ベーシックインカム:愚民政策か、AI時代の必然か②
前回(3.7a)では、ベーシックインカムという政策があり。国民全員に分け隔てなく一律の金額を無償で定期的に支給するというもので、金額については議論ありますが、基本は人一人が普通に(質素に)生きていくことができる金額。
と書きました。今回はベーシックインカムは実現するのかどうか、をお題にします。
ベーシックインカム反対派の人たちもおり。言うには
働かないのに生活費が保障されるなんて許せない!そんなことをしたら、仕事をしない怠け者が増えるだけだ!
ベーシックインカムと引き換えに国民を操ろうとする愚民政策だ!
経済競争力がなくなるぞ!労働力が全体的に減ってしまい、人々の好き嫌いで敬遠される業界が生じ企業が立ちいかなくなるぞ!など。
ううむ意外に感情的な反論が多いな。。。。一方、フィンランドなど試行的に導入して、現在は中止状態の国や、議論されたが導入できない国や自治体がその理由とした最大のものが
- ベーシックインカムを導入する財源がない
というものです。
日本の場合ベーシックインカムを賄うには現在の社会保障制度をさらに超える金額が必要だそうで、現在の国庫(税収)では足りないそうです。
でも、ポイントはここにあるのかもしれません。
ベーシックインカムがあれば、国家の税収を圧迫するいろいろな補償や年金を廃止することができます。失業保険、老齢年金、生活補償はいずれも不要になりますが、そうなると「雑多な社会保障制度」を機能させるために存在している多数の政府機関とその構成員などの既得権を根底から覆すこととなります。
ベーシックインカム反対を唱える人たちは、既得権側の人が多いらしい。反対というより「現行制度を覆す可能性のある制度の導入」による「パラダイムシフト」に対する恐怖の表明なのかもしれません。
でも、反対していればこのパラダイムシフトは回避できるのでしょうか。
ここで重要なのに、AI(人工知能)の進化があります。
AIと聞いて「単純・反復作業の効率化はロボットやコンピュータに勝てないけど、僕はホワイトカラーのサラリーマンだから関係ないや」と思った人は、恐ろしいAIの進化に気づいていない人です。現在、人工知能で「深層的学習(ディープラーニング)」が可能になっているのです。
これまでのコンピュータやロボットは、人がプログラムした動作を実行し目指す成果を達成していました。ところが、ディープラーニングではAIが自動で学習し自ら判断した成果を提示することができるようになった。飛躍しますが、AIは思考能力を獲得しつつあるということである。知的労働能力の獲得で、お医者さんだろうが弁護士だろうが生身の人間より優秀なAIを搭載した機械(blog17)が世界を埋め尽くす時代ももはや荒唐無稽ではなくなっているのです。
AIやブロックチェーンは、医療などの知的労働にも革命をもたらす
雇用主は労働争議も起こさず、給与や社会保障を払うより安いメンテナンス料で、しかも人間より優秀な「深層的学習型ロボット」を争って導入するようになり。優秀であるなしにかかわらず無職になってしまう人があふれる一方で、企業の収益は飛躍的に上昇する。リーマンという、コストばかりかかってろくに生産しない残念なコンポ―ネンツがなくなるからです。ははは。。。
さて、「飛躍的に上昇した利益」で「税収が画期的に上昇し」、その税収で「ベーシックインカムが払えるようになれば」その時がパラダイムシフトの時になると思います。
企業からみれば、いくら収益を上げても街にあふれるのが無職の乞食ばかりでは意味がありません。製品を買ってくれる、お金を持ったお客さんが必要なのです。そのためには政府に税金という形で利益のかなりの部分をはく奪されてもそれがベーシックインカムになって国民にばらまかれるなら文句は言えなくなります(それでも生身の人間を雇うよりは儲かるでしょう、ははは)。つまり、無職ではあっても乞食ではない消費者が必須ということです。
政府から見れば、無職で、餓死かも?という人口が増えると社会不安が爆発し、大恐慌の内戦状態になってしまうので、とにかく国民の生活を保障しなければならなくなり。といって、社会保障の財源として単に税金を上げるだけでは主要な納税者である企業が圧迫されて、結局政府自分の首を絞めることになりかねない。そこで、通りいっぺんの福祉政策ではなく、ベーシックインカムにすれば一気に全国民を消費者にし、税金を払う企業の存続に必要なお金を落としてもらうことができます。
国民から見れば、無職になっちゃったけれど、生活のためのお金は給付されるようになった。貯蓄しなくても毎月ちゃんともらえるので、消費に回します(生活する分しかもらえないので、貯蓄したい人、野心のある人は仕事にチャレンジして所得を増やします)。
金は天下の回りもの、といいますが、こういう「三方一両損」なのか「三方一両得」なのかわからないけれど三者とも生存できる世界が生まれます。
歴史の流れを見ても、「奴隷労働者の時代」から「自由労働者の時代」を経て、「アンドロイドが労働者にとって代わる時代」という趨勢になってきています。
歴史上、まず「貴族と奴隷」つまり人間の形をした家畜(奴隷)が生産して貴族が管理するという世界ができました。でも、家畜の維持管理は大変ということに気づきます。畜舎の維持もあれば飯も食わせにゃならんし、病気になったら薬も、と次から次へコストが絶えないのです。
そこで考え出されたのが「自由な労働者」です。どこへ住むのも働くのも自由。でも衣食住は労働者が自前で確保しなければならなくなり。一方「貴族」つまり「雇用主」は賃金だけ払えば生産施設の確保・維持向上だけですみます。この形態を可能にさせたのは産業革命などで生産性が上がり、労働者に自分の時間とお金を与える余裕ができたことが需要なファクターです。
さて、自由な労働者を雇っていると、今度はパワハラだセクハラだと労働者同士でいがみ合う(3.15)か、矛先を雇用主に向けるようになり。社会保障が高額で投資(給料)当たりの生産性が低い人間より、従順、優秀で安いAIロボットがあれば、人間なんていらねーや!ということになります。そして人間にはお客として機能するように「ベーシックインカムでも食わせておけ!」という時代が来るかもしれないのです。
ううむなんか夢のない結論になってしまった。でもこれで国民全員が「アテネの自由民」(4)みたいに、労働にとらわれず文化活動に専念できるという理想的な時代になるかもしれませんね。ではでは。
ぼくも埼玉県人ですhttp://www.tondesaitama.com/
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