インベスターZ
さいきん、ようつべでいろいろな人気漫画を知ることができるようになり。「インベスターZ」という、投資をお題とした漫画について、いろいろと面白い情報を得ました。
以下、「努力しなくても人生のレールが敷かれる国」というShortからの情報を転載してみます。なんかリクルート会合とかで新卒の子供たちへの恐喝じゃなかった講話を行った内容らしい。
「あなたたちはとても幸せだ。日本に生まれて、日本の学生でいて本当に良かった。なぜならば、日本は学生にとって就活天国。大したスキルも専門知識もないただの未熟者をいっぺんにドカッと採ってくれる日本の就職はものすごくありがたいことなのです。それを政府も企業も大学もみんな一緒になって後押しする。こんな手取り足取り学生を支援するような国、世界中を見てもどこにもない。実は日本の学生は世界でい一番恵まれている。ロクに勉強しなくても卒業させてくれて「新卒一括採用」というレールを社会がちゃんと用意してくれる。これは天国、パラダイスです。
なのに就活がキツイ、社会は冷たいなどとブーブー文句たれているのはバチあたりもいいところだ!」
こういうのからぜんぜん脱却できない日本の「新兵教育」
ひえええー!日本の新卒大学生にならなくてよかったよかった。安堵。
「大したスキルも専門知識もないただの未熟者をいっぺんにドカッと採ってくれる日本の就職」というところで何か違和感を感じないでしょうか。
◎欧米の場合、入学試験そのものは比較的容易であるが、卒業までに成績(GPA)が厳格に管理され。毎回の授業で膨大な読書課題(リーディング・アサインメント)が出され、議論に参加できないと単位を落とし、卒業までたどり着けない学生も珍しくない。大学は「専門性を身につける場所」であり、学部での専攻が将来の職業に直結する。文系であっても、統計学や論理学などのスキルを磨かないと専門職に就けない。
◎日本の場合、企業が学生に「即戦力」ではなく「素直さや成長性」を求め、学業成績よりもサークル活動やアルバイト、ボランティア活動などの「ガクチカ(学生時代に力を入れたこと)」が評価されるため、学生のエネルギーが勉強以外に向きやすい構造になっている。大学は「社会に出る前のモラトリアム(猶予期間)」や「一般教養を広める場」として機能し、法学部を出て銀行に勤めたり、文学部を出てメーカーの営業職に就いたりすることが一般的であるため、授業の内容を必死に習得する動機が弱くなりがち。
要すれば、欧米の場合は、大学は企業における即戦力となるための専門技能を身につける場であり、在学中の成績によって企業側でも面接とか以前にこいつはこういう技能が得意でこういうのが不得意だから、雇うとしたらこういう部署で使おうという準備ができる。学生から見れば、大学に入ったと同時に実はその時点で「大学に入学」というより「会社に入社」しているようなもので、この「会社」は関連企業のどこでも大喜びで雇ってくれる「キャリア」つまりGPAを蓄積する場だということである。
これが日本だと、なぜか「素直さや成長性」になってしまい。なんか主観的な「計測しづらいスキル」が入社の決め手になるため、学生のほうでも「なんとかしなきゃ」とサークル活動やアルバイト、ボランティア活動に「汗を流し」。欧米でも最低限の人格というか社交性は求められますが、それもエキスパート人材としての技能の内、であり、実は入社後もみんな仲良く、とかより各個人がその技能を出し切って他社との競争に打ち勝つといった意味での協力体となり、メンバー同士でこいつは性格がどうだから好きだの嫌いだのという次元には落ちていかないということなのではないかと思います。
日本の場合は、まずは飲み会で飲みニケーションです、のほうに行ってしまい。だれとでもそつなく、だれにでも通じる話題や経験、要すればみんないっしょでおなじです、となってくれないと困るらしい。
アルハラ防止キャンペーン http://xn--web-j63b3o490p.facebook.com/noaruhara/?_rdc=1&_rdr#
結局、日本の場合どうなるかというと。。。。
変に個人個人で突出した専門技能を持たれてしまっても、みんな一緒ですという教育(洗脳とは言いません。お察しください)の邪魔になるので、ともかく頭真っ白、あえて無能者になるよう官民一体となって学生をしたてあげ。スキルも能力もない、会社の言いなりなるしかない奴隷、企業の養分として吸いつくすための廉価な労働力として、一括で大量確保、とされているのが日本の学生と思います。
だいたい、日本の企業というか、日本人の思考には目標、成果を決めてというのはなくて、というか、頑張って決めようとしても、結局はどうとでもなる内容のものしか決められず。そういった組織で活動する人材となれば、やはりその場の雰囲気といって悪ければ社会経済動向によっていかようにも変化できる人材でなければこまるということになってしまったのでしょう。
あらゆることをやろうとして結局何もできない例
出展:https://note.com/hyamaguchi/n/n0c60c7292ec3
この辺で、日本が戦後経済大国となった原動力を見ることができます。
第二次世界大戦という未曽有の人口調整・経済バランス・産業構造の改革が終わり。世界では前人未到の大量生産、大量消費の時代に入りつつあった。
勝ったほうのアメリカでは、人権尊重すなわち個人の尊重、自由の尊重により、これまた未曽有の「黄金の年代」に入ることができた。
でも、人権尊重と大量生産は、意外と両立しないことが明らかになってゆき。
デトロイトかなんかしれんが、労働者が高い給料をもらい、自分の意見を持つて、言い換えればいちいち会社の方針に文句をたれ、権利を主張して「なまけよう」としている間に、共産主義国家では「収容所群島」で文字通り強制労働により作った製品のほうがコストは数倍安くなり、生産数(生産性とまではいわない)も向上することにアメリカは気づいてしまった。
ソ連との競争に負けるわけにはいかず。
じゃあ、日本人に奴隷働きさせればいいじゃん、とシフトしたのでした。ははは
朝鮮動乱から、日本は世界の工場としての役割を順次アメリカから移転され。軍国主義時代から個人の尊厳を抹殺されることに慣れていた日本人は、人間なのに「弱音を吐かず」機械と同じに稼働してくれる恐ろしい工作機械として、共産圏の奴隷労働をも圧倒して、ジャパンアズナンバーワンになり。アメリカ人が悠々自適な暮らしをするために大きな支援となりました。
*ドイツも似たような役割を担わされたが、こちらは工業技術やイノベーションのほうで貢献し、人権のほうは(西ドイツは)何とか保たれたらしい。
集団就職、というのがあります。
もともと農家の子だくさんで、次男以降は冷や飯食い、というところに、工業化だなんだで長男まで行く末が。。。となってしまった高度成長期。そういった農家の子供たちを、労働者の絶対的不足にあえいでいた大都市の工業・企業が「金の卵だ!」とそれこそ列車だの何だのをしたてて「ドカッと採用した」。
集団就職 https://www.youtube.com/watch?v=yOHTOEmtsic
こうした純朴な農村の少年少女を「文句を言わない便利な工作機械」として活用した結果が、日本の高度成長の原動力になった。
ただ、断っておきたいのが、集団就職が人権侵害かというと「そうでもない、そうではない」と理解しています。
戦時中から「世のため、人のため」と育ってきた日本人。軍閥の影響が少なくてすんだ農村部ではいい意味でまじめに「世のため、人のため」頑張った人が多く。この場合「人」には恐れ多くも天皇陛下や、世間一般の人たちのほかに、ちゃんと「自分自身」も入っていたのです。
これが、なぜ平成の日本では「自分を犠牲にして世のために尽くしています」という方向にゆがんでしまったのでしょうか。
勤勉だね、優秀だねとおだてられ。ジャパン・アズ・ナンバーワンとは、いったい何だったのか。
https://fiwa.or.jp/investlife/wp-content/uploads/2022/05/de2b1030c9245171dbff01b2b2465179.jpg
北朝鮮では「将軍様のため、すべてを犠牲にします」と叫んでいないと生きていけないらしいが、平成の日本でも「将軍様」を「会社」だの何だのに変えないと生きていけないご時世になっていないでしょうか。
集団就職の悪い面だけが、現在の新卒採用に残ってしまっているような気がします。これからは、AIの発達で、人間が機械の代わりになることはできなくなるご時世に向かい、かえって個人の人権が尊重される世界になることを期待しています。
ではでは