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不条理演劇:生活と労働の常識を見なおそう

以前書いた芸術関連記事からスピンアウトして、美しいショートストーリー、いってみます。

ある日の午後。

大好きなパンを買って、お家に帰る途中のぴよちゃん。

浜辺を歩いていたら、お巡りさんに呼び止められました。

「ぴよちゃん、とてもおいしそうなパンだね、ぼくにもちょっと見せてー」

「はいどうぞ」とパンを差し出すぴよちゃん。

おまわりさんは、ぴよちゃんの手からパンを取り上げると、いきなり海へ向かって放り投げてしまった!

沖の波間に落ちるパン。ぽちゃん。

半狂乱になって叫ぶぴよちゃん。「きゃあああー!カメさんが死んじゃうー!」

おまわりさんは、やさしくぴよちゃんを諭します。「もう五時だよ」

その言葉を聞いて、ぴよちゃんは朗らかな笑顔になるのでした。

アフターファイブのハッピーアワー。ぴよちゃんとお巡りさんは、手をつないで楽しいお散歩に出かけるのでした。

めでたしめでたし。

なんだそりゃ?全く意味のつながらない話だぞ?

いえいえ、これが「不条理演劇」なのです。

パンかどうかは別として(パンではなくて人間の赤ちゃんというバージョンもあるのですが、ブラックすぎてさすがに掲載できず)、ぴよちゃんが抱えていた「なにか」を通じて、お巡りさんと優しさいっぱいの交流がなされ、結局両者は手を取り合ってお散歩に行く、という心温まる結末になっています。

つまり、登場人物間では、ちゃんと常識的な意思疎通が行われてたのです。

でも、読者から見れば「ぜんぜんつながってないじゃないかー!」

その通り。だから「不条理劇」というのです。

不条理劇にもいろいろありますが、この記事では、観客の持っている常識・見識をがらがらぽん、と粉砕し、「何が常識で、何が非常識なのか」を再発見させる目的のものとしています。

上記でぴよちゃんが「(パンが海に落ちたら)カメが死んじゃうー!」と半狂乱になって叫びました。

現在通用している常識から見れば、パンが海に落ちたとして、海鳥や魚のえさになることはあってもカメが死ぬことはありません。だってパンってプラスチック(海洋ごみ)じゃないよね?

では、海の生物を殺す海洋ゴミとは何でしょうか。

環境省の調べでは、自然物、プラスチック、木材、金属、布、ガラス・陶器、紙、その他人工物になっており、海洋ゴミの重量において23.3%という無視できない数字がプラスチックとなっています。

ということから、「ポリ袋を使うな!スーパーの買い物袋は有料だ!」という常識が生まれています。確かに「海には膨大な量のビニール袋やプラスチックゴミが浮いているという事実(22nd-century.jp)」は動かしがたく。

しかし、ポリ袋を使わなくなれば、海洋ゴミは減るのか?

ここで恐るべき事実があるのです。

やっぱり環境省の調べで行くと

となっており。

なんとポリ袋は総量の0.4%しか占めていなかったりします。

つまり、海洋ゴミをなくしたいなら、本当は「ペットボトル、プラボトル、注射器等」をなくす必要があるのです。(別にポリ袋は垂れ流しでいいとは言っていません、ははは)。

優先すべきペットボトルはいくらでも生産・流通し捨てまくり。すべての罪をポリ袋になすり付け、上手に海洋ゴミという課題から市井の人々の目を反らして、挙句の果てにレジ袋有料化でさらに市民からお金を巻き上げている―そういう「すりかえられた常識」が知らないうちにみんなの意識に植え付けられていないでしょうか。

つまり、みんなの常識で行っていることが、実はこれ以上ない不条理になっていたとしたら?

不条理演劇は、こうした「不都合な真実」を暴く重要なツールです。

北朝鮮の「先軍思想」や「将軍様神格化」は、世界の人々が不条理であると理解しています。簡単すぎて疑いようがないですよね、はははは。。。。

一方

◎日本のコロナ対策は成功して、医療崩壊は起きなかった

◎労働は尊い。人は、死ぬまで現役でいるべきだ

というようなコモンセンスは、どこまで本当なのでしょうか?

ぼく自身の意見は、それぞれ「医療崩壊」、「生涯現役」でこのHPの検索ツールを調べていただければご覧いただけると思います。

一方、さっきの海洋ゴミふくめ、人それぞれであり、ただ一つの正解というものはありません。というか、一人一人が自分にとって何が常識・不条理かという意見を意識する必要があるのです。

意識せずに「先生が言ったから。官僚の発表だから。教科書のとおりだから。新聞や少年ジャンプに書いてあったから」と、外部からの情報を無批判に受け入れるとどうなるか。

「日本は正義の大戦争に突入した。日本人は肉弾を砕いて努力せよ。日本の正義は何よりも重要だ。オマエ個人の命なんて鳥の羽毛ほどの重さ(価値)も無い」と、日本だけではなく、世界中の国々が似たような常識を権威の命ずるままに疑いもなく信じてしまったため、世界にまたがる大戦争が2回も起きてしまいました。

しかし、この常識がいかに不条理であるかということが、第1次大戦の終戦の日に明らかに。昨日まで塹壕で撃ちあい、殺しあっていた敵軍同士が、塹壕を走り出て、互いに抱き合って喜んでいたのです。

この光景はアメリカのRickenbakerという飛行機乗りが記録しました。詳しくは「牧牛」の記事に書きましたので、ご覧ください。

また、これも第1次大戦中の1917年、デュシャンという人が米国の美術展に「権威の言うことは本当は不条理まみれなんだ!みんな目を覚ませ!」と、恐ろしい作品を展示しました。この話は「神は死んだのか」に詳しく書きましたので、そちらをご覧ください。

自分がフツーだと思っていた日常が、実は不条理演劇だった、と見極めるのは、北朝鮮のような明確なケースでもない限り困難だと思います。

でも、本物の有識者の情報だと「さっきAと言ったけど、実はBなんだよ」とわかるように発信してくれていたりします。

こうしたサインを見逃さなければ「屠殺に追い込まれる家畜」の運命から逃れることもできます。サインはいろいろなタイプあり。その中でも重要なやつに「ロマン主義的イロニー」があります。

とここまで書いて紙面切れ。というわけで、続きは日をあらためて書かさせていいただきます。

尻切れトンボにならないように:サインを見つけるには?→このへんはとある記事にかいたので、ご覧ください。

多数の記事からの引用ばっかりになっちゃった。でも「不条理を見抜く」は「己自身を知る」と同様このHPのメインテーマなので、とても1つの記事では書ききれず。

ぜひじっくりこれらの内部リンクを堪能?ください。

ではでは。。。。

絵画の巨匠ダリが作った映画「アンダルシアの犬」。愛と優しさに満ち溢れたぴよちゃんのお話とは真逆の、

本当にシュールなやばい不条理の世界が広がっています。心臓の弱い人は見ない方がいいかも。

Posted by 猫機長
美術ってなんだ
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美術ってなんだ?西洋美術と日本美術の差(最終回)

いやいや今回含めて4回にわたった連載。いつまでも際限なく続くと焦点がぼけちゃうので、えいやー!と最終回にしました。

口上はそのくらいにして、本題いってみます。

さて、西洋美術は「ふむふむ」、日本美術は「わくわく」だった、というのが前回での結論でした。

西洋美術は、記録媒体として、記録された物語を誰もがわかるように理性的かつ写実的に絵をかいた。それは聖書の物語であったり、メディチ家の誰かの肖像であったり、「民衆を導く自由の女神」みたいな概念の擬人化であったり。もちろん風景画とかで名画も多いのですが、基本スタンスは、風景はあくまで背景で、その風景を背景としている出来事や登場人物について、やれアレゴリーだのアトリビュートだのでくどくど説明し伝達するのが西洋美術だった。

*アトリビュート:持ち物。白百合を持った青と赤の服装の女性がいたらマリア様を表す、など。

*アレゴリー:寓意。抽象的な概念を具象化したもの。サイコロの絵は幸運、頭蓋骨は死、とか。

日本美術は、西洋美術と比較すると「単なる模様」だった。ははは。。。。そして、花鳥風月とか、模様ちっくな唐獅子や雷神とかがふすまや屏風にでかでかと描かれ、お城などの装飾の重要な部分として発展してきた。すなわち、日本の場合芸術と工芸があまり分離してなくて、刀の拵えにしろ、屏風やふすまにしろ、実用品の装飾、という性格がつよく。西洋のように美術は美術で独立しており、美術のための美術なんだ!工芸じゃないぞ!みたいな考えはないらしい。

尾形光琳「燕子花図(かきつばたず)」

またまた脱線しそうなので、本題の中の本題「西洋と日本の思考回路、生命の危機にさらされた時の行動の違い。コロナ禍における日本の不可思議な対策の理由」にむりやり行ってみます。

西洋の思考回路は「始点・終点があり、終点つまり成功・成果に向かって直線的に進化していく」アプローチです。日本の思考回路は「天下太平の世を孫子の代まで守り抜く、つまり過去、現在、未来が一つになってぐるぐると同じ地点を回っている」アプローチです。

*なお、人類は螺旋状で進化する、という理論があり、事実西洋絵画もデフォルメと写実の間でルネサンス→バロック→新古典主義→ロマン主義→自然主義・印象主義などと振り子のごとく、あるいはぐるぐると回っていながらも、この回転がねじのような螺旋を描いて進化していますが、日本の場合は徳川300年で、螺旋ではない単なる回転となるよう押さえつけられてしまいました。明治になりワープした。

で、西洋人の場合、理性的、普遍的な規則によってこの進化を客観的に達成しており。数学がいい例で、哲学的な意味に入るまでもなく、単なる算数レベルで、1+2は、西洋人にとっては3です。ナチスドイツであろうがソ連であろうが大英帝国であろうが、1+2=3であり、これ以外の答えはありません。

ところが、日本人の場合、その場の空気で3なり4なりに変化し。みんなの雰囲気で3.23となっているものをうっかり3.26となど言おうものなら、たちまち「空気が読めないやつ」と村八分になります。

例えば、会社の報告書などで、首相じゃなかった社長が一声「3.35だよ」と言えば、1+2は3.35です。でも、そのままでは検察じゃなかった税務署に呼び出され大変なことになるので、報告書の添付書類で「今回の調査により、小数点以下の誤差が発見された。1の場合、その誤差は0.11に該当し、2の場合は0.24である」と、誤差を合わせれば3.35になるよう、官僚じゃなかった事務方が必死にフォローするのですが、もちろん税務署は喜んで「なぜ誤差がでるのか」「1の場合0.11となる理由は何か」「2の場合は。。。」と際限なく重箱の隅をつつく質問をしてくるので、こうした「すべての質問に対する想定問答」を含んだ「実施方針対策」をあわせて作成することになり。辞典一冊みたいなぶ厚い参考資料が報告書にくっつくことになります。

もちろん、だれしも「辞典みたいな参考資料」を作ることは避けたいわけで。でどうするかといえば、普段から首相社長をカラオケにお誘いしお言葉をお聞きし、事務方同士ではZoomだろうが何だろうが、飲み会や日勤教育などで「首相社長が言いそうな数値」を事前にリサーチしておき。「今度の報告書では3.37とおっしゃりそうだ」とわかってくれば、最初から「この3.37は、1+2.37から導き出された結果です」と、税務署も文句ない?報告書にすることができます。あえて書く必要はないと思いますが、なぜ「飲み会」が必要になるかと言えば、しらふでの場面では1+2=3以外にありえないからです。こういう「飲みにケーション」ができる人はいいのですが、できないと公園で一日を過ごしたり、ニートの境遇に追い込まれたり、電車に飛び込んでしまうことになります。

長くなりましたが、日本の場合「成果を求めない。成果自体が変わってしまう」というケースがあるということです。

1+2のケースでは、計算結果は上記の「国会会社」あるいは「ママ友のグループ」など、はっきり言ってそれぞれが属しているクラスターの「空気」に従って決定され、そしてそれは日々流動することとなります。

で、コロナ対策。

この対策の目標、成果についても、いろいろなクラスターの空気によって変化しています。

その結果、日本政府の政策はこうなりました

出展:https://note.com/hyamaguchi/n/n0c60c7292ec3

ブラジル大統領の確信犯バカッター発言「ただのカゼだ」の方がまだましかもしれん。やってることは日本政府と同じですけど。。。

日本では、巣ごもりの人、花見に行く人、そしてキャバクラに行く人もそれぞれが属するクラスターの空気に従っているだけだと思いますが、しかしこの玉虫色に変化するスタンダードが大惨事を招く可能性があります。

実はそう遠くない昔、日本の軍部は「飲みにケーションでしか説明できない決定」で、飲みにケーションなんて感知しないアメリカと戦争を始め、原爆を落とされました。コロナも飲みにケーションなんて通用しないウイルスです。

ぜひ日本の人は、日本の政治家がいう「注意お勧めします」というこれまた煮え切らない玉虫色の勧告ではなく、世界で日本に先駆けて起こっている参事を参考にして、徹底した巣ごもりを実行すべきと考えます。

このままだとかなり暗然とした終わり方になってしまうので、ちょっと補足

―西洋の超一流の芸術家たちは、芸術と言いながら理論・理性に縛られて、直観・啓示・感性が遠ざけられてしまっている現実に悩んでいた。

―そこに「わくわく」の日本美術、理論なんて細かいこと言わんと、ダイレクトに感性だ!という「12歳の少年のもつ純粋さ」が直撃し。西洋人の精神年齢「45歳の老獪な成人」の凝り固まった感性を粉砕した。これがジャポニズムです。

もちろん、たとえばアングルの写実絵画にも啓示や感性はあります。(「泉」を見て、おもわずその絵画の中に迷い込んでしまったような錯覚を受けるとか)。一方、知らず知らずのうちに単なる歴史・人物・事件・風景の絵解き説明になっているだけというケースもあり。すなわち、「歴史、人物、事件なんてどうでもいい!絵画がそれ自体で芸術として成立すべきだ!」という叫びが生まれていたところに、「犬図」みたいな日本画を見て、まさに成立している実例があることに驚愕した。そして、純粋芸術の可能性に目覚めた西洋の芸術家たちは、西洋人得意の「直線的進化」によって、まずは画題からの解放、そして具象から脱出し、「点と線と面」へと進んでいます。この辺の話は、またいつか「カンディンスキー」をお題にして書いてみたいと思います。

大好きな「犬図」。毎回こればっかりですみません

さてさてまたしても3000字を超えてしまいましたので、この辺で終わりにしますが、日本人の「12歳的柔軟思考」が良い面で出れば明治維新や戦後初期の民主主義導入(そしてジャポニズムも)、悪い面で出れば軍国主義となり。コロナ対策ではかなり悪い面で出てしまっていると思います。天真爛漫な12歳に回帰しながらも「螺旋状に進化していく日本」を願っています。

ではでは。

 

Posted by 猫機長
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美術ってなんだ?西洋美術と日本美術の差

美術ってなんだ?西洋美術と日本美術の差

以前、ひょんなことからルネサンス美術の恐るべきからくりについて書きましたが、そもそも美術とは何か?という再確認をしたうえで、頭でっかちな西洋美術と、ほにゃららな日本美術の接点を探り、美術に現れる日本のお国柄を理解し、ゆくゆくは日本の不可思議な新型コロナ対策の解明を試みようと思います。

さて、美術ってなんだ?

簡単に言えば「表現」です。ははは

「内的必然性(Inner Necessity)の表現」。

こんがらかった人は、上の言葉はちょっと忘れて

「表現者(画家)が、表現を通じて鑑賞者に何らかの情報(意志、理念など。感性も?)を伝え、鑑賞者へ感覚的に何かの啓示なり感動なりを呼びおこすもの。」

そして呼び起こす根源となる表現、表現物、物体を作品と呼べばわかりやすいかと思います。

美術は、芸術の中の仲間です。ほかにいろいろ仲間があり。

文芸:小説とか詩。このブログの文章なんちって

音響芸術:軍艦マーチ。AKB48やベートーベンももちろん入ります

舞台芸術:演劇・ダンス。ブルゾンちえみ。

映像芸術:映画。「トラ・トラ・トラ」や「日曜日の恋人たち」なんてのもある。

造形芸術:ミロのビーナスとかの彫刻や、建築。ぼくはBAUHAUSちっくなやつやコルビジエが好きです。ニーマイヤーはおおざっぱすぎてううむ、というかんじ

視覚芸術:ここに美術が入る。ドミニク・アングル、キリコやホッパー、リキテンシュタイン、そしてカンディンスキーなど。

美術についての簡単な定義が定まったところで、西洋美術にいってみます。

1.西洋美術のスタートは「初期キリスト美術」。

あれれギリシア美術は?という質問があると思いますが、ローマ後期から、ゲルマン大移動と、フランク王国など蛮族による諸王朝によって埋もれてしまい。当時芽生えた初期キリスト教美術と、続く初期中世美術をスタートとさせていただきます。

さて初期キリスト教美術・初期中世美術の特徴ですが、ギリシア(ヘレニズム)の精緻・繊細・躍動感はどこかに行ってしまい。

受胎告知。教会壁面のモザイク。作者はだれだろう?

素朴というか幼稚というか、ポーズも表情も固定して、なんかお役所の公文書みたいな感じ。つまり「書式からずれてる!書きなおーし」とはならないにしても、「こうしなさい、こうあるべし」というのでかなりがんじがらめになっていたらしい。

そして、表現が目指すものは「文字の読めない人たちにキリスト教を絵でつたえること」でした。

2.次に出てくるのがビザンティン美術。ギリシア文明の継承者を自称する東ローマ(ビザンティン帝国)ですが、やっぱり公文書みたいな堅苦しさあり。イコンといって「聖書における重要な出来事や、教会史上の出来事を画いた画像(Wikipedia)」が発達。人々の目指すべき理想を絵にし、指し示すもの、ということで現在のアイコンの語源になったとの説あり。

表現が目指すものは、やっぱり「キリスト教の普及、広報」でした。

「ウスチュグの受胎告知」

3.東西貿易など、イタリア諸都市をはじめとした新勢力が勃興すると、これらをパトロンとしたルネサンスが始り。硬直化して身動きの取れなくなった美術を、掘り起こされたギリシア美術の均整、写実といった技法で再発見し、人間中心の絵画が生まれました。題材として聖書は主流にあり続けましたが、登場するのはイコンではなく、人間と相通ずる肉体、精神を持った聖人賢者になりました。

フラ・アンジェリコの受胎告知

表現が目指すものは、「キリスト教や肖像画を通じた教会やパトロンの広報」でしたが「教会やパトロンも人間」「絵に出てくる天使などにも人間と同じ感性が表現」されはじめました。

*ただし、この時代からの広報やプロパガンダは、ある程度エリートの人たちの間にとどまっていたらしい。新聞みたいなマスメディアによる普及は、後に書くように写真の出現以降、あるいはルーブル博物館の一般公開開始(1793年)以降などの説あり。

4.一方で、西欧美術の擁護者であり指令塔であったカトリック教会は、メディチ家とかの大商人、絶対君主やプロテスタントの勃興など、資金、政治・軍事、宗教全方位で危機にさらされ。これじゃいかん、もっと檀家(信者)を増やして財力・権力を回復せねば!と、プロパガンダ大攻勢を開始します。

この流れでバロック美術が登場。お題は聖書で変わりがないが、表現方法をとにかくドラマチック、見ている人が感動して涙してしまうような「ドーンと衝撃的な作品」で、カトリックファンを呼び戻そうとしました。

従って、表現が目指するものは「キリスト教の広報、普及だが、見るものの感性に訴えて否応なく引き込む」

つまり、ここで「理性・情報の伝達」より「感覚・感情の作用」がまさりはじめた。

エル・グレコ(受胎告知)

5.ロマン主義

フランス革命にナポレオンの時代。王や貴族より民衆の方が強くなっていった。ギロチンで王様の首が飛ぶ大混乱、大革命の時代を象徴して、美術も情熱、夢想。ついに情感が前面に出はじめます。この時期を代表する画家にウジェーヌ・ドラクロアという人がいます。

ドラクロア「受胎告知」

ううむいがいにインパクトがないなあ。。。というのも、ロマン主義は「神・主、ヨーロッパ普遍」よりも「各国の個人の自我」を表現するのが得意なので、下の方が有名です

ドラクロア「民衆を導く自由の女神」

表現しているものは。。。「自由、平等、博愛といった、自我を持つ人間の精神。勇気、希望、情熱と言った、やっぱり自我を持つ人間の感性」。宗教から分離し始めているが、民族・国家のプロパガンダとしての色彩はまだ濃い。

6.ロマン主義と前後して、新古典主義があり。

熱狂的に受けた「巨人の星」が、時代が下るに従い「ギャグマンガ」と受け取る人が多くなってしまったように、バロックの暴力的な迫力は、受ける人には受けるがちょっとくどくてねー、となり。「やっぱりもっと均整がとれた、古代ギリシャみたいな細部まで精密な美術に回帰しよう」と新古典主義が生まれました。

この絵をみて、めらめらと目に炎が燃え上がる人は昭和のおっちゃんです。

ぎゃははなにこれー!と笑っちゃう人は令和のゆとりくんです。

(出展:https://ameblo.jp/kamome4022/entry-12177778646.html)

重厚で格調高く、どっしり威風堂々とした絵が新古典主義の特徴です。

宗教画もあるのですが、なぜか受胎告知は発見できず。ということで、ナポレオンの肖像画を掲載。

ダヴィッド「アルプス越えのナポレオン」

この美術学派の表現するもの:ううむ「パトロン、あるいは芸術家の意志を写真のような写実的な絵柄(モデルとは思い切り似てない可能性あり)で視覚化する」。

ちなみに、ぼくはアングルの大ファンです。アングルはこの時代の代表的な画家で、「当時発明された写真が「画家の生活を脅かす」としてフランス政府に禁止するよう抗議した(Wikipedia)」らしい。

そして、この抗議が、西洋美術の本質を物語っていると理解します。ここがこの記事のコアポイントです。

写真が登場するまで、西洋美術とは、神様、天使や、メディチ家やナポレオンなどの世俗権力者、あるいはフランス革命などの歴史的大事件の描写と報道をするための手段だった。あるいは形式、あるいは理性、あるいは感情と、写実やデフォルメの間を行ったり来たりしながらも、その「報道写真」としての本質は変わらず。

しかし、写真の出現により、美術の存在価値は180度転換します。

報道写真。(出展:Photograph by Joe Rosenthal, AP)

もはや書くスペースがなくなってしまったので、今回はこの辺で終わりますが、何百枚でも複製できる写真の出現で写実のくびきから逃れた美術は、

7.形而上絵画、キュビズム、シュルレアリズムなど、感性そのもの、純粋な内的必然性の表現となって生まれ変わりました。

そして、西洋美術の生まれ変わりには、実はいかにも日本的な日本美術が恐るべき影響を与えたことも別記事で書きます。その序章として「日本画にしか見えない日本画」を掲載して、結びにいたします。

シュールでかわいい犬くん。

仙厓和尚 犬図

きゃふんきゃふん。ではでは。。。

Posted by 猫機長
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成果主義の企業は潰れる

成果主義の企業は潰れる

成果主義、能力主義が叫ばれて久しいですが、依然として日本株式会社の企業たちは「先進国最低の生産性」というレッテルを外すことができず。

こう書くと、「年功序列などの古いしきたりが残っているから成果主義になれないんだ」というコメントがでてきますが、実は、さらに重大な理由があるのです。

成果主義とは、企業が生きていくための利益すなわち成果を出すために誰がどの程度貢献したかを計測し、その貢献度合いに従って企業内における待遇を決定していく経営方法であり、その成否は成果そのものの設定(零戦)つまり企業にとって何が成果かということの明確化と、社員がどれだけスマートに貢献したかによって決定されます。

貢献という言葉がくせもの。「スマートに」は「効率的に、効果的に、実利的に」という意味ですが、つい「年功序列と代替できる手っ取り早いスマートさを創作してしまう」から成果主義の取り組みに失敗するのです。

たとえば「効率的」について。

がんらいの日本株式会社は、慶応出だろうが早大出であろうがはたまた防衛大出であろうが、新卒をじっぱひとからげに採用して、初年兵すなわち新人はお茶くみに宴会のビール継ぎ、コピー取りにカラオケ大会の使役兵じゃなかった雑用係、そうして会社のしきたりを学び(学べない人は電車に飛び込んだりして消え去る(カエル))、2年目3年目くらいから会社の各部署におけるエキスパートとなっていくが、業務は大学で学んだ科目とはほど遠い内容でした、という効率性もへったくれもない封建的なやり方なので、「成果主義だぞー」と学歴不問、会社の事業成果に直結する分野の若者のみ採用し、出社初日から専門分野の能力発揮を要求する会社が出始め。といっても最初は先輩についてオンザジョブトレーニングですが、飲み会やカラオケという「教育」ではないことに留意ください。これで成果が出せればOK、でなければ「ハイそれまでヨ」さようならと解雇、というふうに変革した企業が生まれ始めました(極論です)。

ハイそれまでヨ(©東宝)

https://www.youtube.com/watch?v=94lJKBmo74c

で、生産性躍進したかというと、実はそうでもない。なにが問題になっているのでしょうか。

それは、ずばり!「競争にとらわれ、協調が達成されてないから」です。

効率化、効果的、実利的、というと、つい「あのやりかたは効率的でないからダメ」という切り捨て思考に陥ってしまいます。もちろん選択と集中は大切ですが、一歩間違えると単に『効率化している』という満足のためだけに本来ありうる多数の選択肢を自分から切り捨てているということになってしまうので気を付ける必要あり。

たとえば、ITサービス企業にとって、大卒であれば芸術学部であろうが体育学部であろうがじっぱひとからげ、というのではなく、学歴問わずデジタル技術を知っている人を選んで採用する、というのは効率化です。でもデジタル部門の経歴だけで競争し雇用しようとすると、マイナス思考に陥ってしまいます。デジタル強者だけを雇って純粋培養という思考が危険なのです。

ううむわかりやすい例がないかな、たとえば、個人事業主(ラーメン屋さん、花屋さんなど)向けの広報サイトを作成する会社があったとします。そこそこ業績はあるが、いまいちお客さんからのフィードバックが?と伸び悩んでいたそんなある日、なんのはずみか、全然IT知識のない70過ぎのじっさまが派遣で入ってきた。

ラーメン屋さん。お客さんを呼びこむHPとは?

そのじっさまは、定年まではそれなりの大企業にいたらしいが、「いやいや妻の介護でお金が必要になりまして。。。」なんてとても低姿勢で人当たりが良いので、いつの間にか若い人たちに慕われ、仕事ではなく生活の悩みの知恵袋になりました。ははは

で、若い人のほうでも仕事というより雑談レベルで「こんなふうにやるんですよ」とじっさまに伝える(教える)ようになり。じっさまもまじめに「へえへえこうすればぐーぐるの検索ページであのパン屋さんのキャッチコピーが表示されるんですね①」「じゃあ、キャッチコピーはこんな言葉を使って、これぐらいの大きさにすればいいんですね②」などと勉強している。

これをみた社長が

「ああああ!そういうことだったのか!」と驚愕し。

つまり①は「スぺニット」のことであり②は「SEOコメント」のことだったのです。

IT強者の若者軍団で構成された会社だったので、IT弱者のパン屋さんや花屋さんのHPを作成するにあたり「①いろいろな検索エンジンで貴社の情報が一目でわかるようにスぺニットを作成し」「②SEO対策を万全にしてインデックスを確実に、検索エンジンで上位を狙いましょう」などと手取り足取り説明するのですが、悲しいかなパン屋さんの方は「すぺにっと?SEO??いんでっくす???」とちんぷんかんぷんになってしまい。もちろん業者も相手が初心者なのは重々承知しているので、親切に「スぺニットとは、検索エンジンによる検索結果の一部として表示される、Webページの要約文のことです(Weblioより)」などと説明するのですが、果たして皆さん理解できたでしょうか?はははは。。。。

ぼくのサイトのスぺニットはこんな感じ。

ぜひお友達とかにも教えてあげてくださいね(^▽^)

そこでじっさまが登場。実業界の修羅場を生き抜いて、お客さんにどんな言葉で説明したらよいのかを知りぬいているじっさまは、若者がスぺニットの存在を教えただけで、そのスぺニットが何かはともかく、何のためにあり、どう使い、どんな言葉をどれだけ入れればパン屋さんなどの集客になるのか無意識ながらも見抜き、「キャッチコピーはこうすればいいんですね」と逆に効果的なスぺニットの作成を若者に提案していたのです。

社長は、パン屋さんなどお客さんとのHPデザイン他交渉の場に必ずじっさまを同席させることに決定。その結果、若者の出す技術提案がしっかりお客さんに伝わるようになり、若者の提示するITという手段と、じっさまが通訳ないしお客さんからひきだすキャッチコピーというサブスタンスがうまく合体するようになり、成果倍増となりました。めでたしめでたし。

つまり、会社としてはスマートだったけれど、お客さんのほうへのリーチ(味割の術)ができていなかったのです。成果主義であるがために、デジタル強者の社員同士で先端技術・知識の披露合戦というか血も涙もない数値獲得の競争になってしまい、お客さんを含むデジタル弱者に目が届かない、社員同士で足を引っ張り合う(洗脳)マイナス思考にとらわれてしまったのでした。ここでIT弱者のじっさまという、一見スマートさとは関係ないメンバーが入ってきましたが、実は何より重要な集客能力を持っている人だったので、デジタル強者のだれよりも会社に貢献することができたのでした。

成果主義は可視的な数値・記号を作ろうとするあまり、見栄えの良い成果もどきを作れる人が強者となり、でもそれは会社の存続には貢献しなかったりします。

もちろん、飲み会だカラオケだで「面白いやつ、気が利くやつ」とお覚えめでたく出世などという次元からは卒業が必要(洗脳)ですが、一方「数字で報酬や進退を決めてしまう成果主義ごっこ」ではなく、多文化共生、それぞれのメンバーがのびのび個性を発揮し補完しあう(Finalcial7b)会社への進化が必要。そのためにはまず「脱・会社人間(ベーシックインカム)」ですね。教養・趣味・副業と言った「本業外の知見」が本業を成立させる、そんな世界になっていくと理解します。

ではでは。。。

多文化共生:映画「おはようラモン」より

Posted by 猫機長
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剣道、居合道、弓道:日本武士道から見た成功とは

剣道、居合道、弓道:日本武士道から見た成功とは

成功法則関連記事。調子に乗ってもう一本投稿します。

長い記事になってしまったので、一応ひとことダイジェスト:「成功達成の実践に向けどんなアプローチをしたらいいの?について書いています」。将棋の記事の姉妹編になりました。

日本武士の必須技能かつ教養だった剣術と弓術。江戸300年のうちに居合も発達してゆき、明治以降は「術」から「道」へ進化していきました。

「術」段階では、とにかく実用性が命。その実用性を決するものが「武器」です。中国的な言い方をすれば「器械」です。つまり、いかに製造目的に合った効果的なツールかということで、製造目的として「殺傷力」が重要視されました。

中国のいろいろな器械。出展は「中国武術・武器博物館(http://www.oriental-dragon.jp/)」

中国の場合はえげつなく無数の殺人器械が発明されましたが、日本の場合は武士のことを「弓取り」というように、弓、槍、刀。槍やなぎなたは今回取り上げませんが、弓、刀ともに戦国時代当時では世界最高の武器として発達していたと理解します。

素材の制約もあり、日本の弓はたぐいまれなる大弓となり。当時の命中率は世界最高だったらしい(現在は別)。日本刀も朝鮮出兵以前に倭寇などにより有名になり、中国器械でも「苗刀」という日本刀そっくりのやつが作られるほどでした。日本刀は日明貿易でも珍重された輸出品だったらしい。

といって、日本刀は刃筋正しく切らないとたちまち折れてしまい。戦国時代は切るより叩くだったようですが、それでもヨーロッパの大剣のように、力まかせにぶん回すというわけにはいかず。弓にしても、へんに長くしてしまったので、狙いを定めるべき右こぶしを視界がきかない右肩まで引く必要があり、狙いも矢と的が一致しないとか、まるで努力して当てにくく(狙いにくく)しているみたいになっちゃった。

つまり、日本刀や弓は、「熟達の士」でなければその性能を引き出せない、扱いにくい武器でした。一方で、正しく使えば無類の強さを発揮するため「刀(弓)法の鍛錬」が必要になってきました。

これが「術」の始まりで、「剣術、弓術」が盛んになり。

殺傷力を高めるには、弓の引き方、刀の振り方、といった使用プロセスはもとより、刀を振る人間自身が「本当にオマエは人を切り殺したいのか。切り殺せるのか。」という精神の鍛錬が必須であるということに気が付き。

「勝つってなに?」という問いかけを、24時間繰り返しているのが武士。

戦国の時はわりと単純で「敵方の武士を殺傷する」だったが、そのうち、殺していいのか?正当な理由のある勝ちとは?と悩むようになり。

弓矢が顎から頭を貫通してもがき苦しむ人。「平治物語絵巻」より

きれいごとではなく。自分の振り下ろした刀が当たり、悶絶して死んでいく人を目の当たりにしたとき「この人殺しは、納得できる理由があったのだろうか?」とだれでも悩むと思います。

人殺しの上に成り立った成功と繁栄。精神のバイブルとして、武士道という哲学が発達します(ここでの武士道は、葉隠的な峻烈なやつではなく、新渡戸稲造から現在の少年漫画に至る勧善懲悪的なものを指します)。

ここで、人殺しの術→剣術→人を殺さない道→剣道、に移行していきます。

刀を差すのは、戦国からの人殺しの記憶を保つため。刀の使い方を鍛錬するのは、技量を持つことで、殺すとは何かを意識するため。そのうえで「抜かずに勝つ」。つまり徳すなわち人望、人格で、流血沙汰になる前に和平に達する。

重く、扱いにくい日本刀を差すのは、刀の恐ろしい歴史・性質を魂に伝え、殺さない魂に進化するためです。

といって「国のため、主君のため、金のため」からはじまる「説明のつく人殺し」は時代が変わり正義の定義が変わっても人類滅亡まであの手この手で変異して存在してゆき。幕末に至っては、抜きまくり、死にまくりました。ははは

日中戦争でも「便衣隊100人斬り競走」とかありましたが、幸い世界は穏やかになり。「術」から「道」へなんとか転換できた、のでしょうか。

剣道、弓道、居合道の現在は。。。

人をぶったたく剣道も、ちゃんと竹刀と防具があり、殺すこととは程遠く。

ただ剣道の場合やばいのは、竹刀とはいえ人を直接叩きあっていることですよね。。。「剣術の技法にインスパイアされているけど、それは刀の使い方を稽古することで、刀の歴史・性質を振りかえるためだ」と考えてみましょう。一方、居合の稽古の帰り道、精神錯乱した人が刃物を振り回して周りの人たちを刺しまくっていたら、その時は居合刀でさくっと切り殺しましょう→となるかどうかは、この記事を書いているぼく、読んでいるあなた、みんなで考えてみよう。なあんて。居合についてはまた後ほど続きます。

剣道がヤンデレ化する危険性に留意したうえで、弓道です。

結論から言えば「武道に進化しきることのできた幸せな技能」と思っています。

もともとは、刀と同じく人殺しです。

「平治物語絵巻」ですが、この画像を発見したのは「KenさんのBLOGS:
http://crossroad3147.blog79.fc2.com/blog-entry-295.html」です。

 

でも、現在は「的」が相手です。

的です。人ではありません。

「くさじし」といって、鹿の形をした的とかもありますが、生き物を対象にしない選択、というものが弓道では許されています。

というわけで、ほかの武道から一歩進むことのできた、幸せな「アセンション武道」と理解しています。

さて、いよいよ居合ですが。。。

「人を切る想定をしない居合は、居合じゃない。刀踊りだ」という世界です。

居合の先生とロボットが斬り比べをしている動画を見ました。意外と長いので、詳しくはリンク(外部リンク)でご覧いただくとして、要約は

居合の先生(右)の動作をロボット(左)にインプットし、

先生がみかんを切るのと同じように

ロボットもみかんを両断。

ロボットがみかんをさくっと切っているところで、機械でないと居合はできないのだなと納得。これがみかんではなく、ハムスターだったら?先生は斬ることを拒むでしょう。自分の行為が刀踊りだと宣言する事になったとしても。

機械はスイッチを押せばハムスターをさくっと切り殺します。血も涙もなく。

では人間は居合はできないのかといえば、昔は刀を試す、あるいは単にたむわれで辻斬り、犬とかは稽古でさくさく斬っていたようです。血も涙もなくさくっと殺しができて初めて「抜かずして勝つ」ことができたのでしょうか。

居合が殺人武術から修身の武道になるために、あえて人斬りの想定はやめて「みかん」を切ることに専念したほうがよいのかもしれません。

最後に、しっかり見出しを覚えていて、武士道から見た成功とはなんなんだー!という人に:「牛を尋ね、そして仲良しになること」と答えておきます。ははは

このブログの著者はこんな人です。なあんて十年以上前の写真です

ではでは。。。。

Video sobre robô usando espada. O professor de Iai(caminho da espada) faz cortes com sensores no corpo. Robô, acoplado com sensor então aprende e repete o movimento.

Se Iai que não pressupõe corte real (ou seja, matar) não é Iai e vira dança de espada, então somente o Robô será capaz de dominar o caminho. Pois se laranjas da foto for um hamster? O professor recusará matar o bicho, enquanto que robô irá estilhaçar o animal sem piedade nem dó. Mas ainda assim acredito que budo (arte marcial) tem a sua razão de existir, pois das três virtudes da arte (Sabedoria, Coragem e Compaixão), compaixão deve prevalecer, assim o professor que decidiu não matar será o seguidor de bushido por ter sabedoria que robô não teve e coragem de ser chamado de “dançarino” para não matar o animal.

ttps://www.youtube.com/watch?v=O3XyDLbaUmU&fbclid=IwAR2JvbPJAJxkhq0wynLkysY8mzxMhNDjje0eR-I9yyAzBGbqnANKg7VIKBI

Posted by 猫機長
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精神と知能:幸不幸、成功と失敗を分ける分水嶺

精神と知能:幸不幸、成功と失敗を分ける分水嶺

人間は知能を持っており、動物ではできない高度な頭脳活動によって現在の文明を作り上げました。その重要性から、知能指数という言葉があり、IQが高ければ高いほど成功した幸せな人生が待っているといわれます。

でも、悪知恵、という言葉ある通り、知能はどうとでも使えてしまうため、かえって自分や周りを不幸のどん底に陥れることもあるのです。

幸不幸の分水嶺は?それを決定するのが「精神」です。

というわけで、よいこの少年漫画などは、とりわけこの「精神」を強調した展開が好まれています(それで正しい、そうあるべきと思います)。

一例行ってみます。

無料で全巻読める「駒が舞う」https://www.sukima.me/book/title/BT0000377890/

から抜粋。

将棋日本一を目指す少年2人の地方レベル決勝戦

右のメガネの少年は、この一戦に勝てば「会社の将棋部の管理」だったか、就職して家族を極貧から救うことができる状況。

その家族は、極貧のため妹のチヨちゃんが思わずパンを盗んじゃいます

チヨちゃんが妹と知らない対戦相手の少年(こちらが漫画の主人公)は行きががり上チヨちゃんをつかまえてしまい。

チヨちゃんのなりいきを心配して眺める主人公。その家が決勝相手のメガネくんの家だったことに気が付き。

メガネ君はがめついパン屋のおっさんを撃退

妹チヨちゃんをしばくメガネ君

でも心優しいお兄さんだったのでした

見てはいけないものを見てしまった主人公

で、決勝戦に戻ります

押されていた主人公が、形勢逆転

しかし、打てない

打てば、メガネ君の未来がつぶれます

知能では、打てば勝つ!ですが、精神が「打つな!」と言っているのです。ははは

たまらず、席を立ち、棄権(投了)

しかし、そういう勝ち方は認めないメガネ君。主人公をぶん殴っちゃいました。

メガネ君サイドも「負けた」と表明。でも主人公も席を立っちゃったし?

この美しい譲り合いがどうなったかは上記リンクでどうぞ。なお、あまっちょろい「両者優勝」とかではないので念のため。

いやいやすごく長くなりましたが、この場合、単に計算だけの物質的利益だけではなく、その利益をもたらす背景と影響に配慮して、あえて不利益も辞さず、という確固とした自覚、自己意識、自己遡及があって初めて知能もポジティブな方向に生かされる、ということですね。

この漫画では、「情をかけた」という言い方になっていますが、ぼくは情けとか移ろいやすい言葉は好きではありません。「魂」「哲学」という意味での「精神」が良い言葉だと思います。

精神が全くないまま、知能だけが発達してしまった場合どうなるか?

「昼寝するブタ」というサイトhttp://buta.exjw2.org/denpa/denpa_8.htmに、喧嘩のやり方について以下の記載があります。まんま抜粋、コピーです。

「日本人側は元寇の時の鎌倉武士団みたいな感じで「やぁやぁ我こそは」とばか

りに、喧嘩をする時に獲物(棒とかナイフ)を使うような卑怯な喧嘩は男のす

る喧嘩じゃない。男は男同士、正々堂々と一対一でタイマン(決闘)して拳で

決着を付けるべき。という、本宮ひろしの「男一匹ガキ大将」の描く古い不良

の伝統を忠実に守っています。

しかし朝鮮高校側は日本人とは常識やメンタリティが全然違いますから、喧嘩

はどんな汚い手を使っても最終的に勝てばいい。だから集団で敵に向かうのは

当たり前、もし負けそうになったら自分のプライドなんか関係なく命乞いして

油断させる、そこで相手が油断したらそこら辺にある鉄パイプを拾ってきて後

ろから力任せにぶんなぐって形勢逆転を計る。という大陸的な実用的な喧嘩を

します。こういうのはまさに鎌倉武士団と元寇の争いそのものです

殴り合いで負けそうになると相撲に持ち込んででも体勢を有利にして勝負をかける

日本人学生に対して、朝鮮人学生は有利な体勢の時にはやたら強いんだけど、

ちょっと形勢不利になるとすぐに泣きを入れる、あっけないほど簡単に泣きを入れる。

涙流して土下座までする。

日本人の感覚からすると「なんだこいつ、それでも男か」みたいな感じで泣き

を入れるんだけど、油断すると負けを認めた後でも平気で後ろから逆襲する。

しかも手当たり次第にそこらへんにある道具を使って後ろから徹底的に殴りに

来る。そんな喧嘩が多かったですね

こういう喧嘩のしかたの違いは両国の文化の違いです。」引用ここまで。

上記は、朝鮮の人たちに対する差別ではありません。一部の学生たちはこうだったという事実のことであり、知能のずるがしこさだけが発達してしまうとどうなるかということを知って警戒するため、自分も含め、啓蒙のために書いています。

欧米人のアジア蔑視は、中国進出の過程で「大陸的文化」を目の当たりにしたのが根源にあると思います。一方、アメリカ進駐軍など、日本の文化を知ったアメリカは「日本人は12歳だ」と称賛しています。

ちなみに、日本が明治維新で列強の植民地にならず、終戦後もしっかり国体を保って復活できたのも、徳川慶喜さんや明治の元勲、昭和天皇や吉田首相などが、「精神ある知能」を実践した結果とおもいます。

この「精神ある知能を実践する道」が武士道だと思っています。新渡戸稲造から、現代は少年漫画にまで広く伝承されている大切な日本の文化と理解しています。

最後に、武士道を凝縮した格言で終わります。

「仁なき勇は暴勇と化し、仁無き智は狡智と化す。ゆえに仁をもって仁智勇三徳の王となす(詠み人知らず)」

ではでは。。。

 

Posted by 猫機長
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日本剣道に見る成功法則のエッセンス

日本剣道に見る成功法則のエッセンス

意外に反響あった成功法則の記事。いろいろ具体例をあげて説明しましたが、要は「成功する原因が発生すれば、成功という結果が来る」。成功する原因はどう発生させるの?については、詳しくはこの記事をじっくり読んでいただくとして、一言で説明するとすれば、

「やるべきことを、やるべきときに」実行する、

これにつきます。

例によって剣道の経験から説明します。でも、リピーター読者のみなさんはすでにお分かりかもしれませんが、この説明は生活、仕事にも通用するものです。

剣道の大会では、優勝すること、勝つことが「成功」です。でも優勝という形での「成功」は一人しかつかめません。

で、成功できない大多数の選手が何をやっているのかというと、試合開始とともに猛然と竹刀を振り回す。あるいはひょいひょい逃げ回るだけで攻撃できない。ぽちんと小手に当てて逃げちゃう、など、要するにだれも「有効となる一本」を打てていないのであわれ敗退してしまうのです。

もうおわかりかと思いますが、この場合「有効となる一本」が「やるべきこと」です。

そして、有効となるならないの決定的なポイントが「距離」だったりします。剣道の世界では「間合い」と言いますが、こんな江戸時代の言葉を使うからかえってわからなくなったりしています。

要するに「自分の打突が姿勢正しく気勢鋭く気合充実して相手の打突部位にびしっと当たる距離」です。

でも、圧倒的に多数の選手が、当たるはずもない遠くから姿勢をめちゃめちゃに崩して竹刀を振り回しています。そのほうが安心だからです。

この「安心の罠」を乗り越えて、危険な相手の懐に飛び込み、自分の距離をつかんだ!「打つべき時に」「打つ」これができれば優勝です。ははは

理屈はすごく簡単です。ではなぜ「安心」に逃避してしまい、この簡単なことができないのでしょうか。

そこを説明しつくしたものに「日本剣道型」があります。一本目から七本目まであります(大太刀の型。別に小太刀のもある)が、特にエッセンスを詰め込んだのが三本目までで、一本目が距離(間合)、二本目が正中線、三本目が中心、そしてこの三本がセットで根幹となっていますが、距離だけでも十分成功達成について理解可能、ということで、いってみます。

日本剣道型 一本目

図解のために、以前の記事「床に聞きなさい」で登場した「ぴよちゃん(左)」と「おじいちゃん先生(右)」に再登場してもらいます。剣道人でなくてもわかりやすいよう、絵柄や説明はかなりデフォルメ?しているので、ご了承を。

さて、剣道型一本目は、中段で切っ先3寸が交わるところから両者5歩小さく後退してスタート。上記の図の状態です①。

想定としては、何らかの理由で切り合いになったが、できれば流血を避けて、相手に「参った!」と刀を引かせたい。しかし、どちらも降参の意思はなく、拮抗した状態が上の図です。

さて、「負けたくない!斬られたくない!死にたくない!」のプレッシャーに耐えられなくなってきたぴよちゃん。中段でのプレスの掛け合いに堪えられず、「強いんだよ!降参した方がいいよ!」とおじいちゃん先生に脅しをかけます。これが下の図。

左足をぐっと前に踏み出し。上段に構えます②(左諸手上段)。

なにげに中段に構えていたおじいちゃん先生は、「ぴよちゃんぜんぜん怖くないよ」と、なにげに右足を踏み出し、自然に「右諸手上段」に構えます③。(下の図)

おなじ上段でも、炎のような、でもカラ元気でハッタリの、大げさなぴよちゃんの上段では、おじいちゃん先生の穏やかで控えめな、でも自然で隙のない上段にすでに負けており。

でも降参できないぴよちゃん。えーい!ままよ!とおおきく踏み出し、おじいちゃん先生の頭(実際は拳)を狙って、大きくふりおろします。「やー!」

④この図がエッセンス

空振り。ほんの少し後退し、小手を上げてなにげにぴよちゃんの打ちを抜いたおじいちゃん先生は、大振りで前のめりに体制を崩し、動けなくなってしまったぴよちゃんの、がらあきになった頭の5センチ上に、上段から刀を振り下ろします。「とー!」⑤

勝負あった!

おじいちゃん先生は、そのまま切っ先を下げていきます。たまらずぴよちゃんは後ずさり。おじいちゃん先生の太刀の切っ先はぴよちゃんの眉間のすぐ前で止まります。⑥

勝負あった!

おじいちゃん先生は、さらに上段にのびて、勝ちを知らせます⑦。

くどいぞおじいちゃん先生!

流血沙汰にならず勝負がつき。両者中段に戻ります⑧。

おつかれさまでした

一本目の学び:「距離を間違えると、姿勢を崩すほど踏み込んでも勝てない」

すごいシンプルですね。でも、エッセンスの図④を見ると、ぴよちゃんとおじいちゃんの間の距離はおんなじ(一定)で、有意な身長差があるわけでもありません。じゃあなんでぴよちゃんは空振りして、おじいちゃん先生はさくっと当てたのでしょうか。

その秘密が①から③までに凝縮されています。つまり、距離といっても人と人の距離なので、体格差以前に、かつ同じ距離でも、勝っている人の距離は適正であり、負けている人の距離は遠くなってしまっているのです。つまり、物理的な距離ありきではなく、勝って距離を引き寄せることが重要であり、これを剣道では「技前」「打って勝つな、勝って打て」と教えています。

さて、竹刀剣道の大会だと、打たれても負けちゃった、ですみますが、これが「竹刀の代わりに真剣で、防具はなしね」という大会があったらどうでしょう。

優勝した人だとしても、指の1本や2本はなくしているでしょう。胴を切られて、腸をはみ出させてもがき苦しむ人、脳天を割られて地面を這いずり回る人、斬り落とされた自分の右手を左手でつかんで、茫然と眺める人。。。。など、まさに凄惨な場面になると思います。

もちろんそんな大会なんてないし、あっても誰も参加しないでしょう。ははは

でも、言いかえれば、竹刀だったら斬られて血まみれ、もがき苦しまないからいいや、といい加減にテキトーな技を繰り出し、真剣だったら絶対やらないようなその場のノリで竹刀をぶんまわし、勝った!ラッキー!、負けた!家帰ってラーメンにしよっと、となっていないでしょうか。くどいですが、真剣だったらラーメンどころか自分が刺身になっているところです。

そしてまさに死屍累々の凄惨な修羅場を生き残ってきた人たちが後世に伝えてくれている「絶対負けられない真剣勝負で勝つ鉄則(成功の法則)」が剣道型だったりします。

理屈として「刀の届かない距離から切ろうとしても豆腐一丁切れません」なんて言われなくても明らかですよね。。。

でも、真剣をもって構えあったとき(成功が必要だ!生活がかかっている!というとき)、この正しい距離から撃つ。「やるべきときに、やるべきことを」ができる必要があるのです。

できなければ死にます。

江戸時代の人たちが型稽古をやるときは、まさに「これが真剣だったら」と恐怖におののきながら練習したことでしょう。その集大成である日本剣道型も、真剣勝負を想定すればへたな竹刀稽古よりよっぽど勝負に強くなる稽古になるのです。

もしぴよちゃんの立場だったら?そして、おじいちゃん先生のように、おだやかに勝つことができるだろうか?と考え抜いて、稽古した結果、そうか、この型にでてくる攻め合いは、結局「距離の獲得」を体得するための道を示していたんだ、と気づきます。

これは理論を理解したということではなく、生存のための法則を体得した、ということです。

「距離」という言葉は誰にでもおなじ意味を持ちます。でも、その言葉の意味を本当に体得しているかな?自問する日々です。日々修行ですね。。。。。

最近、わかりやすく成功法則を説明するサイトなどすごい情報源がたくさんありますが、インスタントに理解できた!という罠にはまらない必要があると思います。

「しかり、成功への道はある」。でも眺めているだけではだめで、試行錯誤しながらも進んでいく必要があるのです。竹刀剣道みたいな場面では、どんどん打たれて学びましょう。そして真剣勝負の場面では、絶対勝つ勝負だけをしましょう。

というわけでおしまい。

ふふふ尻切れとんぼだったかな?えらそうですみません。ではでは。。。

Posted by 猫機長
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生涯現役、8050問題、引きこもりそして孤独死

生涯現役、8050問題、引きこもりそして孤独死

最近、引きこもりの人が孤独死した等のニュースが多く。親御さんが老化で死亡してしまい、お小遣いや身の回りの必要な物資が途切れ、そのまま餓死というケースもあれば、金銭的にはまだ遺産を引き出して使えてはいたが、セルフネグレクトに陥り衰弱して死んじゃう、みたいなのも多いようです。

じゃあ引きこもりでない人は?『初日に上司が「残業代・有休なし」宣言 “壮絶パワハラ”(文春オンライン)』と、今度はパワハラが待っている。『残業代はつけない』『有給休暇もとらせない』といった金銭面・待遇面でのハラスメントや、『なんで時間内に終わらせられないの?』『業務時間をちゃんと与えてるのに終わらないのは、あなたの能力がないからじゃないの?』という言葉の暴力(洗脳)など、実は日本企業ではどこでも多かれ少なかれあって労働者全体に覆いかぶさっているのではないでしょうか。

いじめや学級崩壊から何とか生き延び、社会人になったら今度は言葉の暴力やタダ働きで心身ともにすり減らされ。心が優しく耐えられない人は引きこもりになってしまい、セルフネグレクトに陥って孤独死。

こうしたニュースを見るにつけ、日本は気づかないうちに労働環境が回復不能なほどにいびつになってしまっているのでは?と戦慄します。

アジアは全般的にそうですが、日本では人間の命が軽すぎると思います。「義は山よりもなお重く、死をば軽しと覚悟せよ」なんて類の言葉は世界中にあるのですが、先進国で日本だけがこの言葉通り生きるか、でなければ出社できなくなり公園で一日を過ごす(カエル)ことになったり、あるいは引きこもりで孤独死、となっていないでしょうか。

野間宏や大岡昇平という有名な小説家がおり。「日本株式会社」の暗部を見事にあぶりだしています。旧陸軍の末端の兵士の日常を描いていますが、初年兵いじめの描写など、2020年の日本企業とほとんどかわってないじゃん?と戦慄します。「俘虜記」か「真空地帯」か忘れてしまいましたが、

たとえば(記憶なので一字一句その通りではないです)

「フィリピン軍砲兵と日本軍砲兵がある丘の取り合いになった。両者とも丘の頂上を目指して山砲を引っ張っていた。最初に頂上に到達したほうが生き残れることは明らかだった。日本軍は、山砲を馬に引かせるだけでなく、初年兵数名にも押すよう命じた。しかし、山の傾斜は急で、初年兵たちは体力が続かず、ともすれば倒れ、うずくまりそうになる。それを見た軍曹は、馬用の鞭で初年兵をビシッと叩き『馬鹿野郎!お前らの代わりはいくらでもいるが、馬の代わりはいねえんだ!世話を焼かせるんじゃねえ!』と罵倒した」

とあり。

つまり、日本における労働者とは

『お前らの代わりはいくらでもいるが、馬の代わりはいねえんだ!』-つまりいくらでも代替のきく消耗品であり、馬(機械、AI)よりさらに下の「廃棄物」にしか見られていないということです。

この言葉は、そのまま『なんで時間内に終わらせられないの?』『業務時間をちゃんと与えてるのに終わらないのは、あなたの能力がないからじゃないの?』でもあるのです。わざわざ書く必要がありますか?

あれ?そんなに『いくらでもいる』の?現在の日本って、そんなに人余りだったっけ?

「生涯現役」が至上の命題となる世界。人口オーナスつまり労働人口が少ないので、本来定年の域に達した人でも労働を続けていないと国庫枯渇で年金さえもらえない。もらえる年齢も60歳、65歳、70歳とどんどん上がってゆき、働けるうちはともかく、働きすぎて体を壊したら貧困老人が待っている。

ぜんぜん労働人口が足りてないじゃないですか。

その一方で、MSNによれば「内閣府は2019年4月に初めて、自宅に半年以上閉じこもっている「広義のひきこもり」の40~64歳が、全国で推計61万3000人いるとの調査結果を出した。」とあります。

労働者の人数は足りてないのに、労働できず強制リタイアさせられている人が61万人?

相当深刻なひずみがあるとしか思えません。

人間は家畜の群れとは違います(Financial3.8)

いちいち出展を上げる必要もないと思いますが「日本の労働者の質は世界一」なのに、多数の労働者が心を病んでしまい引き込もりになってしまう現実。そして、欧米も首をかしげる「日本の生産性って、実は先進国中最低なんだってねー(Financial3.8)」という現実。

つまり、今日の状況に至ってしまった理由は、実は労働力の供給とか、人口の減少とかいった生物学的、経済学的、構造的なものではなく、足りていない人口を「いくらでもいる。今いる人口が死ぬまで働けばいい」と国民をだまし、その場しのぎをする「指導者層の無能」が重要な要因です。

もちろん「こうすればよくなる」といったインスタント(成功法則)な解決はないのですが、少なくとも現在の指導者層が掲げている「生涯現役」など、働いている人にさらに鞭をうち、死ぬまで働け!というしかないのでは無能呼ばわりは避けられないと思います。労働人口の枯渇という根本的な原因は放置し、とりあえず絞れる一般の国民から搾りつくすというのでは、行きつく先は「一億総過労死」なのではないのでしょうか。

でも、無能な指導者をのさばらせているのは国民(洗脳)という現実もあります。

絞られている、とわかってしまった人が出社拒否や引きこもりになってしまう一方で、会社に残れたほうは無意識にハラスメントする権力側に同調・助長していないでしょうか。

ぼくはこの文章をブラジルで書いています。30数年前に移民としてブラジルに来ましたが、現地の言葉や習慣をまったく知らなかった10歳に満たない少年でも、気が付いたら現地の大学を卒業し、現在では1億2千万円くらいかな?の金融投資を通じてブラジルの経済に参加しています(リーマンでもあります、ははは)。そして、GDPだけはイギリスを抜いたり抜かれたりと先進国の金額を達成したブラジルの労働人口の一人になっているのです。

ブラジルは、移住者つまり実質は経済難民でも、労働人口にしてしまいました。

日本に「外国人労働者を受け入れろ」とは言いません。その前に、引きこもりになった人たちが働ける環境を作る必要があります。でなければ外国から来た労働者は「自国民同士で恐ろしい差別をする国だ、こんな所にはとてもいられない」と逃げ出し、それこそ逃亡中の犯罪者とかしか来ない国になってしまうと思います。

まず、絞られていないか?絞られるような弱みを作らないことだとおもいます。絞るほうの伝家の宝刀は「労働は尊い。人はみな労働するべきだ」ですが、ハラスメントで引きこもりを生み出すような国情でははっきり言って奴隷労働しか存在していない状況になっているとしか言いようがありません。打開のためには、国民の一人ひとりが「奴隷労働なんて受け付けないよ」と言えるようになる必要があるのです。

奴隷労働と、本当に尊い労働との差はなに?については「労働と報酬」の記事で書きました。

最後に「本当に尊い労働をするためには、労働しなくても生きていける状況になる必要がある」と記載して結びにします。

話題が深刻で、気難しい記事になってしまいました。ぜひ飛行機生活の記事などを訪問してのんびりまったりしていってくださいね、ではでは。。。

不労所得で飛行機を購入。これは実話であり、あなたも現実にすることができます。

Posted by 猫機長
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必ず成長する株とは:「ボコられている銘柄を探せ!」

必ず成長する株とは:「ボコられている銘柄を探せ!」

株の儲けは我慢料(Blog13)といいますが、キャピタルゲイン狙いだろうがインカム狙いだろうが(Financial1.6)、買った銘柄が事業に成功し発展してゆくことは株(リート)主にとって死活的な重要性を持っています。ブルマーケットつまり経済成長局面では猫も杓子も株価上昇してゆきますが、企業としての実力がない会社の株をうっかり買ってしまうと、経済冷却つまりベアマーケット局面で大暴落となり、せっかく投資した資金が文字通り消滅してしまいます。

ブルマーケットでいい加減な企業の株(リート)を買ってしまうと、

経済後退局面で資産崩壊を招く

どんな銘柄を買えばいいのか?安全第一で考えればいわゆる優良企業のブルーチップ。でも、配当率もものすごく少なく、すでに資産一億を達成してこれを維持継続という人ならともかく、これから資産構築を、という人にはこうゆう「毒にも薬にもならない(Blog1)」銘柄ではいつまでたっても経済的自由の達成は困難である。

したがって、どうしてもスモールキャップつまりまだ知られていない小さな企業の銘柄を買って、企業の著しい業績向上とその結果である配当(株価もある)の増加による利益を得るしかない。といって、そんな企業を見つけることができれば誰も苦労しないわけで。

しゃあ、将来有望な銘柄は狙って見つけることはできないの?いやいやそんなことはありません。もちろん女性をデート(AviationB3)に誘うのと同じで、達成率100%というのはありませんが、まずまずこれならうまくいくぜ!という銘柄を探し出すことは簡単ではないにしろ可能です。

そしてその方法は、ずばり!「ボコられている銘柄をさがせ!」です。

まず前提条件から。

ぼくが投資を始めた20何年前は、市場もまだまだ単純で「不動産投資」といえば「現物不動産を買う」のが唯一の選択肢でしたが、その当時無理して居住用不動産を買った、その契約先の不動産屋さんのおねえさんが「堅実・確実・成長必須の『SHPH』という銘柄があるから試してみない?」というすごい情報を教えてくれた。

これが詐欺でないことは不動産購入の時のおねえさんの仕事ぶりで見えていたので、さっそく乗ることにしました。

つまり、「成長必須の無名銘柄を買う前提条件」があり。

それは、「重要情報を持っている優良業者から信頼される顧客になること」です。自慢ではなくて、おねえさんも「確実にもうかる物件は確実に買ってくれる優良な顧客」にしか提示することはできないからです。

でも、現在はインターネットで事実上「どんな情報でも入手可能」になっているので、まだ駆け出しで「信頼してもらえるほどのお客さんになれていない人」でもこういう情報の取得は可能です。がんばりましょう。

いよいよ本題。おねえさんが教えてくれた銘柄「SHPH11」は、なぜ「成長必須」だったのでしょうか。

南米のNY、サンパウロ。

この銘柄は南米最大の経済都市サンパウロのこれまた屈指の富裕層居住区であるHIGIENOPOLIS地区において、前代未聞の高級ショッピングセンターを開設するものでした。この地区はがんらい住宅街で、ショッピングセンターはちょっと遠いし、富裕層から見れば既存のショッピングセンターは客層もちょっと貧乏で、自分たちが目立ってしまいスリや強盗のいい目標になってしまうぞ!それじゃ行きたくないないなあ。自宅の近くに安心して富裕層好みの物品を売っているおしゃれなショッピングセンターがあったら。。。という願いを見事かなえた「成功必須」の物件だった。

しかし、他のショッピングセンターでは持ちえない優位「富裕層の居住地区ただなかの立地で、競合するショッピングの建設許可は将来得られないであろうこと」は、既存の競争相手から見れば憎らしいことこの上なく。

ここでバッシングが始まります。「このショッピングは駐車場が法律に従った基準で作られていない。整備するまで営業禁止にしろ」みたいな密告が規制当局に出されたりしました。

もう一つボコられる理由があり、SHPHがブラジルで初めてのリートであったことです。

SHPH以前は不動産投資と言えば現物しかなく。つまり、相当の資産を蓄積し、立地、整備状況などあらゆる条件を検討したうえで最後はバクチ覚悟で購入に踏み切るよりなく。

これがリートの場合、1株いくらの、ほんの雀の涙で購入でき。しかもその不動産がうまくいくための苦労はすべてリート管理会社が代行でやってくれる。購入対象となる不動産も、個人ではとても買うことのできない富裕層向けショッピングセンターとか、ようするに「不動産投資のパラダイムシフト」を呼んだ風雲児がSHPHでした。

もちろん、このパラダイムシフトは既存のシステムに安住していたいい加減な不動産業者には死活を脅かす存在であり、ここでもバッシングが始まる理由となりました(念のため、優良な現物不動産はかならず優良な顧客があり、リートの存在は健全な不動産業界の発展にはプラスになりこそすれ阻害にはなりません。リートたたきをする業者がいたら、それはいわくつき物件を無知な初心者に売っている悪徳業者がリートに初心者を奪われるのが嫌で難癖をつけているということなので、そういう業者からは逃げましょう(SpiritualS2))。

さてSHPHは上記の駐車場の一件であやうく営業停止になりかけましたが、結局やましい所はなかったので無事に今日まで発展を続けています。

ボコられても死なない物件を探しましょう。写真はめちゃくちゃボコられながら、

ボコり返し最後はナチスドイツを滅亡させたB17

これで本稿の第1のポイント「ボコられている物件をさがせ!」と言った意味がご理解いただけたと思います。

ただし、この法則を適用するときに重要な注意点があり。すなわち「誰がボコろうとしているのか」を見極めることが必須です。ただ、それほど難しくなく「大本営発表(Financial3.3)でボコられているものは買い、褒められているものは近づくな」ということに留意すればよいのです。

キーワードは「大本営発表」。ここでは世間で権威となっている証券会社や金融機関、そして大企業がスポンサーのアナリストなどが不特定多数の人々に向けて発する情報、としておきます。現在の秩序を崩す下剋上(無名企業が発展すること)を快く思わないからです。

ただし、権威の人でも本音のトークを語る場合は超重要な情報満載なので欠かさずゲットしましょう。

ここで上記の前提条件に帰ってきました。つまり「不動産屋さんのお姉さん」しかり「本質を知っている権威の本音のトーク」しかり、そもそも重要な情報はどうやって得るの?という問題です。

20数年前は、はっきりっ言って「すべて宿命(さだめ)」で、ぼくの場合、たまたま不動産を買った業者のおねえさんがただものではない(Financial3.11)優秀な業者だったというのがあり。ただし、彼女に認められた顧客になるという点では、自ら努力できる余地はあった(現物不動産)。

どんな努力をすればいいの?というせっかちな人に:その1「インスタントな答えはありません。このHPのスピリチュアルコンテンツををぜひごらんあれ」そしてその2「インスタントな答えが絶対ないわけではない。インターネットを活用しよう」。その2については、うまくキーワードを入れると得難い情報が得られたリします。例えば「豊島逸夫」とか。

このホームページは、運命の導きでおねえさんから得たような情報が、前向きに運命を開拓しようとしているすべての人々へアクセス可能となることを願って書いています。

長くなりました。ではでは。。。。

Posted by 猫機長
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剣道講話「信長、秀吉、家康」と資産形成

剣道講話「信長、秀吉、家康」と資産形成

剣道では稽古が終わると、みんなで集まって師範格の人が新進の人たちに講話を行い、精神面などの心構えをつたえます。面白おかしくしているので史実と違う面もありますが、ぼくが剣道助教で講話するときに使ったテキストから①まず要約抜粋し、②これって資産形成の秘訣かも?というアプローチで解説してみました。

「信長、秀吉、家康」

「鳴かぬなら殺してしまえほととぎす」-信長は時代の先を行く知見、そしてそれを断行する決断力と実行力で戦国自体の趨勢を決した。長篠の三段鉄砲は現在の機関銃集中掃射の発想である。しかし、あまりにマキアベリ―的な態度で人心にかまわなかったため、恐怖と離反を招き、部下に殺されてしまった。

「鳴かぬなら鳴かせてみようほととぎす」-秀吉は、対照的に人の和、人気者になることが得意で、一夜城、海賊との連合などあっとおどろく新戦法で天下を取った。しかしけれん技の連発で信用がえられず、周りは秀吉を利用しようとする人ばかりになってしまい、秀吉死後は数少ない忠臣の努力にもかかわらず豊臣家は滅亡した。

「鳴かぬなら鳴くまで待とうほととぎす」-家康は、人質として明日を知れない少年時代、耐え抜いて時期の到来を待った。解放されて今度は信長の気まぐれや武田軍団の襲撃にさらされたが、耐え抜いて時期の到来を待った。秀吉に先を越されて格下にされても、耐え抜いて時期の到来を待った。こうして主なライバルたちが死んで自然消滅するまで耐え抜き、関ヶ原で天下の方が根負けして家康のもとへ転がり込んだ。

ほととぎすと資産。

信長は血も涙もない投機家(Speculator)
(Financial1.3)ですね。ウオールストリートの寵児とでも言いましょうか。デイトレードで巨万の富を稼いだり、あるいは落ち目の企業に乗り込んで大リストラを敢行し、職を失った人たちが電車に飛び込んでも全く意に介さずに次々に改革を断行していくとか。ただし、大成功するかあるいは?畳の上では死ねない人とおもいます。。。。

秀吉はセルフエンプロ―ヤ―とビジネスオーナー(Financial1.3)を行き来する人。アッと驚く「金のなる木」を見つけ出し、仲間や目下のものにお金儲けのシステムをばらまいて成金一直線。名前からして「豊臣」ですからねー、ただし労働から離れられないタイプで、自分が死んじゃうとシステムもつぶれちゃいます。

さて家康ですが、この人が本物の資本家(Capitalist)(Financial.4)として生き残る人ですね。どんなにいじめられようが鉄の意志で絶対にくじけず、雀の涙からスタートして資産の育成にはげむ。家康の場合、「三河家臣団」がとにかく最大の財産で、身を挺して家康を守り抜くところから始まって、地味に武田なり他家の人材(新たな財産)を吸収してゆき、関ヶ原に至っては敵方の毛利や薩摩まで引き込んでしまいました(小早川さんはいうまでもなし)。家康さんの場合は上の二人と違って自分はじっとしており、「天の時」が天下(経済的自由)を運んでくれるのを待つことができた、ということで「自分は黙っていてもお金がお金を運んできてくれる資産家」の象徴と思います。

*さて、剣道・資産ともに通じるメッセージですが「目標をしっかり持とう。奇想天外な必殺技はない。地道に確実に進歩しよう。絶対にあきらめないで耐え抜こう。天才というか才能は実はなくても何とかなる」です、ははは。

「織田がこね、豊臣がつきし天下餅 座りしままに食うは徳川」

Posted by mobilizze