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リーマンリートリバランス

コロナ禍勃発から1年。ちょうど去年の今頃は金融市場でサーキットブレーカー発動だ!と暴落相場で優良リート(不動産投資信託)買いあさりに血道をあげていましたが、今年は暴落後の「にせV字回復」つまりドルに換算したら底のままL字(つまりそのぶん為替が下落した)で推移した後、さらに下落基調になっています。悲しいな

2020年3月大暴落からの推移。SPXつまり米SP500は緩やかなV字。ブラジル(EWZ)に至ってはV字になりたいけど実はL字で底のまま推移。

出展https://media.seudinheiro.com/uploads/2020/09/grafico-richard.jpg

一方、それは、銘柄によってはDY(配当率)が向上しているということでもあり。つまり元本(と1株)あたりの市場価格は暴落したけれど、実体経済上で配当を維持できた銘柄は、同じ投資額で得られる配当の金額が上がったということです。

数字で説明

コロナ禍以前に1株100円で、一株当たりの配当5円の株のDYは5÷100=0,05%

コロナ禍で株の値段が暴落だ!1株50円になったが、Eコマース部門の銘柄だったとかで事業はコロナの影響を逃れ、配当は5円のまま継続。この場合のDYは5÷50=0,10%に倍増だ!

この例では、コロナ後、100円の投資で配当が10円もらえるようになったということです。

つまり、現金を持っている人は、割引値段でリートを買える好機到来である。

(*ブラジルのリートです。日本は別ですが、ここでの情報は、いつかは日本でも役に立ちますよー)

ぼくは貧乏で現金がなかったので、すでに持っているリートのリバランスで対応することにしました。

で、現金化に選んだのが、ホテル業のリート「FLMA」

このリートはなかなかおつなやつで、天文学的暴騰をしたときに売ってキャピタルゲイン獲得→高配当リートに買い替えした履歴があり。

今回は天文学的暴騰ではないが、コロナ禍で配当激減、ここ2年はホテル業はもとに戻らないだろう、というところで、リバランス候補になってはいた。

でも、買い替えしても買った方のDYがやっぱり低ければ意味がないわけで。とりあえず様子見でコロナ過から1年のんびりしていました。

この期間に、なかなか有望であることを証明したのがFOFすなわちFund of Funds。

これはリートだけれど、直接不動産に投資するのではなくて、他のリートを買いまくって、その配当を株主に分配すると言うものです。

あれそんなんで儲かるの?

これも数字で説明。

とあるFoF、BRFF11があったとします(実在します)

このリートは、下記のリートを購入して、その配当を収益にしています

FII AESAPAR

FII BB PRGI

FII BC FUND

FII GALERIA

FII RIOB RC

FII RB CAP

FII RRG

FII CSHGSHO

FII CSHG CR

FII CSHGJHS

FII CSHG LO

FII HG REAL

FII SHOPJSU

FII KINEA

FII POLO CR

FII RB GSB

FII SANT AG

FII SDI LOG

FII SPA

FII SP DOWN

FII TBOFFIC

FII BM THER

FII OLIMPIA

FII XP MACA

ううむすさまじい数の銘柄だ。

問題は、これらの銘柄の一つ一つの配当を得た時点で、すでにその配当の管理費が引かれてしまっているということである。

そして、これら各銘柄の配当をかき集めて、BPFFの配当に一本化し、BPFFの株主に対する配当として再分配するときには、当然ながらさらにBPFF管理会社が管理費を差し引きます。

というわけで、事実上2回管理費が引かれて、株主の手元に残る配当はかなり減少しちゃうのでした。

FoFはあまり玄人受けしない種類のリートだったのは事実である。

ところが、コロナ暴落が起き。

個人投資家が保有銘柄の元本激減をなすすべもなく見守っていた時、FoFは、企業として持っている豊富な現金で、暴落した優良株を買いあさっていたのです。

結果どうなったかというと、「安く買って配当は下がらず」つまり、FoFのDYもぐんと上がったのでした。

さらに、この期間FoFがのきなみ「株数増発により増資」を行い、しかも増発した株の1株当たり価格を低く抑えた(資産上の本来の価格より低くしたのもある)ので、FoF自身の1株当たり額面も減少して、これもDYを向上させた。

BPFFの場合

2020年5月29日 1株当たり価格R$97,99、DY0.51%

2021年2月26日 1株当たり価格R$79,00、DY0.72%

DYが0.7%を超えた段階で、FLMAを売ってBPFFに取り換えることを決意。

ちなみにFLMAのDYは2月で0.3%ですから、買い替えによって投資格当たりDYは事実上倍増したわけである。

その結果。。。

残念ながらこの売買に係る税金もはんぱなく、売った金額全てを買い替えには使えないなどあるのですが、何とかこの買い替えにより月収でR$938すなわち17,822円上昇。

以前、同じくFLMAを組み替えて月間3万円の配当増を達成したことを「バブル爆発!」の記事で書きました。

今回と合わせて4万7千円の月収増加。

今回は「リバランスつまり買い替え」がお題ですが、「コロナ暴落で獲得した配当増」で別途月収2万円増達成しているので、マネーゲームのみで得た月収増は総額で6万7千円。年額で80万円となります。安アパートの家賃ぐらいだったらまかなえるかも?

でも、一番重要なのは今後配当が維持するかだったりします。

BPFFの場合、DYは今後下がるであろうことが予見されます。だって元本がディスカウントされまくっている状況で買ったんだもん。でも、それは元本価格(資産額)が今後上がるということでウエルカム。

懸念は、DYよりも、物理的な配当額が減少にならないかどうか。今後ブラジルでも金利増が見込まれ、リートは元気がなくなることが予想されるのですが、これも元本市場価格の話で、FoFとしての収入源となっている諸リートの業績悪化がなければ維持していくであろう、と期待しています。ううむコロナ禍の趨勢が影響するな。。。。

FoFのいいところは、実質的にインデックスファンドになっているところ。かつ、個人ではなかなか苦しい機動力で、FoFの管理会社がどんどんポートフォリオを組み替えていけるので、結局「管理費2度払い」でも十分ペイする配当を叩き出せること、かつブラックスワンのような緊急事態で意外と打たれ強いこと、が明示されました。

というわけで、ぼくもFoF第1弾としてBRFF,うまくいくようであればもう一銘柄買おうと思っています。2銘柄にするのは、いつぞや書いた「スピットファイヤとハリケーンのたとえ」の考え方に従ったものです。

シャンプーとリンス、じゃなかったハリケーンとスピットファイア

一方、FoFの要注意なところは、管理会社によって業績に差が出るところ。

例えば、とあるFoFでは、DYが0.5%で推移しているのに、別のFoFではDYが1%近いぞ!というときに慌てて後者を買ってしまうと、2,3か月後に後者の配当が激減!なんてことがあり得ます。

これはどうゆうことかというと、DYの低い方は、真面目にリートのみポートフォリオに組み込んでいたのに比べて、DYの高い方は、リート購入は申し訳程度で、大半の資金を実はオーバーナイトみたいな超短期投資につぎ込んでいた等があり。こういう超短期投資は、うまくいけばすごい利益が出るけど、長期的にはいつかこける時が来るので、その時にDY激減!泣くぞ、となります。

さて、資産1億もいいけれど、やっぱり「毎月30万円は再投資できる不労所得」が重要ですよねー。

ぼく個人の例で恐縮ですが、現時点での不労所得は月額45万円くらい。というわけで、不労所得だけでも、生活費を差し引いたうえで「毎月30万の再投資」は何とか出来るけれど、コロナ暴落で相応に減少しており。なかなかリーマンをやめる気になれません(うまく会社の方で早期退職制度とか作ってくれないかなーとかは思っています。クビにするなら受けて立つぞ!)。

一方、今回のリバランスで月収1万7千円増加を達成し、コロナ暴落で減少した分を多少ながらも巻き返して、完全リタイアに月収1万ちょっとながらも近づいたぞ、という安堵はあります。1年365日、千里の道もあと一歩、ですかね。

ではでは

365日のマーチ。蘭寿とむではありません。

 

Posted by 猫機長
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国民不在の「国策」強行:戦前の悪夢再び

まず、これまで皆様からのたくさんな「いいね!」、コメントや励まし、ありがとうございます。

今回の記事は、ちょっと内容が深刻で、いつもの明るい記事を期待されている皆様に提示させていただくには気が重いのですが。。。

でも、今のうちに書いておかなければ、国民による必要最小限の意見交換もなされないままに、国家権力により強権的に「国民が望んでいる」と、既成事実化(すり替え)されてしまうと思い、あえて投稿させていただきます。

なお、ぼくは共産主義者ではないし、特定の政党や政治勢力を支持する意図はありません。書かれた内容は、個人的な見解であることを予めご了承いただければ幸いです。

さて、今回、お題はスポーツですが、内容は日本の政策指針についてです。

「しんぶん赤旗3月12日号」に以下の記載がありました。

『NHKが毎月実施している世論調査の東京オリンピック・パラリンピック関連の設問が、従来の3択から4択に変更されていた。

昨年12月の世論調査の設問は、「東京五輪・パラリンピックの開催についてどう思いますか」として「開催すべき」「中止すべき」「さらに延期すべき」だった。

今年1月調査も3択を踏襲。

ところが今年2月、3月の調査は、「どのような形で開催すべきと思いますか(A)」と、開催を前提に設問。

2月、3月とも、「これまでと同様に行う(B)」「観客の数を制限して行う(C)」「無観客で行う(D)」「中止する(E)」に変更されていた』

日本の指導層は、国民の総意がオリンピック開催には前向きと言えない姿勢であることを察知して、世論調査の軸足を変更するという挙に。

これまでは、①開催、②中止、③延期、だったのに、知らないうちに(A)開催、(B)開催、(C)開催、(D)開催、(E)中止、と根本的な判断基準(前提)を変更してしまい。特に「延期」を考えた人がオプションを抹消されて、有無を言わさず「開催」と答えるを得ない状況に誘導してしまっています。

思慮深い人、優しい人が、選手の気持ちや経済面で打撃を受ける市井の人々のことをおもんばかり、なかなか「中止」とは言えない心理を利用して、知らないうちに、ずるずると「開催」に持っていこうとしていないでしょうか。

1930年代に、当時の日本政府は正式な宣戦布告もないまま中国と戦争を開始し(中国側も、中立国からの武器輸入などの都合で宣戦布告をしない方がトクだったので、お互い様ですが)、本当は絶体絶命の危機なのに、うまくいっています、勝っています、日本は優秀です、と、国民が知らないうちに、ずるずると戦争の悪夢に引きずり込んでしまい。収拾のつかない泥沼にはまり込んだあげく、「あいまい、ずるずる」を許さないアメリカに原爆を落とされたことは、もう記憶から消え去ってしまったのでしょうか。

ぼくはブラジルに土着化した部外者になってしまいましたが、もし日本にいたら

「日本政府は、開催のYES、NOを問いかける調査を改ざんして、YESとしか答えられないように誘導している。民主国家の国民として、このような政府の改ざん、隠蔽は許さない。政府が「開催」を強行しようとする以上、この開催には政府の不純なる動機が潜んでいると判断せざるを得ない。このような疑惑について国家が国民に説明し、国民の了解を得ない限りは、国民は「中止」を要求する」

くらいは言うと思います。

表面上は「志願」としておきながら、YESとしか答えられない状況に追い込まれた特攻隊のような事例は、2度と繰り返してはならないと考えます。

外国の意見を、外国にいる身で聞いた見解は

◎COVIDは世界中で猛威を振るい、世界中で必死にワクチン開発と導入を行っている。

◎しかし、導入に急ぎすぎて、重篤な副反応により、ASTRAZENECAが欧州8か国において接種中止など発生してしまった。要するに、世界中の人々が事実上の人体実験も辞せざるの情況に落ちいっている、未曽有の危機である。

◎それなのに、日本は何事もないようにオリンピックというお祭り騒ぎを強行しようとしている。副反応で亡くなった人、ADEで亡くなっている人、世界中の医療崩壊で、そもそも入院できずに亡くなっている人。生き残っても(軽症でも)後遺症に苦しんでいる人。そういった人たちは、日本にとっては存在しないのか。日本では、すべてがうまくいっています。だれもCOVIDで苦しんでいません。オリンピックで楽しくお祭りしましょう、という考えなのか。

◎オリンピックにつぎ込む莫大な金額は、医療、COVID対策に回すべきではないのか。

◎日本の選手は、そんな状況でメダルをもらって嬉しいのか。日本の国民は、世界中が苦しむ中で開かれたオリンピックを、「苦しいからこそ、みんなの励みになるために開催したんです」と開き直るつもりなのか。

たしかに、選手たちが極限まで研ぎ澄まされた技術や体力で、メダルを競う、というのは、なるほど見る人を勇気づけると思います。

問題は、「COVIDがあるけど、でもやります」と、「でも」の一言でCOVIDを打ち消し、COVIDで苦しむ人たちを無視して開催することで、それがいちばんよくない。

COVIDがある状況だからこそ、COVIDの感染をシャットアウトした状態で、COVIDに苦しむ人々に希望与えるために開催する、という姿勢が必要だと思っています。

つまり、やるのであれば、

「唯一のCOVID予防策であるソーシャルデイスタンスを徹底した、無観客の遠隔方式(ただし映像は世界中に配信)」

たとえば

◎陸上、射撃、アーチェリー、乗馬、競泳など、個人競技あるいは一人で完結できる競技を、各国の選手がそれぞれ自国で、時差もあるけれどなるべく同じ時間にIOC立ち合いで個別に競技を行い、この模様は世界に生中継で共有する。その結果、最も好成績(最短タイム、最高得点)を得た人がその国においてメダルを貰えばいいし、勝たなくたって、「競技をおこなったことそのものが、コロナ禍で苦しむ人たちへの応援」になる。

◎団体競技や、対戦相手同士が直接対峙・接触する形式の競技(柔道やレスリングなど)、競輪など2台以上の自転車が駆け引きを行うような競技は苦しいですね、やらない方が良いのでは。一方、上記の個人競技のように、1台づつ各自の国で出走してタイムを計測、という形ならできるかもしれないし、剣と防具で距離を保てるフェンシングは別かもしれません。

◎もちろんすべて無観客です。一方、各国で各選手が競技している姿を一括して映像配信すれば、画像としては通常のやりかたとそれほど変わらない形にできるかもしれません。巣ごもり中の人々に提供する大切な画像になると思います。

などがあるとおもいます。

言ってみれば、各選手が自国に巣ごもり状態で競技する「在宅オリンピック」。

TVなりスマホなりに下の絵のような画面が出てくるとか。いずれも、東京での朝9時に該当する現地時間です。

気温、湿度、風速・風向などで競技結果に影響が出るが、度外視。

勝つことが目的ではない。

まさか「東京オリンピックじゃなくなるぞ」なんてクレームを出す人はいないですよね?

今の事態では、東京だの北京だのなんてもう関係なくて、「競技によって、病苦に苦しむ人々に勇気を与える」ためのオリンピックですから、各国で競技者が自らの限界に挑んでいる姿を、世界同時中継で配信するその総括を東京でやります、くらいで十分すぎるじゃないですか。

個人的見解で、もちろんこの考えに同意しない人の意見も尊重します。一方、こうした意見も書いておかないと、結局「日本国民は総意で喜んで太平洋戦争に突入した、じゃなかったオリンピックを開催した」と言われてしまうことになるし、はっきり言って、当時の大多数が戦争なんか望んでいなかったように、政府が押し切ろうとしている形(言い換えれば、無観客なのかどうなのかなど重要な要素がうやむやのまま、ともかくにも開催すればいいという形)でのオリンピックは国民は望んでいないと思っています。

*3月2日時点での日本トレンドサーチ・東京オリンピックについての調査では「55.9%の方が「開催しないでほしい」」との結果が出ています。

https://prtimes.jp/main/html/rd/p/000000299.000044800.html

ではでは。。。。

 

Posted by 猫機長
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オリンピック考

2月初め時点で東京都の1月の新型コロナの感染者について、Response.jpの報道によると3万9664人となり、月単位では昨年12月の2倍を超え。

日経新聞とテレビ東京が1月29~31日に実施した世論調査でも、非常事態宣言の延長を求める回答が「9割」に達したらしい。宣言発令の時期を巡っては「遅すぎた」が79%、「適切だ」は14%、「宣言を出すべきではなかった」はわずか5%だった。

今夏の東京オリンピック・パラリンピックの開催については、感染拡大が続くなら「中止もやむを得ない」が46%、「感染対策を徹底したうえで予定通り開催すべきだ」はわずか15%にとどまった。

との報道がありました。(全文はhttps://response.jp/article/2021/02/01/342698.htmlご参照)

アスリート側の見解としては、number.bunsyun,jpで2000年のシドニーオリンピックから3大会連続で出場した陸上選手の談話が載っていましたが、要約は

◎開会式や閉会式はなくてもOK。競技さえきちんと成立していれば、開会式や選手村は大きな問題ではない。

◎オリンピックというショーは”メダルを取れる可能性のある選手たち”が出れば成立する。

◎オリンピックに選手が求めるものは「名誉」。それは強敵に勝たないと得られない。つまり、強豪国、強豪選手の全員参加は必須。

◎もう一つ選手が求めるものは「観客」。選手は観客の存在に無意識下ですごく影響を受け、”奇跡の一瞬”みたいなものは、だいたいが観客と選手との不思議な関係の中で成り立っていたりする。

となっている。(全文はhttps://number.bunshun.jp/articles/-/846913ご参照)

もちろん、観客となる市民の意見も人それぞれ、選手の意見も人それぞれでしょうが、上記が大体の最大公約数かなと思います。

ぼく自身は、最近まで、「これはアマチュアスポーツをゆがんだ形で利用してきた権力への、神の罰だ。コロナ禍を機会に当面中止。営利そのもののショービジネスに転化してしまうくらいなら、廃止した方が良い」と考えていました。

でも最近は、オリンピックが選手同士で極限を「試し合う」場としてなら、開催するべきと考えるようになりました。コロナ鎮静化までは待つべきと考えていますが。

現在のオリンピックを象徴する写真があります。

出展 https://number.bunshun.jp/articles/photo/846913?pn=3 ©Getty Images

政治家がニコニコと笑って旗を振っています。

オリンピックは選挙運動だったのか?政治家は裏方に徹するべきであって、こうした場面で旗を持つとしたら、文化人や芸術家、往年の選手、そういった文化面での日本の代表者であるべきと思うのです(ぼくは「ふなっしー」を推薦します!旗持てないか?)。

日本が本当に貧しかった戦後は、オリンピックでメダリストが出るたびに、国民も「ぼくたちも勝利できるんだ!貧困、欠乏を回復できる力があるんだ!」という希望でいっぱいになり。

そういう希望をもたらすという意味では大切だった。

1964年東京オリンピック。TVは白黒でした

しかし、勝ちたいばかりに、恐ろしいゆがみも生んでしまい(人の命が軽すぎる)。

「東洋の魔女」の時代は、とにかくシバかれ、拷問を生きのびた選手のみが五輪に参加でき。負けて監督の平手打ちを食らうのがいやなばっかりに、五輪という修羅場で体力的に数段上の相手を圧倒した(勝てばビンタ程度ですんだ)。

ぼくが子供の頃、女子バレー日本代表チームがブラジルまで親善試合に来ましたが、女性選手を罵倒しぶん殴る日本の監督に、ブラジル人観衆は「虐待だ」と戦慄していました。一方、ブラジルチームの方は、みんな好き勝手にぺちゃくちゃ、監督の言うことなんてろくに聞いていない、就学旅行みたいな感じで、ストレート負けはしたが、どちらがスポーツかというと、ぼくはブラジルだと思います。

戦時中の悪夢のような軍事教練を持ち込んでいた、当時の日本チームのあり方に、ぼくは賛成することができません。

さいわい日本は裕福になり。女子バレーも「楽しさ」「人権」が優先されるようになったと理解します。それで負けたっていいじゃないですか。

人権無視の軍隊教育で勝つような国は、北朝鮮を最後に消え去ってほしいと思います。

なぜ北朝鮮や、かっての日本のようなチームが存在できるのでしょうか。それは、政治家から見れば、「オリンピックで勝つ強い国」とセットで「その国の優秀なリーダーである証明」がお手軽に得られるからです。

アスリートは極限まで使いつぶし、自分はぽてちでもつまみながら観戦して、金メダル獲得するごとに、自分の票固めができるぞ!こんなうれしいことはないですよね。

国民がオリンピックに熱狂することは、産業界にとってもお得であり。1億日本国民がオリンピックに殺到するわけですから、ビジネスとして利用しないわけにはいかないですよね。

こうして政経一体となったオリンピック騒ぎが生まれ。この悪だくみに踊らされて国民がますます搾取される図式が出来上がります。

でも、オリンピック景気で日本は発展しなかったっけ?発展しました。オリンピックのすべてが洗脳・搾取とは言いません。

でも、オリンピック以前に、国が人口ボーナスの発展期にあったからこそオリンピックが成功をもたらしたという事実があるのです。

オリンピックなんてあろうがなかろうが当時の日本は大発展を続けていた。そこに、オリンピックを契機とした大規模事業、交通網の整備、メディアの発展があり、成長の触媒にはなった。一方、経済が苦境にある国でオリンピックを開いても、その場限りの特需景気が起きるだけで、祭典が終われば無用の長物化した巨大スタジアムなどが残るだけです。

ブラジルのマナウススタジアムが好例で、オリンピック後は誰も使ってくれないので、「いっそ刑務所にすれば、ブラジル中の政治家を収容しても余るスペースがあるぞ」なんてジョークのネタになったりしています。

白い巨象。マナウススタジアム

https://besthqwallpapers.com/Uploads/18-1-2019/77775/thumb2-amazon-arena-aerial-view-football-stadium-hdr-soccer.jpg

ほんとうに裕福な国の人の意見では

「あれはミスユニバースと同じで、貧しい国に勝たせてあげて、希望を持たせるのが重要だね。先進国は 選手のおかれた環境がいいから勝って当然だけど、無理な勝ち方なんてしなくていいし、国民もそんなことは求めない。まあ四年に一度の風物詩みたいなもんだね」

だって、オリンピックで誰が勝とうが、コロナの特効薬ができるわけでなし。十分満足な生活ができている先進国の人にとって、オリンピックとは、せいぜいアーチェリーだのボブスレーだの普段接しない新たな文化を教えてくれる有益なテレビ番組、程度でしかないと理解しています。

さて選手側の見かたとして。

もちろんオリンピックに比べてはるか下のランクですが、僕もしがない「古流剣術選手」として、ブラジルでの全国大会に数度参加してメダル頂いた経験があり。全剣連剣道と違って観客があけっぴろげに熱狂できる環境だったので、面が決まった!瞬間、どどどどー!と床が振動しまくり、おおおおー!と観客が大騒ぎする。もちろん選手同士は互いに配慮してガッツポーズとかは無しですが、観客の熱狂は悪い気はしませんでした。

写真は全国大会ではなく、日本のとある大学との親善試合です。

背中を向けているのが僕です。かっこわるいな、ははは。。。。

でも、それが目的でもないし、別に観客なんてなくても、それよりブラジル中の二天一流剣士が集まり、面小手の竹刀勝負で研鑽度合いを文字通り「試し合う」得難い機会において、自分の納得する面が打てるかどうかが、なにより大切だった。

というわけで、無観客試合でも全く問題ないですけどねーでも冒頭のアスリートは「観客に元気頂いています!」だそうで、オリンピックはその点ちがうのかな?

3000字を超えたので無理やり結論付けしてしまいます。

オリンピックはいつから古代ローマの見世物になった?アスリートは闘技場でライオンに食われる剣闘士でもないし、観客だってライオンに食われる人を見て自分のみじめさを紛らわす愚民でもなく。要は「愚民政策のサーカス」ではなくて、アスリートが「スポンサーとかに気兼ねすることなく、試合に専念し、真の名誉(精神と知能)を勝ち取ることができる」そんなオリンピックなら、開催してほしいと願っています。

近代陸上草創期の世界大会で、とある選手が転倒し、靴ひもを結ばざるを得なくなったとき、他の選手はいっせいに立ち止まって結び終わるのを待ったという伝説あり。

そんなオリンピックになったらいいですね。

ではでは。

Posted by 猫機長
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美術の実用価値:西洋絵画と日本刀の共通点とは

美術と工芸。ふつーの人から見ると同じに見えますが、ルネサンス時代の画家とかに言わせると「ふざけんな!ぜんぜんちがうぞ!」だそうで、要するに工芸は「日常の実用品にアートな加工をした物品」そして美術は「それそのものが存在価値をもつ、アートそのもの」だそうです。

美術品(アングル 「ホメロス礼賛」)と工芸品(陶磁器 有田焼)

 

ふうーん。じゃあ、美術品って、結局タワマンから見る景観と同じで、あってもなくても生活には困らない、そうゆうものなのですね、とおもったら、いやいやそうでもないらしい。

というわけで、今回はファン・エイクというにーちゃんの絵画に秘められた恐るべき暗号について探求します。

ヤン・ファン・エイク「アルノルフィーニ夫妻像」

 

この絵の登場人物の前に、もろもろの物品に注目してください。

◎夫妻の足元にいる犬。物品というより生き物ですが、夫婦の忠誠と(生まれ来る)子供の象徴。

◎奥さん後ろのベッド。カーテンの赤や、カーテンが開かれていることで、この絵の男女がこのベッドを共有する人たち(夫婦)であることを宣言。

◎天井からぶら下がるシャンデリアに一本だけ灯のともったろうそく。精霊の来臨つまり神に祝福(公的に承認)された結婚である。

◎窓際のオレンジと棚。富の象徴。夫妻の所属する階級(裕福な商人)を宣言。

◎スリッパ。「聖なる場所では靴を脱ぎなさい」と聖書にあり。婚姻の場所であることを宣言。

◎ほうき(鏡のすぐ横)。家事、労働、貞節の象徴。二人が家庭を構成することを宣言。

◎鏡。夫妻の背姿の前に、2名が映っている。すなわち、結婚の立会人(公証人)で、そのうちの一人がファン・エイク

◎署名(鏡のすぐ上)。ファン・エイクここにありき。1434年。

実は、ほかにもいろいろ、服装や髪型からはじまり、次から次へとメッセージのこもった小道具?が出てくるのですが、とても書ききれないので、「アルノルフィーニ夫妻像 アレゴリー」みたいな感じでぐぐっていただくと興味深い情報が得られると思います。

とりあえずは上記でエッセンスです。ロザリオはどうした!とかいうつっこみはなしですよー

ちなみに、この絵は、寓意も素直に解釈できて安心ですが、裏を読もうとすると、夏なのに冬の服、そしてろうそくが男性側にしかないのは、実は前妻の存在を暗示しているなんて解釈もあったりします。

これがフェルメールの「牛乳を注ぐ女」になると、ぱっと見はプロテスタントの美徳である質素さを象徴するようでありながら、床のカイロや、その後ろにあるキューピッド絵柄のタイルなど、実は洋〇ンもびっくりのエッチな絵なんじゃ?なんてやばい解説もあるのですが、それは気が向けば別の機会に書かせていただきます。

フェルメール 「牛乳を注ぐ女」

 

脱線しました。「アルノルフィーニ夫妻像」に戻ります。

さて、この絵ですが

「ファン・エイクは、神の権威により認められた夫婦として、商人アルノルフィーニと手をつないでいる女性が、合法的に結婚したことを証明する。1434年」

という事実を世界・世間に対して宣言しているということなのですね。

それって、役場で登記する婚姻証明書のことじゃ?

はいその通りです。

どうやら、この当時は宮廷に出入りする貴族や商人と言えども、読み書きがにがてだった?または、現在と「登記書類」という概念が違っていたのかも?いずれにせよ、この絵については、婚姻証明書と同じメッセージを社会に宣言するという意図をもって作成されたものと考えます。

この絵の最初のオーナーはほかならぬアルノルフィーニさんだったとのことで、家の権利書とか、金庫にしまった金地金と同じレベルの効力をもった重要な権利書だぞー!といばっていたのかもしれません(実は借用書だったなあんて。ははは)。

その後、宮廷人、総督、スペイン王など転々と所有が変わり、1841年に一般公開、翌年ロンドン・ナショナルギャラリーが購入して現在に至っており。その間少しづつ「アートな登記書」から「アートそのもの」に変化していったものと理解します。

一方、ファン・エイクは、この絵を描きながら

「結局、役場の証明書という紙切れ程度の価値しかないのか?」「絵として、美的感覚の表現を唯一の価値とする絵は描けないのか?」

と悩んだかもしれません(ぜんぜん悩んでないかもしれません。ははは)。

しかし現実はアカデミズムの隆盛に傾斜してゆき。アカデミー、つまり王様だのなんだのの国家権力が「正しい絵、感動的な絵」と承認した絵、つまり「国家権力を肯定、賛美、普及する実用品(報道媒体)としての絵」だけが絵画として認められるようになってしまい。

「絵入りロンドンニュース」による日露戦争当時の日本軍についての報道。

写真はすでに存在していたが、まだ絵が実用的な報道手段だった

 

こうした歴史の中で、「アートそれのみで存在する美術」を求めてもがいていた西洋の画家たちを救ったのが、なんと浮世絵などの日本美術だった。

市民社会の成熟や絵の具などの技術革新により、印象主義派など、アカデミズムに真っ向勝負だ!という機運が生まれていたところに、写実もアレゴリーもへったくれもない、画家の感性そのものがぶちまけられた日本画をみて、西洋の画家たちは「僕たちの革新運動は間違っていなかったんだ!これでよかったんだ!」と勇気づけられたことでしょう。

歌川広重作「名所江戸百景・亀戸梅屋舗」 ゴッホによる模写

 

そして、ジャポニズムが美術再発見の契機をもたらしたのは、決して偶然ではなく。

日本がフランスに伝えたエッセンスに「刀」があると思います。

戦国時代が終わり、「刀狩り」政策で民衆から刀を取り上げた時点で、日本は一般の人々が武器を持たない平和な時代に入りました。

でも武士には帯刀が許されました。支配階級とか、軍事政権とかの理由もあるのですが、帯刀ありき、刀がなけりゃ武士じゃない、なんていうのはなかなか独特で、南蛮などからの外人さんはかなり奇異な印象を持ったらしい。ザビエルさん曰く「彼らは武器を尊敬し、常に刀剣と短刀を持ち歩く」。

日欧のかけはしとなったザビエル

 

はっきり言って、江戸時代以降の日本刀なんて、実用品としてはラーメンのどんぶりとさして変わらず。どんぶりを腰にぶら下げて歩く人はいないけれど、明治時代まで武士は二本差しを墨守しました。

だって護身用に必要じゃん、という意見もあると思います。

そこが核心で、現在に至っても軍人とかはピストルを腰にさして歩いています。ピストルが護身のための実用品だからです。

でも、日本刀は護身が本来の用途ではなく(剣道、居合道、弓道)。切り合いの盛んな幕末においても、坂本龍馬が拳銃で幕吏を撃退しているし、法律上も、へたに抜けば「お殿様のご領地で抜刀騒ぎを起こした」と切腹になったりとか、そもそも抜いてはいけないというのが刀だった。

つまり、殺傷という実用をあえてしない、というのが武士の哲学であり美意識だったのですね。

武士が刀を差したのは、刀という「仁愛、智慧、勇気のシンボル」(精神と知能)を肌身離さないことで、自分自身の精神・魂の浄化向上を常に意識・努力する、そんな心構えを視覚化していたのだと理解します。

そして現在。

いつか刀が担った「真の実用的な役割」、ファン・エイクさん?や、多数の画家が願った役割が、ついに美術によって担われる「風の時代」に入り。

コンピュータが人間の生活を制御する、うるおいもへったくれもない現在で、利益、効率、成果といった無機質な言葉たちに占領されてしまった魂に、実用とはステージが違うけれども、もっと大切な「仁・智・勇」を思い出させる。そういう存在として美術が再発見されるようになった。

太刀 備州長船安光(おさふね・やすもと)https://www.seiyudo.com/ka-090120.htm

 

だからこそ、どんなにデジタル化しても日本画や油絵などはなくならないし、ルネサンスだののはるか昔の絵画がますます価値を増している。デジタル技術を駆使して新しい美術を開拓している人さえいる。

ふと立ち止まってアートを見つめる、そんな日々が大切になっていると思います。

美術は、これからの人類にますます必要な物になっていくかもしれませんね。

ではでは。。。

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成功法則:シュリーマンと学者たちのお話

*このお話は、最近よくある、すれからしなシュリーマン批判以前の「子供のころからトロイ発掘を熱望していた説」を素直に起点としているので、お断りしておきます。

日本では幕末から明治維新の時代、シュリーマンという、とある資本家が活躍しました。

立身出世伝の常というか、シュリーマンも子供のころとても貧しく。「ぐおおおー絶対逆境をはねかえしてやるぞー」というすさまじいルサンチマン的なパワーで大金持ちになりました。

ただ、シュリーマンのお話はとても夢があり。事業家が目的でもなかったという、ちょっとへんな成功のしかただった。

スタートはやっぱり「父との誓い」。「巨人の星」を地でいっています。

ただ、シュリーマンの場合「大事業家になってやるぞー」というのを誓ったのではなく。貧乏も嫌だけど、そんなことより「トロイアの遺跡を発掘してやるぞー」という誓いでした。

なんだそりゃ?

純真な少年時代のシュリーマン。お父さんから「イリアス」というおとぎ話を聞かされ。「ぐおおおートロイの木馬スゲー」と感動に震えて、友達などに話しまくったところ、

「ばっかだなーそんなの作り話じゃん。脳みそ足らねーんじゃねーの。ぎゃははは」

といじられまくってしまったのでした。

しかし、そんなことではくじけないシュリーマン少年。「トロイアあります!」と、思い込んだらいばらの道をどんと走り始めたのでした。

歴史の探求に大きな貢献を残したシュリーマン

ここで、シュリーマンの生涯における最初かつ最大の勝利というべき、「明確な目標(トロイアの存在証明)をぶちたてる」ことができたのでした。

その裏付けとなったのが「おとぎ話ながら、その信ぴょう性を見抜き、周囲の圧力を意に介さず行動に移す」という判断力と行動力でした。この辺が単なる精神病の人と天才(これも精神的にはちょっと、ですが)を分ける分水嶺ですね。。。

余談ですが、太平洋戦争時、アメリカは「AFは水が不足している」という日本の電報をキャッチしてこれを的確に判断、対応実行し、ミッドウエー海戦という歴史的転換点で勝利した、というのがあります。

この電文から米軍諜報が「AFとはミッドウエーの符牒である」と判断したように、「イリアス」から「トロイア実在の符牒」を読み取ってしまうのがシュリーマン少年のすごいところですね。ううむこじつけすぎかな。。。。

さて、シュリーマンは少年・青年期にかけて怒涛の進撃を開始し。

いざ、ギリシアの遺跡発掘に出発、ではなくて、オランダに行ったり、アメリカやロシア相手に商売をしたりしたのでした。ははは

「遠回りにみえるが、まずは貧乏脱出だ!」

彼の場合は単なる経済的自由を超えた 、「トロイア発掘のためなら無尽蔵に使える経済資金」をためるという壮大な目標にむかって出発したのでした。

最初は小売店の見習い、次は貿易会社と修行を続け。英語、ロシア語、フランス語といった語学力や、なによりも信用を築いて事業家としての大成功の基礎を作ったらしい。

これがシュリーマン第2の勝利。経済的自由獲得(というか大資本の形成)に向けた道筋を見事作り上げることに成功。

ちなみに、この時代のシュリーマンは、同僚から見て「信じられないほどハードワークしていた」そうで、単に「よく働くねー」を超えた「鬼気迫る」ものだったそうです。でも、本人自身は「トロイアあります!」の夢に向かって喜々としていたらしい。

最初は社畜の奴隷労働でも人間離れした奴隷労働で種銭を作って社畜の境遇から脱出し。独立後は「あらゆる仕事を行った」そうです。

あらゆるってどんなの?懲役になるような行為をしていないかったことを祈ります。ははは

塀の内側には落ちなかった仕事として、ゴールドラッシュのアメリカ向けに、シュリーマン自身は金採掘には手を出さずに、採掘用の機械?を売りさばいて大もうけ。そして、クリミア戦争で猫の手も借りたいロシア向けに、自分は参戦しないで、武器を売りさばいてこれも大もうけしました。ううむ、893の人がヤクを売りさばいて、でも決して自分は商品に手を出さないのとおなじだな。。。(手を出す人もいることはいますが。ははは)

クリミア戦争

ともあれ、上記で書いた「第2の勝利」の戦利品である莫大な資産を手に入れることができたのでした。

ついに「トロイアあります!」の最終目標に向け進撃を開始したシュリーマン。

ところが、トロイア発見・発掘のやり方について、世間の識者、学者から「ぎゃはは何やってんの?」と爆笑の渦になってしまったのでした。大資本家ではあっても学者ではないシュリーマンは、発掘場所の選定や発掘方法、考古学にのっとった歴史の探り方など、無手勝流・自己流になってしまい。

しかしどんどん成果を出し始めたため、識者から見れば憎らしいことこのうえなく。

こうして総スカンされ、ボコられまくったシュリーマンですが、ぜんぜんこたえず。

ここでシュリーマン第3そして最後の大勝利を確定します。すなわち「セクター、学閥、体制側の作った常識、しきたりに屈せず、現体制にとって都合の良い常識の中では達成できなかった成果を、真に実利的な方法を駆使して達成した」。

例えば、武士の世界でも、源平合戦のころは武士というセクターで守るべき常識、しきたりがあり。まず両軍が正々堂々向かい合って「雁股の鏑矢」を放つことで開戦の意思表示をし、そのうえで、いざ、となっていたのですが、源義経さんは「いきなり敵の背後から断崖を駆け下りて不意打ちを食わせた」「民家に火を放ち、混乱する敵をやっぱり後ろから襲った」など、規則破りの連続で大勝利しました。

義経さんの場合は、卑怯じゃね?やりすぎると「第三国人」になってしまうぞ!と疑問になったりするのですが、シュリーマンの場合は、権威側の地位を安泰とするためにしか作用しない不毛なしきたりや常識をぶち破った、と理解しています。研究という日常を継続するのための研究ではなく、トロイア遺跡の発掘という成果を獲得するための研究をつらぬいた結果、願望実現したのでした。

シュリーマンが遺跡発掘を行う過程で、初心者的なずさんさで「遺跡をこわしちゃったー」というのがありますが、これは考古学上の大発見がまさにされなんとする現場を遠くからほっぽっておき、この発見の支援をしない体制側(機関、権威)にも問題があったのではないでしょうか。

ちなみに「ガン利権」という言葉があり。軍産複合体が「ソ連、中国、ISIS、北朝鮮」という敵なしに存在しえないのと同じに、「ガン利権」も「ガンという不治の病」が存在しないと困るため、ガンを治癒してしまう治療法が発見されることを渋っている、ということはないのでしょうか。

ここまで書くと、ぼくが小保方さん擁護派であることがバレてしまいますが、「コピペだ!盗作だ!」と叫ぶ前に、「STAPが本当にガンを直すことができるの?」「できないなら何で?」「じゃあどうしたら治るようになるの?」という議論がもっとあってほしいと思います。ガンにかかった人から見れば「割烹着をきたお姉さんがウソをついたとかつかなかった」より「とにかくガンの治る薬が欲しい」からです。要するに処罰、首切りで終わってしまって、その後どうなったか?ただ、STAP系列の新薬がアメリカで著作権申請というような話はちらほら聞いており、実現を願っています。

ながくなりました。STAPのお話は余計だったかもしれません。一方、成功する人がなぜ成功するのか、シュリーマンさんの一例が僕の経験(といっても本当にささやかな不労所得の獲得程度ですが)からみてもとても参考になると思いまして投稿しました。皆さんにも何らかのご参考となれば大変幸いです。

トロイア遺跡

ではでは。。。

Posted by 猫機長
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フェルメール考:西洋美術の砂場とは

人生に必要な物はすべて幼稚園の砂場で学んだ、という言葉があります。

さて、フェルメールというお兄ちゃんがおり。オランダバロックの巨匠です。

オランダバロックというとレンブラントがおり、いずれも明暗、光線の画家ですが、レンブラントは聖書のお話や集団肖像画などスケールの大きいのが好きで、フェルメールは部屋の中でお姉さんが何かしている、みたいな無印良品で小さめサイズ(50X50cmくらい)のやつが得意だった。

以前、名画は構図がしっかりしている、ということを書きました。

モチーフをなにげに(自然に)描写できているか。これが基本であり、できていないとデッサンが崩れる、とかになり修正がきかなくなる。

というわけで、画家の人たちはいろいろ工夫しています。

例えば、とある風景を描こうとしたとします。

このとおりにすべてをいきなりキャンバスにかこうとしてもなかなか難しく。

で、フェルメールの場合は、キャンパスの、遠近法でいう消失点に当たる場所に針を刺して、絵の具の付いた糸を貼り、放射状に画面を分割したらしい。

こんな感じ

こうすれば、たとえば排水溝は素直に消失点へのびているぞ!と安全に正確な描写ができます。(もちろん上記はこの原稿のためにテキトーに引いただけです。あしからず)

さて、当時の絵「手紙を書く女(1655年頃)」いってみます

あれ、フェルメールじゃないじゃん

その通り。ヘラルト・テル・ボルフという、同時代のオランダの画家です。

「手紙を書く女」というのは複数の人が扱ったテーマらしい。

で、フェルメールの「手紙を書く女(1665頃)」です。

テル・ボルフのほうは「とにかく端正」。消失点からキャンバスを区切る技法を使ったか使わなかったかはわかりませんが、あるべきものがあるべき形で、正確な遠近法で描写されており。見ていて安心?な絵だと思います。

フェルメールも端正ではある(この絵に「針の穴が開いていた」かどうかは分かりません、ははは)。でも「なんかほっておけない」絵になっています。美しいね、安心だね、と通り過ぎることを許さず、あぶなっかしい何かに立ち止まらされ、取り込まれてしまうのです。

で、よくみると、フェルメールの方は「ゆらいで」おり。

◎椅子の角度とかが微妙に歪んでおり、お洋服で隠されているが、ちゃんと腰かけられているのか?そして遠近もちょっと「ゆらいでいる」?

◎真珠の首飾り?とか、宝石箱の鋲?とかの輝きが強調されていて、フェルメールならではの表現になっている。これをデフォルメ、オーバーな表現と言ったら怒られるだろうか?大げさと言えば、キラキラお目めはいうに及ばず。

この「ゆらぎ」がもっと典型的なのに、「牛乳を注ぐ女(1659年ころ)」があります。

まず、全体的なパース(遠近)から。微妙にずれているんですよね。。。右足元の箱(カイロらしい)とか、窓枠の一番下の枠と、枠に接する壁の木製?部分の線が平行すぎね?とか。(考えすぎかな?消失点を右手首上くらいとみています)

窓の奥、壁にひっかけてある金属の箱?も、光線の方向とかげんからして、こんなに輝かないよ?とか。

きわめつけが机で、壁にぴったりだったら、めちゃくちゃ台形の机だし、ピッタリつけてなくて、斜めに置いてあるんだったら、青い水差し?を置ける広さがなく、落っこっちゃうぞ?だし。

でも、フェルメールの場合、不手際でこういう「ゆがみ」が出ちゃったのではなくて、あえて「ゆらぎ」のある絵にした のだと思います。

あと、やっぱりポワンティエがあり。つまり「熟れたトマトは赤、熟れてないのは緑」的な既成概念ではなくて、「トマトがどんな光を反射しているか」というのを追求したら、ポワンティエになった、みたいな。

篭やパンにおけるポワンティエ(白い光の粒子)

写真じゃなくて本物を見てみたいな。。。

ううむ、遠近をあえてずらすと?こういう絵があり

ジョルジョ・デ・キリコ「街の神秘と憂愁」1914年

机のゆがみと言えば。。。

セザンヌ「台所のテーブル(籠のある静物)(1890年)」

セザンヌのは、机だけじゃなくて、置物も歪んでいるけど。

この絵自体にはないけれど、きらきらお目めのマンガチックな強調は

リキテンシュタイン「夢想」(1965年)

そもそもポワンティエとか、対象の色彩を「常識として決められている色」から「光として見える色」「光の効果」の描写に進化させた点では、印象派のさきがけだったかもしれん。

ルノアール「ピアノに向かう娘たち(1892年頃)」

ということは。。。。

「近代以降から現代アートまでに、いろいろな画家たちが編み出した表現は、実はすべてフェルメールの絵の中に存在していた」

つまりは

「絵画に必要なことは、すべてフェルメールの絵で学べる」なんちって

すみませんウケ狙いでテキトーなことを書いているかもしれません。でも、フェルメールさんの絵を勉強すると、絵画のエッセンスがかなりのところまでわかるようになるのかな?と思うようになりました。

フェルメールのすごい所は

◎上記のとおり、形而上絵画だろうがキュビズムだろうが印象派だろうがポップアートだろうがなんでもありの「技のデパート」になっている。

◎そして、なによりこの多様性が見事に調和している。ぱっと見はとても穏やか、静謐なのに、やっぱりほっておけない情熱的な何かに、見事にまとまっている。

いわゆる一つの対極が「非対象絵画」で、モンドリアンの場合「絵画は直線の交差と赤、青、黄の3色のみに単純化される」みたいな極限へ到達したのはいいが、そこでタネ切れになっちゃった。

ピエト・モンドリアン「黄・赤・青と黒のコンポジション」(1921年)

フェルメールは、なにげな風俗画(対象のある絵)なのに、単なる対象の表現を超えた、絵の中から輝くような光が、見る人を「静謐、穏やかに」圧倒する。

なぜフェルメールはこの調和を達成できたのか?

フェルメールの絵をみると、上記の「ゆらぎ」つまり写実から見た「ゆがみ」は、だいたい一つの法則に従って発生しており、これが見る人に調和を感じさせているようです。

その特色は

◎一つの焦点(消失点)から、絵の外側に向かうに従い、円形にゆがみが生じ

◎輪郭も、いわゆるソフトフォーカスという形でやわらかく収まっている

あれ?それって昔の単眼カメラの映像じゃね?

というより、もっと昔々の「カマラオブスクーラ」による映像がそうなるらしい。

カマラ・オブスクーラ。レンズ(ないしはピンホール)でとらえた画像が、

スクリーン(キャンバスなど)に映写される。

当時の画家は、のきなみカマラ・オブスクーラを使っていたらしいが、フェルメールが一歩先んじたのは

1)さっきも書いた通り、トマトは赤じゃなきゃ、みたいな固定概念にとらわれず、ソフトフォーカス含め、カマラ・オブスクーラに映写された光を忠実に表現することを基本にした。

2)一方、カマラ・オブスクーラとはいえ、所詮はレンズの映写画像であり、人間のナマの両目で見た画像とは違うものであることを知り尽くして、人間の目で見た時にどう映るかを意識して描いた

このうち2)ですが、カマラオブスクーラ以前に、現代写真で、例えば

無料画像サイトから引っ張ってきたスイスの風景ですが、人間の視覚能力では、手前の倉庫、小道や教会、その後ろの街並み、緑の山、岩肌の見える頂上、後ろの青い山、雪をかぶった山脈、そして青空をすべて一時にここまで鮮明には認識できず。ために、この画像はきれいな写真にはなっても、現場で人の目に映る風景とは違ったものになってしまっているそうです。

フェルメールは、人間の2つの目と脳みそ(そしてハートも)ではカマラオブスクーラの映像がどう見えるのか、ということがわかっており。それこそヒッピーだろうが共産主義者だろうがそれぞれの人なりに「写真ではなく自分の目に映る風景」として見ることのできる絵を描き上げた、ということなのですね。すごいな。。。。

また3000字越え。いちおうオチがついたので、今回はこのくらいにしますが、まだまだ未消化ですね、修行が進むに従いまた書かせていただきます。

ではでは。。。

Posted by 猫機長
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今年の不労所得総決算。コロナより為替にやられました

年の瀬もいよいよせまり。怒涛の2020年、資産状況がどんなかなーというのを振り返ってみます。

まず、なにより大事な毎月のインカムゲイン、すなわち、リートの配当、債券の金利など、投資した資産たちが生み出してくれる所得のことで、仕事しようがしていまいが自動的に入ってくる「不労所得」の情況について。

1月当時の月収インカムゲインを「100」とすると、

3月のコロナ暴落勃発まで 100のラインで継続

暴落だ!4月には早くも   70に減少

6月に底打ちしました    67。ほとんど半減か?

7,8月に横這い      69くらい。

9,10月に回復してきた  79くらい

11月、全面的に回復   100に復帰

12月、さらに上昇    101くらい。へえー!

でも12月に上がったのは、年末の余剰利益分配とかもあるためなので、来月からまた下がっちゃうかもしれない。かなしいな。。。

暴落時に底値でリート買いまくったのが収入回復に役立ちました

ちなみに、とある日本企業でのリーマン生活を継続しています。でもこちらの給料は年収200万円にも満たないし、不労所得ではないので上記の計算には入れていません。

というわけで不労所得に戻り。具体的金額で行ってみます。

毎月のリート配当などで口座に入ってくる金額のうち、もちろん生活費と健康保険の「2大固定費」を引いた、「再投資できる金額」は、

今年一年累計で3.605.523円 (レートは1レアル=20.529円/12月11日)

毎月300,460円

ということで、ほんとうにぎりぎり「投資額毎月30万円の確保」を死守だ!

一方、総所得つまり労働所得(給料)と不労所得(リートなどインカムゲイン)すべて含め、「収入の川」理論で図解にするとこんな感じ。

ブラジル在住なので資産はすべて現地通貨のレアル(R$)建てですが、恐ろしいのは

●2020年1月1日のレートが1R$=27.046円

●2020年12月11日のレートは1R$=20.529円

ということで、なんと25%レアルが安くなってしまった!

つまり円建てでの資産価値が75%に減ってしまったということである。

でも、わりとのほほんとしています。

それは

①現地で資産構築している限り、現地通貨で順調に増えていれば恐れることはない。(「お金儲けの神様」邱永漢さんも「いちいち為替レートを気にするな」と言っているし。。。)

②そして、25%の下落為替相場でも、日本円にして「毎月30万円の投資可能な不労所得」が出せた。まあこれは実利的などうこうより、精神的な安堵の方が大きいですが。

③不労所得で投資に回せた360万円と、リーマン奴隷労働の給料200万合わせて560万。一方で、自家用機のエンジンTBO(分解修理)他、臨時の出費で100万とんだかな、ということで、460万円が投資できた。つまり、これは資産総額に460万円の増加ができたということである。なんて資産総額が25%減なので「焼け石に水」ですが。

まあ、為替にやられた分は、5年くらいかけて為替が元に戻るのを待ちます。ははは

以上から、わりとのんびりしています。

ここまでは今年の振り返りですねー来年はどうなるかな?ワクチンで相場や経済がガタガタするでしょうが、スペイン風邪みたいな大災害にならなければ、ブラジルでは横ばいから回復になり、為替も安定、と祈っています。。。

さて、今回はまだスペースもあるので、ちょっと飛行機操縦について載せて終わりにします。

お題はやっぱり「失速訓練」。ははは

まずは、十分安全な高度まで上がっていきます。本来200フィート以内の降下で完了させる動作ですが、ぼくはなるべく地上1000フィートまで上がってからやるようにしています。

エンジンオン・ストールとエンジンオフ・ストールがあります。ここではエンジンオフのほうをやってみます。

エンジンをほとんどアイドルまで絞って、機首をぐっと、でもおだやかに上げていくと、スピードが落ちてゆくとともに、垂直か?みたいな所で機体が震えだし、すとんと機首が下がります。これが失速です。

このときどちらかの翼がぐらりと傾いて落ちそうになるので、反対側のラダーを踏んでおっとっと、と水平に保つのがコツです。このときおっちょこちょいに操縦かんで修正しようとすると、アドバースヨーが発生してきりもみになっちゃうので、操縦かんは引っ張った状態のままであくまでロールは中立に保つのが鉄則です。

この後は引っ張っていた操縦かんをもどし(左右は中立を崩さない)、降下して速度が上がるのに合わせてスロットルを入れ、なるべく高度を落とさずに水平飛行にもどります。日曜飛行士にはちょっと怖いが重要な訓練ですね。

もっと詳しい記事を「失速訓練。失速できないと飛べない理由」に掲載しています。

失速訓練の動画。ぼくはチキンなので、ぬき足さし足の失速になってます。動画だと穏やかですが、実際に操縦していると、ふわーと操縦かんに手ごたえがなくなり、機首が真っ逆さまに地面に向いて、こわいぞ!

経済も失速は今年で終わり、来年からは、急上昇とはいわず、穏やかな空を緩やかに上昇、みたいになればいいですね。

ではでは。。。

Posted by 猫機長
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アドセンス広告収入:振込住所確認が来たぞー

ホームページ作成の楽しみの一つに、アフィリエイトでお小遣いを。。。というのがあります。

アフィリエイトのかんたん概念図。

まず、①広告主が「アフィリエイトサービスプロパイダー(ASP)」に広告依頼。

②ASPはブロガー(アフィリエイター)に広告提供。

③ブロガーは、HPに広告を貼り付け。

④読者がクリック、あるいは広告製品購入し、⑤利益発生

⑥この利益がASPからブロガーへ還元。

ちなみに、ASPとしては楽天、A8、afbなどなどあり。アドセンスとアフィリエイトはちがうぞ!という人もいますが、どちらも広告収入です、ということで、細かいこと言わんと!進めさせていただきます。

もちろんプロのブロガーみたいに「アフィリエイト収入で億り人」というのではなく、HP作成や更新そのものが趣味であるところに、プラスアルファでアドセンスも、という感じです。

要するに、パチプロではなく、ちんちんじゃらじゃら、という玉打ちそのものをほどほどに楽しむ、という感じですねー。

ううむたとえが悪かったか?

というわけで、ぼくもHP開設と同時にGoogle Adsenseに申し込みしました。

アドセンスというのは、コンテンツ連動型広告配信サービス、というふうに考えたらわかりやすと思います。ほかにも楽天とかAmazonとかいろいろな企業がアフィリエイトを提供していますが、ぼくの場合は

◎そもそも海外在住で、海外作成ながら、でも日本人向けという悩ましいサイトで、日本で日本人が日本語の広告をクリックしたその報酬を、ぼくの居住地の通貨で、居住地の銀行口座に振り込んでくれる

というのが実質アドセンスしかなかった、というのが決定的な理由でした。すごいぞアドセンス!

で、アドセンス申請しました。

ぼくの場合はすでにグーグルアカウント持っていましたが、持っていない人はまずこのアカウント開設が必要。いろいろなリンクから作成できるようですが、例えば

https://support.google.com/accounts/answer/27441?hl=ja

などから可能と理解。

こんな感じの画面が出るので、指示に従い開設。

で、いよいよアドセンスですが、こちらは

https://support.google.com/adsense/answer/7402253?hl=ja

などをご参照。

こんな画面が出てきます

で、めでたく登録が終わったら、いよいよ審査が始まり。これがなかなかめんどく、かつセンシブルですが、特にやばい内容のサイトでなければ合格できるらしい。ぼくのHPでは、2週間くらい審査にかかったかな?でも一発OKでした。よかったね。。。。

さてアドセンスに合格すると、HPの画面に広告が表示されはじめます。

上のは、隠れた人気記事「逃げ切り計算は重要だが、逃げてはいけない」の画面ですが、左下に緑の四角があり。これが広告です。この広告がクリックされるとポイントになり、一定のポイント数に達すると報酬として換金してくれるらしい。

ちなみに、ぼくはブラジルでこのHPを管理なり閲覧しているので、時たまブラジルの広告が出てきたりします。これはアドセンスのほうで、AIにより閲覧者のIPかな?から、閲覧履歴などを分析して、もっとも興味を引きそうな広告を自動的に選別しているということらしい。つまりアメリカ在住者だったら、HOOTERSの宣伝が出てきたりして、とか。

おなじページを下の方にスクロールしたら、

ちゃんと日本の広告も出てきました。

というわけで、収入になる以前に、広告が出てるだけでもいっぱしのブロガー・HP管理者になったみたいで、わくわくしながら毎週の記事更新とかを楽しんでいました。

*ちなみに、広告料がとある金額に達しないと、払ってくれません。その金額までたまったら送金してくれるシステムです。

そんなある日、アドセンス管理者よりメールで連絡が。

「ご対応のお願い: AdSense のお支払い先住所の確認が必要です」と題して

こんなのが送られてきました。

ごちゃごちゃ書いているけれど、要は

◎広告料を支払いするために必要な住所を教えろ→→→わーい、いよいよ送金額に到達か?

と喜ばせておいて

◎今回は住所確認のための金額で、支払いが許可される金額ははるか上である。→→→えええー悲しいな

と突き落とし。

さらには

◎確認のために暗証番号(PIN)を郵送したから、ちゃんと受け取って入力するように。とある期日までに入力しなかったら、アドセンスは停止する

と脅迫されてしまいました。

ぎゃあああー!どうしよう!

もともと郵便事情がほにゃららなブラジル。コロナ禍で、行方不明となる郵便も多数発生しているのに、ちゃんと地の果てブラジリアまで届くのだろうか?

アドセンス側は「発送してから3週間くらいかかります」としており。うあああ3週間もどうしよう、と毎日ブルーの日々。届かなかったら?

届きました。

2週間かかりませんでした。すごいぞGoogle!

さっそくわくわく、戦々恐々と開封。

「ひみつ」のところに大きく暗証番号が書かれていました

さて、アドセンスの管理画面に行って、いよいよPIN番号の登録。

ところが、登録画面に

「3回PINの入力に失敗したら、PINは失効します」

なあんて書いてあり。

ぎゃああー!システムエラーで認識してくれないとか、3回くらい十分ありえるんじゃね?

通信事情劣悪の途上国ブラジルで、一発必中の入力。「とー!」

一発で認証してくれました。

というわけで、再び安心して広告いろいろの画面を見ることができる日々に。

なあんて、一週間したら「PIN登録に失敗しました」なんてメールが来たりして?

やっぱり戦々恐々としながらすごすのでした。しくしく。

なお、HPに広告を載せることの本当の利点は、広告収入ではなく、世界中の(あるいは日本中の)大企業から無印の新進企業まで、「お前のサイトやブログは、うちの会社の広告を載せることができるしっかりしたブログだ」という意思表示をしていただいている、ということであり、つまり、ぼくのサイトは常識的で、公序良俗つまり善良な風俗や倫理に従っているよ!と認めていただいている、という点にあると思います。

これからも、楽しくてためになる、そんなサイト・ブログにしていきたいと努力しています。

HOOTERS。どきどき!わあああーい!

出展はhttps://www.atpress.ne.jp/news/182166

ではでは。。。

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超写実絵画に見る写実の本当の価値

ホキ美術館という、電車か?みたいな名前の美術館があり。

電車ではなく、貨車でした(ホキ2200)

出展:100yen – 投稿者自身による作品, CC 表示-継承 3.0,

https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=8249281による

「超写実主義絵画の襲来」というすごい展示があったらしい。下記サイトをお知らせします。

https://www.bunkamura.co.jp/museum/exhibition/20_choshajitsu/

この展示の「見どころ」というところに、「それぞれの画家が表現したい想いが込められた作品は、ただ細密に描かれているだけでなく、写真や映像とは違った存在感を醸し出します。」とありました。

で、どんな細密な絵が出展されているかというと(いずれも上記サイトからの引用)

五味文彦 《いにしえの王は語る》 2018年 油彩・パネル

 

森本草介 《未来》 2011年 油彩・キャンバス

 

島村信之 《オオコノハムシ‐擬態‐》 2014年 油彩・キャンバス

 

いずれも写真ではなく、絵画です。すごいな。

偉そうですみませんが、こうした超写実の勃興はとても良いことだと思っています。

もともと絵画(の主流である西洋美術)は、聖書の物語、ナポレオンなどの英雄そして自由や平等などの価値観の寓意化・擬人化から出発しており。マリア様だろうが自由の女神だろうが、本当に存在している人間のようにリアルだ!だからこそ、物語や英雄が真実以上の実在として見るものを圧倒し、インパクトを魂の奥底に刻み付けることができた。ルネサンス以降の絵画は、イコンみたいな記号ではなく「迫真の写実」が基本中の基本でした。

ところが、写真が発明され。最初はピンボケ、白黒だった写真も、鮮明なカラーへどんどん発展してゆき。いくら技術の卓越した画家でも、画質はもとより、新聞だの雑誌だので何万部を一気に複製できる写真には物理的に追いつくことは不可能になってしまいました。

そうした趨勢から、焦点がぼやけているように見えるけれど、楽しく光たちが踊っている印象派絵画、一つの画面にいろいろな視点からみた映像をぶち込んだキュビズムなど、具象の分解・再構築が始まり。カンディンスキーに至って、点と線と面のコンポジションへ移行し、具象よりも色、形そのものの構成で一つの作品を構築するようになった(音符が集まって一つの曲になるような感じ)。

カンディンスキーの「コンポジションVIII」

ここで美術は具象(写実)から解放されたが、抽象となると、何でもありのやばい世界に陥ってしまうことも発生し。

単に絵の具をぶちまけただけの絵。気味の悪い化け物とか、汚らしい意味不明の模様だけの絵。これらの絵をみて、確かにすごいインパクトはあるのですが。それはホラー映画を見て絶叫しているだけみたいな?という気がします。

じゃあ、カンディンスキー以後の流れをくむ「本物の抽象」と「抽象もどきでお金を稼いでいるだけの絵」の差はどうやって見分けるのでしょうか。

その1:チェスのお話

ゲーム開始時点では、上の写真のように4行のスペースで白と黒のそれぞれの陣営が分かれています。

チェスの場合、将棋と比べて盤面が小さい(将棋は9列X9行、チェスは8列X8行)などあり、駒どうしで押し合いへし合いになり。いかに自由に駒を動かせるスペースを作るかが勝敗を左右するという特色があります。

つまり、いかに早く下記の青い四角の中をコントロールできるか。そのためには下記の赤い四角を制したものが勝つ!ということがわかってきました。

というわけで、西洋絵画の基本が写実だったように、チェスでは上記の赤い四角内にポーン(歩)を進めて「センターをコントロールする」のが基本の基本となりました。

伝統的なチェスの開戦状況。白、黒ともにポーン(歩)でセンターを確保し、ナイト(馬)等で支援している。

ところが、写真の登場で写実ががらがらぽん、と瓦解したように、「ハイパーモダンな遠隔戦法」が発明されて、中央突破は神通力を失ってしまいました。

写真では、白が伝統的な中央進撃、黒がハイパーモダンなナイトによる遠隔操作です。アリョーヒンという人があみだした戦法です。

でも、これって、へたくそな初心者がテキトーにナイトを繰り出しただけじゃね?

まさに「自称抽象画と言いながら実はキャンバスを汚しただけだった」みたいに。

アリョーヒンさんが、この「馬送り戦法」を繰り出したとき、誰もがそう思ったのですが、中央を確保して絶対優勢のはずの白陣営がけちょんけちょんにやられてしまい。

「これって、きまぐれに馬を置いたんじゃなくて、ここに馬を置いたからこそ勝つというセオリーがあるんじゃ。。。」と気が付きました。

つまり、白が中央に置いた駒を、黒は遠くから袋叩きにして自由を奪ってしまい、逆に戦局をリードしていたのです。

この馬は、中央の呪縛から逃れて、かえっていきいきと活躍している。

まさに、具象の呪縛から離れた絵画のように。

抽象画でも、本物であれば「アリョーヒンさんの馬」みたいに裏付けがあり、あるべきところにあるべき線、面、点そして色がおかれ、過不足のない、エッジの立った、迫力のある、要するに「名作という意味でのすごい絵」になるのです。

その2:「筆が勝手に動いて、そのあとに説明がくる」。その筆を動かすものは?

アバンギャルドな絵画の革命をもたらした始祖鳥の一人に、サルバドール・ダリがいます。

ダリ「建築学的ミレーの晩鐘」

この人は「子供の時、突然友人を5メートル下の川に突き落とし、重傷を負わせた」「そのあと、母親が必死で手当てしている横で、にこにことサクランボを食べていた」みたいな「相当壊れた人」で、長じても絵画よりパフォーマンスのほうで有名になっちゃった。

真面目な表情の写真がないことはない

インスピレーションで勝手きままに絵をかきまくり、「説明はあとからついてきた」というタイプですが、そんなダリでも次のような名言を残しています

「昔の巨匠のように素描をし、描くことを学ぶことから始めよ。そのあとで自分の思うようにすればいい。そうすれば誰もが尊重するだろう。」

「もし、君が現代アートはフェルメールやラファエルを超越したと信じるなら、その至福の愚かさに固執しているがいい。」

つまり、

「勝手気ままな筆の動きでも、その動きには必ず裏付けがあり。その裏付けには昔の巨匠の筆遣いが生きている」

ということですね。

また書くスペースがなくなってきちゃった!要するに何を言いたいのかというと

◎抽象画を理解するには、抽象画という結果ばかり見ていてもだめ。抽象画の由来(基礎)である  写実絵画を見まくる必要がある。

◎写実絵画を見まくると、細かいデイテールに隠れた「絵の核」が見えるようになってくる。抽象画は、この核だけを抽出してぶちまけた絵であるため、抽象画を見て、核が描けていればほんもの。描けていなければただの「しみ」です。ははは

◎十分に写実画を見る目が養えたかどうかは、超写実絵画のどこが写実を超えているか見分ける力がついたかどうかでわかる。

超写実の一例:

このパッケージのポテトチップは、写真ではなくて絵なのだそうです。

写真だと、どうしてもちょっと黒ずんだ点があるとか、見えないくらいだけど欠けちゃってるとか、チップの微妙な曲がり具合で見栄えが落ちちゃうとかがあるらしい。

つまり、「超写実絵画」になっていて、写真を超えた「パリッとおいしい」を表現している。

そして、この絵だけが表現できている「パリッとおいしい」を見抜ける人は、「パリッとおいしい」をお題にした抽象画を見た時、うあああーとそのエッセンスに打たれる、という体験ができる、ということなのだと考えます。

エッセンスに打たれる。

れんげではなく、れんげですくったスープに打たれています

最後はラーメンになっちゃいました。この絵の出展は「ラーメン人物伝―一杯の魂1」です。

もちろん僕も抽象画なんて全然意味不明だぜーのレベルですが、写実画をいっぱい見て、抽象画鑑賞力のレベルを上げていきたいと思っています。

このお題は、この記事一本ではとても説明しつくせないので、姉妹記事をまた別にアップさせていただきます。

ではでは。。。

Posted by 猫機長
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実は親友だった?ドラクロアとアングル

久々に西洋美術のお話です。でも、単なるウケ狙いのおもしろ記事ではなく、リピーター読者の皆さんには、成功法則や資金投資に関するポイントも詰まっている記事だとお分かりと思います。

さて、フランス革命からナポレオンの第一帝政、ウイーン体制からの共和制や王政の入れ替わりの時期にあたる1798年から1863年に、フェルディナン・ヴィクトール・ウジェーヌ・ドラクロワというにいちゃんが登場しました。同時期の1780年から1867年にはジャン・オーギュスト・ドミニク・アングルが登場。ちなみに、1867年は日本では大政奉還が起き、次の年の1868年に元号が「明治」になった。

つまり、世界中で大変動が起きており。フランスではギロチンで王様の首がちょん切られ、ナポレオンが下剋上で帝政を敷いてヨーロッパを荒らしまわった。ゲーテ言うところの「疾風怒濤」がヨーロッパ中をあれくるい、いわゆるひとつの「ロマン的危機」が生まれていた。

すなわち、「ロマンチックな時代」です。アンシャン・レジームの封建的な決まりきった日常から明日をも知れない大変動の日々に突入。ロシアやエジプトに侵攻し、次々に新しい世界を切り開いていくナポレオン。その劇的な敗北と失脚。ウイーン体制の反動など、要するに少年漫画もびっくりの冒険・どんでん返しがこれでもかと押し寄せ、美術の世界でも劇的な世界の動きに感化された劇的な絵画が生まれました。これがロマン主義美術です。

そしてロマン主義美術の大本山フランスの、ロマン主義美術の旗手として活躍したのがドラクロア。とここまで書けばどんな絵かは自明と思います。代表作を掲載してみます。

キオス島の虐殺

 

サルダナパールの死

 

(第四回)十字軍のコンスタンティノープルへの入城

 

モロッコのスルタン

民衆を導く自由の女神。

さて、ロマンな時代のロマンな絵画で時代の寵児となったドラクロアですが、当時模範とされていた「絵のかきかた」と差があったため、アカデミックなサロンとかからは批判の対象となり。

当時の「正しい絵」とは、穏やかで控えめな色彩、厳格で静謐な空間があるべきで、情熱や激情なんて生々しい、はしたないのはやめましょう、という、言ってみれば保守的な内容を求めていたのに対し、ドラクロアの絵はその逆でした、ということで、例えば「キオス島の虐殺」は「絵画の虐殺だ!」と批判を浴びたりしました。

といって、いかに大本営発表で「正しい絵だけかきましょう」といっても、激動の時代が生み出した激動の絵画は止めることができないわけで。ドラクロアも先輩画家(実は保守派の人)からの後押しなど得て、1822年にパリ・サロンに入選したころから、保守派勢力を一掃しそうな勢いで名声を得始めました。

保守派勢力はあわてふためき。

だれかロマン主義・ドラクロアに勝ると劣らない「新古典主義絵画を代表する絵を描ける」達人がいないのか?と大捜索をはじめたら。。。。

いました。その名もジャン・オーギュスト・ドミニク・アングル。

こまかいこといわんと、まずはアングルのおっちゃんがどんな絵をかいたか見ていきましょう。

玉座のナポレオン(「花とみつばち」ではない)

 

ジュピターとテティス

 

ホメロス礼賛

 

ラファエロとフォルナリーナ

 

ルイ13世の請願

 

Wikipediaによれば、アングルの作風は「入念に構成された調子の緊密な諧調、形体の幾何学的解釈など、入念に組み立てられたテクスチャと徹底的に研鑽された描線、そして緊密な調子の諧調により成立する空間は「端正な形式美」」となっています。すなわち、

◎新古典主義の最高峰にして、具象画、写実主義絵画の完成形に到達した

という恐るべき功績を達成した。

体制派のアカデミズムに祭り上げられた最高有識者のアングルと、民衆の激情を余すところなくぶちまけて時代を駆け上がったドラクロアは、とてもステキな好対照をなして、西洋絵画の発展にものすごく貢献したのでした。

ドラクロアとアングルの対立。当時の風刺画

ドラクロアは、アングルのことを「不完全な知性の完璧な表現」と言い、アングルの方はドラクロアのことを「醜く恐ろしいものしかかけない」と憐れんでいたそうです。ははは

両者の絵を並べてみます。

要するに、アングルは「NHKの教育番組」であり、ドラクロアは「ちょっと穏やかな韓流ドラマ」ですね。。。。なお、韓流ドラマをえげつなくして、それこそ醜いもの、恐ろしいものを強調していくと「コンテンポラリーアート」へ行ってしまうので、また別の記事でトライしてみます(現代アート好きのみなさんごめんなさい)。

さて、世間一般で通用している両者のイメージはこんな感じですが、実はもっとやばい所で両者類似点があるかも?

ドラクロアの方はあまり陰ひなたがなくて、すなおにロマン主義路線を驀進しており。問題はアングルで、新古典主義アカデミズムのインフラや地位を謳歌しながら、実は?な絵をかいたりしています。

たとえば

グランド・オダリスク

デフォルメです。

新古典主義のくせに、端正を放棄して「ロマンチックなプロポーションを妄想」しています。

しかも「胴長」です。

どういう美的感覚しているんだアングル?まあ、美的感覚なんて個人の自由ですけど。ほかにも首が異様に太い女性とか、なんか「壊れてる?」

通報一歩手前の怪しいおっちゃんなのかもしれん。

当然ながら「椎骨が2つか3つ多すぎる」などと猛批判にさらされてしまい。ただ、上記のとおりこういうアプローチで議論を白熱させてしまうと「新古典主義の旗手アングル」が旗手でなくなってしまうし、アングルの方も自分の表現を顧客に普及してくれる重要なストラクチャーである体制派の組織や人々とそうそうケンカするべきではないということを十分理解しており。10年近く批判にさらされながら、アングルが新古典派での地位を固めるに従い、うやむやじゃなかった円満に収まったらしい。

花とみつばち。♪僕たち男の子♪ヘイヘイ!

要するに、アングルは「隠れロマン主義だったんじゃ?」なのかもしれません。ははは

もしかして、1850年くらいのパリの、とある料亭じゃなかったどこかのカフェで、アングルとドラクロアが密会していたりして。。。。。

アングル「いやいやこたびの新聞では拙者とお主がますますいがみおうていると書き立てておるぞ」

新聞の挿絵

ドラクロア「フォッフォッフォ、めでたいことでござるな。これで頭空っぽのブルジョアどもが報道に躍らされ、ロマン主義も新古典主義もますます注目を浴びて、絵が高く売れることとなろうぞ」

アングル「まさにその通りじゃ。お主もぜひアンチ新古典主義のアジテーションを引き続きお願いいたすぞ。拙者は宮仕えの身。作法から外れた言動をいたすとサロンから締め出しを食らうでのう」

ドラクロア「いやいや拙者もこのところサロンに認められて、ゆえにあまり派手な絵もかきにくくなってしもうてな。いっそアングル殿のように体制に担がれた隠れロマンチックになりとうござる」

アングル「しかし、それも窮屈でござるぞ。まあ絵が売れて生活安泰なのは良いことでござるがな。ロマンチックな絵を新古典主義として売るのもなかなかに面白いものじゃ」

ドラクロア「お主もワルよのう」

アングル「おぬしこそ。フォッフォッフォッフォッフォ。。。。。」

最後はよい子の創作童話でした。

「アンジェリカを救うルッジェーロ」ドミニク・アングル

お主もワルよのう、の元ネタはこちら↓

ではでは。。。

 

Posted by 猫機長