意外にこの人のことを知っている日本人は少ないので、この機会におもしろおかしく書いてみることにしました。
言ってみればアイルトン・セナの同種族というか、天才だけどいいやつ。世界の航空史に恐るべき記録を残しましたが、アメリカ史観により消されているかわいそうな発明家です。
https://www.recantodoescritor.com.br/2022/04/08/santos-dumont/
さて、サントスデュモンは、フランス移民の子として1873年にブラジルのミナスジェライス州に生まれ。でも4歳ころかにはサンパウロ州に移った。
父親がものすごーく大きな農場の主であり。収穫されたコーヒーとかを、農場の端から端まで自家用の蒸気機関車で運んでいるような、「ブラジル第二の大コーヒー農園主」だった。
このおやじすなわちHenrique Dumont自身は、農家というより「エンジニアだぞ!」と威張っていたらしい。
何のエンジニアなのかわからないのですが、確かに機械工学部門では一目おかれる存在で、ブラジルにおけるガソリン式自動車の普及に貢献した。
パブリックドメイン
写真は、使用人に運転させた自動車に鎮座するデュモン親子(1891年)。
元気いっぱいなおやじで、サントスデュモン(6男)含む8名の子供を作った。元気すぎて腰を痛め、1891年に4んじまいました。
*腰を痛めた理由は農場見回りの際に馬車から転落したためといわれており。みなさんが心配した理由ではないので念のため。
おっさんが、いまわのきわにサントス少年に放った言葉が「世界の未来は機械工学にあるのだ」だったそうである。
そんなことを言われなくても、サントスは機械大好きなオタク少年だった。
優等生ではなく。といって、スカートめくりで女の子を追いかけるとか、パチンコで小鳥を撃ち56すとか、そういうゆがんだタイプではなく。大金持ちの息子らしく、育ちのいい、すなおでいいやつだったらしい。
ただ、好き嫌いがはっきりしていて、学校でもきらいな科目はさぼりまくり、機械いじりのできる科目は大喜び、みたいな感じで、時間があればHenriqueおやじが持っていた図書館に入り浸り。農場の機械をいじくっては「ふむふむ振動運動より回転運動の方がエネルギー効率がよいのだな」なんてニタニタしていたらしい。
おやじが4んじまい。あまり農業についてはわからないサントス青年は、莫大な遺産を持ってフランスに渡った。
1890年当時のサントス青年(17歳) パブリックドメイン
ただし、実は株の売買で大儲けしており、遺産なんてなくても十分大金持ちだったぜ!という情報もあり。成人するかしないかの時点ですでに経済的自由を達成していたのであった。うらやましいねえ。
その自由と資金を、大好きなジュール・ベルヌの本に出ていた「空への冒険」へ向け始め。
最初のうちは、小さな熱気球を次から次へと大空へ放ち。えへへへへ。。。。と快感に浸っていた。
イメージ画像 História dos Balões de São João: Tradição e Perigos
イメージ画像のような、30センチくらいの長さ(大きさ?)の、提灯みたいなのの中に蝋燭か石綿かしらんが仕込んで火をつけると、気球内外の気圧差により、ひょろひょろと空高く上がっていくのです。
そのうち、自分自身気球で飛びたくなり。
当時はすでに気球乗りが複数おり、1898年3月の時点で400フランを払って誰かの気球に同乗させてもらったのが初めての飛行だったそうである。
なんかセスナの体験搭乗みたいな始まりから、知らないうちに自分で気球を作ってソロで飛ぶまでになっていた。
1898年、サントスの最初の有人気球「Brasil」 A Maravilhosa vida de Santos=Dumont por Luiz Pagano: Inventos de Alberto Santos=Dumont
「ブラジル」飛行前の記念写真
A Maravilhosa vida de Santos=Dumont por Luiz Pagano: Os Balões Brasil e L’Amerique
「ブラジル」は、後で書く秘策もあり、当時の気球の中でも最先端の性能を持つとして飛行家たちの間で称賛されたらしい。
しかし、いかんせん小さすぎ。やっと人一人が乗れるくらいで、まるで日本の通勤電車か?みたいにきゅうくつになってしまい。
日本の鉄道は、レール間隔の幅が狭い「狭軌」で小さな車体になってしまっていたところ、満州進出の機に「広軌」(海外では「標準軌」)にした「あじあ号」を生み出しましたが、サントスデュモンも、「ブラジル」からひと回り大きな「アメリカ」でヴいヴいいわせるようになりました。
夢の超特急 あじあ号
https://www.pinterest.com/pin/42643527708791492/
ところで、気球の場合重大な課題があることが判明。
一度飛び立ったが最後、どこに降りられるかがわからないのであった。
おフランスのパリざます、なので、別にどこに降りようがいいけれど、これがブラジルだったら、ジャングルに落っこちて豹に食われるか、リオのスラムに落っこち、非行少年のピストルでハチの巣だ!なのである。
日本は安全か?永田町だの霞が関に落っこちたら、たちまち政治家や官僚のゲップで汚染された大気にまみれ、ぐえええーと窒息して4じまうのだった。リオのスラムよりはましかもしれんが。
なんか自分の進行方向をコントロールできる気球がないかなー
ありました。その名も飛行船。
実は、1854年の時点でジファールというフランス人が飛行船の発明というか飛行に成功していた。でも、その後鳴かず飛ばずというか、発展しておらず。
当時は、アフリカから人さらいしてきた奴隷を大量にアメリカだのブラジルだのに運ぶ奴隷船、長じてはアジア植民地で現地人を奴隷労働させて作ったお茶だのなんだのを運ぶクリッパー船のほうが重要だったのである。飛行船なんてカネになりませんからねー
カネになるかどうかなんて、サントスデュモンには関係なかった。
奴隷だのプランテーションだのに比べると、カネにはならないけど牧歌的な「空のお散歩」を実現すべく、サントスデュモンは「操縦できる気球」の開発を進め。
まん丸の気球ではなく、できそこないのシーセージみたいな、長さ25メートル、直径3.5メートルのほそながい気嚢(ガス袋)にして前進方向への空気抵抗を削減。ここに人の乗る籠をぶら下げ。籠には3馬力のエンジンで2枚プロペラを回し、船の舵というか運動会の小旗みたいな舵も備えて、行きたいところへ移動できるようになった。
その名も「1号」
A Maravilhosa vida de Santos=Dumont por Luiz Pagano: Começo da vida de inventor
わああーい!と上昇していく分には何ら問題はなかった。
高度が上がる分、気嚢内部の水素ガスは外部の大気に比べ膨張しようとするのですが、それは気嚢がうまく抑え込んで、ぴちぴちパンパンになりながらも、ソーセージ体形を維持して順調に飛行できたのである。
ところが、下降を開始すると今度は水素が急速に収縮し始め。気嚢がふやけてぶにゃぶにゃ!になりはじめた。
そのくらいなら、当時の気球などが常備していた「バロネット」という内部バルーン(隔壁)に外気を送りこんで、水素が収縮した分だけふくらませてやれば、気嚢全体としてソーセージ体形を保ち無事飛行継続できるのですが、「1号」はバロネットに空気を送るポンプが故障してしまい。
青い部分がバロネットです
http://www2f.biglobe.ne.jp/~ntmain/nihontent/bakadata/kaisetu.htm
スカスカになった気嚢は、重心もへったくれもなくなって落下。
サントスデュモンは、とっさに籠と気嚢をつなぐケーブルを巧みに操り、パラシュート降下みたいな感じで意外と滑らかに着地したらしい。
取材にかけつけた新聞「Le Petit Journal」の記者に
「飛行船で離陸して、凧で着陸しました」と答えたのであった。
世界最初のパラグライダーかもしれん。
パラグライダー PIXABAY無料
その後もホテルの煙突にぶつかって墜落したりとかしながら、ステキな飛行船を作り続け。
その集大成が「9号」。
姿かたちも精悍で機敏そうになり。実際小回りがきき、パリのブローニュ公園の中にあるハイソサエティーのレストランに降り立ち、優雅に昼食をして飛び去りました、なんて楽しんでいたらしい。
「9号」はコードネームを「Balladeuse」と呼び。散歩する人(英語で言えばvagabondかも)という意味なのでした。ははは
9号の前には、「6号」というのがあり、1901年にはこれでエッフェル塔を制限時間以内に周回して「ドゥーチ賞」を獲得していた。
そんなことより、自由にお散歩して素敵女子のお家に遊びにいくとかの方が大切なのですが、一方こうした箔がついたことで、サントスデュモンをこきおろそうというやつらが息をひそめるようになったという意味では重要な受賞だとおもいます。
「9号」のゴンドラ、エンジンと操縦輪 A Maravilhosa vida de Santos=Dumont por Luiz Pagano: O Dirigível Santos=Dumont Numero 9 – A mais elegante maquina voadora
飛行船を極めたサントスデュモンは、いよいよ鳥みたいに翼で飛ぶ飛行物体、すなわち飛行機の開発に着手するのですが、ここまでで3000字を超えてしまいました。ヒコーキ野郎サントスデュモンについては、また別の機会にとして、このへんで終わりにさせていただきます。
ブローニュの森 https://www.area-japan.co.jp/news/paris0406/?lang=en
ではでは
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