美術ってなんだ?西洋美術と日本美術の差
以前、ひょんなことからルネサンス美術の恐るべきからくりについて書きましたが、そもそも美術とは何か?という再確認をしたうえで、頭でっかちな西洋美術と、ほにゃららな日本美術の接点を探り、美術に現れる日本のお国柄を理解し、ゆくゆくは日本の不可思議な新型コロナ対策の解明を試みようと思います。
さて、美術ってなんだ?
簡単に言えば「表現」です。ははは
「内的必然性(Inner Necessity)の表現」。
こんがらかった人は、上の言葉はちょっと忘れて
「表現者(画家)が、表現を通じて鑑賞者に何らかの情報(意志、理念など。感性も?)を伝え、鑑賞者へ感覚的に何かの啓示なり感動なりを呼びおこすもの。」
そして呼び起こす根源となる表現、表現物、物体を作品と呼べばわかりやすいかと思います。
美術は、芸術の中の仲間です。ほかにいろいろ仲間があり。
文芸:小説とか詩。このブログの文章なんちって
音響芸術:軍艦マーチ。AKB48やベートーベンももちろん入ります
舞台芸術:演劇・ダンス。ブルゾンちえみ。
映像芸術:映画。「トラ・トラ・トラ」や「日曜日の恋人たち」なんてのもある。
造形芸術:ミロのビーナスとかの彫刻や、建築。ぼくはBAUHAUSちっくなやつやコルビジエが好きです。ニーマイヤーはおおざっぱすぎてううむ、というかんじ
視覚芸術:ここに美術が入る。ドミニク・アングル、キリコやホッパー、リキテンシュタイン、そしてカンディンスキーなど。
美術についての簡単な定義が定まったところで、西洋美術にいってみます。
1.西洋美術のスタートは「初期キリスト美術」。
あれれギリシア美術は?という質問があると思いますが、ローマ後期から、ゲルマン大移動と、フランク王国など蛮族による諸王朝によって埋もれてしまい。当時芽生えた初期キリスト教美術と、続く初期中世美術をスタートとさせていただきます。
さて初期キリスト教美術・初期中世美術の特徴ですが、ギリシア(ヘレニズム)の精緻・繊細・躍動感はどこかに行ってしまい。
受胎告知。教会壁面のモザイク。作者はだれだろう?
素朴というか幼稚というか、ポーズも表情も固定して、なんかお役所の公文書みたいな感じ。つまり「書式からずれてる!書きなおーし」とはならないにしても、「こうしなさい、こうあるべし」というのでかなりがんじがらめになっていたらしい。
そして、表現が目指すものは「文字の読めない人たちにキリスト教を絵でつたえること」でした。
2.次に出てくるのがビザンティン美術。ギリシア文明の継承者を自称する東ローマ(ビザンティン帝国)ですが、やっぱり公文書みたいな堅苦しさあり。イコンといって「聖書における重要な出来事や、教会史上の出来事を画いた画像(Wikipedia)」が発達。人々の目指すべき理想を絵にし、指し示すもの、ということで現在のアイコンの語源になったとの説あり。
表現が目指すものは、やっぱり「キリスト教の普及、広報」でした。
「ウスチュグの受胎告知」
3.東西貿易など、イタリア諸都市をはじめとした新勢力が勃興すると、これらをパトロンとしたルネサンスが始り。硬直化して身動きの取れなくなった美術を、掘り起こされたギリシア美術の均整、写実といった技法で再発見し、人間中心の絵画が生まれました。題材として聖書は主流にあり続けましたが、登場するのはイコンではなく、人間と相通ずる肉体、精神を持った聖人賢者になりました。
フラ・アンジェリコの受胎告知
表現が目指すものは、「キリスト教や肖像画を通じた教会やパトロンの広報」でしたが「教会やパトロンも人間」「絵に出てくる天使などにも人間と同じ感性が表現」されはじめました。
*ただし、この時代からの広報やプロパガンダは、ある程度エリートの人たちの間にとどまっていたらしい。新聞みたいなマスメディアによる普及は、後に書くように写真の出現以降、あるいはルーブル博物館の一般公開開始(1793年)以降などの説あり。
4.一方で、西欧美術の擁護者であり指令塔であったカトリック教会は、メディチ家とかの大商人、絶対君主やプロテスタントの勃興など、資金、政治・軍事、宗教全方位で危機にさらされ。これじゃいかん、もっと檀家(信者)を増やして財力・権力を回復せねば!と、プロパガンダ大攻勢を開始します。
この流れでバロック美術が登場。お題は聖書で変わりがないが、表現方法をとにかくドラマチック、見ている人が感動して涙してしまうような「ドーンと衝撃的な作品」で、カトリックファンを呼び戻そうとしました。
従って、表現が目指するものは「キリスト教の広報、普及だが、見るものの感性に訴えて否応なく引き込む」
つまり、ここで「理性・情報の伝達」より「感覚・感情の作用」がまさりはじめた。
エル・グレコ(受胎告知)
5.ロマン主義
フランス革命にナポレオンの時代。王や貴族より民衆の方が強くなっていった。ギロチンで王様の首が飛ぶ大混乱、大革命の時代を象徴して、美術も情熱、夢想。ついに情感が前面に出はじめます。この時期を代表する画家にウジェーヌ・ドラクロアという人がいます。
ドラクロア「受胎告知」
ううむいがいにインパクトがないなあ。。。というのも、ロマン主義は「神・主、ヨーロッパ普遍」よりも「各国の個人の自我」を表現するのが得意なので、下の方が有名です
ドラクロア「民衆を導く自由の女神」
表現しているものは。。。「自由、平等、博愛といった、自我を持つ人間の精神。勇気、希望、情熱と言った、やっぱり自我を持つ人間の感性」。宗教から分離し始めているが、民族・国家のプロパガンダとしての色彩はまだ濃い。
6.ロマン主義と前後して、新古典主義があり。
熱狂的に受けた「巨人の星」が、時代が下るに従い「ギャグマンガ」と受け取る人が多くなってしまったように、バロックの暴力的な迫力は、受ける人には受けるがちょっとくどくてねー、となり。「やっぱりもっと均整がとれた、古代ギリシャみたいな細部まで精密な美術に回帰しよう」と新古典主義が生まれました。
この絵をみて、めらめらと目に炎が燃え上がる人は昭和のおっちゃんです。
ぎゃははなにこれー!と笑っちゃう人は令和のゆとりくんです。
(出展:https://ameblo.jp/kamome4022/entry-12177778646.html)
重厚で格調高く、どっしり威風堂々とした絵が新古典主義の特徴です。
宗教画もあるのですが、なぜか受胎告知は発見できず。ということで、ナポレオンの肖像画を掲載。
ダヴィッド「アルプス越えのナポレオン」
この美術学派の表現するもの:ううむ「パトロン、あるいは芸術家の意志を写真のような写実的な絵柄(モデルとは思い切り似てない可能性あり)で視覚化する」。
ちなみに、ぼくはアングルの大ファンです。アングルはこの時代の代表的な画家で、「当時発明された写真が「画家の生活を脅かす」としてフランス政府に禁止するよう抗議した(Wikipedia)」らしい。
そして、この抗議が、西洋美術の本質を物語っていると理解します。ここがこの記事のコアポイントです。
写真が登場するまで、西洋美術とは、神様、天使や、メディチ家やナポレオンなどの世俗権力者、あるいはフランス革命などの歴史的大事件の描写と報道をするための手段だった。あるいは形式、あるいは理性、あるいは感情と、写実やデフォルメの間を行ったり来たりしながらも、その「報道写真」としての本質は変わらず。
しかし、写真の出現により、美術の存在価値は180度転換します。
報道写真。(出展:Photograph by Joe Rosenthal, AP)
もはや書くスペースがなくなってしまったので、今回はこの辺で終わりますが、何百枚でも複製できる写真の出現で写実のくびきから逃れた美術は、
7.形而上絵画、キュビズム、シュルレアリズムなど、感性そのもの、純粋な内的必然性の表現となって生まれ変わりました。
そして、西洋美術の生まれ変わりには、実はいかにも日本的な日本美術が恐るべき影響を与えたことも別記事で書きます。その序章として「日本画にしか見えない日本画」を掲載して、結びにいたします。
シュールでかわいい犬くん。
仙厓和尚 犬図
きゃふんきゃふん。ではでは。。。
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