床に聞きなさい
とある女子中学校。弱小ながら、みんな仲良しの楽しい剣道部がありました。
県大会も3か月にせまったある日、一人の転校生が入部しました。その子はとにかく気立てが良くて、いっぺんにみんなの人気者に。さっそく「ぴよちゃん」というあだ名で親しまれるようになりました。
優しさいっぱいのぴよちゃん。ところが、防具を付けたとたん、だれも寄せ付けない無類の強さを発揮するのでした。ふつうは、あまりに強すぎる転校生が来たりすると、嫉妬でいじめなどが始まるのですが、ぴよちゃんはあまりに優しい、いい人だったので、みんなのアイドルみたいになり。意外に今度の大会は上位まで行けるんじゃね?と剣道部全体が楽しく盛り上がったのでした(S1.10.)。
ところが、ぴよちゃんはスランプに落ちいってしまったのでした。今まで当たっていた面が当たらない。当たっても先生が旗を揚げてくれない。あせればあせるほど、スランプは深まるばかりなのでした。
全国大会出場経験のある、顧問の若くてカッコいい先生が、的確な技術指導をして、その通りにやっているのにうまくいかない。やるべきことはすべてやっているはずなのに?出口のない焦りにさいなまれ。みんなはぴよちゃんを陰に陽に助けようとするのですが、それにこたえることができません。今回の大会はいい線いけそうだったのに、一番期待されている自分がふがいなくて勝てなくなっちゃう。そうした焦りと、どんなにふがいなくても自分をかばってくれるみんなに申し訳なくて、稽古の後にひとりトイレで涙する日が続きました。
ある日、みんなが道場の隅に集まってひそひそ話をしています。ぴよちゃんは自分のことだな、と気が付いて、その場を隠れてしまいました。でも、薄い壁一枚をとおして、みんなの声が聞こえます。
「ぴよちゃんは今度の大会はだめだね」
「でも大会なんてどうでもいいじゃん。とにかくぴよちゃんがいつもの剣道にもどれるようにしなきゃ」
「そうそう。このままじゃぴよちゃんが剣道をやめちゃう。そんなことは絶対させないよ。みんなで楽しく剣道をやるんだ」
とここまで聞いたぴよちゃんは、どうしようもなくなってトイレで号泣するしかなかったのでした。
そのとき、ぴよちゃんは、剣道を始めた時の先生を思い出したのでした。とてもやさしいおじいさんの先生で、面打ちの右手は肩の高さ、左手は心臓の高さ。。。(S1.2.)、と優しく教えてくれたのです。
ぴよちゃんは、おじいちゃん先生に悩みを打ち明けることにしました。
涙ながらに話すぴよちゃん。おじいちゃん先生は、ぴよちゃんの頭をなでながら、優しく聞いていました。そして、ぴよちゃんの話が終わったとき、おじいちゃん先生は、穏やかに言いました。
「それは、床に聞いてごらんなさい」
意味がわからず、ぴよちゃんは一瞬呆然としました。おじいちゃん先生は
「ぴよちゃんは剣道がとても上手になったね。だから、うまくなろう、正しくしよう、と考える必要はないのですよ。ぴよちゃんがいま必要なのは、道場とお友達になること。道場の床とお友達になるのですよ」
「ぼくが言えるのは以上です。でもぴよちゃんならきっとできるようになります。がんばって、がんばって、それでもできなかったら顧問の先生にもこのお話をしてごらんなさい。あとは、稽古ですよ」
とそれ以上は説明せず、優しくぴよちゃんを送り出したのでした。
大会はあと1週間に迫っていました。もう私自身はどうでもいい。こんなにふがいない自分を心からかばってくれる友達。陰ながら優勝を!と応援してくれている父兄やクラスメート、そして「お前の指導が悪いからこうなるんだ」と批判されまくりながら、そんなことはおくびにも出さずに、ぴよちゃんのことを気遣って技術指導してくれる顧問の素敵な先生。こうしたみんなのために!と頑張るのですが、努力すればするほど結果はちぐはぐになって行ってしまうのでした。
ついにぴよちゃんは、おじいちゃん先生が言った「床に聞きなさい」という言葉、一部始終を顧問の先生に伝えました。顧問の先生も一瞬けげんな顔をしましたが、しばらく考えた後、はっとしてぴよちゃんに言ったのです。
「ぴよちゃん、かかりげいこをやろう。今日は厳しくするけど頑張るんだよ」
そして稽古がはじまりました。かかり稽古というのは、先生に向かって息つく暇もなく攻撃する練習です。普通は30秒、60秒、とやると息ができないほど体が疲れてしまいます。
顧問の先生は、もう一度、もう一回、といつになくぴよちゃんをせきたてます。一回でもフラフラになるかかり稽古を何度もさせる顧問の先生を見て、周りの子たちがざわつき始めます。
遂にはぴよちゃんは跳ね飛ばされ、転び、半分泣きながら先生にかかっていきます。そのすさまじい情景に止めようとする子、さらにそれを制止する子。いつもは理性的に技術を教える先生も、今日ばかりは、どうした!もっとかかってこい!と男子を相手にするような厳しさです。
ぴよちゃんにも、周りの子にも、このかかり稽古が何かの鍵を握っていることはわかっていました。だからこそ、何度転ばされても、みんなのために!正しい剣道で先生にかかっていきました。そしてそれを見ているみんなも、ぴよちゃんのために!制止したいのを我慢していました。
しかし、体力が消耗し、息も絶え絶えになる中で、ぴよちゃんはもうみんなとか、自分とか、正しいとか考えることができなくなってきたのでした。立っているのも苦しい中で、なにをしている!こい!と気合をかける先生の、面の中の瞳に、涙が光っているのが見えた瞬間。
目の前が真っ暗になり、
ドオオオーン!すさまじい雷が床を大音声で震わせた、と思った刹那、ぴよちゃんはこれまでで一度もできなかった見事な面打ちをしていたのでした。
そのとき、ぴよちゃんはおじいちゃん先生がいった、床に聞きなさい、という意味がわかったのでした。そう。床はいつもぴよちゃんに教えてくれていたのです。でも、ぴよちゃんはみんなのため、自分のため、という雑念のために床の声が聞こえなくなってしまっており、焦れば焦るほど床から遠のいてしまっていたのでした(S1.3.)。
床とお友達になった(S1.6.)ぴよちゃんは、県大会を制し、それよりももっと大切なみんな(S1.10)と、楽しく剣道を続けることになったのでした。
めでたしめでたし。
で終わる気がゴルア!とお叱りが来そうなので、技術的に説明します。
剣道では「自分からは近く相手からは遠くに位置しろ」という教えがあります。
自分から近い相手は容易に打てるし、相手から自分が遠ければ、相手の打ちは届かず空振りします。
でも、竹刀で対峙する剣道は、自分と相手の距離は竹刀二本分(より実際は短いですが)で変わらず。バスケット選手と子供みたいな身長差・リーチ差がなければ、基本「自分からの相手の距離と、相手から自分の距離」なんて同じです、ははは。
じゃあどうするのかというと。目にも止まらない早い打ち、相手より先に打つ等で、自分の方が相手より早くこの距離を進んで自分の竹刀を相手に届かせようとします。
問題は、この「届かせよう」という所にあるのです。
ぴよちゃんの場合、転校したてのころはのびのびと自分の剣道ができ。でもあたら優秀なために、みんなの期待を背負ってしまった。優しいみんなのために勝たなきゃ!という雑念が生じたため、「自分は安全な距離で相手の面を打とう」という逃げ(Financial1.12.)の心境のとりこになってしまったのです。
つまり、相手から打たせたくないあまり、腰が引けてまえかがみになり。遠くから打ちたいあまり、無理に腕を伸ばして、面を打って相手に当たったとき、右足はかかしみたいにつったち、上体は床と並行かみたいに崩れ、左足は大きく後ろの空間にけりあげちゃっています。馬が後ろ脚で犬を蹴っ飛ばしたみたいな感じ。こんな面打ちでは、当たっても一本にはなりません。「跳ね足」と言ってわりかし多い悪癖ですが、勝負剣道で勝ち抜いてきた顧問は、こういう癖を容認してしまう傾向にある大会ばかり見ていて、ぴよちゃんの癖が上達を阻む危険ゾーンに入っていたことを見抜けなかったのでした。
涙ながらに話すぴよちゃんの、優しく素直な気性を知っているおじいちゃん先生は、ぴよちゃん本来の剣道をやっていれば結果は必ずついてくることを知っており。本来いの剣道をできなくしていた「迷い」を教えてくれる「先生としての床」を教えてあげたのでした。
正しい面打ちをすれば、上体はすこし前かがみ、左足はまっすぐ、でも十分床を蹴っり、右膝を力強く押し出し。鋭く面を打ちおろす竹刀の打ちだしの一瞬床を離れた右足は、前へ!の突進の勢いと、体重を乗せた面打ちのパワーを合わせたものすごい力で、着地とともに道場の床を踏み鳴らすのです。これを「踏み込み」といいます。「跳ね足」ではぜったいまともな踏み込みはできません。自分の体を相手にぶつける、自分の右足で相手の右足をふんでやる!くらい飛び込んでいかないと、こういう面打ちはできないのです。
そして、雑念が消えて基本に戻ったぴよちゃんの一撃が、どおおおーん!と大音声の踏み込みになり。このとき床が「これが剣道の踏み込みだよ」とぴよちゃんに教えてくれたのです。
さて、ではこんなメロドラマにしないで、さらっと「ぴよちゃん跳ね足になってるよ、もっと腰を入れて踏み込まないとだめだよ」と言えばいいのでは?
それは、実際剣道をしないとわからないと思います。身体運動なので、頭でわかったつもりでも体で覚えないと意味がないからです。もちろんしっかりと頭で剣理を理解する(S1.2.)のは基礎であり、とにかく体を動かせばいい、というのには反対ですが、サラリーマン生活でパソコンを叩くのが運動です、という人(まさに今現在のぼくでした、ははは)は運動ゆえの難しさ、その難しさを克服するための最短距離のアドバイスがおじいちゃん先生の言葉だった、ということが理解いただければ幸いと思います。
ではでは。。。
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