ひさびさにアメブロでランキング1位に返り咲き。今回は「パイロット」というベタなジャンルでした。たくさんの「いいね!」ありがとうございます。

さて、本題です。

寒い冬の朝。起きがけに、とにかくトイレへ直行だ!用を足してほっと一息、というのは誰でも経験あると思います。

でも、お父さんとかがトイレを占領してしまい。お母さんや娘さんが、必死になってどんどん!トイレの戸を叩き、おとうさん、新聞なんて読んでないで、早くしてー!というシーンもあったりして。

パイロットにとっても、トイレはなかなか重大な課題なのです。

高度1万メートルを飛ぶ旅客機でなくても、2000メートルまでいけば、寒いぞ!離陸前にお◎っこしとけばよかった!なんてなるときもあったりします。

30時間以上連続飛行して大西洋を横断したリンドバーグも、パリに着陸して、熱狂の群衆に放った言葉が、まず「英語話せる人いる?」で、その次が「トイレどこ?」だったそうです。

リンドバーグ。

出典はhttp://blog.livedoor.jp/tenti1121-ijintensaiyuumeijin/archives/1997305.html

 

 

黎明期の飛行機は、乗員が吹きっさらしか、密閉風防だとか言いながらも実はごうごうと隙間風にさらされたりとか、なかなか過酷だったらしい。そんな時代から今日まで、パイロットはどうやってトイレという生理的要求に対応してきたのでしょうか。

①がまんしましょう

第1次大戦とかでは、飛行機の航続距離そのものが短く。例外もあったが2,3時間で燃料が切れて着陸、という状況なので、我慢すれば何とかなった。

めちゃくちゃ吹きさらしの座席。
我慢しなくても、ちょっと背伸びすれば。。。とか。無理か?

https://i.pinimg.com/originals/80/c7/37/80c737dffec0e092e3cbe1bf001b6982.jpg

 

 

➁おまる作戦

第2次大戦の爆撃機になると、6時間くらいは飛ぶようになり。幸い、このころには飛行機も大型化し、エンジンのパワーも強くなったので、トイレとまではいかなくても、おまるは乗せることができたらしい。といって、狭くて丸見えの機内なので、遮断幕(カーテン)かなんかで仕切ることができるようにしたそうである。下の図はイギリスのウエリントン爆撃機の例です。

Public domain

 

 

出展はロバート・ウエスト―ル著「ブラッカムの爆撃機」:ISBN4-00-024632-1

 

 

*ちょっと脱線。ロバート・ウエスト―ルさんは、自分は飛行機を操縦したことはないのに、迫真の記事を書く、恐るべき小説家です。ウエスト―ルさんは、他にも「猫の帰還(ISBN4-19-860911-X)」という優しさいっぱいの「猫本」を書いており。写真の通り「6年生・小学校の教科書に出てくる本」ですが、とても小学生には見せられない、生々しい不倫の描写があったりして、必読です。

ネコ好き必読!です。

 

 

③戦闘機はどうしたか

大きな爆撃機はともかく、一人乗りの戦闘機とかは、スペース以前に、ちょっと操縦をやめておまるにしゃがんで。。。なんてのは無理である。

どうするのかというと、「油紙性のお◎っこ(う◎こ)用紙袋」みたいなのを携行して、ううむ我慢できない、というときに、ズボンのチャックをあけてその袋に。。。という情報あり。

でも、当時のパイロットなんて、うさちゃんルックというか、航空服で着ぐるみ状態なので、チャックをあけてハイ放水、なんてお手軽にできたのでしょうか?確かに、南方作戦では半ズボンにカポック(救命胴衣)なんてのもあったらしいけれど。

下の画像は爆撃機クルーですが、このいでたちなら戦闘機乗りでも服に引っかけずにちゃんと用を足せたと思います。

http://www.aramant.com/chuukou/toha.html

 

 

④パンパース作戦

これがU2偵察機など、超高空で何時間も独りぼっち、という場合は、着ている服もほとんど宇宙服なので、チャックをあけて、なんてやったとたん気圧が急激に下がって、お◎っこどころか、血管の血液が気化して惨死になってしまうらしい。というわけで、地上生活と同じくらいの気圧とかに保った「宇宙服」の中でどうやって、となると、しゃあねえおむつか、といううわさが。。。

U2 偵察機 Public Domain

 

 

U2パイロット

https://www.machinegun-figures.com/im/170112_142842_5fqZJWjM_im.jpg

 

 

それこそ宇宙船と同じに、パイロットスーツの戦略的箇所に掃除機みたいな機器のホースがドッキングして、お◎っこだろうがう◎こだろうが吸い出すという仕掛けにすればいいのに。。。と思うのですが、とてもそういった機器にスペースや重量を割くことはできないらしく。「便意を催さなければどうということはない」と、12時間にもわたる飛行なのに、食べ物は1時間おきにプロテインチューブみたいなやつを一個、ストローで補給、という、なんちゅうブラックな職場じゃ!になっているそうです。超金手当ぐらいは貰っているんでしょうねえ。

森永プロテインゼリー。https://www.morinaga.co.jp/in/jelly/protein15000.html

⑤旅客機のトイレ

さいわい、きょうびの旅客機では、客室の前部と後部、ジャンボなどでは中央部とかにもトイレがたくさんあり。でも、国際線とかで明け方になると、トイレの前にはやっぱり行列ができたりします。

首尾よくトイレに入ったはいいが、折わるく乱気流に突入し。トイレ内の警告灯が「GO BACK TO YOUR SEAT」とびかびか点滅し、アナウンスも「座席に戻りシートベルトを締めて下さい」なんてなるときもあり。

でも、便秘気味だし(下痢の時はもっと悲惨)、とにかく終えてからじゃなきゃ。。。とめちゃくちゃ揺られながら、なんとか用を足し。そのあと席に戻っても、CAさんが怖い顔でこちらをにらんでいたりして。。。。

旅客機のバキューム式トイレ

When are you allowed to pee on a flight?

④旅客機のトイレその2

さて、トイレにたまる排泄物ですが、畿内と機外の気圧差を利用して外に噴出しちゃうのかと思ったらそうではなく。備蓄タンク?みたいなのに溜めておいて、着陸後に汲み取りとしているらしい。

ちなみに、旅客機のおしりに空いている穴は、そこから噴出しているのではなく、APUという発電用エンジン(これもジェットエンジンです。すごいな)の排気ノズル(排気口)だそうです。

APU排気口

https://s.eximg.jp/exnews/feed/Trafficnews/Trafficnews_92485_04c0_1.jpg

 

⑤パイロットの重要な儀式:太刀諸雲の礼について

読んで字のごとく「たちしょうんのれい」と言います。あまり早口で言わないようにしましょう。

小さな軽飛行機で、その辺を一、二時間るんるん飛んできて、ホームベースに着陸。駐機して地面に降り立つのは、充実感のひと時です。

その時、無事に飛行し、着陸できたことを八百万の神々に感謝するために行うのが「太刀諸雲の礼」です。

ぼくのホームベースにはとあるご神木があり。この霊威を戴くために、誘導路もこの木を迂回して、アートな誘導路になっています。

*ご神木ですが、それ以前に、ブラジリア高原における貴重な原生稙種だという事で、切り倒すと環境当局に処刑されます。

ご神木とアートな誘導路

 

 

飛行機から降り、この木の根元で、思い切り放水するのが「太刀諸雲の礼」です。広がる青空に、動かぬ大地。さわやかなそよ風。至福の一瞬ですよね。。。。

でも、なぜか飛行クラブ管理人のお兄ちゃんが、この木の根元をDIY(柵の修繕とか)の作業場にしちゃったので、現在はしかたなくハンガー(格納庫)内のトイレで用を足しています。

小さな飛行機で飛んでいます

 

 

⑥余談その1

上記の戦闘機パイロットですが、やはり高度6000メートルでは気圧差により苦労したらしい。

とある撃墜王の回想録では、ふたをし損ねて液体が風防に飛び散り、ふき取るのにものすごく苦労した、とあります。

もちろん、機内飲料として持ち込んだ「ラムネ」の話です。

ラムネの栓を、一気に抜いちゃったためにシャンペンみたいに噴出してしまったらしい。

いやいや、あの液体のことじゃなくて、あーよかった。

ラムネ。https://bplatz.sansokan.jp/archives/11087

⑦最後は口直し

ということで、ばっちいお話は忘れて、夢の飛行機旅行の画像をどうぞ。

昔はシックで豪華、よかったですねえ。。。

(画像出展はいずれもhttps://buzzap.jp/news/20160801-airplane-food-1950/です。)

-O-

ではでは。

Posted by 猫機長
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”””””《2023年紹介バトン》コロナを吹き飛ばせ❣️繋がれ友達の輪”””””

恐怖の紹介バトン。敬愛するブロ友のLunaさんから、ついに順番が回ってきました。チャレンジです。

(この記事をWorldpressの本家サイトとはてなのアンテナサイトで見てる人へ:これはアメブロの楽しい企画です。アメブロの方にも見に来てね!)

◎ハンドルネームは

猫機長

◎ハンドルネームの由来は

「猫駅長」からパクリました。「たま」だけかとおもったら、そこかしこの駅に「猫駅長」がいるらしい。

「たま」かと思ったら「ニタマ」だそうです

https://livejapan.com/ja/in-kansai/in-pref-wakayama/in-wakayama_koyasan/article-a2000233/

 

 

◎アイコンの説明(私の画像)

 着陸動作。高度が落ちすぎてあせっているところ。

◎家族紹介

ひとりぐらしです。さびしいな

◎居住地

地の果てブラジルの最果てブラジリアです。地の果てですが、とてもおしゃれなパン屋さんがあり。「くるみとゴンゴンゾーラのパン」が大好きです。

 

 

◎出身地

地の果て埼玉の最果て朝霞市。進駐軍がいた時代です。病気になったら、その辺の草を食べて治しています。。。

◎趣味

飛行機の操縦、なんていわずもがなですね。あとは「二刀流上下太刀」。こどものころ、絵画コンクールで賞を取ったことがある。

こんな人です(10年前の写真)

 

 

◎長所と短所

「性格占い」をやったら、「怪盗」といわれてしまいました。

https://tokusatu-sunday.com/2019/11/09/lupin-fujiko/

 

 

長所 何をやらせても器用。必要最小限の動きで最高の成果を出す。人に愛される

短所 面倒くさがり屋、いやなところはスルリと抜けて、おいしいところだけ持っていく。

そんなふうに思われているんだ。ひどいな。。。。

みんなもやってみよう!→https://uranailady.com/fortune/birth47.html

◎好きなことわざ・四文字熟語

堅忍不抜。不撓不屈。

◎好きな人や芸能人

王選手、は芸能人じゃなかったですね。ブルゾンちえみ(キャラじゃなくて本人の中身。いい人らしい)

◎好きな曲(可能ならYou Tube を貼ってね)

明るい曲。勇気の出る曲。

 

 

こうゆう曲も好き

バッハ https://www.youtube.com/watch?v=SmtekADcxrc

パッヘルベル https://www.youtube.com/watch?v=li7tiTGcA2M

スーザ https://www.youtube.com/watch?v=22kDWg6e_mo

あれ?ミスマッチか?

◎好きな飛行機

「DC3」

いつか操縦してみたい飛行機。でも、なかなかそうゆう機会は。。。という事で、模型を作ってながめています

 

 

◎今一番のマイブーム

ぴよ将棋。夢の香車三段ロケットだ!

 

 

◎【今年の抱負】猫背をなおしたい。

◎【最後にひとこと】紙媒体しかなかった時代に比べ、無限の可能性が広がっています。広げようアメブロの輪。

 

ではでは。。。

Posted by 猫機長
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地下鉄に見る日本人の美術素養

日本に行った時のお土産に、地下鉄の切符を持って帰りました。

東京の地下鉄。世界に類を見ないち密な路線網で、あらゆる区間の効率を考慮しつくし、切符も多数のランク(金額)に分かれています。写真のは190円区間です。

上のはブラジリアの地下鉄切符です

 

 

日本の地下鉄は、とても便利で、清潔。乗っている人たちも礼儀正しく、大好きです。

でも、はっきりいって、この細かい料金の区分けだけは、同意できなかったのでした。

なぜこんなみみっちいことをするのか?

ブラジリアにも地下鉄があり、おおざっぱそのものの路線です。でも、いちまい切符を買えば、その切符でどこからどこまで行こうと勝手です。

東京だと、ここからここまでは100円。でもそこから先は190円だから、別の切符を買いな、みたいな、重箱の隅をつつくようなものになってしまい。地下鉄一つ乗るにも、やれこの区間はこの路線で、その値段は。。。。なんてこんがらかりすぎてわけがわからなくなってしまい、ともかくSUICAとかでスルーパスだ!となんとかしのいでいる状況ではないでしょうか。

東京の地下鉄マップ。https://www.tokyometro.jp/station/

 

 

ブラジリアはこんなかんじ。https://metro.df.gov.br/?page_id=8768

 

 

日本の場合、実は、日々の仕事や生活が、あまりにきめ細かすぎる配慮を要求する状況になってしまっており、その一つの例が、このみみっちい地下鉄の価格設定に表れていると思っています。つまり、地下鉄なんて日本の魑魅魍魎さのほんの断片で、24時間あらゆる出来事に、あまりにもち密に対応しなければならない生活に疲れ切って、自分でも訳が分からなくなり。最後は、ふらっとホームから飛び降りようとしていて、青色灯ではっと気が付き助かった、なんてことになっていないでしょうか。

駅の青色照明。https://karapaia.com/archives/52069214.html

 

 

なぜこんな生きにくい国になってしまったのか。

それは、もともと芸術に生きる人々の国であった日本が、幕末の列強進出で、植民地にならないために、理数系の考え方を無理やり「インプラント」させられた、その影響が今日にいたるまで残っているためと理解します。

日本人てそんなに芸術的だったっけ?

はい、フランス人が驚いてジャポニズムを推進したくらいに、芸術的です。

その日本人の芸術性は「蕃書調所」「工部美術学校」に見ることができます。

    -O-

時は幕末。ペリーにカツアゲされ、にっちもさっちもいかなくなった日本。

浮世絵なのにパースの効いた「米船渡来 旧諸藩士固之図(べいせんとらいきゅうしょはんしかためのず) 」

 

 

浮世絵美人なんて描いている場合じゃないぞ!大砲の製図だ!

と、必死になって西洋の作画技術を学ぼうとしました。

そのための学校が「蕃書調所」

語学、精錬学(化学・薬学)、機械学、数学など、進んだ西洋の学問を学んで、列強に対抗するために、江戸幕府が設立した、当時の大学・専門学校をミックスしたような学校でした。

これらの学問に交じり「画学」もあり。

西洋美術について「調べ」学ぶ学部でした。

美術とはいえ、学ぶ目的は「画題となる物品を、日本画では不可能な精密な描写、迫真の画像で再現する」という意味合いがあり。なんか歯切れの悪い言い方になっていますが、現代用語でまとめると、ようするに「工業製品の設計製図技術を獲得したい」という事なのでした。

この学校で学んだ重要な人物に、高橋由一がいます。

その代表作が「ガトリンク機関銃の組み立て用精密詳細設計図」

ではなくて

「鮭」でした。

 

 

この絵のどこが製図なのか?

というか、現在の超写実絵画『鮭 ─ 高橋由一へのオマージュ ─ 』に比べたら、ピンボケすぎて、80年代頃の写真程度にしか見えなかったのでした。

 

 

それでも、浮世絵しか知らなった日本では、衝撃の精密画像だった。

しかし、「しゃけ」なんですよねー

「ガトリンク銃」ではなく「しゃけ」

ここに高橋由一に代表される、日本人のどうしようもない芸術性が暴かれるのでした。

高橋由一「下野塩谷郡男鹿川独橋有三架」

 

 
がんばって橋梁構造の描写を試みてはいるけれど。。。やっぱり図面じゃなくてアートですよね。。。。

日本は技術立国、職人の国ですが、職人ってどんな人?と考え直してみると。

「一杯の魂―ラーメン人物伝―」ISBN4-08-859357

こんな感じ。「理屈ではなく感覚」だそうです。ははは

 

 

三菱リージョナルジェット(MRJ)についても、米国FAAの審査に通らなかったのは、アメリカが要求する「ボーメ度」じゃなかったもろもろの基準数値を、三菱側が明確にクリアできなかったというのがあるらしい。

きっとアメリカの飛行機より安全で繊細な、操縦しやすい飛行機だと思うのになー。

MRJについては興味深い考察があるのでこちら→国産ジェットの夢を阻んだ「型式証明」の壁 責任は三菱重工だけか 日経ビジネス記事 2/7

https://travel.watch.impress.co.jp/img/trw/docs/1130/516/html/000_o.jpg.html

 

 

しゃけの絵ではロシアの軍艦を撃沈することはできません。

というわけで、明治になると、こんどはもっと赤裸々な名称の学校が生まれます。

その名も「工部美術学校」

「工部」と「美術」が両立する、どうしようもない日本人のなあなあ気質が全開になってしまっています。

結局、この学校も工部というより美術で日本をリードし、美術面で拮抗する形で東京美術学校、さらには東京藝術大学が生まれるのでした。

いくら製図しようとがんばっても美術になってしまう日本。天下のおフランスに「ジャポニズム」という一大美術運動を発生させた原動力を、ここに見ることができます。

日本人には生まれながらに芸術の血が脈うっているのです。

数値・計算の世界とは、一線を画した情感、感性の世界です。

これが迷走すると「八紘一宇」だのと妄想の世界になり、自国も滅ぼし世界にも迷惑をかけてしまう。

日本がアジアを開放したのは本当です。でも、開放の仕方が、石油のある資源国に押し入ったら、そこでは現地の人たちが西洋人に搾取されていたので、「敵の敵は味方」となって協力したというのが真相でした。

ガトリンク銃 http://www.xn--u9j370humdba539qcybpym.jp/part2/archives/463

 

 

しかし「悪い西洋人にいじめられているアジアを、神国日本が皇軍で開放する」という「夢・希望・アート」の世界に逃避してしまった結果、戦争という事態で最も効果的な工業製品である原爆を落とされてしまいました。

ロートレック「ディヴァン・ジャポネ(日本の長椅子)」

 

 

ここまで読んで、「そんなことないぞ!日本はあらゆる情報をち密に検討し、熟考の上で開戦に踏み切ったんだ」という人もいるでしょう。

日本人から見れば、その通りです。

でも、世界からは「だらだら中国と紛争し、泥沼化させた結果、打開しようとしたはいいが、本質と離れた無駄に細かい目先の事象の分析で、かえって戦略的に事態が見えなくなってしまい、成算もないのにアメリカを攻撃してしまった」と見られているのが、偽らざる真実です。

ち密な計算をしているように見せかけながら(無駄に細かいだけ)、実はアートな主観・感性で物事を進めてしまう日本人の性癖は、日本人自身が常時戒めておかないと、どんな悲劇をもたらすかわかりません。

でも、世界でも有数の、アートな国民であるという事も事実であり。それは、とりもなおさずアートに生きる、という事も、世界のどの国よりも得意なはずだと理解します。

なぜ「得意なはず」であり「得意」でなくなってしまったのか。

それは、「工部」美術学校というように、幕末から今日にかけて、無理やり日本人のアートに工業の枠をはめ込んでしまったからなのです。

もちろん、アヘン戦争で超大国清が亡国の憂き目にあっている時代に、「あばずれ美人」なんていってる場合じゃないだろう!という事は理解します。

喜多川歌麿「教訓親の目鑑(めがね)  俗に言うあばずれ」

 

 

しかし、令和の日本は、ロシアや共産中国、南北朝鮮に囲まれ、決して安泰ではないものの、幕末よりずっとましな状況にあると理解します。

そろそろ、みみっちい詳細化で安心しようとする思考から解放されてもよいころかな?と思ったりします。

最後に、日本の絵に比べたら製図になっている西洋の絵画と、アートかどうかなんてどうでもいいや!でも気づいたらアートになってました、という日本の絵画を掲載して、結びとします。

ルノワール「犬の頭部」

 

 

仙厓和尚「犬図」

 

 

きゃふんきゃふん。ではでは。。。

Posted by 猫機長
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軽飛行機で空母に着艦

とある吉日。ルジアニア空港へ着陸アプローチに入り、速度97キロ(60マイル)、フラップツーまで下げてなにげに侵入していったのですが、あれ、なんかおかしいぞ?

小さな飛行機に乗っています

 

 

ふつうなら、台形になって迫ってくる滑走路が、いつまでたっても同じ大きさのままでフリーズ?したみたいになっており。いつもは、滑走路に正対してエンジン計器確認したあと、もう一度滑走路に目をやったときにはかなり眼前に滑走路がはみ出しているのですが、今回は、遠くにひしゃげた台形のままでとどまっており。

あれ、計器確認忘れたかな、ともう一度計器盤に目をやってスピードや高度をかくにん、滑走路に目をもどすと、今度はスレッシュホールドが間近に。。。ではなく、さっきと同じ遠くにひしゃげたまま見えており。

なんかおかしいぞ?

着陸時の滑走路の見え方。同乗者に撮影いただきました

 

 

はっと、GPSに表示されているVS(対地速度)を見たら、56キロ(34マイル)を表示しており。

速度計のVI(計器速度)は上記の通り97キロなので、なんと時速41キロ(26マイル)の向かい風を食らっていたのでした。

左の赤丸が速度計で、対気速度を計っています。

右の赤丸がGPS。対地速度が表示されます
 

 
滑走路と見事に正対し、かつ一定の季節風か?だったので、機位の修正はしなくても真っ直ぐらくちんに飛べていたため、風の存在に気が付いていなかったのでした。

空気の中に浮かんでいる飛行機は、自動車のように地面を直接走行しているわけではなく、空という気体が地面と飛行機の間に挟まるため、飛行機の本当の速度や高度を知るためには、飛行機と一緒になって動いている気流についても計算する必要があります。

 

 

今回のケースでは、自分は時速97キロで飛んでいるつもりなのに、その半分に近い速度の強烈な向かい風に押し戻されて、実際には時速56キロになっちゃってたわけですからねーもし近くに道路があったら、地上を走る車がF1レースカーのごとくぼくの飛行機を追い抜いていくのが見えたと思います。

反射的に燃料残量チェック。まだまだいっぱいあるぞ、と安心し。

でも、このままじゃいつまでたっても滑走路にたどり着けないぞ!燃料はあるけど。。。

と、混乱するあたまを何とか冷やして、こうするしかないよね、と意を決し。

「フラップ全格納、機首下げ、エンジンパワーオン」

という、本来滑走路付近では絶対やってはいけない、やったらあっという間に滑走路に突き刺さるぞ、という操作をあえてやってみました。

そしたら、いいぐあいに滑走路が迫ってきて、ふつーに着陸できました。ははは

でも、時速40キロの強烈な風ともなると、一定方向で吹いているうちはよいが、VRB Windつまり方向不定で突如変わっちゃうようになると、小さなEXPERIMENTAL機ではあおられて操縦不能になっちゃう、事はなくてもめちゃくちゃゆすぶられちゃうので、乱気流にならないうちにとっとと離陸してぼくのホームベースに逃げ帰りました。

早朝の朝7時から8時に飛んでいたので、太陽熱によるサーマルや乱気流が発生する前だったのが良かったのだとおもいます。

陸上の滑走路は、どこからどんな速度の風が吹こうがあなたまかせ、飛行機のほうで横風とかに対応して着陸しなければなりませんが、これが空母になると、自らこうゆう強烈な向かい風を作って飛行機の発着を助けています。

アメリカの原子力空母などは、時速30ノットすなわち56キロは出すらしい。つまり、もともと無風の状態において、着艦する飛行機には時速56キロの向かい風を提供できるということである。すごいな

ただ、空母に発着するジェット戦闘機とかの離着陸速度が240キロ(130ノット)くらいなので、実際には時速184キロで甲板に激突!アレスティングワイヤーで無理やり停止させるという無謀なことをやっています。

右の写真は、アレスティングワイヤーで無理やり飛行機の行き脚を止めているところです。左の写真にハンバーガーが出てくる理由はこちらをご参照→「ハンバーガー食べました」

 

 

ちなみに、ぼくが乗っている軽飛行機ですが、最高速度が時速192キロなので、ジェット戦闘機の最低速度よりも遅かったりしたのでした。

ということは、軽飛行機は空母に着艦できるかも?

みんな大好き護衛艦「いずも」で検証してみましょう。

「いずも」の全長は248メートル。

一方、ぼくがいつも離着陸しているSDCB飛行場の長さは605メートルと出ました(Google Earth)

 

 

つまり、ぼくのホームベース「SDCB」は「いずも」2隻+100メートルちょいあるという事である。

で、ぼくはいつもSDCB滑走路のだいたい三分の一くらいで離着陸しているので、着陸滑走距離は200メートルという事になります。

という事は、無風で停泊中の「いずも」でも、うまく艦尾に接地できれば、艦首の50メートル前くらいでストップできるということである。へえー

離陸も同様に、艦尾からスタンディングテイクオフでがんばれば、あれれー滑走路じゃなかった飛行甲板がおわっちゃうー!となる50メートル前で浮き上がることができるのでした。えっへん

①最初は病院船だったのに、いつの間にか空母に豹変していた「いずも」

 

 

②「いずも」の大きさ比べ

①②とも出典はTokyo Expres(外部リンク)です

 

 

ヘリ空母だけあって、「いずも」は時速50キロ(27ノット)の高速で走れます。ということは、もともと37キロ(20ノット)の向かい風が吹いて入れば、両者プラスして87キロとなり。最初に書いたようにぼくの軽飛行機の接地速度は60~50マイル、つまりちょと高めに見積もって97キロなので、実質10キロくらいの差しかなくなり。

つまり、通常の飛行速度(時速160キロくらい)で「いずも」のおしりまで飛んで行って、艦尾直上到達までに出力をしぼって速度も97キロに落とし、フラップ全開でフレアをかけたら、ヘリコプターちっくにほとんど垂直にすとん、と甲板に降り立つことができたりして。

ちなみに、ふつーの滑走路では、滑走路端を15メートルの高さで通過すべし、などあるのですが、遮蔽物がなくて滑走路長の短すぎる空母では、艦尾すなわち滑走路端を、ほとんどメインギアをぶつけちゃう高さ、で降りる必要があると思います。

ううーむ楽しそうだ、一度やってみたいな。。。。

もし海上自衛隊の人がこの記事を読んでいたら、ぜひ艦載機として軽飛行機を検討してみてください。意外に便利かもしれん?

ちなみに、みんな考えることは同じらしく、セスナで米空母に着艦、なんて実例もあるらしい。

もちろん、フライトシムでの実例です。https://www.nicovideo.jp/watch/sm30816976

 

 

このケースでは、甲板の三分の一から真ん中くらいに、いいぐあいで着艦しています。どんな向かい風設定にしたんだろう?

もういっちょ。こちらは「信濃」への着艦です。

 

 

停泊中で向かい風がなさそうなので、いひひひ海にぽっちゃんだぞ!と期待していたら、ちゃんと艦首の50メートルくらい手前?で止まりました。ちなみに、信濃は266メートルで、いずもよりおおきいですねーメタバースで一度やってみたいななんて思いました。

https://diamond.jp/articles/-/294372

VRゴーグルでバーチャルフライトだ!すごい世の中になりましたが。。。

でも、やっぱりアナログの世界のほうがいいですね、ははは

 

 

ではでは。。。

Posted by 猫機長
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日本の常識、台湾の常識

Msn日本のニュースで、これはちょっとやばいよね、というのがあったので、共有するとともに、思うところを書いてみます。

台湾。Pixabay無料画像

 

 

まずは、お題となったニュースの概要から。

日本のラーメン店に不満の台湾人観光客、騒動が中国でも話題に=「店側がひどすぎ」「頭の固い日本」 (msn.com)

◎台湾からの観光客の一行(大人6人、子供1人)が、福岡のとあるラーメン屋に。

◎ところが「20歳未満の入店はお断り」との理由で3歳の子どもが入店できないと言われた。

◎当時は雨が降っており、かつほかに客はいなかった。

◎そこで、まず大人のうち男性3人が店に入りラーメンを食べている間、女性3人が、なんと雨の降る店の外で子供の世話をした。

◎男性3人は、それぞれのラーメンを食べ残す形で女性3人と交代し、子供の世話をしようとした。

◎ここで、なんと店の人から「大声で注意されたため、食事をやめて店を後にした」

◎その後、観光客側は「グーグルマップ上で同店に「星1」の低評価を付け、「融通を利かせてくれない」などと不満をつづった。」

台湾の素敵女子。PhotoAC無料画像

 

 

うううむ、なんちゅう残念なインシデントじゃ。。。。

この場合、日本側(店側)残念度8、台湾側(客側)残念度2、合わせて10点満点という、東亜を代表する2つの文化国家がもつべき徳性はどこに行った?という結果になってしまったと、個人的に思います。

そもそも、18歳未満お断りなんて、アダルトショップかお前は?

本当に「おとなのラーメン」なんて売っていたりして。。。。

中学だの高校だのの子供たちの行儀が悪くて、ほかの客の迷惑になるとか?「学級崩壊した教室」なのか福岡?

そして、今回は3歳の赤ちゃんですよ赤ちゃん?迷惑をこうむる他の客もいないし、外は雨、というときに、入るな!というのは、かえって勇気がいる行為ではないかと思います。。。

もちろん、一人許せばつぎつぎに。。。というお店側の事情も分かりますが、はっきり言って、今回はお店側の配慮が足りなかったと思います。

もし他にお客がいて「うるさい赤ん坊なんか入れるなよー」なんて言い出したら、大将が「バカヤローそんな融通の利かない野郎は店を出ろ!」なんて怒鳴り返すくらいの誇り高さがあってもよかったと思います。ラーメン屋ですよね?

というわけで、日本側は赤っ恥全開と思います。

日本女性はこちら。やっぱりヒョウ柄じゃなきゃ。。。

https://item-shopping.c.yimg.jp/i/n/komily_yl-63603412d3

 

 

一方台湾側の残念さは。。。。

そもそも、そんなふざけた店なんて入る方がおかしい。ラーメン屋なんてほかにいくらでもありますよね。。。。

さらには、雨の降る道端に女子供を放置してラーメンを食うやつがあるか?

しかも、半分食べ残して、残飯を素敵女子たちに食べさせるのか?

ちゃんと6人分注文すべきですよね?これは、誇り高いラーメン屋さんから見たら、ショックなお客さんだと思いますよーお客さんの方でも、大将やお店に配慮しなきゃ。。。。

というわけで、観光客側にも落ち度があるといえばあった。

どきどき!わあああーい!

https://twitter.com/sato_kimono/status/1190967728099610624/photo/1

 

これを見た中国大陸の共産主義者どもから

「寒い雨の日に子どもを入れてあげないとか、店側がひどすぎる(上記記事からの引用)」

などと言われてしまっています。

超重要なのは「店側がひどすぎる」という言葉を、よりによって共産中国の住人が言ったということである。

今日の中国は、共産主義だけどサービス業は西側先進国に引けを取らない発展した地域であることは認めますが、その一方で、「中国なんてメイヨウの国だ」の中国人にそんなことを言わせていいのか福岡人?

メイヨウってなに?

没有、つまる「有る」が「没する」、存在が無に帰す→「無い」という言葉がめちゃくちゃ日常的な(だった)恐ろしい国です。

別に哲学の話ではなくて、単にお店屋さんに行っていろいろ買おうとしても「無いよ」と邪険な対応をされてしまう、という意味です。

大躍進時代とか、文化大革命時代はことにひどかったらしく、八百屋さんだのなんだのに行って大根一つ買おうとしても

「お姉ちゃん大根一本ちょうだい」

「メイヨウ(ないよ)」

「お姉ちゃんの後ろの棚に二本あるじゃない。一本ぐらい売ってよ」

「メイヨウ」

「うちのおばあちゃんが飢え死にしそうなんだ!お金はちゃんとあるから、何とか1本売ってよー!」

「メイヨウ!メイヨウ!メイヨウ―!」

と、らちが明かなかった(らしい)

はいすみませんこれでヒョウ柄は最後です。イラストAC無料画像

 

 

現場には居合わせなかったので、「らしい」「だった」とトーンダウンしておきますが、そういうしょうがない奴らに「日本の店はひどい」と言われるのが、何ともなさけないですよねー。

ちなみに、メイヨウは、中国の経済発展を経て、今日では①メイヨウウェンティ、②メイヨウクァンシィ、③メイヨウバンファに発展したらしい。

①は「没有問題」で「ぜんぜん問題ないよ!へいきへいき」

②は「没有関係」で「だいじょぶだいじょぶ、平気平気」

③は「没有弁法」で「ダメでした。あきらめましょう」

中国人とビジネスするときは、①で始まり、ところが仕事が全然進まず、おのりゃーなにやっとんじゃ!というときに②でかわされ。結局③で大損害を受けて泣く泣く撤退、という悲劇が日常的に起きているらしい。(外部リンク:中国ビジネスでは三つの「没有」(メイヨウ)に要注意 | 日経クロステック(xTECH) (nikkei.com))

今回のラーメン屋さんの対応が「文化大革命時代的なメイヨウ」づくしだったですね。。。決して悪意があるとは思えないのですが、なぜそうなってしまったのか?

一部の台湾ネットユーザーが、「日本の事情を知らず、ご迷惑をかけました。ごめんなさい」と謝ってくれているそうで、日本側からも「こちらこそ融通が利かなくてごめんなさい」と言ってくれている人がいることを願っています。

福岡と言えば。

後漢の光武帝が建武中元2年(57年)に奴国からの朝賀使へ(冊封のしるしとして)賜った「漢委奴国王印(かんのわのなのこくおういん)」というのがあり。

パブリックドメイン

世界文明のふるさとの一つである中国から、新生国家、と言えばかっこいいけど、国家意識にめざめた土人の村に対して印綬されたとても大切なシンボルが出土されました。

今回ぎゃあぎゃあ物議をかもした観光客とラーメン屋ですが、実は、金印当時の関係者が、輪廻転生により、また福岡で集合したのかもしれません。

ラーメン屋の大将が、前世では漢の皇帝であり。

6人の観光客は、前世では倭の国からの使者だった。

3人の公使と3人の女官とか。

6人の使者は、大将じゃなかった皇帝の晩さん会に招かれ。でも当時は女人禁制なので、女官は料理殿?の外で待ちぼうけ。

皇帝いわく「土人ども、うちの拉面(らーみゅん)を食っていけ」

3人の公使は、ラーメンのうまさに感激!

こんな感じ。(「ラーメン人物伝―一杯の魂1」より)

 

 

あふあふ、と犬のように、息もつかせず食っていたが、3人とも、申し合わせたように半分ぐらいで食べるのをやめてしまい。

いぶかしむ皇帝。「なんだ?Gでも入っていたか?」

おそるおそる申し出る公使たち。

「こんなおいしいインスタントラーメンは食べたことがありません。どうか、外で待っている素敵女子たちに、残りを持っていって食べさせることを許可いただきたく、お願い申し上げます」

これを聞いた皇帝は「感動した!残りなんてみみっちいことは言わず、みんな一人1杯ずつ、よかったら替え玉もやるから、女の土人どもも呼んで来い!」

と、女官たちも招き入れられ、みんなでおいしくラーメンを食べたのでした。

最後に皇帝は

「いやいや土人に男女平等を教えられてしまった。これから漢は女性差別のない、ジェンダーフリーの国にするぞー!しるしに、お土産を一個持って行け!」

と渡したのが、漢委奴国王印(かんのわのなのこくおういん)だった。

そして、この金印の発する瑞気が、今回のインシデントでは赤ちゃんとして生まれ変わっていたのでした。

めでたしめでたし。

あれ?めでたくなしめでたくなし?

日本と台湾が、ますます仲良しになることを願って、結びといたします。

光武帝。占い大好き人間だったらしい。

https://www.sohu.com/a/439459558_381921

 

 

*関係ないけど、ボルソナロ大統領(当時)が、ブラジリアの日本大使に招かれて、大使公邸でラーメンを「おいしいね!」と食べていったというお話から、思いつきました。

ではでは。

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短編集:クリスマスに寄せて

優しさいっぱいのクリスマス特集です

 

 

かぶと虫に356レプリカ。この2台に代わる代わる乗っています。

こうゆうふしぎな名車たちを生み出したドイツについて、短編を3つほど掲載します。ひとつめはドイツ文学の名作「朗読者」の感想文(ネタバレなし)です。「愛を読む人」として映画化されているので、そちらの方をご存知の方も多いかもしれません。ふたつめは飛行機乗り目線から見た、飛行機史上のとある実話。3つ目は、その実話がらみのちょっとした短文です。

 

 

1.ナチスの「犯罪」についてのドイツの本音。

とある素敵女子から、なにげに借りた小説「朗読者」。実はドイツの深層が隠された恐るべき内容でした。戦後10年程しか経っていない当時のドイツに、まず登場するのが、なよやかな病弱少年。歩道でゲーゲー吐いて倒れかかったときに助けてくれたたくましいおばさんと、どきどき!な関係になってしまいますが、その後おばさんが戦争中は強制収容所の看守だったことが発覚し、裁判行きに。とこれくらいならネタバレにならないでしょう。

 

 

恐るべきは、①少年:ワイマール時代の虐げられたドイツと戦後の悩める優しいドイツ、②おばさん:第三帝国(ナチスドイツ)、を象徴していて、おばさんの裁判シーンは、裏付けのない判決を言い渡されるドイツ(おばさん)、勝者の論理を押し付ける連合国(裁判官や、便乗しておばさんだけに罪をかぶせる元同僚)を象徴するが如しである。

「裏付けのない理由」がいかにもドイツ的な明快・正確さで提示されていますが、ネタバレになるので書きません。「朗読者」という題名がまさにそのものずばりとだけいっておきましょう。そして裁判をひっくり返す「理由」を知っている優しい少年は、おばさんへの「朗読」を続けるのでした。公式に戦争犯罪を認めたドイツの小説であり、ラストは避けがたい内容ではあると理解しますが、「ヒトラー最後の12日間(こっちは映画です)」とともにドイツの正義とはなにか?を議論(というか主張)し後世に残す重要な文献と理解しました。

映画版「愛を読む人」https://nospensees.fr/the-reader-traumatismes-secrets-et-passion/

 

 

2.キュートな飛行気乗りのお話をひとつ。

第二次世界大戦、ヨーロッパ。

イギリスを発進し、海を越えてヨーロッパ内のドイツ陣地を空襲したB17爆撃機の編隊。しかし激烈なドイツの反撃にあい。

当時のドイツ高射砲はかなり優秀だったらしい。

さらには、ほとんど体当たり状態まで突っ込んでくるドイツ戦闘機の攻撃も激しく。これは勇敢とかいう前に、時速500キロ近くで動きまわる空中戦では、ほとんどぶつかるまで近寄らないと機関銃の弾も当てられん、ということで、日本の零戦乗りも「敵機から50メートルくらいの距離まで近づいて、照準器から敵機が大きくはみ出るくらいになってから射撃した」そうです。

実際に衝突したケース

 

 

というわけで、B17側も被害続出し。一時は出撃ごとに三分の一に及ぶ機数が撃墜されたこともあったらしい。

そんななかで、チャーリー・ブラウンさんの操縦するB17一機が、なんとか爆撃を終えて帰路には着いたものの、エンジンがやられてスピードが出ないぞ!

必死に帰路を急ぐ編隊に置いて行かれてしまったのでした。

当時は100機にも及ぶ爆撃機が密集体形をとって、近づくドイツ戦闘機に一斉に射撃をくらわすという防御の仕方をしていたので、一機だけはぐれちゃった爆撃機なんて、それだけで敵戦闘機から見れば「おいしいエサ」です。

こまった!どうしよう。。。

そんな状態で、遠くからキラリ!と輝く機影があったと思うと、ぐんぐん瀕死のB17に近づきはじめ。

遂に敵戦闘機に発見されてしまった!

あやうしB17!

一方戦闘機の方では、フランツ・スティグラーというドイツ丸だしの名前を持つパイロットが操縦していました。

「いひひひひ!これで勲章確定だぞ!」と大喜びでB17に近づき。

スティグラーさんは、これまでの戦歴により、この一機を落とせば「騎士鉄十字章」を獲得できるところまできていたのです。

ぐんぐんとB17に近づいたとき。

うあああ?なんじゃいこりゃあ?

B17は、それまでの戦闘で、左の水平尾翼は吹き飛び、垂直尾翼も半分無くなっちゃった!身を守るための機銃はもはや撃ち尽くし、機体は穴だらけ。

「空飛ぶぼろ雑巾」の状態で、幸い4発エンジンのうちまだ3発は動いていたので、なんとか水平飛行は続けられていた。

 

 

ひえええ!だれだこんな残酷なことをする奴は!と、敵だなんだという以前に、かわいそうになってしまったのでした。

飛行機の中ではもう誰も生きていないんじゃね?

幽霊船状態のB17。スティグラーさんは、B17の真横まで戦闘機を操り、並行して飛行しました。

操縦士は生きているぞ!必死になって飛行機を水平に保っていたのでした。

操縦席からチャーリー・ブラウンさんが、うつろな目でこちらを眺めています。

チャーリー・ブラウンさんもスティグラーさんを視認。よく見ると、Bf109戦闘機の、出来損ないじゃないけどそれに違い、ほとんど身動きもできない小さな操縦席の中で、一生懸命チャーリー・ブラウンさんへサインを作って送って来ています。

以下、スティグラーさん(ス)とチャーリーさん(チ)の会話

ス「ぼけかおまえは。イギリスとは全然違う方向に飛んでいるぞ」

チ「ざけんな!トイレもない飛行機に乗ってやがるくせに、偉そうだぞごるあ!」

ス「おまえらとちがって飛行中にう◎ちなどせんわ!いいかよくきけ、イギリスまで送って行ってやる」

チ「えっほんと?あとで「わかば」のたい焼きおごってあげるね!」

と、そこからは仲良く、イギリス近くの、連合軍制空権の始まる直前の空域まで飛んで行き。スティグラーさんはドイツへ向けて反転していったのでした。

400キロの距離を飛んだB17は無事イギリスに帰還。

基地で大騒ぎするなかまたち。「わああぼろ雑巾が飛んできた!」

チャーリーさんは、隠さずに「変なドイツ人が道案内をしてくれました」と報告すると、上官は

「たしかにドイツ人は道案内が大好きという習性があるようだが。。。ん?あれ?敵と仲良く編隊飛行なんて、何を言っとんねん!しばき倒したるでごるああああ!」

文化的なイギリス空軍なので、シバかれはしませんでしたが、

『敵への肯定的な感傷の一切を今後構築しないよう』命じられてしまいました。

一方スティグラーさんの方は、ちゃっかり「一機落としました。海の上なので残骸は見つからないよ」と報告し、どうやら勲章もゲットしたらしい。

東京四谷の「わかば」。天然物のたいやきです

 

 

それから40年後。

いろいろあって両者は再会することができ。親友になったのでした。

めでたしめでたし。

ちなみに、スティグラーさんがチャーリーさんのB17を撃墜しなかった理由は

「まるでパラシュート降下中で、全く反撃できない人を撃ち殺すようなものだ。そんなことは断じてできない」

と述べています。

 

3.ブラジリア国際空港で

日独米の若者達をモルモットに開発したB17やB29を祖先に持つだけあって、なかなか精悍な面構えのボーイング737。ハチの巣になっても飛び続ける機体、乱気流の少ない超高空をらくちんに飛行できる与圧装置、IFR(計器飛行)や航空管制技術の開発によって「殺しても死なない」安全性が確立され、ぼくもその安全さを享受している旅客の一人では、あります(撮影@ブラジリア国際空港/SBBS)。

ではでは。。。

Posted by 猫機長
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ブラジル大学紀行(その3・完結編)

さて、サンパウロ大学紀行第3弾、行ってみます。

やっと完結です。あーよかった

もっと飛行機の話を書け―!とかのリクエストや、もしか墜落して飛行機壊しちゃったの?といういじわるなかんぐりに答えて来週は「◎っこちました」です。こうご期待。

さて。

第1弾と、第2弾まででは、ひょんなことから大学の卒業証書を紛失し、新たに発給する申請のために、現住所のブラジリアからのこのこと大学のあるサンパウロに移動し、古巣の経営学部での申請のてんまつや、大好きな建築学部のことなどなど書かせていただきました。

今回は、建築学部からちょっと歩いたところにある地質学部からはじめさせていただきます。

この広いスペースで、授業の間の休み時間ぽけっとしていました。

 

 

でも、地質学部の学生だったのではなく。地質学部の目の前にある社会学部に在籍していました。

経営学部じゃなかったの?卒業後社会学部に受験したら、受かりました

でも、その時は社会人で、昼は働いていたので、夜間部でした。

そのうちリーマン生活が忙しくなり、中途退学。かなしいな

その社会学部はこちら

何の変哲もないチープなバラックなのでした。

 

 

経営学部の異常な防犯システムに比べ、どこかの公衆トイレみたいな寂れようです。社会学なんて、世間は興味を持たないんですね。かわいそうに。。。。

またのこのこと経営学部に戻って、芸術学部に向かいますが、通り道に、なんかすさんだ倉庫があり。

 

 

これが、恐ろしい「死体の家」です。

なぜか、医学部の分館になっており。ぼくの学生時代は、医学研究で使う検体がフォルマリン漬けになって大量に保管されていた。

皆さんキュウリのピクルスをご存じですよね?きゅうり色になってひなびた人間の体が漬物になっている倉庫、と思っていただければよいかと思います。

こんな感じ

 

 

ただ、上記の通り「保管されていた」であって、今回通りがかったときは、窓から見える倉庫内も、きれいにパーテーションで区切られて、ただの事務室になっていました。つまんねーなー。

でも、その事務室も、昔は赤ちゃんのピクルスで埋まっていたなんて、事務員の人は知っているのでしょうか。。。。

そもそも医学部は学園都市から離れたサンパウロ市の中心近くにあり、謎の倉庫だった。

学生時代はちょくちょく医学部にも遊びに行っており、そこには身元不明遺体の確認を行う霊安室(SVOC)もあり。運ばれてきた女性の、眠っているような遺体に恋を。。。なんてなりそうになったので、行くのをやめました。

*念のため。みなさんぼくがここに書いていることのすべてが本当だとは思っていませんよね?ほんとうのこともありますけど。

さて、芸術学部です。

この辺は、哲学部とならんで、ねじの外れている(狂人とは書かない)ひとびとの巣窟です。

らりったりしてはおらず、とても常識的なのに、突然ぞっとするようなことを言い出したりする人々のいるエリアです。

常識的ですが、らりっているとしか思えないきてれつな服装で歩いたりしています。

でも、中身は至っていいやつばかりです。というのも、後で出てくる学生寮での同室者が芸術学部の学生だったから、よくわかるのです。

らりっていないのに、らりっている人々を凌駕する、恐ろしい種族です。

さて芸術学部の建物自体はいたってふつーで、特筆できる特徴は無し。

 

 

ここには音響図書館?とかがあって、ヒトラー時代のドイツ音楽とかを聴きに行ったりしていました。個々の図書館は、ブラジルでも有名なグラフ雑誌を克明に保管していたりして、そういうのをあさるのも楽しみだったですねー、どんな記事を探していたかは、なぜか忘れてしまいました(ポルノではない、まっとうな雑誌です。念のため)。

次は学生寮。

公立の大学なので、めぐまれない学生のために、身の上調査で確認し、その時「貧乏人探知機」で「人間の屑」と認定されれば、在学中は無料で住める学生寮がありました

懐かしい学生寮。6階(最上階)に住んでいました。

 

 

部屋の隅にコンロを据えて、ソーセージ焼くぞー、と大喜びしていたら、煙がドアの隙間から流れ出して廊下に充満して、危うく火災探知機が作動しちゃうところだった!などの思い出が。。。。

そもそも学生寮居住者は自炊はするな、ということになっており。寮の間に学生食堂がありました。

今もあった。

まだ11時ちょっとなのに、学食の門が開くのを列をなして待っています

 

 

ぼくはこんなにあさましくなかったよーんだ!

でも、この辺りは、本当に腹を減らして、学食を食べるために大学に入ったような育ちの悪い、人間の屑ががうじゃうじゃしている地獄の一丁目なので、気を付けましょう。

そこかしこに、共産主義的な張り紙が。よいこはこの辺をうろつくのはやめましょう。

大体大学生活の思い出はこんなかんじですかねー学園都市をふらつくのにも疲れて、ホテルのある町の中心にいきました。

ところが、なんちゅうチープなホテルじゃ!

まるで紛争地域の街角かとまがう景色。

今回の旅は、旅費を浮かすためにクレジットカードのポイントを使ったのですが、天下のブラックカードのポイントでこんな恐ろしい、日雇い労働者のドヤ、木賃宿みたいなところしか予約できないのか?

フロントにいくと、アテンドのお姉さんが、いかにも身がまえて、あなただれ?みたいな感じだったのですが、サンタンデル銀行からの予約です、といったら、急にすごい親切になり、タクシーだのなんだの丁寧に手配してくれました。

ぜんぜんだめなのか、すごいのかわからないサンタンデール・ブラックカード

 

 

サンパウロでのお楽しみは「お弁当」

もちろん日本みたいなやつのことです。

とはいっても、日本の弁当とはいかない、ひなびたお弁当ですが、でもそのくたびれたところが大好きだったりします。

こんな感じ

 

 

このお弁当を買うために、わざわざ地下鉄に乗って東洋人街まで出かけたのでした。

地下鉄

 

 

東洋人街

 

 

 

 

ちなみに、ブラジルの地下鉄のいいところは、切符を買っちまえば、どこからどこまで乗ろうがいっしょなこと。

日本みたいに、みみっちく区間を制限して、あそこまでは190円だけどここからは100円だ、などという気の狂うような細かさはなく。

せめて地下鉄ぐらいのんびり乗りたいですよね。。。。。

でも、切符はスーパーのレジペーパーみたいなみみっちいやつでした。

 

 

というわけで、今回の目的である大学での用事は達成し、翌日朝7時の便で帰ることに。

以下、サンパウロ(コンゴニャす空港)の風景

 

 

ラウンジの風景

ブラジリアに比べてチープなラウンジ

 

それでもゲートの混雑に比べれば数段ましで、くつろげました

日本みたいに人が多いサンパウロ空港のゲート

 

 

構内バス?で飛行機まで移動。

 

 

737にくらべて機首のデザインが間延びしたかんじのエアバス

 

 

窓から

 

 

つい、隣の飛行機の車輪に目が行っちゃうんですよね。

ちゃんとねじを締めてるんだろうかとか。。。。

 

 

と言っている間に、ブラジリアに着陸していました。はしょりすぎか?

フラメンゴFCのグッズのみ売っている要注意な店があり。

 

 

その隣に、他のチームのを売っている店がありました。あーよかった

 

 

駐車場に戻ってきました。

ここから車でアパートに帰りました。

ではでは。。。。

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ブラジル大学紀行(その2)

この記事は「その1」の続編です。こちらも見てね!

さて、ひょんなことから大学の卒業証書を紛失してしまい、大学に問い合わせて再発行手続気をするため、ブラジリアから1000キロ南にあるサンパウロ市へ移動、のこのこと大学学園都市に到着しました。ここからがいよいよ今回の記事になります。

地上はこぎたないけれど、上空からみれば美しいサンパウロ

 

 

いよいよ大学へ。タクシーで40分くらいでしょうか。

 

 

市街地と川に囲まれた、緑いっぱいの学園都市。

https://i0.wp.com/jornal.usp.br/wp-content/uploads/S%C3%A3o-Paulo-2.jpg?resize=1200%2C582

 

 

 

 

経営学部の前に降り立ち。

 

まず駐車場を覗きました。学生時代、駐車に失敗して、後ろの車にどちん!管理の人に、ぐわおう!と怒られてしまった記憶があり。ぼくの車はかぶと虫、後ろのは巨大なピックアップだったこともあり、こちらのエンジンフードがへこんだだけで、向こうは無傷でしたが。

世界の名車かぶと虫。(大学当時はまた別のかぶと虫に乗ってました)

ぶつかっても自分がへこむだけで相手は無傷の、心優しい車です

さて、建物に戻り。

守衛の人に身分証明を提示して、建物内に。学生だった頃はこんな厳重なガードはなかったのに?学長とかがよっぽど悪いことをやって、人に恨まれているのかもしれん。

かわいそうに。。。。

 

 

その学長が署名した卒業証書を申請に来たのですが、まだ業務開始前だったので、学部内を散歩しました。

教室の風景

 

 

なんかモダンすぎる、今どきのレイアウト

 

 

こちらは、昔のままでした (ぼくの学生時代は、プロジェクターはなかったけど)
 

 

この踊り場で、新入生の演芸大会があり。

 

 

こちらの広場では、美人コンテストがあり。ぼくが票を入れたペルー人の美人は、一回戦で落ちちゃいましたけど。。。。

 

 

そろそろ受け付け開始の時間だ!二階に上がってまずは申請費用を払いました。

廊下にあった教師陣の写真

 

 

こちらの東洋人のお姉ちゃんは、コンピューター言語関連(プログラム作成)の講師でしたが、いわく「2点をつなぐのに、直線でつなげばいいのに、なぜ、考え付くあらゆる迂回を行った上、遠回りでつなぐようなコマンドを作るのか?」と怒られました。一番最短のつもりだったんですけど。。。。

 

 

こちらの西洋人のおばさんは、経営理論の教授さんで、とあるテストのときに、ぼくだけ最後に一人残ってしまい。「ちょっとまってー」「とっとと回答を書いて出せ!」となんどか待ってもらった挙句、解答用紙を差し出した記憶があります。お題は、「将来の雇用はどうなるか」みたいな感じで、「将来は機械が人間を代替するだろう。仕事は機械に任せて、人間は思考活動に専念するべき」みたいなことを書いたら、100点満点中80点をもらいました。

 

 

休み時間になり、子供たちと出くわしました。

 

 

申請書類をしかるべき部署に提出。卒業証書再発給までに6か月くらいかかるとのことで、じゃあまたくるねー、と退出しました。

えらいもったいぶりますねえ。でもそれだけ箔の付いた卒業証書だぞ!ということと理解して、おとなしく引き下がるのでした。

きょうびどんな証明書も電子化されて、スマホをかざしてはいOK、のご時世なんですけどねー

大学学園内をのこのこ歩きました。

学園都市の地図

https://puspc.usp.br/mapa-campus/
 

 
まず、経営学部の裏手にある建築学部。

 

 

ここは守衛さんはいましたがほとんどフリーパス。貧乏学部でロクな財産もなく、泥棒も興味を示さないらしい。

かわいそうに。。。

とにかくだだっ広いけど、なんかかっこいい建物。

 

 

巨大な教室。

 

 

高校2年の時、腕試しで建築学部を受けました。1次試験をぎりぎりで受かって、実技試験は大学に来い!ということで、これらの教室のどこか忘れましたが、集合。お題は「靴を脱ぎなさい」で、みんな「ええええーそんなエロいことするの?」試験管「馬鹿野郎、脱ぐのは靴だけだ!とっとと靴を脱いで、机の上において写生しろ!」そうですかーでも、よりによってその日は紐だの穴だのいっぱいの、ものすごく絵にするのがめんどうなスニーカーだったんですよね。。。。

てきとうに描いて、でも受かりました。さらにその後受けた2次試験は、見事に落ちました。。。。

 

 
実は経営学部より建築学部の図書館に入り浸って、バウハウスの図鑑とかをわくわく!と眺める学生生活でしたが、その図書館はむかしどうりでした。

大好きな図書館

 

 

あと、どの学部にもあるのですが、学生会室。

このすさんだふんいきでどんな場所かわかっちゃいますよね?なんて脅かしますが、実際は授業とかの合間に学生たち(特に学生会に参加している者たち)がいきぬきする憩いの隠れ家です。

 

 

壁には反体制派っぽいアジテーションの落書き。でも、建築学部なので、アートしてます。

 

 

アルコールジェルのトーテム。ご時世ですね

 

 

そのあと、都市学園本部の近くにあるMAC(現代アートミュージアム)へ。

いががわしいオブジェがいっぱい。

 

 

早速中に入ってみましたが、全然展示物がなくて拍子抜けしました。

学生だった頃はキリコの「ある午後の謎(O enigma de um dia)」の複製版が大きく展示されていて、恒常的展示のはずだったのに。さびしいな。。。。

MAC USP | Acervo : Obra : O enigma de um dia [1963.1.59]

 

 

画像多数なのでここで打ち止め。

切りのいいときに、大学訪問記後半部分を掲載させていただきます。

忘れないうちに、何について書くかというと

地質学部・社会学部

芸術学部

死体の家

学生寮・学生食堂

サンパウロのお弁当

などなどです。

なんか思い出ばなし、ノスタルジーにお付き合いいただき、ありがとうございました。

ではでは。。。

Posted by 猫機長
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ブラジル大学紀行(その1)

人間生きているといろいろあり。ひょんなことから大学の卒業証書を紛失してしまい、大学に問い合わせて再発行手続きをしました。

このなかで、再発行の申請は申請本人がしなければならない、というルールがあり。ふだん住居にしているブラジリアから1000キロ南にあるサンパウロ市へ、のんきに1泊2日の訪問をしてきました。

のんきにと言いつつ、駆け足でもあり、旅費とかで新たな出費はしたくなかったので、クレジットカードのポイントを使って航空便とホテルはタダにしました。40000ポイントが飛んじゃったけど。

ちなみに、200ドル払えば10000ポイントだけでいいよーん!ということでしたが、その手には乗らないよ~ん!とポイントを湯水のように使って、銀行とカード会社をいじめました。

でも、ブラックカードのポイントを湯水のように使ったのに、予約できたのは早朝5時出発のエコノミー。みみっちいぞサンタンデール銀行!

サンタンデール・ブラックカード。ブラックなんて名ばかりですねえ。

 

 

寝坊しないように目覚まし時計を買いました。

もともと出張族で、2時起き、3時起きなんてふつー、目覚ましなんていらないよ、だったのですが、念のため。。。。そしたら、本当に寝過ごしそうになってしまい。目覚まし時計のアラームで起きました。

朝2時に設定していたのに、アラームが鳴ったのは朝2時15分前でした。ははは

 

 

さっそく支度して、空港に。

空港の駐車場に車を止めます。写真を撮ったのは、ブログ用のみでなく、あとでどの辺に車を止めていたのか分からなくならないように、というのもあります。

 

 

空港の風景

 

 

ラウンジに向かいます。

 

 

受付でカード提示。ブラックカードの特典で無料の利用になっています。

サンタンデール・ブラックカード。

これならアメリカン・エクスプレスより上かもしれん

 

 

いいかんじでシックなブラジリア国際空港のラウンジ。

 

 

時間が時間なので、飲んだり食べたりはせずに、一休みしたうえでゲートに行きました。

風防からパイロットが一生懸命プリフライトチェックしているのがみえました。

かわいそうに、かわりに客席でぐっすり寝てあげるからね。いひひひひ

 

 

機内からの風景

 

 

飛んでいるうちに夜が明け。

高度1万メートルからの風景。ふだんは高度2000メートルですからねー下の写真で違いが判ると思います。

 

 

小さな飛行機に乗っています。

 

 

1時間ちょっとでサンパウロ市に到着。

まるでおろし金の上に浮かぶ大根みたいな感じで、空港へ降りてゆきます。ここでエンジンがストップしたら。。。。

 

 

おしりがむずむず。さいわい大根おろしにはならずに、無事着陸しました。

 

 

 

 

いよいよ大学へ。タクシーで40分くらいでしょうか。

市街地と川に囲まれた、緑いっぱいの学園都市。

https://i0.wp.com/jornal.usp.br/wp-content/uploads/S%C3%A3o-Paulo-2.jpg?resize=1200%2C582

 

 

 

 

経営学部の前に降り立ち。

 

ここまでで、記事が長くなりすぎちゃった!ので、続きは近い将来に回させていただきます。(来週はウクライナと中国の危険な関係についての時事ネタにします)

忘れないうちに、何について書くかというと

経営学部

建築学部

地質学部・社会学部

芸術学部

死体の家

学生寮・学生食堂

サンパウロのお弁当

などなどです。

お付き合いいただき、ありがとうございました。

ごきげんよう。。。。

Posted by 猫機長
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B29によって築かれたエアライン運航の基礎

B29って何?アメリカの巨人爆撃機のことです。

と、説明しなければならないほど戦争は過去の話になり。

ぼくが幼稚園ぐらいだったかの昔は、当時の大人たちが語った「暗い夜に空襲警報が鳴って、サーチライトに照らされたB29の上や下に、ぼっかんぼっかんとまるで当たらない対空砲火。地上は猛火で荒れ狂い、みんな防空壕に逃げ込んで震えていた」という恐怖体験が身近なこととして残っていました。

サーチライトに照らされるB29のイメージ図

https://wararchive.yahoo.co.jp/airraid/detail/26/

 

 

日本から2356キロ離れたサイパンという島がアメリカに取られた時点で、当時の東条内閣は責任を取って総辞職しました。その理由には「サイパンの滑走路から飛び立つB29の行動半径に東京含め日本の大部分が入ってしまう」ためというのが重要な部分を占めていたと言います。

そして、B29に多数の都市を焼き払われ。

この時点で降伏していればいいものを、ずるずると黙殺だのなんだのと引き延ばしたため、原爆を落とされて終戦になりました。

その原爆を落としたのもB29です。

というわけで、(アメリカから見れば)B29は対日戦争終結の最大級の功労者であり、対独戦争終結の最大級の功労者であるB17とともに、世界中の飛行機マニアから尊敬を集めては、実はいなかったりします。

B17は、「大空の女王」「空の要塞」と呼ばれる有名な飛行機ですが、B29は?「超空の要塞」という呼称があるにはあるけど、それでどうなの?というかわいそうな扱いになってしまっています。

その理由はなぜか。この記事で真相にせまります

さて、結論を先に書いてしまうと、「B17は戦争終結の原動力になった」一方、B29は「戦争という状況を利用して、戦後の金もうけに向けた実験台となった」からと理解しています。

なんだそりゃ?

B17と、B29、それぞれ行ってみます。

◎B17

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B17は、もともとが1930年代に、「東海岸、西海岸と長大な海岸を防衛するために、船(戦艦)よりスピードがものすごく早く、どこの海岸が攻撃されてもすぐ飛んで行って悪い敵の戦艦に弾をぶち込むことができる飛行機」というコンセプトで開発がスタートしました。

つまり、空を飛べる戦艦ということで、大砲の替わりに爆弾を、となり、その結果人呼んで「空の要塞」となりました。

でも、実は海岸防御などではなく、大西洋をひとっ飛びして悪いナチや共産主義者をぶち殺してやれ!と画策していた(これを、戦略爆撃と言います)。

当時、アメリカは孤立主義、すなわちヨーロッパのことなんて知らないよーん、という政策が国民から支持されていたので、戦略爆撃で欧州攻撃だ、なんて飛行機は許可が下りなかったのでした。

こうした言いかえは現在でも続いており、日本でも、最初は病院船だったのが、気が付いたら戦闘機を乗せた空母になっていた、という例もあったりします。

「いずも」。実は空母としてはいろいろあって機能せず、次世代で本物の空母を作るための訓練用・実験用だ、という意見もある。

https://www.mod.go.jp/msdf/jmp/index.html

 

 

というわけで、実は渡洋爆撃でよその国の工業地帯を爆撃し麻痺させてやるぞーという悪だくみを実現させるために作られたのがB17だったのでした。

このため、以下の特徴がある飛行機になりました。

―とにかく落ちない。尾翼が吹き飛ぼうが敵戦闘機が衝突しようがお構いなしに飛び続け「死なない奴が生き残り、勝つ」という、小学生の作文みたいですが究極の真理を体現した。ろくに戦闘機の援護もないままヨーロッパ奥地まで侵入し、対空砲火、迎撃戦闘機などあらゆる防空網にボコられまくり、一時は総出撃機数の3分の1に及ぶ損害をだしながらも、ドイツの恐るべき工業生産力に致命傷を与えるまでにボコり返し、凄惨な「殴り合い」をねじ伏せて勝利しました。

 

 

―数の暴力:200機を超える大編隊でドイツに侵入した

―航続距離:ドイツのすぐ近くにイギリスという滑走路があったので、重爆撃機としては実用的な距離といえる半径960キロの円内にベルリンを収めることができた。でも護衛戦闘機にとっては遠すぎ、長距離戦闘機が開発されるまでは敵戦闘機から一方的にボコられた。

http://ktymtskz.my.coocan.jp/E/EU5/app3.htm

 

 

これらは、すべて敵に勝つためであり、搭乗員の快適さとかは考慮しきれないところもあった。

B17の側方銃座。高度8000メートルで吹きさらしなので、電熱服でぬいぐるみ状態、酸素マスクでかろうじて呼吸しています

(https://secure.boeingimages.com/サンプル画像)

 

 

◎B29

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B29の場合は、B17と同じことをやれば勝てる、という事はすでに分かっていたので、さらに付加価値をつけよう、となったらしい。

B17の戦訓で得た結果から、新たな悪だくみが盛り込まれました。

1-高空を飛べば、中高度で飛ぶDC3のように、乱気流に巻き込まれて、乗客がきゃー!なんて騒ぐ恐れも少なくなり。寒いが気流は穏やかである(あるいは一定している)ことが分かった。→与圧室の設置により、半そでシャツでも快適に飛べるように改良。

B29の与圧隔壁

 

 

いまどきの旅客機。与圧によって、ハイヒールでも飛べるようになりました(www.independent.co.uk)

 

 

ただし、日本戦闘機(マニアの人へ:屠龍です)の37ミリ砲弾一発が操縦区画に命中し、与圧が抜けて急に零下何十度の世界になってしまい。だれもケガしなかったけれど、「このままでは11人の冷凍人間が出来上がってしまう!」と、飛行機自体は全然飛べるのに、11名の搭乗員は脱出やむなき、なんて、与圧したばっかりに、意外に打たれ弱い、ひ弱な一面も生まれてしまったらしい。

 

2-無数の巨人機を運用する空港施設や、管制のノウハウを蓄積した。

左はグアム島ノースフィールド(https://www.jiji.com/jc/d4?p=bsf226-0906251234090&d=d4_mili)。右はアトランタ空港(https://www.hisour.com/ja/airline-hub-37949/)

 

3-どうせ戦争はすぐ終わる。エンジンとかは寿命が短くてもいいや(アメリカ人の見方。日本のエンジンよりしっかりしていた)。そして、いろいろな新機構を試してみよう。→安普請で大量生産を計るとともに、大型旅客機製造に向けた各種データ取得に貢献。ただし、その後旅客機含めエンジンはジェット化しちゃったけど。

安普請ではあるが機体構造の不死身さは継承した。https://makkiblog.com/b29_fcs/

 

4-世界はわれらのものだ!サイパンから東京へ行って帰ってこれる航続性能。そしてこれだけの距離を迷子にならずに飛べる航法装置。後にニューヨーク・パリの5830キロ等を定期便のアメリカ旅客機が飛ぶうえで重要な実験台になった。

戦後の巨人旅客機、ロッキードコンステレーション(Pixabay無料画像)

 

 

つまり、B29というのは、実は戦争なんてどうでもいいや、その後の世界の航空輸送を牛耳ってやるぜー!というアメリカの恐ろしい野望を体現した飛行機だったのである。

ヨーロッパも日本も死に物狂いになって戦争している中、こうゆう戦後の金もうけのための実験台をのうのうと作っているいやらしさから、B29はB17に劣らない貢献をしているのに、あまり好かれない飛行機になってしまっています。

もちろん、戦争道具としてもすごいところもあり。

例えば、遠隔機銃

https://www.sun-inet.or.jp/~ja2tko/jap/ok_b29.museum.html
 

 
詳しい技術は良くわからないけれど、リモコン方式、かつコンピュータ制御で自動的に敵機の経路を計算して、射手は照準器に入った敵機に向けて引き金を引けば、機銃のほうで勝手に見越し射撃をやってくれるという恐ろしい装置です。

その当時日本がやっていたことは

竹槍訓練。ははは

 

 

ここまで読んで、そんなことないよ!アメリカも必死になって日本に勝とうとしていて、B29が戦後の旅客機の参考になったのは、あくまで副産物だよ!という人がいるかもしれません。

たしかに、必死と言えば言えば必死でした。

でも、必死さのレベルがぜんぜん。。。。というかんじであり。

1945年7月の雑誌TIMEの表紙。戦争?なにそれ?

https://www.ebay.com/itm/304101850719

 

 

ミリオタサイト「兵器生活(http://www2.ttcn.ne.jp/~heikiseikatsu/index.html)」によると、8月15日のニューヨークタイムズでは「前日のナ・リーグ野球の結果は以下の通り。パイレーツ7-ブレーブス5(第一試合)、パイレーツ6-ブレーブス2(第二試合)。ジャイアンツ5-レッズ2。カーズ2-ドヂャース1」なんて掲載していたそうです。

最後に、B29の旅客機バージョンです。

ニューヨーク・ロンドン間5,578キロを、1947年には飛んでいたらしいが、こちらもB17じゃなかったコンステレーションの影にかくれて、いまいち知名度が?だったらしい。

Bill Larkins – B377unitedSFO, CC 表示-継承 2.0, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=29362764による

 

 

http://www.ovi.ch/domains/ovi.ch/public_html/b377/

ではでは。。。

Posted by 猫機長