日本に行った時のお土産に、地下鉄の切符を持って帰りました。
東京の地下鉄。世界に類を見ないち密な路線網で、あらゆる区間の効率を考慮しつくし、切符も多数のランク(金額)に分かれています。写真のは190円区間です。
上のはブラジリアの地下鉄切符です
日本の地下鉄は、とても便利で、清潔。乗っている人たちも礼儀正しく、大好きです。
でも、はっきりいって、この細かい料金の区分けだけは、同意できなかったのでした。
なぜこんなみみっちいことをするのか?
ブラジリアにも地下鉄があり、おおざっぱそのものの路線です。でも、いちまい切符を買えば、その切符でどこからどこまで行こうと勝手です。
東京だと、ここからここまでは100円。でもそこから先は190円だから、別の切符を買いな、みたいな、重箱の隅をつつくようなものになってしまい。地下鉄一つ乗るにも、やれこの区間はこの路線で、その値段は。。。。なんてこんがらかりすぎてわけがわからなくなってしまい、ともかくSUICAとかでスルーパスだ!となんとかしのいでいる状況ではないでしょうか。
東京の地下鉄マップ。https://www.tokyometro.jp/station/
ブラジリアはこんなかんじ。https://metro.df.gov.br/?page_id=8768
日本の場合、実は、日々の仕事や生活が、あまりにきめ細かすぎる配慮を要求する状況になってしまっており、その一つの例が、このみみっちい地下鉄の価格設定に表れていると思っています。つまり、地下鉄なんて日本の魑魅魍魎さのほんの断片で、24時間あらゆる出来事に、あまりにもち密に対応しなければならない生活に疲れ切って、自分でも訳が分からなくなり。最後は、ふらっとホームから飛び降りようとしていて、青色灯ではっと気が付き助かった、なんてことになっていないでしょうか。
駅の青色照明。https://karapaia.com/archives/52069214.html
なぜこんな生きにくい国になってしまったのか。
それは、もともと芸術に生きる人々の国であった日本が、幕末の列強進出で、植民地にならないために、理数系の考え方を無理やり「インプラント」させられた、その影響が今日にいたるまで残っているためと理解します。
日本人てそんなに芸術的だったっけ?
はい、フランス人が驚いてジャポニズムを推進したくらいに、芸術的です。
その日本人の芸術性は「蕃書調所」「工部美術学校」に見ることができます。
-O-
時は幕末。ペリーにカツアゲされ、にっちもさっちもいかなくなった日本。
浮世絵なのにパースの効いた「米船渡来 旧諸藩士固之図(べいせんとらいきゅうしょはんしかためのず) 」
浮世絵美人なんて描いている場合じゃないぞ!大砲の製図だ!
と、必死になって西洋の作画技術を学ぼうとしました。
そのための学校が「蕃書調所」
語学、精錬学(化学・薬学)、機械学、数学など、進んだ西洋の学問を学んで、列強に対抗するために、江戸幕府が設立した、当時の大学・専門学校をミックスしたような学校でした。
これらの学問に交じり「画学」もあり。
西洋美術について「調べ」学ぶ学部でした。
美術とはいえ、学ぶ目的は「画題となる物品を、日本画では不可能な精密な描写、迫真の画像で再現する」という意味合いがあり。なんか歯切れの悪い言い方になっていますが、現代用語でまとめると、ようするに「工業製品の設計製図技術を獲得したい」という事なのでした。
この学校で学んだ重要な人物に、高橋由一がいます。
その代表作が「ガトリンク機関銃の組み立て用精密詳細設計図」
ではなくて
「鮭」でした。
この絵のどこが製図なのか?
というか、現在の超写実絵画『鮭 ─ 高橋由一へのオマージュ ─ 』に比べたら、ピンボケすぎて、80年代頃の写真程度にしか見えなかったのでした。
それでも、浮世絵しか知らなった日本では、衝撃の精密画像だった。
しかし、「しゃけ」なんですよねー
「ガトリンク銃」ではなく「しゃけ」
ここに高橋由一に代表される、日本人のどうしようもない芸術性が暴かれるのでした。
高橋由一「下野塩谷郡男鹿川独橋有三架」
がんばって橋梁構造の描写を試みてはいるけれど。。。やっぱり図面じゃなくてアートですよね。。。。
日本は技術立国、職人の国ですが、職人ってどんな人?と考え直してみると。
「一杯の魂―ラーメン人物伝―」ISBN4-08-859357
こんな感じ。「理屈ではなく感覚」だそうです。ははは
三菱リージョナルジェット(MRJ)についても、米国FAAの審査に通らなかったのは、アメリカが要求する「ボーメ度」じゃなかったもろもろの基準数値を、三菱側が明確にクリアできなかったというのがあるらしい。
きっとアメリカの飛行機より安全で繊細な、操縦しやすい飛行機だと思うのになー。
MRJについては興味深い考察があるのでこちら→国産ジェットの夢を阻んだ「型式証明」の壁 責任は三菱重工だけか 日経ビジネス記事 2/7
https://travel.watch.impress.co.jp/img/trw/docs/1130/516/html/000_o.jpg.html
しゃけの絵ではロシアの軍艦を撃沈することはできません。
というわけで、明治になると、こんどはもっと赤裸々な名称の学校が生まれます。
その名も「工部美術学校」
「工部」と「美術」が両立する、どうしようもない日本人のなあなあ気質が全開になってしまっています。
結局、この学校も工部というより美術で日本をリードし、美術面で拮抗する形で東京美術学校、さらには東京藝術大学が生まれるのでした。
いくら製図しようとがんばっても美術になってしまう日本。天下のおフランスに「ジャポニズム」という一大美術運動を発生させた原動力を、ここに見ることができます。
日本人には生まれながらに芸術の血が脈うっているのです。
数値・計算の世界とは、一線を画した情感、感性の世界です。
これが迷走すると「八紘一宇」だのと妄想の世界になり、自国も滅ぼし世界にも迷惑をかけてしまう。
日本がアジアを開放したのは本当です。でも、開放の仕方が、石油のある資源国に押し入ったら、そこでは現地の人たちが西洋人に搾取されていたので、「敵の敵は味方」となって協力したというのが真相でした。
ガトリンク銃 http://www.xn--u9j370humdba539qcybpym.jp/part2/archives/463
しかし「悪い西洋人にいじめられているアジアを、神国日本が皇軍で開放する」という「夢・希望・アート」の世界に逃避してしまった結果、戦争という事態で最も効果的な工業製品である原爆を落とされてしまいました。
ロートレック「ディヴァン・ジャポネ(日本の長椅子)」
ここまで読んで、「そんなことないぞ!日本はあらゆる情報をち密に検討し、熟考の上で開戦に踏み切ったんだ」という人もいるでしょう。
日本人から見れば、その通りです。
でも、世界からは「だらだら中国と紛争し、泥沼化させた結果、打開しようとしたはいいが、本質と離れた無駄に細かい目先の事象の分析で、かえって戦略的に事態が見えなくなってしまい、成算もないのにアメリカを攻撃してしまった」と見られているのが、偽らざる真実です。
ち密な計算をしているように見せかけながら(無駄に細かいだけ)、実はアートな主観・感性で物事を進めてしまう日本人の性癖は、日本人自身が常時戒めておかないと、どんな悲劇をもたらすかわかりません。
でも、世界でも有数の、アートな国民であるという事も事実であり。それは、とりもなおさずアートに生きる、という事も、世界のどの国よりも得意なはずだと理解します。
なぜ「得意なはず」であり「得意」でなくなってしまったのか。
それは、「工部」美術学校というように、幕末から今日にかけて、無理やり日本人のアートに工業の枠をはめ込んでしまったからなのです。
もちろん、アヘン戦争で超大国清が亡国の憂き目にあっている時代に、「あばずれ美人」なんていってる場合じゃないだろう!という事は理解します。
喜多川歌麿「教訓親の目鑑(めがね) 俗に言うあばずれ」
しかし、令和の日本は、ロシアや共産中国、南北朝鮮に囲まれ、決して安泰ではないものの、幕末よりずっとましな状況にあると理解します。
そろそろ、みみっちい詳細化で安心しようとする思考から解放されてもよいころかな?と思ったりします。
最後に、日本の絵に比べたら製図になっている西洋の絵画と、アートかどうかなんてどうでもいいや!でも気づいたらアートになってました、という日本の絵画を掲載して、結びとします。
ルノワール「犬の頭部」
きゃふんきゃふん。ではでは。。。
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