ベーシックインカム:愚民政策か、AI時代の必然か①
ベーシックインカムという政策があります。国民全員に分け隔てなく一律の金額を無償で定期的に支給するというものです。
金額については議論ありますが、基本は人一人が普通に(質素に)生きていくことができる金額。
ベーシックインカムは、人々の生活のための金額を政府が補てんする、という点で社会保障・福祉と似ていますが、重要なポイントで一線を画しています。
社会保障の例で行くと
○生活保護:「経済的に困窮している人」に対する補助金
○障碍者手当:何らかの身心、身体障がいを持っている人への補助金
○老齢年金:「所定の年齢に達した人」への補助金
など、数えきれない手当や年金がありますが、それぞれの補助金へのアクセスは、「所定の条件を満たす人」のみに限定されています。
ベーシックインカムの場合は、国民全員が自動的に対象になっています。
補助金の対象アクセスを限定してしまった場合、本当に必要な人に補助金が行っているのか?というケースが生じてしまうことがあります。
例えば生活保護ですが、「経済的に困窮」とはどういう基準で判断するのでしょうか。申請制なので、実は困窮していなくてもうまく条件や数値を作りあげて保護をゲットしてしまう人や、受給の権利があるのに社会の迷惑になりたくない、と首をつってしまう人もいます。また、申請したいけどその仕方がわからない、役場でうまく申請(コミュニケーション)できないなどで却下され、あれ、あのひと最近申請にこなくなったね、と思ったらアパートの部屋で餓死していた、というケースが後を絶ちません。
こうした不確実性をうまく利用して、困窮した人たちを搾取する「生活保護ビジネス」も横行しています。一例では、「住居がないと生活保護を受けられない」という規則を利用して、ホームレスの人たちにアパートを借りさせ、この見返りとして、受けられるようになった生活保護の大半をピンハネするというものがあります。
ベーシックインカムは全員に無条件に一律なので、こうした問題は避けることができます。これは社会的な側面からのアプロ―チですが、日本のように人口オーナス(1.8)に突入した国では、ベーシックインカムに関する議論は経済的にも切実になっています。
現在の日本では産業が停滞して企業は利益減少になり、リストラにあわなくても減給になったり、でも仕事はますます苛酷になりどんなブラック企業でも我慢しなければならなくなる(3.4)。年金受給の年齢は引き上げられ、年金をもらえても生活のためには生涯現役にならざるを得ない。この結果いくら頑張っても収入が支出に追い付いていけない、という状況でみんな支出を抑えるため、消費なき社会となり産業はますます停滞する、という状況です。
この状況を打開する切り札になるぞ!という可能性を秘めたのがベーシックインカムです。
ベーシックインカムで最低の収入が保証されていれば、人々はブラック企業の餌食にならず、とっとと辞めてましな企業を探すことができます。つまり、人に優しい企業、コストカットのしわ寄せを従業員に押し付けないで、真に実利的な解決をする企業のみが生き残ることになります。
無職になっても生活が保障される、つまり貯蓄しなくても収入が途切れることのない安心から、生活のためのお金は消費に回され企業の収入になります。ブラック企業がなくなり、残ったまともな企業には、失業していようがいまいが国民全員がお金を持ったお客さんとなり、ブラック企業が淘汰され悪質な競争が排除される分がさらにプラスされて利益は増します。
ここで産業の再活性化が起こります。
利益が増えた企業は給料や株主への配当に反映させ、自由に使えるお金が増えた人々は、自己啓発、起業、単なるレジャーなどたくさんの業界にお金を落とし始めます。生活はベーシックインカムで保証されているので、貯蓄だけが増えて市場・社会にお金が回らないということはありません。
これまでシャッター通りだった商店街も、続々と開店し多彩な商品やサービスを提供します。人々はこれらを享受する稼ぎを十分持っており(ベーシックインカム+給料の上昇)、お客さんからたくさんお金をもらった商店街もどんどんと発展してゆきます。つまり、人口ボーナスと同じ効果が得られるらしい。
となればいいのだけれど。。。。
まだ2020年代の世界では実現に至っていません。その理由と、でも意外と早く実現しそうだぞ、というそのみもふたもない、下世話な理由については、次回で掲載します。
労働に縛られずに知的活動を謳歌できた古代の自由市民。野獣のような経済競争の結果こういう世界が来るかもしれんという恐るべき予測は次回記事(3.7b)をご参照。
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