以前、アメリカで1930年代に実施されていたエアレースという、楽しいキチガイ沙汰について書きました。
楽しいので、続編です。
まず、エアレースってなに?について簡単におさらいして、その後本題であるジービー・レーサとP35というステキな2つの競争機についての比較について書かせていただきます。

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さて。
1930年代の標準的なレース設定は以下の通り。
- 周回コースの形:三角形、あるいは四角形(不等辺四角形)のクローズド・コース。
- パイロンの本数: 通常は3本または4本。高さは約15メートルほどあり、遠くからでも視認できるように赤と白のチェック模様などで目立つように塗装されていた。
- 1周の距離: 10マイル(約16km)。10周して順位を競った。
時速400km(分速約6.7km)で飛ぶレーサー機が1周(16km)を約2分半で回り。10周してもトータルのレース時間は25分〜30分程度。息つく暇もない全力疾走だった。
おもちゃみたいな競争機がすさまじい爆音ともにパイロンの端から現れ、観客席の目の前の超低空を飛んでいくのを、10万人を超す大観衆が大歓声を上げて応援していた。
当時のエンジン事情で、時速400Kmを出す飛行機が作れたのか?
その答えが「ジービー・レーサー」だった。
「世界一速い」と同時に「世界一危険」と言われ。安定性が極端に低く、多くの有名なパイロットが事故で4んだ。

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ジービーは、現代の航空エンジニアが見ても「よくこれで飛んだな」と絶句するような設計になっており。
- 「胴体」がない: エンジンの馬力が足らん、というところを、胴体を極限まで短くして軽量化で補った結果、飛行機としての安定性を保つ「尾翼」までの距離が短すぎて、直進安定性がまったく無かった。
- 巨大なプロペラが生み出す猛烈な乱気流が、そのまま尾翼を直撃し、機体が突然ひっくり返る原因となった。さらには、重すぎるエンジンが高速回転しているため機体が予期せぬ方向へ跳ね上がってしまい。
- 操縦感覚: パイロットによれば「針の先で巨大なコマを回しているような感覚」だったそうで、少しでも操縦桿を動かしすぎると、機体が制御不能な回転(スピン)に陥った。
ジービー・レーサーが飛んでいた頃の競技機は、不況という暗雲の中で、技術者とパイロットが意地とプライドをかけた、いわば「一点ものの改造車」であり。グランビル兄弟のような「勘の良い職人」が天才的かつ狂気じみたひらめきと経験で作っていた。
しかし、「天才の設計」は同時に「殺人の牙」と化し。設計図すら不完全なこともあり、いつどこが壊れるかわからない恐怖があった。

「飛行機は汗と魂たい」
ラーメン人物伝「一杯の魂」ISBN4-08-859357-X
ジービーは速いが、56した。
旋回中にバランスを崩してパイロンに激突、にとどまらず、フツーに直進していたのに、燃料タンクのキャップが強度不足ではずれ、風防を突き破ってパイロットの顔面を粉砕し、バランスを崩した機体が許容Gを超えて分解した、というのさえあった。
結果、優勝したとかで切りのいいときにジービーから降りて逃げたやつは生き残り。乗り続けた奴は4んだ。全員4んだ、というわけでもないけど。

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逃げて生き残ったやつの中にジミー・ドウリットルがおり。やっぱりジービーから逃げたフランク・フラーという流れ者のパイロットと、元パイロットから飛行機会社を立ち上たアレクサンダー・P・セバスキーが共謀して、勝つけど4なないレーサーを作ろうよ、と結託し。
結果、P35というなかなかかわゆい飛行機が生まれました。
見た目に似合わず、エアレース界を席巻し。1937年、 1938年、1939年と連続で優勝。この時期、P-35は「世界で最も速く、かつ信頼性の高い機体」として君臨した

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この時期には、ジービーはほとんど墜落し全滅しており、夢の直接対決はなかったのですが、パイロンレースでの直接対決でもP35が勝っただろうといわれています。
パイロンレースにおけるP-35とジービーの戦い方は、対照的であり。
- ジービー(ナイフエッジの旋回): 胴体が短いため、パイロンの直前で機体を真横に倒し、鋭角に「カクッ」と曲がることができ。しかし、これは一歩間違えれば失速して墜落する、綱渡りの旋回である。
- P-35(大きな弧を描く旋回): 機体が重く、胴体も長いため、ジービーのような小回りはきかず。その代わり、圧倒的なパワーと頑丈な翼を活かし、大きな円を描きながら速度を落とさずにパイロンを回った。
P-35は旋回性能の低さを、直線の加速力と「壊れない安心感」による強気なスロットル操作で補っていたのでである。
こうしたリゾルトを獲得した理由は、やっぱり「エンジン」
エンジンの比較表
| 項目 | ジービー (R-1340) | P-35 (R-1830) |
| エンジン名 | ワスプ (Wasp) | ツイン・ワスプ (Twin Wasp) |
| 形式 | 単列星型9気筒 | 複列星型14気筒 |
| 軍の関与 | 既存エンジンの流用・改造 | 開発段階から軍が仕様を決定 |

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エンジン出力と機体重量の比較表
| 機体名 | エンジン出力 | 空虚重量 / 全備重量 | 翼幅 (全幅) |
| Gee Bee | 800 hp | 835 kg / 1,392 kg | 7.62 m |
| P-35 | 950 hp | 2,075 kg / 2,540 kg | 10.97 m |
150馬力の差が決定打になった。
両者の数値を見ると、ジービーの異常なまでの「軽さ」が際立ち。1,400kgの機体に800馬力のエンジンという狂気のパワーウェイトレシオ構成は、現代の軽自動車にF1のエンジンを積むようなもので、翼面積が犠牲になり事故多発となったのは上記の通り。

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P-35は重量は約2倍近くあり。
- 「重さ」は「頑丈さ」の証: この多くは、全金属製の強固な骨組み、そして何より「大きな翼」に費やされ。着陸速度を抑え、パイロットに操縦の「猶予」を与えた。
- 大馬力の使い道:ジービーのように「単に最高速を出すため」だけではなく、「重くていが安全な機体を、力ずくで空へ引っ張り上げるため」に使われていた。
- 胴体の延長: P-35の全長はジービーより2m以上長く、ジービーが「速さのために捨てた胴体の長さ」を、P-35は適切に確保した。これにより尾翼がしっかり機能し、パイロットが常に機体をコントロール下に置けるようになり。
- 後方視界と居住性: 命を削るような狭いコックピットではなく、パイロットが冷静に計器を監視し、周囲を確認できる「人間工学」の芽生えがあった。
P-35は、「強力なエンジンがある分、機体を頑丈にしてパイロットを守る」という、工業製品としての王道を選んだ。
観客たちは、5年前に「樽のようなジービー」が命がけで見せた時速400kmの世界を、今や「洗練されたP-35」が当たり前のように、しかも安全に飛び越えていく姿を目の当たりにしたのである。
「未熟だが熱狂的だった冒険時代」から「冷徹な科学技術の時代」へと、空の世代は交代していたのだった。

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ここまで読んだ皆さん。なぜジービーからP35へのエンジンパワーアップが可能になったか、うすうす感づいたものと思われます。
世界大戦の暗雲がアメリカを覆いはじめ、軍が競争機の軍事転用に触手を伸ばし始めたのである。
P-35は、エアレース黄金時代の技術が軍用機へと転換されていく象徴的な機体となった。

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P35の出現で、飛行機は、食うや食わずの町工場のおっちゃんがカンと経験で生み出す「手作りの狂気」から、 軍の厳しい規格と潤沢な予算に従って作られた、全金属製の強固な「規格工業品」に変化し。空中分解などの「予測不能な死」を排除した。

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ジービーは「選ばれた超人にしか乗りこなせない怪物」だったが、P-35は「真っ直ぐ飛ぼうとする力(復元性)」を設計に盛り込んだ「平均的なパイロットが運用できる兵器」になった。
冒険としてのエアレースが終わり、近代的な航空産業が始まった瞬間だった。
P-35の真の勝利はトロフィーではなく、「速度と引き換えに捨てていたものを、科学の力で取り戻し」、「パイロットの命を守るスタンダードを作ったこと」にある。
1930年代のエアレースという「狂気と熱狂の実験場」があったからこそ、アメリカは第二次世界大戦で圧倒的な航空優位を築き、それが現在のジェネアビ(General Aviation:一般航空)大国としての地位に直結しているのだった。
アメリカ航空産業のスケールのでかさ、奥深さに脱帽。

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ではでは
