サンパウロ買い出し紀行
何年ぶりか、休暇でサンパウロ市およびモジダスクルーゼス市にいってきました。
今回はおおざっぱにわけて①「とにかく食べる楽しみを追及」し、②ブラジリアでは手に入らない「貴重物品」や情報の取得(DAISOに潜入調査など)、するともに③人生の契機となった場所を再訪し初心にたちもどる(この辺はつまらないかも?ごめんなさい)目的で旅してきました。
まず食い物だが、ブラジリアにもありそうでない、しかしないと狂乱する日本食を毎日食いまくってきたぜ!1年分ため食いで危うくおなかをこわすところだった。
その1、すきやの牛丼
その2 串かつ
その3 生やきそばと実際に食べているところ
そして、贅沢のきわみに「お弁当とうぐいすもち(包装では「きなこもち」)の2本立て超豪華版だ!
というわけで5日間「まるかい」に通い続け、レジのお姉さんたちに顔を覚えられてしまったようです。
ちなみに、ブラジリアでは普通の食生活にもどりました
MIOJO Al OLIO (インスタントラーメン。Al Olio)
リベルダーデ(サンパウロ東洋街)には2店の日本書店がありますが、太陽堂のほうは最近手芸関係?に特化してきており、フォノマギが唯一のこる他分野対応形?の書店となっています。(2019年11月付記。太陽堂は潰れてしまったようです。悲しいな)小生サンパウロ旅行したときは自己啓発のためにもなるべく「ネット購入でない本屋さんで出会った本」を買うことにしてますが、年々バラエティが少なくなっていくような感じでさびしいです。。。
というわけで今回買った本は
百人一首今昔散歩
和歌の読み方(意味)やいろいろなトリビアなど、なかなか楽しい本です。
さて、DENSOじゃなかったみんな大好きDAISOですが、そのまえに南米最大の金融街といわれるCENTRO某地区を歩いてみました。
ブラジル銀行
BOVESPA(サンパウロ金融市場)付近。建物の紋章に英国の影響?が見られます。
付近でこだわりの帽子屋さんを発見。早速店主に小生のかぶっていた帽子(実は日本のZETTAという大衆用の安物、上記牛丼の裏に写っているやつ)をみせびらかし、どうだこういう帽子は売ってないだろーと冷やかしたら、まじめに怒って「うちの帽子は格式が違うんじゃー!」などと言い合いになってしまった。別に言い合いをしにいったのではなくて、サンパウロの職人魂に再び触れることができて嬉しいです。
サンパウロだが絶対経営者はブラジリア(あるいはリオ)だぜ、という上記帽子屋さんとは180度反対の店も発見
商品(サンドイッチ)にやたら張り紙をしているへんな看板
よくみたら「売り切れ」。おまえやる気あるのかゴルア!よくサンパウロでこんな商売やってつぶれないものです。
つぎはイタリア人町BEXIGAにある骨董品市場へ潜入しました。
こんなかんじ。本物の骨董に混じってなにげにニセモノの日本刀がおいてあるところに商魂のたくましさを感じます。
こちらはガラス器具を主力としている店
つい、かぶと虫となると写真を撮ってしまいます。
空母のおもちゃ。やはり気になっちゃうんですよね。これも滑走路の一種ですから。。。(ちなみに、上記本物・偽ものについては小生の主観です)。
飛行機つながりで、サンパウロ飛行クラブを訪問。
博物館が併設されていて、いろいろな展示物がありました
DC3旅客機のアンテナドーム
40年代のクラブ風景。ブラジリアはいまでもこんな感じだなあ。。
ファーストソロフライト(教官なしの単独飛行)のときに飛行機に結わえ付けていた旗と「ファーストソロ証明書」
すっちいさんと子猫女性パイロットについての展示
飛行帽。まだ吹きさらしで飛んでいた時代は必需品だったそうです。
場所変わりましてコンゴニャス空港すぐ近くの「飛行気乗りの隠れ家」
ここで航法・航空法規関連の参考書籍を買いました
その他の点描や情報
・今回LARGO SANTA CECILIAそのものにあるホテルに泊まりました(一泊R$65)。
でも驚いたのは宿泊者もフロントアテンダントもみんなアフリカ系で、アンゴラに迷い込んだような雰囲気になってしまった。小生の部屋の目の前が食堂になっており、毎晩アンゴラ人みたいなおにいちゃんが一人いひひひなんてコンピュータをいじっていたが、今考えてみれば警備員だったと理解。朝食時にはなぜか近くの交番から軍警察の警察官が朝ごはんを食べに来ていました(治安上は上策と思います、はい)
部屋に窓はあったがこんな感じでした
・すぐ近く、でもないがSHOPPING CENTER HIGIENOPOLISがあり、そこの本屋で買った雑誌を読みながらSTARBUCKSで休憩しました。
ちなみにISTO E DINHEIROで特集「レアルプランの20年」があり、レアル誕生秘話みたいなすごい記事がいっぱい載っていた。とりあえずの重要データとしては◎レアルが成功したのはまず事前にURV導入など含め国民に十分説明し、公共部門のARROCHO FISCAL(緊縮)など政府の具体的決意・成功の裏づけを見せたから。◎レアルの基礎は①為替管理②インフレターゲット③RSPONSABILIDADE FISCAL(財政責任法等財政管理)の三脚にある。◎しかしブラジル経済の安定にはレアルが国際基軸通貨(ドル、円、ユーロ)として通用するくらい安定・流通しなければならない。このためには中国のような大輸出国(ブラジルは世界25位)となり、貿易とともに巨額の金額が世界をまたにかけて動くようになる必要がある。◎従って、レアルプランの最大優先事項はインフレ沈静ともに国際競争力の強化が必須となる。このためにはインフラ整備や人材育成が鍵である。
・SHOPPING HIGIENOPOLISですが、おとぎの国から抜け出てきた王様やお姫様のようなセレブ(スリマラさんみたいな感じ)が徘徊していて、サンパウロ消費者の豪勢さを痛感(小生は靴磨き少年みたいな感じ)。このショッピングは優良なサービスがそろっているので皆さんがサンパウロに寄った際はぜひ素敵な物品の購入や映画館の利用など活用してください。なお、場所柄かヒトラー等ナチに関する書籍や物品は見当たらず。
・LARGO SÃO JOSE DE BELEMへ行ってきました。
IGREJA MATRIZ DE SÃO JOSE DE BELEM
このLARGO(広場)は大学受験の試験場だった場所で、なぜか「小学校教師のおばさん2人組」となかよしになり、試験のあいまに「合格しようね、がんばろうね」と励ましあった記憶があります。
試験場となった小学校校舎
子猫たちへのお土産のパネトーネはここで買っています。前回来たときは個人経営だったスーパーが今はEXTRAに変わってしまっていました。
その他、スペースがないので簡単な説明にとどめます
大学卒業前後過ごした安アパート(緑色の壁の部分、3階。サンパウロ市ピニェイロス地区)
ブラジルに移住して初めて住んだ家(今はレストランになっちゃいました。モジダスクルーゼス市)
「さうだーで」ですね、というわけで以下リンクして結びとします。ちなみにポルトガルの歌であり、Mariquinhasは固有名詞でありブラジルで言うような悪趣味な意味はないので念のため。
Foi no Domingo passado que passei
À casa onde vivia a Mariquinhas
Mas está tudo tão mudado
Que não vi em nenhum lado
As tais janelas que tinham tabuinhas
Do rés-do-chão ao telhado
Não vi nada, nada, nada
Que pudesse recordar-me a Mariquinhas
E há um vidro pegado e azulado
Onde via as tabuinhas
Recordações de calor
E das saudades o gosto eu vou procurar esquecer
Numas ginjinhas
Pois dar de beber à dor é o melhor
Já dizia a Mariquinhas
ではでは
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