いつぞや、サッカーのW杯予選で「ブラジル対ボリビア」をやっていました。
6対0とか、ブラジルの圧勝と思っていたら、当初は機敏に動いていたブラジルの選手たちが、しだいにふらふらよたよたとくたばっていくのです。
ボリビアの方は終始元気いっぱい。
結局、2対0とか、ブラジルは勝ったけれど、なんか物足りない結果に。
ブラジルの選手は試合後「お前はもう死んでいる」状態になっていました。
高度3000メートル近いラパス市での試合で、富士山の8合目を走り回るのと同じになり。ブラジル選手は酸欠を起こしていたのです。
ボリビア人は、現地人の強みで、血中濃度が高まっていたらしい。
https://elencos.com.br/elenco-da-selecao-brasileira-1982.html
飛行機でも同じことが起こります。
ぼくが乗っている軽飛行機だと、高い時で7500フィート、すなわち2500メートルくらい。
この程度だと、寒いけれど、呼吸とかはぜんぜんふつーです。
3000メートルを超えると、サッカーみたいな運動をしなくても判断力が鈍り。これ以上の高度は酸素マスクとかが推奨されるらしい。ぼくはそれほど上がったことがないから知らないけど。
でも、パイロット以前に飛行機が悲鳴を上げ始めます。
高度を上げると、飛行機の過給機に十分な酸素がいきわたらず、エンジンの出力が落ちてしまうのです。
こうした状況を逆手にとって、偵察機とかは戦闘機の上がってこれない高度を飛ぶことができるようにしたのが多い。
その好例が「SR-71」。
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実用高度25,929mと、飛ぶ高度が高すぎて、パイロットも生身だとたちまち窒息したうえ凍死してしまうので、宇宙服みたいな飛行服で保温し、酸素をいきわたらせるなどしています。
https://airandspace.si.edu/multimedia-gallery/08awinterjan2022interview-pressuresuitlivejpg
日本の「百式司令部偵察機」では、別に与圧服があるわけでないのに、酸素マスクと闘魂でアメリカのB29と同じ1万メートル近くまで上がってがんばった。
B29のほうは、やっぱり宇宙服か?
いやいや、半そで半ズボンとかで飛んでいたという記録があります。
なぜだ?B29搭乗員は、メチールでもきめて、狂乱していたのか?
いやいや、ある工夫で、B29の機内は、地上とあまり変わらないように調節されていたのです。
その調整の秘法が「与圧」。
エンジンで空気を圧縮し、なんとか人間の生き延びられる気圧、温度、湿度にしたうえで、畿内に導入しているのです。
地上と同じ1気圧にしようとすると、エンジンの推力が与圧の維持に取られすぎるなどして非効率なので、だいたい0.7気圧から、最近は0.8気圧まで上げることができるようになったらしい。
1万メートルの上空では、温度は―50度、気圧は地上の4分の1なので、いかに強力に与圧されているかということですねーそれでも何とか高度2500メートルくらいの気圧に持って行っているということなので、地上にいるのに比べて相当乾燥し、かつ酸素濃度も70%くらいまで下がってしまい。乗客も、何もしなくてもふらふらし始め、気が付いたら寝ちまってた、というのも多いと思います。
畿内全体を与圧できるようになったのは、戦前にもボーイング307とかあるにはあったが、実態上は戦後になってから。
B29の場合は、操縦区画や、銃手のいる区画に限定して与圧していた。
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https://www.quora.com/Was-the-B-29-pressurized
https://www.sun-inet.or.jp/~ja2tko/jap/jap.b29/b29no2.html
ちなみに、日本の百式司令部偵察機のスケルトンはこんなかんじ
https://br.pinterest.com/pin/320177854749561118/
もちろん与圧はなし。
その与圧の経験が戦後の花形マンモス輸送機であるコンステレーションやB377,DC4などに生かされました。
与圧が大量高空輸送にとっていかに重要であり、しかし困難かつセンシブルな先端技術であったか。与圧の失敗がいかに重大な被害をもたらすかというのに、コメット旅客機の連続事故があります。
コメット旅客機(パブリックドメイン)
戦後、「最後のレシプロ旅客機」と言われたボーイング377が、B29譲りの機体とB307 からの集大成である与圧設備で世界の空を制覇していたころ、与圧の技術を会得しつつあった英国が、満を持してコメット旅客機を開発しました。
先進的な後退翼の4発ジェット旅客機で、さしものB377も時代遅れになったか?
がしかし、コメット旅客機に連続して重大な空中分解事故が発生。
乗員も乗客もみんな4んじまうので、原因究明にも苦労し。
それでも、そのうち、与圧が事故の原因であることが明らかになり。
与圧した飛行機というのは、機内の圧力が外気に比べて異常に高くなっており。要すれば風船がぱちん!と破けちゃうみたいな、一歩手前にあるのを、機体の骨組みだ外皮だとかで無理やり抑えこむことになってしまい。
風船に針、と同じとは言わないが似たような感じで、穴が開きでもしたら、そこから亀裂が走り、機体が破裂してしまうことが分かった。
そして、穴が開く重大な原因の一つが「四角い窓」
つまり、窓の鋭角(角)の部分に圧力が集中して、ひびが入ってしまうのである。
アメリカ側は、四角い窓の危険を知っていたのか?B377では、まるい窓のバージョンが多かった。でもユナイテッド航空などの使用していた機体は四角い窓だし、四角と丸の混合した機体もあり。ボーイングもまだ試行錯誤だったらしく、別にアメリカが英国に与圧の情報を出し惜しみしたから発生した事故ということでもなさそうである。
https://flyawaysimulation.com/images/add-ons/18640/b377-lia-1zip-1-image.jpg
上部キャビンが角窓。下部キャビンが丸窓の例。
四角窓でも与圧に問題を起こさなかったB377おそるべし。これなら、機銃掃射を食らってハチの巣になっても、空中分解とかはせずに、ユウユウと飛び続けるのではないかと思ったりします。
これは、英国の飛行機がひ弱なのではなくて、アメリカの飛行機がどこかおかしいのです。
与圧はアメリカの得意技ではあるけれど、別に専売特許でもなく。
バトル・オブ・ブリテンの段階で、ドイツは超高空を飛ぶJU86という大型偵察機を開発しており。
高度1万2千メートルという、泣く子も黙る高空性能で、もちろん与圧室を備えていました。でも、乗員は2名のみで、全長17メートル、全幅25メートルという大きな機体(東京を初空襲したB25くらいの大きさ)になんとか2名分の与圧設備を搭載できた。
https://i.pinimg.com/originals/df/31/ce/df31ceee9dd35f3290c06e15dd46bd07.jpg
ttps://br.pinterest.com/kadyshevks/
スピードは時速400キロくらいで、遅くはなかったけれど速くもなく。ディーゼルエンジン搭載とか、なかなか妙味のある機体なのでいつか詳しく書いてみたいですが、そんな与圧装置付きの不思議な飛行機が存在しており、大戦中期にイギリスが高高度型スピットファイアを開発するまでは、1400キロの航続距離を生かして、のこのこと敵地上空に侵入し。
JU86を追っ払った高空型スピットも与圧装置を備え。2重の風防をスライド式ではなくねじ止めにしたりとか、与圧隔壁をコクピットに新設したとか、いろいろ工夫し。実はあまりうまく作動しなかったらしいのですが、英米は電熱服や酸素吸入など進んでいたので、パイロットも、あああ!ちびってあそこが凍っちゃった!壊死だ!なんてならずに済んだらしい。
B29を迎撃した日本の屠龍だの雷電だの飛燕だのは、作動するしない以前にそもそも与圧がなく。米英に比べ粗末な飛行服でよくぞ成層圏まで上がれたものと思います。リポビタンDでも飲んで、「ガンバラナクッチャ」と、はっちゃきになって飛んで行ったんでしょうねえ。
ガンバラナクッチャ
https://www.youtube.com/watch?v=SqoVL-cwZhw
与圧のなかった大戦中の戦闘機でも、米英のは「気密性」がよく、要すればキャノピーを閉めれば寒い外気は100%遮断され、エンジンの熱でそこそこ暖かかったらしいです。
日本機はどうだったでしょうか。なんか「ブラックな職場」という言葉が浮かんできてしまうのは、ぼくだけでしょうか。
ああ無情。。。
ちなみに、ぼくの乗っている軽飛行機は、ぜんぜん気密性がなく、隙間風吹きまくりで、冬は凍えます。。。
小さな飛行機に乗っています
いまどきの旅客機は、素敵女子のCAさんがにこにこと機内食を配り、映画だなんだと、あたかもお家の居間にいるような感覚にしてお客をけむに巻いていますが、舟板一枚下は地獄じゃなかった、隔壁一枚裏は。。。。なので、理解して乗りましょう。
もちろん、隔壁が破れたりすると、遺族への補償でエアラインはつぶれるし、同型機は一斉に飛行停止とかになってしまうので、絶対隔壁が破れない構造になっているのが現代の飛行機ではあります。
最後はおどかしてしまいました。まあ、隔壁なんてない軽飛行機に比べれば、ジェット旅客機は急減圧とかが起こらないとは言えないけれど、全然大丈夫ですよーと、皆さんの飛行機旅行を無責任にけしかけて、結びといたします。
ではでは
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