才能と適性。必要な才能は誰でも持っている。

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シュバイツアーなど医学界の偉人、ミケランジェロやリキテンシュタインなど美術の巨星。レオナルド・ダ・ヴィンチに至っては、芸術家なのか科学者なのかわからないくらいに多彩な「技のデパート」状態で、うううこんな天才にはとてもなれない、せめてその何分の一かの才能があれば、平々凡々のリーマンを脱出して、ちょっとは楽な生活ができるだろうに、とほほ。。。。と嘆いている人も多いと思います。


レオナルド・ダ・ヴィンチのヘリコプター。

現代の知識で工夫を加えた改良版だと、ちゃんと飛ぶらしい。

https://www.youtube.com/watch?v=bPYvf669SXE

F1中継など見ると、シューマッハ(はい古いです、すみません)がガンガンぶっちぎりで勝利しています。

カッコいいレーサーになりたいぜー!なんてレーシングスクールを目指す青少年も生まれ。でも、ヨーロッパの一流どころでは「ドライビングには才能が必要だ。才能がない者は、努力と時間の無駄なのでこのスクールに来る資格はない」なあんて追い返されたりすることもあるらしい。

その一方で、レーサーになるために生まれたような「脳みそとケツがつながった」才能あふれる人でも、本人は「車なんて興味ないよ」と、いっしょうけんめい美術大学で勉強したりしているみたいなケースもあります。

旧ソ連などで「天才陸上選手」ともてはやされながら、本人は「実は科学者になりたかったんだけど、むりやり体育選手にされちゃった」みたいなのもあり。

となりの芝生は青く見える、ということなのでしょうか。ぼくは運動音痴なので、スポーツ選手とかうらやましいなーと思っています。

こうしてみると、F1レーサーと言っても別に人類全体を導く選ばれた人、というのではなくて、自動車レースの世界で人類の極限に達した人、というかんじで、それぞれの得意分野で「適性」がある、ということなのだと思います。


すなわち、天は誰にでも才能を与えており。ダ・ヴィンチみたいなマルチ人間は別として、人それぞれで与えられた才能の種類が違っている。そしてそれはごく少数の選ばれた人のみに与えられた特権ではなくて、「適性」があったところに訓練が重なり、うまく開花した人が「天才」と呼ばれるようになる、のだと考えます。

つまり、「天才」という特別な人種はおらず、普通の人がそれぞれの「適性」を持っているということである。

日本の人には、ピンと来ないかもしれませんが、これは人種差別などを防ぐとても大切な考え方なのです。

「特別に選ばれた人」の存在を認めてしまうとどうなるか。ナチスドイツが典型的で、ユダヤ人迫害が始り。その恐ろしさを当のドイツ人自身が知り抜いているので、ドイツ人同士の間でも「密告されて迫害されたらどうしよう?」と戦々恐々の日々が始まってしまいました。差別が容認された社会とはそういうものです。

というわけで、「才能」「天才」を「適性」におきかえてみましょう。ぼくでもできるぞ!と希望がわいてきませんか?

適性に恵まれなくても、かえって成功する人もいます。

日本語教師あるあるですが、ネイティブの日本人が、友達としてはいいけれど、教師としてはどうも。。。。となるケースがあり。一方、生まれも育ちもブラジルの非日系の先生が、とても生徒に頼られるというようなことがあります。

これは、ネィティブの人は、「最初から自然にしゃべれる」ため、0スタートの生徒さんたちに「どうやったらしゃべれるようになるか」を教えることができないためです。同じく0スタートして、ネィティブレベルまでたたき上げた非日系教師の方が、「どうやったら」という部分の引き出しが多くて、大切な知識の移転ができ。ハンデを克服したからこそ教師として成功できるのだと思います。

ただし、気を付けてください。虚弱体質でもやしの人(ぼく自身がそうです)は、相撲取りにはなれません。やはり自分自身を知ることが重要です。「ウルフ」千代の富士みたいに、小さい体を知恵と勇気で克服し大成することも可能ですが、それは、千代の富士が自分自身を十分に分析して、相撲取りとしての最低限の適性をはぐくんだから可能となったのです。


小錦(左)と千代の富士(右)

出展:https://grapee.jp/208009

やせっぽちの人がプロレスラーになりたい、と考えるようなケースでは、実は体格への劣等感を、筋骨りゅうりゅうなプロレスラーという別世界のキャラクターになれたらなーみたいな、実はうすっぺらい要求の満足で解消しようとしている程度だったりします。もっと適性のある分野がないか考えてみましょう。一方、やせっぽちでも「強さの証明」としてのプロレス好きが高じて武道の世界に入り、なかなかのところまでいく、というようなのはたくさんある。

ウルフの場合は、実績もあるけれど「適性(体、技)を鋼鉄の意志(心)で鍛え上げた」のが本当の強さだと思っています。

要は、プロレスラーになりたいのか、強い人になりたいのか。そして「強いってなに?」ということをあなたの適性が教えてくれますよ。ということである。

弟の仕送りで生き永らえ、人々と仲良くなれず、ろくに絵も売れないまま、最後は自殺しちゃった(他殺説もある)、どうしょうもなくしょうがないゴッホでも、ぼくとしては、「美術を最後の最後まで追求し、主張し、伝えた」勇気のあるとても強い人だと思います。でもこの記事を読んでいる素敵女子のみなさんは、こういう男性からは逃げましょう。ははは


ゴッホ「アルルの跳ね橋(1888年)」

おなじお題で5枚の絵がありますが、一番好きな一枚です

自分の適性はどうやって見極めるのか。

自分は何になりたいのか?どんなことで成功したいのか?考えてみると、結局はやりたいことと得意なことはつながっていることに気づきます。

自衛隊パイロットの養成で、ある一定の飛行時間に達しても単独飛行できないという生徒は「適性なし」とレッテルを貼られてエリミネート、つまり飛行学校を退学にされてしまいます。

もしこの記事を読んでいるあなたが、エリミネ―トされたばかりで悲嘆に暮れているとしたら、なぜ悲しいのか考えてみましょう。

ジェット戦闘機に乗って、ミサイルとかを使いこなしたい:なるほど。でもジェット戦闘機でないとなぜだめなのか?だってミサイル撃てないから、というのであれば、あなたは適性は飛行機のりではなくて、戦闘マシーンになるということであるから、防大などそっちの道がある。外人部隊とかで伝説になったりして。

ミサイルなんて余計。とにかくジェット戦闘機に乗りたい:おおお君は飛行機乗りだ!でもカデットから抜け切れていませんね。もっと民間精神旺盛になって、河原桟敷のULPクラブに行ってみましょう。本物の飛行機乗りであれば、ULPだろうがF15だろうが飛行機で空を飛ぶということに変わりないことがわかると思います。なんてぼくはF15を飛ばしたことはないけれど、セスナだろうが737だろうが、飛行機を操縦するという根本は変わらないよ、と言いたいのです。

で、ぼくはやっぱり飛行機乗りだ、となった場合は、民間だろうが自衛隊だろうが地上勤務でいいからじゃんじゃん仕事してお金をためてULPを買い(モーターグライダーやセスナもいいが、お金かかりすぎ。)、自由に飛べばいいのです。まあこれは機長として飛ばなきゃわからないだろうなー。プロのジェネアビパイロットになるなどの手もある。


ジェネアビの神パイロット「淳さんのおおぞら人生、俺流」

すごいぞ!

そして、河原桟敷で飛んでも物足りないや、という人は、やっぱり飛行機乗りとしての適性がそれほど。。。ということなので、自分の適性を見つけ出してその分野で頑張りましょう。

適性が発見できたとして、どう開花させるか。

剣道選手あるあるの例で行きます。この記事を読んでいるあなたが「大会でいい所まで行くけど、そこでストップ。ぼくって才能ないのかな。。。。」と落ち込んでいたら。

「いい所まで行く」時点で、十分適性はありますよー。問題は「メダル、賞状がほしい」「負けたくない、恥ずかしい」という方向に意識がずれちゃっているので、そんなことは忘れて「こうと思った面打ちを、どんな場面でも必ず打てる」ように、訓練(稽古)に浸りきればいいのです。夢中で、時のたつのを忘れる、となれば、気が付いた時には自分でも驚く面を打って、勝っています。


ではでは。。。。

 

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