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P38による「卑劣作戦」

山本長官機と護衛零戦の模型 https://www.pearldiverinc.com/shop/intertype/interseamed8573776789.html
 

「卑怯な真珠湾」から2年たった1943年。アメリカも、実は日本が卑劣なのでもなんでもなくて、アメリカ自身の危機管理がずさんでクズだっただけだということは承知しており。幸い無垢な国民が「卑怯なジャップ」のスローガンに乗ってくれはしたが、一方でいかに自らがマヌケであるかという事実に劣等感をいだいていた。

「いつか、クレバーなミスター山本をやっつける卑劣な作戦はないものか」

というのが、米軍内部での悲願となり。

山本長官でも気が付けないような、あっと驚く妙案がないか。アメリカ独特のユーモアで「卑劣な作戦」と呼んだのである。

戦況の進展につれ、なんか日本軍の首脳部って無能じゃね?ということが露呈し。後年のインパールを例に挙げる必要もなく、日本の軍指導者というのは、まともに軍隊を動かせず、戦闘の前に食糧不足、衛生対策不足でバタバタと兵隊が4んじまう事態が頻発し。兵隊自体は精強なのに、それを動かす指揮官がクズなので、いつもの「ギョクサイやバンザイアタック」に追い込んで、シンプルかつ効率的につぶしていくことができた。

要すれば「まずは真珠湾、次はミッドウエー」とか、日本がまともな講和を獲得するためには何が必要で、どう行動すればいいかといったことを理解し実行できているのはミスター山本しかいないじゃん、ということが明らかになってきたのである。

ミスター山本を消し去れば、日本は自滅する。

暗殺してしまえ、という考えが頭をもたげてきたのであった。

この「ミスター」ですが、決して皮肉や侮蔑ではなく。

19世紀の英国海軍において、士官は「国王の委任状」を持つ「ジェントルマン」であり。艦長級の指揮官は階級名で呼ばれたが、それ以下の士官(少尉〜大尉クラス)や准士官は、軍人であると同時に社会的な紳士であることを強調し、互いに「ミスター」と呼び合っていた。

「階級は違えど、紳士としては対等である」

紳士の伝統 https://www.youtube.com/watch?v=vKjQ5FFZpeg&t=5919s
 

米英においては「階級はあっても人権は同等」「軍務に服しているが、その前にまず紳士である」という「文民統制の徹底」があった。

現代のアメリカ海軍でも、准士官(Warrant Officer)は、「Mr. / Ms.」と呼ぶのが一般的であり、いかに米英がこうしたエキスパートたちを尊重し、かつ彼ら自身もまずは紳士であり、かつ紳士(人権)の存在する国家のためにその技能を存分に使ったか、という点で、「ビンタにしゃもじ」のどこかの島国にくらべ、物量の前に精神で勝っていたということが明確になると思います。

余談ながすぎ。ミスター山本暗殺にもどります。

当時、戦争の趨勢はガダルカナルからサイパン争奪に向かいつつあり。

サイパンがとられれば日本は敗北必死(B29の行動範囲に入ってしまう)。日本はラバウルから絶望的な反撃を繰り返していた。

出展 Gemini
 

こうした状況で、山本連合艦隊司令長官は前線視察を強行。

凄惨な殺し合いが起こっているブーゲンビルに「飛んで火にいる夏の虫」と自ら飛び込んでいったのだった。

例によって日本の暗号はアメリカには筒抜けになっており。

ハワイの諜報本部だかに、突然電文(NTF131755)が飛び込んだ。

その内容は

「4月18日 午前6:00:ラバウルを離陸、午前8:00:ブーゲンビル島近隣のバラレ飛行場に到着。長官および幕僚は一式陸上攻撃機(ベティ)2機に分乗。護衛は零戦6機。」

悪天候による遅延があった場合の代替スケジュールまで含まれていたそうである。ははは

罠じゃね?あまりに幼稚というか?

ここで、なんか真珠湾攻撃と同じじゃん、と誰かが言い出し。

真珠湾は、それこそ精密に開始時間だのが計算されており。そしてほとんど寸分狂わず実行された。

ところが在米日本大使館がほにゃららで、宣戦布告が攻撃開始の後に遅れちゃった!というのがクズな真相だということをアメリカはすでに知っていた。

つまり、時間に正確で、どこの国もまねできないような精密スケジュールを難なくこなす日本人が、日本人らしくクソまじめにその詳細をアメリカに知らせてくれていたという、いつものクズなジャップの性癖をさらした、という判断になった。

パープル暗号機 https://www.wnycstudios.org/podcasts/otm/articles/wars-are-won-by-stories
 

 

ベティに乗ったミスター山本なんて、まるでねぎをしょったカモじゃないか!

勇躍アメリカは「卑劣作戦」の実行に移った。(正式名称は「復讐作戦」です。念のため)

ジャップもクズとは言い切れないところがあった。

要するに、ガダルカナルからブーゲンビルは「遠すぎる」のである。

いくら暗号が解読されていようが、敵の襲ってこれない場所に降りるなら問題なかったのであった。

https://ktymtskz.my.coocan.jp/E/EU5/alo6.htm
 

 

日本側の拠点ラバウル から ブーゲンビルまでは約 300 km 〜 320 km、飛行時間:約 1時間 〜 1時間20分であり、遠いがベティやゼロならふつーといえた。

問題は、アメリカの拠点ガダルカナル島(ヘンダーソン飛行場) から ブーゲンビル島(撃墜地点)であり。距離は直線でも500 kmもあり。往復だと実質約1,500kmは軽く超えてしまうのだった。

当時の戦闘機の航続距離はP-40 で約 1,700 km 、P-39 は約 1,100 kmで、いずれにしろ実態上は帰れずに海ポチャになることは目に見えていた。

常識的に見れば、日本側にとって、それほど危険ではないと判断できなくはないのであった。

しかし、それは「常識的に見れば」であり。

アメリカには、常識を外れた使い方をすればするほど高性能を発揮するという「怪機」があり。

その名もP38 。

その行動範囲は、約 700 km 〜 750 kmで、常識的に使えばP40とかと変わらないじゃん、なのですが、「卑劣作戦」においては片側に165ガロン(約625リットル)、もう片側に310ガロン(約1,170リットル)という非対称なドロップタンクを括り付け。

Tamiya’s 1/48 P-38 Lightning and the Significance of ‘Miss Virginia’


 

 

海面スレスレ(9m)を飛ぶことで、空気抵抗の変化(地面効果)を利用。これは日本艦艇の見張り員に発見されることも防いだ。

あとはお決まりのミクスチャー調整だの、なるべくアクセルを吹かさないようにしましょうだのだったが、双発でもあり、フツーの単発機ではとても怖くて飛べないような距離、かつものすごく重い増槽というのを可能にしたのがP38だった。

結果、P-38隊がブーゲンビル島の海岸線に到達したわずか1分後、目の前に山本長官の乗った陸攻2機が、東京の地下鉄もびっくりの時間きっかりで現れてしまった。

屠殺が始まり。

一番機は浅い角度で密林に突っ込んで炎上。ミスター山本もあえなくローストされてしまった。

二番機はエンジンを撃ち抜かれ、錐揉みの後に海面へ突っ込んだ。宇垣さんという人の記録では、窓から見た景色が逆さまになったり回転したりしているうちに着水した、という感じだったらしい。

惨劇の総決算は、以下の通り

出撃機数と脱落機数

離陸:16機

攻撃隊(キラー・グループ):4機(実際に山本機を狙う役割)
掩護隊(カバー・グループ):12機(上空で零戦を抑える役割)

離陸時に1機がタイヤのパンクで離陸失敗、もう1機が燃料系のトラブルで引き返し。攻撃隊4機、掩護隊10機の計14機が待ち伏せ地点に到達した。

戦闘の犠牲者:米軍側は攻撃隊の1機が、陸攻撃墜後に零戦の追撃を受け、戦死。
空戦の実態:「一撃離脱による暗殺」に近い展開であり、長時間の格闘戦(ドッグファイト)はなかった。

奇襲の成功: P-38隊は山本機一行を後方上空から発見。ドロップタンクを切り離し、全速力で突っ込み。
一瞬の決着: 攻撃隊の2機が、護衛の零戦が気づく前に陸攻へ肉薄。わずか数分の間に、山本機(1番機)はジャングルへ、宇垣機(2番機)は海へ叩き落とされた。
零戦の反撃:直後、零戦6機が猛烈に反撃を開始し。ようやく「空戦」になったが、P-38側は1機がやられたのみで、高速を活かして離脱。

4. 零戦側の被害は0機。6名の零戦乗りにはその後「4に場所」が用意され。ラバウルやブインの連続出撃で、文字通り消耗し4にました(1名は片腕を喪失したが生き残った)。

この作戦の真の成功要因は「気象観測」。

作戦立案にあたり、ガダルカナル島の気象班だけでなく、日本軍の勢力圏内に潜入していた「沿岸監視員」から「雲の高さ」「視界」「風の強さ」を密かに無線で送っていた。複数の島の気象データを集約することで、ガダルカナルから目的地までの気象の「流れ」を、巨大なパズルのように組み立てたである。

 

第二次大戦当時の気象観測 https://historylink101.com/ww2_navy/org/misc2/WAVESDailyWork/2929.html?utm_source=Pinterest&utm_medium=organic
 

 

結果、高度ごとの風向・風速の変化をデータ化。P-38が飛ぶ超低空の風が、気圧配置からどう変化するかを予測し、パイロットに「この時間は方位を〇〇度修正して飛べ」という緻密な航法プランを渡していたのだった。

これを実行できたパイロットも神である。P38という怪機あってのことだとはおもいますが。

3000字越で終了。

無線封鎖の解けた帰路は、無線方位指示器を使い生還
https://encrypted-tbn1.gstatic.com/images?q=tbn:ANd9GcTy-2WgjqdEMrA4K8hHAS4lwoqj4aYK35nxI_HlgfoP2sxvklxncf5mBgDuDoK3
 

ではでは。。。

 

Posted by 猫機長
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エアレースだ!爆発だ!

1930年代、アメリカ。

恐怖の経済恐慌。麻薬だ密輸入だ!ギャングが大喜びで機関銃をぶっぱなし、警官をハチの巣にしてはしゃいでいた。

一般市民も、機関銃ダダダダーン!ブギャギャー!ブギャギャギャー!みたいな楽しみはないかなーと追い求めていたら、空前の熱狂をもたらしたものがあった。

その名も「エアレース」

エアレース https://au.pinterest.com/pin/22166223162918074/
 

 

閉塞感のある日常で、命知らずのパイロットが時速400km超で飛ばす姿は、大衆にとって最高の現実逃避であり、ショーだった。

深刻な不況で軍も民間の航空需要も冷え込む中、メーカーや設計者は「レースの賞金」を活動資金にするしかなくなっており。

「野性的で危険」なレースが生まれた。

「デトロイト」や「クリーブランド」には十万人の観客が押し寄せ。

複数の飛行機が同時に離陸し、地上に設置された塔(パイロン)の周りを低空で旋回しながら順位を競う、「空の競馬」だった。

巨大なエンジンに操縦席をくっつけたような当時の競争機。観客は地響きのような爆音と、文字通り「飛ぶ弾丸」を目の当たりにしたのだった。


 

 

1930年代の標準的な設定は以下の通り。

周回コースの形:三角形、あるいは四角形のクローズド・コース。

パイロン: 3本または4本。高さは約15メートルほどあり、遠くからでも視認できるように赤と白のチェック模様などで目立つように塗装されていた。

1周の距離:約16kmを10周して順位を競った。

時速400km(分速約6.7km)で飛ぶレーサー機の場合、1周が約2分半、10周してもトータルのレース時間は25分〜30分程度と、息つく暇もない全力疾走だった。


 

 

しかし、パイロットにとって、この「たった16km」の1周は、普通の飛行の何時間分にも相当する地獄であり。

レースは地上わずか15メートルから30メートルの超低空で行われ。少しでも高度を下げすぎれば地面に激突した。

直線で時速400km以上出し、パイロンの手前で機体をナイフのように真横に立てて急旋。この時、パイロットの体には5G以上の重力がかかり、血液が足に下がって視界が真っ暗になる(ブラックアウト)寸前になった。

前の機体が残した強烈なプロペラ後流(乱気流)に突っ込むと、機体が木の葉のように翻弄された。

観客席からは「機体がパイロンを回って爆音とともに目の前を通り過ぎ、あっと言う間に戻ってくる」というサイクルが10回繰り返され、いよいよ会場は熱狂。

https://jackandfriends.com/vintage-the-racing-age-24-x-16-inches-metal-sign/
 

 

挿絵はジービーレーサーばっかりですが、ほかにもできそこないな競争機がたくさんあり。

代表的なのは以下の通り。

ウェッデル・ウィリアムズ Model 44 (Wedell-Williams Model 44)

Wedell-Williams Racer https://au.pinterest.com/pin/21040323255069968/
樽のようなジービーとは対照的に、細長く、「鉛筆のような」形状をしていた。ジービーが「曲がるのが苦手な弾丸」だったのに対し、Model 44は安定性が高く、扱いやすい機体だった。
 

ハワード DGA-6 「ミスター・マリガン」 (Howard DGA-6 “Mister Mulligan”)

Mister Mulligan  https://gemini.google.com/app/5a603b8980204572
「高翼・キャビン型(密閉された4人乗り)」の輸送機みたいな外見だが、中身は強力なエンジンを積んだモンスターマシン。
 

 

レアード・ソリューション (Laird Solution)

Laird Super Solution https://au.pinterest.com/pin/6614730696513061/
ジービーが本格的に台頭する直前、1930年の初代トンプソン・トロフィー覇者。 複葉機でありながら、非常にコンパクトで高出力。
 

 

細長いはずのウェッデルもずんぐりしていて、ジービーなんて、それこそ樽じゃん?

なぜ極端に短い形になったのか。そこには、天才的かつ狂気じみた「空力理論」があった。

単にエンジンを大きくしたのではなく「機体全体を一つの翼にする」という革命的な発想を形にしようとしたのある。

通常の飛行機は、胴体はただの「空気抵抗」だが、ジービーはバレル(樽型)理論といって、エンジンを覆うカウリング(カバー)を、横から見ると「翼の断面(翼型)のような曲線にして、胴体自体に揚力を発生させ、その分主翼を極限まで小さくしたのだった。

主翼を小さくすれば空気抵抗が減り、ライバルを置き去りにするスピードが出せる。これがジービーの驚異的な速さの秘密だった。

バレル理論だそうです。はははhttps://au.pinterest.com/pin/2251868558060654/
 

さらには、安定性を捨てて、重いパーツ(エンジン、燃料、パイロット)を重心の一点に集め、機体は「コマ」のように鋭い旋回が可能になった。

この理論は計算上は完璧だが、人間の操縦能力を完全に無視していた。

ジービーは尾翼が重心に近すぎて、常に左右にフラフラし。胴体が短すぎるため、巨大なプロペラが生み出す猛烈な乱気流が、そのまま尾翼を直撃。舵(かじ)の効きを不安定にし、着陸寸前の低速で機体が突然ひっくり返る原因となった。また、重いエンジンが高速回転しているため、機体を傾けようとすると、物理法則(歳差運動)によって機体が予期せぬ方向へ跳ね上がった。

野獣のような反射神経と命知らずの蛮勇がなければ乗ることのできない恐ろしい飛行機になってしまったのである。

ジービーは極端かもしれないけれど、ほかも似たようなものだった。

こんなできそこないの「弾丸」で、「低空でのパイロン旋回」を行うとどうなるか。当時パイロンレースでの事故は、単なる「墜落」を超え「物理法則との衝突」というべき凄まじいものになってしまった。

観客の目と鼻の先で、時速400kmを超える鉄の塊が制御を失うとどうなるのか。

「乱気流の罠」:1938年 リー・ウィリアムズの悲劇

前を走る機体がパイロンを旋回した直後に残した「乱気流(プロペラ後流)」に、後続のウィリアムズの機体が突っ込み。乱気流に叩かれた翼が地面の方向に傾き。

機体は地面を這うように激突。火を噴きながら数百メートルにわたって機体の破片を撒き散らし、まるで爆弾が爆発したような光景に。墜落というより「地上での超高速激突」になった。

「パイロンへの接触」:1センチが死を分ける

レースの核心は「いかにパイロンを最短距離で、内側を攻めるか」だが、旋回中に機体を真横に倒した際、翼の先端がパイロンに接触する事故が頻発。時速400kmで静止物に翼が触れれば、翼は紙のように引きちぎられ。片方の翼を失った機体は猛烈な勢いで回転(ロール)を始め、パイロットは何が起きたか理解する間もなく地面に叩きつけられ、ひき肉と化した。

3.直進中に爆発

レースではなく速度記録チャレンジ中の事故。観客とカメラが見守る中、突然機体が「爆発したかのように」空中でバラバラになった。観客は何が起きたのか理解できず、ただ炎の塊を見るしかなかった。後に、高速飛行の振動で燃料キャップが外れ、風防を突き破ってパイロットの顔面を直撃。操縦桿が動き、急激なGに短い胴体と薄い翼が耐えきれず空中分解したということがわかった。

https://www.abebooks.com/first-edition/Aircraft-Speed-Vintage-Team-Racing-Gordon/30975354838/bd
 

 

当時のパイロットは「気合」と「運」で飛んでいたのである。パイロットを「勇敢な鉄の騎士」つまりは「狂人」としていたゆえんであった。

ところが、いつの時代でも姑息な手段で勝ちをさらうやつが現れ。

そいつは「気合」と「運」を極力排除し「勇敢とは真逆の計算された用心深さで」チャンピオンになったのだった。

計算その1:ジービーは、「機体が予期せぬ方向へ跳ね上がる」のだが、これを、ジービーが巨大な「ジャイロ(独楽)」であるため発生する「物理的な回転モーメント」であると計算し、「全力で操縦桿を前に押し込む」という、本能(気合)に反する操作を事前に予測しておいて実行した。

計算その2:ジービーは、「右に切りたいのに左に行く」という、パイロットにとって最も恐ろしいコントロール喪失をきたしたが、これも翼が薄く、ある速度を超えると空力的な力が翼の強度を上回り、ねじれることでのアドバースヨーだということに気づいて、いつ起きるか計算し。ねじれる直前でスロットルを操作して限界を超えないようにした。

そして決定打:当時開発間もない人工水平儀を装着して、それを頼りに旋回角度を調節した。5Gだのの極限状況では五感による操縦よりも、計器に従えば間違いないよということだったのである。

人工水平儀
 

 

ロマンもへったくれもない、計器飛行みたいな操縦。

このパイロットは、パイロット以前に工学博士であり、飛行機の挙動を「カンと手探り」から「想定内の計算」に変換した人間コンピュータだったのである。

そいつの名前は「ドウリットル」

あれ、空母から双発爆撃機を「離陸」させた奴じゃ?はいそのとおりです。

でも3000字を超えたので、今回はここでおしまい。

おそまつさまでした。ではでは。。。

 

Posted by 猫機長
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ボートを運ぶダンボの話

みなさんご存じのダンボ。象のくせに、耳をばたばたさせて空を飛ぶという、ガメラも卒倒するような怪獣です。

巨体をものともせず空をのし歩く姿から、第二次大戦で使われた大型救難機もダンボと呼ばれるようになりました。

欧州戦線、太平洋戦線と広大な海が戦場となり。洋上でやられて海に不時着とかパラシュート降下とかの事例も続出した。

最初は、もよりの飛行艇とかが出動するみたいな感じだったが、そのうち専門のダンボ部隊が結成され、潜水艦などと連携して落っこちた搭乗員を救出するようになり。サイパンから日本への爆撃では、経路に沿って3隻くらいの潜水艦を派遣しておき、さらには飛行艇を飛ばして、やられた爆撃機が送信する救難信号や座標軸を潜水艦に転送するなり自分自身が急行するなりして救出にあたった。

こうしたシステムの整備により、1943年の数か月において、ガダルカナル戦域で161名が救出されたというから大したものです。

カタリナ飛行艇 https://wallhaven.cc/w/l8dpqr
 

 

しかし、事はそう簡単ではなかった。

確かに「今回のプロジェクトはこの空域で実施します」ということで、事前に索敵機を飛ばしておき、落っこちたやつがいたら現場で急行し発見するというところまではなんとかなった。

問題はそこから先だったのである。

別に積乱雲とかもなく、青い空が広がっている、という場合でも、波の高さは3メートルでした、なんてケースも多く。

現在の最新飛行艇US2のキャッチコピーが「3mの高波でも着水できます」であり、実はそこまでいかなくても、飛沫にペラをたたかれて離水不能になったとか発生しており。

海というか、水は恐ろしい破壊力を持っているのです。

皆さんが軽飛行機で海沿い(川沿い)を飛んでいたとして、エンスト・不時着だ!となったら、なるべく岸辺沿いの陸地に落ちるようにしましょう。僕は泳げるからいいよ、という問題ではなく、機体が接地したとき、土の衝撃力をまあまあ猫のトイレに敷き詰められた砂のレベルと見立てた場合、水面への激突はコンクリートの壁に正面衝突するのに匹敵するそうです。

猫のうんちがネコ砂に軟着陸するのと、コンクリートに激突するのを思い浮かべていただければ納得と思います。

これが何を意味していたか。

せっかくカタリナ飛行艇が、海面にぷかぷか浮かんでいる爆撃機クルー数名を発見したとして、波の高さが3メートルもあれば、もはや着水は不可能であり。

水面のクルーが疲労困憊で、泳いでいることもできなくなり、お母さーん!くぷくぷ。。。

と、一人、また一人と沈んでいくのを、なすすべもなく見守るしかないのだった。

船のくせに着水できない飛行艇。どうしよう。。。

着水できないのなら、代わりに救命ボートを落とせばいいじゃん、ということになり。

運搬能力に勝る陸上機で増強されることになった。

みなさんご存じB17爆撃機から、機体下面のボールタレットやチンタレットを外し、代わりに救命ボートを縛り付け。

救難機型B17 パブリックドメイン
 

 

爆撃機としての積載量は5.8トンくらいのところ、救命ボートは1.5トンくらいなので、重量では余裕よゆうだが、変なものを機体の下にぶら下げたので、操縦性はほにゃららだったらしい。やりにくいくらいのレベルで済んだそうですけど。

例によって情報ソースにより数に大きなばらつきがあるが、数百機のダンボ救難型B17が太平洋及び大西洋で活躍し、戦争終了までこれも数百名の人命が助かったらしい。

B17に装備された救命ボートは、木製あるいはFRP製で「A1」または「A3」と呼ばれ、イギリスで開発されたものをアメリカでも使用した。

「泥船」じゃ困るので、穴が開こうがどうなろうが沈まないよう、ボート自体に浮力材が充填されており。

全長は9メートルほどということで、だいたいゼロ戦の全長と同じくらい。

エンジンがついていて自力航行可能。800キロくらいまでなら余裕の航続距離があったらしい。

10人から25人くらいの収容能力あり。10人が2週間生存できる量の水と食料を積んでいた。

その他、日差しや波の飛沫を遮るための防水テントや天幕、救急医療キット、釣り道具、膨張式枕、寝袋などあり。

うらやましい限りの豪華な装備ですねえ。

ここで「インパール」という言葉が脳内にこだましてしまうのは私だけでしょうか。

前谷惟光「ロボット三等兵」
 

 

しかし、やはり事はそう簡単には運ばなかった。

海面にゴムいかだで浮かぶ数名の搭乗員を発見し、救命ボート投下だ!

F4Fに搭載された救命いかだ。
F4F-3 life raft PRINT for F4F-3 Wildcat in 1/48 by Eduard 8591437571109 | eBay
 

 

といっても、全長9メートル、1.5トンの巨大な物体を、ただ投下では、それこそ海面にぶち当たってみじんに砕け散ってしまうので、パラシュートで降下させた。

しかし、パラシュートという風まかせの物体を介在させてしまったため、いくら救難機側で努力しても、風に流された救命ボートは、搭乗員たちの浮かんでいる海面よりはるか遠く、といわずとも、相当遠くに着水ということになってしまい。

筏で死にぞこなっている遭難者側では、動けないやつを残して、動けるやつが海に飛び込み。必死になって救命ボートまで泳いでいくことになり。

たどり着きさえすれば、エンジンを起動させて、仲間のところまでいけるぞ!

しかし、思ったより疲労は激しく。あわれ救命ボートまでまだ遠いのに、おかあさーん!くぶくぷ。。。。と沈んでしまうのだった。

筏に取り残された仲間たちも、なすすべもなく救命ボートが潮に流されて視界の外に消えてしまうのを見守るしかなく。

ついに絶命だ!の寸前に潜水艦が到着し、文字通り九死に一生を得た、ということもあったようです。

 

有名な巡洋艦インディアナポリス撃沈のケースでは、なぜか救難が遅れ。最初に到着できたのはカタリナ飛行艇だった。

その時の波高は4メートルに達していたそうで、規定上着水はできないはずだったのですが、海に浮かぶ多数の船員たちがフカに食われて、ぎえええーと鮮血を噴射して4んでいく光景を目の当たりにした機長はじめクルーは着水を断行。

衝撃でフロートだかエンジンだかをやられたか?なんとか機体は無事だったが、離水は不可能な状態に。

それでも、機体内部といわず主翼の上といわずとにかく助かりそうなやつを詰め込んで、なんとかフカの餌から逃れようと絶望的な努力を繰り返しているうち、やっと潜水艦が到着して助かった、ということだったらしい。

 

ちなみに、日本の艦爆乗りが、落っこちて海面を数日間か漂流し、日本のタンカーに発見されて奇跡的に助かった、という恐怖の体験について以下のリンクにあるので、ぜひご一読を。

回想録 『飛翔雲』(完): 桜と錨の気ままなブログ

 

 

艦爆搭乗員を救った日本郵船のタンカー「玄洋丸」
回想録 『飛翔雲』(完): 桜と錨の気ままなブログ
 

 

最後に、なぜ欧米、とりわけアメリカはこうした救助システムを構築したのか?

人道的な理由がなかったとは言いません。しかし、実態はもっと残酷でえげつないものだったのです。

飛行機だの空母だの、機械については、アメリカは湯水のように生産・消費できる。ドイツや日本がせっせと撃破してくれれば、その分を補充するグッドイヤーだのジェネラルモータースだののアメリカ企業は大儲けし、笑いが止まらないのだった。

一方、パイロットや搭乗員の養成には、単に操縦だけでなく、やれ気象だ航法だ通信だと時間がかかり。その間飯も食わせにゃならんし、戦争遂行のために最も調達が難しく、維持管理もめんどい部品だということに気が付いたのである。

プラス思考で見れば、人間というものは、戦闘で勝とうが負けようが貴重な戦訓を記録し、次の戦闘に生かす決定的な教訓を身をもって体験し伝達していくという重要なデータベースかつ教材でもある。

というわけで、ともかく撃墜されようがまだ助かりそうなやつは片端から助けて、次の戦闘に蹴りこむという行いに及んでいたのである。もちろん救助側で余裕があれば、助かりそうにない奴も拾いますが、戦時医療であり、武器として修復可能な奴をまず回収して再利用するということらしい。

記事が荒んできたのでこれでやめます。戦時医療が正当化されることのない平和な世界が訪れることを祈っています。

A-3救命ボート パブリックドメイン
 

 

ではでは

Posted by 猫機長
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気流を見た人:ケリージョンソン

むかしむかし、アメリカにジョンソン少年というかわいそうなクソガキがいました。

鉱山労働者の息子で、要すればストリートチルドレン一歩手前の境遇で育ち。ろくな飯も食えずに育った割には、いじめに来たガキ大将を返り討ちにして、クソガキ仲間から「ケリー」という称号をもらったとか、暗い荒んだ少年時代を過ごしたらしい。

しかし、ケリージョンソンにとって、暗かろうが荒んでいようがそんなことはどうでもよく。

とにかく機械が好きだった。13歳の時には新聞の広告を見て、自宅の自動車を修理したなど、ただのクソガキではなく、機械工学の天才に、知らないうちに育っていたのだった。

当時は、ドサ周りの曲芸飛行士がその辺の田舎を飛び回っており。ジョンソン少年もなけなしの貯金をはたいて体験飛行に乗せてもらったのが運の尽きで、空を飛ぶことの魔力に取りつかれてしまい。

絶対飛行機のテストパイロット兼エンジニアになるぞーと誓ってしまったのだった。

Clarence Leonard “Kelly” Johnson パブリックドメイン
 

 

底辺労働者の息子だった割には高校まで卒業し。さてどっかの鉱山で底辺労働者だねーとはならず。

高校での狂った成績や、機械工学に関する、オタクではすまされない、別世界を行くような発想や知見により、仲間や教師たちが後押しや援助してなんとフリント・ミシガン大学に入学したのだった。

修士号、博士号をあれよあれよという間に取得し。

よしよし、いよいよテストパイロットになってやる!と陸軍航空軍を受験。

なんか技能面、体力面のテストがあったらしいが、体力面はフツーにクリア。技能面では試験管を狂乱させるほどの優秀さを示したらしい。

航空軍側も、なんかすごいのが乗り込んできたぞ!と騒然となり。

しかし、視力検査であっさり不合格になってしまい。

航空軍側も、こいつは何とかして合格させることはできないか、とまた騒然となり。

あーでもないとこーでもないと大騒ぎした結果

「アメリカ陸軍航空軍には規格に合わない奴を置いておく余裕はない」と、にべもなく切り捨てられたのでした。

ははは

しかし、単に切り捨てられたのではなく。いろいろあって、気が付いたらロッキード社の設計技師になっていた。

そこでもさっそく話題になり。

「こいつは気流を視覚化できるのではないか?」

飛行機の設計には、やれ抗力だやれ揚力だと、空気力学、流体力学のキチガイになりそうな計算が必要なのですが、その計算を暗算でやってしまうというか、そもそも結果が閃いてしまうというのか、時代劇でいえば「暗闇の中に白い電光が見え、光の通り刀を振り下ろしたら、敵が血まみれになってもがいていた」みたいな、たとえが悪いかもしれんがそんな感じだったらしい。

もちろん1日18時間労働だの、考えて考え抜いた末に、の「白い光が見えるんだ」だったらしいが、それでも周囲から見たら、ベテラン技師の経験をもってしても得られないようなあっと驚く解決策をズバズバ、という感じだったらしい。

そんなケリージョンソンのもとに、米陸軍航空軍から戦闘機設計の依頼が来た。

当時すでにメッサ―やスピットが初飛行しており。アメリカもP36とかはあったが、がんばってP40にバージョンアップしたところで出遅れは目に見えていた。

P36 https://aerocorner.com/aircraft/curtiss-p-36-hawk/
 

 

後追いしているだけでは水を開けられる一方だ!なんか次元の違うものを作らなくては!

次元が違うというのなら、宇宙人にやらせよう。ということで、あのときの怪人ケリージョンソンに「プロポーザル X-608」が提示されたのだった。

その内容は。。。

速度と高度の絶対的重視

高度6,100メートルで時速580 km/以上を達成すること。アメリカのどの戦闘機も到達していないものであり、世界最高水準だった。

上昇能力: 高度 6,100メートルまで6分以内に到達する能力。敵の爆撃機を迅速に迎撃するための、高い上昇率。

迎撃と破壊を目的とした強力な武装

集中火力: 最低454kgの武装(機関砲と大口径機関銃)。25mm機関砲1門と12.7mm機関銃4挺という狂った火力。

意外にシンプルで、どこかの零戦みたいに「格闘性能ニオイテ九六艦戦ニ劣ラザルコト」みたいに、余計なというかすべてを台無しにするようなことは書いていなかった。

要求そのものは別次元だが、しっかり方向性が明確化されていて、達成方法も極めて自由という、いかにもアメリカらしい奔放としたものだったのである。

方向性が全くなく、すべてをやらせようとして結局何もできない例
https://note.com/hyamaguchi/n/n0c60c7292ec3
 

 

それを、アメリカ人から見ても宇宙人だったケリージョンソンが手にしたらどうなるか。

よし、世界最高のPursuiter(パーシューター、追跡機)を作ってやるぞ!

まずはエンジンです。

アメリカの仕様書は、こうなっていた「”USAAC Design Competition X-608. Twin-engined fighter with supercharged engines. February 1937.”」

というわけで、要求の段階で双発ということはコンセンサスであった。

もっとも、当時アメリカで使用可能なアリソンエンジンでは、双発にでもしないと必要な出力が得られないという事情もあった。後のエンジン王国もこの当時はほにゃららだったのである。

これって、ドイツのBf110や、日本の屠龍と同じじゃね?

危うく同じになるところだった。

しかし、ここで宇宙人ケリージョンソンの真価が発揮されたのである。

 

戦略爆撃が現実化してくると、2つの課題が明らかになってきた。

その一つは迎撃。雲霞のごとく襲いかかってくる爆撃機に向けてスクランブルで一気に上昇し、スピードと火力で叩き落す。鍾馗だの雷電だのといった単発重戦闘機が該当。

もう一つは援護。遠く敵国内のライフラインへ殴り込む爆撃機と一緒に行って帰ってこれる航続力が必要だった。こちらは必然的に長距離を安定して飛べる双発機となった。零戦は例外。

 

当時、双発戦闘機というと、爆撃機と一緒になって、はるか遠くの敵地上空で群がる敵迎撃機を撃破する、という常識が出来上がってきており。

この常識だと、爆撃機と同じスピードで同じ高さを同じ進路で飛び、複数の乗員に爆撃機みたいな防御銃火を備えて。。。とどうしてもなってしまうのであった。

Bf110 https://www.recoverycurios.com/messerschmitt-bf-110
 

 

屠龍 https://www.webmodelers.com/201311toryu.html
 

 

ケリージョンソンにとって、同じ進路だのはどうでもよかった。

ともかく、キチガイみたいな上昇力であっというまに敵編隊の上まで上がり。これまた狂った集中火力で敵編隊を片端からみじんに粉砕してやるぜー!

 

双発機のくせに限りなく単発機に近くなった。BF110や屠龍が乗員2名、うち1名が後部銃手なのに、P38はそんなことはお構いなく、乗員は1名。機首に機関砲を集中した。

双発にすると、当然ながら機体は串に団子を三つ刺したみたいになり。団子一つの単発機より空力では相当のマイナスになるはずだったのが、むしろケリージョンソンは真ん中の団子に機銃を集中配置して爆発的な火力を得ることに血道をあげ。残りの2つの団子は極力細くして弱点を補った。双胴形式にしたことは、エンジンの後ろに排気タービン過給機や車輪格納庫など持って行き、「細く長く」で空気抵抗の軽減に貢献した(有害抵抗面積を抑えた)。

中央ナセルがめちゃくちゃ細くなり、事実上ガンポッド化している点に注目
https://www.aircraftaces.com/p38-lightning.htm
 

 

細長くなった双発エンジンのナセルというか胴体というかの先を水平尾翼でつなぎ、なるべく小さく垂直尾翼を付けたら、P38という怪機になった。

知らないうちに、アメリカは世界最強(でなければそれに近い)の戦闘機を作っていたのである。

もちろん、常識なんて知らないよ~んの怪人ケリージョンソンの設計した飛行機です。常識ある使い方をしているうちはろくな結果を出せなかった。

零戦と中低高度で巴戦になり。「ぺろはち」だの「めざし」だのとさげすまされたのは皆さんご存じのとおりです。

そこはアメリカ人は頭がよく。

「戦闘機だからといって格闘戦をする義務なんてねーじゃん」ということに気が付いた。

零戦の上がってこれない高度に、零戦でさえついていけない上昇力でぐわーんと上がっていき。あとははるか下方でくるくる回っている零戦に狙いをつけてハヤブサのごとく急降下し、機首に並んだ大火力機関砲であっという間に粉砕してしまった。

こういうP38ならではの使い方をして、グラマンよりも多くの戦果を挙げた撃墜王を生んだのだった。

https://planesoffame.org/aircraft/plane-P-38J
 

 

ジェミニ君情報ですが

◎P-38 リチャード・ボング 40機

◎F6F デビッド・マッキャンベル 34機

◎F4F ジョー・フォス 26機

怪人ケリージョンソンが生んだ怪機P38。「エネルギー戦」すなわち急上昇からダッシュし高度差を有利に生かすという新たな常識を実行可能にし、「用兵すなわち飛行機の使い方が飛行機の性能に追いついて戦果を上げた」という恐るべき実例ですね。

*あと、零戦をもしのぐ航続距離で、山本長官機を撃墜という「卑劣作戦」もありますが、3000字を超えており、マニアの皆さんすでにご存じなので割愛。

ではでは

 

 

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P39:ソ連パイロットは二刀遣いだった

P39は、もともとは「1936年に出されたアメリカ陸軍の高々度新型迎撃機の要求(Wikipedia)」に対応するために生まれたもの。アメリカにとって爆撃機と言えばB17であり、ジャップはともかくドイツがB17なみの「落としても落ちない」重爆でアメリカ本土に襲い掛かってきたときに「Blast it into a thousand pieces (1000個の破片に粉砕する)」というのが使命となった。

似たような目的で生まれたのにP38があり。こちらは「ケリー・ジョンソン」という怪人の設計により、とにかくパワーでたたき伏せるというアメフト的な思考を双発双胴という怪機で実現したのに比べ、P39はアメフト的な怪機ですが欧州的な洗練もある、先進的な機体になった。

P39は、とにかく「37ミリ砲」にはじまり「37ミリ砲」に終わる怪機である。

そもそも、戦闘機に37ミリ砲を搭載するというのがいかに狂っているか。

P38 でさえ20ミリ砲どまりである。他の例をさがすと、屠龍はB29を落とすために搭載するしかなくなり。JU87(スツーカ)も37ミリを搭載したモデルがあったが、とろくなりすぎてソ連戦闘機の好餌となった。

単発戦闘機なのに、双発複座の屠龍や、爆撃機のスツーカのような37ミリを搭載することになったP39。

それでも、後にメッサーシュミットなどと互角以上の格闘をするなかなか軽快な運動性を実現した。

このへんから、P39の先進性を見ることができます。

Bell P-39F Airacobra


 

 

先進性のなかった日本では、まず格闘により敵の後ろにつくことが重要だ!ととにかく軽戦の開発に血道をあげてしまい。

確かに一式戦とかは、たとえP51だろうがスピットファイアだろうが見事後ろにくらいついて機銃の連射を食らわせることに成功した。

でも、「ああああ?機関銃か効かない?」

ああああ?ウルトラビームが効かない?
https://www.youtube.com/watch?v=Tskjow9ihtc
 

 

欧米の戦闘機は防弾がしっかりしており、日本の7ミリ機銃では効果がなかったのだった。ははは

日本人が7.7ミリ機銃で安心しきっていた時に、アメリカ人は37ミリ機銃を乗せようとしていたのである。

プロペラ軸を通して発射。37ミリ機関砲

Bell P-39F Airacobra


 

 

しかし、機首に巨大な対戦車砲を載せてしまったため、エンジンを置く場所がなくなってしまった。

じゃあエンジンはパイロットの後ろに置こうよ、とすなおに発展し。

エンジンとプロペラまでは佐々木小次郎もまっさおの、物干し竿のようなプロペラシャフトでつないだ。

この辺はさすがに工業先進国アメリカで、どこかの雷電みたいにシャフトが異常振動を起こすということはなく。しかし、ちょうどパイロットのお◎んちんの真下にすさまじい回転となるので「シャフトトンネル」という覆いを付けて保護した。

ttps://jp.pinterest.com/pin/4925880837409476

 

 

シャフトトンネルhttps://jp.pinterest.com/pin/153826143518128366/

 

 

エンジンを機体中央付近、機関銃を機首に配置したため、機体前後にのびる重量物を支える「竜骨構造」が採用されキャノピーもスライド式ではなく、自動車のドアみたいなのになった。

P39Q Bell Airacobra – New Guinea Gunfighter

 

 

さらには、通常の尾輪式ではバランスがうまく取れなかったらしく、量産型はすべて前輪式になった。

もちろん操縦者の周囲は防弾版で囲い。

この結果どうなったかというと

「小柄な図体のわりに重くなってしまった」

ははは

仕方なく、最初予定していた排気タービン過給機は載せないことにしましょう、となったが、このため高空性能がだめだめになり。

アメリカ製の割には運動性もよかったのだが、零戦や隼相手では相手にならず。鰹節とか、それほど悪意のないあだ名ですんだけど、p40と並んでやられ役になってしまい。

Żądło w nosie Airacobry

 

 

西欧の高空決戦、太平洋の格闘戦ともにクズの烙印を押されてしまったのでした。

しゃあねえ、ソ連にでも押し付けてしまおう。

ところが、ソ連では救国の殊勲機として大活躍をしたのである。

当時、ソ連はスツルモビーク攻撃機が戦線を支えており。スターリン自ら「ソ連はこの飛行機を空気のように必要としているのだ。増産できなかったらどうなるかわかるな?」と設計生産の関係者を恐喝して、3万6千機という恐ろしい生産数を達成してはいた。

しかし、スツルモビークは、正面下方からの地上砲火に対しては金庫もびっくりの耐久力を発揮したが、後ろから襲い掛かるドイツ戦闘機には意外にもろく。バタバタと落とされていた。

そのスツルモビークを援護するうえで、P39が奇跡の大活躍をしたのである。

なぜか?

その①:戦闘高度が低かった。スツルモビークは地表すれすれに飛んで戦車だの歩兵だのを吹き飛ばしていた。それを襲うドイツ戦闘機もいきおい低高度となり。これをやっつけるP39にとって、この高さなら排気タービン過給機いらないよね、という都合の良い状況だった。

https://ja.topwar.ru/240809-kak-pravilno-prigotovit-shedevr.html

 

 

その➁:高高度からのエネルギー戦が可能だった。あれ、その①と矛盾してね?確かにヤクだのミグだのは地表近くの水平旋回戦で何とか低高度の苦手なメッサーシュミットと戦っていたが、戦闘機同士で急上昇とかすれば、高度5千メートルくらいまでは戦闘高度に入るのである。というか、P39はへんな大口径砲を積んで重くなってしまったため、その重さを逆に利用して、かえって「高空」つまり高度4千だの5千だので待ち伏せし、スツルモビークを襲おうとしたドイツ機を急降下で一気に37ミリ砲の2連射、3連射で木っ端みじんに破壊した上でまたぎゅーんと上昇して立ち去る、という戦法がとれるようになった。

機体の半分は木製にしてとにかく軽く作ったソ連製戦闘機では、なかなかこういった「斧を投げ落とすような」加速はできないし、できても空中分解してしまうらしい。

さらには、ロシア人らしからぬクレバーな戦術として、翼内機銃は外して機体の軽快性を高めたうえでし、残した機首上面の12.7ミリとプロペラ軸を通して発射される37ミリの「同時攻撃」が爆発的な破壊力を発揮した。

機首の37ミリ機関砲

Żądło w nosie Airacobry

 

 

機関砲の下をエンジンシャフトが通り、減速機でプロペラ軸につないでいた

Żądło w nosie Airacobry

 

 

これは、上記の通り逆落としに急降下してドイツ機を狙うとき、敵のほうでも察知して逃げようとするところ、12.7ミリで敵をけん制する。これを避けようとして大きく翼をさらした瞬間に、37ミリが一発でも当たればそのまま敵は空中分解して飛散する、というもの。

これは、なんと二刀流剣道のやりかた、すなわち、小太刀で相手を抑え込んで、居ついた(隙ができた)瞬間に大刀で打っている、というのと同じなのである。

ジェミニくんによれば「ソ連のP-39パイロットは、現代の格闘ゲームのような乱射ではなく、極限まで近づいて、1秒弱の短い連射(2〜3発)を、急所に叩き込むという非常にストイックな戦い方をしていました。」

そして射撃の手法は「1秒以下の指切り」すなわち 「トリガーを「トントン」と一瞬だけ引くイメージです。これで2〜3発が発射されます。(ジェミニ)」で、さらには「敵機の風防のネジが見えるまで近づいてから撃て(ジェミニ)」すなわち50メートルくらいまで近づいてから、という、これは零戦パイロットをほうふつとさせるやり方だった。

二刀流上下太刀。小太刀でけん制して、大太刀できめます。

 

 

あと、ソ連製戦闘機になかった重要な利点として、優秀な無線装置を積んでいたこと。このため編隊空戦とまでいかなくても味方パイロット同士の通信が円滑にできて、やれ「振り子(マヤートニク / Mayatnik)」戦法だのやれ「棚(エタジェールカ)」戦法だの、多層的に多数の見方機が協力し、敵に対して多方向から不断の圧力をかけることができ。「ドイツ空軍の熟練パイロットですら、どこから次が来るか分からないというパニックに陥った(ジェミニ)」

ソ連のエースパイロットを多数輩出したP39。フィンランドのバッファローと同様、適材適所で画期的な成果を上げた好例と思います。

 

ではでは

 

 

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時代を先取りした川崎航空機

これまで日本機、だけじゃなくF6Fとかも、ほめるつもりで書いても結果としてディスリまくってしまっていたのですが、ようやく素直にほめることのできる戦闘機の系譜を見つけることができたので、安堵しながら投稿します。

さて、飛行機が戦争の趨勢に影響するようになった第一次大戦以降、各国は戦闘機の開発に血道をあげるようになり。エンジンの開発競争が激化しました。

その過程で、航空エンジンは2つの種類に大きく枝分かれすることになり。一つが「空冷エンジン」もう一つが「液冷エンジン」です。

みなさんごぞんじのとおりでそれぞれ長短あり。しかし、飛行機の性能を素直に追い求めると、簡単に液冷に軍配が上がるのでした。

その理由は「スピードを出すのに適しているから」

シュナイダー杯とかの競争機はみんな液冷。ジービーとかP35は空冷のくせに競争機でがんばったが、当時のド田舎アメリカでは、競争相手がどん亀の複葉機なので何とかなった。

Bf109は、ジービーに比べ著しく前面投影面積が小さいことがわかります。
 

 

要するに、シリンダーを直列、V型、倒立Vとたてながに並べることができるので、空気抵抗の元凶となる前方投影面積を著しく減らすことができるのである。

Bf109なんてプロペラスピナーに隠れるくらいの胴体断面で、パイロットは押しつぶされそうになるが空気抵抗は消し去ることができ。空冷の場合は、星形にするしかないので、栄だのツインワスプだの、むりやりに複列にして直径を絞ることはしたが、それでも軸線に大きな丸い盾をかざしているような残念な断面になってしまった。

液冷は、ラジエターさえあれば冷却は何とかなったので、空冷ほどぶっとくならないで済んだのである。

ただ、P40 みたいに、いろいろあって、まるで顎が外れたネズミみたいになり、空冷もびっくり、液冷台無しになってしまったのもあるが、P51を頂点にうまくラジエターを配置して空気抵抗を減らした。Bf109はちょっとやりすぎだけど。

P40。ネズミではなくトラだそうです https://www.jollyrogers1942.com/fighters.html
 

 

液冷という方式がいかにエンジンの作動効率をよくするか。スピットやP51の液冷エンジン(1500馬力くらい)は、P47の排気タービン付き空冷エンジン(2000馬力級)と同等以上の性能を発揮し、Bf109のDB601系とともに最高の座を今日まで争っているのである。

読売ジャイアンツ強さのひみつ、じゃなかった液冷エンジン強さのひみつはどこにあるかというと

「精密精緻に、最高の精度で作れるから」

つまりすべての資材を最高の効率で凝縮できるからである。

よくわからない人に説明します。

典型的な空冷エンジンに、フォルクスワーゲン1300があります。

世界の名車かぶと虫と、そのエンジン
 

 

飛行機じゃないじゃん!特性は同じです。

戦時中は、このエンジンをのっけたキューベルワーゲンが、ロシアの極寒からアフリカの極暑まで元気いっぱい走り回り。

これが何を意味するのかというと、みなさん江の島では海パンいっちょうですが、襟裳岬にいくときはペンギンみたいに着込みますよね。

ワーゲンのエンジンは、海パンもペンギンもへったくれもなく、うだる真夏も凍てつく冬も吹き曝しで通さなければならず。

つまり、零下何度でシリンダーカバーが縮み上がろうが、40度の酷暑でシリンダーヘッドが膨張しようが、ともかく動いてくれる不死身さが必要なのである。

液冷エンジンの精密さとは真逆の世界なのです。

オイル漏れしようが圧縮ガスが漏れようがやけくそのように回ってくれなければ困る。そのため、十分な余裕のある、言い換えれば粗雑そのものの作りにならざるを得ない。

液冷はなんで精密にできるの?こちらは温度差による膨張だの萎縮だのをラジエターのほうで引き受け、エンジンはいつも同じ温度で動くようにすることができるからである。

結論として、性能そのものでは液冷。ただ、戦争道具としての不死身さでは空冷も侮りがたいので、太平洋戦線など洋上を狂った長距離で飛ぶなんて場面では空冷で通した(液冷戦闘機も多数投入したけど)。

液冷はサラブレッド、空冷は馬車馬みたいな感じと思えば間違いないと思います。

大戦間の格闘戦主体の時代は空冷が多く、スピードが命になってくると液冷が多くなっていった。I16が分水嶺かもしれん。

世界の趨勢として、最高の性能を目指せば、おのずと液冷となることは避けがたかった。

その趨勢を素直に受け止める先見の明があったのが川崎航空機。

95式戦闘機ではBMW、後の飛燕ではダイムラーベンツをお手本にがんばった。

95式戦闘機 https://www.webmodelers.com/201312kyugosikisen.html
 

 

95式戦闘機は十分に成功していて、日中戦争における同世代の中国側戦闘機(I15,カーチスホークIIIなど)には優勢を保った。

たしか、「空の戦友よ 雲よ 別れよ」という本だったと思います(まちがっていたらごめんなさい)が、95戦で空中戦をしていた折、オーバーヒートして基地に避難したが、着陸後、エンジンには何も異常がなく、ラジエター開口部を閉じたままだったことに気づき。全開にしてまた飛び上がり戦闘に復帰した、みたいな記載を記憶しています。

ホークIII。日本機と互角に格闘した。
https://d2ev13g7cze5ka.cloudfront.net/sph/sph72223_0.jpg?v=
 

 

当時の空中戦は基地のすぐ近くだった、という驚きもありますが、空気取り入れ口のシャッターを閉め忘れ、オーバーヒートしてもちょっと冷やせばまた離陸して空中戦できた、という当時の川崎液冷エンジンの頑強さに驚くのです。

少なくともこの当時の日本製液冷エンジンは十分に稼働できていたのですね。

しかし、技術革新は著しく。95戦も新型戦闘機に交替し。

新型戦闘機は、川崎や中島の競争となった。

川崎は低翼単葉、方持式固定脚のキ28、中島も低翼単葉、方持式固定脚のキ27を提示。

キ28 https://www.klueser.de/kit.php?index=1341&language=en
 

 

両方ともおなじじゃん?川崎は液冷、中島は空冷でした。ははは

スピードは川崎が時速485キロ、中島が470キロ。

でも中島は複葉機も驚く格闘性能を見せて、試験官を魅了しました。

中島が97式戦闘機として正式採用になった。

中島の97戦は、確かに超絶前後すなわち後にも先にもこれ以上ない世界最高の軽戦闘機であり。

すなおに一撃離脱への進展を見越して設計していた川崎は見事に肩透かしを食らわされたのでした。ははは

たしかに中島97戦の空冷エンジンは「百姓エンジン」といわれるくらい粗野な扱いに耐え。この辺で、日本は早くも液冷が要求する緻密な整備体制を整えられなくなりはじめていたのです。

しかし、ノモンハン事件では、97戦がI16に追いつけずに逃げられるという事態が多発し。95戦の当時から飛んでいたI16に最新鋭の97戦がついていけない、というショッキングな事態に陸軍は大いに慌て。I16よりも早いけど、97戦と同等の格闘性能を持った飛行機を作れー!と各社に命令した。

97戦(左)とI16(右) https://ameblo.jp/roy-horryhousen/image-12813137791-15315527349.html
 

 

できるわけがないのはわかりきっていた。中島は無理に作ろうとして、一式戦闘機は、スピードも格闘もダメじゃん、みたいな悲惨なことになってしまい。それでも無理やり両立させようとして激やせみたいに軽量化したら、今度は機体強度が足りなくなって空中分解を起こすとか、正式採用されるまで大変なことになった、というのはマニアの皆さんご存じと思います。

この点、キ28で速度性能の追及には先行していた川崎は、陸軍の無理を聞き分けながらも世界に通用する戦闘機を。。。。ということで開発に挑んだ。

その理念が「中戦」

◎重戦闘機のように高速で重火力を持つ

◎軽戦闘機のように軽快に格闘戦を行う

という、言わば「良いとこ取り」を目指した

できるわけないじゃん。中島の二の舞じゃね?

そこが土井技師の先見の明だったのですねー格闘戦というと、いかに小さい旋回半径で敵の後ろに回り込むかなのですが、土井さんは「旋回半径が大きくなっても、その分速く飛ぶことができれば、相手の懐にもぐりこめるぞ」ということを目指した。

この結果

日本人パイロットの慣れた格闘戦に対応できるよう、ある程度の運動性(旋回性)を確保する。
 欧米機と同じ液冷エンジンを採用し、日本機には不足していた高速性と高高度性能を実現し、一撃離脱戦法を可能にする。

この両立に、見事成功したのだった。

実態は97戦や一式戦よりはとろいが欧米の戦闘機に比べれば敏捷であり、かつ二式戦よりは遅いにしても欧米戦闘機と引けを取らないスピード、というかんじになり。結果として、いいとこどりに成功したのである。

恐るべき傑作機。その名は?

「三式戦飛燕」

と、ここまで書いたら3000字を越えてしまいました。

なあんだいいところなのに!ごめんなさい次回に続きます。

飛燕 https://www.webmodelers.com/201601aaii.html
 

 

 

 

ではでは。。。。

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誰が雷電をそうさせたか

https://www.tamiya.com/japan/products/61018/index.html
 

 

第一次世界大戦で、飛行機に機関銃を載せて人を撃ち56すという行いを覚えた人類は、武器としての飛行機を開発強化することに血道をあげるようになりました。

まずはプロペラ同調装置が生まれ。それまで横だの後ろだのにしか発射できなかった機銃を機軸そのものに合わせた前方にぶっぱなすことができるようになり、命中率が飛躍的に向上した。

その当時の空中戦はどんなかというと、同高度でだいたい5キロくらい先か?互いにゴマ粒みたいな敵編隊を発見し。

ぶんぶん、おんおんおん、なんてエンジン音は勇ましいけれど、なんかまどろっこしい時間が過ぎてゆっくりと彼我が近づき(30秒くらいらしい)。

ついにはびゅーんと通り過ぎざまに正面射撃、反転して敵機の尻に食いつく、という感じになった。

このあとは、すばしこく敵の尻に食いついて、敵の反撃できない後ろからどれだけ機関銃弾をばらまけるかというのが勝負になった。

これを「ドッグファイト」というのです。

第一次大戦時の複葉戦闘機は、こうした曲技飛行みたいな絡み合いに最も適した形態に進化していました。


 

 

 

一方、いつもこそくな手段で荒稼ぎする奴が現れ。

リヒトホーヘンという、ドイツ丸出しの名前を持つおっさんは、敵を発見したら、上記のように正々堂々と同高度で近づいていくのはやめて、雲の中に隠れて太陽のほうへ移動していき。

敵編隊と太陽の間、上空から降りかかるように急降下すれば、太陽の光で敵は目つぶしを食ってしまい。

この第一撃で相当の撃墜数を稼いだらしい。

もちろん、その後はやっぱり彼我入り乱れてのドッグファイトになり、ここでも操縦がうまかったので撃墜王になった。

ここでドイツ人はある学びを得たのだった。

「敵より速くて、上昇できる飛行機を作れば勝てる」

でも戦争はドイツ敗戦で終わり。空軍や航空産業を蹂躙されてしまった。

勝ったほうのイタリアや日本はドッグファイトにこだわり、じっさい97戦は世界最高の軽戦闘機になりました。

というか、30年代までは、格闘戦に強くないと確かに勝てなかったのである。

なぜかというと「戦闘機の性能が絶望的にとろかったから」

敵を発見しても、互いにのこのこのろのろ近づいていき、相手の顔が見えるじゃん、くらいまで近づいて初めて戦闘開始できた。

その後は、乗り手の判断力で雲に隠れるだの太陽を背にするだのいかようにも飛行機を操り、実は飛行機の性能差よりもパイロットの能力のほうが隔絶して重要だったのである。

P36と零戦が空中戦になったとして、実態として両者ともに同じような高度、同じようなスピードでの格闘戦になり。確かに零戦は強いけれど、それより零戦乗りの神業のほうが勝負を決定していた。

アメリカ戦闘機のわりに格闘戦重視のP36
https://moraisvinna.blogspot.com/2011/05/22-de-maio-de-1942-14-horas-b-25.html
 

 

これがP47と零戦だったらどうなるか。零戦に後ろを取られたP47は、ぐわーんと高度1万メートルまで逃げていってしまい。8000メートルくらいか?零戦はエンジンが息切れして振り切られ、パイロット以前に、ここで物理的に勝負なしで終わってしまうのだった。

つまり、上記の「ドイツ人のまなび」とは、「とにかくパワーがある飛行機を作れば戦争は勝てる。飛行機という機械のパワーがパイロットの能力を凌駕する日が必ず来る」ということだったのである。小学生みたいだけど。

これを一番効率よく体現したのがアメリカ。

ライト2800とかいう2500馬力のエンジンを作り。P47などに乗せて、ほかの国では上がれない高高度にいっさんに上ってゆき、下でまごまごしている敵を急降下でたたき潰すということが可能になった。

「動けるデブ」P47 パブリックドメイン
 

 

日本人も頑張った。でも、実用化できたのは「火星」とかブリストルちっくな名前をもった、模造品ではないけれど、1800馬力がいっぱいいっぱいだった。

2500馬力とは、どうがんばっても張り合えないのである。

といって1000馬力の零戦による格闘戦法ではすでに先は見えていた。

どうしよう。。。。。

例によって、日本人の得意技である「機体空力で何とかエンジンの出力差を埋める」ことになった。

こうして「丸っこい雷電」が生まれたのである。

ぼくは個人的には、あの「肥えすぎたサツマイモ」みたいなスタイルが大好きなのですが、しかし、あのスタイルが生まれたのには、一撃離脱の高性能戦闘機に必須の超大馬力エンジンが作れなかったという絶望的な事情が隠れていたのです。

空気抵抗を小さくするには、流線型にする必要があり。

しかし、零戦とか隼みたいな「ただの流線型」では、低馬力の日本エンジンでアメリカには勝てない。

そこで、当時の日本の技術を結集して、最も空気抵抗の低くなる流線型とは何か、を追求したら「肥えすぎたサツマイモ」じゃなかった「紡錘形」に行きついたのであった。

実際、一式陸攻みたいに、ぶっとい葉巻型の機体にすることで、複葉機とかでは最適化に成功していたらしい。

戦闘機でやったらどうなる?その回答が「雷電」だった。

紡錘形ということは、機首周りは絞られていて、サツマイモというよりラグビーボールのほうがいいか、みたいな感じの機体になり、その中心ちょっと前くらいが最も太くなるようにデザインする必要があり。

直径のでかい火星エンジンではとても機首というわけにはいかず、機首から70センチくらい後ろにずらして設置するしかなくなった。

機首が絞られて空気取り入れ口も小さくなったので、70センチのすきまに空冷ファンを噛ませて強制冷却することになった。

そんな変なことをしたので、エンジンの回転をプロペラに伝える過程で恐ろしい振動が発生し、実戦配備後も結局100%解決しきれなかった。

強制冷却ファン
https://static.mercdn.net/item/detail/orig/photos/m22518049330_13.jpg?1743285241
 

 

冷却ファンのカウリング
 

 

1/32 飛行機 Stシリーズ 三菱 J2M3 局地戦闘機 雷電 21型 ハセガワ (Hasegawa)
 

 

P39の場合、プロペラシャフトがパイロット後方から延々と機首に延び、その上を機関銃が鎮座していたのにくらべ、雷電は70センチ程度じゃん全然大丈夫、とはいかなかったらしい。

P39 https://www.globalsecurity.org/military/systems/aircraft/images/p-39-image01.jpg
 

 

プロペラシャフトの技術というより、日本の場合、2000馬力級のエンジンにおけるダイナミックバランサー(ピストン回転による慣性の打ち消し装置)が貧弱だったという情報もある。

要するに、日本の技術力では限界を超えてしまっていた。

それでもがんばって、なんとか実戦配備までこぎつけ。対戦闘機戦闘よりもB29をやっつけるうえで活躍した(戦闘機相手でも強かったけど)。

紡錘形の機体が、どれほど雷電のスピード向上に役立ったか?

実は「大して役に立っていなかった」そうです。

ははは

当たり前ながら、雷電には機首に大きなプロペラがついています。

このプロペラが作り出す強力な後流や、プロペラブレードの回転によって生じる複雑な乱流が、胴体前部や主翼の付け根付近の気流めちゃくちゃかきまわし。

紡錘形胴体が単独で飛行する場合には空気抵抗が低いですが、プロペラ後流内の高速でねじれた気流の中では、設計者が意図したような低抵抗の流線形としての効果が十分に発揮されなかったのだった。

あと、彩雲偵察機みたいに、エンジン直径が胴体の最大直径だ!みたいにいさぎのよい割り切りができず、グラマンみたいなぶっとい胴体になってしまったため、そのぶん「機体容積」が増えてしまい。増えた分だけ重量もかさんだりして、要すれば「容積効率」が悪くなってしまったそうである。

彩雲偵察機 http://www.nags-gallery.com/gallery/C6N1.htm
 

 

じゃあどうやってB29を迎撃できたの?単純に火星エンジンの性能が可能にしたから、です。ははは

大馬力エンジンの威力は爆発的で、離陸から一瞬のうちにB29のいる高度まで駆け上がっていき(実はB29も中低高度爆撃に切り替えていたけど)、それこそ雷電のような一撃を食わして、あっという間に急降下で消えていく、みたいな、胸のすくような一撃離脱だったそうです。

もし雷電にR2800が装備できたら、どんなバケモノ戦闘機になっていたか。おっとタービン過給機も必要になり、格闘性能が低下してしまったことでしょう。あれ?

実は、意識的かどうかは別として、紡錘形とは逆のアプローチで成功した名機もあり。

でも、3000字を超えたので今回は終わりにします。

ではでは。。。。

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こんな飛行機に乗っています②

以前、ぼくの乗っている「RANS COYOTE(以下こよーて)」と、世界の名機スーパーカブを比較した記事を書きました。

でも、その記事のそこかしこに「セスナみたい」なんて言葉が入ってしまい。

軽飛行機については、セスナを除外しては語れないという恐るべき事実が明示されてしまったのでした。

前回はパイパーという玄人好みの軽飛行機が主人公だったので、セスナは無理やりかたすみに追いやっていましたが、今回は直球勝負でセスナとコヨーテを比較するのでした。

セスナといえば「どんな素人でも安心の安全な飛行機」

スーパーカブみたいに、乗り方を知らないと失速だ!(立て直せるけど)というのとはある種対極の、空を飛ぶってなに?を手とり足とり教えくれる親切なおばさん先生なのでした。

名画「トラ、トラ、トラ」に登場するおばさん飛行教官。ちなみに飛行機はステアマン
https://www.youtube.com/watch?v=jQCz97PyzT8
 

 

 

ここでは一番ベーシックなセスナ150(152もいっしょ)と比較します。

こよーて(上)とセスナ150(下)https://skrzydla.org/photo-Reims-Cessna-F150L-199328
 

 

ぼくはこよーてのことはまあ知っているつもりですが、セスナ150については。。。なので、例によってジェミニくんに聞いてみました。

 

質問:セスナ150の飛行特性とRANS Super coyote(ES Wing)の飛行特性はどの程度違うでしょうか

 

回答(下線部分が回答そのもの。その下におもしろ解説です):

操縦感覚と安定性(Handling & Stability)

セスナ150: 重量があり、慣性が大きく、非常に安定した飛行特性を持ちます。これは練習機としての役割を果たすため、穏やかで予測しやすい挙動を示し、外部の乱れ(乱気流など)に対する抵抗力があります。
RANS Supercoyote: 構造が非常に軽量であるため、操縦が軽快で応答性が高いです。コントロール入力に対する反応が速く、セカンダリーコントロール(ラダーなど)をより積極的に使用する必要があります。また、乱気流の影響をセスナ150よりも受けやすい傾向があります。Supercoyoteの操縦特性は、パイパーJ-3カブなどのより伝統的な軽飛行機に似ていると言われます。

おっと早速カブが引用にでてきましたねーここでは「J3」という、スーパーカブの一代前の軽飛行機が出てきました。

「J3カブ」https://wsaircraft.com/wp-content/uploads/2022/04/Piper-3.webp
と「スーパーカブ」https://aerocorner.com/wp-content/uploads/2020/08/Piper-PA-18-150-Super-Cub-G-HACK.jpg
いずれもパイパー社の名機です。
 

 

コヨーテ乗りとしては、こよーてがJ3に似ている、なんて言われたら、これ以上ない光栄で、感涙ですけど。うるうる。。。

しかし、セスナの話をしようとしたらカブの引用が出てくるし、カブの話をしたら「セスナに比べて。。。」と出てくるし、こまったものだ。

気を取り直して続けます。

 

「重量があり、慣性が大きく」については、ジェミニ大げさすぎと思います。747(や二式大艇)じゃあるまいし、慣性もへったくれもないんじゃ?コヨーテが敏感すぎる、というあくまで比較なのかもしれん。

 

なかなか面白い記載に次のがあり

セスナ152: オールメタルのリベット構造は、しっかりとした感触と高い耐久性をもたらします。
RANS Supercoyote: 金属骨格に布張りという軽量構造は、より「柔らかい」「繊細な」操縦感覚をもたらします。翼が非常に柔軟に働くため、滑空性能(パワーオフでの飛行効率)が良く、セスナとは異なりグライダーに近い感覚で飛行できる側面もあります。

翼が柔軟に動く、はほめ言葉でしょうが、操縦する側からいえば、乱気流で翼の先端がぶにぶに曲がるのを見るのはいい気持ちがしないのであった。鋼管の飛行機なので、しなることで耐性を持たせているのだろうけど。

 

 

なぜ翼がほにゃらら(柔軟に動く)だとグライダーに近い感覚になるのか?ジェミニに更問してみました。

答えは

操縦の「繊細さ」と一体感: 軽量で柔軟な構造は、機体の動きが周囲の気流の変化により敏感に反応することを意味します。パイロットは、硬い機体よりも機体の微細な動き(揺れ、しなり)を通じて気流の状態を肌で感じるようになり、グライダーパイロットが持つような、機体と気流との一体感を覚える側面があります。
これらの特性から、Supercoyoteは一般的な動力機とグライダーの中間的な性格を持つ、非常にユニークなフライト体験を提供すると言えます。

へえええー!なんかこよーて褒められすぎか?ありがとうジェミニ。

でも、コヨーテは決して滑空比のいい飛行機とは思いません。エンジンオフにすればすとんと落ちてじゃなかった降りてくれるし、フルスロットルだ!にすればこれまたぎゅーんと上昇してくれるというとても楽しい飛行機と思っています。

 

とくると、上昇力はどうよ、となり。

RANS Supercoyote (S-6) は、セスナ150と同等またはそれ以下のエンジン出力でありながら、約30〜50%高い上昇率(約1,000 fpm 対 約670-770 fpm)を発揮することが期待されます。

ただし、セスナ150は実運用下(古い機体、熱い日、高地、最大積載時)では、カタログ値の600〜800 fpmではなく200〜300 fpm程度まで大幅に性能が低下する可能性が指摘されています。

これは、コヨーテの上昇力が並外れているということである。

一方、コヨーテに慣れていてセスナ150に乗ったら、着陸経路で下降気流にあおられて、うあああーエンジン全開だ!の場面でも、ぜんぜん上がってくれずに怖い思いをするかも?

 

 

設計と用途(Design & Purpose)

セスナ150: 金属製のセミモノコック構造で、飛行訓練や個人旅行用に設計された耐久性の高い機体です。
RANS Supercoyote: 鋼管(コックピット周り)とアルミ管フレームに布(ダクロン)を貼った構造で、軽量化が徹底されています。これはレクリエーション飛行やスポーツ飛行、そして不整地や短い場所からの運用を主な目的としています。

たしかに、こよーてのほうが「やぶれかぶれ」で、必要あらば不整地にも着陸は辞さないですが、ろくなショックアブソーバーもないこよーてなので、ぼくは土まるだしの滑走路には極力降りないようにしています。

あと、滑走路はアスファルトでも、誘導路は未舗装なんてのもあり。なるべくゆっくり走行しますが、ペラから巻き上げた砂塵がエンジンを削っていくのかと思うと、滑走路のオーナーをぶん殴りたくなるのでした。なんて無断で降りるほうが悪いけど。

滑走路は立派なアスファルトなのに、タクシーウエイはどろんこの例。しかものら馬がいやがり、こまったケース。詳細はこちら→西部劇

 

 

セスナとこよーての重量を比較してみます(今回は離陸重量)。

セスナ:726キロ

こよーて:422キロ

重量差:1.83倍

 

おおお、やっぱりというか、重さはセスナ>カブ>こよーてですねえ。

ちなみに、カブとの比較記事でも書いたけど

グラマンF6F:5,704キロ

零戦:2,733キロ

重量差:2.08倍

と、なんと零戦とグラマンにちかい差があったのだった。

https://aerocorner.com/wp-content/uploads/2020/06/Cessna-150-G-AWPU-1000×500.jpg
 

 

確かに、地方空港に降りて、駐機しているセスナ150の隣にコヨーテを止めると、外装の差が歴然なのですよね。ドアも肉厚で金庫みたいだし、機体全体も堅牢なリベットが整然と並んでおり。大きさはほとんど同じなのに、とにかく作りがしっかりしていて、その差がそのまま重さの差になっていると思われます。ちなみに、カブはコヨーテと同じ鋼管布張りの貧乏くさい機体ですが、鋼管の肉厚が違い、やはり頑丈ではあるがその分重くなった。

https://i0.wp.com/oncenterline.net/wp-content/uploads/2023/03/Cessna-150-N60553-16.jpg?fit=1440%2C960&ssl=1?v=1679848855
セスナ150のドア。
 

 

コヨーテのドア。FRPの一枚板を出来損ないの棒みたいなタブでロックしているのだった。
 

 

最後に、ジェミニも見落とす、カタログスペックに出てこない重要なポイントについて。

RANS(こよーて)が優れた短距離離着陸(STOL)性能と低速での優れたハンドリングを持つことを意味し、短い滑走路での運用が可能です。

とのお言葉ですが、それは無風状態においてなら、という但し書きが必要です。

上で出てきた重量差もあり、着陸経路におけるランプ(着陸角、進路)の維持については、セスナのほうが著しく安定しているのである(鬼教官など皆が口をそろえて証言しています)。こよーてのようなへなちょこでは、やれ横風にあおられた、やれ急な上昇気流で持ち上げられたとかでもみくちゃにされ。一向に着地できないうちに滑走路の真ん中まできちゃった!なんてケースも発生するのです。着地しちゃえばすぐ止まるけど。

こうゆう、パイロットにとって一番困難で危険な場面である着陸のときに安定しているという、魔法のような飛行機がセスナであり、これがセスナを軽飛行機の代名詞たらしめるクオリティなのだと思います。

みなさんが軽飛行機の購入を考えた時の何かのご参考になれば幸いです。

こよーてでの着陸。(自撮りなので、動画では反転しちゃってます。ご了承おねがいします。)

 

ではでは

Posted by 猫機長
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「ふて猫」F6Fのお話

こないだ、だれからもちやほやされるP47に比べて、いかにF6Fがディスられているかについて書きました→過給機

F6F(左)とP47(右)https://www.youtube.com/watch?v=Ydf0-QadMlY
 

 

かわいそうなF6F。

F6Fをクズ呼ばわりしてしまうと、零戦なんてそれこそ救いようのないクズになってしまうので、なんとかF6Fをほめたたえるという困難なミッションですが挑んでみます。

さて。

グラマン社は、F6F以前に、FF、F2F、F3F、F4F。後継機としてF8Fを生み出しています。

特にF4Fワイルドキャット、F6Fヘルキャット、F8Fベアキャットの「猫シリーズ」は有名。

グラマンの方向性を決定づけたのにF3Fがあります。

その名も「フライングバレル」。空飛ぶ樽なのでした。ははは

F3F https://www.simpleplanes.com/a/yO55lo/Grumman-F3F-2
 

 

でかいタイヤが機体に埋め込まれてるじゃん?

はい。このタイヤがにゅーんと伸びてメインギアになるのでした。

競合機のシーグラジエーターとCR42は、いずれも固定脚のままです。

グラジエーター https://www.eduard.com/jp
 

 

CR42   https://www.gaetanmarie.com/fiat-cr-42-falco-2/
 

 

CR42 に至っては、キャノピーも開放型で、主脚はスパッツでかっこつけていますが、実態は第1次大戦の複葉機と変わらなかったのでした。ははは

密閉式風防と引っ込み脚はともかくスピードを出したい陸上戦闘機の必須アイテムだが、それらを着艦の衝撃とか、視界の問題で本来は敬遠されるはずの艦上戦闘機にいち早く装備してしまうアメリカ恐るべし。

さらに、グラマンはFF戦闘機の代から全金属製の胴体を導入しており。グラジエーターの布張に比べやはり先進的だった。

といって、性能はどっこいどっこい。F3Fの方がグラジエーターの上位転換ちっくであるが、せいぜい「ちっく」であった。グラジエーターとCR42はいい勝負だったらしい。

当時の戦闘機は、固定脚の開放型風防、布張りの胴体でも十分使用に耐えるレベルだったのである。

なのに、わざわざ完全引っ込み脚、密閉風防に全金属という道楽を実現させてしまったのがアメリカなのであった。

道楽とは無縁なアプローチで頂点に達したのに、日本の95式艦上戦闘機(後の練習機赤とんぼ)があります。

九五式艦上戦闘機
 

 

この辺で、後の日米の明暗を予見することができます。

日本は、当時認知されている範囲で最新の技術をこれ以上ない緻密さで追及し。最高の飛行機を作りました。

アメリカは、緻密なんてどうでもよくて、なんか楽しいイノベーションがあるじゃん!どんどんつぎ込んで面白いの作ってみようよ!というユーモアを持っていたのである。

ただし、将来の大戦争を見据えた恐るべきユーモアだった。

F3Fの初飛行が1935年3月。ご存じ「56しても4なない」重爆撃機B17の初飛行が1935年7月なのです。

これが何を意味しているのか。

布張りに、吹きさらしの風防なんて、超アウエイの果てにいる敵の心臓をヒットする武器には到底ならないということを、この時点ですでに予知していたのである。

B17。現在の旅客機とまがう先進的なスタイルを、複葉戦闘機と同じ時代に実現させていた。https://www.reddit.com/r/Warthunder/comments/q0jprb/boeing_b17cd_variants_could_be_quite_a_good_rank/?tl=pt-br&rdt=37383
 

 

 

飛行機なんて、せいぜい前線のすぐ後ろから飛び立って、前線の塹壕を掃射するとか、その程度の使い方しか見通せなかった時代にあって、後にサイパン島に巨大な滑走路を造成して、直接東京を空襲するという狂った技術発展の素地をF3Fに見ることができます。

日本が、陳腐化していく技術の詳細化に血道をあげている間に、アメリカは将来を決するイノベーション技術を着実に実現させていたのであった。ははは

「フライングバレル」というふざけた胴体形状が、日本では持ちえなかったアメリカの余裕を明示しています。

ふざけたわけではなく、紡錘型胴体といって、先端・後端を絞った、樽で悪ければ葉巻みたいな胴体が空気抵抗低減に役立つと言われていた時代であり、日本でも雷電とかがこうした形状を試みています。

でも実は紡錘型は、単発プロペラ機にはあまり効果がなかったらしい。

余裕の全くない日本の飛行機はどうなったか。その集大成が「彩雲」に凝縮されています。

彩雲 https://lapd.exblog.jp/26827190/
 

 

エンジン直径ぎりぎりに直線を描き、ソフトに絞り込まれていく胴体。

逆の言い方をすれば、ちょっとでもエンジン直径よりはみ出す胴体だと、たちまち空気抵抗になり性能低下してしまうという悲しい現実があったのだった。

F6Fの胴体はこんなかんじ。ぼっこりもっこり、エンジン直径から上下左右にはみ出しまくりなのだった。

https://jacksonvjunsan.com/wp-content/uploads/2018/11/image5-18-e1542676924555.jpeg
 

 

やっぱりふざけているとしか見えないですよね。。。

でも、アメリカはおおまじめだったのです。「まるく下に突き出した胴体にすれば、不時着水の場合でもボートのように作用してパイロットを守ることができる」

この思想はグラマン戦闘機の姿を特徴づける「ビヤ樽体形」の裏付けとなったのでした。

人道的配慮もないとは言わないが、実は、製造が機体よりはるかに時間がかかる人間という部品をなるべく温存したかったらしい。

アメリカは、空気抵抗でまくりの胴体もユウユウとカバーできる大馬力エンジンを、F3Fの時代からすでに生産していた。

さらに馬力強化して、単葉にしたのがF4F。これは世界でも最高傑作と言える出来栄えになりました。

傑作機F4F  http://www.hasegawa-model.co.jp/product/02240/
 

 

世界最高の出来栄えってなに?についてはこちら→かわいそうな零戦

そのうち、首尾よく日本が真珠湾を攻撃してくれ。

アメリカ悲願の「被害者としての参戦」が実現し、F4Fと零戦の空戦が起きるようになりました。

零戦の運動性能に驚くアメリカ。

まるで防弾装置を捨て去さったかのような身軽さがある、ナイスな飛行機じゃないか!

驚きはしたが、別に慌てるでもなく。

とりあえず巴戦は避け、急降下、急上昇で避難しましょう、と前線のパイロットに通達しておいて、F6Fへの転換を始めました。

零戦がP39 だのP40だのといった陸上戦闘機をやっつけたのは驚きながら、やっつけ方は艦上戦闘機得意の格闘戦であり。

中低高度の巴戦なら、F4Fの本分である。

イタリア戦闘機よりも馬力がある日本の戦闘機は、F4Fよりも機動力は高かった一方、F4Fは後ろを取られてハチの巣、になってもなかなか落ちないといううれしいサプライズもあり。

たまにF4Fが零戦の後ろを取ったときは、なんとか当たった!とたんにオレンジ色の火を噴いて墜落していくというさらにうれしいサプライズもあり。

F4Fの防御力は維持したまま、もうちっと機動力があればユウユウ勝てるぞ、ということが見えてきたのである。

開戦この方、日本人の飛行機はなんか違うぞ?ということにアメリカは気づいた。

米英やドイツが「より早く、より高く」を指向して、高度優位から下方の敵を叩き落す、というのを目指していたのに比べ、日本人はくるくる回る格闘性能にばかり気を取られており。

考えてみてください。

みなさんが小学生だった頃、通学路に恐ろしい野良犬がおり。パチンコで撃退しようとしたことがなかったでしょうか。

その犬は、実は小高い丘の金持ちの家の飼い犬で、鎖を食い破って野良化しているしょうがないやつだった。

有害鳥獣を追い払う おどしパチンコ
https://www.technet-pro.com/search/item.html?n=001116

 

 

あなたは、丘の下から懸命にパチンコを打ちかけるのですが、下から上に打ちかけても、しょんべん玉で、犬のはるか前に落ちてしまうのだった。

これが逆だったら。。。

上から下への重力エネルギーで、パチンコ玉は見事犬の足元の地面ににびしっ!と当たり。「ぎゃぎゃぎゃ、きゃいーん!」と「野良犬」が驚いて逃げ去った通学路を、ユウユウと歩いていけるでしょう。

日本人は、こうした高低差のエネルギーなんて構わず、中低高度の格闘戦にばかりこだわっていたのである。

航空戦の基本のキを知らないクズどもなのだろうか?

といって、ショーカクだのヤマトだのを沈めるためには、水面近くのゼロファイターをやっつける必要がある。

そのためにP51というのでは、にがてな低空度での格闘でよろしくない。

といって、ジャップのお相手をするためにしかならない、基本を外れた外道の戦闘機なんてわざわざ作る意味があるのか?クズの証明みたいな飛行機になっちゃうじゃん。

戦争に勝つため、クズでいいから作ることになった。

そのクズがF6Fだったということである。

高空にも上がれないし、スピードも出ない。お前本当に戦闘機か?クズ野郎!

クズ野郎F6F  https://www.aereo.jor.br/2022/07/06/o-lendario-caca-grumman-f6f-hellcat/
 

 

でも、F4Fの倍ある2000馬力のエンジンで、F4Fも驚くタフさを備えながらも、日本機と同じくらいくるくる回るようになり。

日本機を圧倒しました。

いわく「F6Fが参戦した日からアメリカの勝利が始まった」

でも、日本が滅亡した時点でF6Fも用なしになってしまい。

大量廃棄(と言わなければ配備を外れた)という悲しい結末になってしまったのでした。

結局最後までF6Fをほめることができませんでした。ちーん

ウルグアイ海軍のF6F https://web.facebook.com/399877246768865/photos/los-grumman-f6f-5-y-su-historia-en-la-aviaci%C3%B3n-naval-uruguayalos-gatos-infernale/1827848430638399/?_rdc=1&_rdr#
 

 

ではでは

Posted by 猫機長
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こんな飛行機に乗っています

どんな飛行機に乗っているの?とよく聞かれます。

小さなLSAに乗っています。と答えるのですが、みなさんそこで一瞬フリーズします。

LSAってなに?

軽い軽飛行機のことです、と小学生みたいな、でも真実そのものの説明をするのですが、みなさんはいよいよ、(・◇・)????となるのでした。

というわけで、軽い軽飛行機ってなに?ということの説明を試みます。

例えば零戦はこんな飛行機です、と説明するのにグラマンと比べると説明しやすいように、なんか僕の乗っている「RANS COYOTE(以下こよーて)」と比較するいい飛行機がないかなーと思ったら、ちゃんとありました。

その名も「パイパースーパーカブ」

ともかく、外見だけでもまずは「こよーて」と「スーパーカブ」を比べてみましょう

こよーて(上)とスーパーカブ(下)https://www.airliners.net/photo/Untitled/Piper-PA-18-150-Super-Cub/1112500
 

 

なあんだ、両方ともセスナじゃん。

いやいや、セスナに似ていますが、セスナじゃないんですよ。

こんがらかるので、とりあえずセスナは忘れて、両方ともセスナみたいな高翼のチープな単発プロペラ機、と理解いただければよいと思います。

 

なぜスーパーカブを引き合いに出したか。

ひとこと「世界のだれもが認めるこれ以上ない名機」だからです。レファレンスとなる名機に比べられれば「こよーて」も光栄なり、という意味で、お手本としました。

ちなみに、「名機」の定義は人により異なり。零戦は駄作だがF6Fは最高の名機だ、という人はまさかいないでしょうが、いたとしてもそれはその人の勝手です。

でも、スーパーカブについては、飛行機乗りならだれでも「世界の名機」と称賛を惜しまない飛行機なのです。

飛行機乗りでスーパーカブを名機だといわない人は、はっきり言って自分で何らかの飛行機を操縦して空を飛んだことのない人でしょう。

 

というわけで、比較いってみます

実は、「スーパーカブとこよーてを比べてみい」とGoogleジェミニに聞いた内容ですが、なるほどこよーてについてはなかなかうなづける内容であり、スーパーカブについてもみなさん知らなかった!なんて発見もあるとおもうので、面白おかしく編集しますが以下の通りです。

                                      

 

質問:スーパーカブの飛行特性とRANS Supercoyote(ES Wing)の飛行特性はどの程度違うでしょうか

 

回答(下線部分が回答そのもの。その下におもしろ解説です):

「スーパーカブ(Piper PA-18)とRANS S-6スーパーコヨーテ(ES Wing)の飛行特性は、外見上のカテゴリー(高翼式)は同じですが、機体重量、制御応答性において大きく異なります。

S-6スーパーコヨーテは、PA-18よりも軽量で軽快であり、特に操縦の応答性(ロールレート)が速いのが特徴です。」

へえええー!こよーてのほうが敏捷だった?

 

 

 

機体重量(空虚重量)

スーパーカブ:450キロ

こよーて:270キロ

重量差:1.66倍

 

あれ、どこかで見たぞ?この数字をだいたい10倍にすると。。。。(全備重量)

グラマンF6F:5,704キロ

零戦:2,733キロ

重量差:2.08倍

 

ええええー?、カブってそんなに重かったっけ?零戦とグラマン、まではいかないにしても、それにちかいじゃん?

いかにこよーてが「ひ弱なひょろっ傑」かということが浮き彫りになってしまった。だって、スーパーカブだって「軽い飛行機の代表選手」ですからねえ。。。

コヨーテに乗るのが怖くなってしまいました

 

気を取り直して、制御応答性です。

「スーパーカブ: 構造が頑丈で重く、制御系統が伝統的なため、操縦感覚は重く、ロール(横転)の応答は比較的穏やかです。乱気流の中でも安定しやすく、パイロットの操作に対する許容度が高い(少々「雑」な操作でも破綻しにくい)です。

RANS S-6 (Rotax機): 複合材や軽量な構造材を使用し、エンジンも軽いため、非常に軽快で応答性がクイックです。特にエルロンによるロールレートが速く、空のスポーツカーのような感覚です。しかし、機体が軽いため、乱気流や突風に対してPA-18より敏感に反応し、常に積極的な操縦(”Fly the plane”)が求められます。」

 

「頑丈で重く、制御系統が伝統的」ってなにを言いたいんだジェミニ?

いろいろ更問したら、だいたい以下の通りになった。

◎スーパーカブのほうは、グライダーを引っ張ったりとか力仕事も多いので、こよーてと同じ鋼管布張りでも、鋼管の肉厚が違った。

◎制御系統もケーブル主体で、こよーてがコンロッドを多用しているのに比べ昔ながらの仕様です

ということらしい。

ふむふむ興味深いですねえ。

コヨーテのコンロッド
 

 

いきおい「操縦感覚は重く、ロール(横転)の応答は比較的穏やか」というのは理解でき。

一方「乱気流の中でも安定しやすく、パイロットの操作に対する許容度が高い(少々「雑」な操作でも破綻しにくい)です。」というのはちょっと?

あくまで、こよーてに比べて、ということなんでしょうねえ。だって、確かにコヨーテの倍近い重さがあるにしても、カブみたいな小さな飛行機が「乱気流の中でも安定」なんてありえないですよねー

さらには「許容度が高い(少々「雑」な操作でも破綻しにくい)」に至っては、取りようによってはスーパーカブへの侮辱になりかねないので、ちょっと補足します。

そもそも、カブというのは「決して操縦の優しい飛行機ではない。しかし、三舵のバランスがよくて、ちゃんと操縦ができる奴なら、自分の手足のように動いてくれる。カブで学んだ飛行機乗りは基本がしっかりしている」(高橋淳さんというジェネアビの神によるご意見の受け売り)ことから、許容度とか破綻しにくいとかだとセスナになるとおもいます。

 

おっとまたセスナだ。今回の記事ではセスナは忘れて、ずんずんカブとの比較いきます

「RANS S-6 (Rotax機): 複合材や軽量な構造材を使用し、エンジンも軽いため、非常に軽快で応答性がクイックです。特にエルロンによるロールレートが速く、空のスポーツカーのような感覚です。しかし、機体が軽いため、乱気流や突風に対してPA-18より敏感に反応し、常に積極的な操縦(”Fly the plane”)が求められます。」

どん亀のこよーてを「空のスポーツカー」と言ってくれてありがとうジェミニ!

感動しました。うるうる。。。。

確かに、スーパーカブに比べてもコヨーテは乱気流に弱い、まっすぐ飛んでくれん、というのはわかった。でも、エルロンによるロールレートがいいというのはやっぱりうれしいでつねー一方で、スーパーカブがフォワードスリップで着陸してくるのをみると、戦闘機みたいなキレがあり。やっぱりカブ乗りは神だなーと感心するのでした。

カブのフォワードスリップ

こちらも神着陸→https://www.youtube.com/shorts/0bz7Wt2EfPE

 

 

あと、両者の大きな違いがエンジン。

エンジン以前に、こよーてはエンジンフードが複合材「ガラス繊維」でずるっこ成型しています。スーパーカブのほうはアルミニウム合金。

「スーパーカブ: Lycomingエンジンは低速・高トルクが特徴で、固定ピッチプロペラ(または改造可変ピッチ)と相まって、低速でのパワフルな引きを提供し、STOL時の力強さにつながります。巡航速度は控えめです。

RANS S-6: Rotax 912エンジンは、その軽さから機体のSTOL性能向上に貢献しつつ、スーパーカブに比べて高回転型です。これにより、スーパーカブとほぼ同じか少し速い程度の巡航速度を発揮でき、移動性が向上しています。」

 

このへんはこよーてのほうがメンテがしやすいとの理解。一方、高回転型でエンジンの作動はなめらかですが、プロペラ回転に合わせるために減速歯車を噛ませる必要があり。この歯車がほにゃららになったときに何が起こるかはこちらをご参照→頓死するところでした

 

この記事に書いていなかったところで、カブとこよーての最大の相違点は、カブが尾輪式であること。こよーてのほうは前輪式、尾輪式とあり、ぼくの乗っているのは前輪式ですが、尾輪式に改造しようかな、なんてたくらみも持っています。

 

 

飛行機ごっこから本物のスポーツとしてのフライトへ進化する関門の一つに、尾輪式を乗りこなせるかどうかがあり。でも、カブに比べても安定性がないといわれてしまったこよーて。おとなしく前輪式のままにしといたほうがいいかも。。。

 

ではでは

 

Posted by 猫機長