味割の術・おもてなし(ラーメン屋さんを目指す人必読)
世界一流の料理人や、有名なチェーン店で、「どの支店にいっても変わらない味だ、おいしいね、すごいねー」と褒められ、本人も誇りにしているシェフなどがいます。
そういうのを聞くと、まだまだな。。。。と思います。ふふふふ。。。。
駆け出しの若い職人が何とか自立して開いたラーメン屋。どれどれ、と行ってみると、
―塩ラーメンがない?まあ、しょうゆとか味の強い材料に隠れたい気持ちはわかりますが、職人の仕込みがストレートにでる塩ラーメンの鶏スープにも挑戦してほしいです。。。。
―味噌ラーメン。ううむ、たしかに味噌が入っていることだけはわかるが。。。
―うどんはラーメンを自称できることを発見
とか、果てしない突っ込みどころがあり。
でも職人さんの上達を見るのが楽しみで、週一くらいで通うようになったりします。
毎回、味が変わっています。もちろんおいしくなってゆくのです。例えば、白くぶっとく全く腰のなかった麺が、「かん水」を使うことを覚えたのか?多少は黄色っぽくもちもちと細くなってきたりします。みそ汁に入ったうどんだったものが、味噌ラーメンに進化しているのです。
で、あるていど普通のラーメンさ、ぐったりと疲れた麺に味の素たくさん、ダイエットには絶対向かない脂だらけのスープ、というところまで進化したらそこで維持(停滞)していく傾向にあります。ぼくも個人的にはこういうしょうがないラーメンが大好きだったりします。
しかし、ここで「僕が作るラーメンはいつもおなじ味だぜ!ふふん。。」と安心してしまってはいけません。
多少暑かろうが寒かろうが、湿気が多いあるいは乾燥していようが、僕のラーメンは同じ味だぞー!というのは単に基本をクリアしているだけであって、剣道で面打ち(空間打突)ができるようになったぞー(SpiritualS.1.2)と同じ程度である。基本は重要だけれど、基本では試合に勝てないのと同じで、いつも同じ味だぞー!というのをお客さんに押し付けている間は本物への道は遠い、ということですね。
基本は重要。でも基本だけでは大成できない。
いつもは町の中心街で繁盛しているカレー屋さんが、港の波止場で支店を開いてみよう、とやってみたら、お客がぜんぜん来なかった、ということがあります。港の人に聞いてみたら「だって全然辛くない」というのです。
町のサラリーマン相手では絶大な人気のカレー。もちろん味は全く同じなのに?と考えてみたら、実は違いはお客さんのほうにあったのです。
波止場のお客さんは、肉体労働でとても汗をかき、汗と一緒に塩分もどっと失います。そういう人たちがおいしい!と思うのは塩味のぐっと利いたカレーであり。街の人がたまたま入ったら「うあああなんちゅうしょっぱいカレーじゃ、同じ店のはずなのに?」という要するにそういう意味でもっと辛いカレーでないと売れない、ということでした。
そうか、「同じ味」という言葉は、作り手ではなくてお客さんのいう言葉であり、お客さんが違えばその違いに合わせて修正する必要があるのだな。。。とその通りですが、それでもまだ中級どまりであり、皆伝には遠い。
では免許皆伝、八段範士みたいなシェフはどんなひと?ミシュラン星みっつの超高級レストランの最高シェフとかでしょうか?いやいや、むしろ、駅前の屋台のラーメン屋さんだったりします。
午後から夜になってくると、通勤帰りのサラリーマン、買い物をした主婦、部活を終えた高校生、大学生など、電車が止まるたびに多数の人が駅から吐き出され、屋台に殺到します。そしていっきに「塩ラーメン」「しょうゆ」「醤油ラーメン。ちゃーしゅーいっぱいね!」とかすさまじい数のわがままな注文が嵐のように迫ってきます。
本物のラーメン屋さんであれば、「醤油ラーメン」を注文したサラリーマン二人組が、一方は関西弁、一方は東京弁?であることを見逃さず、関西人のほうへは醤油の量をちょっと少なくして「薄味」にし、毎週来るおばさんが今日は風邪で声がかすれ気味、と察知すれば味を濃くしておばさんにとっていつもと変わらない味にする。そういう決断と対応を一瞬のうちにこなし、その結果「あそこの屋台はいつ行っても変わらないおいしさだねー」と評判になるのです。
おなじおばさんでも昨日と今日の体調の違いを一瞬に察知し、またよそ行きのお洋服を着てお友達といっしょみなたいなときはちょっと具にも工夫して見栄えも華やかなラーメンにする。これを殺到するお客さんの一人一人にそつなくこなす。これを「味割(あじわり)の術」というのです。
職人さんとともに進化してゆくラーメン
なお、どこかのオリンピックで「おもてなし」という言葉をスローガンにしてしまっていますが、「うちの味は最高でかわらないぞー」と自称しているのとおなじで、かえってKYだぞー!と叫んでいるような気がしてなりません。でも訪れた海外の人たちが、ラーメン屋さんの味割を文字通り味わうなど、市井の人たちの「飾らないほんとうのおもてなし」によろこんで、日本のお友達になって帰っていくことを期待しています。
ミシュラン三ツ星の、お客さんのほうが予約通りきっかり、居住まいを正して万全の体調で、という「最高峰の寿司屋さん」で、「変わらぬ最高の味」という、一見さんには絶対味わえない至高の芸術品というのもよいですが、やはり、有り合わせの材料でだれが食べてもとにかくおいしいラーメンを作っちゃうほうが名人だと思います。一方で、いずれも究極に達すれば、本当の労働そして労働所得(3.11)だと思います。
ちなみに、僕が好きなラーメン屋さんは、都電の向島駅と大塚駅の間にある「ちばや」というお店です。もちろん至高でも芸術品でもなんでなく、どこにでもある「町中華」つまり町のラーメン屋さんです。でもそういう店は最近「いつも同じ味のチェーン店」に押されてふうふう言っているらしい。がんばれ街の中華屋さん!
店主!いい麺になったな!なああんて。。。
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