見跡(けんせき)

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見跡(けんせき)

前回で、人は「牛をみつける」という目的を自覚しました。で、今回は見つけるための方策を考えます。

書物を読んだり(Blog8)して、知識を深めていくのがこのステップです。クリシュナムルティとか、和尚ラジニーシとか、いわゆる「進化した魂」から牛への到達について学びます。

「古きを考える」すなわち「稽古」ですね。インターネットはとても便利なツールで、ぼくは「内藤湖南」という人の「アヴァンギャルド精神世界」というページなどで勉強しています。

稽古つながりで剣道。つるぎの道の第一歩は「面打ち」から始まります。

まずはゆったり自然に立ち、右足を一歩出して中段に構えます。大きく、といっても45度で振りかぶり、左足で腰ごと体を前におくりだし、右足は大きく踏み出しながら、びしっ!と竹刀のもの打ち(先端から3分の1ぐらいの部分)が相手の面にあたる高さに打ち下ろします。そして右手は肩の高さ、左手は心臓の高さでのびのびと、かつ手の内のスナップを聞かせてするどく止まる。と同時にに左足はさっと右足すぐ後ろに引き寄せられ、ひかがみ(膝の裏側)を伸ばして体を支える。というのが基本の面打ちです。(実はいろいろなスタイルあり、ぼくが習った「腕始動型」を載せています)

別の言い方をすると、これらのポイントが抑えられていない面打ちは「にせものの面打ち」であり、にせもののうちは剣の道を進んでいく(上達する)ことはできません。

書物の勉強なども、先人たちが何を言っていたのかチェックしつつにせものにならないように注意する必要があり。そもそも学ぶ対象にも気を付けて、いかがわしい新興宗教の教祖に引っかかったりしないように気を付けましょう、ははは。。。。。

牛はまだまだはるか遠くに思えます。でも、書物を読んだりの稽古を続けるうち、ラジニーシさんとかが何を言っていたのかなど、先達者の牛たちの足跡が、おぼろげながら見えるようになってきました。また「(牛を見つけるための)真偽、善悪を見分ける智慧」がついてくる段階でもあるとされています。

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