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剣道、居合道、弓道:日本武士道から見た成功とは

剣道、居合道、弓道:日本武士道から見た成功とは

成功法則関連記事。調子に乗ってもう一本投稿します。

長い記事になってしまったので、一応ひとことダイジェスト:「成功達成の実践に向けどんなアプローチをしたらいいの?について書いています」。将棋の記事の姉妹編になりました。

日本武士の必須技能かつ教養だった剣術と弓術。江戸300年のうちに居合も発達してゆき、明治以降は「術」から「道」へ進化していきました。

「術」段階では、とにかく実用性が命。その実用性を決するものが「武器」です。中国的な言い方をすれば「器械」です。つまり、いかに製造目的に合った効果的なツールかということで、製造目的として「殺傷力」が重要視されました。

中国のいろいろな器械。出展は「中国武術・武器博物館(http://www.oriental-dragon.jp/)」

中国の場合はえげつなく無数の殺人器械が発明されましたが、日本の場合は武士のことを「弓取り」というように、弓、槍、刀。槍やなぎなたは今回取り上げませんが、弓、刀ともに戦国時代当時では世界最高の武器として発達していたと理解します。

素材の制約もあり、日本の弓はたぐいまれなる大弓となり。当時の命中率は世界最高だったらしい(現在は別)。日本刀も朝鮮出兵以前に倭寇などにより有名になり、中国器械でも「苗刀」という日本刀そっくりのやつが作られるほどでした。日本刀は日明貿易でも珍重された輸出品だったらしい。

といって、日本刀は刃筋正しく切らないとたちまち折れてしまい。戦国時代は切るより叩くだったようですが、それでもヨーロッパの大剣のように、力まかせにぶん回すというわけにはいかず。弓にしても、へんに長くしてしまったので、狙いを定めるべき右こぶしを視界がきかない右肩まで引く必要があり、狙いも矢と的が一致しないとか、まるで努力して当てにくく(狙いにくく)しているみたいになっちゃった。

つまり、日本刀や弓は、「熟達の士」でなければその性能を引き出せない、扱いにくい武器でした。一方で、正しく使えば無類の強さを発揮するため「刀(弓)法の鍛錬」が必要になってきました。

これが「術」の始まりで、「剣術、弓術」が盛んになり。

殺傷力を高めるには、弓の引き方、刀の振り方、といった使用プロセスはもとより、刀を振る人間自身が「本当にオマエは人を切り殺したいのか。切り殺せるのか。」という精神の鍛錬が必須であるということに気が付き。

「勝つってなに?」という問いかけを、24時間繰り返しているのが武士。

戦国の時はわりと単純で「敵方の武士を殺傷する」だったが、そのうち、殺していいのか?正当な理由のある勝ちとは?と悩むようになり。

弓矢が顎から頭を貫通してもがき苦しむ人。「平治物語絵巻」より

きれいごとではなく。自分の振り下ろした刀が当たり、悶絶して死んでいく人を目の当たりにしたとき「この人殺しは、納得できる理由があったのだろうか?」とだれでも悩むと思います。

人殺しの上に成り立った成功と繁栄。精神のバイブルとして、武士道という哲学が発達します(ここでの武士道は、葉隠的な峻烈なやつではなく、新渡戸稲造から現在の少年漫画に至る勧善懲悪的なものを指します)。

ここで、人殺しの術→剣術→人を殺さない道→剣道、に移行していきます。

刀を差すのは、戦国からの人殺しの記憶を保つため。刀の使い方を鍛錬するのは、技量を持つことで、殺すとは何かを意識するため。そのうえで「抜かずに勝つ」。つまり徳すなわち人望、人格で、流血沙汰になる前に和平に達する。

重く、扱いにくい日本刀を差すのは、刀の恐ろしい歴史・性質を魂に伝え、殺さない魂に進化するためです。

といって「国のため、主君のため、金のため」からはじまる「説明のつく人殺し」は時代が変わり正義の定義が変わっても人類滅亡まであの手この手で変異して存在してゆき。幕末に至っては、抜きまくり、死にまくりました。ははは

日中戦争でも「便衣隊100人斬り競走」とかありましたが、幸い世界は穏やかになり。「術」から「道」へなんとか転換できた、のでしょうか。

剣道、弓道、居合道の現在は。。。

人をぶったたく剣道も、ちゃんと竹刀と防具があり、殺すこととは程遠く。

ただ剣道の場合やばいのは、竹刀とはいえ人を直接叩きあっていることですよね。。。「剣術の技法にインスパイアされているけど、それは刀の使い方を稽古することで、刀の歴史・性質を振りかえるためだ」と考えてみましょう。一方、居合の稽古の帰り道、精神錯乱した人が刃物を振り回して周りの人たちを刺しまくっていたら、その時は居合刀でさくっと切り殺しましょう→となるかどうかは、この記事を書いているぼく、読んでいるあなた、みんなで考えてみよう。なあんて。居合についてはまた後ほど続きます。

剣道がヤンデレ化する危険性に留意したうえで、弓道です。

結論から言えば「武道に進化しきることのできた幸せな技能」と思っています。

もともとは、刀と同じく人殺しです。

「平治物語絵巻」ですが、この画像を発見したのは「KenさんのBLOGS:
http://crossroad3147.blog79.fc2.com/blog-entry-295.html」です。

 

でも、現在は「的」が相手です。

的です。人ではありません。

「くさじし」といって、鹿の形をした的とかもありますが、生き物を対象にしない選択、というものが弓道では許されています。

というわけで、ほかの武道から一歩進むことのできた、幸せな「アセンション武道」と理解しています。

さて、いよいよ居合ですが。。。

「人を切る想定をしない居合は、居合じゃない。刀踊りだ」という世界です。

居合の先生とロボットが斬り比べをしている動画を見ました。意外と長いので、詳しくはリンク(外部リンク)でご覧いただくとして、要約は

居合の先生(右)の動作をロボット(左)にインプットし、

先生がみかんを切るのと同じように

ロボットもみかんを両断。

ロボットがみかんをさくっと切っているところで、機械でないと居合はできないのだなと納得。これがみかんではなく、ハムスターだったら?先生は斬ることを拒むでしょう。自分の行為が刀踊りだと宣言する事になったとしても。

機械はスイッチを押せばハムスターをさくっと切り殺します。血も涙もなく。

では人間は居合はできないのかといえば、昔は刀を試す、あるいは単にたむわれで辻斬り、犬とかは稽古でさくさく斬っていたようです。血も涙もなくさくっと殺しができて初めて「抜かずして勝つ」ことができたのでしょうか。

居合が殺人武術から修身の武道になるために、あえて人斬りの想定はやめて「みかん」を切ることに専念したほうがよいのかもしれません。

最後に、しっかり見出しを覚えていて、武士道から見た成功とはなんなんだー!という人に:「牛を尋ね、そして仲良しになること」と答えておきます。ははは

このブログの著者はこんな人です。なあんて十年以上前の写真です

ではでは。。。。

Video sobre robô usando espada. O professor de Iai(caminho da espada) faz cortes com sensores no corpo. Robô, acoplado com sensor então aprende e repete o movimento.

Se Iai que não pressupõe corte real (ou seja, matar) não é Iai e vira dança de espada, então somente o Robô será capaz de dominar o caminho. Pois se laranjas da foto for um hamster? O professor recusará matar o bicho, enquanto que robô irá estilhaçar o animal sem piedade nem dó. Mas ainda assim acredito que budo (arte marcial) tem a sua razão de existir, pois das três virtudes da arte (Sabedoria, Coragem e Compaixão), compaixão deve prevalecer, assim o professor que decidiu não matar será o seguidor de bushido por ter sabedoria que robô não teve e coragem de ser chamado de “dançarino” para não matar o animal.

ttps://www.youtube.com/watch?v=O3XyDLbaUmU&fbclid=IwAR2JvbPJAJxkhq0wynLkysY8mzxMhNDjje0eR-I9yyAzBGbqnANKg7VIKBI

Posted by 猫機長
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精神と知能:幸不幸、成功と失敗を分ける分水嶺

精神と知能:幸不幸、成功と失敗を分ける分水嶺

人間は知能を持っており、動物ではできない高度な頭脳活動によって現在の文明を作り上げました。その重要性から、知能指数という言葉があり、IQが高ければ高いほど成功した幸せな人生が待っているといわれます。

でも、悪知恵、という言葉ある通り、知能はどうとでも使えてしまうため、かえって自分や周りを不幸のどん底に陥れることもあるのです。

幸不幸の分水嶺は?それを決定するのが「精神」です。

というわけで、よいこの少年漫画などは、とりわけこの「精神」を強調した展開が好まれています(それで正しい、そうあるべきと思います)。

一例行ってみます。

無料で全巻読める「駒が舞う」https://www.sukima.me/book/title/BT0000377890/

から抜粋。

将棋日本一を目指す少年2人の地方レベル決勝戦

右のメガネの少年は、この一戦に勝てば「会社の将棋部の管理」だったか、就職して家族を極貧から救うことができる状況。

その家族は、極貧のため妹のチヨちゃんが思わずパンを盗んじゃいます

チヨちゃんが妹と知らない対戦相手の少年(こちらが漫画の主人公)は行きががり上チヨちゃんをつかまえてしまい。

チヨちゃんのなりいきを心配して眺める主人公。その家が決勝相手のメガネくんの家だったことに気が付き。

メガネ君はがめついパン屋のおっさんを撃退

妹チヨちゃんをしばくメガネ君

でも心優しいお兄さんだったのでした

見てはいけないものを見てしまった主人公

で、決勝戦に戻ります

押されていた主人公が、形勢逆転

しかし、打てない

打てば、メガネ君の未来がつぶれます

知能では、打てば勝つ!ですが、精神が「打つな!」と言っているのです。ははは

たまらず、席を立ち、棄権(投了)

しかし、そういう勝ち方は認めないメガネ君。主人公をぶん殴っちゃいました。

メガネ君サイドも「負けた」と表明。でも主人公も席を立っちゃったし?

この美しい譲り合いがどうなったかは上記リンクでどうぞ。なお、あまっちょろい「両者優勝」とかではないので念のため。

いやいやすごく長くなりましたが、この場合、単に計算だけの物質的利益だけではなく、その利益をもたらす背景と影響に配慮して、あえて不利益も辞さず、という確固とした自覚、自己意識、自己遡及があって初めて知能もポジティブな方向に生かされる、ということですね。

この漫画では、「情をかけた」という言い方になっていますが、ぼくは情けとか移ろいやすい言葉は好きではありません。「魂」「哲学」という意味での「精神」が良い言葉だと思います。

精神が全くないまま、知能だけが発達してしまった場合どうなるか?

「昼寝するブタ」というサイトhttp://buta.exjw2.org/denpa/denpa_8.htmに、喧嘩のやり方について以下の記載があります。まんま抜粋、コピーです。

「日本人側は元寇の時の鎌倉武士団みたいな感じで「やぁやぁ我こそは」とばか

りに、喧嘩をする時に獲物(棒とかナイフ)を使うような卑怯な喧嘩は男のす

る喧嘩じゃない。男は男同士、正々堂々と一対一でタイマン(決闘)して拳で

決着を付けるべき。という、本宮ひろしの「男一匹ガキ大将」の描く古い不良

の伝統を忠実に守っています。

しかし朝鮮高校側は日本人とは常識やメンタリティが全然違いますから、喧嘩

はどんな汚い手を使っても最終的に勝てばいい。だから集団で敵に向かうのは

当たり前、もし負けそうになったら自分のプライドなんか関係なく命乞いして

油断させる、そこで相手が油断したらそこら辺にある鉄パイプを拾ってきて後

ろから力任せにぶんなぐって形勢逆転を計る。という大陸的な実用的な喧嘩を

します。こういうのはまさに鎌倉武士団と元寇の争いそのものです

殴り合いで負けそうになると相撲に持ち込んででも体勢を有利にして勝負をかける

日本人学生に対して、朝鮮人学生は有利な体勢の時にはやたら強いんだけど、

ちょっと形勢不利になるとすぐに泣きを入れる、あっけないほど簡単に泣きを入れる。

涙流して土下座までする。

日本人の感覚からすると「なんだこいつ、それでも男か」みたいな感じで泣き

を入れるんだけど、油断すると負けを認めた後でも平気で後ろから逆襲する。

しかも手当たり次第にそこらへんにある道具を使って後ろから徹底的に殴りに

来る。そんな喧嘩が多かったですね

こういう喧嘩のしかたの違いは両国の文化の違いです。」引用ここまで。

上記は、朝鮮の人たちに対する差別ではありません。一部の学生たちはこうだったという事実のことであり、知能のずるがしこさだけが発達してしまうとどうなるかということを知って警戒するため、自分も含め、啓蒙のために書いています。

欧米人のアジア蔑視は、中国進出の過程で「大陸的文化」を目の当たりにしたのが根源にあると思います。一方、アメリカ進駐軍など、日本の文化を知ったアメリカは「日本人は12歳だ」と称賛しています。

ちなみに、日本が明治維新で列強の植民地にならず、終戦後もしっかり国体を保って復活できたのも、徳川慶喜さんや明治の元勲、昭和天皇や吉田首相などが、「精神ある知能」を実践した結果とおもいます。

この「精神ある知能を実践する道」が武士道だと思っています。新渡戸稲造から、現代は少年漫画にまで広く伝承されている大切な日本の文化と理解しています。

最後に、武士道を凝縮した格言で終わります。

「仁なき勇は暴勇と化し、仁無き智は狡智と化す。ゆえに仁をもって仁智勇三徳の王となす(詠み人知らず)」

ではでは。。。

 

Posted by 猫機長
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日本剣道に見る成功法則のエッセンス

日本剣道に見る成功法則のエッセンス

意外に反響あった成功法則の記事。いろいろ具体例をあげて説明しましたが、要は「成功する原因が発生すれば、成功という結果が来る」。成功する原因はどう発生させるの?については、詳しくはこの記事をじっくり読んでいただくとして、一言で説明するとすれば、

「やるべきことを、やるべきときに」実行する、

これにつきます。

例によって剣道の経験から説明します。でも、リピーター読者のみなさんはすでにお分かりかもしれませんが、この説明は生活、仕事にも通用するものです。

剣道の大会では、優勝すること、勝つことが「成功」です。でも優勝という形での「成功」は一人しかつかめません。

で、成功できない大多数の選手が何をやっているのかというと、試合開始とともに猛然と竹刀を振り回す。あるいはひょいひょい逃げ回るだけで攻撃できない。ぽちんと小手に当てて逃げちゃう、など、要するにだれも「有効となる一本」を打てていないのであわれ敗退してしまうのです。

もうおわかりかと思いますが、この場合「有効となる一本」が「やるべきこと」です。

そして、有効となるならないの決定的なポイントが「距離」だったりします。剣道の世界では「間合い」と言いますが、こんな江戸時代の言葉を使うからかえってわからなくなったりしています。

要するに「自分の打突が姿勢正しく気勢鋭く気合充実して相手の打突部位にびしっと当たる距離」です。

でも、圧倒的に多数の選手が、当たるはずもない遠くから姿勢をめちゃめちゃに崩して竹刀を振り回しています。そのほうが安心だからです。

この「安心の罠」を乗り越えて、危険な相手の懐に飛び込み、自分の距離をつかんだ!「打つべき時に」「打つ」これができれば優勝です。ははは

理屈はすごく簡単です。ではなぜ「安心」に逃避してしまい、この簡単なことができないのでしょうか。

そこを説明しつくしたものに「日本剣道型」があります。一本目から七本目まであります(大太刀の型。別に小太刀のもある)が、特にエッセンスを詰め込んだのが三本目までで、一本目が距離(間合)、二本目が正中線、三本目が中心、そしてこの三本がセットで根幹となっていますが、距離だけでも十分成功達成について理解可能、ということで、いってみます。

日本剣道型 一本目

図解のために、以前の記事「床に聞きなさい」で登場した「ぴよちゃん(左)」と「おじいちゃん先生(右)」に再登場してもらいます。剣道人でなくてもわかりやすいよう、絵柄や説明はかなりデフォルメ?しているので、ご了承を。

さて、剣道型一本目は、中段で切っ先3寸が交わるところから両者5歩小さく後退してスタート。上記の図の状態です①。

想定としては、何らかの理由で切り合いになったが、できれば流血を避けて、相手に「参った!」と刀を引かせたい。しかし、どちらも降参の意思はなく、拮抗した状態が上の図です。

さて、「負けたくない!斬られたくない!死にたくない!」のプレッシャーに耐えられなくなってきたぴよちゃん。中段でのプレスの掛け合いに堪えられず、「強いんだよ!降参した方がいいよ!」とおじいちゃん先生に脅しをかけます。これが下の図。

左足をぐっと前に踏み出し。上段に構えます②(左諸手上段)。

なにげに中段に構えていたおじいちゃん先生は、「ぴよちゃんぜんぜん怖くないよ」と、なにげに右足を踏み出し、自然に「右諸手上段」に構えます③。(下の図)

おなじ上段でも、炎のような、でもカラ元気でハッタリの、大げさなぴよちゃんの上段では、おじいちゃん先生の穏やかで控えめな、でも自然で隙のない上段にすでに負けており。

でも降参できないぴよちゃん。えーい!ままよ!とおおきく踏み出し、おじいちゃん先生の頭(実際は拳)を狙って、大きくふりおろします。「やー!」

④この図がエッセンス

空振り。ほんの少し後退し、小手を上げてなにげにぴよちゃんの打ちを抜いたおじいちゃん先生は、大振りで前のめりに体制を崩し、動けなくなってしまったぴよちゃんの、がらあきになった頭の5センチ上に、上段から刀を振り下ろします。「とー!」⑤

勝負あった!

おじいちゃん先生は、そのまま切っ先を下げていきます。たまらずぴよちゃんは後ずさり。おじいちゃん先生の太刀の切っ先はぴよちゃんの眉間のすぐ前で止まります。⑥

勝負あった!

おじいちゃん先生は、さらに上段にのびて、勝ちを知らせます⑦。

くどいぞおじいちゃん先生!

流血沙汰にならず勝負がつき。両者中段に戻ります⑧。

おつかれさまでした

一本目の学び:「距離を間違えると、姿勢を崩すほど踏み込んでも勝てない」

すごいシンプルですね。でも、エッセンスの図④を見ると、ぴよちゃんとおじいちゃんの間の距離はおんなじ(一定)で、有意な身長差があるわけでもありません。じゃあなんでぴよちゃんは空振りして、おじいちゃん先生はさくっと当てたのでしょうか。

その秘密が①から③までに凝縮されています。つまり、距離といっても人と人の距離なので、体格差以前に、かつ同じ距離でも、勝っている人の距離は適正であり、負けている人の距離は遠くなってしまっているのです。つまり、物理的な距離ありきではなく、勝って距離を引き寄せることが重要であり、これを剣道では「技前」「打って勝つな、勝って打て」と教えています。

さて、竹刀剣道の大会だと、打たれても負けちゃった、ですみますが、これが「竹刀の代わりに真剣で、防具はなしね」という大会があったらどうでしょう。

優勝した人だとしても、指の1本や2本はなくしているでしょう。胴を切られて、腸をはみ出させてもがき苦しむ人、脳天を割られて地面を這いずり回る人、斬り落とされた自分の右手を左手でつかんで、茫然と眺める人。。。。など、まさに凄惨な場面になると思います。

もちろんそんな大会なんてないし、あっても誰も参加しないでしょう。ははは

でも、言いかえれば、竹刀だったら斬られて血まみれ、もがき苦しまないからいいや、といい加減にテキトーな技を繰り出し、真剣だったら絶対やらないようなその場のノリで竹刀をぶんまわし、勝った!ラッキー!、負けた!家帰ってラーメンにしよっと、となっていないでしょうか。くどいですが、真剣だったらラーメンどころか自分が刺身になっているところです。

そしてまさに死屍累々の凄惨な修羅場を生き残ってきた人たちが後世に伝えてくれている「絶対負けられない真剣勝負で勝つ鉄則(成功の法則)」が剣道型だったりします。

理屈として「刀の届かない距離から切ろうとしても豆腐一丁切れません」なんて言われなくても明らかですよね。。。

でも、真剣をもって構えあったとき(成功が必要だ!生活がかかっている!というとき)、この正しい距離から撃つ。「やるべきときに、やるべきことを」ができる必要があるのです。

できなければ死にます。

江戸時代の人たちが型稽古をやるときは、まさに「これが真剣だったら」と恐怖におののきながら練習したことでしょう。その集大成である日本剣道型も、真剣勝負を想定すればへたな竹刀稽古よりよっぽど勝負に強くなる稽古になるのです。

もしぴよちゃんの立場だったら?そして、おじいちゃん先生のように、おだやかに勝つことができるだろうか?と考え抜いて、稽古した結果、そうか、この型にでてくる攻め合いは、結局「距離の獲得」を体得するための道を示していたんだ、と気づきます。

これは理論を理解したということではなく、生存のための法則を体得した、ということです。

「距離」という言葉は誰にでもおなじ意味を持ちます。でも、その言葉の意味を本当に体得しているかな?自問する日々です。日々修行ですね。。。。。

最近、わかりやすく成功法則を説明するサイトなどすごい情報源がたくさんありますが、インスタントに理解できた!という罠にはまらない必要があると思います。

「しかり、成功への道はある」。でも眺めているだけではだめで、試行錯誤しながらも進んでいく必要があるのです。竹刀剣道みたいな場面では、どんどん打たれて学びましょう。そして真剣勝負の場面では、絶対勝つ勝負だけをしましょう。

というわけでおしまい。

ふふふ尻切れとんぼだったかな?えらそうですみません。ではでは。。。

Posted by 猫機長
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生涯現役、8050問題、引きこもりそして孤独死

生涯現役、8050問題、引きこもりそして孤独死

最近、引きこもりの人が孤独死した等のニュースが多く。親御さんが老化で死亡してしまい、お小遣いや身の回りの必要な物資が途切れ、そのまま餓死というケースもあれば、金銭的にはまだ遺産を引き出して使えてはいたが、セルフネグレクトに陥り衰弱して死んじゃう、みたいなのも多いようです。

じゃあ引きこもりでない人は?『初日に上司が「残業代・有休なし」宣言 “壮絶パワハラ”(文春オンライン)』と、今度はパワハラが待っている。『残業代はつけない』『有給休暇もとらせない』といった金銭面・待遇面でのハラスメントや、『なんで時間内に終わらせられないの?』『業務時間をちゃんと与えてるのに終わらないのは、あなたの能力がないからじゃないの?』という言葉の暴力(洗脳)など、実は日本企業ではどこでも多かれ少なかれあって労働者全体に覆いかぶさっているのではないでしょうか。

いじめや学級崩壊から何とか生き延び、社会人になったら今度は言葉の暴力やタダ働きで心身ともにすり減らされ。心が優しく耐えられない人は引きこもりになってしまい、セルフネグレクトに陥って孤独死。

こうしたニュースを見るにつけ、日本は気づかないうちに労働環境が回復不能なほどにいびつになってしまっているのでは?と戦慄します。

アジアは全般的にそうですが、日本では人間の命が軽すぎると思います。「義は山よりもなお重く、死をば軽しと覚悟せよ」なんて類の言葉は世界中にあるのですが、先進国で日本だけがこの言葉通り生きるか、でなければ出社できなくなり公園で一日を過ごす(カエル)ことになったり、あるいは引きこもりで孤独死、となっていないでしょうか。

野間宏や大岡昇平という有名な小説家がおり。「日本株式会社」の暗部を見事にあぶりだしています。旧陸軍の末端の兵士の日常を描いていますが、初年兵いじめの描写など、2020年の日本企業とほとんどかわってないじゃん?と戦慄します。「俘虜記」か「真空地帯」か忘れてしまいましたが、

たとえば(記憶なので一字一句その通りではないです)

「フィリピン軍砲兵と日本軍砲兵がある丘の取り合いになった。両者とも丘の頂上を目指して山砲を引っ張っていた。最初に頂上に到達したほうが生き残れることは明らかだった。日本軍は、山砲を馬に引かせるだけでなく、初年兵数名にも押すよう命じた。しかし、山の傾斜は急で、初年兵たちは体力が続かず、ともすれば倒れ、うずくまりそうになる。それを見た軍曹は、馬用の鞭で初年兵をビシッと叩き『馬鹿野郎!お前らの代わりはいくらでもいるが、馬の代わりはいねえんだ!世話を焼かせるんじゃねえ!』と罵倒した」

とあり。

つまり、日本における労働者とは

『お前らの代わりはいくらでもいるが、馬の代わりはいねえんだ!』-つまりいくらでも代替のきく消耗品であり、馬(機械、AI)よりさらに下の「廃棄物」にしか見られていないということです。

この言葉は、そのまま『なんで時間内に終わらせられないの?』『業務時間をちゃんと与えてるのに終わらないのは、あなたの能力がないからじゃないの?』でもあるのです。わざわざ書く必要がありますか?

あれ?そんなに『いくらでもいる』の?現在の日本って、そんなに人余りだったっけ?

「生涯現役」が至上の命題となる世界。人口オーナスつまり労働人口が少ないので、本来定年の域に達した人でも労働を続けていないと国庫枯渇で年金さえもらえない。もらえる年齢も60歳、65歳、70歳とどんどん上がってゆき、働けるうちはともかく、働きすぎて体を壊したら貧困老人が待っている。

ぜんぜん労働人口が足りてないじゃないですか。

その一方で、MSNによれば「内閣府は2019年4月に初めて、自宅に半年以上閉じこもっている「広義のひきこもり」の40~64歳が、全国で推計61万3000人いるとの調査結果を出した。」とあります。

労働者の人数は足りてないのに、労働できず強制リタイアさせられている人が61万人?

相当深刻なひずみがあるとしか思えません。

人間は家畜の群れとは違います(Financial3.8)

いちいち出展を上げる必要もないと思いますが「日本の労働者の質は世界一」なのに、多数の労働者が心を病んでしまい引き込もりになってしまう現実。そして、欧米も首をかしげる「日本の生産性って、実は先進国中最低なんだってねー(Financial3.8)」という現実。

つまり、今日の状況に至ってしまった理由は、実は労働力の供給とか、人口の減少とかいった生物学的、経済学的、構造的なものではなく、足りていない人口を「いくらでもいる。今いる人口が死ぬまで働けばいい」と国民をだまし、その場しのぎをする「指導者層の無能」が重要な要因です。

もちろん「こうすればよくなる」といったインスタント(成功法則)な解決はないのですが、少なくとも現在の指導者層が掲げている「生涯現役」など、働いている人にさらに鞭をうち、死ぬまで働け!というしかないのでは無能呼ばわりは避けられないと思います。労働人口の枯渇という根本的な原因は放置し、とりあえず絞れる一般の国民から搾りつくすというのでは、行きつく先は「一億総過労死」なのではないのでしょうか。

でも、無能な指導者をのさばらせているのは国民(洗脳)という現実もあります。

絞られている、とわかってしまった人が出社拒否や引きこもりになってしまう一方で、会社に残れたほうは無意識にハラスメントする権力側に同調・助長していないでしょうか。

ぼくはこの文章をブラジルで書いています。30数年前に移民としてブラジルに来ましたが、現地の言葉や習慣をまったく知らなかった10歳に満たない少年でも、気が付いたら現地の大学を卒業し、現在では1億2千万円くらいかな?の金融投資を通じてブラジルの経済に参加しています(リーマンでもあります、ははは)。そして、GDPだけはイギリスを抜いたり抜かれたりと先進国の金額を達成したブラジルの労働人口の一人になっているのです。

ブラジルは、移住者つまり実質は経済難民でも、労働人口にしてしまいました。

日本に「外国人労働者を受け入れろ」とは言いません。その前に、引きこもりになった人たちが働ける環境を作る必要があります。でなければ外国から来た労働者は「自国民同士で恐ろしい差別をする国だ、こんな所にはとてもいられない」と逃げ出し、それこそ逃亡中の犯罪者とかしか来ない国になってしまうと思います。

まず、絞られていないか?絞られるような弱みを作らないことだとおもいます。絞るほうの伝家の宝刀は「労働は尊い。人はみな労働するべきだ」ですが、ハラスメントで引きこもりを生み出すような国情でははっきり言って奴隷労働しか存在していない状況になっているとしか言いようがありません。打開のためには、国民の一人ひとりが「奴隷労働なんて受け付けないよ」と言えるようになる必要があるのです。

奴隷労働と、本当に尊い労働との差はなに?については「労働と報酬」の記事で書きました。

最後に「本当に尊い労働をするためには、労働しなくても生きていける状況になる必要がある」と記載して結びにします。

話題が深刻で、気難しい記事になってしまいました。ぜひ飛行機生活の記事などを訪問してのんびりまったりしていってくださいね、ではでは。。。

不労所得で飛行機を購入。これは実話であり、あなたも現実にすることができます。

Posted by 猫機長
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必ず成長する株とは:「ボコられている銘柄を探せ!」

必ず成長する株とは:「ボコられている銘柄を探せ!」

株の儲けは我慢料(Blog13)といいますが、キャピタルゲイン狙いだろうがインカム狙いだろうが(Financial1.6)、買った銘柄が事業に成功し発展してゆくことは株(リート)主にとって死活的な重要性を持っています。ブルマーケットつまり経済成長局面では猫も杓子も株価上昇してゆきますが、企業としての実力がない会社の株をうっかり買ってしまうと、経済冷却つまりベアマーケット局面で大暴落となり、せっかく投資した資金が文字通り消滅してしまいます。

ブルマーケットでいい加減な企業の株(リート)を買ってしまうと、

経済後退局面で資産崩壊を招く

どんな銘柄を買えばいいのか?安全第一で考えればいわゆる優良企業のブルーチップ。でも、配当率もものすごく少なく、すでに資産一億を達成してこれを維持継続という人ならともかく、これから資産構築を、という人にはこうゆう「毒にも薬にもならない(Blog1)」銘柄ではいつまでたっても経済的自由の達成は困難である。

したがって、どうしてもスモールキャップつまりまだ知られていない小さな企業の銘柄を買って、企業の著しい業績向上とその結果である配当(株価もある)の増加による利益を得るしかない。といって、そんな企業を見つけることができれば誰も苦労しないわけで。

しゃあ、将来有望な銘柄は狙って見つけることはできないの?いやいやそんなことはありません。もちろん女性をデート(AviationB3)に誘うのと同じで、達成率100%というのはありませんが、まずまずこれならうまくいくぜ!という銘柄を探し出すことは簡単ではないにしろ可能です。

そしてその方法は、ずばり!「ボコられている銘柄をさがせ!」です。

まず前提条件から。

ぼくが投資を始めた20何年前は、市場もまだまだ単純で「不動産投資」といえば「現物不動産を買う」のが唯一の選択肢でしたが、その当時無理して居住用不動産を買った、その契約先の不動産屋さんのおねえさんが「堅実・確実・成長必須の『SHPH』という銘柄があるから試してみない?」というすごい情報を教えてくれた。

これが詐欺でないことは不動産購入の時のおねえさんの仕事ぶりで見えていたので、さっそく乗ることにしました。

つまり、「成長必須の無名銘柄を買う前提条件」があり。

それは、「重要情報を持っている優良業者から信頼される顧客になること」です。自慢ではなくて、おねえさんも「確実にもうかる物件は確実に買ってくれる優良な顧客」にしか提示することはできないからです。

でも、現在はインターネットで事実上「どんな情報でも入手可能」になっているので、まだ駆け出しで「信頼してもらえるほどのお客さんになれていない人」でもこういう情報の取得は可能です。がんばりましょう。

いよいよ本題。おねえさんが教えてくれた銘柄「SHPH11」は、なぜ「成長必須」だったのでしょうか。

南米のNY、サンパウロ。

この銘柄は南米最大の経済都市サンパウロのこれまた屈指の富裕層居住区であるHIGIENOPOLIS地区において、前代未聞の高級ショッピングセンターを開設するものでした。この地区はがんらい住宅街で、ショッピングセンターはちょっと遠いし、富裕層から見れば既存のショッピングセンターは客層もちょっと貧乏で、自分たちが目立ってしまいスリや強盗のいい目標になってしまうぞ!それじゃ行きたくないないなあ。自宅の近くに安心して富裕層好みの物品を売っているおしゃれなショッピングセンターがあったら。。。という願いを見事かなえた「成功必須」の物件だった。

しかし、他のショッピングセンターでは持ちえない優位「富裕層の居住地区ただなかの立地で、競合するショッピングの建設許可は将来得られないであろうこと」は、既存の競争相手から見れば憎らしいことこの上なく。

ここでバッシングが始まります。「このショッピングは駐車場が法律に従った基準で作られていない。整備するまで営業禁止にしろ」みたいな密告が規制当局に出されたりしました。

もう一つボコられる理由があり、SHPHがブラジルで初めてのリートであったことです。

SHPH以前は不動産投資と言えば現物しかなく。つまり、相当の資産を蓄積し、立地、整備状況などあらゆる条件を検討したうえで最後はバクチ覚悟で購入に踏み切るよりなく。

これがリートの場合、1株いくらの、ほんの雀の涙で購入でき。しかもその不動産がうまくいくための苦労はすべてリート管理会社が代行でやってくれる。購入対象となる不動産も、個人ではとても買うことのできない富裕層向けショッピングセンターとか、ようするに「不動産投資のパラダイムシフト」を呼んだ風雲児がSHPHでした。

もちろん、このパラダイムシフトは既存のシステムに安住していたいい加減な不動産業者には死活を脅かす存在であり、ここでもバッシングが始まる理由となりました(念のため、優良な現物不動産はかならず優良な顧客があり、リートの存在は健全な不動産業界の発展にはプラスになりこそすれ阻害にはなりません。リートたたきをする業者がいたら、それはいわくつき物件を無知な初心者に売っている悪徳業者がリートに初心者を奪われるのが嫌で難癖をつけているということなので、そういう業者からは逃げましょう(SpiritualS2))。

さてSHPHは上記の駐車場の一件であやうく営業停止になりかけましたが、結局やましい所はなかったので無事に今日まで発展を続けています。

ボコられても死なない物件を探しましょう。写真はめちゃくちゃボコられながら、

ボコり返し最後はナチスドイツを滅亡させたB17

これで本稿の第1のポイント「ボコられている物件をさがせ!」と言った意味がご理解いただけたと思います。

ただし、この法則を適用するときに重要な注意点があり。すなわち「誰がボコろうとしているのか」を見極めることが必須です。ただ、それほど難しくなく「大本営発表(Financial3.3)でボコられているものは買い、褒められているものは近づくな」ということに留意すればよいのです。

キーワードは「大本営発表」。ここでは世間で権威となっている証券会社や金融機関、そして大企業がスポンサーのアナリストなどが不特定多数の人々に向けて発する情報、としておきます。現在の秩序を崩す下剋上(無名企業が発展すること)を快く思わないからです。

ただし、権威の人でも本音のトークを語る場合は超重要な情報満載なので欠かさずゲットしましょう。

ここで上記の前提条件に帰ってきました。つまり「不動産屋さんのお姉さん」しかり「本質を知っている権威の本音のトーク」しかり、そもそも重要な情報はどうやって得るの?という問題です。

20数年前は、はっきりっ言って「すべて宿命(さだめ)」で、ぼくの場合、たまたま不動産を買った業者のおねえさんがただものではない(Financial3.11)優秀な業者だったというのがあり。ただし、彼女に認められた顧客になるという点では、自ら努力できる余地はあった(現物不動産)。

どんな努力をすればいいの?というせっかちな人に:その1「インスタントな答えはありません。このHPのスピリチュアルコンテンツををぜひごらんあれ」そしてその2「インスタントな答えが絶対ないわけではない。インターネットを活用しよう」。その2については、うまくキーワードを入れると得難い情報が得られたリします。例えば「豊島逸夫」とか。

このホームページは、運命の導きでおねえさんから得たような情報が、前向きに運命を開拓しようとしているすべての人々へアクセス可能となることを願って書いています。

長くなりました。ではでは。。。。

Posted by 猫機長
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剣道講話「信長、秀吉、家康」と資産形成

剣道講話「信長、秀吉、家康」と資産形成

剣道では稽古が終わると、みんなで集まって師範格の人が新進の人たちに講話を行い、精神面などの心構えをつたえます。面白おかしくしているので史実と違う面もありますが、ぼくが剣道助教で講話するときに使ったテキストから①まず要約抜粋し、②これって資産形成の秘訣かも?というアプローチで解説してみました。

「信長、秀吉、家康」

「鳴かぬなら殺してしまえほととぎす」-信長は時代の先を行く知見、そしてそれを断行する決断力と実行力で戦国自体の趨勢を決した。長篠の三段鉄砲は現在の機関銃集中掃射の発想である。しかし、あまりにマキアベリ―的な態度で人心にかまわなかったため、恐怖と離反を招き、部下に殺されてしまった。

「鳴かぬなら鳴かせてみようほととぎす」-秀吉は、対照的に人の和、人気者になることが得意で、一夜城、海賊との連合などあっとおどろく新戦法で天下を取った。しかしけれん技の連発で信用がえられず、周りは秀吉を利用しようとする人ばかりになってしまい、秀吉死後は数少ない忠臣の努力にもかかわらず豊臣家は滅亡した。

「鳴かぬなら鳴くまで待とうほととぎす」-家康は、人質として明日を知れない少年時代、耐え抜いて時期の到来を待った。解放されて今度は信長の気まぐれや武田軍団の襲撃にさらされたが、耐え抜いて時期の到来を待った。秀吉に先を越されて格下にされても、耐え抜いて時期の到来を待った。こうして主なライバルたちが死んで自然消滅するまで耐え抜き、関ヶ原で天下の方が根負けして家康のもとへ転がり込んだ。

ほととぎすと資産。

信長は血も涙もない投機家(Speculator)
(Financial1.3)ですね。ウオールストリートの寵児とでも言いましょうか。デイトレードで巨万の富を稼いだり、あるいは落ち目の企業に乗り込んで大リストラを敢行し、職を失った人たちが電車に飛び込んでも全く意に介さずに次々に改革を断行していくとか。ただし、大成功するかあるいは?畳の上では死ねない人とおもいます。。。。

秀吉はセルフエンプロ―ヤ―とビジネスオーナー(Financial1.3)を行き来する人。アッと驚く「金のなる木」を見つけ出し、仲間や目下のものにお金儲けのシステムをばらまいて成金一直線。名前からして「豊臣」ですからねー、ただし労働から離れられないタイプで、自分が死んじゃうとシステムもつぶれちゃいます。

さて家康ですが、この人が本物の資本家(Capitalist)(Financial.4)として生き残る人ですね。どんなにいじめられようが鉄の意志で絶対にくじけず、雀の涙からスタートして資産の育成にはげむ。家康の場合、「三河家臣団」がとにかく最大の財産で、身を挺して家康を守り抜くところから始まって、地味に武田なり他家の人材(新たな財産)を吸収してゆき、関ヶ原に至っては敵方の毛利や薩摩まで引き込んでしまいました(小早川さんはいうまでもなし)。家康さんの場合は上の二人と違って自分はじっとしており、「天の時」が天下(経済的自由)を運んでくれるのを待つことができた、ということで「自分は黙っていてもお金がお金を運んできてくれる資産家」の象徴と思います。

*さて、剣道・資産ともに通じるメッセージですが「目標をしっかり持とう。奇想天外な必殺技はない。地道に確実に進歩しよう。絶対にあきらめないで耐え抜こう。天才というか才能は実はなくても何とかなる」です、ははは。

「織田がこね、豊臣がつきし天下餅 座りしままに食うは徳川」

Posted by mobilizze
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歴史シリーズ第二弾:西郷どんと慶喜さん

歴史シリーズ第二弾:西郷どんと慶喜さん

大河ドラマ「勝海舟」をみて「西郷さんと慶喜さんの行動って、資産形成のプロセスそのものだね」と思うところあり。

https://www.youtube.com/watch?v=p4rPuEgUK-o
まず、明治維新ってなに?子供のころ「坂の上の雲」とか「鳴門秘帳」に親しんだころは、「頑迷な伝統やしきたりを守ろうとして欧米植民地化の危機をかえりみない徳川幕府」を「西洋の技術を取り入れ、経済を発展させた新日本を生み出そうとした薩長と討幕派」が倒し、日本を近代化し植民地化から救った、というようなストーリーだとおもっていました。

でも、最近書物を読み返したり、参考になるサイト「北山敏和の鉄道いまむかし」やWikipediaで勉強してみると、実はそう簡単でもなく

―むしろ開国と近代化を進めようとしていた幕府

―開国や近代化以前にとにかく討幕して天下の覇者となりたかった薩長

―列強の軍事力を理解できず、とにかく外国とつきあわない引きこもりの「攘夷」に固執する朝廷

がみつどもえになって、結果的に

―幕府は朝敵にされてしまい消滅

―薩長は覇権をにぎったがその存続のために開国・富国強兵を徳川から継承・推進

―朝廷にいたっては、引きこもりどころか日清日露の戦役や朝鮮統合など薩長による近代帝国主義推進・対外膨張政策の象徴として祭り上げられてしまった

ことが見えてきました。(個人的見解です、念のため)

長州については、愚直に「拝啓天皇陛下様、攘夷のために外国船を打ち払います」とやったため欧米列強の反撃で火の海になってしまい。しかも第1次長州征伐など幕府からもけちょんけちょんにやられ「恨んでも恨みきれない幕府、いつの日か滅亡させてやろうぞ」と第2次長州征伐につながっていきます。

でも、実は幕府より恨みきれない薩摩がおり。第一次長州征伐で幕府の先兵になって長州をいじめた薩摩ですが、しかしこれも薩英戦争でイギリスにけちょんけちょんにやられた結果、西郷隆盛などプラグマティックな思考ができた人は「よく考えたら、幕府の言っている開国・貿易・工業化しないと死ぬかも?」と気づくと、「とにかく尊王で徳川をやっつけようよ」と討幕の怨念に取りつかれた長州と同盟というコペルニクス的転回を達成し、「尊王攘夷」をいつの間にか「尊王討幕」に転換させてしまったため、朝廷が一番固執していた「攘夷」は幕府・薩長誰も言わなくなってしまったのでした。ははは

あとは官僚制的な悪弊で身動きできなくなった徳川幕府をイギリス仕込みの近代軍と長州の怨念の加護でやっつけ、明治維新、その後の開明的な薩摩幕府じゃなかった明治国家ができました、となります。

でも、海軍操練所とか、咸臨丸、開陽丸等の近代船舶、これらを操縦する人員など日本の近代化のもとを作ったのは実は幕府だったりします。勝海舟や榎本武揚は幕臣であり、榎本さんに至っては明治新政府で得難き人材として採用され活躍しています。上記の薩長同盟で西郷さんと桂さんの仲良し同盟を実現したのは、坂本龍馬といって勝さんの弟子で、勝さんの思想の延長を体現していました。つまり、明治政府は幕府が作ったレールを上手に利用して近代化改革に成功したということになります。

ううむ、では悪弊に染まり太平300年の夢を「蒸気船4はいでも覚めようとしない」幕府が、一方で維新後の開かれた日本のレールを敷いていたというその恐るべき事実はどうやって達成されたのか?勝海舟のような開明派の幕臣もいましたが、しかし総元締めの親玉がしっかりしていないとこうはいきません。日本にとって幸運だったのは、親玉がほかならぬ徳川慶喜さんだったということです。

やっと西郷さんと慶喜さんの名前を出すことができました。前置きはこのくらいにして、ご両名をお題とした「資本家道講座」いってみます。

西郷隆盛:地の利(外様の雄藩)、天の時(幕末)に現れた「正しい人」ということでしょう。善悪(SpiritualS6)のことではなく、維新というパズルのピースとしてぴったりはまる人、という意味です。

中国の戦国時代に米作生産による強大な経済力を持つ西南部を押さえた秦が中国を統一したように、琉球との密貿易などで強大な経済力を得ていた薩摩は、それだけでも新日本の覇者という未来が開かれており。でも悲しいかな薩摩人だろうが会津人だろうが、ちょんまげに二刀が人の証。ともかくお家がこれまでどうり存続すること。商売(お金)なんて卑しいことは武士のいうことじゃありません、という時代に、西郷さんのすごいところは、この経済ポテンシャルをうまく引き出して本当に明治の薩長政府をつくりあげたところにあります。

ひとことで言えば実利主義。上記のとおり長州をうまく味方に引き入れたり、尊王攘夷をいつのまにか尊王開国に変えて、よりによって朝廷を開国の先兵に仕立て上げたりしちゃうしたたかさがあり。「ウドさあ」つまりぽけっとしているように見えて中身はものすごく繊細な調整ができる人だと思います。

つまり西郷どんは「最強のビジネスオーナー(financial1.3)」で自分の目標を明確に持ち、見事に薩摩の天下を達成しました。極めつけは幕府を滅亡に追いやった手腕で、滅亡しなくても徳川主導の「大政奉還」で徳川もその他大名もなかよくみんなで列強に対抗しましょう、となりかかっていたところを、朝廷を巻き込んで「王政復古」し、なりふり構わず徳川方を挑発して見事武力衝突に持ちこむところでしょうねー。これで平和は夢と化し、徳川は朝敵、薩摩は官軍という構図を作り上げてしまいました。

ただ、多数のビジネスオーナーが一時期大成功してもその後バブルがはじけて行方不明になってしまうように、西郷さんも途中で怪しくなってきます(最後は自決)。

西郷さんの目的は薩摩による日本征服であり。そのためには幕府との武力衝突で戦国時代になろうが知ったこっちゃない、という感じで、意外とこの辺は信長(Financial3.14)さんと似て「投機家(Financial1.6)」かも?投機が成功して鳥羽伏見の戦いが始まり、薩摩は大阪そして、江戸、日本全土への征服の戦争を開始しました。

でもこの投機は、地獄の結果をもたらす危険も持っていたのです。鳥羽伏見で勝ったとして、幕府方がガチで応戦すれば、大阪の時点ですでに大激戦が予想され。最終的に薩摩が勝つにしても、それまでは戦国時代さながらに日本全土が焦土と化してしまい、せっかく勝っても日本自体が再起不能の打撃を受けていました、という可能性も十分あったのです。

では、なぜ日本が滅亡しなかったか。それは鳥羽伏見の後、慶喜さんがとっとと逃げて自分で謹慎しちゃったからです。ということで慶喜さんに移ります。

慶喜さんは、投資家(Financial4)だと思います。彼の場合は、徳川や薩摩ではなく、日本がどうよ?ということが関心ごとであり。鳥羽伏見の時に「謎の反転」で江戸に逃げ帰ったのも、戦争を避けて日本の経済力を残した形で「開国・貿易・工業化」をもくろんでいたのだと思います。つまり日本という母体がなければ自分も死ぬぜ、ということがわかっていて、大政奉還だろうが何だろうがいとわないというタイプ。

ただ、演出がへたくそで、いわゆるゲスの勘繰りの標的になってしまいました。鳥羽伏見で「逃げ帰った」と敵味方から言われるのはまだしも、帰った後に「うなぎのかばやき食べたいぜー」とお付きの人にお金を渡して買いに行かせたら、お金が足らずお付きの人が自腹で払ったとか、謹慎後の生活で悠々自適すぎて、元幕臣が困っていても意に介さなかったとか、ようするに暗君とそしりたい人たちにいくらでも言い訳を与えてしまっており。

でも、慶喜さんはそういう枝葉の部分で批判するべきではなく。「卑怯なまでの退却・不戦の意思表示」によって日本という元本(Financial1.6)をすり減らさずに保全し、中国などとくらべて奇跡的な発展を可能としたと理解します。

というわけで、ながくなりました。今回はちょっとこじつけすぎかなーおそまつさまでした。ちゃんちゃん。。。

徳川300年、おもち(Blog12)を食べられる状態で「奉還」した慶喜さん

Posted by mobilizze