こないだ、現代日本をそのままカリカチュア化したんじゃね?というような、へんな映画を見ました。
その名も「プラットフォーム」及び「プラットフォーム2」
出展:相関図あり『プラットフォーム』ネタバレ考察・解説|気持ち悪い映画の意味とは – モヤシネマ
例によって、Wikipediaから、まず第1作「プラットフォーム」のネタバレ(要約)です。(プラットフォーム (映画) – Wikipedia)
「“穴”と呼ばれる場所の48層で目覚めたゴレン。牢獄のような部屋には中央の天井と床に四角い穴が開いており、上下にも同様の部屋がいくつも確認できる。
食事は1日に1度、浮遊する不思議な台“プラットフォーム”に乗せられた山盛りのご馳走が天井の穴を通って降りてくるが、上の層から順番に食べるため下の層になるほど酷い有様になっていく。 “プラットフォーム”は最下層まで到達すると上昇するが、高速すぎて飛び乗ることは不可能だった。1ヶ月が経つと部屋の住人2人は階層が変更される。
部屋替えによってゴレンは骨の1本すら残らない171階層に送られてしまう。同室者に拘束されたゴレンは、非常食として太ももを切り取られそうになるが、逆に同室者が殺害され、その死体に群がる虫で飢えを凌ぐ。
最下層が250層だと予想したゴレンは“穴”のルールを変えるため、武器を持って“プラットフォーム”に乗り、下りていった。
予想を超えて到達した333層には幼い少女が息を潜めて隠れていた。
333層の下は明かりのない巨大な空洞で、そこが“穴”の最下層だった。ゴレンが“プラットフォーム”を降り、“メッセージ”として上っていく少女を見送ったところで物語は終わる。」
要すれば、牢屋の話ということである。
その牢屋は、2人の相部屋で、ど真ん中が四角くぶちぬかれた穴になっており、ここに食い物を乗せた台すなわちプラットフォームが上の階から下の階まで下りていくという設定である。

https://note.com/maro4716/n/n06e6fe18866b

https://www.filmaffinity.com/ve/film675103.html
この設定をみれば、この映画が現代社会の戯曲化だということが一発で分かってしまうと思います。
「食い物(金)」が上流階級から順に食い荒らされて、下層の住民は文字通り飢え死に。
スペイン人が作った映画らしく、カラっと明るい比喩ですねえ。
さて、特に産業革命このかた、世界中で資本主義批判が展開されてきました。
有名なのに、下の絵画があります。

https://sekainorekisi.com/glossary/%E8%B3%87%E6%9C%AC%E4%B8%BB%E7%BE%A9/
上の絵では、一番上にお金の詰まった袋が描いてありますが、映画の方はこれが「プラットフォームいっぱいのごちそう」ということである。
上の絵(1911年)から今日(映画)まで、どのような変遷があったかというと。
1900年代初頭は、王侯貴族や僧侶、労働者階級と社会階層が分けられており。経済以前にそもそも身分による差別が公然と存在していた。お金は上の階層から下の階層まで順次中抜きじゃなかった間引きされてゆき。最下層は、他の階層に比べても著しく悲惨な状況になっていた。
現在は「一億総中流」ですが、実態はやれマス層だ、やれアッパーマスだと、映画でいえば「0階」から「333階」まで身の毛のよだつ「機会の格差」をもがき苦しんで上下している。王侯貴族は、いることはいるけど希少種になり、ほとんどは「中流」と見えて実態はすなわち一番下の労働者層なのである。くどいけれど、上から下まで、社会的には同じ下層階層に属する現代人が、物理的に生存を左右する、垂直配置のセルに不作為に放り込まれ、一か月ごとにこれも不作為にシャッフルされるという設定になっている。
このへんで、この映画から感知することのできる現代社会の恐ろしいからくりが明らかにできると思います。
つまり、1900年当時は「上流階級から搾取される貧困層」だったものが、現在では「一般市民同士で互いに搾取し合う」に転換されてしまっていたのだった。
救いようがないですねえ。めでたくなしめでたくなし。
というところで、映画は終わってしまいました。ははは
何がはははだ!こんなおちもへったくれもない終わり方をする気か!ボコるぞ猫機長!
いやいや、ちゃんと映画の方でも「資本主義の歪みをどうぶち破るか」を提示する続編を作っていたんですよ。

https://www.farmnews.com.br/mercado/preco-do-boi-gordo-bezerro-milho-e-soja-em-julho-de-2018-a-2024/
というわけで、「プラットフォーム2」です。
牢屋の管理者は、囚人たちの階層は不作為に毎月シャッフルするという規則の他にも、破ったら抹殺だ!という恐ろしい規則を多々作っており。
例えば「宵越しの金は持ってはならない」じゃなかった「食べものをしまっておいて後で食べようとしてはならない」というのがあり、それをやろうとすると、たちまち牢屋がすさまじい高温になり、黒焦げにされるか、その逆に凍り付いて凍死か、という、黒電話頭野郎も真っ青の無慈悲な鉄槌が下されてしまうのでした。
いっぽうで、囚人同士で食い物を奪い合おうが56しあおうが、その辺は管理者側は気にもかけないのだった。
この点に気づいた囚人たちが、「プラットフォーム2」ですべての囚人が生き残れる妙案を思いつき。
念のため、「プラットフォーム2」の方が「プラットフォーム」より時系列では前、昔の話なのですが、こんがらかるのでそこは不問にしておきます。
さて。
そもそも、プラットフォームに乗っている食べ物は、囚人の一人一人が管理者側に要望したものが載せられてきている。
つまり、囚人全員分の食糧が載せられており、一人一人が自分の要望したものを食べて、ほかの人のものを荒らさなければ、自動的に全員にいきわたることになっていたのだった。
ははは
このことに気づいたグループが「ロイヤリスト」を結成し。ダギン・バビというリーダーのもと「自分の食べ物だけを食べましょう」という規則を囚人全員に徹底させようと行動を開始。

富農による寡占を排斥したコルホーズ(集団農業)推進のポスター。パブリックドメイン
こうして、みんな平等に自分の分け前にありつき、みんなが共生できる社会ができました、とはならず。
約束破りが続発。
「同士諸君!規則を破る不穏分子は処刑だ!」「規則(正義)のためなら、女子供もぶち56せー!」と、黒電話頭の野郎も戦慄するような恐怖政治に転換し。
映画では、「バルバリアン」という反乱勢力があらわれ、血で血を洗う抗争に発展し、無政府状態に学戻りしてしまいます。
要すれば、資本主義のゆがみをコミュニズムで解決はできませんよ、という、人類が血まみれの歴史で得た教訓が、スペイン映画らしくカラっと明るく提示されていて、安堵しました。
映画自体は、やっぱりどうとでも取れる終わり方をしており、だからどうなの?という感想になってしまいますが、そんなことより、映画が明示した恐ろしい「資本主義のゆがみ」について、「このまま目を背けていたら死ぬかも?」というメッセージが重要であると理解。
コミュニズムが解決できないなら、どうすればいいのか?
もう一度、映画における「階層」の画像を掲載します。

あたかも、無数の階層があるように見えますが、その実は「社畜」というただ一つの「社会層」が「333階の牢獄」の中で互いにつぶし合っているだけだった。
つぶし合いしかない牢獄が唯一の世界だと思っているから、いつまでも牢獄につながれた生活になってしまうのです。
要すれば、牢屋なんて脱出すればいいだけの話なのであった。
狂ったか猫機長?脱出なんてできるわけないじゃね?
いやいや、映画では脱出不可能ですが、現実世界では「経済的自由」というものを達成することができるのです。
映画では、お上から降ろされてくる食い物を必死になって食つなぐ生活であり、現代人も会社だの社長(お客様も含め)だのからお恵み頂く給与とかで食いつないでいますが、働いて、その報酬をいただくという人生がすべてだと思うから「食い物すなわち労働所得」に依存し脱出できない「無期懲役(生涯現役)」になってしまうのです。
映画の囚人たちは、プラットフォームの食糧に生死を握られていましたが、現実世界の我々は労働所得以外の「不労所得」によって自由を得ることが可能です。
3000字越えで終了。最後はかなり強引になってしまいましたが、本稿に出会った皆様は、楽しくてためになるHP「アーリーリタイア・軽飛行機で空を飛ぶ」を熟読いただき、経済的自由を達成されんことを願っています。ははは
ではでは

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