ゴリラと人の差:肉食で得た知能を大切に
ゴリラの脳は400グラム。人の脳は1200グラム。同じ霊長類同士でどうしてこの差が出たのでしょうか。
いずれも森林にすんでいた猿からの進化だそうですが、氷河期になり、世界が氷に覆われたり、木が育たなくなり森林が草原になってゆく中で、比較的暖かく森林の残った地域に生息していた猿たちの子孫がゴリラ。草原になっちゃったけど知恵と勇気で進化して絶滅を逃れた種族が人間、ということですね。
森林では、木の実など植物性食品が豊富にあり。ゴリラも草食を主としながら十分100キロの巨体を維持しています。問題は、森林がなくなってしまったとき、草原の草ではとても生きていけないことで、この状況に投げ出された原人たちのうち、肉を食べることを知った人たちだけが生き残ることができたというのが進化の真相らしい。
肉食には逃げ回る獲物を狩るための原人たちの連係プレーとか、石器、矢じり・弓等の道具の発明など、それ自体知能を発達させる要素はあったのですが、ゴリラ(猿)から人への進化の決定打となったのは「タンパク質と動物性油脂」だそうです。
現在の人の脳の50%が「アラキドン酸」「ドコサヘキサエン酸」のような多価不飽和脂肪酸で構成されており、いずれも「必須脂肪酸」つまり人体内では合成できず食事で摂取する必要がある。そして一番手っ取り早いのが「肉と魚を食べる」ことだそうで、植物にはこれら脂肪酸はわずかしか含まれていないとのことです。
これは決して草食主義では生きていけないという意味ではありません。氷河期で肉食するしかなくなった人はアラキドン酸等の接収量がぐんと増え、脳の容量が飛躍的に増えたという意味です。
大軍に兵法なし(Financial 1.9.)、ではないですが、脳はでかければでかいほど知能も発達する(体重、体長とのバランスも大事。象の脳は人間の脳よりも重いですがだから知能が人間を超えるというわけではないので念のため)。
さて人間は脳がでかくなり、ほかの動物では得られない属性(知性)を獲得することができました。
それは
◎自己客観視、自己遡及能力(自分と自分でないものを見分け、自分の行動を意識的に体験し・振り返り・未来の準備ができる能力)
◎三項関係の理解(私が何を見ているか、あなたが何を見ているか、そして、あなたの心の中に私の心が見えていて、あなたの心の中に私の心が映っている、あなたが想像しているということを私の頭の中に想像できるという能力)
もちろんチンパンジーなど自己客観視ほか萌芽を見ることのできる動物もありますが、人間のように意識的に自他との関係を把握・操作する能力には決定的な開きがあります。
まさに人間は「考える葦」になった時点で「葦」から「人間」に進化したということである。
そして人間は十分発達した「自意識」で自分でないもの、自分より進化したものつまりセントラル・サン(神、なんみょうほうれんげきょう、牛)を知覚し、その牛に進化すべく探索を始めた(S0)、ということですね。
最後は自意識からさらに進化した「超意識?」、にるばーなとか解脱とか覚醒とか、つまり自分とすべては一緒でありすべてである自分は存在するが自分というすべてから隔絶した個体は存在しないということに気づく。ううむややこしくて意味不明になってきた。
脳の発達により意識を獲得した人間。この意識を大事に、そして進化させるために「食べる」ことを見直す(S4.)のもいいかもしれません。
本当に進化した人は「食べても殺さない」つまりフル―タリアンで、木の実(フルーツ)は食べても種は発芽できるように撒いたり植えたりしてあげる、そんな人だと思いますが、そこまで進化できていないぼくは肉も食べてタンパク質や何とか脂肪酸も補給するようにしています。いつか「培養肉」が本格化し、「殺さないで作った肉」が食べられるようになったらいいなと思っています(人は食べなくても生きられる、というのはまた別の進化の次元ですね、ははは)
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