奴隷の料理人

「暴君の料理人」という韓国ドラマが人気ですが、今回は料理人そのものが奴隷の女性だったというお話です。

19世紀後半、ブラジルでは大プランテーション農場において、現代日本のコンビニ店長も真っ青なブラック労働で奴隷をこき使っていた。

農場の宿舎として、センザーラとカーザグランデがあり。前者は農場で搾取しまくられる「農場奴隷」をぶち込んだ牢獄みたいな宿舎であり、後者は農場主など、こき使うほうの一家がフランスのシャトーもびっくりな巨大な豪邸に住んでいた。

後者においては「家事奴隷」といって、やれ執事だの馬車の御者だのがあり。女召使だのは大体美人がえりぬかれて移送された。

このへんは「暴君の料理人」で、その辺の村から美人をさらって宮廷へ蹴りこむのとおなじですねえ。

カーザグランデの一例 https://morenoengenho.blogspot.com/2010/03/moreno-engenho.html

 

 

 

センザーラ https://www.instagram.com/p/DLinBdHyEUv/

 

 

中に、ひときわ美人のクラーラがいた。美人なだけではなく、とても頭の切れる女性であり、農場主どもが喜ぶ料理をどんどん作って、いたく優遇されたらしい。

しかし、クラーラには、農場主を許せない理由があった。

みなさん農場主が「所有物」の女奴隷に何をするかは書かなくてもご存じですよね。性的搾取のほかに、クラーラの農場主はほんとうにクズだったらしく、クラーラの恋人をたたき56し、彼女に強制的に堕胎薬を飲ませて楽しんだ。

農場主にとって、クラーラなんて食欲、性欲を満足させる便利な家畜兼おもちゃであり。恋人だのは、最近むち打ちもやってねえから久しぶりに4ぬまで叩いちまえ、というくらいだったらしい。

奴隷制時代の夕食風景。子供たちは犬扱い

https://ensinarhistoria.com.br/debret-e-os-habitos-alimentares-na-corte-brasileira/

 

 

農場主は、奴隷を暴力と恐怖によって支配していたのである。

奴隷のほうはというと、女どもは喜んで体を差し出すのもいれば、どうでもいいやというのも多かったらしい。男どもはセンザーラは嫌なのでおべっかを尽くす。言い方を変えれば、ごますりの知能のあるやつが家事奴隷に出世した。ごますりを拒んで逃亡に成功し自由を獲得する奴隷もいたことはいたが、大多数の奴隷たちは、みんな一緒にいれば安心だねーという、いわゆる「ゆでがえる」の状態であり、実は4ぬ直前まで虐待されているのに、それが普通になってしまっていたのです。

どこかの島国のサラリーマンとあまり変わらないかもしれん。

なぜ、クラーラが「ゆでがえる状態に堕とされていたことに気づいたのか」は、はっきりわかっていません。

 

 

クラーラは、恋人と子供を惨殺されて、彼女の世界は真っ白な空白になってしまったのではないでしょうか。気が付いたら、空白からありのままの世界に戻っていたが、その時には、彼女や無数の奴隷、女奴隷が受けている待遇は人間の受けるべき待遇ではないということにはっきりと気づいていた。

といって、もはやすべてを失ってしまっていた彼女。復讐したところで、恋人や赤ちゃんがもどってくるでなし。ふつーは、こうした絶望の中で、サイコパス特有の手口である、残酷な仕打ちを連続しながら、時折ちょっとだけ優しさを混ぜて、うまく甘言を弄してからんでくる農場主にほだされて、ほんとうの慰みもののおもちゃになってしまうことも多かったようですが、クラーラの場合は、奴隷制度はまともではない、ということを世界に宣言することを選びました。

クラーラは、農場主が、優しさの仮面の裏で、血も涙もなく殺すといった行いに対して、深い憎しみは持っていただろうと思います。ただ、単なる属人的な恨みではなく、クラーラ自身、もうこんな地獄のような制度は耐えられない。抗議のためになにか重大な事件を起こして、不条理であることを世界に明示したい、ということだったのだと思います。

サトウキビ農場 1816 パブリックドメイン

 

 

さて、クラーラは、少数の共謀者とともに計画を進め。なんのパーティーかわからんが、地域の支配者層がこぞって参加した晩餐会で実行した。

クラーラの毒物混入は非常に計画的で、単体では毒にならないものを晩餐会会場において複数食べ合わせたものが、体の中で混ぜ合わさって、会場を出てから数時間、あるいは数日で4ぬ、という配合をした。

「時間差での発症」や「組み合わせによる毒性」は、当時のブラジルの奴隷たちが保持していたアフリカ由来の薬草学(エトノボタニカ)と、支配層の無知を逆手に取った「前駆物質(それ自体は毒ではない)」の組み合わせだった。

例えば、ある植物の根を煮出したスープを飲ませ、その数時間後に別の特定の果物やアルコールを摂取することで、体内で化学反応を起こし猛毒(シアン化合物など)に変化させるなど。

晩餐会では毒殺ターゲットの各自の好みの料理が複数のコース料理として出され。「一皿一皿は完璧に美味しく、安全な料理」だった。しかし、「Aの皿」と「Cの皿」を完食し、さらに「Dの酒」を飲んだ者だけが、体内で致死量の毒を生成するように計算されていたと言われています。

毒見程度では探知できないのである。クラーラは毒の濃度を絶妙に調整し、消化・吸収を経て数時間から数日かけて内臓を破壊するように仕込んだ。

宴が終わったとき、客たちは「素晴らしい食事だった」と彼女を称賛して帰路に。

奴隷の拷問風景 https://aventurasnahistoria.com.br/noticias/reportagem/alem-do-tronco-10-metodos-atrozes-utilizados-nos-engenhos-escravistas.phtml

 

 

異変はその後起こった。

◎クラーラの農場主(奴隷の顔に焼きごてを押す、鞭打ちの傷口に塩を擦り込むなどの拷問が大好き)は、トウゴマの毒(リシン)によって細胞を内側から破壊し、宴が終わった数時間後、激しい腹痛に襲われ。体内で毒が反応し、内臓が焼け付くような熱を発し。彼は喉の渇きを訴えたが、水を飲めば飲むほど体内の化学反応が加速し、のたうち回りながら自分の喉をかきむしり、最後は黒い血を吐き出しながら絶命。

◎ガラスを混ぜた鞭を使う農場主:キョウチクトウ+マニオクを組み合わせ、筋肉の麻痺と恐ろしい幻覚を引き起こす用量を計算した。4ぬ間際、自分が切り刻んだ奴隷たちが襲い掛かってくる凄まじい幻覚に襲われ、恐怖で絶叫しながら4んでいった。

◎奴隷女性への性的暴行を繰り返す農場主: アマゾン由来の強力な神経毒を使用。意識ははっきりしているが、全身の筋肉が動かなくなり。自分が毒を盛られたことを理解し、周囲で他の農場主たちが4んでいく地獄絵図をすべて見聞きしながら、自分は指一本動かせず、助けを呼ぶこともできないまま、最後は呼吸筋が止まり、ゆっくりと窒息して絶命。

◎地元の治安判事や有力者。晩餐会には、奴隷たちの反乱を厳しく取り締まっていた関係者も出席していた。彼らは、翌日の公務中や教会での礼拝中に、突然、全身の筋肉が硬直(痙攣)し、顔が紫色に変色。泡を吹いて倒れる姿は、周囲に「呪い」や「未知の疫病」ではないかというパニックを引き起す事態に。

こうして、晩餐会に参加したハイソサエティーが一人、また一人とむごたらしく4んでいった。

必死に捜査した結果「晩餐会」という一致点が見つかり。ついにクラーラも捕まった。

どんな残虐な拷問を受けたか?幸い、絞首刑で首をきゅっと絞めて終わりだったそうです。支配層の一番のウイークポイントである生活の根幹(食事)に奴隷が毒を仕込み、支配者がそれに気づけなかった、というような、奴隷制存続そのものを危ぶませるような不都合な真実は、なるべくおおやけにしないで闇に葬れ、ということなのでしょう。

クラーラの話は、歴史的事実(公的な記録に残る事件)というよりも、主に文学作品や口承文学、あるいは当時の社会不安を反映した伝説としての側面が強く。伝承によってはクラーラは逃げおおせたというのもあったりします。

アフリカ系女性。1869年

https://brasilianafotografica.bn.gov.br/brasiliana/handle/20.500.12156.1/4486

 

 

したがって、これは猫機長版の伝説として読んでいただければ幸いです。

アフリカ奴隷のたどった道は、奴隷解放後、代替として導入された日本人移民(イタリアやドイツも)と全く同じ道とは言いませんが延長線上のものであり、その日本では外国人研修生虐待(外部リンク:https://news.ksb.co.jp/article/14559770)などの現実があり。米国の黒人差別は言うに及ばず、欧州ではナチのユダヤ人迫害から今日のアウスレンダーアウトなど、人間が人間を差別(選別、搾取)する負の歴史を断ち切るうえで、この記事が何らかの気づきになれば幸いです。

 

ではでは

 

 

 

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