お持ち帰り・テイクアウトの話

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お持ち帰り・テイクアウトの話

昭和戦後世代として聞き捨てならない事件があったので掲載します。

大阪府堺市の定時制高校で、余った給食パンと牛乳を持ち帰ったとして男性教員が懲戒をくらい、あげく退職に追い込まれた、というニュースを聞きました。

開発途上国ブラジル在住の土着民からみれば、えええええ?日本はいつからそんな贅沢な、食い物を粗末にする国になったんだああああ????と驚愕、開いた口がふさがらなくなってしまいました。

確かにぼくが生まれたころは日本は豊かになっており(埼玉県も日本です。いちおう)。でも、「八百屋の鈴木さんは、満州からの引き上げで大変だったそうだ」「乾物屋の中曽根さんは、沖縄戦で家族を半分亡くしてしまったそうだ」「となりのみよちゃんのお父さんは、南方の島で餓死寸前になったそうだ」みたいな、食うや食わずの時代の残像が残像ではなくリアルに生きていた時代でした。


戦後の日本は、物資の有り余るアメリカから援助を受けて何とか復興できた

そういう昭和の日本から移民でブラジルへ、そして令和の今日にいたって聞くニュースがこれか?ううむ大丈夫か日本人?

この教師に賛成・反対かなり意見が分かれているらしい。反対派の意見は「もちかえりは禁止という規則を破ってはいかん」「衛生上の配慮がなっておらん」というのがあり。賛成派は「もったいないじゃないか持って帰って何が悪い」という感じ。

ちなみにニュース出展記事(MSN)では「4年の間に持ち帰ったパンは1002個、紙パック牛乳は4178本(いずれも本人による申告)で、本人の申し出により代金約31万円は返還された」とあります。

こまかいなあ。。。もちろん正確さは重要だけど、1002だの4178だのという数字にこだわる前に、食べ物が粗末にされていた(記事では「余っていた」)ことについての注意喚起や、解決策と言った面での議論、検討、提言が先ではないでしょうか。

参照した記事では、前向きな提言がぜんぜん見当たらないばかりか、細かい数字の羅列の後に、「教師が懲戒されました」に行ってしまい。

この「教師による代金返還」が最も懸念すべきねじれた(洗脳)措置だと考えます。

そもそもなぜ「パンと牛乳」があまるのか?ラクトース過敏症とかであれば、最初から申告し水だろうが別のものを配るようにすればいいだけの話であり、パンにしてもそんな食えないようなまずいものでも量が多すぎるわけでもなかろうに、と思ってしまいます。

個人差で食べきれない、という場合は「それこそ本人が持ち帰って後で食べましょう」。もちろん腐っちゃうなんて食べ物を冒涜するほど捨て置くようなまねはダメ!絶対!である。

これを育ちが良すぎる生徒たちが「まずい、食べられん」というのであれば、次善の策として先生が持ち帰るのは捨てるよりはずっといい。ぼくが教師だったら、喫食の前に「全員校庭3周!」で終わったころにはのどが渇き、腹もへり。水だろうが牛乳だろうがむさぼるように飲み、食う、となると思いますが(例えばの話です)。牛乳とパンですから、ガダルカナルやインパールのように泥水やヤモリとかを飲まされ、食わされることに比べどれほどごちそうか。


前谷惟光「ロボット三等兵」

そもそも規則が変である。ニュースによると

「文科省が設けた学校給食衛生管理基準に「パン等残食の児童生徒の持ち帰りは、衛生上の見地から、禁止することが望ましい」「パン、牛乳、おかず等の残品は、全てその日のうちに処分し、翌日に繰り越して使用しないこと」と明記されている。」

といかにももっともらしいことが書いてあるが、封を切ってしまったならともかく、パックのままのものを処分せい、と強要に至るストーリーがおかしい。本来は、残した奴が自分の責任で持ち帰り食中毒にならないうちにちゃんと食え、ということだと思います。

もしやっぱり食べられなかった、という場合にパン君ごめんなさい、という意味での代金返還も、本来は残した奴が払うべきである。


シベリアに抑留された人たち。重労働でろくな食料も与えられず、餓死者が続出。

「旧ソ連抑留画集」よりhttp://kiuchi.jpn.org/nobindex.htm

今回の一件は「本来重要であり、尊重すべきもの」が尊重されないままに「本来の解決とかけ離れた枝葉の対応にすりかえてお茶を濁している」ことが重大な問題だと理解します。

要するに、この件は「飯は大事だ。粗末にしないようにはどうすればいいか」という話なのに、なぜか「だれかに責任を負わせ、懲戒して解決したように見せかける」小役人根性まるだしの盲目的な規則の履行で済ませてしまっているところに、底知れない恐怖を感じます。

この一件のみならず、いろいろな課題について、問題の本質を見極めずに法律だの衛生だのと権威をかさに着た(泉)かりそめの対策でいかにも解決しましたみたいに思い込んでいないでしょうか

「目的と手段」の混同とすり替えは、太平洋戦争での国民の絶筆に尽くせない犠牲を招いてしまいました。

これが日露戦争の場合「ロシアの勢力が満州以南に南進し、日本の独立を脅かすことを防ぐ」という明確な目的があり、同じく明確にロシア勢力の排除を狙っていた英国と日英同盟を組むことができ。明確な目的が確立してはじめて目的達成の手段として戦争を開始し、目的達成が明確になってきた奉天会戦・日本海海戦あたりで「これ以上やったら日本自身の国力がつづかない」とさっさと講和に進むことができました。

「大東亜戦争」の場合、「南方資源の確保」なのか「東アジア新秩序の確立(なんじゃいそりゃ?)」なのか、どこまで戦争してどこで終わらせるかという段取りがないままとにかく戦争という手段を強行してしまったため、南方地域を確保したら今度はオーストラリア攻略だなどと際限もなく構想が膨らんでいくかと思えば、ガダルカナル、サイパンと圧倒的劣勢が明確になっても講和できず、ずるずると原爆投下・無条件降伏まで事態を悪化させてしまった。

この「目的と手段の混同とすり替え」については別記事で「零戦とグラマンの残念な比較」について記載し「世界一スマートな技術の結晶であるゼロ戦」が「プレファブの濫造品グラマン」にバタバタ落とされたという全くスマートでない結果に終わってしまったことについて考察しましたのでそちらもご覧いただけますと幸いです。

そして最後に。。。

牛乳はダメだろうけれど、せめてパンが一週間はもつのだったら。。。余ったパンを集めて、逆境を生き抜いているシリアや北朝鮮の児童に定期的に送るとかはできないのかなー、とかおもったりしています。悲しいな。。。


終戦前後。逆境に負けず耐え抜く少年。

https://www.asahi.com/articles/ASK877VJMK87PITB00V.html

 

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