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東京オリンピックが残したもの

「敗者にはなにもやるな」—ボクシングで有名ですが、ビジネス化したスポーツで全般的に言える言葉だと思います。

勝利の一言がすべてを正当化する世界。オリンピックやワールドカップというイベントでいかにアピールするかで今後の収入アップが影響されたりするので、選手たちは、スポンサーに見放されないよう、必死になって勝ち負けを競った。

ヴィットリオ・コロナ 障害物競走

 

◎「勝利」という絶対唯一の正義にしがみつかざるを得ない選手たちの、血も涙もないボコりあいをネタに金を稼ぐ某貴族やプロモーター企業、そしてこの「錬金術システム」の「ルール・プログラム」に同意して富と名声を勝ち取ろうとする選手たちによる世界最大級のイベント・ショービジネスになったオリンピック。

◎自然災害や、放射能対策、そして感染症など、国家を揺るがす問題から国民の目をそらし、国民の苦しみを麻痺させたうえで、メダルラッシュで「国威発揚」そして「強い繫栄した国」「優秀な政治家」の名声をゲットする政治家。

という、「正義の仮面の裏で、実はこれ以上ない政治的・経済的な汚濁にまみれた市民誘導のための手段」としてのオリンピックが浮き彫りになった恐るべき実例となっているのではないでしょうか。

もちろん、すべての選手がこの政治経済ゲームに汚染されているわけではなく。

前回のオリンピックですが、女子の5000メートル陸上で、2人の選手がからみあうようにして転倒してしまい。そのうち1人は足をくじいてしまい、普通ならギブアップのところを、もう一人が手を貸して助け起こすなど、励ましあってゴールまで走り切った、という場面もありました。

詳しくはハフィントンポストご参照:https://www.huffingtonpost.jp/2016/08/17/olympic-runners-crashed-together-willed-each-other_n_11577216.html

 

今回のオリンピックでは、競技以前の段階から、スポーツマンとは言えないような行為が頻発し。

◎選手団が泥酔し、選手村のベッドや壁を破損

◎大会中盤には、陽性者に隔離施設から無断外出される失態も犯した

◎選手村を無断外出しての東京タワー観光や買い物など、都民や国民に約束していたバブルも守られず。

以上「日刊スポーツ」より。https://www.nikkansports.com/olympic/tokyo2020/news/202108080001162.html

 

今回のオリンピックを一言でいうと「敗北五輪」。

もともとは、「復興五輪」のはずだった。しかし

「菅首相は東日本大震災から10年を迎えた3月11日、献花式で「復興五輪」に一切言及しませんでした。(しんぶん赤旗)」

「どこが復興五輪?「被災者は今も放置」残酷な現実—コロナだけでなく原子力緊急事態宣言も発令中(東洋経済)」

実は「復興」なんてオリンピックを正当化するための隠れ蓑に過ぎず、利用価値がなくなればとっとと捨てよう、ということなのでしょうか。

シスレー ハンプトン・コートのレガッタ

 

その次の「五輪はコロナに打ち勝った証し」ですが、実は打ち勝つどころか、日本の金メダルラッシュと相乗するかのように感染者数も激増してしまい。

そもそも「感染者はいなくなりました。有効率100%で副反応も軽微なワクチンと、特効薬も開発され、外国から誰でもいつでも入国OKです。いやいやコロナなんて、やばい過去もあったね」という時に開催して初めて「コロナをやっつけた記念のオリンピック」になるわけで。

日本国民は従順に服従していますが、コロナ患者が激増しても、感染した人を強権的に自宅に監禁し、救急車は受け入れてくれる病院が見つからずたらいまわしという、事実上の「目隠しした医療崩壊」になっており。オリンピックは、これ以上ない目隠しだ!となっていないでしょうか。

だから、「敗北五輪」というのです。

 

「敗者にはなにもやるな」といいますが、今回は「選手村を無断外出しての東京タワー観光や買い物」により東京中(つまり日本中)にばらまかれた得体のしれない変異株による感染爆発の懸念という贈り物が来てしまいました。

ライエンデッカー ゴルフやテニスをする淑女たち

 

ところが。

「神の国は敵のただなかで権力を握る(詩編 110:2)」ではないですが、こうした「オリンピックの仮面をかぶったオリンピックでないもの」になろうとしているオリンピックを根底から覆す事件が発生。

その名も「スケートボード」

12歳ぐらいの少年少女が多数出場し。

日本の少女が、演技に失敗し、泣き崩れてしまったが、ライバルたちが駆け寄って胴上げして励ました、というところに、この競技のエッセンスが明確に表れています。

https://news.yahoo.co.jp/articles/0c3b8ab860752b8405f304cba5b7b70f7062c493

 

ライバル、といっても、年端もゆかない少年少女です。

そして、彼らのえがお。メダルも、年俸もへったくれもない、遊んでいる少年少女の笑顔です。

銀メダルで取材を受けた少女の一言が、この競技の本質を象徴しています。いわく

「「楽しもうと思っただけ。女の子同士で遊んでいたら、表彰台に立つことができた」と自然体で話した。(読売新聞オンライン)」

上記で胴上げにはにかむ日本の少女になると

「「目標は金メダルではなく、自分のルーティンをすることでした」(日刊スポーツ)」

と、いかにもまじめなコメント。日本人ですねえ。

 

しかし、この2つのコメントが、「失われたオリンピック」を如実に表しているのではないでしょうか。

日刊スポーツ「「国も順位もなし」がスケボーの常識 このカルチャーで五輪が変わる」(https://news.yahoo.co.jp/articles/0c3b8ab860752b8405f304cba5b7b70f7062c493)

にこの辺を見事に指摘しており。抜粋すると

◎スケートボードに順位はない。スケーターにその意識は薄い。

◎大会で、ある選手が大技に挑んだ。失敗して滑走を終えると、他の選手たちが「もう1度」とばかりにボードを鳴らす。観客も呼応して歓声をあげる。再度大技に挑戦して失敗、さらにもう1度…。5度目くらいで成功すると、優勝者以上の拍手と歓声が起きる。もちろん、競技は中断したままだが、オフィシャルもやめさせようとはしない。(抜粋終わり)

https://www.yomiuri.co.jp/media/2021/05/20210526-OYT1I50065-T.jpg

 

出場者みんなが協力して、人間としてできる最高の技に到達することで、体育という面から人間の進化を促進する、そして、参加するのは「同等者の中の第一人者(Primus inter Pares)」であって、ドーピングなどで家畜化(特化)されてしまった人造人間ではない、街角のフツーの人たち、という、人類が忘れてしまったオリンピックがここにある。

 

もちろん、第一人者になるには想像を絶する努力がなされていますが、重要なのは「楽しもうと思っただけ。女の子同士で遊んでいた」の言葉であり。

成功へは、苦しまないと到達できないんだ、と人々を洗脳して、苦しみぬかせて搾取しようという、社畜養成の世界とは対極にあるのです。

 

ここでいう楽しむ、というのは、周りに迷惑をまき散らしてはしゃぎまわる、というのとは違います。むしろ、周りから見れば、恐ろしいハードトレーニングだ!ですが、やっている本人は夢中になっていて、苦しみにはなっていない。(練習のあと、死にそうにばてていることに気づく、なんてのはあると思います。ははは)

 

一方、これらの選手の中には、年収1000万円をスポンサーなどから得ているという少女もあり(出展:https://celeby-media.net/I0003174)。巨額の資金が動いています。お金で家族ともども生活が楽になった、という少女の例もあるのでプラス面もあるのですが、今後の推移を懸念するものでは、あります。

少女選手。「競技で得た賞金を家族のために使い、立派な家に引っ越しをさせたという(レッドブル)」

https://www.huffingtonpost.jp/entry/story_jp_60fe4b59e4b0a807eeb37b96

 

最後に、この記事を書くことができたのは、

確信犯的スーパー勘違い(https://ameblo.jp/sugiokakazuki/entry-12691347462.html?frm=theme)というすごいサイトで、スケートボードについて紹介している「褒め称え合う競技「スケートボード」(https://ameblo.jp/nishitaka217/entry-12690560907.html)」のリブログがあったためであり、この場で両サイト主様に感謝させていただくとともに、引用、リブログさせていただきます。

ではでは。。。

Posted by 猫機長
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アングルとブロックチェーン

ここでいうアングルというのは「角度」のことではなくて、ジャン・オーギュスト・アングルという世界屈指の写実画家のことです。わかりやすく言えば「美術界の池上遼一」ですね。

あれ?

あああごめんなさい、池上遼一は、1970年代から少年漫画界で活躍した作画家で、「史上最高の画力」と言われる人です。

https://store.shopping.yahoo.co.jp/ebookjapan/b00060004179.html#

まだ現役だった?池上遼一

 

ううむかえってこんがらがってしまった。

気を取り直していってみます。

さて、アングルさんが活躍したのは、古典主義・ロマン主義がいがみ合っていたフランス。自民党と民主党のいがみ合いみたい、なんて書くとまたこんがらがるので、とりあえず、アングルは当時世界の美術界をけん引したフランスアカデミーで「この人が代表」と時の有識者・リーダーたちから認められた、押しも押されもしない至高の画家です。

いわば「海原雄山」はい漫画との比較はこれでやめます。

で、アングルさんの代表作に「ホメロス礼賛」というのがあり。

一点の曇りもない青い空。壮麗、厳粛な古代ギリシアのパンテオン(神殿)を前に、勝利の女神から王冠を授けられる詩人ホメロス。

すぐ下の赤い服を着た女性が「イリアス」その隣の緑の服の女性が「オデッセイア」、すなわちホメロスの代表2作品の擬人化です。

でも、作者のホメロスばかりもてはやされているので、2人の作品はふてくされています。ははは

この3人を取り囲むのは、歴史上の世界の賢人偉人。

例えば、

日本の山本芳翠というすごい画家に、すごい影響を与えた世界の画伯ニコラ・プッサン

ブルボン朝時代の俳優・劇作家、モリエール

向うを向いたスキンヘッドのおっちゃんはソクラテス。プラトンとなごんでいます。

盛期ルネサンスを代表するイタリアの画家・ 建築家ラファエロ(一番手前)、その横は古代ギリシアの文化人サッフォー、さらに隣がアテナイの政治家アルキビアデス。

「神曲」のダンテもちゃんといました

カモンエスも発見。ポルトガルの大詩人であり、ブラジル文化にもかかわりの深い人です。

他にもミケランジェロ、シェークスピアやモーツアルトといった、そうそうたる文化人や、古代ギリシアの賢人が多数。ダヴィンチがいないのはなぜだろう?

1人1人は、下のリストでご確認ください

へええーすごいな。

この絵を見ていると、知的で高尚なふんいきにひたったりします。

でも、この「あたかも知的探求をしているように見える」という所に、時の支配者がアングルの名声を利用して一般市民を白痴化しようとするブラックな策謀が隠れていないでしょうか。

知的好奇心、というとこちら

アルノルフィーニ夫妻

 

なにげにおしゃれな絵ですが、しかし「脱ぎ捨てられたサンダルが、神聖な結婚の場をあらわす」のを始め、犬くんやカーテン、ろうそくに至るまで本当の意味で知的な探求の世界に引きずり込んでいく、すごい絵です。

この絵における無数のアレゴリーについては、以前の記事で提示しましたので、そちらをご覧お願いします。

つまり、「ホメロス礼賛」は、たんに「有名人が集合している」だけで、なぞ解きもへったくれもなく。

82年ブラジルチーム

この写真を見れば、誰でもバルジル・ペレスにソクラテス、セルジーニョにトニーニョ・セレーゾ、ジコにジュニオル。ファルコンもいるぞ。。。。と一発で分かると思いますが(*)、「ホメロス礼賛」の「知的なたむわれ」とは、実はこのていどのレベルの話です。

(*ウソです。サッカーマニアならわかる人もいるかもしれん)

「ホメロス礼賛」が描かれた1828年と言えば、フランス革命の大動乱いまだ冷めやらず、フランスは世界を相手に大戦争をおっぱじめた結果、ロシアなどの逆襲にあい、ナポレオンは島流しに。ウイーン体制にすがりついた保守反動派が台頭するなど、混乱は続く一方で民衆の貧困は全然解消されず。

でもそんなひずみなんてぜんぜんないです、爽やかな青い空の下、賢人たちが和やかに談笑してます、それがおフランスです。というのがこの絵である。

高尚な古代ギリシャの神殿に、著名な文化人を並べ立てたので、いかにもハイレベル・ハイソサエティ―の雰囲気になっていますが、実は「お手軽に、明るく。すべてがうまくいってます」みたいな、マクドナルドのキャッチコピーか!になってます。

こういうのを、ドラクロアが目ざとく見抜いて「不完全な知性の完璧な表現だ」などと痛烈に批判しています。

ドラクロア「民衆を導く自由の女神」

こちらは1830年に、当時の動乱(七月革命)を描写しており。権威側が「ホメロス礼賛」で空想の世界に誘導しようとしているのに真っ向から対抗しています。

さて「ホメロス礼賛」と同じしらじらしさを感じてしまった現代の写真があり。

出展 https://number.bunshun.jp/articles/photo/846913?pn=3 ©Getty Images

東京都知事がにこにことアマチュアスポーツの旗を振っている。

たしかに、この写真が撮影された時はコロナなんて考えられもしなかったけれど、いつまでも日本の政治家はオリンピック絶対開催だ!みたいな姿勢を崩さず。開催するならどんな風にやるんだ?という具体案を示すわけでもない一方で、外国からの選手はどんどん入れても巣ごもりはつづけましょうとか、相変わらずアクセルとブレーキを同時に踏んでいます。

「爽やかな青い空の下、日本ではすべてがうまくいっています。今日もとても良い天気です」とマクドナルド的プロパガンダを繰り返す日本の指導層。日本の市民は、「そのとおりです。日本には何も問題はありません」と、コロナのみでなく、日本の経済社会全般にのしかかっている恐るべき課題から目を背けていないでしょうか。

その課題の名は「ブロックチェーン」

それ自体はニュートラルなIT技術ですが、使われ方によってやばいことになるかもしれない。

たとえば「ビットコイン」

ビットコインは、法定通貨のような政府による介在がなく、ブロックチェーンを構成するコミュニティへの信用が取引の裏付けとなっている。

つまり、「もう法定通貨なんて信じないよ」と、資本主義国家の根底を揺るがしかねない事態が発生しているのです。

フランス革命で、労働者すなわち弱小市民が、資本家側の王や貴族をギロチン送りにしたように、国や中央銀行に発行を依存しないビットコインは、政府主導の金融システムを「ギロチン送り」にするかもしれん。

問題は、その後です。

フランス革命では、暴力的な格差の是正はあったが、資本主義は瓦解せずにすみました。

しかし、後発のロシア共産主義革命では「資本主義そのものを否定してしまった」ため、適切な経済戦略を決定できなくなり。NEPだのなんだの頑張っては見たが、的外れの締め付け(黒いボールペン)に走り、労働者を酷使するのみでコストに見合った生産がなくなってしまい。ブルジョアが残した富を食いつぶし滅亡しました。

政府や企業を介在しない「政府そのものを否定してしまった」ビットコイン経済の時代になったら、各個人が自分自身で身を守らなければならなくなり。

昨日4万ドルだったビットコインが明日40万ドルになったとして、本当に40万ドルに換金してくれるか?ブロックチェーン技術によって、ビットコインを買った、売ったという記録は改ざんできないけれど、取引相手がその履歴を十分承知のうえで、「でも払わないよ」と言えばそれでパーです。国家の統制を受けない以上、取引所(個人の場合もある)があなたをだましているのか、はたまたその逆なのか、「当人同士の問題でしょ」と警察含め政府の組織は立ち入る根拠がなくなってしまうのです。

ビットコインは、なりゆきによっては共産主義よりももっと恐ろしい弱肉強食の世の中をもたらすのではないかと危惧します。

*4月26日追記。世界の大規模金融機関がビットコインを投資資産として認め始めています。したがって、誰でも参入できる投資ツールに変化中。(こちらの記事参照。でも超リスク投資なのでご覚悟を。)

*6月13日追記。エルサルバドルがビットコインを法定通貨として認可。通貨というより送金ツールという位置づけらしいが、独立国家の正式な通貨になるという恐るべき進展になっています。

ビットコインなどの技術革新について、「ホメロス礼賛」みたいな表面的な情報に安心せずに、「アルノルフィーニ夫妻」のようななぞ解きをして、本質を突き止めるべき時代になったのかもしれませんね。

ではでは。

 

Posted by 猫機長
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神と人と物。美術と哲学で暴く人類のゆくえ

初めに、言葉があった。

ギリシア・ローマの理性・哲学、自然科学や政治体制などの成果を、聖書の言葉によって闇の底に封印した恐るべきキリスト教の福音がヨーロッパを席巻した中世に、その後の人類の思考を決定づけた「キリスト教的世界観」が形成されました。

この当時の美術に、どんな世界観かというのが雄弁に表現されています。

 栄光のキリスト 1123

 

いかにもスペイン人のおっちゃんなキリスト。

まじめな分析:この絵に登場する人は、みんな同じ顔をしているぞ!

11世紀後半、預言者ダニエル

 

なんか上のスペイン人が貧乏で生活に疲れたらこうなる、みたいな感じ。

真面目な分析:やはり様式化された表情、スタイルですね

イギリス。聖書の挿絵

 

真面目な分析:記号(イコン)になってます。やっぱり写実的でないなあ

さて、封印されたギリシャ・ローマ美術をちらっと覗いてみます。

ポンペイの壁画

 

BC50ころ。ポンペイの壁画

 

「キューピッドを売る女性」古代ローマ

 

「ラオコーン」古代ギリシア。絵画じゃないけど。。。

 

表情豊か、写実的で、躍動しています。これって、ルネサンスじゃ?

いやいや、ルネサンスの方がこちらをまねしたのです。

あきらかに「スペイン人のおっちゃん」と違うじゃん。

おっちゃんはじめ、上記にあげた中世時代の絵は、いずれもロマネスクと言って、「ローマ風だけど劣化しちゃった」と、後世の美術好きを残念がらせている。確かに、ポンペイの絵(古代ローマ)からどんなふうに躍動、進化しているか、という観点だったら期待外れですよね。。。

ここがポイントです。

以前、ビザンティン美術の「イコン」について書いたのと同じことが、ここでも原則となっています。表情とか、躍動とかの「個性」ではなくて、あくまで「真理、預言、福音」という「普遍」のお絵かき版でなければならなかった。

つまり、この当時は

「考えるな!神の言葉を信じろ!」

「教会が神の言葉を教えてやる!」

当時の聖書はラテン語だったので、王様貴族はじめ俗世の人たちへの「絵解き聖書、神のお言葉」がこれらの絵だったということである。

当時のキリスト教精神が、トマス・アクィナスという要注意のおっちゃんによってみごとに表現されています。

トマス・アクィナスは、1225年頃、シチリア王国で生まれました。

伯父さんが「モンテ・カッシーノ修道院」の院長だった。この修道院は当時ヨーロッパの学芸の中心で、聡明なトマス少年は伯父さんの後継者になることが期待され。

実は日本やブラジルにも縁が深いモンテ・カッシーノ修道院

 

真面目人間で、勉学一直線の結果、ドミニコ会という、当時ヨーロッパの中でも屈指の学術機関に入会。

ところが、伯父さんはじめ家族はベネディクト会(瞑想修道会)なのに、あえてドミニコ会(托鉢修道会)に入ってしまったということで、家族は猛反対し。

「どあほが!タイガースにドラフト指名されたのに、よりによってジャイアンツに行くやつがあるか!」みたいな感じで?一時はサン・ジョバンニ城に拉致・監禁されて「考え直せ」と脅迫され。

でも、本人はいたって穏やかに、「阪神にも巨人にも『野球チーム』という普遍が宿っています。ドミニコやベネディクトというのは、普遍である神の個体上での表現です。神はどの個体にも生きているのですから、巨人の阪神の、とこだわる必要はありません」と、全くこたえず。

で、家族がどうしたかというと、

「女性を連れてきてトマスを誘惑までさせた(Wikipedia)」

いいのかベネディクト派教会?

というか、どんな誘惑をしたのか?

ブラジルの素敵女子を呼んできて、ベネディクトもドミニコもみんな一緒にサンバパーティーだ!そして、「1週ごとにベネディクト会とドミニコ会を交代し、週末はみんなで集まってパーティーしよう」とかだったらいいのになー。ぼくだったら一発で誘惑に負けちゃうとおもいます。

でも、誘惑する方もされる方も真面目だったようで、結局家族が折れ。トマスくんは晴れてドミニコ会デビューしたのでした。

サンバパーティー

 

その後いろいろあって、パリ大学神学部教授になったり、Doctor Angelicus(神の使いのような博士)とあがめられたり、当時の西欧思想界のリーダーとなった。

しかし、西欧はいろいろ危機に瀕しており。

まず、度重なる十字軍があり。最初はエルサレム奪還だ!なんて戦争景気に沸いていたヨーロッパも、コストばかりが増大し、イスラム軍の失地回復とあいまって、教皇権力は存亡の危機に。

一方でキリスト・イスラムの交流が激増した。古代ローマの思想・哲学を封印してしまったヨーロッパと違い、イスラム圏では実利的にじゃんじゃん活用して大発展しており、ヨーロッパにも逆輸入が始まっていた。

左二人がイスラム圏、右はユダヤ圏の学哲

左から、アヴィケンナ:中世マニュスクリプト(写本)、1271

アヴェロエス:ラファエロ「アテネの学堂」(ルネサンス絵画)、1509

アヴィケブロン:イスラエルの彫像

 

キリスト教からみて特に要注意だったのは「アリストテレス」。

実は現在でもいろいろな解釈があり、取りようによって変わってしまう(外部リンク)のですが、

◎世界の永遠性→黙示禄など、世界の終わりを定義するキリスト教義と反する。

◎魂(プシュケー)は、体を離れては存在しない→魂の不死、生前の行いに対する応報というキリスト教のコア部分の否定

◎二元的宇宙、つまり「天上界(天体)」と「地上界(人のいる世界)」の二元論で、地上界は天上界に影響される(天体の自律的運動)→神が全ての秩序を構成するという考えに反する。

二元的宇宙論にいたっては、天体の運行を予測できれば人間の将来も予測できるぜーと、キリスト教の嫌う占いの流行が起きてしまい。

これまでのキリスト教思想は、「すべては神から生まれる」(これも実は「すべては1者から流出する」という新プラトン思想の発展形ですが)。

そのエッセンスは「原罪このかた、人間が救われるには神への絶対服従が必要であり、神の救いは教会を通じてのみ得ることができる」なので、人間が勝手に天体占いなど始めちゃう(将来を構築しようとする)というのは神への冒涜以外の何物でもなく。

しかし、いまやヨーロッパの知識人に浸透しつつあるアリストテレス思想は、いまさらせき止めようもなく。

あやうしキリスト教!

ボッティチェリ画 「トマス・アクィナス(1481年)」

ルネサンス美術です

 

ここでトマスさんが奇跡の一言を発するのでした。

「別に、アリストテレスは、キリスト教の教えに反していないよ」

えっ?とおどろく教皇勢力。

「二元的宇宙にしても、目で見、手で触れる物質面での事象を説明あるいは仮定しているにすぎない。アリストテレスは物質の観察と分類のレベルにとどまっていたのさ」

「手で触れることのできない魂の不滅は、哲学しているレベルじゃ証明できない」

「それにひきかえ、主は、物質のさらに上の魂の部分も決定しているんだよ(宇宙論的証明)」

「人は死んだときに、初めて「栄光の光」を得て神の本質を完全に認識するものであり、真の幸福が得られる(Wikipedia)。だから生きているうちはキリスト教という信仰の導きが必要なのである」

「結局、哲学は、キリスト教をよりよく説明するための手段にしか過ぎないのだ」

おおおおおー!と歓声を上げる教皇勢力。

トマス・アクィナスは、どや!とは顔にはださず、持ち前の穏やかさで、スコラ学(当時の総合学術)で使われた有名なフレーズ

「哲学は神学のはしためである」

で締めくくり。

ちゃっかりギリシア哲学とキリスト教義を融合しちゃったのでした。

この当時は「何が何でも神ありき。神以外は全部クズ。クズの人間が自分自身の考えを持つなんてありえない」。

そして、神がある世界でのクズでいることが、いちばんの幸せだったりします。

「信仰によって救われるクズ」だからで、「異教徒は、救われることがないただのクズ」というのが当時の常識だったのです。

救われないクズに待っているのは地獄。

ジョット作「最後の審判(1305年)」。ルネサンス的な感情表現の始まり。

 

これがキリスト教的世界観だった。

まさに「神の時代」である。

しかし、「信仰」こそすべての時代のただなかで、はしためながらも存在を認められた哲学すなわち「理性」は、後のルネサンスで華々しく開花するのでした。

ということで、今回はおしまい。近い将来「人の時代」投稿します。こうご期待。

ではでは。。。

Posted by 猫機長
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オリンピックいろいろ考

前回のオリンピック記事は未消化のまま終わってしまい。もう一度考察してみます。

◎観客から見たオリンピック

一般市民の目から見たオリンピックというと、圧倒的に「TV画面」になると思います。どんなに大きなスタジアムでも収容人数は限られていますが、TVなら世界中で同時に共有でき。スタジアムで押しくらまんじゅう、フーリガンにおびえ、そもそもバスやタクシーでひいひい言いながら会場まで移動しなきゃならないし、チケットだってものすごく高い。というのにくらべると、TVの場合はコストは最小に抑えられ、のんびりと居間のソファにくつろいで、ネコと遊びながら、とはっきり言って全然楽です。じゃあ決死の覚悟でスタジアムに出て行って、何が見えるかというと、はるか遠くに小さくかすむ試合場に、ゴマ粒みたいに選手が動いているのが見えるだけになってしまい。TVであれば、試合場全景、あるいはカンカンに怒る監督のドアップ、試合のハイライト場面はこれもドアップで正面だのネット裏だの観客席では絶対見れない視点、大きさ、解像度で何度も繰り返し、あるいはスローモーションで楽しめます。確かにTV視聴者は受け身になりますが、プロのカメラマンやプロデューサーがあらかじめ何か所も設置したカメラをスイッチして送る画像であり、観客はお任せしていればおのずと最高の映像が飛び込んできます。

つまり、スタジアムで観戦、というのは、せいぜいラジオくらいしか放送手段がなかった時代の遺物になりつつある。

すごくお行儀が良い観衆。共産圏か?

宝塚とか、観客とスターが一体の歌劇なら、確かに最後列でも十分価値があると思いますが、サッカーの試合になってしまうと、目の前は応援の旗や、飛び上がって喜ぶおっちゃんのむくつけき手や頭で全く見えず、時たま地震のように揺れ響く観客席の振動で「あれ点を入れたかな」というのがわかるくらいで、要するにそういうのこそが好きで、わああーい、オーラだ!なんて大喜びでオーラの波に加わるくらいでないと、花火の煙で目はやられ、おやじの怒号で耳は聞こえなくなり、と、拷問になってしまうとしか思えないのはぼくだけでしょうか?

ぼくとしては、上記のとおりプロが計算しつくした最高の画像を、TVでもコンピュータでもスマホでも、自分の都合に合わせて見る方がいいと思います。彼女から電話が来ればすぐそっちにスイッチできるし。また、オリンピックだと多種目同時開催していて、柔道、体操、馬術、射撃、などなど、チャンネルを渡り歩いて、見たい種目を見る。あるいは「こんな種目あったっけ?」みたいな新しい発見もできて、知的な興味を刺激される、そいういのがいいなと思っています。

前回の記事に書いたように、アスリートによっては、観客の存在こそが最重要だ!とする競技者もいるし、また、サッカーの決勝戦でも、スタジアムを揺るがす大歓声、旗の波、飛び交うテープ、すなわち満員の観客席がないと。。。。と思わないでもないです。でも、F1(オリンピックじゃないけど)みたいに、無観客でも、実は全然気にならない、みたいなのもあると思います(世界中から得体のしれない変異株が観客にくっついて日本へ、というのに比べればずっとましと思います)。

アトランタ五輪 クレー射撃。

こういう静かな観衆というのも存在していた

 

結論として、試合というより、観客席で騒ぎたい人はこれからもスタジアムを埋め尽くすでしょうが、コロナ後の大会の在り方として、メジャーな球技(サッカー、バレー、バスケット、テニスなど)は別として、無観客試合があったとて基本試合の質をそぐことはないと思いますが、いかがでしょうか。野球は「打球音や捕球音が聞こえてよくなった」なんて感想もあり、謎です。

◎ビジネスとしてのオリンピック

メジャーな球技は、テレビ局はじめビジネス界のドル箱ですね。超人的なプレーを見たい観衆が大喜びで試合のチケットを買う、チームのグッズを買う、新しい大画面テレビを買う、何も買えない貧乏人でも、一か月の給料をはたいてバスに乗ってフラメンゴの試合は欠かさず通う、というのでも企業から見れば得難い収入であるから、スーパースターにハリウッド俳優もびっくりのギャラを払ってもペイするし、むしろ、さらにお客を呼ぶアピールになったりします。

フラメンゴFC。選手時代のジーコ
https://ameblo.jp/nagatsuna1977/entry-12521878095.html
 

というわけで、企業界にとってはオリンピックはウハウハ!これ以上ないおいしいビジネスですね。ただし、「無観客試合」などという呪いの言葉はもってのほかだ!と、選手に対しても「無観客の試合は出るなよ」みたいなプレッシャーをかけていなければよいのですが。

ここで、お金そして権力をもつものが、どのようにオリンピックを牛耳るのか、という要注意な課題が浮かび上がります。

◎政治から見たオリンピック

五輪憲章50条で「政治的、民族的宣伝活動の禁止」されており、今どき「北朝鮮がメダル!みんな共産主義になって将軍様に続くのだー!」なんてしらじらしいタイプのはありえなくなってはいます。一方、両手でバツ印を掲げて「僕らの民族が虐殺されている、助けて!」と訴えたマラソンランナーや、「ブラックパワーサリュート(黒人人権の訴え)」の場合は「一部政治グループ(政党・国家)の損得ではなく、世界の人類の共通の課題についてトップアスリートが直訴した」ということであり処罰すべきできないと思います。

左がリレサさん(出展:https://globe.asahi.com/article/11629675)

右がブラックパワーサリュート(出展:https://ameblo.jp/chihaya-furu/entry-12241906194.html)

 

そんなことを言ったら今後直訴・マニフェストだらけになってしまうぞ!という声が出るかと思います。世界中で報道されるオリンピックはプロパガンダ(善悪かかわらず)には最良のステージだからです。

商業ショーとして運営される限りはショーを見ようと群衆も押しかけ、アスリート側も群衆の知らない(忘れていた)事実について捨て身で訴えるということも避けられないと考えます。商業ショーに回せるほどの余剰があるのであれば、まず差別・貧困・飢餓の解消に回し、どの国でも、選手が悲痛な訴えをしないで済むくらいには豊かにするべきでは、ということです(理念です、実現性とかではありません)。

解決がないでもない。たとえば、ブラジルチームが1点ゴールするたび、まずはボルソナロ大統領が私費で100万ドルをスラムの病院に、次のゴールはドリアサンパウロ州知事が学校に寄付する、とかいうのだったらブラジル全国が熱狂的に応援するでしょうねえ。

◎まとめ

やはりオリンピックは「アマチュアが損得抜きで競技そのものの最高を目指す」という方向に全面的に回帰しなければ、と考えます(現在でも大したサポート体制もなく報酬(と言って悪ければ賞与)も得られない選手も多数いるとは思いますが)。

現状だと、サッカーなどプロチームのスーパースターがナショナルチーム代表でも出ていますが、このままだとW杯と全然変わんなくなっちゃう気がします。

あと、やめてほしいのは、メダル欲しさに選手の体を壊してしまうこと。女子体操などで、体が小さく軽い方がいい、ということなのか、まだ年端もいかない少女が栄養失調になってまで(一度食べた食事を吐いてまで減量する少女もいるらしい)、というのは禁止すべきと思います。いい大人がとにかく勝てばいいとドーピングに走るというのは論外。ここでも、スポンサーが選手に無理矢理ヤクの注射をさせる、というのがなければよいのですが。

結局、オリンピックは、あれ街角の八百屋さんが、ここ2か月閉まっているから潰れたかな?なんて思っていたら、TV中継で、アーチェリー・ナショナルチームの中に八百屋のおっちゃんを発見!みたいな感じになればと思っています。

プロのスーパースターによる奇跡のプレーよりもっとすごいエンタメが、スマホのバーチャルワールドでふつーの善男善女でも「体験」できる時代です。見世物とは一線を画した、アマチュア精神てなに(精神と知能)?というのがもっとわかる何か、になってほしいと思っています。

アテネにある古代オリンピックスタジアム

紀元前に作られ 、二世紀に大理石で改修、第一回近代オリンピック(1896)の主会場となった。 (パンアテナイ競技場)

ではでは

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ビットコインのETF出現:ブラックカードの絆

*この記事での「ビットコイン」はおおむね「クリプトコイン全般」という意味になっています。

ビットコインへの投資といえば、日本では、直接取引所(交換業者)に口座を開設して入金するしかなく。この口座すなわちウオレットがくせもので、取引所のウオレットがハッキングされて大ニュースになったりしました。

被害を避けるために、投資家が個人で所有するコールドウオレットつまりインターネット環境から切り離した専用デパイスや、紙に印刷するペーパーウオレットがありますが、紛失や盗難の他に、紙の場合、コーヒーこぼしちゃった!などなくても自然な劣化で秘密鍵が読み取れなくなれば永久に投資はパー。ハードウオレット等のデパイスは、うっかりでなくても秘密鍵を念失、紛失すれば、やはりその時点で永遠に投資がパーになるという危険があるのです。

左がハードウエアウオレットの一例https://hardwarewallet.jp/

右はペーパーウオレットの一例https://payment-revolution.net/pepar.html

さらに恐ろしいのは「個人対ビットコイン販売元」という限りなく力関係が不均衡な契約なのに「ビットコインについては、警察はじめ国家権力は管理していません」という世界なので、いかに正式登録した取引所と言えど、「作為または不作為の不手際」をしでかした際、対決し解決するにはあなた個人の独力しか頼るものがないということです。警察など国家権力が、あなた個人の為にどれだけ力になってくれるか、また、力になるための「事件性」をどこまで真面目に追及してくれるかは疑問です。

要するに、よほど事情に精通した投資家でない限り、個人による直接のビットコイン購入では、個人に覆いかぶさるリスクが大きすぎるのである。

 

一方で、ビットコインは今後大成功間違いなしのブロックチェーン技術が、クリプト通貨という、もっとも投資に適した形で表れているものなので、投資しない手はないぜー!とだれでも考えるのではないのでしょうか。

それは金融機関から見ても同じであり。

法定通貨の守護神である銀行などは、これまでビットコインの取り扱いをスルーしてきましたが、ここ数年から風雲急を告げ。いよいよ世界の大手銀行が暗号資産ビジネスに参入し始めたのでした。

そして、まずカナダが世界初、次いでブラジルにおいて世界2番乗りの「ビットコインETF」が開始。一般投資家参入の道が開かれたのでした。

この原稿は、2021年4月29日に作成しています。この時点で、類似の投資手段は、G20諸国のうち、カナダとブラジルでしか始まっていない一方、アメリカでもMorgan Stanleyあたりが着々と準備を進めているらしい。

アメリカで開始されれば、日本のみなさんにもぐっと身近になりますよ!ということで、この記事が予習の役に立つことを願っています。

*カナダのETFについてはこのサイトに情報あり→https://mon-ja.net/210417-01_bitcoin-etf/(外部リンク)

 

ブラジルの新生ETFは、その名もHASH11。

正式名称はHashdex Nasdaq Crypto Index Fund

ETFであり上場しています。日本の定義と違っているかもしれませんが、自称インデックスファンドです。

Nasdaq Crypto Index (NCI)という、NasdaqとHashdex社(ファンドの管理会社)が共同で開発した、いわゆる暗号通貨界のNasdaq指標をもとに運用。

このファンドを構成する銘柄は以下の通り。

ビットコインが80%弱。イーサリアムが18%強。残りをLitecoinなどで分け合っています。Stellarなんて得体のしれないコインも入っていますが、0.68%ということで、まあ銀行側の道楽さ、という感じでしょうか。

 

最大のポイントは

「投資家と銀行の契約であり、取引所など外部との交渉のリスクが存在すれば、それは銀行が負ってくれる」

銀行は個人とは桁外れ、取引所も圧倒する交渉基盤を持っている。国家権力も銀行はつぶしませんからねー

 

ぼくは、このファンドをブラジル市場で取引開始された4月26日に購入しました。市場取引開始その日に購入できたのは、ひとえにぼくが口座開設しているS銀行の投資アドバイザーE氏がタイムリーに教えてくれたことによっています。

もちろん、以前から「銀行によるビットコインファンド」ができないかなーと調査してはいましたが、個人のかなしさ、いくらネットの時代でもあっぱらぱの方向にアンテナを伸ばしていたようで、4月25日にE氏が連絡してくれるまで全然知らなかったのでした。

 

しかし予兆は察知していた。

ぼくはS銀行の他にI銀行でも口座を持っていますが、そのI銀行で仲良しだったやはり投資アドバイザーのマルコスくんが、去年とある証券会社に引き抜かれ。それからちょくちょくマルコスくんよりぼく宛に「こんな新銘柄があるよ」とメールが来ていたのでした。

そのメールの一つに「僕(マルコス)の証券会社で、ビットコイン関連のファンドがあるよ!僕の証券会社に口座を開けて、投資しない?」というメールが入り。

すでにS銀行、I銀行に口座を開けていて、さらに別の証券会社に口座を開ける気なんて全くなかったので、マルコスくんの商売敵であるS銀行のE氏に「とある証券会社からこんな情報が来てるよ!S銀行には無いの?」と聞いたら、10日を待たずしてHASH11が取引開始になることを教えてくれたのでした(それが4月25日でした)。ごめんねマルコス。ははは

 

ここでポイントが一つあり。

マルコスくんにしろ、E氏にしろ、こういう特ダネ情報をすらすら教えてくれた背景に、「ブラックカード」があり。

ぼくは両方の銀行にブラックカード持っていますが、I銀行の方は、実は名ばかりのぜんぜんダメなカードとはいえ、それでもそれなりの投資残高を持っていないと招待してくれない。つまり、マルコスくんから見れば、ぼくはそういう投資規模の客だということがわかるわけである。

S銀行の方は、南米では知る人ぞ知るサンタンデール・ブラックカードで、空港のラウンジがタダになるとかブラックカードらしい特典がなんとかある。某エキスプレス社のブラックカードと一応は同じ格ということになっています(なんて書いたら、E氏から「ふざけんなー!わしらの方が格上じゃー!」なんて怒られるので、ひみつ。)

サンタンデール・ブラックカード

ネットで「ブラックカード特集」なんてやっているのを見ると、やれコンシェルジュを使ってホテルのスイートルームに予約をねじこむだの、そんなことばかり書いていますが、ブラックカードの本当の威力は、今回のようなエポックメーキング的な出来事をいち早く察知する機会を与えてくれたり、実物不動産購入等、それなりの金額を動かす場合に、交渉相手にこのカードを見せれば一発通過!などがあるのです。

 

ウオーレン・バフェットみたいに名が売れていれば、最低ランクのカードでも全然問題ないけれど、この記事を書いてるぼくや、そして読んでいるあなたのような無名の投資家は、契約相手に安心してもらうために、資産形成のある段階でブラックカードを取得しておくのは有用だと思います。

 

さてHASH11に戻りますが、もちろん1日で50%下落なんて日もあるでしょう。つまり、ぶっちゃけ全損しても痛くない金額で開始して、5~6年?で暴騰局面を狙う、のが定石かなと思います。

もう一ついいのが、Nasdaqつまりドルが基調となっており。もちろんブラジル市場での取引なので現地通貨換算ですが、それでも為替ヘッジがきくので、これまで現地通貨のみの投資しかなかったところ、安心の材料になるのでした。

重文 黒楽茶碗『大黒』|長次郎

出展:https://tea-ceremony-tokyo.club/

最後に、USREITの銘柄により構成されるBrazilian Depositary Receipts (BDRs、国際預託証券)が、BOVESPA市場(サンパウロ)で購入可能となっています(ブラジル居住者)。USREITの有望な配当利率と堅固な安全性を期待しています。でも現在現地通貨があまりに安いので、回復を期待して、あと、1,2年後に購入できればと考えています。

ではでは。

Posted by 猫機長
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24時間戦えますか?死ぬまで現役やれますか?

「リゲインのテーマ」のお話ではなくて(関係はある)、この記事を読んでいるあなたの収入が、「今後こうなってしまうぞ!」というお話です。

ひょんなことから、2045年の未来よりタイムスリップして2020年の日本にやってきたロボットの「AIくん」。

とある開業医「猫医院」の一室で、院長さんとお話になりました。

AIくん「初めまして。2020年の日本はコロナ禍でたいへんですね」

院長さん「初めまして。いやいや24時間働けますか、ですよ。でも有給休暇も昇給もありゃしないけどね」

A「有給休暇?昇給?それってなんですか?」

院「AIくんは機械だからわからないんだね。人間の社会では定期昇給があって、誰が何年務めたか、どれだけ成果を上げたか、による給与の修正をおこなっているんだよ」

A「院長さんは、お医者さんなのによくご存じですね」

院「病院経営していると、院長の他に社長もしなきゃならなくてね。部下の査定がなかなかたいへんなんだよ」

A「部下のお医者さんの給与計算とか、残業管理とかそうゆうことが患者さんを診察するほかに生まれるということなんですね」

院「その通り。ぼくは人事管理、査定とかで、毎晩遅くまで大変なんだ。。。2045年ではどんな感じ?」

A「残業とかはありません。だって最初から24時間体制なんだもん」

院「えつ?お医者さんが過労死しちゃう?」

A「実は。。。。2045年には、人間のお医者さんはほとんどいないんです」

院「えつ?」

A「ぼくたちの仲間に「治療くん」というのがいて、病気になったか不安だ、診断してほしい、という人のお家のコンピュータを通じて、コンピュータのカメラやマイク、さらにはキーボードから打ち込んでもらう情報でたいてい診断できちゃうから、その場で治療法を伝えてはいOK、おしまいです。場合によっては「治療くん診断デパイス」をUAVで運んで出張診察もあります。」

院「ううう、では、いつも悩む人事考課もないし、そもそも人事部門や経理部門の存在が必要なくなる、ということなのか?」

A「院長さんのケースでは、人事部門はいらなくなりますね。院長さんの下で働いているお医者さんたちはみんな「治療くん」で代替できるので、給料も有給もなくなります。ぼくたちAIが24時間体制でアテンドするので、残業もありません」

院「人事コスト0で24時間営業ということだね!すごいコスト削減かつ利益倍増だ!」

A「病院は、入院施設のある大学病院みたいなのだけが残って、院長さんみたいな小さな開業医は、わざわざ物理的に病院を作る必要はなくなりますよ」

院「というと?」

A「院長さんは、自宅で「治療くん」の管理者になって、「治療くんクラウド」を通じた患者さんの診察状況をモニタリングする。そして、「治療くん」だけでは対応できない難病の人などを、大学病院とかにレコメンドするみたいなかんじになると思います」

院「ううーむすべて自宅のコンピュータにより、クラウドなどのITを通じたリモート操作になるということか。でも大学病院には医者がいるんだよね」

A「その数はすごく少なくなります。「移動型治療くんロボット」が病棟を巡回して看護師さんに指示をだして、患者さんの対応をしますから、人間のお医者さんは、「治療くん」のモニター役になります。でも、看護師さんや、介護の人たちなどはまだまだたくさんいますよー」

院「つまり、人の体を手に取って、物理的に手をたずさえて行う活動には、AIは介入できないということなの?」

A「おしめ取り換え、う◎ち清掃の「身体介護ロボット」とか、外骨格スーツみたいな補助具はできてます。でも患者さん、ご老人との触れ合いは人間の介護士ですねー」

院「ううむ、看護師の方が医者より上だ!と言われている気がしてきた。職にあぶれた医師が、大量にタクシー運転手になっちゃった、とか起きているのだろうか?」

A「全然大丈夫ですよーリストラだの、乞食だのそういうのは存在しない世界になっています。国民は、誰でも経済的な不足がなく生活できるよう、一律にベーシックインカムをもらいますから、ふつーの生活には全然問題ないですよー」

院「ううむついにベーシックインカムがきたか!要するに、上記で出てきたコスト0化と収益激増によって発生した余裕・余剰分が、税金になってベーシックインカムの財源になるということだな!」

A「その通りです。ぼくたちのお客さんとなる人間がお金を持っていないと、ぼくたちも困りますから。。。」

院「うううーむ、家内への給料配達人から逃れられると思ったら、今度はロボットのえさやりおじさんか。かなしいな」

A「鋭利な推理ですね。看護師さんにはない発想だと思いますよ」

院「そんなみえすいたお世辞で喜ぶ医者はいないだろうけれど、好意的に受け取っておくよ」

A「院長さんにお聞きしたいことがあるんです。むかし飲み会っていう儀式があったそうなんですけれど、どんなものだったんですか?」

オンライン飲み会でさえ、ハラスメント(ズムハラ)があるらしい

院「まさにいま君が言ったような心にもないお世辞を言いまくって、会社の中での自分の立場をよくするための課外活動だ」

A「ふむふむ課外活動ですか?」

院「話の初めに出てきた昇給にしろ、若い医者は「仕事しないおじさんが年功で高い金を貰っている」と憤るし、年寄りは「若いころにはもらえなかった賞与を、成果だのなんだのでどんどんもらいやがって」と妬む。そもそも何が成果で、なんでAさんがもらえてCさんがもらえないないんだ?とすさまじい闘争があるのだよ」

A「人間て大変ですね。AIだったら電源を入れて作動させれば故障しないかぎり1年365日24時間作動してます。AI同士で妬みそねみもないですよー」

院「というわけで、うわべはみんな「おはようございまーす」なんてさわやかにご挨拶しているが、裏ではすさまじいルサンチマンのいがみ合いがあるのだよ」

A「ガス抜き、説得等のために飲み会が必要ということなのでしょうか」

院「そうだ。さらには、本来ありえないゆがんだ事業を闇のうちに合意してしまうツールでもある」

A「国民が望んでいないオリンピックが、知らないうちに実施になってたとか。政治は料亭で決するということでしょうか」

院「まさにその通りだ。オリンピックは重要だが、何が何でもやりさえすればいいなんてものではないのに、政界・財界がトクをして一般市民は世界中からのコロナウイルスに晒され、我々医者は過労死か、患者からコロナを貰って死んじまうかという、そういうゆがんだ形での開催が我々の頭越しに決まってしまうのだ」

A「世界中の選手とかが得体のしれない変異株をもってくるわけですからねえ。世界同時開催の巣ごもりオリンピックとかにすればいいのにね。でもそれじゃビジネスとしておいしくなくなっちゃう」

世界各国で同時開催し、実況を世界中に配信する「在宅オリンピック」

院「脱線したが、同じ会社の仲間なのに背中から刺しあうような暗闘が起きるのも、結局いくら働いても給与が足りないからだ」

A「働かないと生きていけない、という体制だから、給料をもらうためなら、人は何をしても許される、となるのですね」

院「そこでだAIくん。2045年ではみんな給与はたくさんもらえているのかね?」

A「そこポイントですね。実は給与額は現在と変わらないですが、給与を貰っている人間の数がものすごく少なくなっています」

院「ベーシックインカムで生きていけることと、そもそも人間が入っていける職場が激減しているということだね」

A「そのとおり。お医者さんにしても、生活費はベーシックインカムで保障されているので、飲み会で暗闘してまで組織にしがみつくなんて人はいなくなります。でも、ただのお医者さんではだめで、「治療くん」すなわちAI機構をモニタリング、使いこなし、その不備を補い向上していく、そんなお医者さんでないと職にありつけないでしょう」

院「要は、人間が「考える葦」として「我あるために、思うことを忘れない」ことが大切だと言いたいんだね。さて3000字越えなので、今日はこの辺にしよう。AIくん、どうもありがとう」

A「こちらこそ、どうもありがとうございました」

AIくんの言うことが、どこまで実現するか?ではでは。。。

映画「本日休診」1952年松竹

 

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国民不在の「国策」強行:戦前の悪夢再び

まず、これまで皆様からのたくさんな「いいね!」、コメントや励まし、ありがとうございます。

今回の記事は、ちょっと内容が深刻で、いつもの明るい記事を期待されている皆様に提示させていただくには気が重いのですが。。。

でも、今のうちに書いておかなければ、国民による必要最小限の意見交換もなされないままに、国家権力により強権的に「国民が望んでいる」と、既成事実化(すり替え)されてしまうと思い、あえて投稿させていただきます。

なお、ぼくは共産主義者ではないし、特定の政党や政治勢力を支持する意図はありません。書かれた内容は、個人的な見解であることを予めご了承いただければ幸いです。

さて、今回、お題はスポーツですが、内容は日本の政策指針についてです。

「しんぶん赤旗3月12日号」に以下の記載がありました。

『NHKが毎月実施している世論調査の東京オリンピック・パラリンピック関連の設問が、従来の3択から4択に変更されていた。

昨年12月の世論調査の設問は、「東京五輪・パラリンピックの開催についてどう思いますか」として「開催すべき」「中止すべき」「さらに延期すべき」だった。

今年1月調査も3択を踏襲。

ところが今年2月、3月の調査は、「どのような形で開催すべきと思いますか(A)」と、開催を前提に設問。

2月、3月とも、「これまでと同様に行う(B)」「観客の数を制限して行う(C)」「無観客で行う(D)」「中止する(E)」に変更されていた』

日本の指導層は、国民の総意がオリンピック開催には前向きと言えない姿勢であることを察知して、世論調査の軸足を変更するという挙に。

これまでは、①開催、②中止、③延期、だったのに、知らないうちに(A)開催、(B)開催、(C)開催、(D)開催、(E)中止、と根本的な判断基準(前提)を変更してしまい。特に「延期」を考えた人がオプションを抹消されて、有無を言わさず「開催」と答えるを得ない状況に誘導してしまっています。

思慮深い人、優しい人が、選手の気持ちや経済面で打撃を受ける市井の人々のことをおもんばかり、なかなか「中止」とは言えない心理を利用して、知らないうちに、ずるずると「開催」に持っていこうとしていないでしょうか。

1930年代に、当時の日本政府は正式な宣戦布告もないまま中国と戦争を開始し(中国側も、中立国からの武器輸入などの都合で宣戦布告をしない方がトクだったので、お互い様ですが)、本当は絶体絶命の危機なのに、うまくいっています、勝っています、日本は優秀です、と、国民が知らないうちに、ずるずると戦争の悪夢に引きずり込んでしまい。収拾のつかない泥沼にはまり込んだあげく、「あいまい、ずるずる」を許さないアメリカに原爆を落とされたことは、もう記憶から消え去ってしまったのでしょうか。

ぼくはブラジルに土着化した部外者になってしまいましたが、もし日本にいたら

「日本政府は、開催のYES、NOを問いかける調査を改ざんして、YESとしか答えられないように誘導している。民主国家の国民として、このような政府の改ざん、隠蔽は許さない。政府が「開催」を強行しようとする以上、この開催には政府の不純なる動機が潜んでいると判断せざるを得ない。このような疑惑について国家が国民に説明し、国民の了解を得ない限りは、国民は「中止」を要求する」

くらいは言うと思います。

表面上は「志願」としておきながら、YESとしか答えられない状況に追い込まれた特攻隊のような事例は、2度と繰り返してはならないと考えます。

外国の意見を、外国にいる身で聞いた見解は

◎COVIDは世界中で猛威を振るい、世界中で必死にワクチン開発と導入を行っている。

◎しかし、導入に急ぎすぎて、重篤な副反応により、ASTRAZENECAが欧州8か国において接種中止など発生してしまった。要するに、世界中の人々が事実上の人体実験も辞せざるの情況に落ちいっている、未曽有の危機である。

◎それなのに、日本は何事もないようにオリンピックというお祭り騒ぎを強行しようとしている。副反応で亡くなった人、ADEで亡くなっている人、世界中の医療崩壊で、そもそも入院できずに亡くなっている人。生き残っても(軽症でも)後遺症に苦しんでいる人。そういった人たちは、日本にとっては存在しないのか。日本では、すべてがうまくいっています。だれもCOVIDで苦しんでいません。オリンピックで楽しくお祭りしましょう、という考えなのか。

◎オリンピックにつぎ込む莫大な金額は、医療、COVID対策に回すべきではないのか。

◎日本の選手は、そんな状況でメダルをもらって嬉しいのか。日本の国民は、世界中が苦しむ中で開かれたオリンピックを、「苦しいからこそ、みんなの励みになるために開催したんです」と開き直るつもりなのか。

たしかに、選手たちが極限まで研ぎ澄まされた技術や体力で、メダルを競う、というのは、なるほど見る人を勇気づけると思います。

問題は、「COVIDがあるけど、でもやります」と、「でも」の一言でCOVIDを打ち消し、COVIDで苦しむ人たちを無視して開催することで、それがいちばんよくない。

COVIDがある状況だからこそ、COVIDの感染をシャットアウトした状態で、COVIDに苦しむ人々に希望与えるために開催する、という姿勢が必要だと思っています。

つまり、やるのであれば、

「唯一のCOVID予防策であるソーシャルデイスタンスを徹底した、無観客の遠隔方式(ただし映像は世界中に配信)」

たとえば

◎陸上、射撃、アーチェリー、乗馬、競泳など、個人競技あるいは一人で完結できる競技を、各国の選手がそれぞれ自国で、時差もあるけれどなるべく同じ時間にIOC立ち合いで個別に競技を行い、この模様は世界に生中継で共有する。その結果、最も好成績(最短タイム、最高得点)を得た人がその国においてメダルを貰えばいいし、勝たなくたって、「競技をおこなったことそのものが、コロナ禍で苦しむ人たちへの応援」になる。

◎団体競技や、対戦相手同士が直接対峙・接触する形式の競技(柔道やレスリングなど)、競輪など2台以上の自転車が駆け引きを行うような競技は苦しいですね、やらない方が良いのでは。一方、上記の個人競技のように、1台づつ各自の国で出走してタイムを計測、という形ならできるかもしれないし、剣と防具で距離を保てるフェンシングは別かもしれません。

◎もちろんすべて無観客です。一方、各国で各選手が競技している姿を一括して映像配信すれば、画像としては通常のやりかたとそれほど変わらない形にできるかもしれません。巣ごもり中の人々に提供する大切な画像になると思います。

などがあるとおもいます。

言ってみれば、各選手が自国に巣ごもり状態で競技する「在宅オリンピック」。

TVなりスマホなりに下の絵のような画面が出てくるとか。いずれも、東京での朝9時に該当する現地時間です。

気温、湿度、風速・風向などで競技結果に影響が出るが、度外視。

勝つことが目的ではない。

まさか「東京オリンピックじゃなくなるぞ」なんてクレームを出す人はいないですよね?

今の事態では、東京だの北京だのなんてもう関係なくて、「競技によって、病苦に苦しむ人々に勇気を与える」ためのオリンピックですから、各国で競技者が自らの限界に挑んでいる姿を、世界同時中継で配信するその総括を東京でやります、くらいで十分すぎるじゃないですか。

個人的見解で、もちろんこの考えに同意しない人の意見も尊重します。一方、こうした意見も書いておかないと、結局「日本国民は総意で喜んで太平洋戦争に突入した、じゃなかったオリンピックを開催した」と言われてしまうことになるし、はっきり言って、当時の大多数が戦争なんか望んでいなかったように、政府が押し切ろうとしている形(言い換えれば、無観客なのかどうなのかなど重要な要素がうやむやのまま、ともかくにも開催すればいいという形)でのオリンピックは国民は望んでいないと思っています。

*3月2日時点での日本トレンドサーチ・東京オリンピックについての調査では「55.9%の方が「開催しないでほしい」」との結果が出ています。

https://prtimes.jp/main/html/rd/p/000000299.000044800.html

ではでは。。。。

 

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リモートワーク実現を阻む「黒いボールペン」

コロナ禍から1年近く経過し。リモートワークが推進されています。

2020年12月の時点で、ライブドアニュースが「約8割が「リモートワーク続けたい」、働き方と学び方調査」と題した記事を発表。大多数がリモートワーク継続を望んでいることが明らかになりました。

詳しくはこちら→https://news.livedoor.com/article/detail/19321214/

やはり2020年12月の時点で株式会社ユーキャンが行った意識調査では、以下の結果が出ています。(出展:https://www.u-can.co.jp/topics/research/2020-12-2/)

こちらでも78%がテレワーク継続希望となっています。

というわけで、だいたいのコンセンサスは、今後もテレワークを継続したいとなっている。

でもテレワークって、未曽有の「働き方革命(生涯現役で働けるか)」じゃないの?長年親しんできた通勤形式の働き方が、コロナという「外圧」でむりやりひっくり返されたから、有無を言わさず実施になったんじゃなかったっけ?

そのとおり。でも、緊急事態が解除され、GOTO何とかで人の移動が促進される世の中になっても、人々の意識は上の調査などのとおり「やっぱりテレワークいいね!」「これからも続けたいね!」となっています。

かくいうぼくも、はっきり言ってテレワーク導入でほっとしている一人です。

なぜか?

テレワークでは、「黒い霧」じゃなかった「黒いボールペン」が避けられるから、なのです。

というわけで、架空の会社の架空の人々のお話ですがいってみます。でも皆さんある程度おなじみのお話とは思います。

むかしむかし、ある会社にAさんというかわいそうな勤め人がいました。

入社したてのAさん。当時はパソコンがやっと普及しだした頃で、本社からの連絡はテレックス。「一太郎」という文書作成ソフトが導入されていましたが、大部分は手書きで作っている時代でした。

いまだ現役の一太郎。すごいぞ!https://www.ichitaro.com/

 

一生懸命作成した文書が、上司の決裁で真っ赤に修正されて帰ってくることもしばしば。もちろん書き直して再提出するのですが、そのうち謎の展開に気づきます。

定型の同じような書類に書く場合は、書類を何枚作成しても書く内容もほとんど同じですが、なぜか、同じような内容なのに「修正しろ」と何度でも帰ってきてしまう書類や、全然フリーパスで通ってしまう書類があることに気づき。

飲み会でとある先輩が教えてくれました。

「Aさんは、すべての書類を青いボールペンで書いているけれど、本社向けの書類は黒いボールペンで書かないとダメなんだよ。本社用のを青で書いたら、上司のハンコがないと認められなくなっちゃうんだよ」

本社用は黒で書くようになったら、すんなり通るようになったのでした。

とある吉日。

本社から管理職が出張してきて、その人の指示で本社用の文書作成を命じられました。

黒ボールペンで、とさがしたら、あれ?青しかない?いつもペン立てに黒を数本立てているはずなのに?

管理職から怒号が飛びます「Aさん、どうしました―!」

この怒鳴り声に、事務所を掃除していたパートのおばさんがびっくりして飛び上がってしまいました。

わああ早く書類書かなきゃ!同僚や先輩に「黒ボールペン貸してくださいー!」とお願いするのですが、今日に限ってみんな知らんぷり、そそくさと逃げていきます。

ままよ、青ボールペンで作成し管理職へ

管理職の人は、別に機嫌を悪くしたふうでもなく、書類をうけとると、しげしげとながめて

「Aさん、本部向けの公式書類は黒ボールペンで書くことは知っていますよね」

「公式の文書は、様式の印刷の黒と、ボールペンの黒で整合性を持たせなければならないのですよ」

「この整合性がないと、業務監査が来た時に業務事故として報告されてしまいます。」

「ですから、Aさんが作ったこの文書は廃棄しますので、整合性のある文書を書き直して下さい」

と、丁寧な、でも誰にでも聞こえる良く澄んだ声で言うやいなや、Aさんの作った文書をばりばりばりーとこれ見よがしに破いてしまったのでした。

掃除のおばさんは泣きべそをかいて給湯室に逃げ込み。

Aさんはぴゅーと自分の机にもどると、おおお誰かが黒ボールペンを置いてくれた!さっそく書類書き直し。

管理職にもってゆくと、何事もなかったように

「ありがとうございます。業務継続執行ください」

と無罪放免になり。

黒ボールペンの戻った机で、先輩たちと笑顔の楽しい業務の一日を続けたのでした。

実は、Aさんは気づいていたのです。

「これはプログラムだ」

先日の飲み会の時、黒ボールペンの話になり

「昔は、青ボールペンで書いたら、定規でぶん殴られたなあ」

なんて「武勇談」を聞いていた。で、ははんこれは儀式だな、と感づいていた。

知らぬは掃除のおばさんばかりなり、でかわいそうに泣きながら給湯室に逃げ込んでしまったのでした。

というわけで、管理職の人も、黒ボールペンをあえて渡さなかったみんなも、日本株式会社の日常業務の一コマで、とくに驚くことでもなくなっており。

こうした日々が淡々と続いていくのでした。

時代は変わって、定規でぶん殴ることはなくなり。爽やかに「事由説明」してくれるようにはなりました。ははは

こういう「日勤教育」が仕事の一部だ!と考える機関にとっては、テレワークは憎らしいことこの上ない業務形態です。定規でぶん殴りたくても、ぶん殴る対象が出社してませんから。

というわけで、あの手この手で出社しなければならなくなるよう仕向けますが、それは別の記事にします。

Aさんの場合、飲み会にそこそこ参加し、こうゆう通過儀礼があるぞということを察知していました。しかし、通過儀礼がなくなれば飲み会の必要性も半減し、飲み会命の人にとっても生きにくい世の中になってしまったと思います。

フィジー「火渡りの儀式」

https://www.tohotravel.com/fiji/images/culture_fire01.jpg

 

なんで最初から全部黒ボールペンにしないの?その理由は「黒ボールペンは本社宛正式文書の格にふさわしいボールペンであり」「略式の決裁書には青で書くこと」「下請け業者への発注書は青じゃなきゃダメ。黒は禁止」とかすさまじい種類の文書それぞれにどんな書き方をするのか、が「決まって」おり。先輩社員にきいてみると、

「Aさんそれはマニュアルに載ってますよ」

ということで必死に探すのですが、「下請け業者への文書は、強圧的と取られないように丁寧に記載すること」とはあっても「間違っても黒で書くな」とは記載されていないのでした。ははは

なぜなら、「黒で書くな」というのはAさんのいる支局のみのしきたりだったりして、成文化されてない以上、 飲み会でインフォーマルに伝達するしか分かりようがなかったからでした。

テレワークなら、こういう儀式の蔓延はふせげるか?

儀式なしでも仕事はできる、という一つの選択肢の可能性は提示されたと思っています。

さて、こういうしきたりやプログラムは、民間では日本ならではで(軍隊組織では、外国でもまだある)、他の先進諸国はどうかというと、

アフターファイブは個人の時間です、ということでイタリア人なら彼女とナポリタンを食べているであろうし、ニューヨーカーだったら、苛烈な生存競争に敗れないために、MBAだの資格だのの勉強をしているかもしれん。いずれも個人の自由として、自発的に行っていることである。少なくとも、飲み会でへべれけになった先輩に「定規でぶったたかれたんだぞー」と脅されながら過ごすよりはましだと思います。

で業務時間はどうかというと、文書をばりばり、なんてバカなことには時間は使わず。青?黒?というレベルの「慣習的規則」、マニュアルに書いているようで書いていないという意味不明な規則ではなく、明確に誰でもわかる実利的な規則に従って効果的・効率的に業務が執行され、結果残業も不要で成果達成できました、となっていると理解(ニューヨークの場合。イタリアは私語でぺちゃくちゃ、多少効率落ちたりして)。

その結果、日本の生産性は先進国間でいちばんほにゃららになってしまっているのでした。だって仕事以外のことばっかりしているんだもん。。。。

3000字を超えたのでこのくらいにします。注意すべきは、これまでのしきたりを押し通そうとすればテレワークだろうがいつか抜け道が発見されてしまうので、その前に、これまでのしきたりで、改良できるところはどこだろう?と考えることだと思います。そうすれば、将来、形は3密の通勤形態に戻っても、安心して出社できるような場所に、会社も進化していることと思います。

ではでは。。。

Posted by 猫機長
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緊急事態宣言再び:「誤った戦時医療」からの脱出

2021年に至り、コロナ禍はますます猛威を振るっています。

GOTO政策とか、経済政策優先をしたために、かえって医療崩壊に近づいてしまい。看護師さんの大量離職など、これまで最前線に立っていた医療部門の人々でさえも耐えきれ無い状況になっています。

ドクターハッシー:https://www.youtube.com/watch?v=b4DHp3DjaO4

そして夜の街のいろいろなお店のみならず、普通の飲食店や自営業の人々たちも営業ができなくなってしまい、ますます困窮してしまっています。

コロナ禍以前から、ネットカフェ難民になっていた日雇い労働の人たちに至っては、文字通り路上での物乞い生活になってしまった人も多数。

これら大量の困窮者や、お客さんがいなくなり営業できなくなった多数の自営業の人たちは、どうやって生活していったらいいのでしょうか。

結論から言えば、技術的にはこうした人々を、コロナ禍の収束(つまり、コロナが弱毒化して「風邪程度に弱くなる」日が来る)まで持続的に救済することは可能です。

救済策のキーワードとして「戦時医療(命が安すぎる)」という言葉があります。

そして、日本政府が取るべき方策は「誤った戦時医療の方針を軌道修正する」ことです。

そもそも「戦時医療」ってなに?

航空母艦の例で説明します。

とある空母が、爆撃を受けてしまったとします。

幸い甲板はダメージを受けませんでしたが、甲板に多数いた整備員が重傷を負い、飛行士数名が軽症を負いました。

平時であれば

①重症者の手当をまず優先し、

②その後、軽症者の手当

となりますが、戦時医療では

①まず飛行士を手当てし、艦載機を一刻も早く発艦できるようにする

②重症となり甲板に転がってうめいている整備員は、元気な者がモップなどで海に掃き落とし、ともかく甲板に艦載機が発艦可能なスペースを作る

となってしまうのです。

ここまで読めばお分かりと思いますが、コロナ禍で日本政府がやってきたのが

①GOTOなどで経済を一刻も早く回したい

②医療従事者は、経済優先で爆発した感染者のうごめく医療崩壊の海に掃き落とす

だったのです。

発艦が遅れた「魔の5分間」で空母三隻喪失の実例もあり、

戦時の空母では、離着艦がなにより優先となる

さらに言えば、コロナ禍以前でも、ネットカフェ難民やニートなど救済措置を取らなかったこと自体が「誤った戦時医療」をやっていたということで、今回のコロナ禍は、もしかしたら、神様が「日本という国はとても豊かなのに、戦争中の国のような戦時医療(弱者切り捨て)をいつまでもやめない。こんなでは国そのものを滅ぼしてしまえ」という「神の罰」を発動させたのかもしれません。

いまや日本は医療崩壊、経済崩壊の緊急事態に入っています。

従って「戦時医療」は有無を言わせない現実としてのしかかっています。

では、貧困女性、路上生活者、立ちいかなくなった自営業の人たちを「絶望の海に掃き落とす」ことで解決できるのでしょうか。いえいえこれこそ「コロナ禍以前から神様を怒らせるくらい政府がやってきた過ち」であり、この期におよんで政府が態度を変えないならば、本当に神罰が下ることになるでしょう。

では、何を「掃き落とせば」いいのでしょうか。

技術的には簡単です。

「政治家の給料を議員等のふところから掃きおとし、弱者救済に回せばいいのです」。

数字で説明します。

国会議員は、2020年に710名となっています。

国会議員の給料、そして主要な手当は、次の通りとなっています。詳しくはhttps://gendai.ismedia.jp/articles/-/44609?imp=0

をご覧ください。(ざっくりした年間所得です)

①基本給与として2100万円を受け取っている。

②「文書通信交通滞在費」1200万円が支給される。

③「公設秘書3人分の給与」として、2500万円。

④「立法事務費」780万円

⑤その他700万~1000万円が議員個人に渡る

総額は7280万円。すごいな

ここで、⑤についてはなんのことかあまりわからないし、③④も雇用等に関わるということで差し引いた①+②=3300万円を救済金としてあてることとします(それでも政治家のふところには3980万円残る)

①+②=3,300万円X710人=2,343,000万円÷12か月=195,250万円=19.5億円

つまり、1か月あたり19.5億円が救済資金として計上できます。

上記は国会議員のみ。地方議員の場合、都道府県で格差があるが、平均は1000万円+アルファとのこと(出展はこちら:https://financial-field.com/income/entry-128334)

そして人数は、都道府県議会議員2,668人+市区町村議会議員29,762人、計34,230人として算定すると、

1000万X34,230=34,230,000万円÷12か月=2,852,500万円=285億円となります。でも、村会議員なんてそもそもの給料も少ないし、議員さんたちの生活もあるので、実際配れるのはこの半分くらいか?つまりは142.5億円

ちょっとどんぶりだけれど、上の19.5億円と足せば162億円になります。日本の人口を1.3億とすると、1人当たり124円が配布可能となります。

ここまで読んだ皆さんで、これってベーシックインカムのことでは?と気が付いた人がいると思います。

はいその通りです。税金として徴収された金額のうち、政治家への給与となる部分の一部を、ベーシックインカムとして国民全員(政治家も含んでいますよ)へ再分配するということです。

124円じゃどうしようもないですねえ、と切って捨ててしまうか、あるいは、124円だけでも国民全員に配れるぞ!と考えるか。ぼくとしては、こうした選択肢がありうるという一つの希望として、前向きに考えたいと思っています。

もちろん、この計算はものすごくどんぶり勘定です。そして、単にベーシックインカムによる再分配を提示しただけなので、看護師さんはじめとする医療部門の人たちへの技術面・物資面・資金面・体制面での支援や、また、ロックダウンが2年3年と続いた場合の経済力維持など多数の課題が残っています。

でも、これまでのように「アクセルとブレーキを同時に踏む」ようなことをやっていたら日本は本当にほろびてしまうぞ!という危機感から、書かせていただきました。

出展:https://note.com/hyamaguchi/n/n0c60c7292ec3

ちなみに、経済減速を恐れて戒厳策を取らなった国の代表にスウェーデンがありますが、遂に180度方針転換しました。ようつべなど見ていると「やーいやっぱりだめだった」みたいな意見があったりしますが、けなすのではなく、北欧の先進国がどのように戒厳下で、国民の健康を犠牲にしないで経済を守るのかという世界へのお手本をこれから見せてくれることを期待します。

ベーシックインカムは、ほんらい支出に見合った国家経済力がないとうまくいかないとは思いますが、まさに「戦時医療」で上記の対処を考えました。一方で、コロナ蔓延のロックダウンでも、テレワーク等でオフィスワーク・都市機能は十分維持可能だし、農業においては大規模農業はもともと3密はなし、小規模農家や、飲食業が機械化やデリバリー強化などで復活してくれば、その時はAIによって強化された生産性による利益が政治家の給料を代替し、意外に早く恒常的なベーシックインカムが来るかも?とくに、日本のようなネットカフェ難民・貧困女子など要するに先進国なのに社会的弱者が多数の国には、なるべく早く来てほしいと願っています。

空調完備の巨大トラクターではるかな地平線を見ながら

作業する人。3密とは無縁の世界もあるのです

ではでは。。。

Posted by 猫機長
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「風の時代」のスタート。仕事とお金はどう変わる?

2020年の12月22日より、西洋占星術による判断では「風の時代」がスタートしたそうです。

220年に一度の大変動として、これまでの常識が一変する新たな時代になったらしい。アストロロジーという古代からのビッグデータに基づいた先人の知恵が「もう後戻りできない大変動が始ってしまったのですよ」という見解を示したことになります。

西洋占星術では、200年ぐらいで「火、土、風、水」と時代が変わってゆき。1800年頃から2020年までは「土の時代」だった。

「土の時代」の象徴は「物質主義」

物質、物理、科学優先の世の中だったということである。

その特色は

―目に見えるモノによって価値基準を決定した

―所有物や年収の金額などでランク付けがなされ、勝ち組と負け組が生まれてしまった。

―負け組になると衣食住にありつけることができなくなり、餓死などの危険が現実化してしまうため、人々は勝ち組になるため必死に闘争した。

―勝ち組のシンボル:巨大な邸宅(タワマン含む)、高級車、ブランド物のファッションなど。そしてこのシンボルを持つことができるのは地獄の競争を生き抜いたビジネスオーナー、医師や弁護士など。会社においては出世して高い地位につくことが生き残る前提となった。

―上下関係がこの時代のエッセンス。肩書や学歴、年功の序列、本人自身というより、どんな組織に所属しているかによって人間のランクが決定され、「その他大勢」は社畜の運命に。

と言ったところでしょうか。

要するに、「土の時代」は「権威による、恐怖を原動力とした強権的支配の時代」と言ってもいいかもしれん。

では、「風の時代」はどうなるか。

―上下関係は瓦解する。命令されて動く人間はいなくなり、人々はそれぞれの適性に沿って自ら生活を切り開く(すべての責任は自分にあることが前提になる)

―物質によるランク付け、社会的地位によるランク付けはなくなる。キャデラックもスバル360も個性が違うだけで同じく尊い自動車であり、どちらが高級かという概念そのものがなくなる。イケメン、美人という概念がなくなり「すべての個性は美しい」となる。

―貧困の恐怖によって統制され、いやいやながら生活のために強制的に働かされる、という人々はいなくなり、好きなことに没頭することで生活していく人々が増えてゆく。

つまり、「風の時代」は物質に束縛されずに、わくわく!を基礎に生きてく時代になる、ということらしい。

ふむふむそんなにバラ色なのか?

ハッピーではあるのですが、そこに行き付くまでに意識革命や技術革命が必須である。

で、それぞれ行ってみます。

1)意識の革命

労働しなければ生きていけない、から、労働するしないに関わらず、基本的人権(衣食住含む)は保証される。にみんなの常識が進化する必要がある。

「働かざる者食うべからず」という常識があるから、どんなブラック企業でもしがみつかざるを得なくなってしまうのです。

「風の時代」は、お金にしがみつく必要のなくなる時代ということらしい。

これは、お金が無くなる、ということではなく。お金は存在し続けますが、「お金が不足するために地獄の底に落とされることはなくなる」ということです。

そこに行き着く方法とは、これまでにない働き方が生まれたこと。そして労働由来でない所得が再発見されたこと。ユーチューバーとか、SNSとかE-コマース(TaobaoにWechatなど)、トークンエコノミー・代替通貨、ソーシャルレンディングに金融投資など、要するに既成のインフラ、会社組織、権威に頼らないでも個人同士のネットワークや市場で直接取引、契約、報酬のやり取りができるようになった。会社員でも、テレワークによって、会社という存在から物理的に分離されても、むしろ自宅で仕事することによってコスト削減かつ各社員がフラットな個人経営者として仕事ができることが明らかになった(ただし、各個人の自覚が前提であることはいうまでもなし。命令されないと何もできない、という人は消え去る運命にあります)。

つまり、今後テレワーク的な労働、配当などの不労所得、そして最後には、後に記載する技術革新で、人々はお金の心配から解放され、自分の情熱を傾けることのできるなにか(労働と報酬)を選んで仕事にできるようになるということですね。。。。

とういうわけで、

2)技術革新。

これは「AI世界征服」「ベーシックインカム」などの記事で書いたので、そこから抜粋、修正して記載します。

エッセンスは「生産手段として、AIの方が人間より優秀となる時がくる(シンギュラリティ)」。その時、いろいろ生みの苦しみはあっても、AIによる生産で得られた余剰利益によって、人々はベーシックインカムで生活できるようになる。

ちなみに、200年ごとに火→土→風→水と進化しているということは、昔にも風の時代があり、その当時(1186~1425年ごろ、鎌倉から室町時代)にはとくに風だからって目立った特徴ないじゃん、藤原さんから源さんに支配者が変わっただけで、お上(武家だろうが貴族だろうが同じ)にどやされる庶民の生活は土の時代と同じだよ?と思う人もいるでしょう。これは、同じ「風の時代」でも、その時代における人類の進化(物質・精神両方)に応じてそのあらわれ方が違ってくるためです。

つまり、火→土→風→水とくるくる回りながら、人類は螺旋状に進化してきたのであるが、いっぽう、ルネサンス以前の世界の進化度合いはものすごくゆっくりであり、実は火だろうが水だろうがあまり変わり映えはしなかった。

上からは、ぐるぐる回っているだけのように見えて、

しかしスプリングのように、らせん状に進化は続いている。

しかし、地理上の発見、産業革命そしてAIと続く近・現代史の怒涛の変革にあわせ、直近の「火→土→風」では、かなり劇的な変動が浮き彫りになっています。

労働とお金、について大航海時代(以前含む)から現在までを考察すると

◎火の時代(1500頃~1800頃):「貴族と奴隷」つまり人間の形をした家畜(奴隷、農奴など)が生産して貴族(教会、武士、絶対君主などなど)が管理するという世界だった。でも、家畜の維持管理は大変ということに気づきます。畜舎の維持もあれば飯も食わせにゃならんし、病気になったら薬も、と次から次へコストが絶えず。

◎土の時代(1800頃~2020年):そこで考え出されたのが「自由な労働者」です。どこへ住むのも働くのも自由。でも衣食住は労働者が自前で確保しなければならなくなり。一方「雇用主」は賃金だけ払えば生産施設の確保・維持向上だけですみます。この形態を可能にさせたのは産業革命などで生産性が上がり、労働者に自分の時間とお金を与える余裕ができたことが需要なファクターです。

◎風の時代(2021年~):自由な労働者、つまり社会保障が高額で投資(給料)当たりの生産性が低い人間より、従順、優秀で安いAIロボットがあれば、人間なんていらねーや!ということになり。人間にはお客として機能するように「ベーシックインカムでも食わせておけ!」となってゆく。要するに一種の所得再分配ですね。

2020年の今日「奴隷労働があったなんて信じられなーい!人間は自由に労働できる権利があるのに!」と言っている人々も、2040年ころには「労働しないと生活費が獲得できないなんて信じられなーい!人間にはだれでも飢え死にしない権利があるのに!」なんて言っているかもしれません。

ただし、何度も繰り返しますが、これは政府だのなんだのがあなたを養ってくれるということではないのです。あなたが、自分自身の意志、意見、希望をはっきり持って社畜・奴隷の境涯から自らを解き放ち(収入の川)、同じく自由な、自らの意志をもった(十牛図)人々と交流し、互いに学び、影響しあう中で、お金のことを気にせずに生きていける時代がすぐそこまできているぞ!ということなのだと思います。

ラファエロ「アテネの学堂」

ではでは。。。

Posted by 猫機長