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日本の「韓国化」に気を付けよう

ようつべで「世界剣道大会」を見ました。

団体決勝は日本対韓国ということで、へえーどんな試合かな?さぞやシャープな、目にも止まらない早わざ、豪快な大技が繰り出されるのか?と期待していたら。。。。

(リンクは:)

クリンチ(つばぜり合い)ばっかりでした。

つばぜり合いhttps://k.mandarake.co.jp/auction/item/itemInfoJa.html?index=558378

 

 

剣道では、打ち込んで前へでる、という動きが基本であり。両者前に出れば、ごっつんこ、体当たりからつばぜりになるのは普通ですが、そのままの体制では打つに打てないので、相手を押したり、自分が下がったりして、ちゃんとした打ちができるスペースを作る。

フツーは、つばぜりになったら、両者相手の奇襲を注意しつつも切っ先三寸の間合いまで開いて、そこで勝負しなおし、となるのですが、韓国選手の場合、竹刀をからみあわせたまま、日本選手がいっしょうけんめい間合いを開こう(距離をとろう)としても、その竹刀を腕などでひっかけて、離れるに離れられないようにしてしまっています。

*動画を見るともっとわかりやすいです。

 

 

ううーむ、いいのか?確かに古流で「そくいつけ」と言って、つばぜりの体制から相手を離れられないようにして、両者からみあったまま最後は相手を地面に押さえ込んでしまう、という技がありますが、現代剣道ではそんなことしてもせいぜい反則を取られるくらいだし。

竹刀の先端から物打ちが交差するくらいの距離が基本の間合いです

 

 

切っ先三寸の距離がないと、十分な技はなかなか出せません。遠すぎてもだめですけど。

でも、近くでからみあっていれば、相手からも技を食らわなくなるわけで。試合終了近くに一本先取した場合など、そのままつばぜりにもちこんで時間切れまで逃げ切る、という試合テクがあるくらいです。

さて、今回の韓国選手ですが、スポーツとしては一つの戦略ですが、古来の剣道・剣術とはかけ離れたものになってしまっているのでした。

そういう偉そうなことを書くお前は剣道範士か?

すみません「兵法二天一流剣術」の「初目録」です。というぜんぜん大したことない免許ですが、ぜんぜん剣道やったことのない素人でも、「これじゃあやばいよねー」と簡単に言える状態になっているのです。

上記の写真をちょっとアップ。

 

 

もし、これが竹刀じゃなくて刀だったら?

韓国選手は横首、あるいは右手首をスパッとやられて、ギエエエー!と血煙りに沈んでいるところです。(ちなみにこの写真では、刃すじは手首に向かってますね)

つまり、肩と手を使って相手の刀(刃)を抑え込むという、どんな素人から見ても一目瞭然の、真剣勝負ではあり得ない動作になってしまっているのです。

スポーツ剣道としてのルール上、相手の首に刃筋を当てたり、手首を単に刃の部分で抑えただけでは一本にならないので、韓国選手のようになりふり構わず試合を硬直させて、あわよくば反撃を、みたいなケースが出てきてしまうようです。

要するに竹の棒を当ててポイントを奪い合うという競技で、ポイントにならなければ刃筋もへったくれもないじゃん?同様に、ポイントになりさえすれば、どんなことしたっていいじゃん?

勝って実績を作ることしか考えない「悪知恵」全開になっています。

ううむ韓国の人たちごめんなさい、でも、これって韓国だけじゃなくて、オリンピックでも、試合以前に段ボールベッドの上で「ぎゃははーこわれろこわれろー」と大勢で飛び跳ね。ばかん、ぐしゃしゃしゃー!わああいー壊れた壊れたー!という動画があり。

小学生かお前ら?

https://game.4g63evo.net/?p=93669

 

 

というような事例が頻発しています。

さて、ベッドで飛び跳ねるというような行いを、アイルトン・セナやペレ、日本でいえば王選手やイチローがやるでしょうか。

「コロナで命を犠牲にしてもいい」と出場したオリンピックであれば、これからも大事な試合が控えている状況で、もし転倒でもして足でもくじいたら?とか考えないのでしょうか。また、そんな暇があったら、周囲の選手の見るべき技の研究、自分自身の技を最高の状況に持っていくためのチューニングなどで精いっぱいとなり、別に王選手までいかなくても、まともな選手であればこんなバカなことはやらないと思います。

まるでコロナ感染への配慮もできない、三流のならず者たちが、オリンピックという見世物小屋でギャラ(あるいは何らかの褒賞)をもらうために、心にもない「命を犠牲にしてもオリンピックに参加する選手」を演じさせられてストレスがたまり。ガス抜きしている場面をバカッターしちゃった、という感じにしか見えないのはなぜでしょうか。

このケースは、単に知能が低いだけとの理解ですが、韓国の場合、「韓国は日本の被害者だ」、「韓国は日本に絶対勝たなければならない」そして「日本相手なら、どんな手段を使ってもいい」という恐ろしい呪縛によって「悪知恵を働かせなければならざるを得なくなっている」のかもしれません。

「剣道であるかどうか」は二の次になってしまい。とにかく勝てさえすればいい。

反日思想というスケープゴートの存在により、韓国の一定の人たちが良識、思考といったものを麻痺させられてしまっている。

剣道に限らず、サッカーでも、勝てない場合は、試合が終わって握手を求められてもすねちゃうとか、全然すがすがしくない場面が発生し。

https://news.yahoo.co.jp/articles/656c6cc29725fc8e09b252e904388f0a378078af/images/000

 

 

この記事は、韓国の悪口を書くために書いているのではありません。

韓国の一部の人たちの行いから学ぶべきものは何か、という意味で書いています。

韓国の人が極悪人、という事ではなくて、上記の呪縛によって、良識のない行いをするよう追い込まれてしまっているのだと理解しています。

さて、日本は?

日本人の模範となるべき、とは言わず、日本という国の一つの「要約」「集約」である日本政府は、日本及び世界の重大課題であるコロナ対策について、こんな感じです。

出展:https://note.com/hyamaguchi/n/n0c60c7292ec3

 

 

何をしたらよいのかわからなくなっており、なんでも中途半端。アクセルとブレーキを両方踏む状態となっています。

自分の意見を確立できないでいる日本人は、自分以外の「権威」がうまく何らかのスケープゴートを見つけてしまったら、それに誘導されて「韓国化」してしまわないか憂慮しています。

さて、自分の方向性をしっかりもった場合としての、よい例はないのか?

ありました。

やっぱり剣道世界大会ですが、ルーマニアチームそして日本チームがあり。

動画はこちら:https://www.youtube.com/watch?v=X2Rkcqe331U

まずルーマニアから。

ルーマニアも日本も、つばぜりで試合をスタックさせるという事は全くせず。

下の写真は、つばぜりから、日本選手が一瞬で後ろに飛び下がり、同時に相手の面を打ったところ。

これは「引き面」といってわりとポピュラーな技であり、つばぜりの場面で多用されますが、技能に勝る日本選手が見事決めたのは当然として、ここではルーマニアの選手に注目ください。

 

 

面をくらいながらも、果敢に前進しています。

剣道では、前進し、体の中心からずらさないまっすぐな技が至上とされます。引き面もありますが、引き技は近間で膠着して、仕方なく、というたぐいの技であって、本来は一足一刀の間合いから、堂々と攻め勝って真正面の中心から打つ、というのが基礎であり奥義であり。相手がまっすぐ打ってくるのを、ちょっと2寸(6センチくらい)横に自分の体をずらして、斜め横から打つ、というのは確かにありますが、なるべくならやらないほうが良い。引いて打つ、というのも同様。

こちらの動画を見ていると、解説者が「ほんとうによく引き面が決まりますねー(3:44や5:47)」と感心していますが、そもそもルーマニアでは、あまり引き技をしていないのではないかな?まさに「なぜかわからないのに打たれている(6:00)」状況だったりして。

でも、それじゃ日本はあまり褒められない勝ち方ですねー、格下相手だったら、出頭面で勝つとかできないかなーとおもったら、大将戦で、見事前へ出る面二本で勝ちました。

 

 

大将戦の「横綱剣道」で、相手チームに模範を示した日本。そして、ひるまず、前に出る果敢な剣道のルーマニア。こういう試合が、勝った負けたではなく、剣の理念を修練し、心身を錬磨し、礼節を尊び、信義に重んじ、そして自他の繁栄につながる、そういった精神をもつ人々の育成につながると思っています。

ではでは。。。

Posted by 猫機長
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ウクライナのにがよもぎ:核戦争後の世界

にがよもぎ、というのは、植物の一種で、アブサントという要注意なお酒の原料になったりするやばい草です。

ロートレックも身も滅ぼした悪魔の酒、アブサント

 

 

お酒で幻覚症状が出るくらいならまだしも、問題は、世界を滅亡させるかもしれない恐ろしい危険を持っているところにあります。

その危険が、聖書の「ヨハネの黙示録」というところに書かれているのです。

黙示録は、22章にわたり、世界の終わりについて膨大な記載で綴られた恐ろしい預言書で、なんとウクライナのことも書かれているのが、いわゆる非公認の事実として知られるようになりました。

その中でも特筆すべきに、7人の天使が、ラッパを吹き鳴らして迫りくる惨劇を予告するというくだりがあり。Wikipediaから今回関連する6つのラッパを引用します。(7つ目は「その後、世界は神の国になりました」なんて森元首相の受け売りみたいなフレーズなので省略)。

第一のラッパ:地上の三分の一、木々の三分の一、すべての青草が焼ける (8:6-7)

第二のラッパ:海の三分の一が血になり、海の生物の三分の一が死ぬ (8:8-9)

第三のラッパ:にがよもぎという星が落ちて、川の三分の一が苦くなり、人が死ぬ (8:10-11)

第四のラッパ:太陽、月、星の三分の一が暗くなる(8:12-13)

第五のラッパ:いなごが額に神の刻印がない人を5ヶ月苦しめる(9:1-12)

第六のラッパ:四人の天使が人間の三分の一を殺した。

黙示録、7人の天使

 

 

現代語訳してみます。

第1のラッパ:全面核戦争が起こり、核爆発と、火災旋風と言われる猛烈な火災によって地球上の3分の1が焼ける

第2のラッパ:爆心地から衝撃波が広がり、建物は浜辺に作った「砂のお城」のように吹き飛び。人々や生き物は「血まみれ・阿鼻叫喚」の事態に。ここでいう「海」は「海の惑星地球」そのもののことという見方もあれば、第4のラッパでの「核の冬」に基づく気候大変動によって海洋生態系も壊滅することを予告している、という解釈もあります。

第3のラッパ:ここでにがよもぎが登場。「川が苦く」つまり汚染が広がり、人が死にます。要するに、にがよもぎとは放射能のことだった。

第4のラッパ:核爆発により地上から吹き上げられた粉塵(ブラックカーボン)が空を覆って、日光が遮られ「核の冬」に突入。煤煙は成層圏に5年ほどとどまり、地球の平均気温は5℃低下。農業生産、水産業共に壊滅。

第5のラッパ:どうやらCOVIDが世界的にぶり返し猛威を振るうらしい。「神の刻印を受けていなかった」つまりワクチン接種していなかった人たちがもがき苦しむ。ちなみに、聖書の5か月というのは神の時間であって、人の時間軸だったら5年かもしれん。いなごを放射能とする見方もある。

第6のラッパ:要するに人類の3分の1が死んじまいました。調査研究によっては、生き残るのが3分の1だぞーと言っているのもあるらしい。3分の1しか生き残れない、というのは「日月神事」も言っており、オカルトと科学が不気味な合致を見せています。

爆心地である「火球」(Fireball)の範囲が白、「放射線」(Radiation)の範囲が緑、「衝撃波」(Shock Wave)の範囲が黄色、「熱線」(Heat)が赤。

https://gigazine.net/news/20180330-outrider-interactive-nuke-map/

 

 

と、ここまで読んだ皆さん。

ぎゃあああー!死にたくない死にたくない―!と狂乱状態に陥っていないでしょうか。

実は、ぜんぜんだいじょうぶですよー上記は単に「核爆発が起きたらどうなる」という段階をむりやり黙示録に当てはめただけの妄想ですから。ははは

ただ、この種の妄想はぼくだけではなくて、いろんな人が「研究」して楽しんでいるらしい。

逆に、なぜ妄想だといえるのか?

それは、黙示録という事態が、実は昔から何度も起きており、今後も起きていくであろうからです。

なんだそりゃ?

例えば、地域的に限定された災害でも、巻き込まれて死んじまう人は死んじまうし、巻き込まれない人は生きながらえたうえ、ギネス級の長寿で「ぴんぴんころり」となる幸せな人も世界中でいっぱいいるのです。

少なくとも、日本では2回の「黙示録」が起きました。

1945年の広島と長崎です。「天使のラッパ」が原爆投下の日から鳴り響いた。

でも、世界滅亡してないんじゃね?いやいや、そんなことは、2022年の平和な日本で、つまらなさそうにこのブログを読んでいるあなただから言えることであって、広島の原爆で焼け死んだり、放射能などでもがき苦しんで死んでいった人たちにとって、死んだその日が黙示録、「最後の日」だったわけで。

かく言うぼくも、いかにも他人事みたいにへらへらとブログを書いていますが、明日おたふく風邪でもひいて、あれよあれよというまに死んじゃったら、それはぼくにとっては世界の終わりであるし、そのぼくが埋められた無縁墓地の1キロ先にあるアパートでラーメンを食べているお兄ちゃんにとっては、世界は全然終わっておらず。黙示録、なにそれおいしいの?という、どちらも正真正銘の真実だったりするのです。

 

 

どこまで「黙示録」は他人事なのか。

人それぞれだと思います。

心配性な人は、こんなてきとーなブログを読んだだけで、もうだめだー!となってしまうし、神経の図太い奴は、ぎゃはははは猫機長がまたくだらないギャグを書きやがったな!絶対いいね!はしてやらん!とほざくことでしょう。

よいこの皆さんはぜひ「いいね!」押してくださいね。

さて、「聖書」にちゃんとウクライナのことが触れられていると書きました。

東欧の人たちから見れば、あのことじゃん、と、たぶんピンとくると思います。

なんのこと?

ウクライナには、チョルノービリという原子力発電所があります。

この「チョルノービリ」を日本語にすると「にがよもぎ」になるそうです。

なんでわざわざこんな名前を付けたんだ?今になっては知る由もなく。

つまり、これは「神のおしらせ」と思っています。

神というのは、エホバかもしれないし、ゾロアスターかもしれない。あるいは、あなたを「〇に敷いている」あなたの奥さんかもしれません。要するに、あなたの理性、感情、意志、行動を決定づけており、これがないと、あなたはたちまち衰弱して死んじゃうぞ見たいなエネルギー。僕としては「中心太陽」が一番近いかなと思っています。

仏教では「牛」ということもあるらしい

 

 

にがよもぎのあるウクライナで起こった戦争。

日本も核武装しろ!とか、核戦争にならないようウクライナはとっとと降参してロシアに蹂躙されてしまえ!とか、そういう過激な行いには、建設的な未来はなく。本当に世界全体を巻き込んだ黙示録の世界になってしまうぞ!

どうすれば解決するのか?「お湯を沸かして3分です」なんてスピーディーで決定的な回答はありませんが、ものすごく遠回しに見えて、ロシアもウクライナも自由で繁栄した快適な国に発展するよう世界でいろいろ支援(制裁)することで、世界の人々が、戦争なんてしなくても、満ち足りてのほほんと生きていけるような、そんな世の中にする必要があるのですよ、と神様が教えてくれているのかもしれません。

ロシア兵から「命令でしかたがなかったんだ。ごめんね」のメッセージ。ほかにも、「すごい恵まれた生活だね、うらやましいよ」みたいなのもあったそうです。

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これらのメッセージは、実は皮肉だ、ウクライナ人をあざけっているんだ、という人も多いですが、一定数のロシア兵が真情の吐露として書いていると信じます。

世界が自由になるためには、まずは自分自身が自由な生活ができるようになる必要があります。日本のような滅私奉公の国では、日々生き残るだけで大変ですが、だからこそ、もっとのほほんと暮らせる国にならないかなーと考える機会が神様から与えられたのかもしれません。自分自身の生活をよくするために、ぜひ「アーリーリタイア・軽飛行機で空を飛ぶ」の「経済編」と「スピリチュアル編」をじっくり読んでください。息抜きに「軽飛行機編」もどうぞ。

恐怖と抑圧の「土の時代」の最後の大嵐がこの戦争であり、こんなことやってる場合じゃないぞ!という気付きを得た人類が、理解と繁栄の「風の時代」へ、ついに第一歩をしるすきっかけになったのではないかと、願っています。

チェルノブィリヌィク (Artemisia vulgaris)

聖書の「ニガヨモギ(Wormwood)」には、「ニガヨモギ (Artemisia absinthium)、オウシュウヨモギ (Artemisia vulgaris) などが該当する」とのことです(Wikipediaより)。

https://commons.wikimedia.org/wiki/File:ArtemisiaVulgaris.jpg

ではでは。。。

 

Posted by 猫機長
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Quora質問リクエストに答えて

Q&AサイトのQuoraで、気ままにいろいろなスレに回答していたら、名指しでぼくに回答してくれ、という質問スレが立ち。こんな感じで答えました、というのを抜粋しました。

「Quora 世界最大級の知識共有プラットフォーム ビジネスと人生の課題をすべて解決する (アスキームック) Mook」

以下、質問と回答です(回答は字数減少など修正しました。おおむね4月初旬に回答.。最後の一問を除き、ウクライナ情勢に関するお題となっています。)
 
ロシアのウクライナ侵攻に関して、ウクライナは早く降参すべきというコメンテーターがいますが、これは日本の平和ボケの象徴でしょうか?

ブラジルに住んでいます。日系企業に就職したブラジル人が、まず驚くことは「日本の会社では、身分の上下によっていう事が決まっている」という事だそうです。

上司はその場の気分で「そうだ、ウクライナを侵略しよう」とでまかせに言い、部下は「はい」「そうですね」あるいは同義語で答えることが常識になっている。部下が別に他意なく「いえ、自分はこう思います」といったが最後、村八分になり退職、とべそをかいていた人もいました。

「ウクライナは早く降参すべき」という言葉は「弱者は強者にしたがえ」という、恐怖政治、強権政治、全体主義がいまだに日本に根強く残っているという恐ろしい現実を示しているのではないでしょうか。

そういった意味で、日本はいまだに「ボケ」ているのかもしれません。でも、メタバース時代になり、ボーダーレスで世界中がつながるようになった今、少しづつ人権重視の自由な思想が日本でも広がってい行くと、期待しています。

 

 
ウクライナを攻撃するロシア軍、率直に貴方はどう思われますか?

メタバースやNFTのご時世に、19世紀のような侵略戦争が起きたことに、戦慄しています。

侵略を起こした軍隊は、不慣れなアメリカ的ピンポイント攻撃に、案の定失敗し、侵略した地域でやっていたことは絶滅戦争における「相容れぬ敵の浄化」という、独ソ戦そのままの、ナチスドイツも真っ青な残虐行為だった。

どんなに時代が変わっても、意識が低いままでは人間のやることは独ソ戦から進化できない、ということと理解します。

知らないうちに「ナチからの解放」など完璧な「正義」を隠れ蓑に、巧みに戦場に駆り出された兵士たちは、しかし「そんな正義はうそだ」と本能的に悟り、上層部から押し付けられた不条理を反射的に占領地の無防備な人々へ転化することで生き残っています。その残虐行為そのものもさることながら、自らが残虐行為を行っているという自覚がない。なぜなら、国家から、制度から、親から、そのような残虐行為をされて育ったから。

そういう地獄のようなレベルの意識を持った人たちが世界最強レベルの軍事力を持っています。

どうすればよいのか?憲法第九条を改正し、核武装や攻撃打撃力を増強して、力でねじ伏せればよいのか?

ぼくはそうは思いません。

軍事力は必要です。でも、日米同盟とNATOがそこは支えればよい。ちなみに、ウクライナがこうなってしまったのは、NATOがいつまでも加盟させなかったからと思っている一人です。

日本は、難民の受け入れ、防弾チョッキなど人の命を守る装備の支援。地獄のようなロシア国家から、勇気ある脱走を試みるロシア兵士への支援(ウクライナが彼らに渡す報奨金の支援)。もし僕が日本の首相だったら、「いずも」と「かが」に大きく赤十字の塗装を施し、非軍事救援物資を満載してオデッサに向かわせたと思います。リスクが高すぎるかもしれませんが。

あと、世界の石油資源・天然ガスなどの試掘への支援。サハリン2は、お金でサハリンごとロシアから買ってしまえばいかがでしょうか。アメリカがアラスカを買ったように。そうすれば、サハリンが第二の「収容所群島」となって、ウクライナの人々が拉致連行されることも防げると思います。

いつかアメリカの経済力(チューインガム、チョコレート、洗濯機、冷蔵庫、テレビなどなど。。。)で日本が自由な生活に目覚めたように、ロシアが、自由世界的な価値観を持つ民族の国家に再生する支援を、今度は日本ができる時代になったと思います。

 

 
ウクライナに対するロシアの暴挙、どのような形で終結すると思いますか?

このご質問については、予想ではなく、西側の一員として、「このような形で終結させなければ」という希望について述べさせていただきます。

プーチンは正常な判断力を失っており、腐敗した取り巻きは、民衆の生産を横流しするなど(例:軍のコンバットレーションが兵に行かず、インターネットで民間に横流しされるなど)私腹を肥やすことに血道をあげている状況で、権力者からの非道な扱いを普通と思ってしまったロシア人たちが、ウクライナで今度はウクライナ人を虐待するという負の連鎖を断ち切る必要がある。

そんな不条理を不条理とも思わない相手と直接の大戦争を行っているウクライナに、「(ラーゲリなどの)畑から量産されるロシア兵」がいくら押し寄せてきても、ドンバス、ドネツク、クリミア含め押し戻して、ロシアの首脳部に「やっぱりロシア国民を虐待したほうが、周辺国を虐待するより低コストだ」と納得するまで西側諸国はウクライナを支援し、ロシアに制裁を続ける必要があります。願わくば「自由を信じる不穏分子たち」が国内からプーチン政権を打倒し、自由市民革命が起きることを、願っています。

https://webservice.love/webservice/detail/quora

 

 
ウクライナとロシアで停戦協議が成立した場合、翌日から世界を含め何が起きますか?停戦となっても経済制裁は解除されず、ロシアへの信頼は回復しないと思いますが、どのような世界になりますか?

どのような世界になりますか、というより、どのような世界にしますか、という事だと思います。

積極的にロシアに侵攻すると第三次世界大戦なので、ウクライナが東部地方やクリミアなどすべてを回復した時点で直接軍事行動は終結させる。

このさい、停戦協議が成立すればいいし、わざわざ成立させなくても、軍事力で西側優位を保ってロシアの再侵攻を許さなければ、戦争状態継続でも実質は変わらない。どうせロシアは停戦協議をしても後で簡単に破る。

その後ロシアに対する徹底的な制裁により、ソ連のように内部から瓦解させる。何十年かかかるがわかりませんが。エネルギーでのブーメラン効果に耐えるため、ドイツなどは原子力発電再稼働が必要かもしれませんね

崩壊後のロシアは「巨大な農場」にして、一切の工業生産を禁止する。ガスなどの資源は多国籍軍が駐留して維持管理する。核兵器はすべて解体する。

プーチンはじめ存命していれば戦争犯罪人として国際軍事裁判でさばき、処刑する。

つまり、ロシアという国が消滅しない限り世界平和はやってこないということです。

その後は、ロシア国民が自ら自由国家になろうとするならば、憲法第9条などを盛り込んだ憲法によって国際復帰させる。でなければ、最初に書いたように巨大な農場として永遠に工業開発を禁止する。

以上です。

 

 
“ニュースの見方として”様々な方向や言い分から、そこにある多面的な立体感を理解したり想像する他にあなたが心掛けている事があれば教えていただけないでしょうか?

◎剣道の経験を振り返り、先をとる、技前の攻め、といった技法・心法を常時思い浮かべるようにしています。

◎将棋ソフトで遊んでいます

◎小さな飛行機で、その辺を飛んでいます。

*この質問も、ウクライナに関係しているといえば、いえますね

ではでは。。。

Posted by 猫機長
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正岡子規と西洋絵画

子供のころ、「坂の上の雲」という恐ろしい小説を読み。

文化人の描いた「文人画」 与謝蕪村「宜暁(あかつきがよろし)」1771年

 

 

ロシアにカツアゲされた日本が、軍艦や軍隊で先制攻撃して日露戦争を開始し、ロシアをやっつける、というのを書いたすごい小説です。

でも、当時はまだまだ「ジエイターイ!税金ドロボー!」の時代で、よくも軍隊が活躍して外国に攻め込むなんて小説が書けるなーなんて子供心に驚いていました。

左翼全盛の時代に小説を、となれば、主人公は「暴力装置を破壊する革命的文化人」でないと、、、と司馬遼太郎氏が考えたかどうかはわかりませんが、主人公を3名として、陸軍1名、海軍1名のほか、ちゃんと文化人も1名登場しているのでした。

子供のころは、へへんやっぱり戦前の「共産主義者排斥」が戦後は「軍国主義者排斥」になっただけで、日本ってぜんぜん変わらないな、なんてうがった見方をしていました。

ううむひねた子供だな。

長じて頭空っぽの、ぱーな大人になり。

時代は変わり、自衛隊も暴力装置ではなくなり。戦争アレルギーも治癒に向かい、「坂の上の雲」も重要な歴史文学としての地位を不動にすることができました。

ふりかえってみれば、文化人の主人公は、戦争では活躍していないけれど、日本人の思想にすごい変革を促した恐るべき人物であり、他の2名の主人公より、日本の躍進に与えた影響は、実は上なんじゃね?と思うようになりました。

その名も正岡子規

和歌(正確には俳句)の世界の住人なのでした。なお、以後、短歌、俳句などひっくるめて、この記事では和歌、と総称させていただきます。

日本の文化を代表するもののひとつに、平安時代の最高峰の一つとされる「古今和歌集」があり。

ふむふむどうゆうところが最高峰なの?

風雅な大和言葉でつづられた和歌。究極まで研ぎ澄まされた修辞(表現手法の工夫)。具体的な修辞として、掛詞(同音異義を利用して1語に2つ以上の意味を持たせる)、縁語(一首の中に意味上関連する語を用いる)などの精緻な技巧により、知的で、深遠な、常人では到達できない歌が詰まっている、ということらしい。

例えば

「吉野川 岩波たかく 行く水の はやくぞ人を 思ひそめてし」(紀貫之)

紀貫之は、この歌で、とある素敵女子に一目ぼれ!つまり「早くぞ人を思ひそめ」てしまったことについて記述しており。それが、いかにも吉野川の「行く水の早くぞ」みたいな感じです、という和歌にしたのですねー。すごいな。

百人一首にも登場。紀貫之

 

 

ここでは、「はやくぞ」が「川(かわ)」の縁語になっています。

縁語となるべき語句のリストもあり。

芦(あし):よ、ふし、ね

泡(あわ):きえ、う(浮)、ながれ

糸(いと):ほころぶ、みだる、よりかくる

岩(いは):くだける

浮き海布(うきめ):なかる、かる

浦(うら):あま、みる

などなど、果てしなく続いています。

(以上類語の出典はhttps://wakadokoro.com/learn/%E5%92%8C%E6%AD%8C%E3%81%AE%E5%85%A5%E9%96%80%E6%95%99%E5%AE%A4%EF%BC%88%E4%BF%AE%E8%BE%9E%E6%B3%95%EF%BC%89%E3%80%8C%E7%B8%81%E8%AA%9E%E3%80%8D/)

ううーむ、なんかルネサンスや古典主義系統の絵画を思い出してしまいました。

例えばこれ。

ダヴィッド「ホラティウス兄弟の誓い」1784年

 

 

この絵では、左から右へ3人、1人、3人(子供もいるけど)の均整の取れた配置、そして柱で分割された四角い荘厳な空間に、三角に両足を踏ん張ったにいちゃんたちとじっさまの剛直、安定(揺るがぬ決意)と、その後ろではおねえさんたちがへなへなと曲線で崩れて悲しみを強調しており。剣のうち1本のみがまっすぐな刀身なのは、この絵の後に戦争に出ていった3人のうち、1人しか生き残れなかったことを暗示しているらしい。

こういう、理知的な、ち密そのものの構成がみごとな調和を生み出しているというところが、洋の東西は違っても、かつ文学、美術の差はあっても、人間の到達する一つの頂点なのかなーと思ったりしました。

西洋人ダビッドが、なんか崇高なお題なのにくらべ、日本人の紀貫之さんは「お姉ちゃん、好き好きー」と、なんとも情けないですけど。

日本人って、ふしぎですねえ。

も一つ投下。このブログの読者の皆様には、おなじみの北方ルネサンスの名作。

ヤン・ファン・エイク「アルノルフィーニ夫妻像」1434年

 

 

単なる「できちゃった婚」の絵ではなくて、教養の詰まった、知的探求の絵です。例えば、お兄ちゃんの後ろ、窓際のみかんは、お兄ちゃんが裕福な商人であることの象徴とか、シャンデリアにぶら下がったろうそくが「神に祝福された結婚」を表しているとか。犬くんやサンダルもそれぞれ深い意味があり、まさに「掛詞」「縁語」の世界になっています。なんていったらこじつけすぎかな?

なお、シャンデリアについては「表には出せない黒い意味」があったりするのですが、古今和歌集では「ひねり」「くすぐり」はあっても、もっとあっけらかん(陰ひなたのない和歌)らしい。

さて、明治時代。

知識・教養を結集した西洋芸術にも劣らない古今和歌集の作品群を、正岡子規がどう発展させたかというと

「こうした和歌を全否定し、まったく新しい俳句を生み出した」ははは

子規曰く

「貫之は下手な歌よみにて古今集はくだらぬ集に有之候」

◎和歌は規則や理屈で形式ばって作るものではない。

◎和歌は知識のひけらかしでもなければ、謎解きゲームでもない。

◎掛け詞や縁語は「駄洒落」。ははは

◎現代語、漢語、外来語を用いてもよい。表現を限定するほうがおかしい。

つまりは、文壇の権威たちが「これは正しい、これはだめ」と、本質をかけ離れて作り上げてしまったヒエラルヒー、規則、基準なんて、関係ないぜー!本当の芸術は、もっと自然なものなんだ!

と豪語。

そして、「自然」な芸術とは「写生」である、という大革命を起こしたのでした。

観念ではなく写生。形式ではなく本質。

野球青年・正岡子規

 

 

Wikipediaでは、江戸時代に日本で集大成された写生の4つのエッセンスが記載されています。

◎生意(生きた感じ、生気)を把握し描写すること「生意写生」、

◎客観的正確さを主眼として描くこと「客観写生」、

◎精巧・細密な描写を行うこと「精密写生」、

◎対象の観察と同時に描いていくこと「対看写生」

これって、西洋美術でもあったんじゃ。。。。

そうなのです。

その1。印象派美術

ルノワール「ラ・グルヌイエーヌ」1869年
 

チューブ入り絵の具が生まれたおかげで、野外で文字通り写生ができるようになり。筆触分割による視覚混合で、これまでのアカデミーにおける決まりごとのお題や技法では描けなかった「光の本質」を精密に、正確に描写しています(ルノアールなりの正確さだけど)。

光の本質。印象派が写実絵画といわれるゆえんです。

ちなみに、写実でない絵がよくわかる対象例を掲載。

左はモネのThe Gare Saint-Lazare1877。右はPippo Rizzo – Treno in corsa 1929ですが、右は「未来派」といって、機関車が生み出す躍動、力、スピードそして暴力という概念をぶちまけた絵です。左は、蒸気機関車というお題を形作っているさまざまな光の粒子を写生した、概念ではなく、目に見えるままを描いた写実絵画です。

 

 

その2。超写実絵画

こちらは、あまり説明もへったくれもないですよね。。。

五味文彦 《いにしえの王は語る》 2018年 油彩・パネル

出展:https://www.bunkamura.co.jp/museum/exhibition/20_choshajitsu/

 

 

ドミニク・アングルもびっくりの精密画像。

ただ、ゆいいつ課題なのは「とにかく描くのに手間がかかりすぎる」らしい。

手間暇をかけてやっていると、どうしても一瞬の感性!というより、地道な技巧努力の積み重ね、という感じになり。言葉のあやになりますが、写「実」ですが写「生」には一歩遅れるか?

「生」つまり生意(生きた感じ、生気)の一瞬の煌めきを、すかさずとらえるには、超写実は精密すぎてちょっと、かもしれん。

正岡子規は、アカデミズムに疲弊していた(ことも自覚していなかった?)日本の文壇に、写生という革命で新時代を築き。

文字の世界に印象派と超写実を一気にもたらし、そして写生へ昇華した、恐るべき俳人正岡子規の革命的な芸術が、現在の我々の思考・性向にも息づいている、という事なのかもしれません。

最後に一句ぐらい子規の俳句を載せておきましょう

「柿食えば鐘がなるなり法隆寺」

文字一本で映像から音楽まで一気に突き抜け。すごいぞ子規!

ではでは。。。

Posted by 猫機長
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富裕層の家は床が広い:オカルトか事実か?

目指せ資産1億!みたいなお題のブログなどでときたま出てくるのが「金持ちの家は部屋が広々としている」「閑散として圧倒する空間におしつぶされそうだ」というコメント。これはどこまで本当なのでしょうか。

真相は、ずばり!

「本当ですが、意味をとりちがえないように気をつけましょう」です。

貧乏な人の部屋を見ると、大体が「足の踏み場もなくモノが散乱している」。

残念なことに、ユニクロで買った格安のヒートテックとか、ガチャでもらった景品とか、へんな健康器具とか、実は一年を通じてほとんど使わないようなものが散乱し、なにがどこにあるかわからない。で、寒い冬には魔法瓶が欲しいけどどこにあるかわからないや、とこれまた激安品を買ってきて、2週間ぐらいで壊れちゃった!使わなくなり少年ジャンプの山の陰に忘れ去られることに。で暖かくなった春に、くしゃみだ!マスク!とすさまじい物品の山をかき分けると、マスクではなく、昔探そうとした魔法瓶が発掘され。でもこれまた壊れていたので、冷たい麦茶のためにまた激安品を。。。と際限なくガラクタがたまってゆきます。

つまり、貧乏な人が貧乏を抜け出せないのは、部屋が大きい小さいではなく、自分の部屋の管理ができないだけなのです。ははは。。。。

部屋以前の問題で、自分自身の過去・現在・未来について考え(尋牛)、流れる時間の中で何をするか、という意志がはっきりしていれば、そのために必要な整頓された部屋におのずとなっていきます。たとえば、「今年は剣道大会で上位入賞だぞ(成功法則)」という人の部屋は、握力強化の「にぎにぎグリップ」や前腕強化のためのダンベル、「剣道・攻めの定石」といった書籍、もちろん素振りのための竹刀と、片手突きの練習のために壁の某所に張り付けた「突き垂想定の印(ガムテープ)」で、あとはスペース確保のために何にもないや、みたいになるしそうなる必要があるのです(もちろん、ドーンなんて踏み込んだりせず、すり足で。声は出さずにサイレントに練習しましょう)。

コントロールの訓練です。とん、と軽く当ててさっと引きましょう

無目的に、その日その日を世間に流されているから、がらくたのたまるゴミ屋敷になってしまうのです。

ばくせんと、お金持ちになりたいなー、ではなく、お金持ちはどんな部屋を必要とするのか、ということを志向してみましょう。

つまり、「だだっ広い部屋に住めば金持ちになれる」というオカルト的な発想ではなく、「金持ちはおのずからスペースに余裕のある部屋を構築する」。したがって、余裕のある部屋ってなんだろう、というアプローチが重要です。意味を取り違えるな、というのはそういうことです。

ちなみに、本当に広い屋敷のこれまた広々とした部屋に住んでいる、という金持ちはいわゆる田舎のジェントリー(郷紳)で、日本みたいに狭苦しい国の都市富裕層は住んでいるマンションの部屋も小さい。でも、「小さいなりに広々、すっきりしている」のです。このへんがポイントで「僕は部屋が小さいからごちゃごちゃするのは避けられないよ」という言い訳は通用しません。整頓しましょう。ははは。。。。

昨日買ってきたマヨネーズどこだっけ?

あストーブの上だった、なんてははは

で、金持ちの部屋のポイントとは:

くつろぐことのできるもの、勇気づけるものが置いてある。これは絵画とか美術品であったり、選手時代に全国大会で使った居合刀だったりします。弓などは部屋の調度品としても使えますが、小手とかそういうのはしっかり乾燥してにおわない暗所に隠しじゃなかった格納しましょう。

剣道で脱線しましたが、出張時に使うスーツケースとかシュレッダーとか必要であるが毎日使用というものでもないような物品は扉のあるたんす(これが暗所スペース)などにしまう。こういう家具はケチらずに、安物でいいので買いましょう。

そして家具一般は必要最小限。とにかくシンプルにしましょう。一方、扉のない開放的な棚に、日常で使うものが一発で分かるように置いておきます。棚の中がモノでぎゅうぎゅう詰めというのは不可です。買ったまま使用していない雑貨などは血も涙もなく捨てましょう。ガチャなどでもらった景品のぬいぐるみなどは女性にあげると喜ばれたりします。

そして、奥義は「床面積を広くしましょう」。箒や塵取りなどは、上記の暗所スペースがなければ、地面にじかに立てかけず、壁や棚の側面に引っ掛けるようにしましょう。要は、地面に物が直接置かれることを極力避ける、ということで、なんか掃除しやすくなったぞ、という部屋になればOK。

と偉そうに書くおまえの部屋はどうなんだ?と言われそうなので、ご参考まで「無料画像の想像図」ではなく「現実に存在する部屋の写真」でいってみます。

普段住まい(都会暮らし)のワンルームマンション。居合刀、フライトキャップ、車や飛行機から外してきた思い出の計器たちや、デートでもらったものたちなどからのエネルギーの中で生活しています。

週末の田舎暮らしごっこ(飛行機格納庫)における棚の使用例。これで飛行機メンテナンスのための道具類など一目でわかるようになりました。

どこが富裕層の部屋じゃい!そのとおり、チープです、ははは。。。でもこうみえてアパートや格納庫、飛行機などたいがい金融資産の配当(大金に兵法なし)で買いました。不労所得っていいですね。。。

格納庫全景

格納庫内の居住スペース

居住スペースからの眺め

暑いときはデッキチェアを持ち出して来て、翼の下で涼んでいます

おまけ。飛行中の写真数枚。

ではでは。。。

 

Posted by 猫機長
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アフガニスタンと八百万の神々

アフガニスタンでタリバン政権が復活。厳格なイスラム教神学校を起源とするタリバンは、イスラム教を至上とする統治を宣言しました。

女性の権利など、自由世界とは相いれない価値観もあり、アフガニスタンから脱出する人たちも続出。

21世紀の現在で、アメリカ式資本主義の国が、あっというまにイスラム原理主義の国に「あと戻り」なんて、信じられんぞ?宗教をすべての根本とする国が、AI時代の今日、ほんとに存在できるのか?

「八百万の神々」、お盆とクリスマスが共存する、なんでもあり、言い換えれば宗教心なんてあってなきがごとしの日本人からみれば、とても信じられないと思います。

でも、ちょっと考えれば、日本が例外であって、キリスト教、儒教、仏教といった宗教が、いまだに世界の国々の成り立ちの根底にあるのです。

ヨーロッパやアメリカ、中南米など、キリスト教圏の国では、人々は日常的に「おお神よ」など無意識に言葉に出しており。天使や聖人がてんこ盛りで登場する西洋絵画も、日本人からみればちんぷんかんぷんですが、西洋人から見れば、あこの絵はユリを持った天使つまりガブリエルが青い服を着た素敵女子つまりマリアに話しかけている。「受胎告知」だな、と自然にわかるのです。

ダヴィンチ「受胎告知」

 

ルネサンス以降、西洋人は知性の光で聖書の解釈を「改良」し現実世界に順応させていきましたが、源泉はキリスト教の教義であることに変わりはなく。

アフガンの人たちから見れば、アメリカの駐留は、イスラム教の劣化版?であるキリスト教の教義に基づいて、人権だの平等だのと心地よい言葉を隠れ蓑に、物質主義・拝金主義の笑止千万な思想を押し付けたにとどまり。タリバンの返り咲きは、人権とかの概念が自由世界とは違った部分のある風土に、その風土が許容する価値観を持った支配者が結局戻ってきた、という事かもしれません(穏健派のイスラム教徒で、タリバンなんて邪教だ!という人もいるでしょうが)。

日本の場合、もともと宗教心をあまり持たない、どんな外来思想も取り込んじゃう柔軟な国民が、太平洋戦争終戦後のアメリカ進駐軍により「北朝鮮もびっくりの軍国主義」から解放され、自由と繁栄を謳歌し、世界有数の先進国になることができました。この点素直にアメリカ的思想を受け入れられなかったアフガニスタンは不幸と思います。

宗教に凝り固まっていなかった日本は、進駐軍のキリスト教的自由、平等、博愛の思想を柔軟に吸収できた

 

アフガニスタンにしろ、欧米にしろ、なぜ今日まで宗教が人々の魂の奥底に宿っているのか。

これらの地域では、中世ころまでは、信心深くないと生き延びることができなかった。その結果、生き延びた人々の子孫も、DNAに宗教がしっかり刻まれている。という事なのだと理解します。

イスラム教が典型的であり。豚は食うな、など、中世の医療では治療できなかった寄生虫病等を確実に防ぐ戒律になっており(豚と人間の食料競合もある)。今日では女性差別ととられるヒジャブ(ベール)ですが、元来は粗暴な男たちから女性を保護する手段だった(というのはオブラートに包んだ言い方で、実はもっとえげつなく。砂漠地帯での人口爆発を防ぎたかったらしい)。マホメット時代、「石と砂漠のアラビア」で、最も実利的、効率的な生き方をまとめた「生活の指南書」がコーランであり、戒律を守らないと寄生虫で死んじまったりとかするので、みな進んでイスラムを信じるというDNAが継承されている。

*ちなみに、預言者マホメットは「ネコを大切にしよう!」といっています。

欧州では、王権と教皇権が権力を二分した、という特色があり。教皇はお祈りばかりのはずなのに、「カノッサの屈辱」で王様にざんげさせたりとか、なんでそんなに強いんだ?

カノッサの屈辱。跪いて教皇に許しを請う神聖ローマ皇帝(1077年)

 

教皇の強さは、ヨーロッパ形成期に、王様が勝てない恐ろしい敵に勝ってヨーロッパを救ったという事件から始まっているようです。キリスト教を信じていたから救われた。でなければヨーロッパが全滅し人々は死に絶えていたかも?

それは「アッティラ大王の侵入」

西暦400年ころ、フン族がヨーロッパを蹂躙し。

騎馬民族の常で、多数の部族が内輪もめしているが、ひとたびカリスマが現れ、統一すると無類の強さで世界を蹂躙する。1200年ころのジンギスカンが有名ですが、その一昔前、ローマとゲルマンがごにゃごにゃやっていたローマ帝国末期にも、アッティラ大王が現れ、西欧滅亡か?という非常事態が発生しました。

アッティラ率いるフン族は、ローマもゲルマンもいっしょくたに撃破。434年から445年のたかだか11年の間にライン川、ドナウ川、カスピ海にまたがる地帯を蹂躙し。栄光の西ローマ軍は、なさけなく連戦連敗、総崩れとなり。ローマ皇帝ヴァレンティアヌス3世は、ヴァレンナというところに逃げ込み、ガクブル!なすすべもなく震えていました。

侵略は残虐を極め、人々はアッティラ大王を「神の災厄」「神の鞭」と呼び。もはや人間ではなく、B29やゴジラをはるかにこえた悪魔・バケモノとして恐怖におののくようになっていました。

悪魔アッティラは、西欧を滅亡させるのか?

その一歩手前の一夜。夕餉の祈りをささげていた教皇レオ1世の頭上に、まばゆい光が!

奇跡の光にひれ伏すレオ1世。

その光、すなわち天にましますキリストの父、全知全能の主エホバは、神の代理人レオ一世に命令を下しました。

「聖ペテロと、聖パウロの精霊を伴い、悪のルシファー・アッティラを退治せよ」

主からの啓示を受けたレオ一世は、さっそうと白馬にまたがると、凶暴な騎馬軍団の先頭で、まさに攻撃を下令しようとしていた極悪非道のアッティラ大王の前に進みいで。

ラファエロ「レオ一世とアッティラの会見」

 

「悔い改めよ。侵略をやめ、立ち去るならば、神の慈悲によって許されるであろう」

その時、アッティラは見たのです。教皇の背後からまばゆい光につつまれて浮かび上がる聖ペテロと聖パウロを。

奇跡の光に耐えられなくなったアッティラは、思わず軍を返し、聖なる光につつまれながら、立ち去ったのでした。

ええええーそんなのあるわけないじゃん!いやいやあったんですよ。

もちろん教皇側の記載なので、神の慈悲とかになっちゃってますが、現代国語で書き直してみましょう。

「真相はこうだ」

そもそも、アッティラ側は度重なる侵攻で疲弊しており、略奪とかもするだけしてしまい実入りが少なくなっていたところで、疫病とかが発生し、そろそろ家へ帰って寝ようかな、という状況だった。

よし、その前に大仕事だ、と襲おうとしたマントヴァで、軍人には見えないふくよかなおっちゃんが、これまた戦争に関係ない僧侶の人たちと、群れを成して待っていた。

なんだこいつ?

おっちゃんは、口を開くと

「にいちゃん、聖ペテロの恵みと、聖パウロの恵みをあげるから、このへんでもうお帰り」

そして後ろを振り返り

「おう、おめえら!はやくアッティラの親分さんにお菓子をお渡しせんかい!」

へい!と若い衆が、「聖ペテロ」と書かれた菓子折りを渡すと、中には光り輝く山吹色のお菓子が!

そして、「聖パウロ」と書かれた封筒を渡すと、その中には年末ジャンボの当たりくじと、1000BTCが記録されているペーパーウオレットが!

おおおおー!

アッティラ一同大喜びで、もう侵略なんてどうでもよくなり。大判小判の輝きにつつまれながら、中央アジアへ喜び勇んで帰っていったのでした。

山吹色のお菓子。http://www.tokyo-colors.com/wp-content/uploads/old_images/384_1.jpg

 

さて、実は買収だった?として、ローマ皇帝が何もできずに震えていた時に、教皇が首尾よく蛮族を手なずけた。

そして、都合がよいことに、アッティラは一年後、美女の前で鼻血を出して死んでしまい(食道静脈瘤が飲みすぎで破裂して窒息したらしい)。分裂したフン族は、再びヨーロッパを恐慌に陥れることはなくなったのでした。

ペシカ・フェレンツ 「アッティラの死」

 

この結果、キリスト教がヨーロッパを救った、という紛れもない事実がここに生まれ。

これを見たゲルマン族は、続々とキリスト教に改宗するなどをはじめ。

神の代理人、教皇が無類の力(パワー、フォースいずれも)を持つ存在として確立し、その源泉となるキリスト教は、ヨーロッパの人たちの魂の奥底に刻まれることとなったのでした。

タリバン国家が、宗教ファーストだね、へんだね、という認識は普通と思いますが、現代西欧先進国の常識は?じつはこちらもキリスト教ファーストだったんじゃ?と一歩下がって見つめることが、世界を理解し平和を考える(促進するといいたい)ために重要と思っています。

ではでは。。。

Posted by 猫機長
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将棋のお話

このブログは資産形成のお話をメインとしていますが、テクニカル分析とか、細かい技術的なことはあまり書いていません。分析という技術・手段そのものより、その手段をどう使うか、どの手段を使うかを判断し、また、その手段をとった結果どうなるのかを予め洞察しておくことの方か重要だからです。

別に未来予言という必要はなくて、目先の変動に惑わされず長期的に確実な資産増加が可能となるような見切りができればいいのです。

それは、言い換えれば「先先の先(せんせんのせん)」を取る、ということです。剣道用語ですが、要すれば相手が動こうとする、動きはじめの「う」を読み取り、実際に相手が動く一瞬先にこちらが打ち込んで相手をしとめる技術のことです。

ぼくみたいな弱小動物でも、選手当時はこの「機先を制する」ことが意外にできたので、クマみたいな(ボコられている)バカ力やP51みたいなスピードをもった選手が多数だったブラジルの剣道大会で、なかなかいい線まで行くことができました。でも、もともとへなちょこのひょろっ傑(身長166cmしかありません)なので、年を取ると体力が続かず(年をとっても、伊保清次範士みたいに筋金入りの人は別)。

いっぽうで、剣道のような、マゾか?みたいな激しい運動をしなくても、機先を制する能力を鍛錬できるツールが存在しています。

それが「将棋」

3手先という言葉があり。慣れてくると、だいたい中盤からでも、この勝負は勝ったな、あるいは負けたな、みたいな「形勢を読む力」そして「勝つ形勢を作り上げるために、必要に応じて3手先なり5手先なりを選択して読む力」がついてきます。

そして、その力は資産形成にも重要なのでした。

ちなみに、将棋の祖先に「シャトランジ」があり。

1400年ころに、中央アジアから西アジアにかけて大帝国を建設した猛将ティムールも、シャトランジ大好きだったそうです。

ティムール。「歴史系倉庫・世界史のクズたち」に面白いまんががいっぱい!

http://rank119.gozaru.jp/img/gone/tebu2/0-154.html

http://rank119.gozaru.jp/img/mon2.html

前置きが長くなりましたが。。。。

今回はあまり細かいこと言わずに、頭空っぽにして将棋で遊んでみました。

以下、いずれも無料将棋ソフトで、いちばんやさしい初心者ランクにしたうえで、相手の駒を分捕って、抵抗できないようにした上でもてあそぶ、そんなお遊びの例です。

1.8時だよ!

全員集合!

全ての駒が盤上で全員集合しています。はいすみません

2.大駒だけでは勝てません

飛車、角の大駒を全部相手にあげました。

3.坊ノ岬海戦

「軽飛行機で空を飛ぶ」ブログなので、飛行機ネタです。

大平洋戦争末期。圧倒的劣勢なのにずるずると戦争を続ける日本政府。アメリカは無数の空母から雲霞の如くグラマン攻撃機を発進させて日本を襲いました。

空母ホーネット(龍)から発進したグラマン(と金)の群れが、戦艦大和(角)をボコっているところ。

小学生かおまえは!とつっこんでいるあなたも、小学生の頃は「飛車は空母で角が戦艦だー!」なんて大はしゃぎしていましたよね?ははは

4.フセイン逮捕

「悪の枢軸」と言いがかりをつけられ、国土を蹂躙された挙句に逃亡を余儀なくされたサダム・フセイン大統領。イラク戦争後半年に及ぶ逃走の末、ついに捕縛されました。

地下2.5メートルの穴倉にポツンと一人、でも75万ドルの大金とともに発見。

というわけで、かどっこで「雪隠詰め」。ひとりぼっちで「金」にすがりついています。

5.万里の長城

平安貴族のお遊戯で「中将棋」というのがあり、とにかく駒数が多いぜ!なので、敵玉をまる裸にした後、自陣の駒で模様を作って楽しんでいます。「SDIN中将棋」で無料で楽しめます。

開始時はこんな感じ。駒数がはんぱないです

出展:https://www.travelbook.co.jp/topic/8314

月からも見える万里の長城を中将棋で再現します。中将棋の場合、相手の駒は取っても使えない(消えちゃう)ので、相手の玉を丸裸にしたのちは、残った自陣の駒を動かして長城構築します。

こうなりました。ははは

自玉は「洛陽」で側近に囲まれています。左上のかどっこには西域蛮族の酋長。中華帝国に侵入してこないように、太子、奔王、獅子が見張っています。

万里の長城というより、シルクロードみたいになっちゃった?

ちなみに長城の最東端が「山海関」、最西端が「嘉峪関長城第一雄門」。

実物写真出展はWikipediaと「旅人舎 中国&世界遺産」です。

6.きわめつけが「ハム将棋」。

プリントスクリーンを知らず、ガラケーでPC画面を撮影していた時代なので、ピンボケ画像はご容赦ください。

将棋は、格下の相手とやる時、駒落ちといって香車みたいな弱い駒を相手より一枚少なくするなど、実力差を調整する方法があり。中でも角と飛車を落とす「二枚落ち」になると、相当な実力差があっても苦戦します。

ところが、ハム将棋には「全部落ち」があるのでした。ははは

玉だけです。

「現在のランク」という所が???となっていますが、これは勝負がついたときに「お前はこのくらいの強さだ」というのを表示してくれます。「入門者」から始まって「将棋通」「町内名人」「プロ」「師範格」などなどあり。でも負けると「ハムスター以下」にされちゃいます。ははは

玉だけでどうやって勝つのか?

迷わず玉で敵陣に突進します。

玉だけでは絶対に勝てない。「初めての歩」を取った記念的な写真。

馬に逆襲されたので、逃げると見せて左翼に突進します。

首尾よく歩を取り続け、「と金」を作ります。

敵の大駒(飛車)を獲得。秘蔵っ子にして取って置きます。

敵の右翼(画面左)が、「金」を除けば隙だらけなのに注目。

飛車をぶち込んで竜になりこみます。攻撃優先のため、

玉の尻に敵の馬と銀が食らいついていますが、と金でなんとかしのいでいます。

なんとか馬を尻から外すことに成功。竜が攻守に大活躍しています。

ここまでくれば先手(つまりぼく)絶対優勢。

持ち駒含めた駒数でも圧倒的な差が生じ始め。

はむちゃん(後手・相手)も必死にと金を作ったりますが、

もはやポアは時間の問題。

あわれはむちゃんは丸裸に。

試合終了。背中を向けていじけるはむちゃん。かわゆいな

ランクは「神」なのでした。ははは

みなさんもうお分かりと思いますが、「裸玉」での試合では、普通は絶対勝てるわけがなく。コンピュータ相手なので、「バグ手」を誘発して勝つのでした。バグ手というのは、ITのアルゴリズムによって似たような局面では同じ手を打ってくる、その手が実は悪手だった時の手のことです。融通が利かないITの反復性を逆に利用するのですが、毎回うまくいくとも限らず。

上手くいって勝ったとしても、ハムちゃんの弱みに付け込んで勝っただけなので、「神」ですが、じつは全然「神」ではなかったりします(精神と知能)。

で、はむちゃんもぼくも実力勝負だ!という場合の最高ランクは「師範格」ゲットしました。このころからPrintScreenを覚えて、鮮明な画像になってます。

また、両玉共に入玉の珍しい勝負もあり。

町内名人だそうです。ははは

大好きなハム将棋も、今日ではサイト消滅。楽しい思い出です。

びーばびばびば! https://www.youtube.com/watch?v=ldjHMll34Mg

ではでは。。。

Posted by 猫機長
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アングルとブロックチェーン

ここでいうアングルというのは「角度」のことではなくて、ジャン・オーギュスト・アングルという世界屈指の写実画家のことです。わかりやすく言えば「美術界の池上遼一」ですね。

あれ?

あああごめんなさい、池上遼一は、1970年代から少年漫画界で活躍した作画家で、「史上最高の画力」と言われる人です。

https://store.shopping.yahoo.co.jp/ebookjapan/b00060004179.html#

まだ現役だった?池上遼一

 

ううむかえってこんがらがってしまった。

気を取り直していってみます。

さて、アングルさんが活躍したのは、古典主義・ロマン主義がいがみ合っていたフランス。自民党と民主党のいがみ合いみたい、なんて書くとまたこんがらがるので、とりあえず、アングルは当時世界の美術界をけん引したフランスアカデミーで「この人が代表」と時の有識者・リーダーたちから認められた、押しも押されもしない至高の画家です。

いわば「海原雄山」はい漫画との比較はこれでやめます。

で、アングルさんの代表作に「ホメロス礼賛」というのがあり。

一点の曇りもない青い空。壮麗、厳粛な古代ギリシアのパンテオン(神殿)を前に、勝利の女神から王冠を授けられる詩人ホメロス。

すぐ下の赤い服を着た女性が「イリアス」その隣の緑の服の女性が「オデッセイア」、すなわちホメロスの代表2作品の擬人化です。

でも、作者のホメロスばかりもてはやされているので、2人の作品はふてくされています。ははは

この3人を取り囲むのは、歴史上の世界の賢人偉人。

例えば、

日本の山本芳翠というすごい画家に、すごい影響を与えた世界の画伯ニコラ・プッサン

ブルボン朝時代の俳優・劇作家、モリエール

向うを向いたスキンヘッドのおっちゃんはソクラテス。プラトンとなごんでいます。

盛期ルネサンスを代表するイタリアの画家・ 建築家ラファエロ(一番手前)、その横は古代ギリシアの文化人サッフォー、さらに隣がアテナイの政治家アルキビアデス。

「神曲」のダンテもちゃんといました

カモンエスも発見。ポルトガルの大詩人であり、ブラジル文化にもかかわりの深い人です。

他にもミケランジェロ、シェークスピアやモーツアルトといった、そうそうたる文化人や、古代ギリシアの賢人が多数。ダヴィンチがいないのはなぜだろう?

1人1人は、下のリストでご確認ください

へええーすごいな。

この絵を見ていると、知的で高尚なふんいきにひたったりします。

でも、この「あたかも知的探求をしているように見える」という所に、時の支配者がアングルの名声を利用して一般市民を白痴化しようとするブラックな策謀が隠れていないでしょうか。

知的好奇心、というとこちら

アルノルフィーニ夫妻

 

なにげにおしゃれな絵ですが、しかし「脱ぎ捨てられたサンダルが、神聖な結婚の場をあらわす」のを始め、犬くんやカーテン、ろうそくに至るまで本当の意味で知的な探求の世界に引きずり込んでいく、すごい絵です。

この絵における無数のアレゴリーについては、以前の記事で提示しましたので、そちらをご覧お願いします。

つまり、「ホメロス礼賛」は、たんに「有名人が集合している」だけで、なぞ解きもへったくれもなく。

82年ブラジルチーム

この写真を見れば、誰でもバルジル・ペレスにソクラテス、セルジーニョにトニーニョ・セレーゾ、ジコにジュニオル。ファルコンもいるぞ。。。。と一発で分かると思いますが(*)、「ホメロス礼賛」の「知的なたむわれ」とは、実はこのていどのレベルの話です。

(*ウソです。サッカーマニアならわかる人もいるかもしれん)

「ホメロス礼賛」が描かれた1828年と言えば、フランス革命の大動乱いまだ冷めやらず、フランスは世界を相手に大戦争をおっぱじめた結果、ロシアなどの逆襲にあい、ナポレオンは島流しに。ウイーン体制にすがりついた保守反動派が台頭するなど、混乱は続く一方で民衆の貧困は全然解消されず。

でもそんなひずみなんてぜんぜんないです、爽やかな青い空の下、賢人たちが和やかに談笑してます、それがおフランスです。というのがこの絵である。

高尚な古代ギリシャの神殿に、著名な文化人を並べ立てたので、いかにもハイレベル・ハイソサエティ―の雰囲気になっていますが、実は「お手軽に、明るく。すべてがうまくいってます」みたいな、マクドナルドのキャッチコピーか!になってます。

こういうのを、ドラクロアが目ざとく見抜いて「不完全な知性の完璧な表現だ」などと痛烈に批判しています。

ドラクロア「民衆を導く自由の女神」

こちらは1830年に、当時の動乱(七月革命)を描写しており。権威側が「ホメロス礼賛」で空想の世界に誘導しようとしているのに真っ向から対抗しています。

さて「ホメロス礼賛」と同じしらじらしさを感じてしまった現代の写真があり。

出展 https://number.bunshun.jp/articles/photo/846913?pn=3 ©Getty Images

東京都知事がにこにことアマチュアスポーツの旗を振っている。

たしかに、この写真が撮影された時はコロナなんて考えられもしなかったけれど、いつまでも日本の政治家はオリンピック絶対開催だ!みたいな姿勢を崩さず。開催するならどんな風にやるんだ?という具体案を示すわけでもない一方で、外国からの選手はどんどん入れても巣ごもりはつづけましょうとか、相変わらずアクセルとブレーキを同時に踏んでいます。

「爽やかな青い空の下、日本ではすべてがうまくいっています。今日もとても良い天気です」とマクドナルド的プロパガンダを繰り返す日本の指導層。日本の市民は、「そのとおりです。日本には何も問題はありません」と、コロナのみでなく、日本の経済社会全般にのしかかっている恐るべき課題から目を背けていないでしょうか。

その課題の名は「ブロックチェーン」

それ自体はニュートラルなIT技術ですが、使われ方によってやばいことになるかもしれない。

たとえば「ビットコイン」

ビットコインは、法定通貨のような政府による介在がなく、ブロックチェーンを構成するコミュニティへの信用が取引の裏付けとなっている。

つまり、「もう法定通貨なんて信じないよ」と、資本主義国家の根底を揺るがしかねない事態が発生しているのです。

フランス革命で、労働者すなわち弱小市民が、資本家側の王や貴族をギロチン送りにしたように、国や中央銀行に発行を依存しないビットコインは、政府主導の金融システムを「ギロチン送り」にするかもしれん。

問題は、その後です。

フランス革命では、暴力的な格差の是正はあったが、資本主義は瓦解せずにすみました。

しかし、後発のロシア共産主義革命では「資本主義そのものを否定してしまった」ため、適切な経済戦略を決定できなくなり。NEPだのなんだの頑張っては見たが、的外れの締め付け(黒いボールペン)に走り、労働者を酷使するのみでコストに見合った生産がなくなってしまい。ブルジョアが残した富を食いつぶし滅亡しました。

政府や企業を介在しない「政府そのものを否定してしまった」ビットコイン経済の時代になったら、各個人が自分自身で身を守らなければならなくなり。

昨日4万ドルだったビットコインが明日40万ドルになったとして、本当に40万ドルに換金してくれるか?ブロックチェーン技術によって、ビットコインを買った、売ったという記録は改ざんできないけれど、取引相手がその履歴を十分承知のうえで、「でも払わないよ」と言えばそれでパーです。国家の統制を受けない以上、取引所(個人の場合もある)があなたをだましているのか、はたまたその逆なのか、「当人同士の問題でしょ」と警察含め政府の組織は立ち入る根拠がなくなってしまうのです。

ビットコインは、なりゆきによっては共産主義よりももっと恐ろしい弱肉強食の世の中をもたらすのではないかと危惧します。

*4月26日追記。世界の大規模金融機関がビットコインを投資資産として認め始めています。したがって、誰でも参入できる投資ツールに変化中。(こちらの記事参照。でも超リスク投資なのでご覚悟を。)

*6月13日追記。エルサルバドルがビットコインを法定通貨として認可。通貨というより送金ツールという位置づけらしいが、独立国家の正式な通貨になるという恐るべき進展になっています。

ビットコインなどの技術革新について、「ホメロス礼賛」みたいな表面的な情報に安心せずに、「アルノルフィーニ夫妻」のようななぞ解きをして、本質を突き止めるべき時代になったのかもしれませんね。

ではでは。

 

Posted by 猫機長
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ブギウギ考:日本のガラパゴス脱出にむけて

ガラパゴスとは対極のコスモポリタンなアメリカ。そしてその名曲In the Mood.

 

あれ?これってブギだっけ?ジャズだっけ?この記事で明らかにします。

で、記事スタート。

日本人がいやおうなくグローバリズムの波にのまれた明治時代。ちょんまげを切り落とし、刀を差すのはやめましょう、という未曽有の大変革ながら、列強の血も涙もない帝国主義に脅かされ、「変革しないと死ぬかも?」と必死に「文明開化」を推し進めたのでした。

機関車だの鋼鉄船だのについては、理系の話でもあり。もともと数字の計算は得意な日本人なので、すんなりと吸収し、大正時代までには列強も驚く水準に発展できた。

一方、思考、美意識、哲学といった、人文系についてはどうだったか。「人の上に人を作らず」というのを一生懸命理解しようとしながら、やっぱりご飯にみそ汁だねー、と日本古来の文化も捨てきれず。

こうして、今日まで続く日本的な西洋自由主義文明が生まれたのでした。

明治の知識人たちは盛んに洋行して、西洋の文化を学び。

山本芳翠という芸術家もその一人で、ううむ、西洋人もあっと驚くような西洋画をかいてやるぞー、と発奮し。

西洋人に認められるためには、西洋絵画のヒエラルヒーにおける最上位の「神話・歴史」を、西洋人も認める画力で描き上げよう、ということで、まずモデルとなる絵を選定。

ニコラ・プッサンの「ネプチューンとアンフィトリテの勝利」を選びました。ちなみにニコラさんはなかなか有名な画家(バロック時代だけど画風は古典主義?)で、これも有名な新古典主義のアングルさんによる「ホメロス礼賛」にも友情出演しています。

(*ほかにも、ラファエロ「ガラテアの勝利」1511年や、ブグロー「ヴィーナスの誕生」1879年、そしてフランソワ・ブーシェ「ヴィーナスの勝利」1740年の焼き直しなど諸説ありますが、ここではプッサンさん説をとっています)

ネプチューンとアンフィトリテの勝利(1634年)

 

さて、この申し分ないギリシア神話の大作に、勝るとも劣らない日本の絵画にするためには、やっぱり和魂洋才だ!と日本のとある神話を選んで、勇躍作成。その結果が。。。。

「浦島図」でした。

浦島図(1895年)

 

ううむ、「浦島太郎」は神話だったのか?

ピンクという微妙な色の着物を着ているのは、ブラジルのストリートチルドレンではなく、カメと玉手箱というアトリビュート(*)によって、浦島太郎であることがわかります。

*アトリビュート:持ち物。白百合を持った青と赤の服装の女性がいたらマリア様を表す、など。

*アレゴリー:寓意。抽象的な概念を具象化したもの。サイコロの絵は幸運、頭蓋骨は死、とか。

そして、そのあとを、白装束で髪を振り乱して追ってくるのは、精神病院を抜け出したお姉さんではなく、乙姫さんだということがわかります。

うううむ!あっけらかんとした「ネプチューン」にくらべ、はっきり言ってなんちゅう気味の悪い「浦島」じゃ!と一瞬引くように見えて。

そのおどろおどろしいオーラに、おもわず引き込まれるように見入ってしまうのでした。

アニメの美形キャラに馴らされた素人の目から見れば「これは我が家の居間にはかざれないな」ですが、それでも見る人に衝撃をあたえ、ひきつけて離さないエネルギーを、本当に絵を知っている人たちは「畸形の美術」といって、国宝級とみなしているそうです。

ちなみに、「裸婦図」という絵があり。

裸婦図(1880)

 

この、欧米人画家の絵としか思えない絵も、山本芳翠の作品です。つまり、浦島図のおどろおどろしさは、欧米人の絵みたいにしようとしたのに、失敗してそうなっちゃった、のではなく、わざそうした、ということに注目。

なお、ぼくが飾りたいなーと思う絵はこちら。

脱線しましたすみません

 

さて、日本の第2のカルチャーショックは、終戦とアメリカ進駐軍の乱入。

理工系の出来事では、テレビ、洗濯機、冷蔵庫が市民の家庭に導入されました。

一方感性の世界では、アメリカのアートが日本を占領し。

このうち、ブギというのがあります。

 

進駐軍が日本人を洗脳しようとしたのか、はたまた日本人の方から「軍国主義なんてまっぴらだ!自由なアメリカの文化を学ぼうぜー」と積極的に歩み寄ったのかはわかりませんが、空前のブギウギブームが起こり。

東京ブギウギ

ううむ、ブギ?まあ、ワルツとかじゃないし、たしかにブギっぽいよね。。。。

 

ホームランブギ

元気いっぱい!大好きな「ホームランブギ」。でも、ブギちっくじゃないよね?進駐軍の命令で「ブギ」という名前をつけなきゃならなかったのか?

 

買い物ブギ

ここまでくれば、いうことなし。

(歌詞に現在では不適切、とされる言葉があるのでリンクできず。でも大好きな曲です。)

 

ということで、思い切り戦後のポップアート開幕したのでした。

山本芳翠との違いは、刹那的なキッチュそのもの、でも人当たりが良くてあっという間に国民の間に広まった。

焼け跡からの復興へとても大切な心のよりどころとなった重要なムーブメントだったと思います。

さて、ここまで読んで、ぼくが日本の芸術をけなしていると思った人はいないでしょうか。

そう思った人は、日本のガラパゴス化に気づいていない人です。あるいは、知らないうちに、日本のガラパゴス化を促進している人です。

ガラパゴス化というのは「伝統墨守唯我独尊」を悪い方に突っ走った結果として起こる現象です。

そもそも「ネプチューンとアンフィトリテの勝利」は美しいけれど「浦島図」はきたらなしい、なんてレッテルは誰が貼れるのでしょうか。

また、「買い物ブギ」は「Boogie Woogie Bugle Boy」とかけ離れているから、ブギじゃない、なんて誰が言えるのでしょうか。

要するに、芸術はこうじゃなきゃ!とか、ブギになるためにはこうでなきゃ!という固定概念にとらわれていくと、文化の混血現象であるグローバリズムから取り残されて、ガラパゴスになってしまうぞ!ということを言いたいのです。

確かに、この記事で「浦島図」や「買い物ブギ」のことを茶化してはいますが、正しい!間違い!ということは言っていません。

言いたいことは、こうした「オリジナルとかけ離れているけれども、独立したアートが世界中で生まれており」「こうしたアートの相互理解がないと孤立してしまいますよ」ということなのです。

ブギとは似ても似つかない「買い物ブギ」ですが、日本ならではのポップアートなのです。

ナポリタンスパゲッティというのがあり。

スパゲッティにケチャップをかけるなんて、冒涜だ!という人は、脳みそがガラパゴス化している人です。

好きなら好き、嫌いなら嫌いで、そういうスパゲッティがあっていいじゃん?何がおかしいの?というのが今の世界なのです。

というわけで、

お寿司にしても、

①カッパ巻きみたいな手巻きですが、キュウリの代わりにイチゴ、海苔のかわりにクレープで撒いたやつとか、②照り焼きマヨネーズ(牛肉)をにぎりみたいにしたのとか、要するに江戸時代の人から見たら、ぎゃあああーとても食べられない―!なんていうのが世界中に伝播しています。ちなみに、①はフランス、②は日本で発明されたらしい。

①その名もMiss Pink。シャリがいちご色に染まっています。

 白いのはマヨネーズかな?

出展はhttps://rocketnews24.com/2016/03/22/725509/

 

②北海道牛の照り焼き寿司

出展はhttps://cookpad.com/recipe/3491298

 

一方で、

浮世絵みたいに、日本人のふつーの日常を版画にしていたら、その気はないのに芸術の本場で有名になったというのもあれば、新渡戸稲造みたいに、西洋人の言葉で武士道の解説書を出版して、大いに理解(尊敬)されたりとかもあります。

つまり、ガラパゴス化、国際化、なんて大上段に構える必要はなくて、自然にコンタクトしてくるようになった異文化、それがアニメ命の留学生であろうが出稼ぎ労働者であろうが、そういう人たちと一緒になって、ふつーの日常・常識を彼らにもわかる言葉で伝え、交流するうち、作り出されてくるなにか―それが音楽だろうが、お料理だろうがーを自然に受け入れられるようになれれば、知らないうちに日本自体がグローバルな国になっているのではないでしょうか。

いままで食わず嫌いだったお料理や絵画、今までの常識の外にあった考え方や表現を、少しづつ体験していけば、もっと世界の人々とわかりあえるようになれると思っています。

冒頭の名曲In The Moodはジャズですが、ブギが大切な構成要素になっています。いろんな国、いろんな民族の文化が構成要素となってまじりあい、In the Mood みたいなステキな「地球人の文化」が生まれたらいいなと思っています。

ではでは。。。。

Posted by 猫機長
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写実から抽象へ―純粋美術への道

今回は「超写実絵画に見る写実の本当の価値」の姉妹編で、両方の記事で補完するようになっているので、ぜひ読んで下さいね。。。。

さて。

これまで何度か美術関連の記事を書いてみて、絵画の発見とは人の思考・意識・感情そのものの発見だ!と驚いています。究極の自分さがしですねー

そして、人類史上における美術の進化にも目を見張るものあり。近代以前はキリストとかビーナスとか、ステキな画題を具象として表示するための「媒体」だったものが、その「媒体」つまり作品自身に価値が生じ始め。

例えば、フラ・アンジェリコの受胎告知ですが

当時西欧の上流階級の人にとって、神々しいキリスト教の挿話の「記録と普及」の媒体であり。跪きなから、涙して観賞した、ということだと思います。

一方で、いくら涙にむせんでも、絵そのものに涙しているというより、やっぱりキリストさまのエピソードに涙している、ということなのでした。ははは

しかし1500年以降世界は広がり。今日、ブラジルの土着民であるぼくから見れば、キリスト教なんてどうでもいいよーん。それより、絵にかいてあるお姉さんの困惑、喜び、恐れ、重圧、解放いりまじった不思議な表情にひきこまれてしまい。知り合いのお姉さんにそっくりだ、どうもほっておけない、と時間も忘れて見入ってしまう。これは、画題なんて関係ない作品そのものが生み出した価値と考えます。

実際は、この絵にしても、公的(宗教的)な存在価値と、美的に生み出された価値が共存しており、時代により絵によりどちらかが振り子のごとく前面にでたり隠れたりしながら、螺旋を描くように進化していった。

しかし、写真の実用化という大事件が起き。上で書いた「記録と普及」は一瞬で何万枚と印刷できる写真に奪われてしまいました。

では、絵画は消滅してしまったのか?

いえいえ「具象から解放された純粋美術へ進化した」のでした。

写実画は「具象と美術」がひとかたまりになっており。ここから具象を切り取って行って、純粋に美術にしたものが抽象画である。

ミケランジェロが「石柱を削って中から彫像を解放した」ように、抽象画家も「写実を削って美的映像のエッセンスを解放した」。ううむくどいかな

その方法は、光の解読(印象主義、ただしまだ写実絵画です)、視点の分解(キュビズム)などから始まり、時間(動き)の分解などを経由して、カンディンスキーの構成絵画で頂点に達したと理解しています。

その後の近代・現代絵画は?さて進化か退化か?実は退化しているような気がしてなりません。もちろん、新機軸の発見やインパクトの提示といった面では現在絵画はすごいけれど、それはホラー映画を見て絶叫している、というたぐいの「感動」ばっかりで、はっきり言って苦手です。写実絵画の「泉(アングル)」みたいに、見ていてあれれ、絵の中に迷い込んじゃった、みたいなそんな感覚にさせる方が本物と思っています。(一方、キリコやホッパー等の往年の巨匠から一層進化したような、Tristan Pigott、Jessica Brilli、Judit Kristensenや永井博などによる、すごい現代絵画もある(外部リンク)。(これらは、また別の機会に書かせていただきます。)

つまり、ちゃんと「写実の中から美という核を抽出した」絵じゃないと、ぱっと見だけは抽象画だけど、実は絵の具をてきとーにぶちまけただけで「核・中身」がない、せいぜい投機によるお金儲けの道具程度にとどまってしまうと理解しています。

では、どうやって核を抽出しているのか?

例としてカジミール・マレーヴィチの絵があります。

マレーヴィチさんは、ロシア革命のころに活躍した画家で、共産主義の恐ろしい暴風に翻弄され、投獄されたりしながらも「至高主義絵画」を確立した美術の革命家です。

最初のころは、帝政ロシアのブルジョア的?印象派ちっくな絵を描いており。

花売りの研究(1903年)

ううむこの次の年に日露戦争が始まり、203高地だの日本海海戦だの未曽有の殺し合いになってしまった。人間って恐ろしい生き物ですね。

自画像(1908年)

印象派ちっく、フォーブちっくに崩しているが、しっかりした写実技法の裏付けある絵画からスタート。

収穫(1910年)

このあたりから抽象がはじまり。

一方、ソ連の提唱する「社会主義リアリズム」とそりが合わず、1920年代から迫害が始り。ついには投獄され、その後釈放されたものの、当局と折り合うためには純粋な抽象を捨てざるを得ず。こんな絵を発表しました。

帽子の少女(1932)

しかし、マレーヴィチの最高の時期は、やっぱりのびのびと絵をかけた期間で、名前からして「至高主義」というのを発表しています。

至高主義構成(黒の台形と赤の広場・1915年)

フットボール選手の絵画的リアリズム– 4次元の色の塊(1915年)

建設中の家(1916年)

イエローとブラックのダイナミックコンポジション、1916

シュプレマティスト作曲No.56、1916

晩年に至っては、体制との葛藤が伺えます。アメリカとかに亡命しなかったのは、スターリンとは合わないけれど、社会主義を信じてはいた、ということらしいです。

熊手を持つ女、1932年

女性の肖像、1930年

これらの絵を並べると、具象から抽象への進化がわかります

左の絵は、お姉さんという画題・対象が存在していますが、右に行くにしたがって色や形態が独立して活躍?を始め。右になると、もはや色や構成それ自体が絵となった非対象絵画(無対象絵画)というそうです。へえええ。。。。

今回のお題に最も合致するものとして、共産主義当局の追及を、あたかも写実的な絵で逃れながら、その実、至高主義をちゃんと表現したすごい絵を掲載します。弾圧という運命のいたずらで生まれた絵ですが、写実→抽象の転換が見事にわかる好例と思います。

本物の識者は、弾圧の中でもうまく伝えるべきものを伝えてくれるということですね。

自画像(1933年)

この絵の署名欄であるところに「黒い四角」が入っています。

下右のかどっこに小さく、ほとんどみえないですが。。。。

このちっちゃな四角を拡大するとこうなります↓

黒い四角(1915年)

黒の正方形、とも呼ばれます。

1915年、ペトログラード、現在のサンクトペテルブルグで行われた「最後の未来派絵画展0.10」において、ロシア人から見て室内で一番神聖な場所である、壁の対角線の天井すぐ下に飾られたこの絵画は、「写実からすべてをそぎ落として純粋な核のみが残ったその結果だ」として、「新しい絵画の0地点」と呼ばれるようになりました。

一見なにげな肖像画(自画像)の署名がわりにこの絵を置いたこと。そしてさっきの「帽子の少女」をほうふつとさせる構成(色使い)。つまり、写実的な絵の中のどこに抽象の核が埋まっているかを見事に表した恐るべき絵だと思います。

-O-

ちなみに、ぼくは「抽象とは、具象から進化したものである」というスタンスを支持する一人です。「そもそも具象とは全く関係ない」というのとは違った見方です。また、抽象絵画を無対象美術のみとする、あるいは対象のあるものも含めるとするいずれの見かたにしても、「画家の魂からほとばしり出るものである」かつ「内的必然性」が関わってくるので、結局「一刀と二刀が同じ剣道(得牛)であるように、根源的には同じもの」と理解しています。

もっとも、内的必然性についても「絵画の特定の形式が観る者に与える感覚」「個性の要素、内的価値としての様式の要素、純粋にして永遠なる芸術性の要素によって構成される色彩の諧調(調合)の法則性」などいろいろな見方があり。日々修行、勉強です。ははは

ちょっと尻切れトンボかもしれません。また技法の面などから新たに書いてみたいと思います。

映画「日本海大海戦(1969)」より。203高地の戦闘
https://www.youtube.com/watch?v=WuMgdRqkoOQ

ではでは。。。

 

Posted by 猫機長