空飛ぶスバルのお話

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最近「空飛ぶクルマ」が話題になっています。

マイカーあるいはタクシーを拾うような感覚で、お手軽にいつでもどこでも、というなかなかおつな発想で、いろいろ試験車?試験機?など開発しているらしいが、とあるやばい理由によって実現は困難かもしれません。

https://www.bibian.co.jp/product.php?id=p763745338

 

 

やばい理由についてはこちら→「空飛ぶクルマ」

20ヘクタールも超えればもう大規模農家という、田んぼも建物も人間もひしめき合う日本では、車もおしくらまんじゅうですが、アメリカとかに行けば、フツーに「見渡す限り大平原」というのがあったりします。

それだけ集落と集落の間の物理的距離が開いており。隣町と言っても車で数十分、なんていうのもフツーにあったりします。

というわけで、マンハッタンの摩天楼とかではともかく、アラスカまではいかなくとも、カナダとの国境地帯とかでは車なんて遅すぎる、自家用機でなくちゃ。。。。という場所もいっぱいあるのです。

要すれば二束三文で買った中古の軽飛行機を乗り回すという世界が存在しているのである。

この場合、空飛ぶクルマ、というか、クルマのように使いまわす飛行機というか、結局同じ気もしますが、特に北米では軽飛行機が重要な市民の脚となっています。

そういった、自動車のように親しみ深い軽飛行機たちの代表が「セスナ」

セスナというのは、英語で軽飛行機のこと、ではなくて、セスナという飛行機製造会社の名前なのです。

セスナ 172  Pixabay無料画像

 

そのセスナは、第2次大戦で発展したレシプロエンジン機の技術をもとに、2人乗りから6人乗りの軽飛行機をじゃんじゃん売りさばいて、文字通り「軽飛行機の代名詞」になりました。

でも、セスナだけではなく。世界各国で小さな軽飛行機を製造するようになり。

アメリカではパイパー社がセスナ社と双璧とでも言いましょうか、元祖軽飛行機でセスナよりさらにいにしえの「カブ」その発展形の「スーパーカブ」そのまたさらに発展して「チェロキー」とか「アパッチ」とかヒット作を生み出しました。

チェロキー Pixabay無料

 

 

安くてお手軽、という路線をカブに取られたビーチクラフト社は、逆に高級志向で「ボナンザ」「クイーンエア」「キングエア」なんて王侯貴族の名前をつけた飛行機で有名になり。

ボナンザ Piaxabay無料画像

 

戦後の一時期、マイカー代わりに平和な空をガンガン飛ぼうぜーという、なかなか希望にあふれた時期があったのです。

日本では折から高度成長期に入っており。スズキフロンテとか三菱500、ホンダ360とかが元気いっぱい走り回っていた。

フロンテ https://gazoo.com/feature/gazoo-museum/meisha/rr/19/05/22/

 

 

そんな時代の少年たちが、「アメリカのセスナとかかっこいいよねー」と憧れ「日本にもセスナみたいのがあったらいいのになー」と夢見ていたら、なんとその夢は実現したのでした。

高度成長期の日本はよかったね!

日本人が作った、セスナみたいな軽飛行機は、1965年に初飛行しました。

その名も「エアロスバル」。

https://www.s40otoko.com/wp-content/uploads/2018/08/1.jpg

 

 

 

富士重工です。スバル360という世紀の名車と共に、なんと軽飛行機も誕生させていたのでした。

「これが日本のコンパクト・プレーンです」みたいな感じで生まれたエアロスバルすなわち富士FA200は、諸国の軽飛行機に比べてもそん色ない傑作機となり。次の特徴を持っていました。

◎運動性:宙返りだろうが何だろうがお手の物で、アクロバット機としての対空類別(認可)も取得している。

◎主翼をセミ・インテグラルタンクにすることで、軽飛行機としては驚異の航続距離(1000キロくらい)を達成。

あれ、どこかで聞いたことがあるぞ?

零戦か?と思った人は、惜しいけれど違うのでした。

 

特徴続きます

◎小さくて軽いくせに安定性も優れており、しかも上記の通り運動性もいいといった、一種矛盾する性能を両方持っているといったなかなかおつな飛行機だった。この辺は、安定性はいいけれど、とろくて。。。というセスナに勝っていたと思います。さらに言えば、敏捷に動いてくれるけれど、なかなかまっすぐ飛んでくれないというカブ(そしてLSA一般)に比べても、とても素直で乗りやすかったらしい。

ここまでは操縦面での特徴ですが、機体とかハード面でいうと

◎スライド式のキャノピーにして、乗員の乗り降りをらくちんにした。

https://www.wikiwand.com/ja/FA-200

 

 

◎主翼水平尾翼はテーパーをかけない直線形にして生産性を高めた(もっと言えばぶつけちゃったときの修理も楽にした)◎舵面とか部分的に波板を使ったり、構造材の形状や組み合わせを工夫するなりして、堅牢かつ軽量な機体に仕上がった。◎凝っているのが「スロッテッド・フラップ」の採用で、フツーのフラップに比べて気流の流れがよくなり、着陸性能の向上に貢献した。

https://www.hikouki-pilot.com/types-of-flaps/

 

 

一方、高性能へのこだわりが不利に働いた点として

◎キャビンを流線形に絞り込んだため、後部座席が窮屈になり。積載可能な荷物が限られてしまった

という、お客を乗せてなんぼのエアタクシーや遊覧事業とかには不向きの機体になってしまったのでした。軽飛行機としてはかなりの弱点ですよね。。。。

一方、飛行学校における訓練機としてはなかなか優秀だったそうで、全日本空輸、航空大学校などそうそうたる組織で活躍した。

世が世なら、「舞い上がれ」の舞ちゃんも、シーラスとかボナンザではなくてエアロスバルに乗っていたかもしれないのですねー

Wikipediaによれば「西ドイツ・イギリス・オーストラリア・南アフリカ・ギリシャと言った海外に輸出した」とあり、世界水準を超えた傑作機であったことがうかがえます。あれアメリカ輸出はなかったっけ?

国内、輸出合わせ296機を販売。生産は1986年まで続きました。

商売としてはいまいちですが、日本の飛行機の優秀さを世界にしめした事例と思います。

さて、上記でも書いた「くるくるよく回り、操縦しやすい」という特性ですが、それってもしかしてこれじゃね?

隼 https://joefig.exblog.jp/21754159/

 

 

まさにその通りで、そもそも富士重工というのは、中島飛行機が戦後解散した(GHQに解散させられた)後を受け継いで生まれたメーカーであり、占領軍による航空機製造禁止で、しかたなく自動車を生産していたら、そっちが本業になっていたという会社だったのでした。ははは

というわけで、マニアから見れば、エアロスバルの姿かたちってそのまま隼じゃん?とわかると思います

隼(上)https://soyuyo.main.jp/ki43d/ki43-3.html

とエアロスバル(下)https://flyteam.jp/aircraft/fuji/fa-200-aero-subaru/photo?filtertype=airport&filtercode=ryugasaki-airfield

 

 

一方、よく間違われるのが「エアロスバルはスバル製の水平対向エンジンを積んでいた」で、確かに水平対向ですが、アメリカのライカミング製のエンジンを積んでいたのでした。ざんねん

機体製造のノウハウは弾圧を逃れてなんとか継承できたが、エンジンとなると戦後のブランクは越えがたかった、ということなのでしょうねえ。

最後に、この投稿でしか見ることのできない特ダネを入手しましたので、このブログの読者の皆様だけに、秘密で暴露だ!

なんと、富士重工は、三菱向けにライセンス生産の図面を提供していたというのです。

この生産が実現した場合の「エアロミツビシ」がどんなになったかという想像図を掲載するのでした

 

 

 

もちろんおおうそですよー

*零戦のキャノピーはこちらからお借りしました→https://freeway.main.jp/yusyukan/gazou/zero/IMG_7346-ed1-900-600.jpg

 

おあとがよろしいようで。このへんで打ち止め。

ではでは。。。

 

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