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美術ってなんだ?西洋美術と日本美術の差③

美術ってなんだ?西洋美術と日本美術の差③

これまで2回にわたり、西洋美術と日本美術をそれぞれダイジェストしました。今回、このシリーズのお題である「頭でっかちな西洋美術と、ほにゃららな日本美術の接点を探り、美術に現れる日本のお国柄を理解し、日本の不可思議な新型コロナ対策の解明を試みようと思います」についに到達。

さっそく「接点」というか、まずは「どう違うか」です。

これがなかなか奥が深く。表面上の差と、「奥義」に分かれます。

表面上は技法の面で明確な差があり。

すなわち

◎日本絵画は写実にこだわっていない

◎陰影によって成り立っているのが西洋絵画。

◎日本絵画は、陰影(グラデーション)のかわりに、輪郭線で成り立っている。

◎日本絵画は、色調があっさりしている(水墨画のように、モノクロの絵さえある)

◎日本絵画は、表現が簡潔である

というのが共通認識で、明治時代にフェノロサという人が指摘しました(ぼく個人の「感性」で脚色しました。ははは)。

これらの差が、西洋人と日本人の精神や文化の差を雄弁に物語っています。

西洋人が写実から出発したのはなぜか。「抽象的な想像に左右される主観ではなく、具体的な現実から導き出される客観」が西洋人のメンタリティの基礎だからです。

絵画は視覚芸術であり。だれの目にもこう写っているぞ、本物に似てるね!そっくりだね!というのが基本中の基本である。

できうる限りの写実があって、さらに写実を超えた「輝き」を目指すのが西洋美術であった。例えばみんな大好きフェルメールの「真珠の耳飾の少女(青いターバンの少女)」ですが、「カメラ・オブスクーラ」という装置でとらえたモデルさんの姿を平面(キャンバス等)に転写して描き出しています。当時の画家が共通して使用していた装置らしい。

カマラ・オブスクーラ。
ただしフェルメールは使っていないぞ!と主張する人もいます。

こうして描き出した、写真とまがう肖像がまずはベースになり。
しかし、単なるイラストではない「内部から輝くような芸術に」するため、それぞれの芸術家がいろいろな秘法を駆使していますが、フェルメールの場合は「ポワンティエ(点綴法)」で「写実を超えた一歩先」を実現しています。ポワンティエなんて、いかにも芸術的なお名前ですが、実はシンプル(容易とは言いません)で、「光の粒で明暗、特に輝きを表現した」。

例えば目。

白い点(星)が入っています。

えええー!じゃあ「ベルばら」のキラキラおめめのキャラクターたちと同じなんですか?その通り。「アルフレッド―!」の藤原栄子の原点はフェルメールだったのだった。へえええ。。。。

ちなみに、日本絵画に写実がないわけではなく、陰影による表現がないわけではない。例えば、ドミニク・アングルの(泉)部分と、渡辺崋山の絵を比べてみると

アングルのお姉さんは「泉」の擬人化。艦これの先祖ですが、実在の人間とまがうばかりの写実的表現です。渡辺崋山の方は鷹見泉石という実在の蘭学者で、当時日本では、実はここまで写実的な絵は「魂を取られる」などと言われ、嫌がられたらしい。

艦これ「空母赤城の擬人化」。実在の空母は、艦尾の
安定がわるく、なかなか着艦しにくかったらしい。
出展:https://wikiwiki.jp/kancolle/%E8%B5%A4%E5%9F%8E

日本画らしい、明るくあっぱらぱな陰影。富士山は輪郭線くっきりです。
葛飾北斎「凱風快晴」
でも線画、あっさり、あえて余白を作る一方、表面的で奥行(パース、遠近)を「気にしない、あるいは独特の表現をする」日本絵画の特徴がわかると思います。

さて、技法による差が見えれば、その奥にある根源(民族的素養)も明確になります。

西洋美術とは、論理を視覚化したものであった。

一方、日本美術は、情緒を絵の形でぶちまけたものだった。

従って、西洋世界の思考論理や思考の裏付けとなる教養についての知識がないと、西洋絵画はそもそも理解ができないのです。この「知識」にはいろいろありますが、わかりやすいのに「アトリビュート」があります。

簡単に言えば「持ち物」のことで、例えば下のダビンチさんの絵ですが、アトリビュートがわかれば、誰がみても「受胎告知」という聖書の物語だと論理的にわかるようになっています。

あれれ、この絵って、工務店のおかみさんが「どすこい!」と税金取り立てのお兄ちゃんを後ずさりさせてる所じゃないの?いやいや。

まず、お兄ちゃんは、白い百合の花を持っています。この「持ち物」で描かれる天使は「ガブリエル」といって神様のお言葉をつたえるメッセンジャーということがわかります。(ちょっと見えにくいけれど、左手から顔の前に伸びています)

お姉さんの方は、青と赤のお洋服(アトリビュート)で、聖母マリアであるということがわかります。

そして、背後に立っている細長い木は「糸杉」で、西洋では生と死のシンボルです。つまり、キリストが生まれ、殉教することを示しています。

これらの情報から、西洋人ならみんな知っている「天使ガブリエルが聖母マリアにイエスキリストの妊娠を伝える」という聖書の物語にたどり着き。「おおお、なんと美しい救世主の誕生の秘話なのだ!」という結論に達するのです。

聖書の「ルカによる福音書1章26~38節」に、こう書かれています(以下ちょっと省略しました)。

『28 天使は、彼女のところに来て言った。「おめでとう、恵まれた方。主があなたと共におられる。」

29 マリアはこの言葉に戸惑い、いったいこの挨拶は何のことかと考え込んだ。

30 すると、天使は言った。「マリア、恐れることはない。あなたは神から恵みをいただいた。

31 あなたは身ごもって男の子を産むが、その子をイエスと名付けなさい。

32 その子は偉大な人になり、いと高き方の子と言われる。神である主は、彼に父ダビデの王座をくださる。」

34 マリアは天使に言った。「どうして、そのようなことがありえましょうか。わたしは男の人を知りませんのに。」

35 天使は答えた。「聖霊があなたに降り、いと高き方の力があなたを包む。だから、生まれる子は聖なる者、神の子と呼ばれる。」

38 マリアは言った。「わたしは主のはしためです。お言葉どおり、この身に成りますように。」そこで、天使は去って行った。』

ふむふむ。。。。

一方で、日本絵画。仙厓和尚です

絵の名は「犬図」。きゃふんきゃふん。

かわいいね!終わり。

わくわく。。。。。

ここでついに奥義です。それは

『西洋絵画は「ふむふむ」であり、日本絵画は「わくわく」である』

です。

つまり、くどいけれど、西洋絵画は「情報・知識にもとづいて解明する」ものであり、日本絵画は「印象、心象、情緒を楽しむ」ものだったということである。

ううむ西洋と日本の違いは分かった。では、ジャポニズムなど、どうして西洋の最高の画家たちが日本の絵画に熱狂し、その影響を受けることになったのか?そして、このシリーズのお題である、日本のコロナ対策(はじめとする政策等)がなぜ不可思議なものとなるのか?の解明については、次の記事にさせていただきます。

なお、日本と西洋の違いというと、紙や布が豊富な日本と、毛皮を着る西洋。水が豊富な日本と、料理や絵の具まで油の西洋、といった自然条件や気候風土による違いも美術に如実に反映されるのですが、これもまた別の記事とさせていただきます。

今回はかなり繊細・コアな内容で、書いていて力尽きました。いつまでも終わらずすみませんが、見捨てずにごひいきください。

「ラーメン才遊記」から抜粋。
ラーメンは「ふむふむ」と気難しく考えながら食べるものではなく
「わくわく」でなければ。。。。そして絵画は?
ではでは。。。

*「犬図」について、あの犬は、実は禅の「〇」のことであり、「エデンの園を脱出せよ!」というメッセージなんだ!という人もいますが、こまかいこといわんと、わくわく!かわいいね!でいいじゃないですか。ははは追記でした。

Posted by 猫機長
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美術ってなんだ?西洋美術と日本美術の差②

美術ってなんだ?西洋美術と日本美術の差②

以前の記事で「頭でっかちな西洋美術と、ほにゃららな日本美術の接点を探り、美術に現れる日本のお国柄を理解し、日本の不可思議な新型コロナ対策の解明を試みようと思います」と書きました。前回は西洋美術でいっぱいいっぱいだったので、今回は日本美術いってみます。

といいつつ、すごく悩んでいます。

なぜなら、日本美術は、つかみどころがなく、魑魅魍魎、なんでもありの「表現のるつぼ」なので、書くに書けない、どうしよう。。。。西洋美術のように「まずは知性あり」そして「どう知性を表現しようか」と、デフォルメや写実、様式化や自由化の間を行ったり来たりして、かつアトリビュートやアレゴリーなどの「一定のルールの中で競い合っている」という、要は分かりやすい発展の仕方をしておらず。(言い換えれば、日本絵画は原初からすでに発展し切っていたみたいな、ははは)

*アトリビュート:持ち物。白百合を持った青と赤の服装の女性がいたらマリア様を表す、など。

*アレゴリー:寓意。抽象的な概念を具象化したもの。サイコロの絵は幸運、頭蓋骨は死、とか。

伊藤若冲、仙厓和尚、土佐光則、写楽に渡辺崋山。

現代アートもびっくりの多様性。

しょうがないので、西洋美術の記事と同じように、絵画史からスタートします。

奈良時代が日本の美術の始まりらしい。仏教伝来にともない、仏教普及の教材としての絵画が発達した。この辺は西洋の初期キリスト教美術と似てはいる。

吉祥天像

中国から中央アジアにわたる絵画にそっくりだったりします。

ところが、早くも日本らしい脱線が発生!ありがたい法隆寺五重の塔の天井に落書きした奴がいやがった!大工さんの中の一人らしい。

大工さんのらくがき

にくらしい現場監督の似顔絵なんでしょうねえ。死ね!許さん!とか。。。

国運をかけた仏教施設にここまでバチあたりないたずらをするバイタリティーに頭が下がります。まるでブラジル人のようだ。

時代は下り。

遣唐使も廃止されると、ひらがなの発明など、日本独自の文化が生まれ。

屋根をすかした斜め上からの俯瞰図、「引き目鉤鼻の技法」などを特色とする「やまと絵」が生まれました。

源氏物語絵巻

ちなみに、引き目鉤鼻の部分を拡大すると

お目めをぱっちりさせれば、現代のマンガでも通用するかもしれん

国風文化を支えた貴族から武士へ支配階級が変わり、絵の世界もみやびから武勇へ転換し始めます。

蒙古襲来絵詞(もうこしゅうらいえことば)

この絵は、竹崎季長という人が絵師にかかせたもの。竹崎さんは一生懸命モンゴル軍を撃退したのに、いつまでも恩賞が来ないのにしびれを切らし。たいへんだったんだよ!大活躍したんだよ!というプロパガンダ映画じゃなかった「えことば」を作って幕府へ直訴した。その結果「おおそれは大義であった」と幕府から馬をもらったそうです(何頭かは不明)。ちなみに、上の絵で馬に乗っている人が竹崎さんです。

鎌倉時代前後から、「縁起物」もよく見るように。「何とか寺縁起絵巻」など、寺社建設の由来や、いろいろな霊験に関する物語を絵にした。

北野天神縁起絵巻 きたのてんじんえんぎえまき

この絵の雷様は菅原道真さん転じて天神さまです。道真さんは藤原さんとうまくゆかず失脚し、さびしく死にましたが、怨念で雷神となり。藤原家の屋敷に逆上陸して殺りまくった。絵の左端で刀を抜いて立ち向かおうとしているのが道真さん失脚の首謀者藤原時平さんだそうです。あわれ人間避雷針と化した時平さんの運命やいかに?

この絵は、北野天満宮という神社が建設された経緯を記録した、当時の「報道写真」ですね。。。

室町時代から安土桃山になると、日本絵画の全盛時代が到来します。

水墨画:

◎3阿弥(能阿弥・芸阿弥・相阿弥のじいちゃんからお孫さんへの3代)。本来は中国美術の鑑定屋さんだったらしいが、自分が描く中国絵(水墨画)もうまかった。

芸阿弥さんの「観瀑図(かんばくず)」

かんばくつながりで、「99式艦上爆撃機」はいすみません

ここはもともと飛行機乗りのHPなので、脱線ご了承おねがいします。今回の内容と関係ないかもしれんが、必読です→「こうして艦爆はP38の餌食となった」http://navgunschl.sblo.jp/article/34415264.html

◎雪舟:水墨画界のスーパースターと呼ばれ、本場中国で修業し、帰国後大活躍した。

秋景(秋冬山水図)

大和絵

◎土佐光信:宮廷絵所預(えどころあずかり)つまり宮廷画家。大和絵の様式を継承して、江戸時代末まで伝えた重要な一派の中興の祖。

    星光寺縁起絵巻

室町から安土桃山、江戸時代の過渡期において、漢画のスタイルと、大和絵に見られるカラフルな色遣いを融合させた要注意なおっさんが登場。

その名も

◎狩野元信

がんらいは漢画系だったらしいが、漢画の基本である「筆様(ひつよう)」に大改革を断行。

これまでの筆様は、馬遠(ばえん)、夏珪(かけい)、牧谿(もっけい)、玉澗(ぎょくかん)など、主に南宋時代の画家たちの絵の描きかたを分析し、どれかの書き方にしなさい。勝手に自分の筆致をだしちゃだめよ、だったのですが、真面目にまねしても個人差が出?あやふやになっており。

そこを元信さんが「これが日本の筆様です」と真体(しんたい)、行体(ぎょうたい)、草体(そうたい)の三種の「画体」に取り換えることにし。以後、狩野さんのお弟子さんつらなる巨大な画家集団狩野派でのスタンダードとなったため、遂に独特な「宋和折衷」の日本絵画が主流の一つとなりました。

これが日本のコンパクト・カー。関係ないか。。。

ここに至って日本絵画は恐るべき特異性を獲得することになりました。この特異性については、江戸時代の項でもう一度書きます。→と思ったらスペースがなくなってしまい。次回にまわします

というわけで江戸時代。

狩野派以前に、いろいろあり。

琳派: 見方によってではあるが、これぞ日本絵画!ということで、きらびやかな装飾性、そして聖書・歴史・人物と言った西洋絵画の必須画題の斜め上を行く「単なる模様と化した風景画」が、西洋人の感性に大恐慌を巻き起こした。

◎俵屋宗達や尾形光琳など。

尾形光琳さんの「紅白梅図」

紅白梅図にショックを受けた西洋画科クリムトさんの

「アデーレ・ブロッホ=バウアーの肖像 I」

浮世絵: 日本絵画、と言われてまず思い浮かぶのが浮世絵。幕府や朝廷の御用絵師だった狩野派や土佐派みたいな制約がなく、なんでもありの自由そのもの。この奔放さがまた西洋の画家にショックを与えた。

◎鈴木春信:美人画と言えばこの人。「パ◎チラ」の発明者だったらしい。

野分(のわけ)

◎喜多川歌麿:美人画と言えばこの人。鈴木春信と違うのは、「大首絵」といって上半身アップのお上品なところと、当時の映画スターみたいだった吉原の芸者さんの「実写」が多かったらしい。ううむお上品かな?

婦女人相十品 ポッピンを吹く娘

◎写楽:スターの報道写真と言えばこの人。役者絵や相撲絵など。

三代目大谷鬼次の奴江戸兵衛

◎葛飾北斎:この人が最高峰。浮世絵のくせにまじめで?セックスアピールとか人気役者とかの題材にたよらない、冨嶽三十六景など日本人の原風景を記録しました。80歳を超しても画法の追及をやめないというイチローみたいな求道者で、「神奈川沖浪裏」の絵は、実は西洋絵画の構図方法を逆輸入して活用したという噂もあり。また、この絵は世界一有名な日本の絵画だそうです。

神奈川沖浪裏

南画: 南宋画を元に日本で独自に発展した。絵画界の少林寺拳法。文人画とも呼ばれます。文人画というのは、本職の画家ではない書家、俳人等がかいた画、という意味。

◎池大雅:書家。でも絵の方が有名かも?いい意味で、かなりぽけっとした人だったらしい。

◎与謝蕪村:有名すぎていうことなし。「古庭に茶筌花さく椿かな」

大雅と蕪村の共作「釣便図(十便十宜図)」

もちろん両名とも単独で多数作品あり

ううむここまでで3000字超になってしまった。まあ日本絵画のものすごくいいかげんなダイジェストはできたので、今回はこれで満足して終わります。やっと次の記事で日本と西洋の絵画比較開始。今回ちょっと種明かししたけれど、真の違いのキーワードは「ラ◎メン」。乞うご期待。

ではでは、悪のりごめんなさい。。。

Posted by 猫機長
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お持ち帰り・テイクアウトの話

お持ち帰り・テイクアウトの話

昭和戦後世代として聞き捨てならない事件があったので掲載します。

大阪府堺市の定時制高校で、余った給食パンと牛乳を持ち帰ったとして男性教員が懲戒をくらい、あげく退職に追い込まれた、というニュースを聞きました。

開発途上国ブラジル在住の土着民からみれば、えええええ?日本はいつからそんな贅沢な、食い物を粗末にする国になったんだああああ????と驚愕、開いた口がふさがらなくなってしまいました。

確かにぼくが生まれたころは日本は豊かになっており(埼玉県も日本です。いちおう)。でも、「八百屋の鈴木さんは、満州からの引き上げで大変だったそうだ」「乾物屋の中曽根さんは、沖縄戦で家族を半分亡くしてしまったそうだ」「となりのみよちゃんのお父さんは、南方の島で餓死寸前になったそうだ」みたいな、食うや食わずの時代の残像が残像ではなくリアルに生きていた時代でした。

戦後の日本は、物資の有り余るアメリカから援助を受けて何とか復興できた

そういう昭和の日本から移民でブラジルへ、そして令和の今日にいたって聞くニュースがこれか?ううむ大丈夫か日本人?

この教師に賛成・反対かなり意見が分かれているらしい。反対派の意見は「もちかえりは禁止という規則を破ってはいかん」「衛生上の配慮がなっておらん」というのがあり。賛成派は「もったいないじゃないか持って帰って何が悪い」という感じ。

ちなみにニュース出展記事(MSN)では「4年の間に持ち帰ったパンは1002個、紙パック牛乳は4178本(いずれも本人による申告)で、本人の申し出により代金約31万円は返還された」とあります。

こまかいなあ。。。もちろん正確さは重要だけど、1002だの4178だのという数字にこだわる前に、食べ物が粗末にされていた(記事では「余っていた」)ことについての注意喚起や、解決策と言った面での議論、検討、提言が先ではないでしょうか。

参照した記事では、前向きな提言がぜんぜん見当たらないばかりか、細かい数字の羅列の後に、「教師が懲戒されました」に行ってしまい。

この「教師による代金返還」が最も懸念すべきねじれた(洗脳)措置だと考えます。

そもそもなぜ「パンと牛乳」があまるのか?ラクトース過敏症とかであれば、最初から申告し水だろうが別のものを配るようにすればいいだけの話であり、パンにしてもそんな食えないようなまずいものでも量が多すぎるわけでもなかろうに、と思ってしまいます。

個人差で食べきれない、という場合は「それこそ本人が持ち帰って後で食べましょう」。もちろん腐っちゃうなんて食べ物を冒涜するほど捨て置くようなまねはダメ!絶対!である。

これを育ちが良すぎる生徒たちが「まずい、食べられん」というのであれば、次善の策として先生が持ち帰るのは捨てるよりはずっといい。ぼくが教師だったら、喫食の前に「全員校庭3周!」で終わったころにはのどが渇き、腹もへり。水だろうが牛乳だろうがむさぼるように飲み、食う、となると思いますが(例えばの話です)。牛乳とパンですから、ガダルカナルやインパールのように泥水やヤモリとかを飲まされ、食わされることに比べどれほどごちそうか。

前谷惟光「ロボット三等兵」

そもそも規則が変である。ニュースによると

「文科省が設けた学校給食衛生管理基準に「パン等残食の児童生徒の持ち帰りは、衛生上の見地から、禁止することが望ましい」「パン、牛乳、おかず等の残品は、全てその日のうちに処分し、翌日に繰り越して使用しないこと」と明記されている。」

といかにももっともらしいことが書いてあるが、封を切ってしまったならともかく、パックのままのものを処分せい、と強要に至るストーリーがおかしい。本来は、残した奴が自分の責任で持ち帰り食中毒にならないうちにちゃんと食え、ということだと思います。

もしやっぱり食べられなかった、という場合にパン君ごめんなさい、という意味での代金返還も、本来は残した奴が払うべきである。

シベリアに抑留された人たち。重労働でろくな食料も与えられず、餓死者が続出。

「旧ソ連抑留画集」よりhttp://kiuchi.jpn.org/nobindex.htm

今回の一件は「本来重要であり、尊重すべきもの」が尊重されないままに「本来の解決とかけ離れた枝葉の対応にすりかえてお茶を濁している」ことが重大な問題だと理解します。

要するに、この件は「飯は大事だ。粗末にしないようにはどうすればいいか」という話なのに、なぜか「だれかに責任を負わせ、懲戒して解決したように見せかける」小役人根性まるだしの盲目的な規則の履行で済ませてしまっているところに、底知れない恐怖を感じます。

この一件のみならず、いろいろな課題について、問題の本質を見極めずに法律だの衛生だのと権威をかさに着た(泉)かりそめの対策でいかにも解決しましたみたいに思い込んでいないでしょうか。

「目的と手段」の混同とすり替えは、太平洋戦争での国民の絶筆に尽くせない犠牲を招いてしまいました。

これが日露戦争の場合「ロシアの勢力が満州以南に南進し、日本の独立を脅かすことを防ぐ」という明確な目的があり、同じく明確にロシア勢力の排除を狙っていた英国と日英同盟を組むことができ。明確な目的が確立してはじめて目的達成の手段として戦争を開始し、目的達成が明確になってきた奉天会戦・日本海海戦あたりで「これ以上やったら日本自身の国力がつづかない」とさっさと講和に進むことができました。

「大東亜戦争」の場合、「南方資源の確保」なのか「東アジア新秩序の確立(なんじゃいそりゃ?)」なのか、どこまで戦争してどこで終わらせるかという段取りがないままとにかく戦争という手段を強行してしまったため、南方地域を確保したら今度はオーストラリア攻略だなどと際限もなく構想が膨らんでいくかと思えば、ガダルカナル、サイパンと圧倒的劣勢が明確になっても講和できず、ずるずると原爆投下・無条件降伏まで事態を悪化させてしまった。

この「目的と手段の混同とすり替え」については別記事で「零戦とグラマンの残念な比較」について記載し「世界一スマートな技術の結晶であるゼロ戦」が「プレファブの濫造品グラマン」にバタバタ落とされたという全くスマートでない結果に終わってしまったことについて考察しましたのでそちらもご覧いただけますと幸いです。

そして最後に。。。

牛乳はダメだろうけれど、せめてパンが一週間はもつのだったら。。。余ったパンを集めて、逆境を生き抜いているシリアや北朝鮮の児童に定期的に送るとかはできないのかなー、とかおもったりしています。悲しいな。。。

終戦前後。逆境に負けず耐え抜く少年。

https://www.asahi.com/articles/ASK877VJMK87PITB00V.html

 

Posted by 猫機長
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美術ってなんだ?西洋美術と日本美術の差

美術ってなんだ?西洋美術と日本美術の差

以前、ひょんなことからルネサンス美術の恐るべきからくりについて書きましたが、そもそも美術とは何か?という再確認をしたうえで、頭でっかちな西洋美術と、ほにゃららな日本美術の接点を探り、美術に現れる日本のお国柄を理解し、ゆくゆくは日本の不可思議な新型コロナ対策の解明を試みようと思います。

さて、美術ってなんだ?

簡単に言えば「表現」です。ははは

「内的必然性(Inner Necessity)の表現」。

こんがらかった人は、上の言葉はちょっと忘れて

「表現者(画家)が、表現を通じて鑑賞者に何らかの情報(意志、理念など。感性も?)を伝え、鑑賞者へ感覚的に何かの啓示なり感動なりを呼びおこすもの。」

そして呼び起こす根源となる表現、表現物、物体を作品と呼べばわかりやすいかと思います。

美術は、芸術の中の仲間です。ほかにいろいろ仲間があり。

文芸:小説とか詩。このブログの文章なんちって

音響芸術:軍艦マーチ。AKB48やベートーベンももちろん入ります

舞台芸術:演劇・ダンス。ブルゾンちえみ。

映像芸術:映画。「トラ・トラ・トラ」や「日曜日の恋人たち」なんてのもある。

造形芸術:ミロのビーナスとかの彫刻や、建築。ぼくはBAUHAUSちっくなやつやコルビジエが好きです。ニーマイヤーはおおざっぱすぎてううむ、というかんじ

視覚芸術:ここに美術が入る。ドミニク・アングル、キリコやホッパー、リキテンシュタイン、そしてカンディンスキーなど。

美術についての簡単な定義が定まったところで、西洋美術にいってみます。

1.西洋美術のスタートは「初期キリスト美術」。

あれれギリシア美術は?という質問があると思いますが、ローマ後期から、ゲルマン大移動と、フランク王国など蛮族による諸王朝によって埋もれてしまい。当時芽生えた初期キリスト教美術と、続く初期中世美術をスタートとさせていただきます。

さて初期キリスト教美術・初期中世美術の特徴ですが、ギリシア(ヘレニズム)の精緻・繊細・躍動感はどこかに行ってしまい。

受胎告知。教会壁面のモザイク。作者はだれだろう?

素朴というか幼稚というか、ポーズも表情も固定して、なんかお役所の公文書みたいな感じ。つまり「書式からずれてる!書きなおーし」とはならないにしても、「こうしなさい、こうあるべし」というのでかなりがんじがらめになっていたらしい。

そして、表現が目指すものは「文字の読めない人たちにキリスト教を絵でつたえること」でした。

2.次に出てくるのがビザンティン美術。ギリシア文明の継承者を自称する東ローマ(ビザンティン帝国)ですが、やっぱり公文書みたいな堅苦しさあり。イコンといって「聖書における重要な出来事や、教会史上の出来事を画いた画像(Wikipedia)」が発達。人々の目指すべき理想を絵にし、指し示すもの、ということで現在のアイコンの語源になったとの説あり。

表現が目指すものは、やっぱり「キリスト教の普及、広報」でした。

「ウスチュグの受胎告知」

3.東西貿易など、イタリア諸都市をはじめとした新勢力が勃興すると、これらをパトロンとしたルネサンスが始り。硬直化して身動きの取れなくなった美術を、掘り起こされたギリシア美術の均整、写実といった技法で再発見し、人間中心の絵画が生まれました。題材として聖書は主流にあり続けましたが、登場するのはイコンではなく、人間と相通ずる肉体、精神を持った聖人賢者になりました。

フラ・アンジェリコの受胎告知

表現が目指すものは、「キリスト教や肖像画を通じた教会やパトロンの広報」でしたが「教会やパトロンも人間」「絵に出てくる天使などにも人間と同じ感性が表現」されはじめました。

*ただし、この時代からの広報やプロパガンダは、ある程度エリートの人たちの間にとどまっていたらしい。新聞みたいなマスメディアによる普及は、後に書くように写真の出現以降、あるいはルーブル博物館の一般公開開始(1793年)以降などの説あり。

4.一方で、西欧美術の擁護者であり指令塔であったカトリック教会は、メディチ家とかの大商人、絶対君主やプロテスタントの勃興など、資金、政治・軍事、宗教全方位で危機にさらされ。これじゃいかん、もっと檀家(信者)を増やして財力・権力を回復せねば!と、プロパガンダ大攻勢を開始します。

この流れでバロック美術が登場。お題は聖書で変わりがないが、表現方法をとにかくドラマチック、見ている人が感動して涙してしまうような「ドーンと衝撃的な作品」で、カトリックファンを呼び戻そうとしました。

従って、表現が目指するものは「キリスト教の広報、普及だが、見るものの感性に訴えて否応なく引き込む」

つまり、ここで「理性・情報の伝達」より「感覚・感情の作用」がまさりはじめた。

エル・グレコ(受胎告知)

5.ロマン主義

フランス革命にナポレオンの時代。王や貴族より民衆の方が強くなっていった。ギロチンで王様の首が飛ぶ大混乱、大革命の時代を象徴して、美術も情熱、夢想。ついに情感が前面に出はじめます。この時期を代表する画家にウジェーヌ・ドラクロアという人がいます。

ドラクロア「受胎告知」

ううむいがいにインパクトがないなあ。。。というのも、ロマン主義は「神・主、ヨーロッパ普遍」よりも「各国の個人の自我」を表現するのが得意なので、下の方が有名です

ドラクロア「民衆を導く自由の女神」

表現しているものは。。。「自由、平等、博愛といった、自我を持つ人間の精神。勇気、希望、情熱と言った、やっぱり自我を持つ人間の感性」。宗教から分離し始めているが、民族・国家のプロパガンダとしての色彩はまだ濃い。

6.ロマン主義と前後して、新古典主義があり。

熱狂的に受けた「巨人の星」が、時代が下るに従い「ギャグマンガ」と受け取る人が多くなってしまったように、バロックの暴力的な迫力は、受ける人には受けるがちょっとくどくてねー、となり。「やっぱりもっと均整がとれた、古代ギリシャみたいな細部まで精密な美術に回帰しよう」と新古典主義が生まれました。

この絵をみて、めらめらと目に炎が燃え上がる人は昭和のおっちゃんです。

ぎゃははなにこれー!と笑っちゃう人は令和のゆとりくんです。

(出展:https://ameblo.jp/kamome4022/entry-12177778646.html)

重厚で格調高く、どっしり威風堂々とした絵が新古典主義の特徴です。

宗教画もあるのですが、なぜか受胎告知は発見できず。ということで、ナポレオンの肖像画を掲載。

ダヴィッド「アルプス越えのナポレオン」

この美術学派の表現するもの:ううむ「パトロン、あるいは芸術家の意志を写真のような写実的な絵柄(モデルとは思い切り似てない可能性あり)で視覚化する」。

ちなみに、ぼくはアングルの大ファンです。アングルはこの時代の代表的な画家で、「当時発明された写真が「画家の生活を脅かす」としてフランス政府に禁止するよう抗議した(Wikipedia)」らしい。

そして、この抗議が、西洋美術の本質を物語っていると理解します。ここがこの記事のコアポイントです。

写真が登場するまで、西洋美術とは、神様、天使や、メディチ家やナポレオンなどの世俗権力者、あるいはフランス革命などの歴史的大事件の描写と報道をするための手段だった。あるいは形式、あるいは理性、あるいは感情と、写実やデフォルメの間を行ったり来たりしながらも、その「報道写真」としての本質は変わらず。

しかし、写真の出現により、美術の存在価値は180度転換します。

報道写真。(出展:Photograph by Joe Rosenthal, AP)

もはや書くスペースがなくなってしまったので、今回はこの辺で終わりますが、何百枚でも複製できる写真の出現で写実のくびきから逃れた美術は、

7.形而上絵画、キュビズム、シュルレアリズムなど、感性そのもの、純粋な内的必然性の表現となって生まれ変わりました。

そして、西洋美術の生まれ変わりには、実はいかにも日本的な日本美術が恐るべき影響を与えたことも別記事で書きます。その序章として「日本画にしか見えない日本画」を掲載して、結びにいたします。

シュールでかわいい犬くん。

仙厓和尚 犬図

きゃふんきゃふん。ではでは。。。

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新型コロナ:誰もが病状急変の危機に晒されていた!

新型コロナ:誰もが病状急変の危機に晒されていた!

リモートワークに巣ごもり。今や全世界の活動がマヒ状態に?ここまでグローバルな緊急事態を巻き起こした新型コロナウイルスとは、どこまで凶悪なのでしょうか。

世に出回っている情報では、感染しても圧倒的に多数の人が無症状あるいは軽症ですみますよ、デングより至死率は低いですよ、となっていますが、それにしては当局の対応などおおげさすぎるんじゃね?と、疑問、そして一抹の不安を感じた人もいると思います。

つまり、事態は本当はもっと深刻なのに、わざと政府は隠しているんじゃ。。。という不安です。

そのうち、感染してしまった人から「ぜんぜん軽くなんかないよ!インフルエンザもびっくり、いたいよくるしいよ、死ぬかと持った」みたいな体験談が語られるようになり。

そして、大なり小なり寝込んだ人たちは、老齢者でもなければ持病もちでもない若くて健康なお兄ちゃんだったりすることも多く。

つまり、政府のいっていることとなんか違うじゃね?という疑惑が広がり。

そして、恐ろしいのは「まあまあ軽症で自宅療養だったのに、突然悪化して、ものの7,8時間で死んじゃった」というケースが明らかになってきたことです。

やっぱり、世界の指導者たちは真実を隠してきたのでしょうか?新型コロナは、実はエボラや鳥インフルエンザみたいに恐ろしい病気なのに、真実を知ってしまった市民が大パニックを起こし、恐慌状態に陥ってしまうのを避けるためにことさら「軽い」と宣伝してきたのでしょうか?

幸い、そうではない、と見立てています。

理由として「コロナウイルスの隠れた凶暴性」の記事に記載した感染症の権威のお医者さんの予測のとおりになっていることを上げることができます。

3月ごろの話ですが、そのお医者さんの所見は

「ウイルス自体の動態としてはそれほど危険とは見られないが、得体が知れない以上は感染しないようにシャットアウトするしかない」

つまり、変異などで凶暴化する前にとにかくおさえこまなきゃ!特効薬やワクチンができるまで医療崩壊をふせがなきゃ!というのが、各国政府の「深刻な対応」につながったものと理解しています。

つまり、「得体が知れなかった」ので、もしエボラみたいだったら?という事態に対する予防が必須だったということだと理解しています。

幸い「知れなかった」と少しづつ過去形になっており。

しかし一方で、「当初考えていたより、相当凶悪だぞ」ということもわかってきたようです。

当初は、変異により「ただの風邪からスペイン風邪」に変化してしまうことが懸念されていたようですが、複数の変種を生み出しながらも、病原体としてはそれほど致命的なものではないことが明らかになってきたようです。

しかし、問題は人間の方にあることがあばかれつつあり。

つまり、COVID19は「サイトカイン症候群」を引きおこすことがわかってきました。

人は、病気になったときに、熱が出たりとか頭痛になったりとかします。これらは「やばいバイ菌(やウイルスなど)が体内に侵入してきたぞ!」と体に知らせる警報装置の役割もしています。

この警報装置すなわち炎症を作り出すものの一つに「サイトカイン」というのがあり。これが適正に生成・分泌されていれば、単なる頭痛とかですむし、発熱などの熱はバイ菌をやっつける武器でもあるのですが、COVID19の場合、サイトカインの異常増幅をもたらすなにかがあるらしい。その「なにか」として「IL-6 アンプの活性化」が判明してきました。

アンプ、つまり増幅器です。一昔前のオーディオフアンならご存知と思いますが、レコードプレーヤーやカセットレコーダーで再生した音源は、そのままでは微小すぎるので「アンプ」につないで、スピーカーを振動させることのできるパワーにまで増幅していました。

アンプ。プレーヤーの微小な音波を増幅した。

 

サイトカインの異常増幅を「サイトカインストーム」といい、ストーム(つまり暴風雨)になってしまうと、すでにCOVID19自体は消滅過程にあるのに、サイトカインの暴走で炎症が一気に拡大してしまい、重篤な肺炎などになり死亡、ということがわかってきたようです。

つまり、サイトカインストームが起こる人、起こらない人があり。発症してからだいたい7日目が炎症というか苦しさのピークであるが、ここで急速に回復する人と、逆に急性増悪に行ってしまう人に分かれる傾向が明らかになってきました。そして、増悪の場合は、サイトカインストーム(だけではないでしょうけど)が大いにかかわっているらしい。

つまり、老人だろうが若者だろうが、持病がなかろうがやせていようが、その人とCOVID19との相性でサイトカインストームになってしまったら、あっという間に悪化して、それこそ「軽症・元気だったのに、急に悪くなり、ものの7,8時間で死亡」

となる危険性はあり、そして「相性がいい悪い」は感染してみなければわからない、ということが明らかになってきた。

こういう状況では、世界各国の政府が大げさにみえるロックダウンなどしてきたのはやはり妥当だったと理解します。

敵を知り己を知れば百戦危うからず、といいますが、これまでは敵つまり新型コロナウイルスをやっつけるためのワクチンやアビガン、レムデシビル、といった薬に血眼になってきた医療部門も、それだけでは片手落ちだったということに気が付き。つまり、自分自身の身体防御システムがサイトカインストームを起こさないように鎮めるということも重要だったということですね。幸い、サイトカインストームはCOVID19以前から知られていた現象で、これを押さえるにはトリシズマブ、サリルマブといった薬がすでに存在しているらしい。ただし、副作用だのなんだので、新型肺炎に対してどのように投射するのか、できるのかについてはまだこれから解明されていくということでしょうが。

なお、重篤化の引き金としては、「血栓」や「T細胞」などほかにもありますが、別の記事にします。でもサイトカインストームが一番やばいらしい。

また、サイトカインとはちょっとアプロ―チがずれますが、「免疫細胞ワクチンによるADEの防止」などの解決策も見え始めているらしい。これも別の記事で探ってみます。

ちなみに、スペイン風邪の第2波つまり一番凶悪だった局面でも、ウイルスよりはサイトカインの過剰反応が原因だったという説も強くなってきているようです。

ちなみに、COVID19に感染した人のうち、20%が重症化し、そのうちのさらに30%が重篤化してしまうとのことで、これが多いか少ないか?でも確率の話というよりは、自分が感染したときにどうなるか、という話だと思います。

それでも、急速に悪化してしまうケースの理由について、有力な情報が明らかになったのは大きな前進だと理解しています。これまで、とにかく呼吸器で酸素を送り込み炎症がなくなるのを待つしかなかったのが、IL6アンプなどを抑制することで炎症そのものを縮小させる望みが出てきた。

いっぽう、感染しない、させないがやはり一番重要ですね。一人一人が巣ごもり、マスク、アルコールや次亜塩素酸などを適切に使って、コロナウイルスに隙を与えないことで、一人の力がみんなの力になり、コロナをやっつけることができると信じています。

ううむこの終わり方ばっかりだな。

ではでは。。。。

*今回記事は実はものすごい学術情報・業界用語あふれるむずかしい文献から、12歳のぼくでも書ける内容に、よくいえば噛み砕き平易に、悪く言えば適当にはしょっています。というわけで、以下のリンクもご覧ください(つまりこの記事の参考資料です)。

新型コロナウイルス感染症(COVID-19)はサイトカインストーム症候群である

https://gan911.com/column/2542/

https://www.asahi.com/articles/ASN5Q4GJ2N5FPLBJ001.html

https://wired.jp/2020/05/24/covid-19-and-t-cells/

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剣道、居合道、弓道:日本武士道から見た成功とは

剣道、居合道、弓道:日本武士道から見た成功とは

成功法則関連記事。調子に乗ってもう一本投稿します。

長い記事になってしまったので、一応ひとことダイジェスト:「成功達成の実践に向けどんなアプローチをしたらいいの?について書いています」。将棋の記事の姉妹編になりました。

日本武士の必須技能かつ教養だった剣術と弓術。江戸300年のうちに居合も発達してゆき、明治以降は「術」から「道」へ進化していきました。

「術」段階では、とにかく実用性が命。その実用性を決するものが「武器」です。中国的な言い方をすれば「器械」です。つまり、いかに製造目的に合った効果的なツールかということで、製造目的として「殺傷力」が重要視されました。

中国のいろいろな器械。出展は「中国武術・武器博物館(http://www.oriental-dragon.jp/)」

中国の場合はえげつなく無数の殺人器械が発明されましたが、日本の場合は武士のことを「弓取り」というように、弓、槍、刀。槍やなぎなたは今回取り上げませんが、弓、刀ともに戦国時代当時では世界最高の武器として発達していたと理解します。

素材の制約もあり、日本の弓はたぐいまれなる大弓となり。当時の命中率は世界最高だったらしい(現在は別)。日本刀も朝鮮出兵以前に倭寇などにより有名になり、中国器械でも「苗刀」という日本刀そっくりのやつが作られるほどでした。日本刀は日明貿易でも珍重された輸出品だったらしい。

といって、日本刀は刃筋正しく切らないとたちまち折れてしまい。戦国時代は切るより叩くだったようですが、それでもヨーロッパの大剣のように、力まかせにぶん回すというわけにはいかず。弓にしても、へんに長くしてしまったので、狙いを定めるべき右こぶしを視界がきかない右肩まで引く必要があり、狙いも矢と的が一致しないとか、まるで努力して当てにくく(狙いにくく)しているみたいになっちゃった。

つまり、日本刀や弓は、「熟達の士」でなければその性能を引き出せない、扱いにくい武器でした。一方で、正しく使えば無類の強さを発揮するため「刀(弓)法の鍛錬」が必要になってきました。

これが「術」の始まりで、「剣術、弓術」が盛んになり。

殺傷力を高めるには、弓の引き方、刀の振り方、といった使用プロセスはもとより、刀を振る人間自身が「本当にオマエは人を切り殺したいのか。切り殺せるのか。」という精神の鍛錬が必須であるということに気が付き。

「勝つってなに?」という問いかけを、24時間繰り返しているのが武士。

戦国の時はわりと単純で「敵方の武士を殺傷する」だったが、そのうち、殺していいのか?正当な理由のある勝ちとは?と悩むようになり。

弓矢が顎から頭を貫通してもがき苦しむ人。「平治物語絵巻」より

きれいごとではなく。自分の振り下ろした刀が当たり、悶絶して死んでいく人を目の当たりにしたとき「この人殺しは、納得できる理由があったのだろうか?」とだれでも悩むと思います。

人殺しの上に成り立った成功と繁栄。精神のバイブルとして、武士道という哲学が発達します(ここでの武士道は、葉隠的な峻烈なやつではなく、新渡戸稲造から現在の少年漫画に至る勧善懲悪的なものを指します)。

ここで、人殺しの術→剣術→人を殺さない道→剣道、に移行していきます。

刀を差すのは、戦国からの人殺しの記憶を保つため。刀の使い方を鍛錬するのは、技量を持つことで、殺すとは何かを意識するため。そのうえで「抜かずに勝つ」。つまり徳すなわち人望、人格で、流血沙汰になる前に和平に達する。

重く、扱いにくい日本刀を差すのは、刀の恐ろしい歴史・性質を魂に伝え、殺さない魂に進化するためです。

といって「国のため、主君のため、金のため」からはじまる「説明のつく人殺し」は時代が変わり正義の定義が変わっても人類滅亡まであの手この手で変異して存在してゆき。幕末に至っては、抜きまくり、死にまくりました。ははは

日中戦争でも「便衣隊100人斬り競走」とかありましたが、幸い世界は穏やかになり。「術」から「道」へなんとか転換できた、のでしょうか。

剣道、弓道、居合道の現在は。。。

人をぶったたく剣道も、ちゃんと竹刀と防具があり、殺すこととは程遠く。

ただ剣道の場合やばいのは、竹刀とはいえ人を直接叩きあっていることですよね。。。「剣術の技法にインスパイアされているけど、それは刀の使い方を稽古することで、刀の歴史・性質を振りかえるためだ」と考えてみましょう。一方、居合の稽古の帰り道、精神錯乱した人が刃物を振り回して周りの人たちを刺しまくっていたら、その時は居合刀でさくっと切り殺しましょう→となるかどうかは、この記事を書いているぼく、読んでいるあなた、みんなで考えてみよう。なあんて。居合についてはまた後ほど続きます。

剣道がヤンデレ化する危険性に留意したうえで、弓道です。

結論から言えば「武道に進化しきることのできた幸せな技能」と思っています。

もともとは、刀と同じく人殺しです。

「平治物語絵巻」ですが、この画像を発見したのは「KenさんのBLOGS:
http://crossroad3147.blog79.fc2.com/blog-entry-295.html」です。

 

でも、現在は「的」が相手です。

的です。人ではありません。

「くさじし」といって、鹿の形をした的とかもありますが、生き物を対象にしない選択、というものが弓道では許されています。

というわけで、ほかの武道から一歩進むことのできた、幸せな「アセンション武道」と理解しています。

さて、いよいよ居合ですが。。。

「人を切る想定をしない居合は、居合じゃない。刀踊りだ」という世界です。

居合の先生とロボットが斬り比べをしている動画を見ました。意外と長いので、詳しくはリンク(外部リンク)でご覧いただくとして、要約は

居合の先生(右)の動作をロボット(左)にインプットし、

先生がみかんを切るのと同じように

ロボットもみかんを両断。

ロボットがみかんをさくっと切っているところで、機械でないと居合はできないのだなと納得。これがみかんではなく、ハムスターだったら?先生は斬ることを拒むでしょう。自分の行為が刀踊りだと宣言する事になったとしても。

機械はスイッチを押せばハムスターをさくっと切り殺します。血も涙もなく。

では人間は居合はできないのかといえば、昔は刀を試す、あるいは単にたむわれで辻斬り、犬とかは稽古でさくさく斬っていたようです。血も涙もなくさくっと殺しができて初めて「抜かずして勝つ」ことができたのでしょうか。

居合が殺人武術から修身の武道になるために、あえて人斬りの想定はやめて「みかん」を切ることに専念したほうがよいのかもしれません。

最後に、しっかり見出しを覚えていて、武士道から見た成功とはなんなんだー!という人に:「牛を尋ね、そして仲良しになること」と答えておきます。ははは

このブログの著者はこんな人です。なあんて十年以上前の写真です

ではでは。。。。

Video sobre robô usando espada. O professor de Iai(caminho da espada) faz cortes com sensores no corpo. Robô, acoplado com sensor então aprende e repete o movimento.

Se Iai que não pressupõe corte real (ou seja, matar) não é Iai e vira dança de espada, então somente o Robô será capaz de dominar o caminho. Pois se laranjas da foto for um hamster? O professor recusará matar o bicho, enquanto que robô irá estilhaçar o animal sem piedade nem dó. Mas ainda assim acredito que budo (arte marcial) tem a sua razão de existir, pois das três virtudes da arte (Sabedoria, Coragem e Compaixão), compaixão deve prevalecer, assim o professor que decidiu não matar será o seguidor de bushido por ter sabedoria que robô não teve e coragem de ser chamado de “dançarino” para não matar o animal.

ttps://www.youtube.com/watch?v=O3XyDLbaUmU&fbclid=IwAR2JvbPJAJxkhq0wynLkysY8mzxMhNDjje0eR-I9yyAzBGbqnANKg7VIKBI

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日本剣道に見る成功法則のエッセンス

日本剣道に見る成功法則のエッセンス

意外に反響あった成功法則の記事。いろいろ具体例をあげて説明しましたが、要は「成功する原因が発生すれば、成功という結果が来る」。成功する原因はどう発生させるの?については、詳しくはこの記事をじっくり読んでいただくとして、一言で説明するとすれば、

「やるべきことを、やるべきときに」実行する、

これにつきます。

例によって剣道の経験から説明します。でも、リピーター読者のみなさんはすでにお分かりかもしれませんが、この説明は生活、仕事にも通用するものです。

剣道の大会では、優勝すること、勝つことが「成功」です。でも優勝という形での「成功」は一人しかつかめません。

で、成功できない大多数の選手が何をやっているのかというと、試合開始とともに猛然と竹刀を振り回す。あるいはひょいひょい逃げ回るだけで攻撃できない。ぽちんと小手に当てて逃げちゃう、など、要するにだれも「有効となる一本」を打てていないのであわれ敗退してしまうのです。

もうおわかりかと思いますが、この場合「有効となる一本」が「やるべきこと」です。

そして、有効となるならないの決定的なポイントが「距離」だったりします。剣道の世界では「間合い」と言いますが、こんな江戸時代の言葉を使うからかえってわからなくなったりしています。

要するに「自分の打突が姿勢正しく気勢鋭く気合充実して相手の打突部位にびしっと当たる距離」です。

でも、圧倒的に多数の選手が、当たるはずもない遠くから姿勢をめちゃめちゃに崩して竹刀を振り回しています。そのほうが安心だからです。

この「安心の罠」を乗り越えて、危険な相手の懐に飛び込み、自分の距離をつかんだ!「打つべき時に」「打つ」これができれば優勝です。ははは

理屈はすごく簡単です。ではなぜ「安心」に逃避してしまい、この簡単なことができないのでしょうか。

そこを説明しつくしたものに「日本剣道型」があります。一本目から七本目まであります(大太刀の型。別に小太刀のもある)が、特にエッセンスを詰め込んだのが三本目までで、一本目が距離(間合)、二本目が正中線、三本目が中心、そしてこの三本がセットで根幹となっていますが、距離だけでも十分成功達成について理解可能、ということで、いってみます。

日本剣道型 一本目

図解のために、以前の記事「床に聞きなさい」で登場した「ぴよちゃん(左)」と「おじいちゃん先生(右)」に再登場してもらいます。剣道人でなくてもわかりやすいよう、絵柄や説明はかなりデフォルメ?しているので、ご了承を。

さて、剣道型一本目は、中段で切っ先3寸が交わるところから両者5歩小さく後退してスタート。上記の図の状態です①。

想定としては、何らかの理由で切り合いになったが、できれば流血を避けて、相手に「参った!」と刀を引かせたい。しかし、どちらも降参の意思はなく、拮抗した状態が上の図です。

さて、「負けたくない!斬られたくない!死にたくない!」のプレッシャーに耐えられなくなってきたぴよちゃん。中段でのプレスの掛け合いに堪えられず、「強いんだよ!降参した方がいいよ!」とおじいちゃん先生に脅しをかけます。これが下の図。

左足をぐっと前に踏み出し。上段に構えます②(左諸手上段)。

なにげに中段に構えていたおじいちゃん先生は、「ぴよちゃんぜんぜん怖くないよ」と、なにげに右足を踏み出し、自然に「右諸手上段」に構えます③。(下の図)

おなじ上段でも、炎のような、でもカラ元気でハッタリの、大げさなぴよちゃんの上段では、おじいちゃん先生の穏やかで控えめな、でも自然で隙のない上段にすでに負けており。

でも降参できないぴよちゃん。えーい!ままよ!とおおきく踏み出し、おじいちゃん先生の頭(実際は拳)を狙って、大きくふりおろします。「やー!」

④この図がエッセンス

空振り。ほんの少し後退し、小手を上げてなにげにぴよちゃんの打ちを抜いたおじいちゃん先生は、大振りで前のめりに体制を崩し、動けなくなってしまったぴよちゃんの、がらあきになった頭の5センチ上に、上段から刀を振り下ろします。「とー!」⑤

勝負あった!

おじいちゃん先生は、そのまま切っ先を下げていきます。たまらずぴよちゃんは後ずさり。おじいちゃん先生の太刀の切っ先はぴよちゃんの眉間のすぐ前で止まります。⑥

勝負あった!

おじいちゃん先生は、さらに上段にのびて、勝ちを知らせます⑦。

くどいぞおじいちゃん先生!

流血沙汰にならず勝負がつき。両者中段に戻ります⑧。

おつかれさまでした

一本目の学び:「距離を間違えると、姿勢を崩すほど踏み込んでも勝てない」

すごいシンプルですね。でも、エッセンスの図④を見ると、ぴよちゃんとおじいちゃんの間の距離はおんなじ(一定)で、有意な身長差があるわけでもありません。じゃあなんでぴよちゃんは空振りして、おじいちゃん先生はさくっと当てたのでしょうか。

その秘密が①から③までに凝縮されています。つまり、距離といっても人と人の距離なので、体格差以前に、かつ同じ距離でも、勝っている人の距離は適正であり、負けている人の距離は遠くなってしまっているのです。つまり、物理的な距離ありきではなく、勝って距離を引き寄せることが重要であり、これを剣道では「技前」「打って勝つな、勝って打て」と教えています。

さて、竹刀剣道の大会だと、打たれても負けちゃった、ですみますが、これが「竹刀の代わりに真剣で、防具はなしね」という大会があったらどうでしょう。

優勝した人だとしても、指の1本や2本はなくしているでしょう。胴を切られて、腸をはみ出させてもがき苦しむ人、脳天を割られて地面を這いずり回る人、斬り落とされた自分の右手を左手でつかんで、茫然と眺める人。。。。など、まさに凄惨な場面になると思います。

もちろんそんな大会なんてないし、あっても誰も参加しないでしょう。ははは

でも、言いかえれば、竹刀だったら斬られて血まみれ、もがき苦しまないからいいや、といい加減にテキトーな技を繰り出し、真剣だったら絶対やらないようなその場のノリで竹刀をぶんまわし、勝った!ラッキー!、負けた!家帰ってラーメンにしよっと、となっていないでしょうか。くどいですが、真剣だったらラーメンどころか自分が刺身になっているところです。

そしてまさに死屍累々の凄惨な修羅場を生き残ってきた人たちが後世に伝えてくれている「絶対負けられない真剣勝負で勝つ鉄則(成功の法則)」が剣道型だったりします。

理屈として「刀の届かない距離から切ろうとしても豆腐一丁切れません」なんて言われなくても明らかですよね。。。

でも、真剣をもって構えあったとき(成功が必要だ!生活がかかっている!というとき)、この正しい距離から撃つ。「やるべきときに、やるべきことを」ができる必要があるのです。

できなければ死にます。

江戸時代の人たちが型稽古をやるときは、まさに「これが真剣だったら」と恐怖におののきながら練習したことでしょう。その集大成である日本剣道型も、真剣勝負を想定すればへたな竹刀稽古よりよっぽど勝負に強くなる稽古になるのです。

もしぴよちゃんの立場だったら?そして、おじいちゃん先生のように、おだやかに勝つことができるだろうか?と考え抜いて、稽古した結果、そうか、この型にでてくる攻め合いは、結局「距離の獲得」を体得するための道を示していたんだ、と気づきます。

これは理論を理解したということではなく、生存のための法則を体得した、ということです。

「距離」という言葉は誰にでもおなじ意味を持ちます。でも、その言葉の意味を本当に体得しているかな?自問する日々です。日々修行ですね。。。。。

最近、わかりやすく成功法則を説明するサイトなどすごい情報源がたくさんありますが、インスタントに理解できた!という罠にはまらない必要があると思います。

「しかり、成功への道はある」。でも眺めているだけではだめで、試行錯誤しながらも進んでいく必要があるのです。竹刀剣道みたいな場面では、どんどん打たれて学びましょう。そして真剣勝負の場面では、絶対勝つ勝負だけをしましょう。

というわけでおしまい。

ふふふ尻切れとんぼだったかな?えらそうですみません。ではでは。。。

Posted by 猫機長
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抗体と免疫:新型肺炎の重症化を分ける鍵とは

抗体と免疫:新型肺炎の重症化を分ける鍵とは

さて、前回では「集団免疫」の獲得が新型コロナウイルスの蔓延を防ぐ唯一の手立てであることを書きました。

そして、集団免疫の達成は、ウイルスを撃退できる抗体をいかに人口の大多数(諸説あるが80%くらい)が獲得できるかにかかっています。

というわけで、識者の考察から市井の人々の単なる想像も含んで、多数の議論が交わされています。

◎とにかくどんどん感染して、軽症で直しちゃった方がいい。そうすれば人口の80%にとにかく早く達し、するずると感染動態を長引かせるよりましだ

◎医療崩壊はダメ!絶対!感染者数の爆発をあらゆる手段で防がなければならない。時間はかかっても集団免疫は獲得される。

この両極端の間に無数の選択肢が議論されているのですが、そのすべては、いかに集団免疫を達成するかを目標・根本としています。

では、集団免疫が達成されれば新型肺炎の流行は阻止できるのでしょうか。

実は、できない、というショッキングな事実が明らかになってきました。

すみません、正確に言えば「集団免疫が達成できれば阻止できるが、そもそも集団免疫が達成できるかがあやしい」です。

免疫があれば病気にはかかりません。

免疫の基礎となるのは抗体です。

というわけで、ふつーの感染症であれば、抗体があれば免疫がつくられる、ので、例えば結核への対応(予防)としてBCG注射で抗体を作ります。

問題は、COVID19があまりフツーでない挙動をしていることが明らかになってきたことにあります。

COVID19だけ、ということではなく、SARSなど複数のウイルスにもみられることだそうなのですが、COVID19は「抗体に対する反応がまちまち」という恐ろしい性質が確認されてきました。つまり

◎新型コロナでも抗体が高い人に重症化例の報告が複数でてきた

◎抗体検査で抗体があっても免疫として機能しない可能性がある

など。

つまり、抗体が「中途半端・不完全」あるいは「過剰」に作用して、抗体がない人だったら自覚症状もないままにウイルスが抜けていっちゃうはずが、抗体があったばっかりにウイルスとの過剰反応を引き起こし劇症化してしまった、という実例がすでに発生しているらしい。

抗体よりも、ウイルスの方が変異を重ねて、抗体を凶悪化の引き金とするような変化を遂げてしまっているのかもしれません。

ここまでくると、以前「コロナウイルスの隠れた凶暴性」で引用した感染症の権威であるお医者さんの言葉に今更ながら回帰しているとの印象をぬぐえません。詳しくはこの記事を読んでいただくとして、ポイントは

「変異が怖いから、拡散する前に封じ込めること」

「一旦コロナに感染して、なおった、という人でも再び症状があらわれているケースが最もやばくて、これは単にウイルスが残っていて再び勢いを盛り返しただけか、あるいは人の免疫システムをウイルスが学んで、この免疫システムに耐性のある新たなウイルスに変化しつつあるのか、などが全く分からない」

につきると思います。

でもすでに世界中に拡散していますよね。この文章を読んでいる人、書いているぼくも、感染していないとは言い切れない状況だと思います。

もう一つ、スペイン風邪の例を見る通り、2回目の流行が一番凶悪となることが予期されます。この場合、すでに感染して抗体を持っていた方がよいのか、関係ないのか、抗体がないほうが感染しても軽微で済むのか全く分からない状況です。

ではどうするのか?

1-巣ごもり、手洗い、ドアノブや靴の洗浄で新たな侵入をシャットアウト

2-体調を整え、ワクチン(予防)あるいは特効薬(治療)の出現を待つ

しかないし、実はこれができれば十分だったりします。

パチンコとか飲み会とかに行かなければよいのです。買い物は買い占めにならない範囲で回数をセーブしましょう。

いまだ得体のしれない新型コロナ肺炎のウイルスが蔓延する飲み会や会社の行事に「7-8時間で急に悪化、死んじゃった」という病気になることを覚悟で参加するのか、あるいは参加強要する会社をハラスメントで訴えるか。いずれも苦汁の選択ですね。。。。

さて、新型コロナの場合、集団免疫が「達成されたとしてもそれで解決と言えない症例が多数発生する」ことを見込んだうえで、やはりワクチンには期待すべきと理解します。そして、クロロキン、レムデシビル、血液凝固防止剤など、関係あるのか?民間療法レベルから、本物の特効薬が開発されるまで、感染しようが、何度再発しようが生き抜くぞー!の覚悟が必要ですね。

人類の英知がウイルスの全貌を解明する日はそう遠くないと考えています。それまでウイルスとの攻め合いに負けないよう集中を維持して、みんなでのりきろう!(最後は剣道用語になっちゃいました、おそまつさま)

Posted by 猫機長
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ラーメンのない10月

ラーメンのない10月

健康診断の季節。コレステロール過多で航空身体検査が受からなくなっちゃったら大変なので、パスタや肉を控えた「ラーメンのない10月作戦」を開始します。

要は野菜などで健康診断前の一定期間をしのぎました。レタスやキャベツはもとより「ふえるワカメちゃん」が威力を発揮。きゅうりもなかなか活躍し、味噌といっしょにとか、単に塩をふって、など変化につとめました。あと朝鮮漬もよかった。炭水化物は日本そばでがまんしました。

キムチ、わかめ、きゅうりに日本そば。
アジアの伝統食はやっぱり健康食ですね
でも、本当はこういう付け焼刃のその場しのぎではなく、普通に食べたいものをお腹いっぱい食べて自然に健康、であるべきと思います。意識的にほしいと思うものが、無意識に必要としているものと合致している、という境地(Spiritual S1.6)ですね。自然にこういう状態になれるよう修行していきたいと思います。

肉体と精神が調和された境地を示した仏教の「十牛図」(Spiritual S1.6)

で、血液採取が終わり、検査値が気にならなくなったので、さっそくラーメンを食べています。ははは。。。

いちおう基準内におさまりました、中性脂肪対策とかはまた別の記事にします

Posted by mobilizze
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ブラジル移民110周年

ブラジル移民110周年

典型的な移住者家族(blog26)のお話し。

ブラジルへの移住から何年たったか、夫婦と娘2人の4人家族、不作続きながらなんとか今年は借金も返済できる、というところまで来たとき、下の娘が発熱。どんな病気かもわからないままあっという間に危篤になってしまい、うわのそらで「お父さん、おしるこ」という言葉を繰り返す状態に。はっと、娘が日本を出発するまえの最後の団らんのことを思い出していることに気づいたお父さんは、しかし餅も小豆もなく、どうしようもなくGroselha(ブラジルの赤くて甘いジュース)にチーズの切れ端を入れて娘に。もはやほとんど目も見えない状態の娘は、一口入れるか入れないか「おいしいね」の一言も言い切れないまま絶命。

お餅みたいなのは丸いチーズ
その後お父さんは大農場主として大成。しかし死ぬまでおしるこは食べず、娘の命日はただ先ほどの「Groselhaしるこ」を見据えて涙しながら過ごしたそうです。

この話は、戦前の移民、戦後の移民の話でもあり、また戦前の日本の農村(SpiritualS1.9)の話でもあるとともに、現代のシリアなど難民、難民と一緒にするのが嫌だというのであれば、日本に出稼ぎに行った日系人の家庭の話でもあります。満州引き上げやシベリア抑留、空襲・原爆など日本の過去が世界で繰り返されないよう語り継ぐ記念の日として投稿します。

「おしるこ」の材料。左がチーズ。右が粉末のGroselha
ちなみにシベリア抑留ですごいサイトがあったので共有。

「旧ソ連抑留画集」http://kiuchi.jpn.org/nobindex.htm

ではでは。。。

Posted by mobilizze