久々に西洋美術のお話です。でも、単なるウケ狙いのおもしろ記事ではなく、リピーター読者の皆さんには、成功法則や資金投資に関するポイントも詰まっている記事だとお分かりと思います。
さて、フランス革命からナポレオンの第一帝政、ウイーン体制からの共和制や王政の入れ替わりの時期にあたる1798年から1863年に、フェルディナン・ヴィクトール・ウジェーヌ・ドラクロワというにいちゃんが登場しました。同時期の1780年から1867年にはジャン・オーギュスト・ドミニク・アングルが登場。ちなみに、1867年は日本では大政奉還が起き、次の年の1868年に元号が「明治」になった。
つまり、世界中で大変動が起きており。フランスではギロチンで王様の首がちょん切られ、ナポレオンが下剋上で帝政を敷いてヨーロッパを荒らしまわった。ゲーテ言うところの「疾風怒濤」がヨーロッパ中をあれくるい、いわゆるひとつの「ロマン的危機」が生まれていた。
すなわち、「ロマンチックな時代」です。アンシャン・レジームの封建的な決まりきった日常から明日をも知れない大変動の日々に突入。ロシアやエジプトに侵攻し、次々に新しい世界を切り開いていくナポレオン。その劇的な敗北と失脚。ウイーン体制の反動など、要するに少年漫画もびっくりの冒険・どんでん返しがこれでもかと押し寄せ、美術の世界でも劇的な世界の動きに感化された劇的な絵画が生まれました。これがロマン主義美術です。
そしてロマン主義美術の大本山フランスの、ロマン主義美術の旗手として活躍したのがドラクロア。とここまで書けばどんな絵かは自明と思います。代表作を掲載してみます。
キオス島の虐殺
サルダナパールの死
(第四回)十字軍のコンスタンティノープルへの入城
モロッコのスルタン
民衆を導く自由の女神。
さて、ロマンな時代のロマンな絵画で時代の寵児となったドラクロアですが、当時模範とされていた「絵のかきかた」と差があったため、アカデミックなサロンとかからは批判の対象となり。
当時の「正しい絵」とは、穏やかで控えめな色彩、厳格で静謐な空間があるべきで、情熱や激情なんて生々しい、はしたないのはやめましょう、という、言ってみれば保守的な内容を求めていたのに対し、ドラクロアの絵はその逆でした、ということで、例えば「キオス島の虐殺」は「絵画の虐殺だ!」と批判を浴びたりしました。
といって、いかに大本営発表で「正しい絵だけかきましょう」といっても、激動の時代が生み出した激動の絵画は止めることができないわけで。ドラクロアも先輩画家(実は保守派の人)からの後押しなど得て、1822年にパリ・サロンに入選したころから、保守派勢力を一掃しそうな勢いで名声を得始めました。
保守派勢力はあわてふためき。
だれかロマン主義・ドラクロアに勝ると劣らない「新古典主義絵画を代表する絵を描ける」達人がいないのか?と大捜索をはじめたら。。。。
いました。その名もジャン・オーギュスト・ドミニク・アングル。
こまかいこといわんと、まずはアングルのおっちゃんがどんな絵をかいたか見ていきましょう。
玉座のナポレオン(「花とみつばち」ではない)
ジュピターとテティス
ホメロス礼賛
ラファエロとフォルナリーナ
ルイ13世の請願
Wikipediaによれば、アングルの作風は「入念に構成された調子の緊密な諧調、形体の幾何学的解釈など、入念に組み立てられたテクスチャと徹底的に研鑽された描線、そして緊密な調子の諧調により成立する空間は「端正な形式美」」となっています。すなわち、
◎新古典主義の最高峰にして、具象画、写実主義絵画の完成形に到達した
という恐るべき功績を達成した。
体制派のアカデミズムに祭り上げられた最高有識者のアングルと、民衆の激情を余すところなくぶちまけて時代を駆け上がったドラクロアは、とてもステキな好対照をなして、西洋絵画の発展にものすごく貢献したのでした。
ドラクロアとアングルの対立。当時の風刺画
ドラクロアは、アングルのことを「不完全な知性の完璧な表現」と言い、アングルの方はドラクロアのことを「醜く恐ろしいものしかかけない」と憐れんでいたそうです。ははは
両者の絵を並べてみます。
要するに、アングルは「NHKの教育番組」であり、ドラクロアは「ちょっと穏やかな韓流ドラマ」ですね。。。。なお、韓流ドラマをえげつなくして、それこそ醜いもの、恐ろしいものを強調していくと「コンテンポラリーアート」へ行ってしまうので、また別の記事でトライしてみます(現代アート好きのみなさんごめんなさい)。
さて、世間一般で通用している両者のイメージはこんな感じですが、実はもっとやばい所で両者類似点があるかも?
ドラクロアの方はあまり陰ひなたがなくて、すなおにロマン主義路線を驀進しており。問題はアングルで、新古典主義アカデミズムのインフラや地位を謳歌しながら、実は?な絵をかいたりしています。
たとえば
グランド・オダリスク
デフォルメです。
新古典主義のくせに、端正を放棄して「ロマンチックなプロポーションを妄想」しています。
しかも「胴長」です。
どういう美的感覚しているんだアングル?まあ、美的感覚なんて個人の自由ですけど。ほかにも首が異様に太い女性とか、なんか「壊れてる?」
通報一歩手前の怪しいおっちゃんなのかもしれん。
当然ながら「椎骨が2つか3つ多すぎる」などと猛批判にさらされてしまい。ただ、上記のとおりこういうアプローチで議論を白熱させてしまうと「新古典主義の旗手アングル」が旗手でなくなってしまうし、アングルの方も自分の表現を顧客に普及してくれる重要なストラクチャーである体制派の組織や人々とそうそうケンカするべきではないということを十分理解しており。10年近く批判にさらされながら、アングルが新古典派での地位を固めるに従い、うやむやじゃなかった円満に収まったらしい。
花とみつばち。♪僕たち男の子♪ヘイヘイ!
要するに、アングルは「隠れロマン主義だったんじゃ?」なのかもしれません。ははは
もしかして、1850年くらいのパリの、とある料亭じゃなかったどこかのカフェで、アングルとドラクロアが密会していたりして。。。。。
アングル「いやいやこたびの新聞では拙者とお主がますますいがみおうていると書き立てておるぞ」
新聞の挿絵
ドラクロア「フォッフォッフォ、めでたいことでござるな。これで頭空っぽのブルジョアどもが報道に躍らされ、ロマン主義も新古典主義もますます注目を浴びて、絵が高く売れることとなろうぞ」
アングル「まさにその通りじゃ。お主もぜひアンチ新古典主義のアジテーションを引き続きお願いいたすぞ。拙者は宮仕えの身。作法から外れた言動をいたすとサロンから締め出しを食らうでのう」
ドラクロア「いやいや拙者もこのところサロンに認められて、ゆえにあまり派手な絵もかきにくくなってしもうてな。いっそアングル殿のように体制に担がれた隠れロマンチックになりとうござる」
アングル「しかし、それも窮屈でござるぞ。まあ絵が売れて生活安泰なのは良いことでござるがな。ロマンチックな絵を新古典主義として売るのもなかなかに面白いものじゃ」
ドラクロア「お主もワルよのう」
アングル「おぬしこそ。フォッフォッフォッフォッフォ。。。。。」
最後はよい子の創作童話でした。
「アンジェリカを救うルッジェーロ」ドミニク・アングル
お主もワルよのう、の元ネタはこちら↓
https://www.youtube.com/watch?v=q0VfwEdikYk
ではでは。。。
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