騎牛帰家(きぎゅうきか)

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騎牛帰家(きぎゅうきか)

牛を訪ねて三千里。。。。

前回までは、人と牛が、ぎゃああ!といがみあったりしながらも、次第になかよしになってゆく過程を描写しました。

余計な雑念を落とし去り、ブラインドのなくなった目で牛を発見し、牛の人となりを確認できました。その過程ではまたしても発生する多数の雑念をなんとか意志集中して消し去り、気が付けば別に努力しなくても明晰・清浄すなわち曇りのない状態にいることができ、いつも「牛のいる風景」ですごすことができるようになった、というところまで到達。

ここから先は、人と牛は実は同じ存在の表裏だった?という解明がなされていきます。「真相はこうだ」。

お医者さんに「パスタ食いすぎでコレステロール高すぎ。航空身体検査に受からなくなっちゃうぞ」と脅され、わあああ大変だ、と炭水化物ダイエットを始めます。最初は禁断症状が出てのたうち回りますが、そのうちきゅうりや肉で満足できるようになり。炭水化物についてもパラダイムシフトが起き、全粒種の堅いパンをそのまま食べるほうがおいしいや、ふにゃふにゃのスポンジみたいな食パンにきたない脂(マーガリンとか)を塗ってというのはくどくて。。。とか、砂糖でぎとぎとのコーラやジュースはおいしくなくなり、以前酸っぱくてまずいやと思っていた生ジュース(砂糖のないやつ)やお茶がふつうにおいしくなってきたりします。その結果「コレステロールの数値が一年で60落ちた、すごいね」なんてお医者さんに驚かれたりします。

要は、砂糖だの脂肪だの実は必要ない「雑念」をとりさって、本当においしものが普通においしいと思える体に「調律された」ということであり、ラーメンとかも食べたりしますが、努力して、禁断症状にのたうちながら。。。とならずに、自然に心身が本来いるべき別世界に安住することは確かに可能であるということです。

別の説明をすれば、いつもは意識しない呼吸といったものが、風邪をこじらせて肺炎だ、となったときはじめて「人は意識と肉体が一緒だが肉体のことは忘れていた」ということに気が付きます。いったん気づけば、病気が治っても肉体の大切さは自覚し続け、忘れることはありません(忘れちゃう人もいますが、ははは)。

騎牛帰家の図は、顕在意識と潜在意識の融合と見ることも可能であり。「考える葦S3である人が思考し、思索した結果、意識的に考えている自分(人)が存在のすべてはなく、無意識に行動している自分も同時に存在していることに気が付き。つまり「顕在意識(人間的理性)と潜在意識(動物的直観)」が「お神酒とっくり」のようにセットで人というものが生じる。

お神酒とっくり。2個(一対)で一セット。

仏教の言葉を使えば、六識(目、耳、舌、鼻、身、意(思考))のさらに深層に末那識、阿頼耶識があり、この連絡ができたというステップ。

アセンション書物的な言い方をすれば、ここで人間の個人意識は宇宙意識(中心太陽、セントラル・サン)と結合を果たした。

人も中心太陽もほんらいいっしょであり、捕らえる、放すというものでもなくそんな必要はなかったことに気づきます。

そして中心太陽の背中に乗っかりほかほかとお家に帰るのがこの図です。天上の音楽を、ぴーひゃらら、とかなでながら。よかったね。。。。

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