神と人と物。西洋美術と哲学で暴く人類のゆくえ②

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それでも地球は回る

前回では、トマス・アクィナスが、キリスト教の信仰つまりおとぎ話の世界と、イスラム世界から逆輸入された冷徹な哲学をうまく融合させたことを書きました。

「うまく融合」なんて書くといかにもさらっとしていますが、「目に見えない信仰のみがすべて」であった世界に、「科学・論理の世界も認めてあげるよ」という、それこそコペルニクス的な転回でした。

それ以前は、神という想像上の存在が真実であり。絵画も、ウナギイヌみたいなファンタジーにならざるを得ず。


ウナギと犬が合体した想像上の「怪獣」ですが、「聖書」の世界で、神と人が合体した想像上の「怪人」イエス・キリストが実在となっているのと同じくらい、「天才バカボン」の世界では実在の生き物になっています。

(*イエスという個人の実在という意味ではなく、「神とその子」という概念の話です。)


栄光のキリスト 1123

細部をアップで見てみます。


赤塚富士夫ちっくな表現です

 

一方、トマス・アクィナスにより存在を認められた科学的な人間は、目に見えるものを、目に見えるとおりに、科学的に描くことができるようになりました。


ボッティチェリの「トマス・アクィナス」。美術も池上遼一ちっくに変身。

 

その後ルネサンスに至り、人間は人間自身を人生の主題にすることを覚えた。

ルネサンスといえばフィレンツエ。

その繁栄を築いた恐るべき人物に、「ロレンツオ・デ・メヂィチ(イル・マニーフィコ。1449 – 1492)」がいました。

ロレンツオさんの有名な言葉は

「人はいつ死ぬかわからない。朝起きて今日も命があったと思う。だから、今日、精一杯生きる。」

要するに、戦国時代です。ベネツィアだのナポリだの、やれ公国だ共和国だとイタリア中が血も涙もない闘争で、武力・経済覇権を争っていた。

フィレンツエも、諸国の侵略や領内での争いで荒みまくっており。ロレンツオさんも暗殺未遂にあい、なんとか生き延びたが、弟のジュリアノさんはあえなく惨殺され。陰惨な「毒の盛りあい」、生き馬の目を抜く激動の時代でした。

その後も教皇にいじめられるなど、ロレンツオさんは何度もボコられながらも不死鳥のように復活し。見事フィレンツエをまとめあげ、さらにはイタリア諸国家の利害をうまく調整した均衡外交で黄金時代を築きました。

プロシアの宰相ビスマルクがヨーロッパに「ビスマルクの平和」を築いたようなかんじ。ただ、ビスマルクがドイツ丸出しの軍国宰相だったのに対し、ロレンツオさんはアートでイタリアを制した僭主、というおつな差があると思います。

あれ、芸術で内乱の国々を調停して、諸国の均衡なんて実現できるの?

できました。

このへんが、イタリア、特にフィレンツエがルネサンスの中心となった秘密だと思います。

ロレンツオさんは、子供の頃のケガで、人相はかなり悪くなってしまったそうだが、見かけによらず意外に人懐こく?一般市民にも大人気だったそうです。


フィレンツエの僭主、ロレンツオ・オ・マグニフィコ。

絵の作者は不明。

 

策謀渦巻く暗闘で恐れられるメディチ家の当主が、なぜ一般に受け入れられたのか?

それが、アートつまり芸術です。

本人の名言をもう一度書きますが

「人はいつ死ぬかわからない。朝起きて今日も命があったと思う。だから、今日、精一杯生きる。」

これは現代国語での翻訳です。

原文は詩であり、

「青春はうるわし されど逃れゆく 楽しみてあれ 明日は定めなきゆえ」

です。

まさに明日をも知れぬ日々を送っていたフィレンツエの人々にとって、この詩がいかに切実な境遇をうたっていたか。

現代国語になんて直さなくても、一瞬でぴんときた。

そして、フィレンツエ一の強者であるロレンツオ・イル・マグニフィコが、一般市民と同じくらい、切実に悩んでいる。

その悩みを、一般の人では書けないようなかっこいいアートで表現し、一般と同じ方向を向いてフィレンツエの命運をかじ取りしている。

そして、血も涙もない抗争で荒み切ったフィレンツエを、(お金に物を言わせた)アートの力で潤いのある地上の楽園に変身させた。

と、ここまでくれば「ラスボス決定」ですよね。。。

ラスボス・ロレンツオは、バラまきの人気取りもやったらしく、メディチ家は家計が火の車になってしまうのですが、そのやりようもアートしていました。

フラ・アンジェリコやボッティチェリに、ミケランジェロだのダヴィンチだの、イル・マニーフィコ(ないしはメディチ家)から援助などを受けた巨星が多数おり。フィレンツエからの芸術家のイタリア諸国への派遣はルネサンスでの重要な貢献をなしたらしい。

フィレンツエは、現在に至っても「町全体がアートの宝庫。巨大な美術館」になっています。

この点、「御茶湯御政道(おんちゃのゆごせいどう)」といって、豊臣秀吉が茶道をもって政権を強化したのと似ているかも?でも、秀吉の場合は、ギラギラと茶道・茶器の政治・経済利用に走り、アートな部分は利休に任せきりだったのに対して、マニーフィコのほうは、子供の頃からアート大好き。「今日も生きてたぞー!ざまーみろ!」のほざきも「青春はうるわし されど逃れゆく」なんてアートにしちゃう、というか、凄惨な生存競争を生き抜くものすごく実利的な生き方をアートに表現することで、「人間として目覚めたがゆえに神の保護を失い、途方に暮れていた」ルネサンスの人々にモデルとなる生き方を提供した、ということなのだと思います。

というわけで、ルネサンス美術いろいろ。


ボッティチェリ 春 1482

いちばん左でみかん(雲という説もある)を突っついているにいちゃんが、メヂィチ家のメンバーという噂あり)。

 


ボッティチェリ ヴィーナスの誕生 1485

上記で惨死したジュリアーノさんがぞっこんになっていた、シモネッタ・カッタネオ・ヴェスプッチさんを描いたそうです。

 


ボッティチェリ 東方三博士の来訪 1476

メディチ家の新旧当主などが三博士など主要人物になっています。一番右はボッティチェリの自画像らしい。

 

ボッティチェリばっかりになっちゃった!


フラ・アンジェリコ 受胎告知 1440

さすがにマリア様なので、メディチ一族の似顔絵にはなっておらず。一方、どこにでもいそうなお姉さんという、とても親しみ深い「人間マリア様」になっています。

現代風に言えば「あさりちゃん」ですかねー。


あさりちゃん。https://www.cmoa.jp/title/47290/

なんかひんしゅくを買いそうだ。エロディ・ブシェーズにしておこう。


Elodie Bouchez

https://24.media.tumblr.com/tumblr_lvffckX4h21qmemvwo1_500.jpg

 

続いてラファエロ


ラファエロ アテネの学堂 1510

ルネサンス精神の最高峰ですね、総勢で22名の身元が割れて?います。Wikipediaからの引用以下の通り。


1: ゼノン(ストア派)

2: エピクロス

3:フェデリーコ2世・ゴンザーガ?

4: ボエティウスもしくはアナクシマンドロスもしくはエンペドクレス

5: アヴェロエス

6: ピタゴラス

7: アルキビアデスもしくはアレクサンドロス大王?

8: アンティステネスもしくはクセノポン?

9: ヒュパティア — フランチェスコ・マリーア1世・デッラ・ローヴェレもしくはラファエロの愛人マルゲリータ

10: アイスキネスもしくはクセノポン?

11: パルメニデス

12: ソクラテス

13: ヘラクレイトス — ミケランジェロ

14: プラトン(自著『ティマイオス』を持っている) — レオナルド・ダ・ヴィンチ

15: アリストテレス(自著『ニコマコス倫理学』を持っている)

16: ディオゲネス

17: プロティノス?

18: 生徒を引き連れたエウクレイデスもしくはアルキメデス — ブラマンテ?

19: ストラボンもしくはゾロアスター? — バルダッサーレ・カスティリオーネもしくはピエトロ・ベンボ

20: プトレマイオス

21: プロトゲネス — ソドマもしくはペルジーノ

R: アペレス — ラファエロ

ルネサンス以降は、神を差し置いて人間の登場が許されましたが、それは許されたというだけであって、「主」は神であることに変わりはなく。メディチ家も地位を安泰にするため、ヴァチカンを買収じゃなかった支援しています。


ラファエロ 教皇レオ10世の肖像 1518

レオ10世は、他でもないマニーフィコさんの次男、ジョヴァンニ・デ・メディチ。

この構図が崩れ、「神が死ぬ」のは、産業革命以降、マルクスなど社会主義・共産主義思想が生まれるまで待つこととなりました。

今回は、いわゆる哲学者ではないけれど、ルネサンスの中心フィレンツエの人々に、生きる方向性を示した「ぼくらのリーダーロレンツオ」をもって「いわゆる一つのルネサンス哲学」とさせていただきました。

ではでは。。。

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