最近ようつべで「生後0日の子猫を保護しました」みたいな動画が多く。
コメント欄など、「かわいいー!」の大合唱なのですが、どうもぼくとしては、かわいいというより、恐怖を感じてしまっていました。
最初はなぜかわからなかったのですが、何本もの動画を見て、そうか、こういうことだったのだなと納得したので、書いてみます。
これらの動画は、だいたい3つのシーンで構成されています。
その一つが、「おしっことうんち」。
生まれたての子猫であり、まだ体の中に変な毒素もないので、おしっこといっても、場末のラーメン屋で出してくるコップの水よりはきれいなんじゃね?みたいな感じ。
齢0日の子猫は、自発的に排せつをするだけの筋肉?がまだないので、テイッシュでぽんぽんとおしりをたたいて、刺激によって排せつさせています。テイッシュが濡れてきた、というのが普通ですが、時にはおしっこがぴゅーと発射されるのが見える動画もあります。うんちもおなじ。本来は母猫がなめなめ、して刺激するそうですが、保護猫の場合はこうして代行するわけである。
https://www.lifeboat.or.jp/contents/baby-cats/4.htm
その二つ目が「ミルク」
最初は、細いシリンジ、それでも小さな子猫の口がいっぱいになりますが、少しづつ口の中に差し込んで注射桿(プランジャ)を押し込んでやる。
そのうち、自分からちゅばちゅぱ吸う力が出てきたら、哺乳瓶に取り換える。
だいたい150グラムくらいの子猫が満腹になるころには、体重も160グラムになっており。一回で10グラムのミルクを飲むということなのですね。
https://eureka.tokyo/archives/287035
そして、3つ目が「睡眠」
だいたい2時間から3時間くらい眠るらしい。この間、子猫の体内ではミルクが栄養として分解され、驚くべき速さで吸収されていく。と共に、この2~3時間で、おしっこ、うんちが貯まり、一番上の「おしっことうんち」のサイクルに戻ります。
これを繰り返していくうちに、4週間くらいで500グラムくらいになり、ここまでいけばまあ突然死とかの危険は激減した、一応元気な子猫になって、その辺を走り回るようになるらしい。
https://www.youtube.com/watch?v=Q4i_01-pVDM
こうした動画を見て、はっきりいって戦慄しました。
要すれば、生まれたての子猫というのは、人間でいえば、生死の間をさまよう未熟児ということなのである。
0日の状況では、一応手足もしっぽもあるが、満足に動かすことはできず。めったやたらにもがいている状況である。
目もみえず。耳も聞こえない状況らしい。
本当だったら、そんな状況で生まれてきたら、たちまち冷気に当たって文字通り冷たくなちゃうとか、室内外で母猫が十分保護されている場合はともかく、のらの場合は多数生まれたうちの1,2匹は母猫の乳を吸うことができず餓死するというのもあるらしい。
生まれたての子猫は、へその緒が切れて栄養補給がなくなってしまった状態で、目も見えず耳も聞こえず。冷たい外界に投げ出されて、人間から見ればかわいいしぐさや鳴き声も、その実相としては、このままでは死ぬぞ!栄養をくれ!体温を保存してくれ!という叫びであり。
「寒い、おなかがすいた、死にたくない死にたくない、誰か助けてー!」と絶叫しているというのが事実だった。
https://eureka.tokyo/archives/347792
暗闇の中での絶望的な絶叫。唯一持っている嗅覚で母猫の乳に向かって夢中で這っていくのですが、運動神経もまだ発達していないので、まともに動くこともできず。
こうした状況で、いち早く母猫の乳に到達できたグループだけが生き延び、残りの2,3匹はそのまま干からびちゃう、という恐ろしい世界なのだと思います。
ともかく脆弱な生後0日の子猫は、人間が温かい家屋の中で保護して、シリンジでミルクを与えたとしても、ちょっとした不具合で死んじまうらしい。哺乳瓶の口が大きすぎてうまく吸えなかった、みたいなケースもあれば、もともと肺だの内臓だのが弱く、昨日まで元気だったのに突然ぐったり、というのも多いらしい。
生後10日くらいから目が開き始めますが、最初は開いているだけで視力はないらしく。体はかなり大きく、丈夫になりますが、やはり餓死、衰弱死一歩手前で、消化器も弱く、ティッシュでおしりをポンポンしてあげないとたちまち便秘で死亡、という状況は続きます。
さて2週間か3週間か?やっと自分で排せつでき、目が見えてそこらを走り回るようになった動画を見て、初めて安堵している自分自身を発見していたのでした。
こういった子猫たちをみるにつれ、いかに人間が恵まれた環境にいるかと痛感しています。
3時間おきにミルクやおしりポンポンというのは、常人にはできない行為と思います。
一方、なんか幸せそうに人間が猫のミルクやおしりぽんぽん、というのには違和感を抱えてしまうのです。人間が幸せかどうかなんて、子猫から見れば人間の勝手ですよね。
もっと機械的に、栄養を定時定量流し込み、排せつも補助したうえで、あとは生きるも死ぬもお前次第だ。かわいいもへったくれもない、というふうにした方が、本当の保護と言えるのではないか、と思ったりしてしまいました。要すれば、「かわいいから保護する」のではなく「保護すべきだから、保護できる余力があるから保護する」としないと、子猫は結局人間の感情を満足させるためのおもちゃか?になってしまうことを恐れるのです。
でも、それじゃあ、燃料を注入して、エンジンを作動させ、排気管から排気ガスを出す機械と変わらないですよね。とすれば、やはり人間と同じ感情と理性、意志を持った生命体として接する必要があると思います。
こうした保護猫の話を聞き帰するにつけ、生ませる責任、育てる責任というものを考えるようになりました。
人間たちが無造作に捨て猫とかを繰り返すたびに、捨て猫同士が交尾し、ますます野良猫が増えていきます。
しかし、野良猫の生活環境はあまりに厳しく。それは、生きるのが苦しい為に育児放棄をする母猫、子猫を襲う外敵とっ闘って致命傷を負い、死んでしまう母猫。単に食料を狩ることができなくて、衰弱死してしまう母猫など、要すれば育児放棄などで凍えて死んじゃうしかない生後0日の子猫たちがますます増えていくという事を意味しています。
えさやりおばさんとか、大きくなった野良猫を助けるという意味では大切ですが、一方でこれらの野良猫たちがますます子猫を累乗的に生んでいくことを考えると、手放しで喜ぶこともできないですよね。
そこで、野良猫を一時保護し、去勢したうえでまた外界に戻す、という人たちもいるようです。こうした「さくら猫(耳にしるしを入れて、桜みたいに見える)」への野良猫の転換が、一番現実的な解決策かもしれません。
https://buycott.me/report/000163.html
さくら猫なら、繁殖はしないので、ぜひえさやりおばさんたちと仲良しになって、子猫の時に人間に捨てられた思い出もあるけれど、餌をくれる優しいおばさんもいることを知って、人間てそれほど悪い生き物じゃないね、と思ってくれれば幸いです。
そして、いったん猫を飼うと決めたら、室内で寿命を全うするまで飼う、という覚悟も必要ですね。
ウクライナでは、巨額の富が人殺しにつぎ込まれています。侵略者がなるべく早く撤収して戦争が終わるとともに、人間がお金を戦争に垂れ流すのではなく、人間も含んだ生き物たちのより良い一生に活用することができるような世の中が来ることを願っています。
ではでは
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