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小さなアントノフのお話

アントノフ、と聞いて、皆さんは「ミリア」を思い浮かべると思います。

「ムリ―ア」「ムリ―ヤ」などとも呼ばれますが、この記事では「ミリア」で統一させていただきます。

飛行機ファンでなくても、あウクライナ戦争で破壊されたでっかいやつのことね、と思い至るかもしれません。

とにかくでかく。下の画像のように、エアバスA380もしのぎ。737だと2機以上もあるのでした。
True size of the Antonov : r/aviation
 

 

なんでこんなにでかいの?理由をまとめると以下のとおり。

ブラン宇宙往還機の輸送: これがAn225開発の主目的。ブランを機体の上部に積載して運ぶために、これまでの航空機よりも遥かに大きなペイロード能力と機体サイズが求められた。
超大型・超重量貨物の輸送: 宇宙計画以外にも、巨大な発電機、風力タービンのブレード、ディーゼル機関車など、陸上や海上での輸送が困難な超大型・超重量貨物を空輸できる唯一の手段として、その能力が活用された。
既存機のAn-124の拡大: An225は、すでに大型輸送機として実績があったAn-124「ルスラン」をベースに開発。これにより、開発期間とコストを抑えつつ、さらに大きな積載能力と機体サイズを実現できた。

ブランを運ぶミリア
Soviet-era space shuttle carrier aircraft destroyed in Russian attack on Ukraine | collectSPACE
 

 

夢の超大型機ミリアですが、ロシアの狂った独裁者の手にかかってしまい。2022年2月のロシアによるウクライナ侵攻初期に、キーウ近郊のホストメリ空港での戦闘で破壊されてしまいました。機体は炎上し、胴体や主翼に大きな穴が開き、エンジンも大破するなど、飛行不可能な状態であることが確認されています。

 

でも、今日のお題はでかいほうのアントノフではなく、「軽飛行機アントノフ」についてです。

その名も「An2」。

1940年代に設計され、世界中で使われたベストセラー機です。冷戦時代の飛行機なので、西欧やアメリカなどではなかなか。。。ですが、ブラジルではたくさん飛んでおり、2020年の情報によると、ブラジルには少なくとも9機のAn2アントノフが登録されているとのことである。航空管制から外れているFIR空域で飛んでいる奴は登録していないのもあると思われ。飛んでいるAn2の数字はもっと増えると思います。2020年にはポーランドのPZL-Mielec社が1987年に製造したAn2が、最低入札額500レアルでオークションにかけられたというニュースがありました

500レアルというと100ドルまでいきませんからねーちゃんと飛ぶのだろうか?

ギャグではなく、100ドルでもちゃんと稼働できるのが買えるんじゃね?というくらい原始的というかタフというか、そんな飛行機がAn2なのだった。

ついた異名が「ククルーズニク(トウモロコシ野郎)」。要すれば、ジープとVWかぶと虫を足して2で割ったような飛行機らしい。どんな過酷な運用条件(気象条件とはいいません)でもとにかく飛んでくれる。

世界の名車かぶと虫
 

 

いきおい、複葉機です。

ブラジルで飛んでいる奴を発見。100ドルかどうかは不明
PT-FZF/PTFZF aviation photos on JetPhotos
 

 

複葉機ゆえに、以下の利点があり。

短距離離着陸(STOL)性能: 未舗装の滑走路や、非常に短い距離での離着陸を可能にするため。

低速での安定した飛行性能: 農業散布、輸送、旅客輸送など、多様な用途で安定して運用できること。

高い揚力: 重い荷物を運ぶ能力。

翼が2枚あることで、同じ翼幅の単葉機よりも大きな翼面積を確保して、より大きな揚力を発生させることができ。低速での安定性が高く、特に農業散布などの精密な飛行が要求される任務が得意に。

上下の翼を支柱とワイヤーで連結することで、構造的な強度と剛性が向上した。これにより、粗い滑走路からの離着陸や、悪条件での運用にも耐えうる頑丈な機体となった。

低速での失速特性が穏やかで、安全性が高い。パイロットから見たら、これが一番ポイントが高いなあ。

構造が比較的シンプルであるため、野外や限られた設備での整備が容易。これは、ソビエト連邦の広大な地域での運用を想定していたAn2にとって重要な要素であった。

一方で、いくつかの弱点もあり。

とろい(遅い)。翼が2枚あり、さらにそれを連結する多数の支柱やワイヤーが存在するため、単葉機と比較して空気抵抗が大幅に増加してしまった。An2の巡航速度は非常に遅く(約60~110ノット)、現代の航空機とは比較にならず。長距離移動には不向き
整備がめんどい。精密な整備機械や工具は必要ないとしても、翼が2枚あり、支柱やワイヤーで連結する必要があるため、単葉機と比較して整備の手間が2倍になってしまう部分があり。
やっぱりとろい(操縦性の応答性の低さ)。翼面積が大きいことや、高い慣性モーメントを持つため、ロール(左右に傾く動き)などの操縦に対する応答が比較的遅い傾向がある(Google Gemini先生より)。

あれ、複葉機なのに運動性が悪いのか?Geminiくんと対話した結果、以下の回答がありました。

「空飛ぶダンプカー」のような操縦性: An2は、頑丈な構造から、「空飛ぶダンプカー」と評されることがあります。繊細な操縦応答性よりも、荷物を大量に積んで未整備の滑走路から離着陸できる高いSTOL(短距離離着陸)性能が重視されています。
重い操縦桿: An2はアシストされたフライトコントロール(パワーステアリングのようなもの)を持たないため、特に乱流の中では操縦にかなりの「力」が必要とされます。旋回する際には、W字型のコントロールヨークを両手で操作するのが一般的とされています。
ロール方向の操作性の重さ: 4枚の翼全てにプッシュロッドで制御されるフラップとエルロンが備わっており、フラップが下がるとエルロンも連動して下がります。巡航速度(約145km/h)でも低速飛行時(約70km/h)でも、ロール方向の制御に必要な力は「重い」と表現されます。
鈍重だが非常に許容度が高い: その分、多少の操作ミスやエネルギー不足の状態でも、パワーを絞って操縦桿を中央に戻せば、機首が下を向き、飛行を再開すると言われるほど、高い安定性と許容度を持っています。

なんとなく初級練習機みたいなテイストらしい。

一種のブッシュプレーンであり。道なき道じゃなかった滑走路なきロシアや東欧(ブラジルも)のど田舎においては、人も荷物もそこそこ運べ、農薬散布にも大活躍のAn2は得難き逸材として頼られたものと思われます。

変わったところでは「林業機」というのがあり。さすがに丸太は重すぎて運べなかったでしょうが、林業計画に必須の森林情報収集のために低速で飛び回り、測量などに活躍したらしい。

軍用でもパラシュート降下訓練などのほか、地上襲撃機としても使われ。ヘリコプターと空中戦をして撃墜されちゃったなどの伝説があります。

伝説ではなく、ベトナム戦争時に本当にあったらしい(パブリックドメイン)
 

 

ただ、北朝鮮だの共産圏の軍隊で多用された飛行機であり。撃墜されてもなんとかうまく落っこちて(不時着、パラシュート脱出などして)、うまく捕まることさえできれば、西側の捕虜になれて、はっきり言って捕虜生活の方がずっと人道的だぞ!という救いがあるとは思います。

非道な国のパイロットになると、人権蹂躙に耐えられず、戦争でもないのに自ら捕まりに行くのもおり。

「ベレンコ中尉」という言葉が脳裏によぎった人はじいさんです。脳裏によぎらなかった子供たちには「ベレンコさんというソ連のミグ25戦闘機パイロットが、ロシア本土から脱出し、自衛隊のレーダー網をかいくぐって函館空港へ強行着陸し。西側の保護を受けることに成功した事件」と要約しておきます。

函館空港へ高飛び成功したミグ25
https://www2.nhk.or.jp/archives/tv60bin/detail/index.cgi?das_id=D0009030142_00000
 

An2にもどり。

最近では、エンジンをターボプロップに替え、空力特性などもさらに洗練させた最新型が導入されたか、導入する動きになっているらしい。

An2 – ナムウィキ
 

 

パイパーPA18 やセスナ150など、本当の名機は時代が変わっても多少の手直し(上の新形は別の飛行機みたいになっちゃったけど)で現在も飛びまわっています。An2もDC3等と並ぶ名機として、個人所有のたんなるレクリエーション機でいいから、世界中をもっといっぱい飛んでいってほしいと思っています。

農作業など、下方がよく見えるように工夫したAn2の側面風防
Why does the AN2 got the side cockpit windows sticking out? : r/aviation
 

ではでは

 

Posted by 猫機長
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気流を見た人:ケリージョンソン

むかしむかし、アメリカにジョンソン少年というかわいそうなクソガキがいました。

鉱山労働者の息子で、要すればストリートチルドレン一歩手前の境遇で育ち。ろくな飯も食えずに育った割には、いじめに来たガキ大将を返り討ちにして、クソガキ仲間から「ケリー」という称号をもらったとか、暗い荒んだ少年時代を過ごしたらしい。

しかし、ケリージョンソンにとって、暗かろうが荒んでいようがそんなことはどうでもよく。

とにかく機械が好きだった。13歳の時には新聞の広告を見て、自宅の自動車を修理したなど、ただのクソガキではなく、機械工学の天才に、知らないうちに育っていたのだった。

当時は、ドサ周りの曲芸飛行士がその辺の田舎を飛び回っており。ジョンソン少年もなけなしの貯金をはたいて体験飛行に乗せてもらったのが運の尽きで、空を飛ぶことの魔力に取りつかれてしまい。

絶対飛行機のテストパイロット兼エンジニアになるぞーと誓ってしまったのだった。

Clarence Leonard “Kelly” Johnson パブリックドメイン
 

 

底辺労働者の息子だった割には高校まで卒業し。さてどっかの鉱山で底辺労働者だねーとはならず。

高校での狂った成績や、機械工学に関する、オタクではすまされない、別世界を行くような発想や知見により、仲間や教師たちが後押しや援助してなんとフリント・ミシガン大学に入学したのだった。

修士号、博士号をあれよあれよという間に取得し。

よしよし、いよいよテストパイロットになってやる!と陸軍航空軍を受験。

なんか技能面、体力面のテストがあったらしいが、体力面はフツーにクリア。技能面では試験管を狂乱させるほどの優秀さを示したらしい。

航空軍側も、なんかすごいのが乗り込んできたぞ!と騒然となり。

しかし、視力検査であっさり不合格になってしまい。

航空軍側も、こいつは何とかして合格させることはできないか、とまた騒然となり。

あーでもないとこーでもないと大騒ぎした結果

「アメリカ陸軍航空軍には規格に合わない奴を置いておく余裕はない」と、にべもなく切り捨てられたのでした。

ははは

しかし、単に切り捨てられたのではなく。いろいろあって、気が付いたらロッキード社の設計技師になっていた。

そこでもさっそく話題になり。

「こいつは気流を視覚化できるのではないか?」

飛行機の設計には、やれ抗力だやれ揚力だと、空気力学、流体力学のキチガイになりそうな計算が必要なのですが、その計算を暗算でやってしまうというか、そもそも結果が閃いてしまうというのか、時代劇でいえば「暗闇の中に白い電光が見え、光の通り刀を振り下ろしたら、敵が血まみれになってもがいていた」みたいな、たとえが悪いかもしれんがそんな感じだったらしい。

もちろん1日18時間労働だの、考えて考え抜いた末に、の「白い光が見えるんだ」だったらしいが、それでも周囲から見たら、ベテラン技師の経験をもってしても得られないようなあっと驚く解決策をズバズバ、という感じだったらしい。

そんなケリージョンソンのもとに、米陸軍航空軍から戦闘機設計の依頼が来た。

当時すでにメッサ―やスピットが初飛行しており。アメリカもP36とかはあったが、がんばってP40にバージョンアップしたところで出遅れは目に見えていた。

P36 https://aerocorner.com/aircraft/curtiss-p-36-hawk/
 

 

後追いしているだけでは水を開けられる一方だ!なんか次元の違うものを作らなくては!

次元が違うというのなら、宇宙人にやらせよう。ということで、あのときの怪人ケリージョンソンに「プロポーザル X-608」が提示されたのだった。

その内容は。。。

速度と高度の絶対的重視

高度6,100メートルで時速580 km/以上を達成すること。アメリカのどの戦闘機も到達していないものであり、世界最高水準だった。

上昇能力: 高度 6,100メートルまで6分以内に到達する能力。敵の爆撃機を迅速に迎撃するための、高い上昇率。

迎撃と破壊を目的とした強力な武装

集中火力: 最低454kgの武装(機関砲と大口径機関銃)。25mm機関砲1門と12.7mm機関銃4挺という狂った火力。

意外にシンプルで、どこかの零戦みたいに「格闘性能ニオイテ九六艦戦ニ劣ラザルコト」みたいに、余計なというかすべてを台無しにするようなことは書いていなかった。

要求そのものは別次元だが、しっかり方向性が明確化されていて、達成方法も極めて自由という、いかにもアメリカらしい奔放としたものだったのである。

方向性が全くなく、すべてをやらせようとして結局何もできない例
https://note.com/hyamaguchi/n/n0c60c7292ec3
 

 

それを、アメリカ人から見ても宇宙人だったケリージョンソンが手にしたらどうなるか。

よし、世界最高のPursuiter(パーシューター、追跡機)を作ってやるぞ!

まずはエンジンです。

アメリカの仕様書は、こうなっていた「”USAAC Design Competition X-608. Twin-engined fighter with supercharged engines. February 1937.”」

というわけで、要求の段階で双発ということはコンセンサスであった。

もっとも、当時アメリカで使用可能なアリソンエンジンでは、双発にでもしないと必要な出力が得られないという事情もあった。後のエンジン王国もこの当時はほにゃららだったのである。

これって、ドイツのBf110や、日本の屠龍と同じじゃね?

危うく同じになるところだった。

しかし、ここで宇宙人ケリージョンソンの真価が発揮されたのである。

 

戦略爆撃が現実化してくると、2つの課題が明らかになってきた。

その一つは迎撃。雲霞のごとく襲いかかってくる爆撃機に向けてスクランブルで一気に上昇し、スピードと火力で叩き落す。鍾馗だの雷電だのといった単発重戦闘機が該当。

もう一つは援護。遠く敵国内のライフラインへ殴り込む爆撃機と一緒に行って帰ってこれる航続力が必要だった。こちらは必然的に長距離を安定して飛べる双発機となった。零戦は例外。

 

当時、双発戦闘機というと、爆撃機と一緒になって、はるか遠くの敵地上空で群がる敵迎撃機を撃破する、という常識が出来上がってきており。

この常識だと、爆撃機と同じスピードで同じ高さを同じ進路で飛び、複数の乗員に爆撃機みたいな防御銃火を備えて。。。とどうしてもなってしまうのであった。

Bf110 https://www.recoverycurios.com/messerschmitt-bf-110
 

 

屠龍 https://www.webmodelers.com/201311toryu.html
 

 

ケリージョンソンにとって、同じ進路だのはどうでもよかった。

ともかく、キチガイみたいな上昇力であっというまに敵編隊の上まで上がり。これまた狂った集中火力で敵編隊を片端からみじんに粉砕してやるぜー!

 

双発機のくせに限りなく単発機に近くなった。BF110や屠龍が乗員2名、うち1名が後部銃手なのに、P38はそんなことはお構いなく、乗員は1名。機首に機関砲を集中した。

双発にすると、当然ながら機体は串に団子を三つ刺したみたいになり。団子一つの単発機より空力では相当のマイナスになるはずだったのが、むしろケリージョンソンは真ん中の団子に機銃を集中配置して爆発的な火力を得ることに血道をあげ。残りの2つの団子は極力細くして弱点を補った。双胴形式にしたことは、エンジンの後ろに排気タービン過給機や車輪格納庫など持って行き、「細く長く」で空気抵抗の軽減に貢献した(有害抵抗面積を抑えた)。

中央ナセルがめちゃくちゃ細くなり、事実上ガンポッド化している点に注目
https://www.aircraftaces.com/p38-lightning.htm
 

 

細長くなった双発エンジンのナセルというか胴体というかの先を水平尾翼でつなぎ、なるべく小さく垂直尾翼を付けたら、P38という怪機になった。

知らないうちに、アメリカは世界最強(でなければそれに近い)の戦闘機を作っていたのである。

もちろん、常識なんて知らないよ~んの怪人ケリージョンソンの設計した飛行機です。常識ある使い方をしているうちはろくな結果を出せなかった。

零戦と中低高度で巴戦になり。「ぺろはち」だの「めざし」だのとさげすまされたのは皆さんご存じのとおりです。

そこはアメリカ人は頭がよく。

「戦闘機だからといって格闘戦をする義務なんてねーじゃん」ということに気が付いた。

零戦の上がってこれない高度に、零戦でさえついていけない上昇力でぐわーんと上がっていき。あとははるか下方でくるくる回っている零戦に狙いをつけてハヤブサのごとく急降下し、機首に並んだ大火力機関砲であっという間に粉砕してしまった。

こういうP38ならではの使い方をして、グラマンよりも多くの戦果を挙げた撃墜王を生んだのだった。

https://planesoffame.org/aircraft/plane-P-38J
 

 

ジェミニ君情報ですが

◎P-38 リチャード・ボング 40機

◎F6F デビッド・マッキャンベル 34機

◎F4F ジョー・フォス 26機

怪人ケリージョンソンが生んだ怪機P38。「エネルギー戦」すなわち急上昇からダッシュし高度差を有利に生かすという新たな常識を実行可能にし、「用兵すなわち飛行機の使い方が飛行機の性能に追いついて戦果を上げた」という恐るべき実例ですね。

*あと、零戦をもしのぐ航続距離で、山本長官機を撃墜という「卑劣作戦」もありますが、3000字を超えており、マニアの皆さんすでにご存じなので割愛。

ではでは

 

 

Posted by 猫機長
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時代を先取りした川崎航空機(その2)

前回の記事で、日本がようやく世界のスタンダードといえるコンセプトを取り入れることができた飛行機が飛燕だった、というところまで書きました。

零戦や一式戦じゃないの?いやいやドッグファイトの時代じゃないんですよ

二式戦や雷電じゃないの?いやいや戦闘機との格闘戦もまだまだ必要なんですよ

ということで、どちらもできるバランスの取れた飛行機が必要となっていた。

そのためになにが重要なのか。

このブログの読者のみなさんはすでにお気づきですよね。

そうです。エンジンです。

本当に高性能の飛行機にするためには、パワーレシオ最強、そして空力特性も最高の、余分な脂肪をそぎ落として鍛え抜かれた筋肉のような、そんなエンジンが必要だった。

というわけで、「液冷エンジン」が必須になっていたのです。

なぜ液冷エンジンなの、については前回記事に書きましたので、ここでは一行で要約します。「空冷はエンジン本体で温度変化を耐えるために無駄な余裕が必要なのと、空気抵抗でまくりでせっかくの馬力が台無しになるから」

*アメリカはR2800とか巨大なタービン過給機を付けたりとか、空気抵抗もへったくれもなく、ともかく大馬力のバケモノエンジンでねじ伏せるという外道の行いに及びましたが、これは例外です。こちらの記事をご参照→P47

欧米では、英国ケストレルからパッカードマーリンまで、スピットファイヤ、P51に代表される名戦闘機の液冷エンジンを開発。ドイツもBMWやベンツの液冷エンジンを開発した。

日本で、この現実をスルーせずに受け入れたのが川崎航空機だった。

BMWエンジンを参考に国産化し、95式戦という傑作液冷戦闘機を生み出し。でも複葉だったのでスピードなどに限界が見えていたことから、単葉にして後継をねらったキ28は格闘戦至上で陸軍をよろこばせたキ27に正式採用を取られちゃいましたが、このキ27すなわち97戦が、旧式のI16に追いつけなくて逃げられちゃうじゃん、というショッキングな事態が明らかになり。

95式戦闘機 https://blog-imgs-157-origin.fc2.com/t/e/m/tempunauts/IMG_0967-1.jpg
 

 

キ28試作機
https://www.1999.co.jp/11241267?srsltid=AfmBOopE5l9Z9OnD0D7xYr4jCmYLZ4d7Xl9w4WXtKfaNN51dzDVC-Y9g
 

 

97式戦闘機 http://www.hi-ho.ne.jp/a1takeda/ki-27.html
 

 

I-16 出展 https://flyingheritage.org/Explore/The-Collection/Russia/Polikarpov-I-16-Type-24-(Rata).aspx
 

 

川崎は、へへんやっぱりくるくる回っているだけじゃだめじゃん、そらみたことかー!と、一撃離脱もできる戦闘機の開発を着々と進めたのだった。

といって、格闘戦大好きの陸軍に採用されるためにも、軽快な操縦性は必須だった。

◎重戦闘機のように高速で重火力を持つ

◎軽戦闘機のように軽快に格闘戦を行う

格闘戦というと、いかに小さい旋回半径で敵の後ろに回り込むかなのですが、土井さん(飛燕の設計者)は「旋回半径が大きくなっても、その分速く飛ぶことができれば、相手の懐にもぐりこめるぞ」ということを目指した。

この結果

実態は97戦や一式戦よりはとろいが欧米の戦闘機に比べれば敏捷であり、かつ二式戦よりは遅いにしても欧米戦闘機と引けを取らないスピード、というかんじになり。いいとこどりの「中戦」を生み出すことに成功したのである。

恐るべき傑作機。その名は?

「三式戦飛燕」

飛燕 http://hikokikumo.net/OldHis-Mil-Hien-001Ripier.htm
 

 

日本の戦闘機なので、日本人ごのみの繊細な操縦もできるようになっており。おもにジェミニくん情報ですが。。。

飛燕の操縦性は、多くのパイロットが非常に高く評価していた。

資料によっては「舵の利きもよく、旋回、横転は実にスムーズだ」と評されており。高速機であるにもかかわらず、日本のパイロットが求める「舵の利き」や「運動性」が優れていた。
これは、飛燕が目指した「軽戦の格闘能力」をある程度保つという「中戦」コンセプトが、機体設計の面では成功していたことを示しており。高速性能と軽快さを両立させていた。
ただし、高速での急降下時には舵が重くなるという欠点も指摘されており、これは一撃離脱戦法を重視する欧米の重戦闘機と比較した場合の弱点となった。といって、まともな急降下しようとしたら空中分解しちゃうという、日本機のスタンダードよりはっずっとましだけど。

日本機離れした飛燕のクオリティは急降下以外にもあり。

従来の日本機(零戦や隼)は、運動性を最優先するために防弾装備がほとんどなかったが、飛燕は、

防弾鋼板(防弾鋼)を装備
自動消火装置付き燃料タンク(ただし、本格的な自動防漏タンクではない)
防弾ガラスの採用 など、防御力を高める措置が取られており、日本陸軍戦闘機の中では最も強固な防御力を持つと評価された。

P-51 などの欧米の重戦闘機は、より徹底した防弾装備と強固な構造を持っていたが、軽快性との両立という点では最良のバランスだった。

https://www.tamiya.com/japan/products/60789/index.html
 

 

世界最高の液冷エンジンDB601の発展であるハ40を装備したことからくる、スピードについては

高速性能の実現: 本家DB 601と同じかそれに近い出力が出ていれば、当時の主力機であった一式戦闘機「隼」や二式戦闘機「鍾馗」を凌ぐ高速機となれたであろう。

となっており。

でもスピードを出す飛行機というのは、えてして低速性能すなわち着陸性能がダメダメになっちゃうのですが、飛燕はどうだったかというと、飛燕は従来の日本機(一式戦「隼」や九七式戦など)に比べて機体重量が増加し。

翼面荷重が増した分、離着陸時の速度は、軽快な軽戦闘機に比べると速くなり、離着陸の感覚はより重いものになった。
しかし、離着陸時の安全性を重視し、特に自動式前縁スラット(翼の前縁から自動でせり出す装置)を採用するなど、低速時の安定性を高める工夫を凝らし。これにより、従来の日本機ほどではないものの、欧米の同世代機(特にBf 109などの翼面荷重の大きい機体)と比較して離着陸は容易であったという評価も存在。

ということで、十分実用的なレベルだったんじゃね?これで着陸難しいっていうのは練習不足だと思います。なあんて

結局、中島や三菱が低馬力空冷エンジンに妥協して、小回りの利く軽戦ばかり作って、言っちゃ悪いがお茶を濁したのに比べ、川崎航空機は、時代を先取りして一撃離脱に必要なパワーを供給する液冷エンジンを開発した。

飛燕のエンジン https://www.kawasaki1ban.com/report/49639/
 

 

泣く子も黙るDB601のライセンス版を搭載した飛燕を、連合軍パイロットは次のように評価しています。

◎「従来の日本機にはない高速性、急降下性能、防御力を持つ高性能機」

◎従来の零戦などの日本機と異なり、高速でのダイブで連合軍機から逃げ切ることが可能だった。これは、連合軍パイロットにとっては大きな驚異となった。

◎零戦などと比較して防御装甲(パイロット背後)や自動防漏式燃料タンクを備えており、機体の堅牢性が向上していた。

◎翼内に搭載されたドイツ製20mm機関砲(MG 151/20)などの強力な武装(一型丙、二型改など)は、連合軍のパイロットにとって非常に危険な存在となった。

◎鹵獲調査でも「攻撃力と防御力に優れた素晴らしい機体」と評価された。

そのわりに、零戦とかみたいな大戦果や戦場エピソードとか、ぜんぜん聞かないよね?

なぜか?

それは「エンジンの稼働率が低くて、そもそも離陸できないとか、途中で引き返すなどの機体が多かったから」

戦闘空域まで飛んでいけなければ戦果以前に戦闘そのものが成り立たなかったのであった。ははは

なんとなく四式戦ちっくですよねー整備完調だったら無敵のはずなのに。。。

ここまでくれば、あとはお決まりの「五式戦」ですよねー

三式戦と五式戦 http://www.hasegawa-model.co.jp/product/07454/
 

 

「飛燕は、液冷エンジンを空冷エンジンに換装した五式戦闘機として、末期に米軍機に対して高い評価と戦果を上げています。これは、飛燕の機体設計自体は優秀であったことの有力な証拠です。」とジェミニも言ってますが、これは終戦近くになって空冷でも液冷DB601/605と同等の強力なエンジンが出てきたため(金星60型)、これに換装したら、飛燕本来の性能が発揮できたということなのである。

もしDB605の最新型を完璧な整備で飛燕に装備し。五式戦と「飛燕対決」させたら、液冷型三式戦が空冷型五式戦に勝つと思います。

つまり、液冷エンジンが100%稼働していれば、五式戦みたいな切羽詰まった?みみっちい?間に合わせをしなくても、液冷三式戦の初飛行をもって日本は世界最強の飛行機を獲得していたのではないのでしょうか。

3000字を超えました。

日本離れした傑作機三式戦が、もっと評価されることを願っています。

 

ではでは

 

 

 

 

Posted by 猫機長
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Varig237便:航法と通信のミスが生んだ悲劇

https://betocarva.blogspot.com/2010/02/o-voo-254.html
 

 

以下参考としています:

https://pt.wikipedia.org/wiki/Voo_Varig_254

https://www.desastresaereos.net/historia_03_Varig_254_1.htm(画像も出典記載のないのはここからです)

 

以前、日航123便について書きました。この事故は機材の致命的な破壊によるものでしたが、今回は航法と通信のエラーがどのように重大な結果をもたらしたかについて書いてみます。

まずブラジルの地図を掲載

ジェミニくん提供
 

 

今回のフライトは、地図にマークされた諸都市のほかに、ブラジリア、ウベルランジア、インペラトリズにも寄って、南から北へ全行程で8時間20分、大体2500kmの便であり、事故が起きたのはこの最終行程のマラバからベレンまで50分、440kmの区間でした。

*「飛行計画では高度29,000フィート (8,800m、FL290) で48分(Wikipedia)」となっていた。

 

 

上記画像でマラバ(Maraba)までは順調に飛行し。いよいよ最後の行程としてベレン(Belem)へ向け17時45分頃に離陸。

離陸に前もって、機長は水平方向指示器に、地上クルーから提示された数値0270度をインプット。

水平方向指示器
 

 

フツーに離陸し、8分ほど経過したとき、機長はベレンACC(管制拠点)に連絡しようとしたが、あれ、ぜんぜんつながらないじゃん?幸い、ベレン近郊にヴァリグ266便が飛んでいて、そいつとはつながったので、266便経由でベレンACCとコンタクトした。

時間は経過し。ベレンACCは、フツーの周波数ではらちが明かないので、8.855(kHz) の HF (High Frequency)周波数でのコンタクトをRG254便に指示。これでRG266 便をかまなくてもコンタクトできるようになった。

しかし、この時、RG254便はすでにベレンから1000km離れたところまで進路逸脱していたのである。

その後通常のフライト時間が過ぎ。逸脱には全く気が付かなかった機長は、そろそろ着陸だね、と管制に着陸許可を求め。雲より下に降下。

ところが見慣れたベレンの町明かりが全く見えず。

停電か?

この時、管制は管制でRG254がいつまでもベレンに現れず(当時ベレン空港にレーダーはなかった)、RG254 のほうでも眼下の景色が全然ベレンじゃないじゃん?と焦り始めていたのだった。

機長は、眼下にアマゾン川を発見し。あれベレンを通り過ぎたか。川沿いを南下しよう、と機首を南に向けた。

この時点で予定していた飛行時間より30分以上がさらに経過しており。さすがに迷子になってね?と気が付き。

必死になってこれまでの進路とか航空チャートとかを精査した結果、アマゾン川と思っていたのはシングー川で、実はいよいよベレンから遠ざかっていたことに気が付いたのだった。

ともかく、出発地マラバ空港のロケータにコンタクトだ!

主要空港には、「無指向性無線標識(NDB: Non-Directional Beacon)」があり。ロケータという周波数発信装置がこの標識信号を発信しており、これを飛行機側の「ADF(自動方向探知機)」で受信するという仕組みになっています。

要すれば、迷子になった船が、灯台の光を見て、助かった!となるのと同じです。NDB-ADFは光ではなくて音波ですが。

それぞれの空港のロケータはそれぞれ固有の周波数を発信しており。機長以下必死になってマラバのロケータを探したら、意外にも簡単にチューニングできたではないか!

これで助かった、とは実はならず。

残念ながら、このときRG254便は、マラバではなく、マラバから1400kmも南のゴイアニア空港のロケータにチューニングしてしまっていたのです。

あれ、ロケータごとに周波数が違うんじゃないの?なぜかは謎ですが、なんとマラバとゴイアニアは同じ周波数を使用していたのでした。ははは

マラバとゴイアニアの位置関係に注目
 

 

パイロットが間違わないように、同じ周波数ですが並行してモールス信号により発信地識別信号も送信していたけど。

マラバは「MA」、ゴイアニアは「GO」をモールスでトンツーと常に発信しているので、機長が冷静に聞いていれば「あ周波数は同じだけどこれはゴイアニアだね」と気づけたはずですが、この時機長はじめクルーは極限のパニック状態になっており。「トトン、ツーツー」なんてとても悠長に解読できる状態にはなかったらしい。

こうして迷走しているうちに、ついに燃料の尽きる時がやってきた。

熱帯雨林に強行着陸という、やっていはいけないがやるしかなくなった不時着により、木と衝突してシートが外れただので乗客48名の内13名が死亡。機長は奇跡的に無傷だが副操縦士は重症(のちに回復)しました。

以下、情報をジェミニ君に統合してもらいました

「乗員含め54名中40名以上が生き残りました。しかし、そこはベレンから約1,000kmも離れた、人里離れた密林のただ中でした。

墜落場所が不明だったため、大規模な捜索が行われたものの、現場は発見できず。救助を待つのは限界があると考えた生存者のグループ4名は、自力で助けを求めるために数時間ジャングルを歩き続け、ついに小さな農家にたどり着いた。その農場には無線がなかったため、彼らはさらに車で別の農場へ移動。そこで無線技師の協力を得て、サンパウロ州にあるフランカ空港の職員との連絡に成功し、墜落現場の正確な位置を伝えることができました。」

そこからは空軍による食料投下、ヘリコプターによる救出があり。最終的にブラジリアの病院へと搬送された。

 

RG254便が墜落するまでの軌跡
 

何が理由でここまで迷走したのか?

主因が、以下の図に集約されています

RG254便の飛行計画(フライトプラン)https://www.youtube.com/watch?v=zd_wjssZ7mc
 

 

ここで、0270、すなわち270度だねーとフツーそうなると思います。

しかし、実は027度が正しかったのでした。

誤って270度へ向かってしまったRG254。正しくは027度だった
 

 

えつ。。。。

飛行計画では、くどいけど

0270

です。

この表記は、当時の飛行機が採用していた航法装置が関係していたのでした。

問題は、一番右の0である。

この0は、慣性航法装置(INS)を装備した機材すなわち飛行機の航法装置インプット用の数値であり。当時ヴァリグ社ではDC10がこの装置を使っていた。正確に言えば、この0270は、本当は027.0すなわち27度と、さらにINS用の数値(この場合は0)という意味なのである。

事故機であるボーイング737は、上記の通りVORにNDBなのでこの0は関係なく。すなわち027度と判断し装置にインプットすべきだったのであった。

ほとんど90度近い間違いですからねーこの時点で勝負あったということである。

主因と、連鎖的に発生して不時着を不可避にしたエラーを列記していくと次の通り。

◎まず、270ではなく027だったこと

◎HF周波数でしかコンタクトできなかった時点で、間違ってどこか遠くに行ってない?と気が付く余地はあった(気象条件によってラジオのつながりは悪い、というのはフツーに起きますが)

◎事故は自分には起こらない(起こってはならない)という思い込み:機長は進路を間違えたという認識を拒み。川を見たらベレン最寄りの最も発見しやすい大河→アマゾンだと思い込んでしまった。

◎複数のロケータで同じ周波数の謎。GOとMAを区別するのになぜモールスなのか?モールスはとぎれとぎれで判別不能になりがちで、なぜこんなエラーを誘発するようなシステムになっていたのか?この時点でGOだよと気が付けていたら、まだ最寄りの空軍基地に着陸できるだけの燃料はあったらしい。

結局、ヒューマンエラーですが、エラーを呼び込むようなシステムになっていなかったでしょうか。

生存者の救助
https://web.facebook.com/Varig254/photos/a.3250620781688768/3251599114924268/?id=147885535295657&_rdc=1&_rdr#
 

 

日曜パイロットとして、言えることは。。。

「フライトは、すべてVFRを想定して計画すべし」

この事故は「水平位置支持装置」への方角の入力ミスがすべての発端だった。でも、計器飛行じゃなくて有視界飛行だったら。。。。エアラインパイロットになっても、初級練習生の時を思い出して「あの時のセスナ150は全然信頼できないコンパスしかなくて、それこそ10秒おきに地図とコンパス、そして眼下の地面を見比ていたよな。。。」と回想する余裕があったら、離陸後に、日没の方向がなんかおかしくね?と気が付いていたと思うのです。

羽田の追突事故のように一分一秒の差が大惨事につながる中、パイロットや運航関係者は必死に飛行を計実行し。

「270度」といったん思い込んでしまったときに、ともかく機械に打ち込んで機械に任せ、人間は次のプロシージャーに移らねば!というプレッシヤーのなかで、悠長に「270度ってどっちだっけ?」なんて地図を広げる余裕なんてとてもとても。。。というのが実情と思いますが、いまだ人間が機械を使いこなす必要がある(言い換えれば使いこなすことが可能な)時代であり、航空会社も余裕のある運航を切にお願いします。

 

ではでは

 

 

Posted by 猫機長
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P39:ソ連パイロットは二刀遣いだった

P39は、もともとは「1936年に出されたアメリカ陸軍の高々度新型迎撃機の要求(Wikipedia)」に対応するために生まれたもの。アメリカにとって爆撃機と言えばB17であり、ジャップはともかくドイツがB17なみの「落としても落ちない」重爆でアメリカ本土に襲い掛かってきたときに「Blast it into a thousand pieces (1000個の破片に粉砕する)」というのが使命となった。

似たような目的で生まれたのにP38があり。こちらは「ケリー・ジョンソン」という怪人の設計により、とにかくパワーでたたき伏せるというアメフト的な思考を双発双胴という怪機で実現したのに比べ、P39はアメフト的な怪機ですが欧州的な洗練もある、先進的な機体になった。

P39は、とにかく「37ミリ砲」にはじまり「37ミリ砲」に終わる怪機である。

そもそも、戦闘機に37ミリ砲を搭載するというのがいかに狂っているか。

P38 でさえ20ミリ砲どまりである。他の例をさがすと、屠龍はB29を落とすために搭載するしかなくなり。JU87(スツーカ)も37ミリを搭載したモデルがあったが、とろくなりすぎてソ連戦闘機の好餌となった。

単発戦闘機なのに、双発複座の屠龍や、爆撃機のスツーカのような37ミリを搭載することになったP39。

それでも、後にメッサーシュミットなどと互角以上の格闘をするなかなか軽快な運動性を実現した。

このへんから、P39の先進性を見ることができます。

Bell P-39F Airacobra


 

 

先進性のなかった日本では、まず格闘により敵の後ろにつくことが重要だ!ととにかく軽戦の開発に血道をあげてしまい。

確かに一式戦とかは、たとえP51だろうがスピットファイアだろうが見事後ろにくらいついて機銃の連射を食らわせることに成功した。

でも、「ああああ?機関銃か効かない?」

ああああ?ウルトラビームが効かない?
https://www.youtube.com/watch?v=Tskjow9ihtc
 

 

欧米の戦闘機は防弾がしっかりしており、日本の7ミリ機銃では効果がなかったのだった。ははは

日本人が7.7ミリ機銃で安心しきっていた時に、アメリカ人は37ミリ機銃を乗せようとしていたのである。

プロペラ軸を通して発射。37ミリ機関砲

Bell P-39F Airacobra


 

 

しかし、機首に巨大な対戦車砲を載せてしまったため、エンジンを置く場所がなくなってしまった。

じゃあエンジンはパイロットの後ろに置こうよ、とすなおに発展し。

エンジンとプロペラまでは佐々木小次郎もまっさおの、物干し竿のようなプロペラシャフトでつないだ。

この辺はさすがに工業先進国アメリカで、どこかの雷電みたいにシャフトが異常振動を起こすということはなく。しかし、ちょうどパイロットのお◎んちんの真下にすさまじい回転となるので「シャフトトンネル」という覆いを付けて保護した。

ttps://jp.pinterest.com/pin/4925880837409476

 

 

シャフトトンネルhttps://jp.pinterest.com/pin/153826143518128366/

 

 

エンジンを機体中央付近、機関銃を機首に配置したため、機体前後にのびる重量物を支える「竜骨構造」が採用されキャノピーもスライド式ではなく、自動車のドアみたいなのになった。

P39Q Bell Airacobra – New Guinea Gunfighter

 

 

さらには、通常の尾輪式ではバランスがうまく取れなかったらしく、量産型はすべて前輪式になった。

もちろん操縦者の周囲は防弾版で囲い。

この結果どうなったかというと

「小柄な図体のわりに重くなってしまった」

ははは

仕方なく、最初予定していた排気タービン過給機は載せないことにしましょう、となったが、このため高空性能がだめだめになり。

アメリカ製の割には運動性もよかったのだが、零戦や隼相手では相手にならず。鰹節とか、それほど悪意のないあだ名ですんだけど、p40と並んでやられ役になってしまい。

Żądło w nosie Airacobry

 

 

西欧の高空決戦、太平洋の格闘戦ともにクズの烙印を押されてしまったのでした。

しゃあねえ、ソ連にでも押し付けてしまおう。

ところが、ソ連では救国の殊勲機として大活躍をしたのである。

当時、ソ連はスツルモビーク攻撃機が戦線を支えており。スターリン自ら「ソ連はこの飛行機を空気のように必要としているのだ。増産できなかったらどうなるかわかるな?」と設計生産の関係者を恐喝して、3万6千機という恐ろしい生産数を達成してはいた。

しかし、スツルモビークは、正面下方からの地上砲火に対しては金庫もびっくりの耐久力を発揮したが、後ろから襲い掛かるドイツ戦闘機には意外にもろく。バタバタと落とされていた。

そのスツルモビークを援護するうえで、P39が奇跡の大活躍をしたのである。

なぜか?

その①:戦闘高度が低かった。スツルモビークは地表すれすれに飛んで戦車だの歩兵だのを吹き飛ばしていた。それを襲うドイツ戦闘機もいきおい低高度となり。これをやっつけるP39にとって、この高さなら排気タービン過給機いらないよね、という都合の良い状況だった。

https://ja.topwar.ru/240809-kak-pravilno-prigotovit-shedevr.html

 

 

その➁:高高度からのエネルギー戦が可能だった。あれ、その①と矛盾してね?確かにヤクだのミグだのは地表近くの水平旋回戦で何とか低高度の苦手なメッサーシュミットと戦っていたが、戦闘機同士で急上昇とかすれば、高度5千メートルくらいまでは戦闘高度に入るのである。というか、P39はへんな大口径砲を積んで重くなってしまったため、その重さを逆に利用して、かえって「高空」つまり高度4千だの5千だので待ち伏せし、スツルモビークを襲おうとしたドイツ機を急降下で一気に37ミリ砲の2連射、3連射で木っ端みじんに破壊した上でまたぎゅーんと上昇して立ち去る、という戦法がとれるようになった。

機体の半分は木製にしてとにかく軽く作ったソ連製戦闘機では、なかなかこういった「斧を投げ落とすような」加速はできないし、できても空中分解してしまうらしい。

さらには、ロシア人らしからぬクレバーな戦術として、翼内機銃は外して機体の軽快性を高めたうえでし、残した機首上面の12.7ミリとプロペラ軸を通して発射される37ミリの「同時攻撃」が爆発的な破壊力を発揮した。

機首の37ミリ機関砲

Żądło w nosie Airacobry

 

 

機関砲の下をエンジンシャフトが通り、減速機でプロペラ軸につないでいた

Żądło w nosie Airacobry

 

 

これは、上記の通り逆落としに急降下してドイツ機を狙うとき、敵のほうでも察知して逃げようとするところ、12.7ミリで敵をけん制する。これを避けようとして大きく翼をさらした瞬間に、37ミリが一発でも当たればそのまま敵は空中分解して飛散する、というもの。

これは、なんと二刀流剣道のやりかた、すなわち、小太刀で相手を抑え込んで、居ついた(隙ができた)瞬間に大刀で打っている、というのと同じなのである。

ジェミニくんによれば「ソ連のP-39パイロットは、現代の格闘ゲームのような乱射ではなく、極限まで近づいて、1秒弱の短い連射(2〜3発)を、急所に叩き込むという非常にストイックな戦い方をしていました。」

そして射撃の手法は「1秒以下の指切り」すなわち 「トリガーを「トントン」と一瞬だけ引くイメージです。これで2〜3発が発射されます。(ジェミニ)」で、さらには「敵機の風防のネジが見えるまで近づいてから撃て(ジェミニ)」すなわち50メートルくらいまで近づいてから、という、これは零戦パイロットをほうふつとさせるやり方だった。

二刀流上下太刀。小太刀でけん制して、大太刀できめます。

 

 

あと、ソ連製戦闘機になかった重要な利点として、優秀な無線装置を積んでいたこと。このため編隊空戦とまでいかなくても味方パイロット同士の通信が円滑にできて、やれ「振り子(マヤートニク / Mayatnik)」戦法だのやれ「棚(エタジェールカ)」戦法だの、多層的に多数の見方機が協力し、敵に対して多方向から不断の圧力をかけることができ。「ドイツ空軍の熟練パイロットですら、どこから次が来るか分からないというパニックに陥った(ジェミニ)」

ソ連のエースパイロットを多数輩出したP39。フィンランドのバッファローと同様、適材適所で画期的な成果を上げた好例と思います。

 

ではでは

 

 

Posted by 猫機長
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時代を先取りした川崎航空機

これまで日本機、だけじゃなくF6Fとかも、ほめるつもりで書いても結果としてディスリまくってしまっていたのですが、ようやく素直にほめることのできる戦闘機の系譜を見つけることができたので、安堵しながら投稿します。

さて、飛行機が戦争の趨勢に影響するようになった第一次大戦以降、各国は戦闘機の開発に血道をあげるようになり。エンジンの開発競争が激化しました。

その過程で、航空エンジンは2つの種類に大きく枝分かれすることになり。一つが「空冷エンジン」もう一つが「液冷エンジン」です。

みなさんごぞんじのとおりでそれぞれ長短あり。しかし、飛行機の性能を素直に追い求めると、簡単に液冷に軍配が上がるのでした。

その理由は「スピードを出すのに適しているから」

シュナイダー杯とかの競争機はみんな液冷。ジービーとかP35は空冷のくせに競争機でがんばったが、当時のド田舎アメリカでは、競争相手がどん亀の複葉機なので何とかなった。

Bf109は、ジービーに比べ著しく前面投影面積が小さいことがわかります。
 

 

要するに、シリンダーを直列、V型、倒立Vとたてながに並べることができるので、空気抵抗の元凶となる前方投影面積を著しく減らすことができるのである。

Bf109なんてプロペラスピナーに隠れるくらいの胴体断面で、パイロットは押しつぶされそうになるが空気抵抗は消し去ることができ。空冷の場合は、星形にするしかないので、栄だのツインワスプだの、むりやりに複列にして直径を絞ることはしたが、それでも軸線に大きな丸い盾をかざしているような残念な断面になってしまった。

液冷は、ラジエターさえあれば冷却は何とかなったので、空冷ほどぶっとくならないで済んだのである。

ただ、P40 みたいに、いろいろあって、まるで顎が外れたネズミみたいになり、空冷もびっくり、液冷台無しになってしまったのもあるが、P51を頂点にうまくラジエターを配置して空気抵抗を減らした。Bf109はちょっとやりすぎだけど。

P40。ネズミではなくトラだそうです https://www.jollyrogers1942.com/fighters.html
 

 

液冷という方式がいかにエンジンの作動効率をよくするか。スピットやP51の液冷エンジン(1500馬力くらい)は、P47の排気タービン付き空冷エンジン(2000馬力級)と同等以上の性能を発揮し、Bf109のDB601系とともに最高の座を今日まで争っているのである。

読売ジャイアンツ強さのひみつ、じゃなかった液冷エンジン強さのひみつはどこにあるかというと

「精密精緻に、最高の精度で作れるから」

つまりすべての資材を最高の効率で凝縮できるからである。

よくわからない人に説明します。

典型的な空冷エンジンに、フォルクスワーゲン1300があります。

世界の名車かぶと虫と、そのエンジン
 

 

飛行機じゃないじゃん!特性は同じです。

戦時中は、このエンジンをのっけたキューベルワーゲンが、ロシアの極寒からアフリカの極暑まで元気いっぱい走り回り。

これが何を意味するのかというと、みなさん江の島では海パンいっちょうですが、襟裳岬にいくときはペンギンみたいに着込みますよね。

ワーゲンのエンジンは、海パンもペンギンもへったくれもなく、うだる真夏も凍てつく冬も吹き曝しで通さなければならず。

つまり、零下何度でシリンダーカバーが縮み上がろうが、40度の酷暑でシリンダーヘッドが膨張しようが、ともかく動いてくれる不死身さが必要なのである。

液冷エンジンの精密さとは真逆の世界なのです。

オイル漏れしようが圧縮ガスが漏れようがやけくそのように回ってくれなければ困る。そのため、十分な余裕のある、言い換えれば粗雑そのものの作りにならざるを得ない。

液冷はなんで精密にできるの?こちらは温度差による膨張だの萎縮だのをラジエターのほうで引き受け、エンジンはいつも同じ温度で動くようにすることができるからである。

結論として、性能そのものでは液冷。ただ、戦争道具としての不死身さでは空冷も侮りがたいので、太平洋戦線など洋上を狂った長距離で飛ぶなんて場面では空冷で通した(液冷戦闘機も多数投入したけど)。

液冷はサラブレッド、空冷は馬車馬みたいな感じと思えば間違いないと思います。

大戦間の格闘戦主体の時代は空冷が多く、スピードが命になってくると液冷が多くなっていった。I16が分水嶺かもしれん。

世界の趨勢として、最高の性能を目指せば、おのずと液冷となることは避けがたかった。

その趨勢を素直に受け止める先見の明があったのが川崎航空機。

95式戦闘機ではBMW、後の飛燕ではダイムラーベンツをお手本にがんばった。

95式戦闘機 https://www.webmodelers.com/201312kyugosikisen.html
 

 

95式戦闘機は十分に成功していて、日中戦争における同世代の中国側戦闘機(I15,カーチスホークIIIなど)には優勢を保った。

たしか、「空の戦友よ 雲よ 別れよ」という本だったと思います(まちがっていたらごめんなさい)が、95戦で空中戦をしていた折、オーバーヒートして基地に避難したが、着陸後、エンジンには何も異常がなく、ラジエター開口部を閉じたままだったことに気づき。全開にしてまた飛び上がり戦闘に復帰した、みたいな記載を記憶しています。

ホークIII。日本機と互角に格闘した。
https://d2ev13g7cze5ka.cloudfront.net/sph/sph72223_0.jpg?v=
 

 

当時の空中戦は基地のすぐ近くだった、という驚きもありますが、空気取り入れ口のシャッターを閉め忘れ、オーバーヒートしてもちょっと冷やせばまた離陸して空中戦できた、という当時の川崎液冷エンジンの頑強さに驚くのです。

少なくともこの当時の日本製液冷エンジンは十分に稼働できていたのですね。

しかし、技術革新は著しく。95戦も新型戦闘機に交替し。

新型戦闘機は、川崎や中島の競争となった。

川崎は低翼単葉、方持式固定脚のキ28、中島も低翼単葉、方持式固定脚のキ27を提示。

キ28 https://www.klueser.de/kit.php?index=1341&language=en
 

 

両方ともおなじじゃん?川崎は液冷、中島は空冷でした。ははは

スピードは川崎が時速485キロ、中島が470キロ。

でも中島は複葉機も驚く格闘性能を見せて、試験官を魅了しました。

中島が97式戦闘機として正式採用になった。

中島の97戦は、確かに超絶前後すなわち後にも先にもこれ以上ない世界最高の軽戦闘機であり。

すなおに一撃離脱への進展を見越して設計していた川崎は見事に肩透かしを食らわされたのでした。ははは

たしかに中島97戦の空冷エンジンは「百姓エンジン」といわれるくらい粗野な扱いに耐え。この辺で、日本は早くも液冷が要求する緻密な整備体制を整えられなくなりはじめていたのです。

しかし、ノモンハン事件では、97戦がI16に追いつけずに逃げられるという事態が多発し。95戦の当時から飛んでいたI16に最新鋭の97戦がついていけない、というショッキングな事態に陸軍は大いに慌て。I16よりも早いけど、97戦と同等の格闘性能を持った飛行機を作れー!と各社に命令した。

97戦(左)とI16(右) https://ameblo.jp/roy-horryhousen/image-12813137791-15315527349.html
 

 

できるわけがないのはわかりきっていた。中島は無理に作ろうとして、一式戦闘機は、スピードも格闘もダメじゃん、みたいな悲惨なことになってしまい。それでも無理やり両立させようとして激やせみたいに軽量化したら、今度は機体強度が足りなくなって空中分解を起こすとか、正式採用されるまで大変なことになった、というのはマニアの皆さんご存じと思います。

この点、キ28で速度性能の追及には先行していた川崎は、陸軍の無理を聞き分けながらも世界に通用する戦闘機を。。。。ということで開発に挑んだ。

その理念が「中戦」

◎重戦闘機のように高速で重火力を持つ

◎軽戦闘機のように軽快に格闘戦を行う

という、言わば「良いとこ取り」を目指した

できるわけないじゃん。中島の二の舞じゃね?

そこが土井技師の先見の明だったのですねー格闘戦というと、いかに小さい旋回半径で敵の後ろに回り込むかなのですが、土井さんは「旋回半径が大きくなっても、その分速く飛ぶことができれば、相手の懐にもぐりこめるぞ」ということを目指した。

この結果

日本人パイロットの慣れた格闘戦に対応できるよう、ある程度の運動性(旋回性)を確保する。
 欧米機と同じ液冷エンジンを採用し、日本機には不足していた高速性と高高度性能を実現し、一撃離脱戦法を可能にする。

この両立に、見事成功したのだった。

実態は97戦や一式戦よりはとろいが欧米の戦闘機に比べれば敏捷であり、かつ二式戦よりは遅いにしても欧米戦闘機と引けを取らないスピード、というかんじになり。結果として、いいとこどりに成功したのである。

恐るべき傑作機。その名は?

「三式戦飛燕」

と、ここまで書いたら3000字を越えてしまいました。

なあんだいいところなのに!ごめんなさい次回に続きます。

飛燕 https://www.webmodelers.com/201601aaii.html
 

 

 

 

ではでは。。。。

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誰が雷電をそうさせたか

https://www.tamiya.com/japan/products/61018/index.html
 

 

第一次世界大戦で、飛行機に機関銃を載せて人を撃ち56すという行いを覚えた人類は、武器としての飛行機を開発強化することに血道をあげるようになりました。

まずはプロペラ同調装置が生まれ。それまで横だの後ろだのにしか発射できなかった機銃を機軸そのものに合わせた前方にぶっぱなすことができるようになり、命中率が飛躍的に向上した。

その当時の空中戦はどんなかというと、同高度でだいたい5キロくらい先か?互いにゴマ粒みたいな敵編隊を発見し。

ぶんぶん、おんおんおん、なんてエンジン音は勇ましいけれど、なんかまどろっこしい時間が過ぎてゆっくりと彼我が近づき(30秒くらいらしい)。

ついにはびゅーんと通り過ぎざまに正面射撃、反転して敵機の尻に食いつく、という感じになった。

このあとは、すばしこく敵の尻に食いついて、敵の反撃できない後ろからどれだけ機関銃弾をばらまけるかというのが勝負になった。

これを「ドッグファイト」というのです。

第一次大戦時の複葉戦闘機は、こうした曲技飛行みたいな絡み合いに最も適した形態に進化していました。


 

 

 

一方、いつもこそくな手段で荒稼ぎする奴が現れ。

リヒトホーヘンという、ドイツ丸出しの名前を持つおっさんは、敵を発見したら、上記のように正々堂々と同高度で近づいていくのはやめて、雲の中に隠れて太陽のほうへ移動していき。

敵編隊と太陽の間、上空から降りかかるように急降下すれば、太陽の光で敵は目つぶしを食ってしまい。

この第一撃で相当の撃墜数を稼いだらしい。

もちろん、その後はやっぱり彼我入り乱れてのドッグファイトになり、ここでも操縦がうまかったので撃墜王になった。

ここでドイツ人はある学びを得たのだった。

「敵より速くて、上昇できる飛行機を作れば勝てる」

でも戦争はドイツ敗戦で終わり。空軍や航空産業を蹂躙されてしまった。

勝ったほうのイタリアや日本はドッグファイトにこだわり、じっさい97戦は世界最高の軽戦闘機になりました。

というか、30年代までは、格闘戦に強くないと確かに勝てなかったのである。

なぜかというと「戦闘機の性能が絶望的にとろかったから」

敵を発見しても、互いにのこのこのろのろ近づいていき、相手の顔が見えるじゃん、くらいまで近づいて初めて戦闘開始できた。

その後は、乗り手の判断力で雲に隠れるだの太陽を背にするだのいかようにも飛行機を操り、実は飛行機の性能差よりもパイロットの能力のほうが隔絶して重要だったのである。

P36と零戦が空中戦になったとして、実態として両者ともに同じような高度、同じようなスピードでの格闘戦になり。確かに零戦は強いけれど、それより零戦乗りの神業のほうが勝負を決定していた。

アメリカ戦闘機のわりに格闘戦重視のP36
https://moraisvinna.blogspot.com/2011/05/22-de-maio-de-1942-14-horas-b-25.html
 

 

これがP47と零戦だったらどうなるか。零戦に後ろを取られたP47は、ぐわーんと高度1万メートルまで逃げていってしまい。8000メートルくらいか?零戦はエンジンが息切れして振り切られ、パイロット以前に、ここで物理的に勝負なしで終わってしまうのだった。

つまり、上記の「ドイツ人のまなび」とは、「とにかくパワーがある飛行機を作れば戦争は勝てる。飛行機という機械のパワーがパイロットの能力を凌駕する日が必ず来る」ということだったのである。小学生みたいだけど。

これを一番効率よく体現したのがアメリカ。

ライト2800とかいう2500馬力のエンジンを作り。P47などに乗せて、ほかの国では上がれない高高度にいっさんに上ってゆき、下でまごまごしている敵を急降下でたたき潰すということが可能になった。

「動けるデブ」P47 パブリックドメイン
 

 

日本人も頑張った。でも、実用化できたのは「火星」とかブリストルちっくな名前をもった、模造品ではないけれど、1800馬力がいっぱいいっぱいだった。

2500馬力とは、どうがんばっても張り合えないのである。

といって1000馬力の零戦による格闘戦法ではすでに先は見えていた。

どうしよう。。。。。

例によって、日本人の得意技である「機体空力で何とかエンジンの出力差を埋める」ことになった。

こうして「丸っこい雷電」が生まれたのである。

ぼくは個人的には、あの「肥えすぎたサツマイモ」みたいなスタイルが大好きなのですが、しかし、あのスタイルが生まれたのには、一撃離脱の高性能戦闘機に必須の超大馬力エンジンが作れなかったという絶望的な事情が隠れていたのです。

空気抵抗を小さくするには、流線型にする必要があり。

しかし、零戦とか隼みたいな「ただの流線型」では、低馬力の日本エンジンでアメリカには勝てない。

そこで、当時の日本の技術を結集して、最も空気抵抗の低くなる流線型とは何か、を追求したら「肥えすぎたサツマイモ」じゃなかった「紡錘形」に行きついたのであった。

実際、一式陸攻みたいに、ぶっとい葉巻型の機体にすることで、複葉機とかでは最適化に成功していたらしい。

戦闘機でやったらどうなる?その回答が「雷電」だった。

紡錘形ということは、機首周りは絞られていて、サツマイモというよりラグビーボールのほうがいいか、みたいな感じの機体になり、その中心ちょっと前くらいが最も太くなるようにデザインする必要があり。

直径のでかい火星エンジンではとても機首というわけにはいかず、機首から70センチくらい後ろにずらして設置するしかなくなった。

機首が絞られて空気取り入れ口も小さくなったので、70センチのすきまに空冷ファンを噛ませて強制冷却することになった。

そんな変なことをしたので、エンジンの回転をプロペラに伝える過程で恐ろしい振動が発生し、実戦配備後も結局100%解決しきれなかった。

強制冷却ファン
https://static.mercdn.net/item/detail/orig/photos/m22518049330_13.jpg?1743285241
 

 

冷却ファンのカウリング
 

 

1/32 飛行機 Stシリーズ 三菱 J2M3 局地戦闘機 雷電 21型 ハセガワ (Hasegawa)
 

 

P39の場合、プロペラシャフトがパイロット後方から延々と機首に延び、その上を機関銃が鎮座していたのにくらべ、雷電は70センチ程度じゃん全然大丈夫、とはいかなかったらしい。

P39 https://www.globalsecurity.org/military/systems/aircraft/images/p-39-image01.jpg
 

 

プロペラシャフトの技術というより、日本の場合、2000馬力級のエンジンにおけるダイナミックバランサー(ピストン回転による慣性の打ち消し装置)が貧弱だったという情報もある。

要するに、日本の技術力では限界を超えてしまっていた。

それでもがんばって、なんとか実戦配備までこぎつけ。対戦闘機戦闘よりもB29をやっつけるうえで活躍した(戦闘機相手でも強かったけど)。

紡錘形の機体が、どれほど雷電のスピード向上に役立ったか?

実は「大して役に立っていなかった」そうです。

ははは

当たり前ながら、雷電には機首に大きなプロペラがついています。

このプロペラが作り出す強力な後流や、プロペラブレードの回転によって生じる複雑な乱流が、胴体前部や主翼の付け根付近の気流めちゃくちゃかきまわし。

紡錘形胴体が単独で飛行する場合には空気抵抗が低いですが、プロペラ後流内の高速でねじれた気流の中では、設計者が意図したような低抵抗の流線形としての効果が十分に発揮されなかったのだった。

あと、彩雲偵察機みたいに、エンジン直径が胴体の最大直径だ!みたいにいさぎのよい割り切りができず、グラマンみたいなぶっとい胴体になってしまったため、そのぶん「機体容積」が増えてしまい。増えた分だけ重量もかさんだりして、要すれば「容積効率」が悪くなってしまったそうである。

彩雲偵察機 http://www.nags-gallery.com/gallery/C6N1.htm
 

 

じゃあどうやってB29を迎撃できたの?単純に火星エンジンの性能が可能にしたから、です。ははは

大馬力エンジンの威力は爆発的で、離陸から一瞬のうちにB29のいる高度まで駆け上がっていき(実はB29も中低高度爆撃に切り替えていたけど)、それこそ雷電のような一撃を食わして、あっという間に急降下で消えていく、みたいな、胸のすくような一撃離脱だったそうです。

もし雷電にR2800が装備できたら、どんなバケモノ戦闘機になっていたか。おっとタービン過給機も必要になり、格闘性能が低下してしまったことでしょう。あれ?

実は、意識的かどうかは別として、紡錘形とは逆のアプローチで成功した名機もあり。

でも、3000字を超えたので今回は終わりにします。

ではでは。。。。

Posted by 猫機長
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こんな飛行機に乗っています②

以前、ぼくの乗っている「RANS COYOTE(以下こよーて)」と、世界の名機スーパーカブを比較した記事を書きました。

でも、その記事のそこかしこに「セスナみたい」なんて言葉が入ってしまい。

軽飛行機については、セスナを除外しては語れないという恐るべき事実が明示されてしまったのでした。

前回はパイパーという玄人好みの軽飛行機が主人公だったので、セスナは無理やりかたすみに追いやっていましたが、今回は直球勝負でセスナとコヨーテを比較するのでした。

セスナといえば「どんな素人でも安心の安全な飛行機」

スーパーカブみたいに、乗り方を知らないと失速だ!(立て直せるけど)というのとはある種対極の、空を飛ぶってなに?を手とり足とり教えくれる親切なおばさん先生なのでした。

名画「トラ、トラ、トラ」に登場するおばさん飛行教官。ちなみに飛行機はステアマン
https://www.youtube.com/watch?v=jQCz97PyzT8
 

 

 

ここでは一番ベーシックなセスナ150(152もいっしょ)と比較します。

こよーて(上)とセスナ150(下)https://skrzydla.org/photo-Reims-Cessna-F150L-199328
 

 

ぼくはこよーてのことはまあ知っているつもりですが、セスナ150については。。。なので、例によってジェミニくんに聞いてみました。

 

質問:セスナ150の飛行特性とRANS Super coyote(ES Wing)の飛行特性はどの程度違うでしょうか

 

回答(下線部分が回答そのもの。その下におもしろ解説です):

操縦感覚と安定性(Handling & Stability)

セスナ150: 重量があり、慣性が大きく、非常に安定した飛行特性を持ちます。これは練習機としての役割を果たすため、穏やかで予測しやすい挙動を示し、外部の乱れ(乱気流など)に対する抵抗力があります。
RANS Supercoyote: 構造が非常に軽量であるため、操縦が軽快で応答性が高いです。コントロール入力に対する反応が速く、セカンダリーコントロール(ラダーなど)をより積極的に使用する必要があります。また、乱気流の影響をセスナ150よりも受けやすい傾向があります。Supercoyoteの操縦特性は、パイパーJ-3カブなどのより伝統的な軽飛行機に似ていると言われます。

おっと早速カブが引用にでてきましたねーここでは「J3」という、スーパーカブの一代前の軽飛行機が出てきました。

「J3カブ」https://wsaircraft.com/wp-content/uploads/2022/04/Piper-3.webp
と「スーパーカブ」https://aerocorner.com/wp-content/uploads/2020/08/Piper-PA-18-150-Super-Cub-G-HACK.jpg
いずれもパイパー社の名機です。
 

 

コヨーテ乗りとしては、こよーてがJ3に似ている、なんて言われたら、これ以上ない光栄で、感涙ですけど。うるうる。。。

しかし、セスナの話をしようとしたらカブの引用が出てくるし、カブの話をしたら「セスナに比べて。。。」と出てくるし、こまったものだ。

気を取り直して続けます。

 

「重量があり、慣性が大きく」については、ジェミニ大げさすぎと思います。747(や二式大艇)じゃあるまいし、慣性もへったくれもないんじゃ?コヨーテが敏感すぎる、というあくまで比較なのかもしれん。

 

なかなか面白い記載に次のがあり

セスナ152: オールメタルのリベット構造は、しっかりとした感触と高い耐久性をもたらします。
RANS Supercoyote: 金属骨格に布張りという軽量構造は、より「柔らかい」「繊細な」操縦感覚をもたらします。翼が非常に柔軟に働くため、滑空性能(パワーオフでの飛行効率)が良く、セスナとは異なりグライダーに近い感覚で飛行できる側面もあります。

翼が柔軟に動く、はほめ言葉でしょうが、操縦する側からいえば、乱気流で翼の先端がぶにぶに曲がるのを見るのはいい気持ちがしないのであった。鋼管の飛行機なので、しなることで耐性を持たせているのだろうけど。

 

 

なぜ翼がほにゃらら(柔軟に動く)だとグライダーに近い感覚になるのか?ジェミニに更問してみました。

答えは

操縦の「繊細さ」と一体感: 軽量で柔軟な構造は、機体の動きが周囲の気流の変化により敏感に反応することを意味します。パイロットは、硬い機体よりも機体の微細な動き(揺れ、しなり)を通じて気流の状態を肌で感じるようになり、グライダーパイロットが持つような、機体と気流との一体感を覚える側面があります。
これらの特性から、Supercoyoteは一般的な動力機とグライダーの中間的な性格を持つ、非常にユニークなフライト体験を提供すると言えます。

へえええー!なんかこよーて褒められすぎか?ありがとうジェミニ。

でも、コヨーテは決して滑空比のいい飛行機とは思いません。エンジンオフにすればすとんと落ちてじゃなかった降りてくれるし、フルスロットルだ!にすればこれまたぎゅーんと上昇してくれるというとても楽しい飛行機と思っています。

 

とくると、上昇力はどうよ、となり。

RANS Supercoyote (S-6) は、セスナ150と同等またはそれ以下のエンジン出力でありながら、約30〜50%高い上昇率(約1,000 fpm 対 約670-770 fpm)を発揮することが期待されます。

ただし、セスナ150は実運用下(古い機体、熱い日、高地、最大積載時)では、カタログ値の600〜800 fpmではなく200〜300 fpm程度まで大幅に性能が低下する可能性が指摘されています。

これは、コヨーテの上昇力が並外れているということである。

一方、コヨーテに慣れていてセスナ150に乗ったら、着陸経路で下降気流にあおられて、うあああーエンジン全開だ!の場面でも、ぜんぜん上がってくれずに怖い思いをするかも?

 

 

設計と用途(Design & Purpose)

セスナ150: 金属製のセミモノコック構造で、飛行訓練や個人旅行用に設計された耐久性の高い機体です。
RANS Supercoyote: 鋼管(コックピット周り)とアルミ管フレームに布(ダクロン)を貼った構造で、軽量化が徹底されています。これはレクリエーション飛行やスポーツ飛行、そして不整地や短い場所からの運用を主な目的としています。

たしかに、こよーてのほうが「やぶれかぶれ」で、必要あらば不整地にも着陸は辞さないですが、ろくなショックアブソーバーもないこよーてなので、ぼくは土まるだしの滑走路には極力降りないようにしています。

あと、滑走路はアスファルトでも、誘導路は未舗装なんてのもあり。なるべくゆっくり走行しますが、ペラから巻き上げた砂塵がエンジンを削っていくのかと思うと、滑走路のオーナーをぶん殴りたくなるのでした。なんて無断で降りるほうが悪いけど。

滑走路は立派なアスファルトなのに、タクシーウエイはどろんこの例。しかものら馬がいやがり、こまったケース。詳細はこちら→西部劇

 

 

セスナとこよーての重量を比較してみます(今回は離陸重量)。

セスナ:726キロ

こよーて:422キロ

重量差:1.83倍

 

おおお、やっぱりというか、重さはセスナ>カブ>こよーてですねえ。

ちなみに、カブとの比較記事でも書いたけど

グラマンF6F:5,704キロ

零戦:2,733キロ

重量差:2.08倍

と、なんと零戦とグラマンにちかい差があったのだった。

https://aerocorner.com/wp-content/uploads/2020/06/Cessna-150-G-AWPU-1000×500.jpg
 

 

確かに、地方空港に降りて、駐機しているセスナ150の隣にコヨーテを止めると、外装の差が歴然なのですよね。ドアも肉厚で金庫みたいだし、機体全体も堅牢なリベットが整然と並んでおり。大きさはほとんど同じなのに、とにかく作りがしっかりしていて、その差がそのまま重さの差になっていると思われます。ちなみに、カブはコヨーテと同じ鋼管布張りの貧乏くさい機体ですが、鋼管の肉厚が違い、やはり頑丈ではあるがその分重くなった。

https://i0.wp.com/oncenterline.net/wp-content/uploads/2023/03/Cessna-150-N60553-16.jpg?fit=1440%2C960&ssl=1?v=1679848855
セスナ150のドア。
 

 

コヨーテのドア。FRPの一枚板を出来損ないの棒みたいなタブでロックしているのだった。
 

 

最後に、ジェミニも見落とす、カタログスペックに出てこない重要なポイントについて。

RANS(こよーて)が優れた短距離離着陸(STOL)性能と低速での優れたハンドリングを持つことを意味し、短い滑走路での運用が可能です。

とのお言葉ですが、それは無風状態においてなら、という但し書きが必要です。

上で出てきた重量差もあり、着陸経路におけるランプ(着陸角、進路)の維持については、セスナのほうが著しく安定しているのである(鬼教官など皆が口をそろえて証言しています)。こよーてのようなへなちょこでは、やれ横風にあおられた、やれ急な上昇気流で持ち上げられたとかでもみくちゃにされ。一向に着地できないうちに滑走路の真ん中まできちゃった!なんてケースも発生するのです。着地しちゃえばすぐ止まるけど。

こうゆう、パイロットにとって一番困難で危険な場面である着陸のときに安定しているという、魔法のような飛行機がセスナであり、これがセスナを軽飛行機の代名詞たらしめるクオリティなのだと思います。

みなさんが軽飛行機の購入を考えた時の何かのご参考になれば幸いです。

こよーてでの着陸。(自撮りなので、動画では反転しちゃってます。ご了承おねがいします。)

 

ではでは

Posted by 猫機長
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サクリファイスの話

来るなら来てみろむらすずめー

 

 

チェスの世界に「サクリファイス」という言葉があります。

一見重要な駒を、ドーン!と捨て去り。対戦相手がぬか喜びをした隙に、ぶぎゃああー!とチェックメイトに持って行ってしまう戦術(ハメ手という人もいる)のエッセンスをなすものです。

典型的なのに「フライドリバーアタック」というのがあり。

序盤はフツーにポーンで中央の支配。ビショップをなにげにふつーの地点に配置した時点で、実はおそろしいタクティクスが発動するのだった。

ビショップ展開。
以下、盤面画像の出典はhttps://chess-beginner.com/fried-liver-attack/
 

 

このあと、いきなりナイトを敵陣近くにはね。クイーンとルークの両取りを狙うぞ!と隙をうかがい。

赤丸にナイトが侵入したら、黒陣営に致命的なフォーク(両取り)となる。
 

 

ここで黒は、へへんそんなのわかってるよーん、とポーンでビショップの道をふさぐのだった。

 

 

この後、白ポーンが黒ポーンを取り除き、それを黒ナイトがさらに奪取。

こうすれば、白のナイトはビショップの支援を受けられなくなり、赤丸にはねてもキングにただで食われるだけになってしまうのである。

どうしよう?

素直に赤丸にはねるのだった。

ははは

 

 

大喜びで馬肉を食らう黒のキング

 

しかし、次の瞬間、白のクイーンにボコられるのだった。王手だ!

 

 

ぎゃあああー!必死に逃げるキング。

 

 

しかし、クイーンは、中央のナイトを取り除き執拗にチェック。

 

 

結局、クイーン交換強要、そして白のビショップによって黒のキングはぶち56されてしまうのだった。

チェックメイト
 

 

ナイトを捨てて攻撃するという、常識を覆すストラテジーを見通すことができなった黒のキングは、ろくにゲームも始まっていないうちに頓死。ナイトを取るということをプライオリティにしてしまったために、もっと優先すべきキングの安全がほにゃららになってしまったのだった。

ははは

 

 

B17と97重爆の性能比較をしていて、サクリファイスという言葉が脳裏に浮かび。

唐突かもしれませんが、本題に入るのでした。

両者ともに、日米の国運をかけて製造した爆撃機です。

B17は四発。97重爆は双発。

パブリックドメイン
 

https://www.yaplakal.com/forum7/topic1784616.html
 

日本は四発爆撃機を実用化できなかったので、非対象に見えるがこうしないと比較できないのです。

この時点で日本側が不利にみえますが、マニアの間で流通している情報は

◎日本は装甲(他重量物)を外して、双発でも4発とかわらない性能を実現した。

要するに、B17は四発の内二発が防禦装置(機銃と装甲)を運ぶために割かれてしまっており、爆撃機としての飛行性能は残りの二発が担っているので、言い換えれば、二発だけでも爆弾搭載量とかの攻撃力だけなら何とかなるという考え。

97重爆のエンジン。1500馬力 https://harley-shovelhead.com/blog/?p=9184
 

 

その結果防御力の全くない「ワンショットライター」になってしまった、という意見です。ライターで有名なのは一式陸攻ですが、B17に比べたら97重爆も似たようなものである。

そもそも、どのくらいの爆弾を積めたのか?

97重爆:1000キロ。重爆だけあって、飛行機に1トンの重量物を乗せるというのは、確かに離れ業である。

B17:5800キロ。

えつ。。。。

やっぱり四発は双発に比べて飛行性能(爆弾積載量)も格段に向上するのだった。

というわけで、二発でも防禦を犠牲にすれば。。。という説は成り立たないことが明らかに。

B17が1機あれば、97重爆の5機分ですからねー

資源がたりない!効率化だー!と言っていた日本こそ、四発爆撃機を量産すべきではなかったのか?

滑走路が整備できないとか、一機の飛行機に四発もエンジンをのせる工業力がないとか、それなりに事実ではあるのですが、単純に積載量1000キロの双発爆撃機2機より、積載量5800キロの四発機1機の方が同じエンジン4発で3倍近くの爆弾を運べるわけですからねー

B17のエンジン。1200馬力。https://mx.pinterest.com/pin/4925880837368057/
 

 

こんがらかったか?

97重爆はエンジン1基あたり爆弾500キロ

B17はエンジン1基あたり爆弾1,450キロ

パイロットや航法通信士、銃手、機銃の数も、実は同じように、双発機2機を作るより四発機1機の方がエンジン当たりの数が重要な節約になるのだった(上の例では実質半分)。

航続距離もB17の方が上です。スピードはどっこいどっこいだが、防御力は言うまでもありませんよね?

結局、日本は、上の黒キングのように、プライオリティを間違えて、みごとにやられてしまったのである。

では、アメリカは何をサクリファイスしたのか?

それが「巴戦」

と書くとちょっと強引ですが、要すれば日本が格闘戦のできる戦闘機を雲霞のごとく作ることに血道をあげていた時に、アメリカはちゃっかり、いかに最短コースで爆弾を日本のライフラインの頭上に降らせるかという方向でプライオリティを設定した。

たしかに、護衛戦闘機を一時的ではあれサクリファイスした。でも、爆撃機自体が不死身なので、戦争遂行という点では見事に大当たりし、日本(ドイツも)の主要都市は灰燼に帰してしまった。

日本が世界に誇る零戦ですが、いくら格闘戦に強くても、それ自体では戦争には勝てないのである。

B17はまっすぐに飛ぶことしかできない、というか爆撃機なのでまっすぐに飛んで爆弾を正確に落とす必要があるのですが、そうゆう爆撃機を迎撃するためだったら、はっきり言って格闘性能なんて全く必要ないのだった。

零戦はP35,36,37,38,40, 47,400,51,F4F,F4U,F6Fとバタバタ落としました。でも、繰り返しますが、落としたこと自体が敵のライフラインを爆砕して機能マヒさせたかというとぜんぜんそうはならないのである。

日本は対戦闘機戦闘で制空権を取って、それから。。。というなんかまだるっこしいほうに血道をあげてしまったため、B17が雲霞のようにやってきて、戦闘機用の7.7ミリでは当たっても落ちないし、20ミリが当たる至近距離まで行く前にB17のブローニング防火機銃でやられてしまうという悲惨なことになってしまった。

これが格闘戦至上の軽戦闘機ではなく、ブローニングを跳ね返す装甲と、13ミリ以上か?B17に通用する武装を持った重戦闘機だったら。。。

重戦闘機の例。P61(パブリックドメイン)
 

 

結局1万機以上零戦を生産する意味はあったのか?ということです。

それだけ栄発動機(火星発動機)を作れるんだったら、B17みたいな「殺しても死なない」四発の重爆をもっと作れていたのでは?

広大な太平洋をまたいでアメリカに戦略爆撃できるか?という、いつもの反論はありますが、それこそ、行くぞロンドンワシントン!と、デトロイトやロスアラモスを火の海にしてやるぞ!というふうにプライオリティを置くことができなかったのか?と考えるのです。

P51にしても、実は格闘性能はそれほど。。。でも、爆撃機に降ってくる零戦にくらいついて、爆撃機から引っぺがしたら任務完了。あとは急降下でさようならーという感じで、アメリカは戦闘機なんてあくまで補助、脇役と割り切った。

結局、日本は見かけのフライオリティすなわち「格闘戦で制空権を獲得」で自らをだましてしまい。開戦初頭に米英の戦闘機勢力を一掃したが、そこで軍部も責任を果たしたと安心し、思考停止してしまった。

アメリカは、そんなことより日独のライフラインを破壊だ!と、戦略爆撃に血道をあげ、戦闘機がまだ工場で生産中のところをせん滅してしまった。

日米比較の記事だと、いつもこの結論になってしまうのですが、結局日本はまず「何を成果とするのか」を決める能力をつちかうことが必要である。

だれも何も決めない、決められないままにずるずると日中事変から太平洋戦争にずれ込み。バッファローを何機落としたとか、戦争の帰結に直結しないポイント的な成果の羅列をして自らだましているうちに、アメリカは零戦の飛べない超高空から日本の主要都市に侵入し、最後は原爆二発で戦争に決着をつけてしまいました。

山本元帥が、あともうちょっとだけ日本人離れしていて、近衛文麿さんに「勝てるの?」と聞かれたときに「狂ったかクズ野郎?勝てるわけないだろう!」と明確にエッセンスを直答していたら。。。。あたら「私は軍人です。やれと言われれば1年や2年は大暴れして見せますが、その後は全く自信を持てません」なんて、いかにも日本人的な「勝てないと言いたいが直答しないので聞いているオマエの方で忖度してわかってくれ」みたいな回答をしたため、近衛さんのほうでも自分に都合よく解釈し。。。。その後は原爆に至る地獄に落ちてしまった。

3000字を超えました。脈絡のない投稿ですみません

行くぞロンドンワシントン http://www.warbirds.jp/heiki/50000.htm
 

 

ではでは

 

Posted by 猫機長
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「ふて猫」F6Fのお話

こないだ、だれからもちやほやされるP47に比べて、いかにF6Fがディスられているかについて書きました→過給機

F6F(左)とP47(右)https://www.youtube.com/watch?v=Ydf0-QadMlY
 

 

かわいそうなF6F。

F6Fをクズ呼ばわりしてしまうと、零戦なんてそれこそ救いようのないクズになってしまうので、なんとかF6Fをほめたたえるという困難なミッションですが挑んでみます。

さて。

グラマン社は、F6F以前に、FF、F2F、F3F、F4F。後継機としてF8Fを生み出しています。

特にF4Fワイルドキャット、F6Fヘルキャット、F8Fベアキャットの「猫シリーズ」は有名。

グラマンの方向性を決定づけたのにF3Fがあります。

その名も「フライングバレル」。空飛ぶ樽なのでした。ははは

F3F https://www.simpleplanes.com/a/yO55lo/Grumman-F3F-2
 

 

でかいタイヤが機体に埋め込まれてるじゃん?

はい。このタイヤがにゅーんと伸びてメインギアになるのでした。

競合機のシーグラジエーターとCR42は、いずれも固定脚のままです。

グラジエーター https://www.eduard.com/jp
 

 

CR42   https://www.gaetanmarie.com/fiat-cr-42-falco-2/
 

 

CR42 に至っては、キャノピーも開放型で、主脚はスパッツでかっこつけていますが、実態は第1次大戦の複葉機と変わらなかったのでした。ははは

密閉式風防と引っ込み脚はともかくスピードを出したい陸上戦闘機の必須アイテムだが、それらを着艦の衝撃とか、視界の問題で本来は敬遠されるはずの艦上戦闘機にいち早く装備してしまうアメリカ恐るべし。

さらに、グラマンはFF戦闘機の代から全金属製の胴体を導入しており。グラジエーターの布張に比べやはり先進的だった。

といって、性能はどっこいどっこい。F3Fの方がグラジエーターの上位転換ちっくであるが、せいぜい「ちっく」であった。グラジエーターとCR42はいい勝負だったらしい。

当時の戦闘機は、固定脚の開放型風防、布張りの胴体でも十分使用に耐えるレベルだったのである。

なのに、わざわざ完全引っ込み脚、密閉風防に全金属という道楽を実現させてしまったのがアメリカなのであった。

道楽とは無縁なアプローチで頂点に達したのに、日本の95式艦上戦闘機(後の練習機赤とんぼ)があります。

九五式艦上戦闘機
 

 

この辺で、後の日米の明暗を予見することができます。

日本は、当時認知されている範囲で最新の技術をこれ以上ない緻密さで追及し。最高の飛行機を作りました。

アメリカは、緻密なんてどうでもよくて、なんか楽しいイノベーションがあるじゃん!どんどんつぎ込んで面白いの作ってみようよ!というユーモアを持っていたのである。

ただし、将来の大戦争を見据えた恐るべきユーモアだった。

F3Fの初飛行が1935年3月。ご存じ「56しても4なない」重爆撃機B17の初飛行が1935年7月なのです。

これが何を意味しているのか。

布張りに、吹きさらしの風防なんて、超アウエイの果てにいる敵の心臓をヒットする武器には到底ならないということを、この時点ですでに予知していたのである。

B17。現在の旅客機とまがう先進的なスタイルを、複葉戦闘機と同じ時代に実現させていた。https://www.reddit.com/r/Warthunder/comments/q0jprb/boeing_b17cd_variants_could_be_quite_a_good_rank/?tl=pt-br&rdt=37383
 

 

 

飛行機なんて、せいぜい前線のすぐ後ろから飛び立って、前線の塹壕を掃射するとか、その程度の使い方しか見通せなかった時代にあって、後にサイパン島に巨大な滑走路を造成して、直接東京を空襲するという狂った技術発展の素地をF3Fに見ることができます。

日本が、陳腐化していく技術の詳細化に血道をあげている間に、アメリカは将来を決するイノベーション技術を着実に実現させていたのであった。ははは

「フライングバレル」というふざけた胴体形状が、日本では持ちえなかったアメリカの余裕を明示しています。

ふざけたわけではなく、紡錘型胴体といって、先端・後端を絞った、樽で悪ければ葉巻みたいな胴体が空気抵抗低減に役立つと言われていた時代であり、日本でも雷電とかがこうした形状を試みています。

でも実は紡錘型は、単発プロペラ機にはあまり効果がなかったらしい。

余裕の全くない日本の飛行機はどうなったか。その集大成が「彩雲」に凝縮されています。

彩雲 https://lapd.exblog.jp/26827190/
 

 

エンジン直径ぎりぎりに直線を描き、ソフトに絞り込まれていく胴体。

逆の言い方をすれば、ちょっとでもエンジン直径よりはみ出す胴体だと、たちまち空気抵抗になり性能低下してしまうという悲しい現実があったのだった。

F6Fの胴体はこんなかんじ。ぼっこりもっこり、エンジン直径から上下左右にはみ出しまくりなのだった。

https://jacksonvjunsan.com/wp-content/uploads/2018/11/image5-18-e1542676924555.jpeg
 

 

やっぱりふざけているとしか見えないですよね。。。

でも、アメリカはおおまじめだったのです。「まるく下に突き出した胴体にすれば、不時着水の場合でもボートのように作用してパイロットを守ることができる」

この思想はグラマン戦闘機の姿を特徴づける「ビヤ樽体形」の裏付けとなったのでした。

人道的配慮もないとは言わないが、実は、製造が機体よりはるかに時間がかかる人間という部品をなるべく温存したかったらしい。

アメリカは、空気抵抗でまくりの胴体もユウユウとカバーできる大馬力エンジンを、F3Fの時代からすでに生産していた。

さらに馬力強化して、単葉にしたのがF4F。これは世界でも最高傑作と言える出来栄えになりました。

傑作機F4F  http://www.hasegawa-model.co.jp/product/02240/
 

 

世界最高の出来栄えってなに?についてはこちら→かわいそうな零戦

そのうち、首尾よく日本が真珠湾を攻撃してくれ。

アメリカ悲願の「被害者としての参戦」が実現し、F4Fと零戦の空戦が起きるようになりました。

零戦の運動性能に驚くアメリカ。

まるで防弾装置を捨て去さったかのような身軽さがある、ナイスな飛行機じゃないか!

驚きはしたが、別に慌てるでもなく。

とりあえず巴戦は避け、急降下、急上昇で避難しましょう、と前線のパイロットに通達しておいて、F6Fへの転換を始めました。

零戦がP39 だのP40だのといった陸上戦闘機をやっつけたのは驚きながら、やっつけ方は艦上戦闘機得意の格闘戦であり。

中低高度の巴戦なら、F4Fの本分である。

イタリア戦闘機よりも馬力がある日本の戦闘機は、F4Fよりも機動力は高かった一方、F4Fは後ろを取られてハチの巣、になってもなかなか落ちないといううれしいサプライズもあり。

たまにF4Fが零戦の後ろを取ったときは、なんとか当たった!とたんにオレンジ色の火を噴いて墜落していくというさらにうれしいサプライズもあり。

F4Fの防御力は維持したまま、もうちっと機動力があればユウユウ勝てるぞ、ということが見えてきたのである。

開戦この方、日本人の飛行機はなんか違うぞ?ということにアメリカは気づいた。

米英やドイツが「より早く、より高く」を指向して、高度優位から下方の敵を叩き落す、というのを目指していたのに比べ、日本人はくるくる回る格闘性能にばかり気を取られており。

考えてみてください。

みなさんが小学生だった頃、通学路に恐ろしい野良犬がおり。パチンコで撃退しようとしたことがなかったでしょうか。

その犬は、実は小高い丘の金持ちの家の飼い犬で、鎖を食い破って野良化しているしょうがないやつだった。

有害鳥獣を追い払う おどしパチンコ
https://www.technet-pro.com/search/item.html?n=001116

 

 

あなたは、丘の下から懸命にパチンコを打ちかけるのですが、下から上に打ちかけても、しょんべん玉で、犬のはるか前に落ちてしまうのだった。

これが逆だったら。。。

上から下への重力エネルギーで、パチンコ玉は見事犬の足元の地面ににびしっ!と当たり。「ぎゃぎゃぎゃ、きゃいーん!」と「野良犬」が驚いて逃げ去った通学路を、ユウユウと歩いていけるでしょう。

日本人は、こうした高低差のエネルギーなんて構わず、中低高度の格闘戦にばかりこだわっていたのである。

航空戦の基本のキを知らないクズどもなのだろうか?

といって、ショーカクだのヤマトだのを沈めるためには、水面近くのゼロファイターをやっつける必要がある。

そのためにP51というのでは、にがてな低空度での格闘でよろしくない。

といって、ジャップのお相手をするためにしかならない、基本を外れた外道の戦闘機なんてわざわざ作る意味があるのか?クズの証明みたいな飛行機になっちゃうじゃん。

戦争に勝つため、クズでいいから作ることになった。

そのクズがF6Fだったということである。

高空にも上がれないし、スピードも出ない。お前本当に戦闘機か?クズ野郎!

クズ野郎F6F  https://www.aereo.jor.br/2022/07/06/o-lendario-caca-grumman-f6f-hellcat/
 

 

でも、F4Fの倍ある2000馬力のエンジンで、F4Fも驚くタフさを備えながらも、日本機と同じくらいくるくる回るようになり。

日本機を圧倒しました。

いわく「F6Fが参戦した日からアメリカの勝利が始まった」

でも、日本が滅亡した時点でF6Fも用なしになってしまい。

大量廃棄(と言わなければ配備を外れた)という悲しい結末になってしまったのでした。

結局最後までF6Fをほめることができませんでした。ちーん

ウルグアイ海軍のF6F https://web.facebook.com/399877246768865/photos/los-grumman-f6f-5-y-su-historia-en-la-aviaci%C3%B3n-naval-uruguayalos-gatos-infernale/1827848430638399/?_rdc=1&_rdr#
 

 

ではでは

Posted by 猫機長