入鄽垂手(にってんすいしゅ)
魂は螺旋状に進化する
入鄽垂手を日本語に直訳すると、「手ぶらで町にやってきた」となります。
あやうく異次元の彼方にベイルアウト(S1.8.)しそうになりながらも、ありのままの世界への帰還(S1.9.)を果たし、ほわほわと人々のいる集落にもどってきました。
一つの旅の終わり。でもそれは新しい旅の始まりでもあるのです。
意識・智慧を知らない動物だったヒトは、善悪の知識の実(S6)を食べたために、「自分と自分でないものを区別する」人間になってしまいました。じゃあ、世界と隔離されている自分って、いったいなんなんだ?と自分の実態を探すうち、結局は自分と自分以外はすべていっしょであり、「原初の光」(S1.8)のエネルギーが分化したもので、「自分はすべてに再び埋没するが、自分が存在していることの自覚がなくなることもない」、ようするに原初の光はぼくです、という安心が得られました。
現世的にいえば「人間関係や貧困とかに苦しんでも、人間はいつも苦しみを超えた神(原初の光)といっしょだから悩まなくていいんだよ」あるいは「人間関係とかで苦しむ必要はないよ。神(原初の光)が自分に生きているんだから、自分のありのままでいいよ。人の評判なんて気にしないでいいんだよ」みたいなところでしょうか。。。
その気づきは布袋さんの袋に入った計り切れない数の宝ものであったり、楽しく酔っぱらうお酒だったりします。
普段の日常の世界に戻ってきた人は、覚醒の世界から布袋さんの袋と楽しいお酒を持ってきます。
そして会う人、出会う場面のすべてをハッピーに感化してゆきます。決して「教化してやろう」と高飛車に出るのではなくて、ふつうに人と接していたら、その人も知らないうちに進化しているのです。
こういう「進化した魂」つまり進化した人をぼくも一人知っています。その人はスピリチュアル系のお話は好きですが、決して必死に修行しているというのではなく、本人も自分はいたって普通だよーという自覚しかないのですが、彼女のいる場所は自然と和やかになり、「進化」してゆくのです。本人は手ぶらのつもりでも、人々に宝物やお酒をいっぱい振りまいているのです。
要するに「みすぼらしい乞食こそイエスである」ということです。彼女を乞食呼ばわりしているのではなく、「隣の百万長者」ではないですが、外見上は普通の人。本人も自覚していないけれど、彼女が行くところ「抜苦与楽」(S6.)が自然に生まれてゆくのです。
ヘーゲルの原点回帰(別記事で説明します)ではないですが、日常世界から宇宙に突き抜け、現世にまた帰ってくる。これは単に戻ってきたのではなく、進化の階梯(進化のアーク)を上がったうえで戻ってきているのですね。こうした進化した魂たちによって「抜苦与楽」がすすみ、うつ病になる人、電車に飛び込んだり会社に行けず公園で苦しんでいる人(Financial3.4)が出なくてもすむ世界が来ることを願っています。
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