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フラップの話

以前、ぼくが乗っている軽飛行機のフラップが故障しちゃった話を掲載しました(ここでも最後に増量して再掲)。今回は、飛行機の発達にとってフラップがいかほど重要だったかということをお題にしてみます。

飛行機の根本は主翼です。主翼を見れば、だいたいどんな性能で、どんな目的を持っている飛行機なのかがわかります。

翼の諸元。A翼弦長、B中心線、C最大翼厚、D最大キャンバー、E翼弦線、F前縁、G後縁。出展はhttps://commons.wikimedia.org/wiki/User:Toshinori_baba

主翼の決め手は「アスペクト比」。主翼の長さ(翼弦長)と幅の比率で、高性能グライダーでは22に達するものあり。ジェット旅客機では6くらい。

グライダー(アスペクト比22くらい)とF104戦闘機(同2.5)

この比率が大きければ大きいほど低速でも揚力が大きく、小さければ小さいほどスピードが出せてロール(横転)性能もよくなる。

グライダーの通常の速度は時速90キロぐらいで、F104はマッハ2まで到達。

一方、グライダーの場合、着陸もだいたい60~80キロで飛行速度とあまり変わらないが、F104だと278キロだそうで、マッハ2用の翼だとめちゃくちゃ遅すぎ。揚力以前に安定もへったくれもなくなってしまうぞ!どうしよう?

そこでフラップの出番です。

フラップは、通常の飛行速度の時は翼の後縁にたたまれており。着陸や離陸といった、低速度だけど揚力が欲しい、というときに展開して使用します。

典型的なジェット旅客機のフラップ。

みなさんが737やエアバスで旅行されているとき、着陸態勢において、にょごごご。。。。と翼のうしろからせり出してくるあれですね。

見ていると、翼の幅がほとんど倍くらいになるほど伸びてゆき。こんなに翼の形が変わっているのに、よく重心とかが変わっちゃわないのかと感心します。

もう一つフラップ全展の画像

飛行中に重心が移動してしまうとこうなる。この事故では、搭載していた貨物の拘束具が切れた?のか、重い貨物が機体後部に滑ったらしい。

 

フラップの作動原理としては、

まず、単純に翼面積を増やす、というのがある。面積が増えれば面積当たりで支えなければならない機体重量も減らすことができるわけで。この重量のことを翼面過重と言いますが、97戦という傑作機の翼面過重は96.44Kg/m2で、同世代のメッサー109の173Kg/m2に比べたら、ほとんど半分じゃね?つまりメッサーは「高速の一撃離脱」、97戦は「世界最高の旋回性能」を志向していた。

この差がパイロットの日常にどう影響したかというと、97戦はソ連のI16に振り切られて逃げられてしまい。その程度ならともかく、Bf109の方はフラップをもってしても着陸速度高すぎなどで事故多発の「後家製造機」になってしまいました。

ええええ!?97戦とbf109が同世代なの?そうです。

97戦の初飛行は1936年10月15日。Bf109は1935年5月29日です。

これは、ドイツが優秀すぎるというのもありますが、97戦がじっさいBf109に迫る名機だったということも決してよいしょではない事実と思っています。

97戦 出展 https://www.knet-web.net/m/xCatItem2.html?mID=3&sID=&uID=2784

Bf109  出展https://www.jiji.com/jc/d4?p=lfw522&d=d4_mili#photo2

I-16 出展 https://flyingheritage.org/Explore/The-Collection/Russia/Polikarpov-I-16-Type-24-(Rata).aspx

ちなみに、日本の戦闘機に「蝶型空戦フラップ」というのがあり。「空戦性能が向上する」らしい。

http://www.hasegawa-model.co.jp/hp/catalog/st_series/st30.html

 

ただ、フラップというのは、低速でこそ威力を発揮する(言い換えれば、高速で使ったら壊れちゃうぞ!)ものであり。

空戦性能の概念が「フラップで旋回半径を減少させる」という巴戦の思考で停止してしまったため、ハイスピードで一瞬に勝負を決する一撃離脱の米高性能戦闘機機相手にどこまで通用したか?くるくる回れれば撃墜されることもなかったでしょうけど。

97戦にもフラップはついていたが、着陸というより「高迎角時における失速を防いで空戦性能を向上させる」のが狙いだったらしい。実際は空戦性能良すぎで、フラップに頼るまでもなかったようですが。(外部リンクhttp://ktymtskz.my.coocan.jp/J/JP/abu5.htm に興味深い記述あり)

97戦の海軍版である96艦戦になると、試作機の時点で、機体が軽すぎて着陸速度になってもいつまでも沈下せず。思う着地点で接地できないという、艦上機では致命的な欠点があったが、フラップを付けたらすとんと降りれるようになり、正式採用されたらしい(吉村昭「零式戦闘機」)。

96艦戦

ここで、フラップのもう一つの側面、ブレーキとしての役割があります。

巡航速度300キロの飛行機も、着陸速度90キロだったら、なるべく短い時間にこの差200キロを減速したいわけで。

一方、スピードが命の飛行機は、あらゆる設計の努力が空気抵抗の減少に注がれており。減速はにがてだったりします。

シャーリーズ・セロン。女性が美しさを求めるのと同じくらい、飛行機にはスピードが重要、かもしれん。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B7%E3%83%A3%E3%83%BC%E3%83%AA%E3%83%BC%E3%82%BA%E3%83%BB%E3%82%BB%E3%83%AD%E3%83%B3#/media/%E3%83%95%E3%82%A1%E3%82%A4%E3%83%AB:Charlize_Theron_by_Gage_Skidmore.jpg

そんななかで、速度をすみやかに落とし、かつ安全な降下を可能とするフラップは、現在の大型旅客機による大量輸送を実現する上で必須の発明だったと思います。

着陸態勢のエアバス

さて、実体験「フラップ故障」です。

とある吉日、穏やかな空の中を軽飛行機でお散歩。

小さな飛行機で飛んでいます

とある農場の滑走路に着陸態勢に入り。フラップ1、2、と順調に下げてゆき、フラップスリーだ、とレバー引いたとたん

ぷちん!あっ!

ケーブルが切れた音が。

とっさにフラップあげ、ノーフラップの体制で着陸。

地上滑走しながら、フラップ1、2、3と上げ下げしたのですが、フツーに動くじゃん?

これはケーブルが寸断に至らず、切れかかっている状態だな、つまりタキシング程度のほとんど風圧のない状況では上げ下げできるけれど、着陸速度でフラップに負荷がかかったらやばいね、と判断。

といって、田舎の農場の滑走路では修理もできないし、要するにノーフラップで行けば問題ないので、35分くらいの飛行でホームベースに帰ってきました。

で、ハンガーまでのタキシング中にまたがちゃがちゃ上げ下げしたら、今度は最大、フラップスリーの位置でぷちんと本当に切断してしまい、このポジションでスタックしちゃいました。

格納庫でケーブル再確認したら、機長席後ろのケーブル接合部分は問題なし。

ふだんはカバーがかぶさっています

フラップレバー(下の写真のハンドブレーキみたいなやつ)から、上の写真の接合部分まで伸びる単線でのケーブルのどこかが切れたらしい。これが各フラップに伸びる左右のケーブルのどちらかだったら、左右のフラップ角度に差が出てしまい、墜落なんてこともありうるのですが、その点はまずは単線の方で切れるように設計されており、問題なく飛行できました。

さっそく修理屋のお兄ちゃんに見てもらい。

フラップレバーとケーブルをつなぐコネクターが経年劣化で壊れちゃったということでした。ううむ定期点検ではOKだったはずなんだけど。

なんか頼りないコネクター。写真だどわかりにくいな

比較的軽微な修理でしたが、100ドルが飛んじゃいました。かなしいな。。。

この飛行機のフラップは、エアバスとかに比べたらおもちゃみたいな感じですが、ちゃんと3段階で展開できるようになってます。

下の写真右が全閉、右が全開です。

あまり変わらなかったりして。。。

効果も、あまり変わらなかったりします。全開で降りて、路面が滑るぞ!というときにさっとフラップを上げるとタイヤが地面に押し付けられて安定が増すというケースはある。

ぼくが飛んでいるブラジルの場合、田舎の滑走路でも長さ1000メートルはあるし、実はフラップなんて使わなくてもぜんぜんフツーに着陸できたりします。300メートル級ばかりの日本では、フラップは必須かもしれん。

こういうLSA(ライトスポーツエアクラフト)でも、機種により差があり。今乗っているCoyoteは上記のとおりですが、練習生の頃にのっていたParadiseはフラップを下ろすと、ぐん、と機首を下にふり、パイロットに「ノーズアップしすぎるな」と教えてくれる、えらそうですが頼もしい飛行機でした。

LSAの傑作Paradise

ファーストソロの時、いつもは教官とわいわいがやがや騒がしいコクピットが、ひとりぼっちでしーんとさみしい中(エンジン音はなぜか聞こえず)、フラップワン、ツーと下げていくたびに「キーン」とロック機構の音がコクピット内に響き渡ったのが、忘れられない思い出です。

ではでは。。。

Posted by 猫機長
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アングルとブロックチェーン

ここでいうアングルというのは「角度」のことではなくて、ジャン・オーギュスト・アングルという世界屈指の写実画家のことです。わかりやすく言えば「美術界の池上遼一」ですね。

あれ?

あああごめんなさい、池上遼一は、1970年代から少年漫画界で活躍した作画家で、「史上最高の画力」と言われる人です。

https://store.shopping.yahoo.co.jp/ebookjapan/b00060004179.html#

まだ現役だった?池上遼一

 

ううむかえってこんがらがってしまった。

気を取り直していってみます。

さて、アングルさんが活躍したのは、古典主義・ロマン主義がいがみ合っていたフランス。自民党と民主党のいがみ合いみたい、なんて書くとまたこんがらがるので、とりあえず、アングルは当時世界の美術界をけん引したフランスアカデミーで「この人が代表」と時の有識者・リーダーたちから認められた、押しも押されもしない至高の画家です。

いわば「海原雄山」はい漫画との比較はこれでやめます。

で、アングルさんの代表作に「ホメロス礼賛」というのがあり。

一点の曇りもない青い空。壮麗、厳粛な古代ギリシアのパンテオン(神殿)を前に、勝利の女神から王冠を授けられる詩人ホメロス。

すぐ下の赤い服を着た女性が「イリアス」その隣の緑の服の女性が「オデッセイア」、すなわちホメロスの代表2作品の擬人化です。

でも、作者のホメロスばかりもてはやされているので、2人の作品はふてくされています。ははは

この3人を取り囲むのは、歴史上の世界の賢人偉人。

例えば、

日本の山本芳翠というすごい画家に、すごい影響を与えた世界の画伯ニコラ・プッサン

ブルボン朝時代の俳優・劇作家、モリエール

向うを向いたスキンヘッドのおっちゃんはソクラテス。プラトンとなごんでいます。

盛期ルネサンスを代表するイタリアの画家・ 建築家ラファエロ(一番手前)、その横は古代ギリシアの文化人サッフォー、さらに隣がアテナイの政治家アルキビアデス。

「神曲」のダンテもちゃんといました

カモンエスも発見。ポルトガルの大詩人であり、ブラジル文化にもかかわりの深い人です。

他にもミケランジェロ、シェークスピアやモーツアルトといった、そうそうたる文化人や、古代ギリシアの賢人が多数。ダヴィンチがいないのはなぜだろう?

1人1人は、下のリストでご確認ください

へええーすごいな。

この絵を見ていると、知的で高尚なふんいきにひたったりします。

でも、この「あたかも知的探求をしているように見える」という所に、時の支配者がアングルの名声を利用して一般市民を白痴化しようとするブラックな策謀が隠れていないでしょうか。

知的好奇心、というとこちら

アルノルフィーニ夫妻

 

なにげにおしゃれな絵ですが、しかし「脱ぎ捨てられたサンダルが、神聖な結婚の場をあらわす」のを始め、犬くんやカーテン、ろうそくに至るまで本当の意味で知的な探求の世界に引きずり込んでいく、すごい絵です。

この絵における無数のアレゴリーについては、以前の記事で提示しましたので、そちらをご覧お願いします。

つまり、「ホメロス礼賛」は、たんに「有名人が集合している」だけで、なぞ解きもへったくれもなく。

82年ブラジルチーム

この写真を見れば、誰でもバルジル・ペレスにソクラテス、セルジーニョにトニーニョ・セレーゾ、ジコにジュニオル。ファルコンもいるぞ。。。。と一発で分かると思いますが(*)、「ホメロス礼賛」の「知的なたむわれ」とは、実はこのていどのレベルの話です。

(*ウソです。サッカーマニアならわかる人もいるかもしれん)

「ホメロス礼賛」が描かれた1828年と言えば、フランス革命の大動乱いまだ冷めやらず、フランスは世界を相手に大戦争をおっぱじめた結果、ロシアなどの逆襲にあい、ナポレオンは島流しに。ウイーン体制にすがりついた保守反動派が台頭するなど、混乱は続く一方で民衆の貧困は全然解消されず。

でもそんなひずみなんてぜんぜんないです、爽やかな青い空の下、賢人たちが和やかに談笑してます、それがおフランスです。というのがこの絵である。

高尚な古代ギリシャの神殿に、著名な文化人を並べ立てたので、いかにもハイレベル・ハイソサエティ―の雰囲気になっていますが、実は「お手軽に、明るく。すべてがうまくいってます」みたいな、マクドナルドのキャッチコピーか!になってます。

こういうのを、ドラクロアが目ざとく見抜いて「不完全な知性の完璧な表現だ」などと痛烈に批判しています。

ドラクロア「民衆を導く自由の女神」

こちらは1830年に、当時の動乱(七月革命)を描写しており。権威側が「ホメロス礼賛」で空想の世界に誘導しようとしているのに真っ向から対抗しています。

さて「ホメロス礼賛」と同じしらじらしさを感じてしまった現代の写真があり。

出展 https://number.bunshun.jp/articles/photo/846913?pn=3 ©Getty Images

東京都知事がにこにことアマチュアスポーツの旗を振っている。

たしかに、この写真が撮影された時はコロナなんて考えられもしなかったけれど、いつまでも日本の政治家はオリンピック絶対開催だ!みたいな姿勢を崩さず。開催するならどんな風にやるんだ?という具体案を示すわけでもない一方で、外国からの選手はどんどん入れても巣ごもりはつづけましょうとか、相変わらずアクセルとブレーキを同時に踏んでいます。

「爽やかな青い空の下、日本ではすべてがうまくいっています。今日もとても良い天気です」とマクドナルド的プロパガンダを繰り返す日本の指導層。日本の市民は、「そのとおりです。日本には何も問題はありません」と、コロナのみでなく、日本の経済社会全般にのしかかっている恐るべき課題から目を背けていないでしょうか。

その課題の名は「ブロックチェーン」

それ自体はニュートラルなIT技術ですが、使われ方によってやばいことになるかもしれない。

たとえば「ビットコイン」

ビットコインは、法定通貨のような政府による介在がなく、ブロックチェーンを構成するコミュニティへの信用が取引の裏付けとなっている。

つまり、「もう法定通貨なんて信じないよ」と、資本主義国家の根底を揺るがしかねない事態が発生しているのです。

フランス革命で、労働者すなわち弱小市民が、資本家側の王や貴族をギロチン送りにしたように、国や中央銀行に発行を依存しないビットコインは、政府主導の金融システムを「ギロチン送り」にするかもしれん。

問題は、その後です。

フランス革命では、暴力的な格差の是正はあったが、資本主義は瓦解せずにすみました。

しかし、後発のロシア共産主義革命では「資本主義そのものを否定してしまった」ため、適切な経済戦略を決定できなくなり。NEPだのなんだの頑張っては見たが、的外れの締め付け(黒いボールペン)に走り、労働者を酷使するのみでコストに見合った生産がなくなってしまい。ブルジョアが残した富を食いつぶし滅亡しました。

政府や企業を介在しない「政府そのものを否定してしまった」ビットコイン経済の時代になったら、各個人が自分自身で身を守らなければならなくなり。

昨日4万ドルだったビットコインが明日40万ドルになったとして、本当に40万ドルに換金してくれるか?ブロックチェーン技術によって、ビットコインを買った、売ったという記録は改ざんできないけれど、取引相手がその履歴を十分承知のうえで、「でも払わないよ」と言えばそれでパーです。国家の統制を受けない以上、取引所(個人の場合もある)があなたをだましているのか、はたまたその逆なのか、「当人同士の問題でしょ」と警察含め政府の組織は立ち入る根拠がなくなってしまうのです。

ビットコインは、なりゆきによっては共産主義よりももっと恐ろしい弱肉強食の世の中をもたらすのではないかと危惧します。

*4月26日追記。世界の大規模金融機関がビットコインを投資資産として認め始めています。したがって、誰でも参入できる投資ツールに変化中。(こちらの記事参照。でも超リスク投資なのでご覚悟を。)

*6月13日追記。エルサルバドルがビットコインを法定通貨として認可。通貨というより送金ツールという位置づけらしいが、独立国家の正式な通貨になるという恐るべき進展になっています。

ビットコインなどの技術革新について、「ホメロス礼賛」みたいな表面的な情報に安心せずに、「アルノルフィーニ夫妻」のようななぞ解きをして、本質を突き止めるべき時代になったのかもしれませんね。

ではでは。

 

Posted by 猫機長
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神と人と物。美術と哲学で暴く人類のゆくえ

初めに、言葉があった。

ギリシア・ローマの理性・哲学、自然科学や政治体制などの成果を、聖書の言葉によって闇の底に封印した恐るべきキリスト教の福音がヨーロッパを席巻した中世に、その後の人類の思考を決定づけた「キリスト教的世界観」が形成されました。

この当時の美術に、どんな世界観かというのが雄弁に表現されています。

 栄光のキリスト 1123

 

いかにもスペイン人のおっちゃんなキリスト。

まじめな分析:この絵に登場する人は、みんな同じ顔をしているぞ!

11世紀後半、預言者ダニエル

 

なんか上のスペイン人が貧乏で生活に疲れたらこうなる、みたいな感じ。

真面目な分析:やはり様式化された表情、スタイルですね

イギリス。聖書の挿絵

 

真面目な分析:記号(イコン)になってます。やっぱり写実的でないなあ

さて、封印されたギリシャ・ローマ美術をちらっと覗いてみます。

ポンペイの壁画

 

BC50ころ。ポンペイの壁画

 

「キューピッドを売る女性」古代ローマ

 

「ラオコーン」古代ギリシア。絵画じゃないけど。。。

 

表情豊か、写実的で、躍動しています。これって、ルネサンスじゃ?

いやいや、ルネサンスの方がこちらをまねしたのです。

あきらかに「スペイン人のおっちゃん」と違うじゃん。

おっちゃんはじめ、上記にあげた中世時代の絵は、いずれもロマネスクと言って、「ローマ風だけど劣化しちゃった」と、後世の美術好きを残念がらせている。確かに、ポンペイの絵(古代ローマ)からどんなふうに躍動、進化しているか、という観点だったら期待外れですよね。。。

ここがポイントです。

以前、ビザンティン美術の「イコン」について書いたのと同じことが、ここでも原則となっています。表情とか、躍動とかの「個性」ではなくて、あくまで「真理、預言、福音」という「普遍」のお絵かき版でなければならなかった。

つまり、この当時は

「考えるな!神の言葉を信じろ!」

「教会が神の言葉を教えてやる!」

当時の聖書はラテン語だったので、王様貴族はじめ俗世の人たちへの「絵解き聖書、神のお言葉」がこれらの絵だったということである。

当時のキリスト教精神が、トマス・アクィナスという要注意のおっちゃんによってみごとに表現されています。

トマス・アクィナスは、1225年頃、シチリア王国で生まれました。

伯父さんが「モンテ・カッシーノ修道院」の院長だった。この修道院は当時ヨーロッパの学芸の中心で、聡明なトマス少年は伯父さんの後継者になることが期待され。

実は日本やブラジルにも縁が深いモンテ・カッシーノ修道院

 

真面目人間で、勉学一直線の結果、ドミニコ会という、当時ヨーロッパの中でも屈指の学術機関に入会。

ところが、伯父さんはじめ家族はベネディクト会(瞑想修道会)なのに、あえてドミニコ会(托鉢修道会)に入ってしまったということで、家族は猛反対し。

「どあほが!タイガースにドラフト指名されたのに、よりによってジャイアンツに行くやつがあるか!」みたいな感じで?一時はサン・ジョバンニ城に拉致・監禁されて「考え直せ」と脅迫され。

でも、本人はいたって穏やかに、「阪神にも巨人にも『野球チーム』という普遍が宿っています。ドミニコやベネディクトというのは、普遍である神の個体上での表現です。神はどの個体にも生きているのですから、巨人の阪神の、とこだわる必要はありません」と、全くこたえず。

で、家族がどうしたかというと、

「女性を連れてきてトマスを誘惑までさせた(Wikipedia)」

いいのかベネディクト派教会?

というか、どんな誘惑をしたのか?

ブラジルの素敵女子を呼んできて、ベネディクトもドミニコもみんな一緒にサンバパーティーだ!そして、「1週ごとにベネディクト会とドミニコ会を交代し、週末はみんなで集まってパーティーしよう」とかだったらいいのになー。ぼくだったら一発で誘惑に負けちゃうとおもいます。

でも、誘惑する方もされる方も真面目だったようで、結局家族が折れ。トマスくんは晴れてドミニコ会デビューしたのでした。

サンバパーティー

 

その後いろいろあって、パリ大学神学部教授になったり、Doctor Angelicus(神の使いのような博士)とあがめられたり、当時の西欧思想界のリーダーとなった。

しかし、西欧はいろいろ危機に瀕しており。

まず、度重なる十字軍があり。最初はエルサレム奪還だ!なんて戦争景気に沸いていたヨーロッパも、コストばかりが増大し、イスラム軍の失地回復とあいまって、教皇権力は存亡の危機に。

一方でキリスト・イスラムの交流が激増した。古代ローマの思想・哲学を封印してしまったヨーロッパと違い、イスラム圏では実利的にじゃんじゃん活用して大発展しており、ヨーロッパにも逆輸入が始まっていた。

左二人がイスラム圏、右はユダヤ圏の学哲

左から、アヴィケンナ:中世マニュスクリプト(写本)、1271

アヴェロエス:ラファエロ「アテネの学堂」(ルネサンス絵画)、1509

アヴィケブロン:イスラエルの彫像

 

キリスト教からみて特に要注意だったのは「アリストテレス」。

実は現在でもいろいろな解釈があり、取りようによって変わってしまう(外部リンク)のですが、

◎世界の永遠性→黙示禄など、世界の終わりを定義するキリスト教義と反する。

◎魂(プシュケー)は、体を離れては存在しない→魂の不死、生前の行いに対する応報というキリスト教のコア部分の否定

◎二元的宇宙、つまり「天上界(天体)」と「地上界(人のいる世界)」の二元論で、地上界は天上界に影響される(天体の自律的運動)→神が全ての秩序を構成するという考えに反する。

二元的宇宙論にいたっては、天体の運行を予測できれば人間の将来も予測できるぜーと、キリスト教の嫌う占いの流行が起きてしまい。

これまでのキリスト教思想は、「すべては神から生まれる」(これも実は「すべては1者から流出する」という新プラトン思想の発展形ですが)。

そのエッセンスは「原罪このかた、人間が救われるには神への絶対服従が必要であり、神の救いは教会を通じてのみ得ることができる」なので、人間が勝手に天体占いなど始めちゃう(将来を構築しようとする)というのは神への冒涜以外の何物でもなく。

しかし、いまやヨーロッパの知識人に浸透しつつあるアリストテレス思想は、いまさらせき止めようもなく。

あやうしキリスト教!

ボッティチェリ画 「トマス・アクィナス(1481年)」

ルネサンス美術です

 

ここでトマスさんが奇跡の一言を発するのでした。

「別に、アリストテレスは、キリスト教の教えに反していないよ」

えっ?とおどろく教皇勢力。

「二元的宇宙にしても、目で見、手で触れる物質面での事象を説明あるいは仮定しているにすぎない。アリストテレスは物質の観察と分類のレベルにとどまっていたのさ」

「手で触れることのできない魂の不滅は、哲学しているレベルじゃ証明できない」

「それにひきかえ、主は、物質のさらに上の魂の部分も決定しているんだよ(宇宙論的証明)」

「人は死んだときに、初めて「栄光の光」を得て神の本質を完全に認識するものであり、真の幸福が得られる(Wikipedia)。だから生きているうちはキリスト教という信仰の導きが必要なのである」

「結局、哲学は、キリスト教をよりよく説明するための手段にしか過ぎないのだ」

おおおおおー!と歓声を上げる教皇勢力。

トマス・アクィナスは、どや!とは顔にはださず、持ち前の穏やかさで、スコラ学(当時の総合学術)で使われた有名なフレーズ

「哲学は神学のはしためである」

で締めくくり。

ちゃっかりギリシア哲学とキリスト教義を融合しちゃったのでした。

この当時は「何が何でも神ありき。神以外は全部クズ。クズの人間が自分自身の考えを持つなんてありえない」。

そして、神がある世界でのクズでいることが、いちばんの幸せだったりします。

「信仰によって救われるクズ」だからで、「異教徒は、救われることがないただのクズ」というのが当時の常識だったのです。

救われないクズに待っているのは地獄。

ジョット作「最後の審判(1305年)」。ルネサンス的な感情表現の始まり。

 

これがキリスト教的世界観だった。

まさに「神の時代」である。

しかし、「信仰」こそすべての時代のただなかで、はしためながらも存在を認められた哲学すなわち「理性」は、後のルネサンスで華々しく開花するのでした。

ということで、今回はおしまい。近い将来「人の時代」投稿します。こうご期待。

ではでは。。。

Posted by 猫機長
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オリンピックいろいろ考

前回のオリンピック記事は未消化のまま終わってしまい。もう一度考察してみます。

◎観客から見たオリンピック

一般市民の目から見たオリンピックというと、圧倒的に「TV画面」になると思います。どんなに大きなスタジアムでも収容人数は限られていますが、TVなら世界中で同時に共有でき。スタジアムで押しくらまんじゅう、フーリガンにおびえ、そもそもバスやタクシーでひいひい言いながら会場まで移動しなきゃならないし、チケットだってものすごく高い。というのにくらべると、TVの場合はコストは最小に抑えられ、のんびりと居間のソファにくつろいで、ネコと遊びながら、とはっきり言って全然楽です。じゃあ決死の覚悟でスタジアムに出て行って、何が見えるかというと、はるか遠くに小さくかすむ試合場に、ゴマ粒みたいに選手が動いているのが見えるだけになってしまい。TVであれば、試合場全景、あるいはカンカンに怒る監督のドアップ、試合のハイライト場面はこれもドアップで正面だのネット裏だの観客席では絶対見れない視点、大きさ、解像度で何度も繰り返し、あるいはスローモーションで楽しめます。確かにTV視聴者は受け身になりますが、プロのカメラマンやプロデューサーがあらかじめ何か所も設置したカメラをスイッチして送る画像であり、観客はお任せしていればおのずと最高の映像が飛び込んできます。

つまり、スタジアムで観戦、というのは、せいぜいラジオくらいしか放送手段がなかった時代の遺物になりつつある。

すごくお行儀が良い観衆。共産圏か?

宝塚とか、観客とスターが一体の歌劇なら、確かに最後列でも十分価値があると思いますが、サッカーの試合になってしまうと、目の前は応援の旗や、飛び上がって喜ぶおっちゃんのむくつけき手や頭で全く見えず、時たま地震のように揺れ響く観客席の振動で「あれ点を入れたかな」というのがわかるくらいで、要するにそういうのこそが好きで、わああーい、オーラだ!なんて大喜びでオーラの波に加わるくらいでないと、花火の煙で目はやられ、おやじの怒号で耳は聞こえなくなり、と、拷問になってしまうとしか思えないのはぼくだけでしょうか?

ぼくとしては、上記のとおりプロが計算しつくした最高の画像を、TVでもコンピュータでもスマホでも、自分の都合に合わせて見る方がいいと思います。彼女から電話が来ればすぐそっちにスイッチできるし。また、オリンピックだと多種目同時開催していて、柔道、体操、馬術、射撃、などなど、チャンネルを渡り歩いて、見たい種目を見る。あるいは「こんな種目あったっけ?」みたいな新しい発見もできて、知的な興味を刺激される、そいういのがいいなと思っています。

前回の記事に書いたように、アスリートによっては、観客の存在こそが最重要だ!とする競技者もいるし、また、サッカーの決勝戦でも、スタジアムを揺るがす大歓声、旗の波、飛び交うテープ、すなわち満員の観客席がないと。。。。と思わないでもないです。でも、F1(オリンピックじゃないけど)みたいに、無観客でも、実は全然気にならない、みたいなのもあると思います(世界中から得体のしれない変異株が観客にくっついて日本へ、というのに比べればずっとましと思います)。

アトランタ五輪 クレー射撃。

こういう静かな観衆というのも存在していた

 

結論として、試合というより、観客席で騒ぎたい人はこれからもスタジアムを埋め尽くすでしょうが、コロナ後の大会の在り方として、メジャーな球技(サッカー、バレー、バスケット、テニスなど)は別として、無観客試合があったとて基本試合の質をそぐことはないと思いますが、いかがでしょうか。野球は「打球音や捕球音が聞こえてよくなった」なんて感想もあり、謎です。

◎ビジネスとしてのオリンピック

メジャーな球技は、テレビ局はじめビジネス界のドル箱ですね。超人的なプレーを見たい観衆が大喜びで試合のチケットを買う、チームのグッズを買う、新しい大画面テレビを買う、何も買えない貧乏人でも、一か月の給料をはたいてバスに乗ってフラメンゴの試合は欠かさず通う、というのでも企業から見れば得難い収入であるから、スーパースターにハリウッド俳優もびっくりのギャラを払ってもペイするし、むしろ、さらにお客を呼ぶアピールになったりします。

フラメンゴFC。選手時代のジーコ
https://ameblo.jp/nagatsuna1977/entry-12521878095.html
 

というわけで、企業界にとってはオリンピックはウハウハ!これ以上ないおいしいビジネスですね。ただし、「無観客試合」などという呪いの言葉はもってのほかだ!と、選手に対しても「無観客の試合は出るなよ」みたいなプレッシャーをかけていなければよいのですが。

ここで、お金そして権力をもつものが、どのようにオリンピックを牛耳るのか、という要注意な課題が浮かび上がります。

◎政治から見たオリンピック

五輪憲章50条で「政治的、民族的宣伝活動の禁止」されており、今どき「北朝鮮がメダル!みんな共産主義になって将軍様に続くのだー!」なんてしらじらしいタイプのはありえなくなってはいます。一方、両手でバツ印を掲げて「僕らの民族が虐殺されている、助けて!」と訴えたマラソンランナーや、「ブラックパワーサリュート(黒人人権の訴え)」の場合は「一部政治グループ(政党・国家)の損得ではなく、世界の人類の共通の課題についてトップアスリートが直訴した」ということであり処罰すべきできないと思います。

左がリレサさん(出展:https://globe.asahi.com/article/11629675)

右がブラックパワーサリュート(出展:https://ameblo.jp/chihaya-furu/entry-12241906194.html)

 

そんなことを言ったら今後直訴・マニフェストだらけになってしまうぞ!という声が出るかと思います。世界中で報道されるオリンピックはプロパガンダ(善悪かかわらず)には最良のステージだからです。

商業ショーとして運営される限りはショーを見ようと群衆も押しかけ、アスリート側も群衆の知らない(忘れていた)事実について捨て身で訴えるということも避けられないと考えます。商業ショーに回せるほどの余剰があるのであれば、まず差別・貧困・飢餓の解消に回し、どの国でも、選手が悲痛な訴えをしないで済むくらいには豊かにするべきでは、ということです(理念です、実現性とかではありません)。

解決がないでもない。たとえば、ブラジルチームが1点ゴールするたび、まずはボルソナロ大統領が私費で100万ドルをスラムの病院に、次のゴールはドリアサンパウロ州知事が学校に寄付する、とかいうのだったらブラジル全国が熱狂的に応援するでしょうねえ。

◎まとめ

やはりオリンピックは「アマチュアが損得抜きで競技そのものの最高を目指す」という方向に全面的に回帰しなければ、と考えます(現在でも大したサポート体制もなく報酬(と言って悪ければ賞与)も得られない選手も多数いるとは思いますが)。

現状だと、サッカーなどプロチームのスーパースターがナショナルチーム代表でも出ていますが、このままだとW杯と全然変わんなくなっちゃう気がします。

あと、やめてほしいのは、メダル欲しさに選手の体を壊してしまうこと。女子体操などで、体が小さく軽い方がいい、ということなのか、まだ年端もいかない少女が栄養失調になってまで(一度食べた食事を吐いてまで減量する少女もいるらしい)、というのは禁止すべきと思います。いい大人がとにかく勝てばいいとドーピングに走るというのは論外。ここでも、スポンサーが選手に無理矢理ヤクの注射をさせる、というのがなければよいのですが。

結局、オリンピックは、あれ街角の八百屋さんが、ここ2か月閉まっているから潰れたかな?なんて思っていたら、TV中継で、アーチェリー・ナショナルチームの中に八百屋のおっちゃんを発見!みたいな感じになればと思っています。

プロのスーパースターによる奇跡のプレーよりもっとすごいエンタメが、スマホのバーチャルワールドでふつーの善男善女でも「体験」できる時代です。見世物とは一線を画した、アマチュア精神てなに(精神と知能)?というのがもっとわかる何か、になってほしいと思っています。

アテネにある古代オリンピックスタジアム

紀元前に作られ 、二世紀に大理石で改修、第一回近代オリンピック(1896)の主会場となった。 (パンアテナイ競技場)

ではでは

Posted by 猫機長
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ビットコイン暴落!虹色の復活はあるのか?

*ビットコイン関連連投ですみません。時事ネタなので、今週を逃せず。次からまた雑食ブログにもどります。

日本経済新聞電子版によると「5月23日の暗号資産(仮想通貨)市場でビットコインが急落した。一時3万1100ドル台と前日より18%近く下落。米中の取引規制強化への警戒から投資家の投げ売りが続いている。4月につけた史上最高値(6万4801ドル)から一時半値以下に落ち込んだ。」

とあり。大変なことになっています。

ビットコインは、このまま暴落を続け、消滅してしまうのか?

 

えへへへへ。。。。

 

グラフで緊急追跡だ!

 
https://br.investing.com/analysis/grafico-do-dia-queda-de-25-do-bitcoin-parece-ser-o-primeiro-estagio-de-declinio-200430462

 

この図で、1週間に25%暴落。7月17日時点で大変なことに。

あれ、7月17日?

まだ5月じゃなかったっけ?(*この原稿は5月23日に書いています)

よく見たら、2019年のグラフでした。ははは

 

おっちょこちょいだねーちゃんと今年のグラフをさがさなきゃ。。。。

というわけで、2019年から2021年5月23日までの推移はこんな感じ。

 
赤く囲った四角が、上記の2019年のグラフ。青い四角が2021年5月の状況。

 

つまり、赤い四角の当時にビットコインは暴落して消滅してしまったのではなく、当時の$13,000から2021年5月大暴落後の$33,936までに実は3倍近く上昇していたのでした。

他にも、緑で丸く囲った箇所のように、「大暴落だーこの世の終わりだー」という局面はいくらでもあり。

こうゆう局面でいちいち大騒ぎしていたら投資もへったくれもないですよね。。。

幸い、ビットコインが生まれたのは2009年と近年なので、誕生からの足跡をたぐることができ。取引が可視化されてきた2010年からの推移を見てみます。

 
https://studio.glassnode.com/metrics?a=BTC&m=addresses.ActiveCount

 

2010年時点で$0.06くらいから始まり、5月23日の大暴落でも$33,936ですから、およそ10年で実に565,600倍の上昇。ビットコイン恐るべし。

といって、過去にいくら上がったとて、今後が下がっちゃうんじゃ意味はなく。過去の挙動から今後の値動きを占ってみます。

まず、ビットコイン10年の推移で目立つのが「4回の上昇ピーク」

 

そして、それぞれの上昇トレンドがどのくらい続き、そしてどのくらい上昇したかとなると、こんな感じ

 

最初のⒶは1年で400倍という文字通り爆発だ!二回目Ⓑは440倍だが、到達まで2年かかっており、上昇スピードも半分に。三回目Ⓒになると、トレンドは4年間継続したが、70倍と著しく上昇率は落ちた。そしてⒹはいまだ進行中ですが、これまでの3年で9.5倍となっており、その矢先で5月23日の大暴落が発生した。

そもそも誰もビットコインなんて知らなかった初期にはハルマゲドン的な上昇だったが、裏を返せばめちゃくちゃ投機的な投資であり、かつ取引規模もあってなきがごとしで、小さな取引で大きい値動きが起こり。カジノでギャンブルしているみたいな感じで、上昇も爆発的だった。

これがⒷ、Ⓒ、Ⓓと進んでいくにつれ、マウントゴックスだのマスク砲だのと世間を騒がせながら、言い換えれば世間に認知されてゆくに従い投資手段として認められ、ETF出現により「暗号資産(暗号通貨ではないよ)」と国家権力からもお墨付きをもらったことで、一部のとんがったセミプロ投資にいちゃんだけでなく、世界の善男善女全員に開かれた、成熟した大規模の資産・投資手段になりつつあり、値動きもそれなりに鈍くなった。

といって、今のところは超ハイリスク、恐怖のボラテリティ(値動き)をもった恐ろしい投資であることは変わりなく。今後もあっとおどろく暴騰(暴落も)をすることが予見されています。

 

さて。

上記グラフを見ると、まだまだ上昇しそう、まだ値上げトレンドの中の一休みじゃん、みたいにも見れれば、いやいや2011年から2012年にすごい落ちちゃってるじゃん、今回もそうなるぞ、とも見れます。

 

どうなるのか?

虹色の変化球ではないけれど、どうとでもなりそうですが、なんとか大雑把な傾向だけでもつかめるツールはないのか?

 

ありました。

その名も「ビットコインレインボー」

https://exame.com/future-of-money/criptoativos/como-modelos-populares-de-previsao-de-preco-do-bitcoin-se-sairam-em-2020/

 

ビットコインの値動きについて、取引記録というかこれまでのグラフの上下動における最高点と最低点のレンジを割り出して、ボックス圏じゃないけれど、そんな感じで、このレンジの中で値動きしてます、みたいなのを、虹のように7つの価格帯に分けたもの。

なかなかこっているのは

赤:バブル最大。買うな!

オレンジ:高値圏

黄色:まあまあ中央値

緑:下がってきたぞ!購入用意!

青(紫):いまだ!買え買えー!

みたいな感じで表しています。

 

ビットコイン誕生から2021年5月までの「ビットコインの虹」はこんな感じ。

https://s3.tradingview.com/snapshots/c/C2UiGepO.png

 

このレインボーの未来予測の部分を拡大してみます。

 

この図を見る限り、現在の暴落場面でも、実はまだ中央値をちょっと割ったくらいだし、また、暴落直前の最高価格も、これもまだまだ中央値に毛が生えたくらいらしい。

どうやら$33,000あたりが値動きの一つの指標であり、この辺で「力を蓄えた」上で、2022年には$220,000に上がるかもしれん?

なあんて希望的観測をするのでした。

 

もちろん、本当にこの通り行くわけはないのですが、将来の傾向を予測するうえでは重要な示唆を得られると思います。

さて、ここまで読んで「ぐおおおー!ビットコイン投資開始するぞー!」と血気にはやる人はいないでしょうか。

そんな若者たちに一言。

「まず、インカムゲインで生活費が賄えるようになるまで、地道に投資すること。ビットコインよりそっちのほうが重要です」。

まず、ビットコインというのは、キャピタルゲインです。

キャピタルゲインというのは、投資した元本そのものの値上がりを狙う投資です。

例えば、今日100円を投資して、4年後にビットコインが7倍になれば、700円の収益です。年率175%というバケモノのような利率である。

しかし、それは、年率175%で増えるかもしれないが、逆に紙くずになってしまうこともありうることを示しているのである。

皆さんが、これからろくに年金も期待できないご時世で天寿を全うするためには、そんな根無し草のような投資に頼るわけにはいかないですよね?

 

では、どうゆう投資をすればよいのか。

それがインカム投資です。

簡単に言えば、元本は維持したまま、元本が生み出す配当などで生活する。生活できる配当額になるまでがんばって元本を育ててゆく。

不動産投資が典型的ですね。元本すなわち不動産は維持して、その不動産が生み出す家賃すなわちインカムで生活するということである。

そうゆう猫機長は、どうしてビットコインに投資するの?

中長期的に投資元本額を増やして、インカムを盤石にするためです。

幸い、現在でも、リートなどの配当があり。毎月、生活費を差し引いても35万円くらいが再投資できています。

その35万円の振り分け先の一つとして、ビットコインを選んでいます。

つまり、それこそ大経済クラッシュとかで月々の不労所得が35万円落ち込んでも、再投資するお金は無くなるが生活の分は賄える。

そういう感じの「再投資分」をビットコインETFに「つみたてて」います。

がんらい、こういうキャピタルゲイン狙いの高リスク投資は、全資産のせいぜい2%くらいが相場とされているようです。

 

ビットコインみたいな投資から生まれる利益(キャピタルゲイン)は、紫微斗数でいうところの「横発」つまり、実は裏付けがないのに、突然生まれるお金、というのが正直なところなので、儲けた分はさっと(というか、咄嗟に?)実体のある資産(不動産でも、インデックスファンドでも。僕はリートを主力にしています)に変えなければなりません。

というわけで、まずは地道な投資で目標1憶だ!それから、ビットコインもやってみよう!みたいな感じがよいとおもいます。

 

なんか偉そうな終わり方だ。

この原稿を読んでいる若い人が、ぼくの年齢になったときに「猫機長のブログを読んでおいてよかったねー」と思ってくれることを願って、書いています。

ではでは。。。。

Posted by 猫機長
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戦国時代のビットコイン:茶の湯のお話

古今東西の戦乱の世を統一した英雄たち。始皇帝から始まり、ジンギスカンや信長など、武力で制圧したかに見えるのですが、実は経済力の裏付けが必須だった。

武力と経済力は、どちらがニワトリでどちらが卵か?という関係で、残虐な武将というイメージのジンギスカンにしても、実は戦争を仕掛ける前に、第三国の隊商などを活用して、こっそり、かつじゃんじゃん仮想敵国と商売して敵の弱みを探り、十分儲けてから「さあ力でボコって略奪するぞ」と武力行使に及んだのですが、最後のステップである戦争ばかりが目立って歴史に残ってしまいました。

戦国時代の趨勢に決定打を与えた茶道

 

徳川家康の場合はもっとシミジミしています。

人質時代だったか?領地に里帰りする許可をもらい、お供の人と領内の田んぼを視察していたところ、あれ、すぐわきで農作業しているのは、近藤という家来じゃね?

「おーい近藤ちゃん。ぼくだよー」と声をかけました。

ところが近藤さんは、知らん顔をして農作業をつづけています。

とろいやつだなー、ともう一度声をかけようとした家康を、お供の人が制止。

「殿、分かってやってください!あいつは侍なのに貧乏で百姓の内職をしていることを殿に見られたくないんです」

あああ、そうだったのか!

そしらぬ風にあぜ道を通り過ぎる家康。しかし「うううすまん、いつかはこの家康が我が国を立派に繁栄させて、誰も副業しないでいいようにしてやるから、それまでのがまんだ」と、頬を涙に濡らしており。一方で、近藤さんの方も、しゃがんでカマをいじりながら「殿、我ら家臣がかならずや殿を人質の境遇から救い出しますゆえ、それまでご辛抱を」とやっぱり涙。両者の声にならない会話を心で聞いたお供の人もまた涙の、少年漫画を地でゆく感動巨編になっていたのでした。

 

でも、本質は感動でも涙でもなんでもなく。

経済力がなければ弱者として踏みにじられる、ただそれだけのことです。

(*ちなみに、このエピソードは作り話で、元ネタは家康のお父さんと家臣のお話(三河物語)らしい。https://www.sankei.com/west/news/150406/wst1504060024-n3.html)

 

世の中ゼニ、銭、ゼニ。やだなあ。

さて天下統一を実質成し遂げた信長ですが、人質まではいかずとも、最初は弱小領主に過ぎず。どうやって戦国最強の軍事力を整備するためのゼニを稼いだのか。

 

ここで本稿の核心に到達しました。

当時「ゼニ」といっても全国で通用する貨幣なんてなくて、どれだけ農産物を生産できるか、すなわち「石高」が勝負だった。要するにどれだけ広い領地を持っているかが重要であった。

ところが、信長は、もっといい「ゼニ」はないのか?とコペルニクス的転回を思いつきます。

 

すみません、ここで突然ですがお話を現在にワープさせていただきます。

現在では「ゼニ」そのものすなわち貨幣があり。そして貨幣の獲得には、アダム・スミスの言う通り「産業こそが国のパワーの根源だ」「価値は労働によって決まる」、つまり労働によって産業を興隆させた国が経済力を獲得し強国となっています。

ぴよぴーよ速報:https://www.youtube.com/watch?v=1VhIvVffHU4

 

ところが、ブロックチェーンという技術革新で、伝統的な労働とは違った形でパワーの獲得が可能となっています。

その形とは「マイニング」そして、富の名は「ビットコイン」。

マイニングというのは、はしょりますが、ITアルゴリズムによってビットコインを電子的に「採掘する」こと。これは電算処理であって、農業や産業ではありません。しかし産業で、貨幣という「価値指標」に換算されるパワーが創造されるように、マイニングでもビットコインという「価値指標」に換算されるパワーがやはり創造されているのです。

そして、マイニングで誕生したビットコインは、その保有と売買によって価値が何倍にもあがってゆき。

つまり、在来の生産手段を持たない人でも、首尾よくビットコインが入手できれば、恐るべきパワーを獲得したも同然と言える世界になっています。

 

ここで、信長に戻ります。

アダムスミス言うところの農業・産業で武田、今川等の超大国に脅かされ、経済力の重要さを思い知らされた信長は、なんかビットコインみたいなパラダイムシフトがないのか?と悩んだところ。

 

ありました。その名も「茶の湯」

 

といっても、最初は近隣諸国から奪った農地による産業で経済力ひいては武力を強化し、日本の中で信長に逆らえる武将は少ない、というところまで持って行き。

信長の言葉は神の言葉である、くらいまで支配強化された勢力圏が築けたところで、そのシマの中で「茶の湯ビットコイン計画」を実行に移します。

武将を集めていわく

「今回千利休に作らせた楽焼(湯のみの一種)は一国と同じ価値がある」

諸国の武将は、これを聞いて、どわわわー!とどよめき。

そして「武将のなにがしは、今回の戦で大きな手柄があったから、この楽焼を褒美に与える」と宣言。

楽焼をもらった武将は「おおおおーこれは新たに一国一城の主にしていただいたと同じご褒美!喜んでいただきまするー」と平伏して拝領し。

並みいる諸将は、これでなにがしも一国一城の主か!と一目も二目も置くこととなりました。

重文 黒楽茶碗『大黒』|長次郎

出展:https://tea-ceremony-tokyo.club/

 

信長の狙いは、土地以外の価値を作ることによって、土地すなわち生産力が信長以外の武将に集中することを避けることでした。

一方、武将のほうでも、すでに大方平定されてこれ以上分割が難しい土地そのものよりも、神である信長によって、土地と同じ価値がある!と承認した湯飲みをもらうことで地位権力が得られるなら、それでもいいや。となり。

舶来品。左が唐物、天目茶碗。右が高麗物、井戸茶碗

出展:https://art.iroiro.co/article/art/chawan/teabowl-juubun

 

この「湯のみ作戦」で重要なカギを握ったのが千利休さん。

信長は「湯のみつまりビットコイン」を使用あるいは配布する方なので 、「マイナーつまり作成者」が必要であり。

このマイニングも、ちゃんとした電子計算をしないとビットコインができないように、湯のみの方も、贋作(偽札?)と明確に区別するために「純正品です」という保証が必要になり。

「マイニングにおける正しい電子計算」の役割を果たしたのが千利休でした。

千利休は、いろいろな湯のみを鑑定して、気にいったのには「利休印の名品」みたいな保証を与え。

信長が「これは一国に値する楽焼だ」といったその楽焼は、あらかじめ利休が目利きして「本物です。スーパーで売っているようなテキトーな乱造品じゃないよ」と保証したからこそ、武将も安心して拝領できた。

湯のみそのものはビットコインのごとくであり、湯のみで億りびと!が多数誕生したのでした。

元祖マイナー、千利休さん

 

このシステムを大成させたのは、信長の後を継いだ秀吉。

信長も独り占めしようとして達成できなかった『天下の三肩衝(かたつき)』と呼ばれる最高の3つの器を独占入手し、新たな神であることを証明するとともに、神の証明にもなるくらい、器が重要なんだよ!と諸侯の洗脳に成功し。領地などと織り交ぜて、みごと諸国の大名の懐柔に成功したのでした。

左から「初花(はつはな)」「新田(にった)」「楢柴(ならしば)」

ならしばは1657年に火事で行方不明になり、復元品です。

出展:初花、新田はhttps://tyanbara.org/business/sengoku-history/2018010125032/

楢柴はhttps://www.sadogu.co.jp/sadouguhanbai/ProductList/tyaire/narasibatyaire.html

しかし、このころから、茶道を政治経済の道具としてしか見ないビジネスオーナー秀吉と、実はわびさびが好きだった芸術家千利休は、そりが合わなくなり始め。きんきらきんの茶室を作って喜ぶ秀吉には、湯のみを政略の道具以上にしようとする利休は邪魔になり、うまく理由を見つけて処刑してしまいました(切腹申しつけ)。

 

一所懸命の武将たちに、所領と同等以上の価値を見出させる湯のみは、美術品としても超一級でなければ務まらなかったと思います。そして、利休はそういった超一級を見抜く本物の芸術家だった。

時代を超えて今日に至っても、初代長次郎の楽焼は3億円に相当するなどと評価されています(黒樂 銘万代黒)。一方、ビットコインはどうなるか?

ぼく個人は、とある理由により、この原稿を書いた2021年2月7日時点では、ビットコインは買っていません。この理由となっている制約条件が解消されれば、投資対象として買うかもしれません。

(*4月26日、とあるビットコイン投資始めました。詳しくはこちらの記事で。)

この記事が、皆さんの投資戦略を考えるうえで、一つの参考になれば大変幸いです。

ではでは。。。

Posted by 猫機長