ブラジリア点描

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◎サントスデュモン生誕150周年

こないだブラジリアの中心地区にあるショッピングセンターへ行ったら、サントスデュモン生誕150周年記念の展示をやっていました。



 

 

この展示では、サントスデュモンが作成した数々の飛行物体の一つ、Demoiselle号のレプリカが展示されていました。






 

 

今どきの初級ULPそっくり。

ちなみに、「Demoiselle」というのは、日本語では「素敵女子」になります。

ううむなかなかおつな命名だ!(英語だと、Maidenだそうです。ちょっとちがうかな?)

この飛行機は1907年に初飛行し、改良など加えながら40機ほどが生産されたそうです。

写真のは2018年製のレプリカ。全長6.2m、全幅5.5mで、翼の長さより機体の方が長いという、いかにも当時らしい構成の機体。

空虚重量190キロ、飛行可能速度時速96キロ。竹と絹の布、50馬力以下のエンジンですから、大したものです。



いまどきの初級ULP

http://philiptoledano.blogspot.com/2010/06/um-excelente-ultraleve.html

 

 

サントスデュモンはブラジルのミナスジェライス州に生まれ、いろいろあって18歳の時にフランスに渡り。

まずは気球などで空を飛び始め。次第に飛行船を開発していきました。



 

 

ちょくちょく墜落していたらしい。



 

 

ロスチャイルド邸の庭に落っこちたが、ロスチャイルドさんと一緒にコーヒーを飲んで、まだ飛べるじゃん、と修理して、また離陸というか浮揚して帰って行った、といううわさもあり。

そのうち飛行記録を作り出しはじめ。エッフェル塔のまわりだのなんだのを飛んだりして、人気者になりました。


 

 

ついには「空気より重い物体」つまり飛行機の制作をはじめ。

飛行船というか気球というかに吊り下げてテストなどからはじめ。


https://www.cabangu.com.br/pai_da_aviacao/3-dirig/10/10-dirig10.html

 

 

14Bis号は、「ヨーロッパで初めての飛行機」と呼ばれるようになりました。


 

 

ちなみに、サントスデュモンの飛行機は、日本製の絹で翼や機体を覆っていたそうです。


 

 

世界最初の飛行はだれか?になると、いろいろな人がいろいろな説を立てているので、ここでは議論しませんが、サントスデュモンは発明家でもあり。下の画像では、飛行機を車にのっけて運んでいますが、これが世界最初のピックアップトラックだったそうです(かもしれん)。

さらに下の写真は、救命用の大砲だそうで、砲弾の代わりに救命ブイを打ち出し。400メートル先までカタパルト発射で届かせることができた。


 

 

海岸に置いたのか?船にでも乗せたのか?実際2名がこの装置で命を救われたそうです。

サントスデュモンは、自分が開発した飛行船や飛行機の図面は広く希望者に提供しています。

というか、リリエンタールも飛行実験の詳細を一般紙に投稿したりして、当時の発明家たちは、飛行機に関して言えば、わりとオープンに状況提供・交換していたらしい。

一番有名なライト兄弟が、特許だのなんだのと、やっぱり有名なカーチスとみっともなく争ったりしましたが、そっちの方が例外と思います。

◎素敵女子来訪

一時期ブラジルに駐在していて、その後日本に戻っていた素敵女子「たこ焼き老師」さんが、コロンビア経由でひよっこり来訪。一緒にそのへんを楽しく飛びました。

たこ焼き老師さん、ありがとうございます。

コパイ目線からの写真多数いただきました



離陸 https://www.youtube.com/shorts/Oi_4LiCyvfk

 

 




着陸 https://www.youtube.com/watch?v=PyhBulLLCxY

 

 

たこ焼き老師さんのフェイスブックで、これらの写真の一つについたコメント:

「Helicopter?Cool!」

ヘリじゃねーよ!飛行機だよ!ぎゃわわわー!

たこ焼き老師さんを送って行ったホテルで、変な車が停車していました。

その名も「唐」。


唐?

 

◎筆触分割

点描つながりで。。。。

筆触分割、という絵画の技法があります。印象派で生まれ大成した技法です。

印象派の前は、画家が色を作るとき、原色などいろいろ混ぜて色彩のバリエーションを作ったりしていました。

でも、複数の色の絵具を混ぜていくと、画面が暗くなって行っちゃうんですよね。

というわけで、繊細なバラエティに富んだ無数の色が満ち溢れている名作は、どうしても色調が暗くなってしまい。


テオドール・ジェリコー《メデューズ号の筏》1819年

 

 

上の絵は、遭難というシチュエーションなので、あえて暗い画面にしたというのもあるでしょうが、そうでない絵でも、どうしても暗くなってしまう傾向にあり。


アングル 泉

 

 

アングルの「泉」は、まだ早朝の黎明みたいな薄暗さが、幻想的な雰囲気を作っていますが、でも、もっと明るい画面ができないかなー(コンピューターでコントラスト調整とかは禁止)と思ったりします。

それを覆し、野外の太陽さんさんたるあかるい風景を、明るく輝くように描写したのが印象派でした。


モネ アルジャントゥイユの橋

 

 

どうやってこの明るい色彩を達成したのか?

「べつに、絵の具をまぜなければいいじゃん」ということなのでした。ははは

でも、緑を作るためには、青と黄色を混ぜなければならないよ?

そこで生まれたのが筆触分割です。

目の前10センチのキャンバスに、ひとふでづつ交互に、青と黄色を隣り合わせでぺったんぺったんと塗っていったとします。

目の前10センチだと、青の隣に黄色。その隣に青、そのまた隣に黄色。。。という感じ。

でも100センチ離れてみると、青と黄色がぼやけて混ざり合い、なんと緑色にみえるのでした。

これを、視覚混合というのです。

印象派は、この視覚混合を縦横に活用して、まじりあった色だけれど暗くならない、という秘法を編み出したのでした。

そして、その一つの究極形が、「点描画法」

いろいろな色の点を、ともかく無数にキャンバスに打っていく。

もちろん行き当たりばったりではなく、画家が表現したい対象物がくっきり浮かび上がるように、無数の点を打っていきます。

その結果、下のような絵ができます。


黄色い葉っぱの木がある風景。とある建物の壁にかかっていました。(いまどきの絵です)

 

 

もうちょっと近寄ってみます。


 

 

そして、キャンバスにくっつくくらいに近寄ってみます


 

 

へえーこれが点描画法なのか!と、コンピューターの画面では見ることのできない実物を見ることができて、感激しました。

といっても読者の皆さんには、コンピューター(スマホ)の画像から間接にしかお見せすることができないんですよねーでも言わんとすることはご理解いただけたと思います。

しかし、本当に感得するには、やっぱり実物を見る必要があるという事を痛感しました。

あと、あまり近寄ったり遠のいたり、写真を撮ったりなんてしていると、警備員のお兄ちゃんに憐みのまなざしで見られてしまうので、気を付けましょう。ははは

モネの絵(アルジャントゥイユの橋)と、今時の画家による黄色い葉っぱの木を見比べると、今時のほうは、遠くても点描が見えてしまい、かつ煙のようにぼやけてしまっている点が残念ですが、モネの方は、HP画像ですが、筆触分割のお手本とされる水面の部分も、まるでふつーに絵具を混ぜて書いているように見え。やはり巨匠は格が違うなと感服するのでした。

点を強調するケースではスーラという画家がいますが、スーラの絵は、点の一つ一つがすごい鮮明で、黄色い木の絵みたいになんか輪郭がぼやけちゃった(霧の中から見ているみたい)というのに比べてキレが違うと思います。


スーラ グランド・ジャット島

 

 

もちろん、「印章 日の出」とか、ターナーの水彩画みたいに、あえてぼやかした、という絵もありますけど。黄色い木の絵も、わざとそうしたのかな?

◎おまけ

ブラジリア点描なので、ちょっとだけブラジリア市街などの写真を追加


ではでは。。。

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