これまで日本機、だけじゃなくF6Fとかも、ほめるつもりで書いても結果としてディスリまくってしまっていたのですが、ようやく素直にほめることのできる戦闘機の系譜を見つけることができたので、安堵しながら投稿します。
さて、飛行機が戦争の趨勢に影響するようになった第一次大戦以降、各国は戦闘機の開発に血道をあげるようになり。エンジンの開発競争が激化しました。
その過程で、航空エンジンは2つの種類に大きく枝分かれすることになり。一つが「空冷エンジン」もう一つが「液冷エンジン」です。
みなさんごぞんじのとおりでそれぞれ長短あり。しかし、飛行機の性能を素直に追い求めると、簡単に液冷に軍配が上がるのでした。
その理由は「スピードを出すのに適しているから」
シュナイダー杯とかの競争機はみんな液冷。ジービーとかP35は空冷のくせに競争機でがんばったが、当時のド田舎アメリカでは、競争相手がどん亀の複葉機なので何とかなった。

Bf109は、ジービーに比べ著しく前面投影面積が小さいことがわかります。
要するに、シリンダーを直列、V型、倒立Vとたてながに並べることができるので、空気抵抗の元凶となる前方投影面積を著しく減らすことができるのである。
Bf109なんてプロペラスピナーに隠れるくらいの胴体断面で、パイロットは押しつぶされそうになるが空気抵抗は消し去ることができ。空冷の場合は、星形にするしかないので、栄だのツインワスプだの、むりやりに複列にして直径を絞ることはしたが、それでも軸線に大きな丸い盾をかざしているような残念な断面になってしまった。
液冷は、ラジエターさえあれば冷却は何とかなったので、空冷ほどぶっとくならないで済んだのである。
ただ、P40 みたいに、いろいろあって、まるで顎が外れたネズミみたいになり、空冷もびっくり、液冷台無しになってしまったのもあるが、P51を頂点にうまくラジエターを配置して空気抵抗を減らした。Bf109はちょっとやりすぎだけど。

P40。ネズミではなくトラだそうです https://www.jollyrogers1942.com/fighters.html
液冷という方式がいかにエンジンの作動効率をよくするか。スピットやP51の液冷エンジン(1500馬力くらい)は、P47の排気タービン付き空冷エンジン(2000馬力級)と同等以上の性能を発揮し、Bf109のDB601系とともに最高の座を今日まで争っているのである。
読売ジャイアンツ強さのひみつ、じゃなかった液冷エンジン強さのひみつはどこにあるかというと
「精密精緻に、最高の精度で作れるから」
つまりすべての資材を最高の効率で凝縮できるからである。
よくわからない人に説明します。
典型的な空冷エンジンに、フォルクスワーゲン1300があります。


世界の名車かぶと虫と、そのエンジン
飛行機じゃないじゃん!特性は同じです。
戦時中は、このエンジンをのっけたキューベルワーゲンが、ロシアの極寒からアフリカの極暑まで元気いっぱい走り回り。
これが何を意味するのかというと、みなさん江の島では海パンいっちょうですが、襟裳岬にいくときはペンギンみたいに着込みますよね。
ワーゲンのエンジンは、海パンもペンギンもへったくれもなく、うだる真夏も凍てつく冬も吹き曝しで通さなければならず。
つまり、零下何度でシリンダーカバーが縮み上がろうが、40度の酷暑でシリンダーヘッドが膨張しようが、ともかく動いてくれる不死身さが必要なのである。
液冷エンジンの精密さとは真逆の世界なのです。
オイル漏れしようが圧縮ガスが漏れようがやけくそのように回ってくれなければ困る。そのため、十分な余裕のある、言い換えれば粗雑そのものの作りにならざるを得ない。
液冷はなんで精密にできるの?こちらは温度差による膨張だの萎縮だのをラジエターのほうで引き受け、エンジンはいつも同じ温度で動くようにすることができるからである。
結論として、性能そのものでは液冷。ただ、戦争道具としての不死身さでは空冷も侮りがたいので、太平洋戦線など洋上を狂った長距離で飛ぶなんて場面では空冷で通した(液冷戦闘機も多数投入したけど)。
液冷はサラブレッド、空冷は馬車馬みたいな感じと思えば間違いないと思います。
大戦間の格闘戦主体の時代は空冷が多く、スピードが命になってくると液冷が多くなっていった。I16が分水嶺かもしれん。
世界の趨勢として、最高の性能を目指せば、おのずと液冷となることは避けがたかった。
その趨勢を素直に受け止める先見の明があったのが川崎航空機。
95式戦闘機ではBMW、後の飛燕ではダイムラーベンツをお手本にがんばった。

95式戦闘機 https://www.webmodelers.com/201312kyugosikisen.html
95式戦闘機は十分に成功していて、日中戦争における同世代の中国側戦闘機(I15,カーチスホークIIIなど)には優勢を保った。
たしか、「空の戦友よ 雲よ 別れよ」という本だったと思います(まちがっていたらごめんなさい)が、95戦で空中戦をしていた折、オーバーヒートして基地に避難したが、着陸後、エンジンには何も異常がなく、ラジエター開口部を閉じたままだったことに気づき。全開にしてまた飛び上がり戦闘に復帰した、みたいな記載を記憶しています。

ホークIII。日本機と互角に格闘した。
https://d2ev13g7cze5ka.cloudfront.net/sph/sph72223_0.jpg?v=
当時の空中戦は基地のすぐ近くだった、という驚きもありますが、空気取り入れ口のシャッターを閉め忘れ、オーバーヒートしてもちょっと冷やせばまた離陸して空中戦できた、という当時の川崎液冷エンジンの頑強さに驚くのです。
少なくともこの当時の日本製液冷エンジンは十分に稼働できていたのですね。
しかし、技術革新は著しく。95戦も新型戦闘機に交替し。
新型戦闘機は、川崎や中島の競争となった。
川崎は低翼単葉、方持式固定脚のキ28、中島も低翼単葉、方持式固定脚のキ27を提示。

キ28 https://www.klueser.de/kit.php?index=1341&language=en
両方ともおなじじゃん?川崎は液冷、中島は空冷でした。ははは
スピードは川崎が時速485キロ、中島が470キロ。
でも中島は複葉機も驚く格闘性能を見せて、試験官を魅了しました。
中島が97式戦闘機として正式採用になった。
中島の97戦は、確かに超絶前後すなわち後にも先にもこれ以上ない世界最高の軽戦闘機であり。
すなおに一撃離脱への進展を見越して設計していた川崎は見事に肩透かしを食らわされたのでした。ははは
たしかに中島97戦の空冷エンジンは「百姓エンジン」といわれるくらい粗野な扱いに耐え。この辺で、日本は早くも液冷が要求する緻密な整備体制を整えられなくなりはじめていたのです。
しかし、ノモンハン事件では、97戦がI16に追いつけずに逃げられるという事態が多発し。95戦の当時から飛んでいたI16に最新鋭の97戦がついていけない、というショッキングな事態に陸軍は大いに慌て。I16よりも早いけど、97戦と同等の格闘性能を持った飛行機を作れー!と各社に命令した。

97戦(左)とI16(右) https://ameblo.jp/roy-horryhousen/image-12813137791-15315527349.html
できるわけがないのはわかりきっていた。中島は無理に作ろうとして、一式戦闘機は、スピードも格闘もダメじゃん、みたいな悲惨なことになってしまい。それでも無理やり両立させようとして激やせみたいに軽量化したら、今度は機体強度が足りなくなって空中分解を起こすとか、正式採用されるまで大変なことになった、というのはマニアの皆さんご存じと思います。
この点、キ28で速度性能の追及には先行していた川崎は、陸軍の無理を聞き分けながらも世界に通用する戦闘機を。。。。ということで開発に挑んだ。
その理念が「中戦」
◎重戦闘機のように高速で重火力を持つ
◎軽戦闘機のように軽快に格闘戦を行う
という、言わば「良いとこ取り」を目指した
できるわけないじゃん。中島の二の舞じゃね?
そこが土井技師の先見の明だったのですねー格闘戦というと、いかに小さい旋回半径で敵の後ろに回り込むかなのですが、土井さんは「旋回半径が大きくなっても、その分速く飛ぶことができれば、相手の懐にもぐりこめるぞ」ということを目指した。
この結果
- 日本人パイロットの慣れた格闘戦に対応できるよう、ある程度の運動性(旋回性)を確保する。
- 欧米機と同じ液冷エンジンを採用し、日本機には不足していた高速性と高高度性能を実現し、一撃離脱戦法を可能にする。
この両立に、見事成功したのだった。
実態は97戦や一式戦よりはとろいが欧米の戦闘機に比べれば敏捷であり、かつ二式戦よりは遅いにしても欧米戦闘機と引けを取らないスピード、というかんじになり。結果として、いいとこどりに成功したのである。
恐るべき傑作機。その名は?
「三式戦飛燕」
と、ここまで書いたら3000字を越えてしまいました。
なあんだいいところなのに!ごめんなさい次回に続きます。

飛燕 https://www.webmodelers.com/201601aaii.html
ではでは。。。。
