ブラジルとパラグアイの国境に、プレジデンテ・ストロエスネルという町があります。ブラジル側のフォズ・ド・イグアスとは、パラナ川で隔たれており、「友情の橋」で通行ができるようになっています。
と書くと、あれプレジデンテ・ストロエスネルじゃないよ、シウダージ・デル・エステだよ、とご指摘があるかもしれません。
https://www.youtube.com/watch?v=lCdCbs8SrXo
はい、その通りですが、デル・エステになる以前は、ストロエスネルでした。そして、ストロエスネルという恐ろしい独裁者の名前から、デル・エステすなわち「東の町」という、優しさいっぱいの名前に替わったように、現在のデル・エステが優しさいっぱいな国境の貿易・観光都市であるのに比べて、当時のストロエスネルは、身の毛もよだつ、血も涙もない野獣資本主義の渦巻く世界だった、のかもしれません。
中国人が流入し、窮状で生まれ育った現地の底辺の人の中から、人を出し抜いてでも金儲けをする才能のある人たちを使用人に抜擢して、巨大市場を形成しました。
もともと中国人なんて金儲けの天才ですが、さらに抜きんでた「やりての商売人」が、パラグアイとブラジルの国境という戦略的要地に集まって発展した町、と言ってよいでしょう。
別に、金儲けのためなら、人だろうが犬だろうが56して眉一つ動かさない人たち、とは言っていないので、念のため。
ストロエスネル当時の隣国ブラジルは、自国の産業を育成するために「輸入ゼロだ!すべてを国産にせよ!」と軍事政権が指令を出しており。国産と言っても部品は輸入とかもあったので「100 por cento Nacional(国産化率100%達成)」をアドバルーンに掲げていました。
つまり、それは、外国から見れば、なんちゅう粗悪品じゃ、というような製品が、ものすごく高い値段になってしまうという事を意味していました。
たとえは悪いかもしれませんが、自衛隊の装備を国産としたため、外国の同等品にくらべて高くなっちゃった、というのと似たような話かと思います。
微妙な国産化の例。64式小銃
https://rikuzi-chousadan.com/soubihin/zyuukaki/type64rifle.html
つまり、うまくブラジル官憲の目を盗んで、著しく安く高品質な外国製品をブラジルに運び込めば。。。。と気が付く中国人が出てきたのも自然な成り行きだったのかもしれません。
https://viagemeturismo.abril.com.br/cidades/ciudad-del-este/
きれいな新車が走りまわる現在のデル・エステ。穏やかになりましたね。。。
ブラジルとの国境で、うまく抜け荷を運び込める拠点といえば、フォズ・ド・イグアスのほかにもポンタ・ポランなどがありますが、もろもろの事情により(深入りする気はありませんのでご容赦ください)、フォズ・ド・イグアスが一番便利であり、対岸のパラグアイ都市、プレジデンテ・ストロエスネルが最大の拠点となったらしい。
https://www.h2foz.com.br/paraguai/ciudad-del-este-a-que-nasceu-duas-vezes-faz-65-anos/
ストロエスネル時代。ちょっと古い写真だけど。
もともと、パラグアイという国は、農業国です。
パラグアイの人たちは、働き者の女性と、穏やかなインディオ系の人々、というとステレオタイプ化してしまっていますが、密輸をして大儲けしてやろう、というような種類の人はそう多くなく。
ただ、少なくとも昔は貧しくて、食べていけるなら。。。という人もいた。
九龍城砦という言葉を聞いたことがあるでしょうか。
端折った説明になりますが、英国が香港を侵略した時、いろいろあって英国の主権が及ばない飛び地が生まれ。
その飛び地には、清(中国)の主権も及ばなくなってしまい。
その結果、警察とかの手が届かない、恐ろしい無法地帯としてのスラム「九龍城砦」が誕生した。
九龍寨城(1989年)
Author: Jidanni, CC BY-SA 3.0, via Wikimedia Commons
もちろん、九龍城砦の住人のほとんどは、まじめな、働き者の人たちであり、お医者さんや歯医者さんといった知識人もいれば、日常の雑貨を売るお店屋さんやスーパーみたいなのとか、床屋さんなど、要すれば、国家権力が届かない「九龍城砦」という一つの独立共同体が存在していた。
ストロエスネルの場合、貿易、というお題で発生した、ブラジル・パラグアイの国家権力があまり厳しく取り締まらない(わいろを絞り取っていたとは言いません)、一つの巨大なスラムだった、という事が言えると思います(繰り返しますが。過去形です。現在はデル・エステという都市になっています)。
こういった場所の常で、いわゆる反社組織が強い力をもっていた。これがリオデジャネイロのスラム(ファヴェーラ)だと、「コマンド・ヴェルメーリョ」だのといった組織が、警察を追い払ってデファクトの権力を大っぴらに握ったりしていますが、ストロエスネルの中国組織はもっとクレバーで、別にパラグアイやブラジルの国家権力とケンカするでもなく、でもストロエスネルの貿易を牛耳る中国商人の手綱はしっかりと握っていたらしい。
時代は過ぎ。
ブラジル製品もいちおう外国製品と肩を並べる品質と価格になってきて、それほど密輸のうまみはなくなってしまいました。
でも、以前からつちかわれた、中国人のコネクションを通じたパラグアイからブラジルのへの輸送販路は継続され。
現在は、穏やかな国境都市デル・エステから、「友情の橋」を渡って、中国や東洋の特産品をサンパウロの東洋人街へ運ぶ重要な拠点になっていると理解します。
友情の橋
https://rotasdeviagem.com.br/historia-e-curiosidades-sobre-a-simbolica-ponte-da-amizade/
こないだサンパウロの東洋人街に行ってきましたが、以前の日本人街だった時の、日本書籍店や、日本食品店が並んでいた、一種のどかな風景から変化して、すさまじい数の極小店舗が雑居ビルに密集した九龍城砦みたいなのが生まれており、びっくりしました。
まあ、ブラジルの九龍要塞は、明るくてあっけらかんとしていましたが。
東洋人街、雑居ビルの入り口。いろいろなお店の看板が密集しています。
内部はこんな感じ。クリスマスの飾りつけとががなされています。
というわけで、どんなものが売られているかというと、こんな感じ
これらがすべてデル・エステ経由か、あるいは直接サンパウロ空港からなのかはわかりません。
というわけで、やっと表題のタイガーバームにたどり着いたのでした。
そもそも、タイガーバームってなに?
軟膏です。世界中で売れているベストセラーであり、日本では第三類医薬品に区分されている、外用鎮痛消炎薬です。
このタイガーバームを見て、ストロエスネルでの記憶を思い出しました(以下、脚色しています)。
ストロエスネルでは、いわゆる担ぎ屋さん(パラグアイでの免税を利用して大量に買い付け、うまく「友好の橋」を渡ってブラジルで売りつける人たち)と、観光客としてやってきて、でもパラグアイで安く購入してブラジルに持って帰る人が主な客であり、特に後者はせいぜいお土産程度しか買っていきませんが、上の写真みたいにひしめく店舗に展示しているタイガーバームふくめ、もろもろの輸入品を、「やったー中国の本物を、ブラジルの政治家に中抜きされない値段でゲットだ!」と大喜びして買っていきました。
そんなお客さんたちを見ながら、とある中国のお兄さんのひとこと。
「タイガーバームには、実は古来のタイガーバームと、一般向けのタイガーバームがあるんだ。古来のタイガーバームは、歯が痛ければ歯に塗る(本当は歯茎か?)、おなかが痛ければお湯に溶かして飲む。肺がやられたらお湯に混ぜて吸引する、という事で、なんにでも聞く万能の薬なんだけど、お湯に溶かすとか歯に塗るとかはちゃんとやらなければ副作用を起こすし、そう誰にでも売っていい薬じゃない」
「そこで、一般向けのタイガーバームには、消炎・鎮痛の外用塗り薬という部分をのこして、世界のどこでも売れるようにしている。みんなが買っているのはこっちの方なのさ。でも中国人には、古来のものを売っているし、欲しかったら売ってあげるよ」
ということでした。
さて、「古来のタイガーバーム」に何が成分として入っているのか、もちろん聞くことはしませんでした。する人は4にます。
奇跡の万能薬タイガーバームは、現在では、外用消炎鎮痛薬、第3種医薬品として順応し、日本に世界に愛されています。
デル・エステから送られてくる現代に合致したメントール薬品タイガーバーム。
時代の流れは、少しづつでも「風の時代」に向かっているのかな、と願っています。
アメリカにもタイガーバームちっくなのがありました
https://jp.rohto.com/mentholatum-ointment/ointment/
ではでは
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