パンとサーカス
古代ローマの「愚民政策」です。Wikipediaがさらっと解説しており。「権力者から与えられる「パン(=食糧)」と「サーカス(=娯楽)」によって、ローマ市民が盲目に置かれていること」とあります。
カーニバルの時期が来るたびにこの言葉を思い出します。カーニバルはブラジル熱狂の5日間で、すべてを忘れて踊り狂う、というか風俗的なはめを外してよい?という免罪符が得られるといってよい日々です。
でも、そもそもなんでそんな5日間が必要になるのか?まるで残りの360日は、強制収容所で非人道的な扱いをされ、この5日間のみ解放される、みたいに思ってしまいます。
日本にもブラジルにも強制収容所はありません。でも、5日間連続して熱狂する。しないと残りの360日を過ごすことができない、というプレッシャーはあるようです。
これをブラジルでは「圧力なべ」とよんでいます。単に国民に圧力をかけるだけでは、爆発して反乱・革命を起こし、なべ(国)が破裂してしまうので、安全弁(カーニバル)でガス抜きをしているのです。
「シテイ・オブ・ゴッド」という映画があり。ブラジルの貧民街では、学校にも行けず職にもありつけない、そんな人たちの生活があります。でも、一年に一回カーニバルがあり、その時は富裕層も身に着けないようなきらびやかな衣装で自分たちが主役だ!と実感することができます。そして5日間が過ぎれば、また来年の5日間に着る衣装などを買うためのお金を一年間かけてためているのです。
貧民街の人たちは、強制収容所には入っておらず、労働のすべてを将軍様に搾り取られているということはありません。でも、労働のすべては、カーニバルという「サーカス」に搾り取られてしまっています。
プランテーションの奴隷と変わりがないのです。ぱっと見だけ自由になったように見えますが、宿舎・衣服・食料を自前で手に入れなければならなくなった分だけ、奴隷時代より生活は苦しくなっているかもしれません。
権力者側は、日々の生活にも取り入り。生活費補助(3.7a)などのばらまき政策で飢え死に寸前のところを「慈悲深い政府にパンを頂いて生き延びている」そして権力に盾つかなければ死にはしないという状況を作り出しています。そして「日々是好日(3.15)」とばかり「愚民」に刷り込んでいるのです。
でも、これってブラジルの貧民だけの問題でしょうか?実は日本でも「一億総中流」なだけに「一億総奴隷」になってしまってはいないでしょうか?
「お役所の掟」という本があり。江戸時代はこうだった、みたいなしきたりに支配された職場で封建的な抑圧を受けた人たちが、社員旅行でカーニバルも真っ青な「解放の数日」を過ごす様子が書かれています。本来もっとも知識・文化のリテラシーが高いはずの人たちの行いを見るにつけ、もっと苦しい生活の庶民はどんなに普段抑圧されているんだろう?と戦慄(3.4)します。
生きていくだけが何とかできる給料をパンとすれば、サーカスはTVにでてくる「喜び組」じゃなかったそれに似たグループくらいしかないし。。。
別に日本や日本人の悪口を書きたいわけではないのです。ただ、「うまくいった社会主義」なんておだてられて、「日々是好日」なんて刷り込まれていないか?と振り返ることは重要だと思います。
自分は愚民だった、ということに気づけば、じゃあ自由民って何?と問いかける日が来ます。その時こそ、自由へのスタート(SpiritualS.1.1.)が始まるのです。
愚民からけりだされ、まだ誰もいない大草原に放り出されてしまったそのとき、大草原を開拓する自由の人となることができるのでした。
というわけで「大草原の小さな家」をリンクして結びにします。テレビも悪くないなあ。。。
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