山火事で生き残る木、ワクチンで生き残る変異株   

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乾季たけなわ。ブラジル高原では降雨のない日が9月12日に連続114日目を記録した地域も生まれ。気温は連日30度を超しており、乾燥と高温が、山火事を頻発させています。


そこかしこから白い煙が吹き上がり、上空で合流しています。

 

パイロット目線から見た山火事は、意外と焼けている面積自体は小さな「点」みたいですが、この煙が立ち上り、乾季特有のダスト(乾燥した塵など)にまじって、視界がめちゃくちゃ悪くなっちゃったぞ、となり。


こんな感じ。乾季の終わりの風物詩ですね

 

この時期は、冬のはずなのにすさまじい暑さとなり。ちょっと上昇した(エンジンスロットルを開けた)だけでラジエター温度がぎゅーんと上がっちゃうので、早めに機首下げ、水平飛行にして、ラジエータに冷気をあてるようにするなど、神経を使います。


油温、水温、エンジンヘッドなどなど、微妙に高くなっています。

写真右端の温度計は30℃に。ほんとか?

 

風防の空気取り入れ口からの風も、上空らしからぬなま暖かさで、ついこないだまで、凍え死ぬ―!という寒さだったのに、自然の移ろいに対して、いかに人間がちっぽけなのか、操縦席で痛感するのでした。

ブラジリアの植生はサバンナですが、アフリカに比べてもうちょっと茂っており。セラード(CerradoあるいはCerradão)と呼ばれています。

 

こんな感じ(出展はICMBIO)


上空から見た山火事は、地上ではこんな感じになるらしい。(pesquisafogo .icmbio.gov.br)


そして、あとにやけぼっくいが残ります。(pesquisafogo .icmbio.gov.br)

 

ただ、ブラジル高原での山火事は、もともと自然の生物多様性のサイクルの一部であり。すべてがすべて「大規模農家の焼き畑だー!自然破壊だー!」というのとは違い。

焼け跡に残っているやけぼっくいのなかで、表面の樹皮は黒焦げだけれど、中はちゃんと元気いっぱい生きている、という木もあり。

山火事前の、いろいろ茂っている状態では、こういう樹種はあまり成長できずに埋もれてしまっているけれど、火事で周りの植生が全滅状態になると、太陽光などを競合する植物がなくなりすくすくと育ち始める。そして、この樹が、こんどは木の実だの枯葉だので、黒焦げの大地に養分を与え。その養分で再び生まれぐんぐん育ってくるもろもろの在来種によって、また青々と茂るセラードに回復、となっています。

上記で、山火事も乾季の風物詩、と書いたのはそうゆう意味です。

従って、「山火事だー環境破壊だー!すぐ消せー!」というのは、かえって環境破壊に寄与してしまう。

問題は、人間の都合で、まだ自然の発火点に達していないところに火をつけてしまうと、上記のサイクルがいびつになって、再生できるものもできなくなってしまうので、焼き畑以前に、たばこのポイ捨てとかそのレベルから気を付ける必要があると考えています。


ブラジリア市内での発火例。こういうのはたいていタバコが原因らしい


市内でもあり、消防車が駆け付け鎮火。

上の写真で、奥のほうに枝が折れ曲がり、くねりくねっている木があるのが見えるでしょうか。

写真ではあんまりうまく写っていませんが、Flickrからもっと典型的なのがあったので拝借。


https://www.flickr.com/photos/cltn/250991937

 

これらの木は、やけぼっくいになったとき、新たな芽が横に生えるために、横に伸びてゆき。そのあと太陽に向かって上に伸びてゆくが、また火事で。。。と繰り返してこのように曲がりくねった感じになるらしい。

山火事で生き残る木。そして森林再生のバトンをつなぐ木。

こういう木をみていると、なんか勇気づけられたりします。

でも、コロナ禍の今日、この「山火事のサイクル」から、「ウイルス株のサイクル」を想起してしまいました。

森林の場合、山火事があって、焼ける樹種、残る樹種が交代してゆき、植生は継続してゆく。

ウイルスの場合、ワクチンが山火事のような働きをし。ワクチンがなければ、ウイルスは世界を覆ってしまうため、焼き畑で雑草を駆除するように、世界各国が団結して、ワクチンで制御を図りました。

もろ人為的な干渉ですが、はっきり言ってそうせざるを得ない事例であると思います。


こないだ第2回接種を受けました。この話は別の記事で。

 

問題は、ワクチンではなく、ワクチンを使用した人間の、その後の行動にあります。この行動のいかんによって、人間たちは、壊滅的な打撃を受けることになるかもしれません。

山火事が大平原の草から灌木、森林を焼き払って広大な焼けあとを作るように、ワクチンによってアルファーだのベータだの、ワクチンが相手できる範囲のコロナ株は「焼き払う」ことはできます。

問題は、その隙に生まれてくる変異株です。

デルタとかは、ワクチンがあろうがなかろうが生まれてきた、ということだそうですが、危険なのは、本来アルファー等の在来株が覆いつくしていれば、その陰で成長できなかっただろう変異株が、「焼け跡」で猛威を振るう事です。

焼け跡で生き残った「樹皮の固い種族の木」は、植生再生の頼もしい味方ですが、アルファー等がいなくなった隙に生き残った変異株は、ものすごく繁殖力が強く、かつエボラも戦慄するような致死率で、かつ生まれたての赤ちゃんから、おじいちゃんおばあちゃんまで、年齢、性別を問わず大感染をもたらす、そんな恐ろしい、人類の敵となるかもしれないのです。

専門家でなくてもわかる疫学の常識として、がんらい致死率の高い変異株は、感染した人間とともにウイルス自体も死んじまう(正確には分解?)ので、自然の摂理として、あまり宿主(人間)の生命を脅かさないウイルス株が広がるのは明らかと思います。

ところが、人為的な山火事のように、ワクチンで、こうした「穏やかウイルス」を抑え込んで、凶悪ウイルスが繁殖できる「焼野原」を人間が作ってしまったとしたら?

もちろん、「穏やかウイルス」アルファだのベータだのも、実は全然穏やかではなく、それどころか「容易ならざるすごい病気(外部リンク)なので、ワクチンは重要な対抗手段と理解しています。

問題は、ワクチン打てばすべて解決、と勘違いするところにあるのです。

実は、解決どころか、ワクチンを打ったがゆえに、ワクチンなしの場合ではありえなかった凶悪株の大流行を招く可能性もある、という事を再認識する必要があると理解します。

政治家は、「ワクチンを打ったから解決だ」「ワクチンパスポートさえあればどこに行ってもいい」「はやく3密にもどって税金を稼ぎ、収めろ」と言ってくるでしょう。

そのとき、あなたは、言われるままに、マスクなんて外して、大喜びで群衆の中にまぎれこもうとするのでしょうか。

あるいは、ワクチンの限界、医療の限界を見据えて、社会的なディスタンスを堅持し、ウイルスが弱毒化するまでの持久戦を耐え抜く決意を新たにするのでしょうか。

これから「なんで他人行儀にマスクするの?」「なんでみんなと一緒に行動しないの?」「飲み会に来ないの?」「まだ在宅勤務にこだわるの?」など、悪気のない質問や、そして批判があなたに投げかけられることになるでしょう。

しかし、考えてください。誰が本当に「冷たい人」なのでしょうか?「容易ならざるすごい病気」を防ぐために、ソーシャルディスタンスを徹底することこそが、本当に周囲を思いやった、温かい行為なのではないでしょうか。

焼け跡に残る木は、再生への希望のシンボルですが、ウイルス後に残る変異株は、人類を不幸に突き落とす絶望の象徴です。

医療関係者たちが、自らの感染リスクも顧みず必死になってウイルス接種を展開した今こそ、絶対に変異種の出現はゆるさないぞ!と、今度は一般の我々が、ますます感染対策を強化する時期になっていると思います。

なんか偉そうですみません。でも、アメブロのブロ友や、ドクターハッシーなど、医療関係者の人たちからの情報に接していると、やっぱり患者予備軍の我々一般市民がまずは防御を固めなければ、という考えから、書かせていただきました。

最後に、植物のほうのお話で、「焼け跡の希望の木」は、ブラジルだけではなく、乾燥地帯に共通にしてあるようです。

オーストラリアに「ブラシの木」というのがあり。



Wikipediaによると、「果実には粉状の種子が入っており、オーストラリアでよく起こる森林火災が起こると割れて種子を放出する。」とあり。周りにほかの草花が青々と茂っている間は、花が枯れても、実のままの状態で何年でも待ち続けるらしい(出展:https://www.townnews.co.jp/0110/2020/07/16/534360.html)。

ではでは。。。。

 

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