こないだ、だれからもちやほやされるP47に比べて、いかにF6Fがディスられているかについて書きました→過給機

F6F(左)とP47(右)https://www.youtube.com/watch?v=Ydf0-QadMlY
かわいそうなF6F。
F6Fをクズ呼ばわりしてしまうと、零戦なんてそれこそ救いようのないクズになってしまうので、なんとかF6Fをほめたたえるという困難なミッションですが挑んでみます。
さて。
グラマン社は、F6F以前に、FF、F2F、F3F、F4F。後継機としてF8Fを生み出しています。
特にF4Fワイルドキャット、F6Fヘルキャット、F8Fベアキャットの「猫シリーズ」は有名。
グラマンの方向性を決定づけたのにF3Fがあります。
その名も「フライングバレル」。空飛ぶ樽なのでした。ははは

F3F https://www.simpleplanes.com/a/yO55lo/Grumman-F3F-2
でかいタイヤが機体に埋め込まれてるじゃん?
はい。このタイヤがにゅーんと伸びてメインギアになるのでした。
競合機のシーグラジエーターとCR42は、いずれも固定脚のままです。

グラジエーター https://www.eduard.com/jp

CR42 https://www.gaetanmarie.com/fiat-cr-42-falco-2/
CR42 に至っては、キャノピーも開放型で、主脚はスパッツでかっこつけていますが、実態は第1次大戦の複葉機と変わらなかったのでした。ははは
密閉式風防と引っ込み脚はともかくスピードを出したい陸上戦闘機の必須アイテムだが、それらを着艦の衝撃とか、視界の問題で本来は敬遠されるはずの艦上戦闘機にいち早く装備してしまうアメリカ恐るべし。
さらに、グラマンはFF戦闘機の代から全金属製の胴体を導入しており。グラジエーターの布張に比べやはり先進的だった。
といって、性能はどっこいどっこい。F3Fの方がグラジエーターの上位転換ちっくであるが、せいぜい「ちっく」であった。グラジエーターとCR42はいい勝負だったらしい。
当時の戦闘機は、固定脚の開放型風防、布張りの胴体でも十分使用に耐えるレベルだったのである。
なのに、わざわざ完全引っ込み脚、密閉風防に全金属という道楽を実現させてしまったのがアメリカなのであった。
道楽とは無縁なアプローチで頂点に達したのに、日本の95式艦上戦闘機(後の練習機赤とんぼ)があります。

この辺で、後の日米の明暗を予見することができます。
日本は、当時認知されている範囲で最新の技術をこれ以上ない緻密さで追及し。最高の飛行機を作りました。
アメリカは、緻密なんてどうでもよくて、なんか楽しいイノベーションがあるじゃん!どんどんつぎ込んで面白いの作ってみようよ!というユーモアを持っていたのである。
ただし、将来の大戦争を見据えた恐るべきユーモアだった。
F3Fの初飛行が1935年3月。ご存じ「56しても4なない」重爆撃機B17の初飛行が1935年7月なのです。
これが何を意味しているのか。
布張りに、吹きさらしの風防なんて、超アウエイの果てにいる敵の心臓をヒットする武器には到底ならないということを、この時点ですでに予知していたのである。

B17。現在の旅客機とまがう先進的なスタイルを、複葉戦闘機と同じ時代に実現させていた。https://www.reddit.com/r/Warthunder/comments/q0jprb/boeing_b17cd_variants_could_be_quite_a_good_rank/?tl=pt-br&rdt=37383
飛行機なんて、せいぜい前線のすぐ後ろから飛び立って、前線の塹壕を掃射するとか、その程度の使い方しか見通せなかった時代にあって、後にサイパン島に巨大な滑走路を造成して、直接東京を空襲するという狂った技術発展の素地をF3Fに見ることができます。
日本が、陳腐化していく技術の詳細化に血道をあげている間に、アメリカは将来を決するイノベーション技術を着実に実現させていたのであった。ははは
「フライングバレル」というふざけた胴体形状が、日本では持ちえなかったアメリカの余裕を明示しています。
ふざけたわけではなく、紡錘型胴体といって、先端・後端を絞った、樽で悪ければ葉巻みたいな胴体が空気抵抗低減に役立つと言われていた時代であり、日本でも雷電とかがこうした形状を試みています。
でも実は紡錘型は、単発プロペラ機にはあまり効果がなかったらしい。
余裕の全くない日本の飛行機はどうなったか。その集大成が「彩雲」に凝縮されています。

彩雲 https://lapd.exblog.jp/26827190/
エンジン直径ぎりぎりに直線を描き、ソフトに絞り込まれていく胴体。
逆の言い方をすれば、ちょっとでもエンジン直径よりはみ出す胴体だと、たちまち空気抵抗になり性能低下してしまうという悲しい現実があったのだった。
F6Fの胴体はこんなかんじ。ぼっこりもっこり、エンジン直径から上下左右にはみ出しまくりなのだった。

https://jacksonvjunsan.com/wp-content/uploads/2018/11/image5-18-e1542676924555.jpeg
やっぱりふざけているとしか見えないですよね。。。
でも、アメリカはおおまじめだったのです。「まるく下に突き出した胴体にすれば、不時着水の場合でもボートのように作用してパイロットを守ることができる」
この思想はグラマン戦闘機の姿を特徴づける「ビヤ樽体形」の裏付けとなったのでした。
人道的配慮もないとは言わないが、実は、製造が機体よりはるかに時間がかかる人間という部品をなるべく温存したかったらしい。
アメリカは、空気抵抗でまくりの胴体もユウユウとカバーできる大馬力エンジンを、F3Fの時代からすでに生産していた。
さらに馬力強化して、単葉にしたのがF4F。これは世界でも最高傑作と言える出来栄えになりました。

傑作機F4F http://www.hasegawa-model.co.jp/product/02240/
世界最高の出来栄えってなに?についてはこちら→かわいそうな零戦
そのうち、首尾よく日本が真珠湾を攻撃してくれ。
アメリカ悲願の「被害者としての参戦」が実現し、F4Fと零戦の空戦が起きるようになりました。
零戦の運動性能に驚くアメリカ。
まるで防弾装置を捨て去さったかのような身軽さがある、ナイスな飛行機じゃないか!
驚きはしたが、別に慌てるでもなく。
とりあえず巴戦は避け、急降下、急上昇で避難しましょう、と前線のパイロットに通達しておいて、F6Fへの転換を始めました。
零戦がP39 だのP40だのといった陸上戦闘機をやっつけたのは驚きながら、やっつけ方は艦上戦闘機得意の格闘戦であり。
中低高度の巴戦なら、F4Fの本分である。
イタリア戦闘機よりも馬力がある日本の戦闘機は、F4Fよりも機動力は高かった一方、F4Fは後ろを取られてハチの巣、になってもなかなか落ちないといううれしいサプライズもあり。
たまにF4Fが零戦の後ろを取ったときは、なんとか当たった!とたんにオレンジ色の火を噴いて墜落していくというさらにうれしいサプライズもあり。
F4Fの防御力は維持したまま、もうちっと機動力があればユウユウ勝てるぞ、ということが見えてきたのである。
開戦この方、日本人の飛行機はなんか違うぞ?ということにアメリカは気づいた。
米英やドイツが「より早く、より高く」を指向して、高度優位から下方の敵を叩き落す、というのを目指していたのに比べ、日本人はくるくる回る格闘性能にばかり気を取られており。
考えてみてください。
みなさんが小学生だった頃、通学路に恐ろしい野良犬がおり。パチンコで撃退しようとしたことがなかったでしょうか。
その犬は、実は小高い丘の金持ちの家の飼い犬で、鎖を食い破って野良化しているしょうがないやつだった。

有害鳥獣を追い払う おどしパチンコ
https://www.technet-pro.com/search/item.html?n=001116
https://www.youtube.com/watch?v=84h79MRYZA8
あなたは、丘の下から懸命にパチンコを打ちかけるのですが、下から上に打ちかけても、しょんべん玉で、犬のはるか前に落ちてしまうのだった。
これが逆だったら。。。
上から下への重力エネルギーで、パチンコ玉は見事犬の足元の地面ににびしっ!と当たり。「ぎゃぎゃぎゃ、きゃいーん!」と「野良犬」が驚いて逃げ去った通学路を、ユウユウと歩いていけるでしょう。
日本人は、こうした高低差のエネルギーなんて構わず、中低高度の格闘戦にばかりこだわっていたのである。
航空戦の基本のキを知らないクズどもなのだろうか?
といって、ショーカクだのヤマトだのを沈めるためには、水面近くのゼロファイターをやっつける必要がある。
そのためにP51というのでは、にがてな低空度での格闘でよろしくない。
といって、ジャップのお相手をするためにしかならない、基本を外れた外道の戦闘機なんてわざわざ作る意味があるのか?クズの証明みたいな飛行機になっちゃうじゃん。
戦争に勝つため、クズでいいから作ることになった。
そのクズがF6Fだったということである。
高空にも上がれないし、スピードも出ない。お前本当に戦闘機か?クズ野郎!

クズ野郎F6F https://www.aereo.jor.br/2022/07/06/o-lendario-caca-grumman-f6f-hellcat/
でも、F4Fの倍ある2000馬力のエンジンで、F4Fも驚くタフさを備えながらも、日本機と同じくらいくるくる回るようになり。
日本機を圧倒しました。
いわく「F6Fが参戦した日からアメリカの勝利が始まった」
でも、日本が滅亡した時点でF6Fも用なしになってしまい。
大量廃棄(と言わなければ配備を外れた)という悲しい結末になってしまったのでした。
結局最後までF6Fをほめることができませんでした。ちーん

ではでは

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